大久保の創造性 - 2003年06月11日(水) 夕方5時から始まるのバイトに間に合うように駅の改札を通過した瞬間、あることを思い出した。キリンカップ・日本ーパラグアイ戦が今日だということを。ビデオ録画予約をするのをすっかり忘れてしまった。今から家に引き返し録画予約をするとなるとバイトには絶対に間に合わない。無念さを体全体から発しながら電車に乗った。 今日はバイトが8時に終わった。試合終了は確か9時20分位。バイト先から家まで急いで帰れば50分で着く。少しでも試合をリアルタイムで観るため、全力疾走で帰宅した。 息を切らしながら、リモコンを手にとりテレ朝にチャンネルを変えた。試合は後半30分。得点は0−0。妥協せずに家に帰ってきてよかったと思った。 しかし、日本リードを予想していた僕にとっては意外な展開だった。今回の日本は前回のアルゼンチン戦からメンバーを八人入れ替えたとはいえ、中田英、中村、高原といった攻撃の軸は図太いメンバーがそろっている。一方、パラグアイはチラベルトが協会との対立でメンバーから外れ、エースのサンタクルスもいない。日本にとってはホームの試合であり、当然勝たなければならない試合である。 試合は8対2の割合で日本がボールを支配している。しかし、得点が入らない。試合を途中から観たので分からないが、おそらく試合開始からこの時間までずっとこういった状態が続いているのだろう。日本の選手からは焦りの色が見えている。 そんな時、左サイドから三都主の鋭いアーリークロスがゴール前に入る。そこに大久保がヘディングで飛び込む。待望の先制点!!大久保と同じく、僕もガッツポーズをしてしまった。しかし、この喜びを台無しにしてしまう、実況の角澤アナからの言葉が僕の耳に入る。 「あ〜と、大久保のゴールはどうやらオフサイドという判定です」 スローVTRを観ると確かにわずかであるが大久保がオフサイドの位置にはみ出している。しかし、クロスを上げた三都主も素晴らしいが、大久保のゴール前の嗅覚といのはすごいものがある。ドリブルも本物だがゴール感覚も本物である。大久保の創造性には天性を感じる。 大久保の出身校である国見高校のサッカーは僕は個人的にあまり好きではない。選手全員が丸坊主にしており、全国的にさわやかなイメージもあるため好感度は高い。しかし、展開されるサッカーは勝利主義第一でおそろしくつまらない。 国見高校のサッカー部の練習量はおそらく日本一といえるだろう。信じられない量の走りこみを行い、年内の練習の休日は数日である。これほどの勝てるチームに仕上げた小嶺総監督の実績は尊敬に値する。しかし、このチームには強烈な「型」というものが存在する。 その「型」というのは要するに中盤を省略するスタイルのことである。中盤を経由せずにDFからロングボールで前線にボールを運びFWとMFがそのボールに絡むというスタイルである。この戦略は膨大な練習量に裏づけされるものではあるが、観ている側からすればそれほど面白くはない。 結局何が言いたいのかというと、こういったチーム事情では個性溢れる選手が育ちにくいということである。「型」に縛られては、高いポテンシャルを秘めていても発揮せずに終わっていく選手が存在してしまう。 確かに国見高校からは多くのJリーガーが生まれている。しかし、本当の意味でプロに行く実力を持っていた選手というのは永井秀樹、路木龍次、三浦淳宏、そして大久保嘉人の4人だけではないかと僕は思うのである。「型」にはまり過ぎずに、自分の創造性というものを大切にしながら国見高校での3年間を過ごしたのはこの4人だけではないのかと思うのである。三浦淳宏の同期に永井篤志という選手がいたが彼のポテンシャルの高さは小野伸二に匹敵するものがあったように思う。プロに入ってから伸び悩み、現在はJ2のチームに所属している。彼がもし、清商のような選手の創造性を大切にする指導を行う高校に行っていたら・・・と僕は考えてしまうのである。 日本ーパラグアイ戦は結局0−0で引き分けた。 大久保の創造性に、僕はこれからも魅せられたい。 -
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