川底を流れる小石のように。 〜番外編〜 海老蔵への道!
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2004年05月26日(水) |
五月大歌舞伎 千秋楽 夜の部 |
ああ、もうこれで本当に今月も千秋楽なのだと思うと、 胸がいっぱいだ。 とっても美しい夕焼けを見たときの、けだるくさびしいような、 でもホッとするような、そんな気持ち。
口上のにらみは、まるで錦絵のようで、 かっきりと脳裏に焼き付いて離れない。 海老蔵なんて言い慣れないし、当分は呼び間違えてしまうんじゃないか?と思っていたけれど、 もう、新ちゃんと皆が呼んでいた新之助はどこにもいないんだなと感じた。 目の前で、ひとまわり大きく大人になって、凄い勢いでにらんでいるこの役者は、 もうどこから見ても海老蔵だ。 私も、もう言い間違えることはなさそうだ。 寂しいような嬉しいような。
雀右衛門さんのHPで、今月は入院していらっしゃり、 毎日病院から舞台に通っていたという事を知り、随分心配していたのだけれど、 今日はしっかりとした口調で口上を仕切っておられて、嬉しかった。
勧進帳。 弁慶の表情の1つ1つ、富樫の目線の1つ1つ、見ていると、 つい先日幕をあけたばかりだというのに、 色々なことがあったし、 あの晴れがましかった初日が、とても遠い昔の事のような気がする。 それでも毎日、幕はきちんと開き、盛況のままここまできた。 長い襲名興行日程の初めの一月でしかないのだけれど、 一区切りではあるだろう。 誰よりも張り切って、誰よりも大きかった強い弁慶がお休みすることになってしまって、 本当に皆さんご苦労様でしたと思う。
魚屋宗五郎。 今日のこの幕が、私はとってもよかった。 三津五郎さんの宗五郎は、よい感じに力みがなくなっていたし、 まわりがとても充実していた。 11日に観たときに、おなぎの菊ちゃんが違った。 きっと楽屋で、さっきの三津五郎さんの代役弁慶と、海老蔵の踏ん張りぶりをみて、 菊ちゃん触発されたんじゃないかな、と母と話していた。 その熱演ぶりは維持したまま、おなぎもしっとりと落ち着いて、 菊ちゃんの流す涙が、本当にはかなく悲しげで、ぐっときた。
さらに、城に酔って暴れ込む宗五郎を追いかけて行ったおはまの芝雀さんが、 うつむいたままポロポロと涙を流している横顔を見て、 そうか、と思った。 この当時、身分の低い庶民は、本当にとても弱かったのだろう。 生きていくのがやっとの暮らし。 ましてや、おなぎもおはまも女性だ。 さぞ弱い立場だったのだろう。 「オヤジも笑い、こいつ(おはま)も笑う」暮らしを得られたのは殿のおかげ。 ここの宗五郎の台詞が好きだ。 それを受けて、許せと頭を下げる海老蔵の殿も、 情の深い殿様に思えた。 こういう時代だったんだなあーとしみじみ。 上手く言えないけれど、ようやくこのお話が、そうか・・・と思えた。 けんごで暮らせよ〜の殿の声に、チョンと柝が入り幕が引かれる。 その一瞬、海老蔵がほっと息を吐いたのを見て、 本当にお疲れさま・・・と思った。
○○追記○○ もう自分でも、どうしちゃったんだろうというくらい、 来る日も来る日も、東銀座方面へ気持ちがとんでいた一月。 ほっとする間もなく、六月は助六じゃあありませんか! 私は、本当にこの演目が大好きで、 歌舞伎を知って、真っ先に一番みたいと思ったのが助六。 ビデオでは新之助の助六と、団パパの助六を何度も何度も見ましたが、 実際の舞台ははじめて。 ようやく念願が叶います。
いつかは、あの時はねえ〜と我ながら苦笑してしまう日がくるのかもしれませんが、 今は自分でも止められない勢いで、六月の事を考えちゃっています。 ほんとすみません。
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