川底を流れる小石のように。 〜番外編〜 海老蔵への道!
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2005年03月05日(土) |
こうして人は中村屋にひかれていくのか。 |
今年の母の日のプレゼントは、4月歌舞伎座の勘三郎襲名のチケット。 なので、このところいくつかあったテレビの勘三郎襲名特番をリストにして、 母にメールで知らせておいた。
昨日はフジでの2時間特番。 一時、フジといえばムツゴロウと中村屋の特番を楽しみにしていたっけ。 付き合いの長い中村屋さんとフジテレビならではの、 豊富な過去映像と、しっかり密着で、濃い2時間であった。
中でも最古参のお弟子さん小山三さん(大正9年生・84歳)が大好き。 先代の勘三郎さんが「私が死んだら、柩には小山三を入れとくれ」と言ったというのは あまりにも有名なエピソードであるが、 それくらい中村屋にとって、無くてはならない人なのだろう。
次男の七之助の事件の時、ああ〜小山三さん泣いてるだろうなあ・・・と思った。
今回も小山三さんは健在。 「みんな襲名までは頑張ってくれっていうけど、襲名が終わったら死んじまえっていうのかい」と笑顔。 それを見て、私も笑い泣いた。
昨日に続き、今夜も長老・又五郎先生は素晴らしく、 あの神々しい笑顔をを見られて、幸せ。 「立派な役者になると思います。 こっちもそれを見て、 おとっつあん(亡くなった先代)のところへ行って報告しなくちゃならんと思ってます」 などど、優しく言うのを聞いて、また泣き笑い。
昨日も思ったのだが、新勘三郎さんという人は、 ともかく、こうと思ったら突き進む、周囲の人を動かさずにはおかない、 凄いエネルギーを持ってる。 昨日の口上には、 他の俳優さんからの、それに対しての「よくここまできたね」という気持ちが溢れていた。 あったかかった。
海老蔵の襲名の時、凄いなあ〜と色々な事に驚いたり感激したけど、 あれは「これから」の若い役者へのはなむけだったのだなと、今は思う。 当然かもしれないけれど、今回の勘三郎襲名には、 彼の勘九郎としての47年分の重みがある。 (海老蔵も20年後には、大きな役者になってるといいなあ)
放送終了し、そんなことをぼ〜っと考えていたら父から電話。 母と2人、襲名特番を見ていたのだが、 4月の予習と張り切っていた母は、 張り切りすぎて、録画してるからと安心して途中で寝てしまい、 父だけが最後まで見て、そしてとても感激したらしい。 普段はわりと冷静・客観の人なので、驚いた。 なんかとってもテンションが高くなっていて、心動かされたらしい。
だーかーら、4月のチケット、オカンを誘うときに、ちゃんとオトンにも声かけたじゃん。 その時は、オレはいいや、なんて言ってくせに。 (と、思うも、口に出しては言わない) 残念ながら、今は3月・4月とも、殆ど売り切れ状態だよ。
確かに、なかなか濃い番組だったし、 あのエネルギーと人柄で、 きっと大勢、歌舞伎や中村屋に興味を持った人がいたのじゃないだろうか。 そういう人が、じゃあ行ってみるか!と思ったときに、 チケットがとれないというのは、つらいだろうな。
そう思って、私は三階席をとってあるから、 お宝の三月昼の部一等席最前列、オトン、予定が合うならプレゼントするよ、 でも一枚だから、一人で行くんだよ。 私は終演後に迎えに行くから、美味しいものでも食べようか。 と言うと、とても喜んで、 でも結局手帳を見て、その日はやっぱり無理だとのこと。 それでも、嬉しそうにしてた。
せめてもと今日早速、口上生中継を録画したDVDを、宅急便で送った。 他には2003年12月の「狐狸狐狸ばなし」も、楽しいから同封。 ついでに海老蔵の地方巡業は、実家の方へも行くので、その演目「実盛物語」も。 そっと10枚組DVD「勘九郎箱」のパンフレットもしのばせておく。 うひひ。 もし買ったら見せてもらおうというつもり。
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