17番の日記...17番

 

 

澤村幸明 - 2003年08月26日(火)

昨日まで四日間、新潟県六日町に合宿に行っていた。その合宿では、早朝から漢字テストやったり、百何人の前でフリートークしたり、バスケやったり、露天風呂入ったりといろいろとやった。それにしても、疲れた・・・。

話は変わるが現在、都市対抗野球が行われている。関東代表で日本通運が出場しているが、澤村幸明選手が日本通運の選手として出場している。

澤村選手を初めて見たのは、僕が中学三年の時に見た夏の甲子園決勝戦熊本工対松山商の試合である。澤村選手は当時一年生ながら六番・レフトで出場していた。2対3と松山商が1点リードして迎えた九回裏。熊本工の攻撃もすでに2アウト。バッターは澤村選手。4万8000人の大観衆は松山商の優勝をほぼ確信していた。松山商の投手・新田は渾身のストレートを投げ込んだ。澤村選手はフルスイング。ボールは綺麗な弧を描いてレフトスタンドに飛び込んだ。起死回生同点本塁打。土壇場でチームを救ったのは澤村選手の一振りだった。結局、延長11回に松山商は3点を入れ、熊本工は敗れたが、僕は澤村選手から強烈なインパクトを受けた。僕は澤村選手の熱烈なファンとなってしまった。

それ以降、澤村選手は二、三年生では甲子園出場を果たせなかった。卒業後の進路も確認できずにいた。しかし、二年前、僕が上京し大学に入学した時、信じられない出来事が起こった。

僕が入った大学の野球部に澤村選手が所属していたのだ。僕は学内新聞のサークルに入りスポーツを担当し、六大学リーグの取材などで澤村選手を取材することができた。大学一年生の時に初めて澤村選手にお会いした時の感動と緊張は今でも忘れることはできない。澤村選手が四年生の時に、僕は澤村選手を専属で取材させてもらい、この年の六大学リーグは非常に思い出に残っている。早大の和田から放った九回裏の起死回生同点本塁打はまるで甲子園決勝戦の再現を見ているかのようだった。秋のリーグ戦で澤村選手がベストナインに選ばれた時は自分のことのように嬉しかった。

大学卒業後、日本通運に進み、現在も野球を続けている。プロに行ける実力はあるので、社会人野球で実績を残せば数年後にはプロに進むと思う。

都市対抗野球で澤村選手が活躍することを願っている。


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