川底を流れる小石のように。 〜番外編〜 海老蔵への道!
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2004年02月04日(水) |
二月大歌舞伎 夜の部 はかなく軽い・・・。 |
先日分で書ききれなかった感想など。 「三人吉三巴白波」
筋書の「今月の役々」というコーナーのインタビューで 団十郎がこんなことを言っている。 「昨年の四国こんぴら歌舞伎で(三人吉三)をやらせていただいたとき、 金丸座という狭い空間のせいか 江戸時代の死生観はかなりちがうことを実感しました。 私たちは命は地球より重いと教えられてきましたが、 江戸期は死が身近で、命がはかなく軽いものだったという事がわかったような気がしました」
これを読んで、なんとなーくではあるが、そうか・・・と腑に落ちるところがあった。 先月の十六夜清心にしても、今月の三人吉三にしても、それから他の演目でも、 生きてることと、死んでることの垣根が低くて、 ひょいっと大きく跨げば越えられそうなかんじ。 なんとなく漠然と、納得。
それから、この演目、本郷火の見櫓の幕は特に、三階から見るのが素敵だと思った。 回り舞台がゆっくり大きくグルーリと回ってゆくときに、 なんというか生きて動く、精巧なジオラマを眺めているようなうっとりを体験できた。 例えば荒れ寺・吉祥院。 死を決意し、手に手を取り合う仁左右衛門と玉三郎。 一幅の絵のような二人の場面がぐるーりと巡ると、現れてくるのは寺の裏手の墓地。 荒々しい形相で、二人の男女を今まさに斬りつけようとしている団十郎。 どちらの場面も美しい形になっており、それぞれが演じたまま回るのが、 三階からは、ずっーっと奥まで見渡せた。 これは立ち回りの場面でも素晴らしい効果を見せ、 3Dなんぞなくても、こんなに美しくスペクタクル。
黙阿弥をもっと知りたいと思ってこんな本を買ってみた。
幕間。 この日は節分だったが、あちこちの売店ではお雛様も並んでいた。 可愛らしいのを見つけて、思わず買う。 (プチ画像日記更新しましたー)
「仮初の傾城」 時蔵の踊りだったのだけれど、先ほどの吉三の興奮がさめやらず、 ぼうーっとしてしまって記憶があまり無い。。
「お祭り」 三津五郎のいなせな鳶頭がかっこよい。 大向こうの「まってました!」の声に「待っていたとはありがてえ」と応える三津五郎。 今ちょうど読んでいた松井今朝子の「奴の小万と呼ばれた女」に出てくる男って、 こんな感じ?とちょっと思った。 三階さん達の若い衆の力のこもった動きに、思わず、うーっんと小さく声が出てしまい、 お隣のおばあちゃんと顔を見合わせて笑う。
そんな福は内な気分で幕。
○○追記○○
今度は昼の部を、三味線を習い始めたばかりの友達と幕見で見てきます。 楽しみっす。
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