四国道中〜パート2〜 - 2003年08月04日(月) 8月4日(3日目) 8時起床。準備をして宿舎を9時出発。今日も昨日に引き続きめちゃくちゃ暑い。コンビニで軽く朝食をとり、近くにあった道後公園を歩いた。 今日のテーマは松山商業を訪問すること。沢田監督にお会いし、96年に全国制覇した時の優勝盾をこの目で見たかったのだ。 先月、朝日新聞の「井上明の現代高校野球考」というコラムで沢田監督が取り上げられていた。そのコラムを読んで、ぜひお会いしたいと思った。 96年夏に松山商業は全国制覇した。その時の決勝戦・松山商対熊本工の試合はテレビで見ていた。当時僕は中学3年で塾の夏期講習をさぼって、この試合を見ていた。熊本工の澤村選手の奇跡の9回裏起死回生同点本塁打や、松山商のライトの信じられないようなバックフォームなど、非常に見応えのある試合だった。その試合を制し、獲得した優勝盾をこの目で見ておきたかった。 道後公園から30分程歩いた所に松山商はあった。正門から入り、校舎の正面玄関を入ったすぐ左手に歴代のトロフィー、盾、優勝旗がズラーと並んでいた。その中に96年の優勝盾があった。頂点を極めたチームだけが手にすることが出来るこの優勝盾。神秘的な雰囲気をその優勝盾からは感じられた。 グラウンドではすでに野球部は練習していた。僕が見に行った時間帯は走塁練習をしていた。尽誠学園とは対照的に松山商は他の運動部とグラウンドを共用しており、実質グラウンドの3分の1程度しか使えていない。これではバッティング練習など満足にすることはできないだろう。この環境の中でよく全国制覇するチームが生まれるものだなと思った。 指導者らしい人が2人おり、僕が見ていた場所からは顔が確認できなかったので、近くを通りかかった野球部員に沢田監督はどの方か聞いてみた。すると沢田監督はまだ学校に来ていないとのこと。つまり、松山商には監督、コーチを合わせ、指導者は3人いるのだ。 結局、僕がいる時間帯に沢田監督は現れなかった。非常に残念だが、近い将来、必ずお会いしたいと強く思った。 高校の野球部には、少なくとも2つのタイプが存在する。のびのびとプレーさせる監督、コーチがいるチームと、絶え間なく厳しい言葉を選手にあびせ、危機感を持たせながらプレーさせる監督、コーチがいるチーム。これは野球部に限ったことではないが、一概にどちらのタイプがいいとは言えない。僕が訪問した尽誠学園と松山商は共に後者のチームだった。選手達は常に危機感を持ってプレーしていた。やはり、そういったチームでないと全国で上位に行くことはできないのかというと、そうとも言い切れない。 僕の地元の三重では、三重海星高校がその2つのチームパターンを経験している。三重海星の湯浅監督は僕が中学生の頃までは、スパルタ監督として有名だった。たまに甲子園に出場するものの、目立った成績を残すことはできなかった。しかし、僕が高校一年の頃から、湯浅監督は指導方針を一新した。スパルタ指導をやめ、選手の自主性を重んじる方針に変えたのだ。するとその2年後、三重海星は甲子園でベスト8という成績を残した。やはり、どちらの指導方針が良い、とは言えないのである。要は、そのチームにとって、どちらの指導方針が良いのかを監督、コーチがきちんと見極めることが大切なのだろう。 14時過ぎに松山を出発し、高知に向かった。片道約5時間。高知駅に到着。さすがに疲れた。 駅前のカプセルホテルに泊まり、明日に備えた。 -
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