四国道中〜パート4〜 - 2003年08月06日(水) 8月6日(5日目) 7時起床。カプセル内のエアコンが効きすぎており、朝から体調を崩す。 軽く朝食をとり、今日の目的地・徳島商業に向かうことにした。 徳商は今年のセンバツでベスト4に入り、夏の県予選も有力視されていた。しかしまさかの予選敗退。平岡をもう一度甲子園で見たかったが。徳商出身では、中日の川上や明大の牛田がいるわけだが、僕の中で徳商はいい投手を生む学校というイメージがある。 徳島駅の地図で徳商の位置を確認し、コンビニでリポビタンDを買い、いざ出発。地図で見ると、結構近いように感じたが、実際歩いてみると1時間ちょいかかった。 10時半。徳商に到着。校舎敷地内を歩いていき、グラウンドに到着。グラウンドではサッカー部が練習試合をしていた。徳商がオレンジ色のユニフォーム。もう一方がどっかで見たことあるような水色のユニフォーム。やっぱりそうだ。相手は徳島市立高だ。徳商は今年の長崎インターハイに出場しており、結構強い。対する徳島市立は高校サッカーの名門校。かなり前になるが、四中工が全国制覇した第70回大会の冬の選手権での徳島市立が僕の中で強い印象に残っている。当時の徳島市立に吉成という選手がいたのだが、「和製・マラドーナ」と呼ばれるプレーを見せ、選手権で注目された。卒業後は筑波大に進み、その後の進路は不明だが、とにかくサッカーセンスの塊といった感じの選手として印象に残っている。何気に今日の練習試合は徳島県では最高レベルの試合ということだ。 その隣で、野球部が練習していた。徳商も3年生が抜け、新チームとしてスタートしていた。野球部の練習スペースは松山商と同じくらいの広さ。その横にピッチングブルペンがある。 それにしても、練習に参加している部員数が少ない。数えてみると15人しかいない。3年生が抜けたとはいえ、これは少なすぎる。休憩時間となり、僕の横で休憩していた部員の2年生富岡君にその辺りを聞いてみた。すると、現在の総部員数はこの15人で全員だという。今年、3年生が沢山いたのだが、その3年生が夏でごっそりと引退し、残ったのはこの15人だという。今年の徳商のセンバツに出場したメンバーを後々調べてみたら全て3年生だった。新チームは全く新しいメンバーとなったわけである。 富岡君に平岡についても聞いてみた。そしたら富岡君にうまくかわされた。そりゃそうだ。どこから来たか分からない帽子を深々と被った怪しい青年に平岡の進路を易々と言うわけがない。僕的にはぜひ六大学に来て欲しい。徳商から六大学に進むとなると、明大が有力だがこの際どの大学でもいいから六大学リーグでプレーして欲しい。神宮で投げる平岡を見てみたい。 徳商の部員は非常に礼儀正しかった。こんな僕なんかにもちゃんと挨拶してくれた。野球エリートの気質を感じさせない部員の雰囲気に本当に好感が持てた。高校球児たるもの、やはり謙虚な姿勢は大事な要素だなと感じた。この部員達に、この狭いグラウンドで野球をやらせるのはもったいない。もっと広いグラウンドで練習をさせる必要がある。今は15人しかいないからなんとかなっているが、3年生が沢山いた時期は一体どのような感じだったのかと考えると選手がかわいそうである。選手の能力に相応した環境設備は球界発展のためにも絶対条件である。そしたら徳商はさらに強くなるはずだ。そして、富岡君、来年の夏は絶対に甲子園に行けよ! 尽誠学園、松山商業、高知高、徳島商業。とりあえず、四国4県を代表する野球の名門校を訪問することができた。今回の旅の目的だった「なぜ四国の代表校は毎年強いのか」に対して、「これ!」といった答えは結局見つけることはできなかった。というかそれが当たり前なのである。四国の歴代の代表校について、大した研究もせずに、ありったけの知識でのぞんだ今回の四国一周の旅。自分の器が未熟なため、結局答えは出せなかった。 しかし、四国の強さについて、一つ言えることは「常にすぐ隣に全国トップレベルが存在する」ということだ。現在は明徳義塾、数年前は松山商業、さらに前では池田高校、といった具合に各年代で四国トップ=全国トップという公式が存在していたわけである。この公式の誕生した理由はおそらく、高校野球がスタートした時代まで遡ると思うのだが、四国の強豪校は常に全国トップレベルの物差しを他地方に比べ、明確に意識することが出来たのだろう。 来年、就職活動が無事に終われば夏休みは暇になる。その時にまた、ゆっくりと四国を旅してみたいと思っている。今回のこんな漠然としたテーマに答えっていう答えなんて、本当はないのかもしれないが、来年の今頃はもっと根拠に基づいた、説得性のある「答え」を出せるようになりたいと思っております。 -
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