四国道中〜パート1〜 - 2003年08月03日(日) 夏休みを利用して、四国一周の旅に行ってきました。 今回の旅の一番の目的は「高校野球の四国代表校はなぜ強いのか」を探るということ。春夏と甲子園では毎年と言っていいほど四国代表校が上位進出をしている。そこで実際に自分で四国の強豪校に行ってみて、見て、聞いて、自分なりに強さの秘密を見つけれたらいいなという、無謀な試みに挑むことにした。 ・8月2、3日(1、2日目) 21時20分。東京駅八重洲中央口から倉敷・岡山駅行きの夜行バスに乗り、いざ岡山へ。席は二階の一番前の真ん中。前方の景色が丸見えで、ちょっとこわい。明日の7時過ぎに岡山に到着する。ひたすら爆睡。 7時15分。岡山駅に到着。岡山駅からマリンライナーで瀬戸大橋を渡り、いよいよ四国に上陸する。瀬戸大橋からの景色は絶景だった。 多度津に到着。まずは香川の尽誠学園に行くことにした。 10時30分。善通寺駅到着。駅から10分程歩いたところに尽誠学園があった。しかし、学校内を歩いても野球部の練習グラウンドは見当たらない。近くに野球部員が宿泊していると思われる寮があった。寮母さんらしき人がいたので、グラウンドはどこにあるのか聞いてみた。そしたら練習グラウンドはさらにここから10分程歩いたところにあるらしい。じゃあ、歩いて行くかと思った時、車で野球部のコーチの方が現れた。20代後半位の若いコーチだ。学校で用事を済ませ次第、もう一度グラウンドに戻るらしい。寮母が僕のことをコーチに紹介してくれ、僕を車でグラウンドまで案内してくれることになった。寮母、コーチ共に、とてもいい人だった。 車の中では、去年まで尽誠のエースだった井上の話をした。早大に入学し、1年生からバリバリ投げ、春季リーグ優勝に貢献した井上。コーチ曰く、「実力はあるけど、学業の方は苦労すると思いますわ」とのこと。無事に単位を取って、卒業してもらいたいものだ。 グラウンドに到着。学校から車で5分位の所だが、いきなりド田舎になったという印象。グラウンドは野球部専用グラウンド。とても広く、照明があり、スコアボード、観客席まである。さすが尽誠学園といったところ。この日はたまたま練習試合が行われていた。夏の予選で、丸亀高校に負けてしまい、早速新チームとしてスタートしていた。練習試合の相手は丸亀城西高校。尽誠は先制点を許したが、その後要所要所で得点を重ね、終わってみれば5−1の快勝。7,8,9回と登板した尽誠の投手が印象に残った。右の本格派投手で、おそらく140km/hは出ているストレート、キレのあるスライダーを武器にテンポよく投げていた。名前は分からなかったが、おそらく彼がエース格なのだと思う。練習試合のため、都合上、先発しなかったのだろう。 練習を見るつもりが、運良く、練習試合を見ることができ、得した気分だった。 コーチに現在のチーム事情を聞いたところ、近年、いい選手は集まらなくなってきているらしい。野球推薦で入ってくる選手というのは、PLや明徳に入れなくて、仕様がなく尽誠に入ってくる選手が大半らしい。四国地方の有力選手はほとんど、明徳や関西方面の強豪校に入学するとのこと。 しかし、尽誠学園は今でも高校球界の名門に変わりはない。この恵まれた練習環境の中で、伊良部や谷は才能を開花させたのかと思うと、納得できるという感じであった。 善通寺から松山へ移動した。17時15分到着。今夜はとりあえず松山に泊まることにする。松山駅近くに松山市営球場があったのでそこに向かった。松山の球場といえば今や「ぼっちゃんスタジアム」。地元の人と話をしたところ、ぼっちゃんスタジアムが出来たため、松山市営球場は近々取り壊されてしまうらしい。実際に見に行くと、数ヶ月の間なにも整備されておらず、グラウンド内には草がボウボウに生えていた。グラウンドも一種の生き物。整備されずにいるとこんな変わり果てた状態になってしまうのかと、寂しい思いがしてしまった。 松山市営球場を見た後、道後温泉方面にひたすら歩いた。その方面に今夜の宿舎となる「松山ユースホステル」がある。歩き始めて1時間。松山ユースホステルに到着。 明日は松山商業に訪問するつもりである。ぜひ、沢田監督にお会いしたいと思っている。 -
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