川底を流れる小石のように。 〜番外編〜 海老蔵への道!
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寿 初春大歌舞伎、千秋楽の一日前の日曜。 歌舞伎座夜の部は満席。 一階には補助席も沢山出てる。
三階A席一列目。 ここからの眺めが好きだ。 「鎌倉三代記」では、驚くほど大勢の大向こうからの声。 自分も三階席にいるせいか、大向こうの声があまりにも多くて、 ちょっとうるさく感じる。 かけ声が全く無いのもさびしいけれど、多すぎるのも粋じゃない。
お弁当は、歌舞伎座の向かい「銀座 伊まさと」の海鮮ちらし。 あんまり可愛らしかったので、プチ画像日記にアップしました。 目でも楽しめるお弁当で、幸せな気持ちに。
「京鹿子二人道成寺」 こうして見下ろすのも、また良い。 今までは夢中になりすぎて、 次から次へと早変わりする着物が一体何着なのか、よくわからなくなってた。 遠くから眺めて、少し冷静に数えてみると、 着替えの回数のやや多い菊之助は8着の着物姿で登場してた! それだけでもすごいもんだ。 先日母とも、菊ちゃんは玉さんの隣で毎日踊って、 大変だったろうけど、いい経験になったでしょうねーと話した。 こういう機会を与えられて、それだけ新も菊も期待されてるんだな。
「十六夜清心」 平成2年に、孝夫時代の現仁左右衛門さんと玉さんの十六夜清心を見た事を思い出す。 当時わけもわからず、大まかなあらすじだけの予備知識で見たはずだったが、 薄暗い場面は今と変わりなくても、 何とも言えない「やむにやまれぬ」空気が色濃く漂っていたような気がする。 孝夫清心が、玉十六夜と心中しようということになったやむにやまれぬ感や、 それでも生き残ってしまったやむにやまれぬ感じ。 そして、闇夜の舞台にねっとりとたちこめる色気が印象深い。
かわって新之助の清心。 色っぽいというよりは、あやうく美しい。 ねっとりというよりは、さらりと儚げ。 やむにやまれぬというよりは、なんでこうなっちゃうんだろうかという感じか。 それでも鬼薊清吉に心が変わるあたりの、 ギラリと居直る鋭さは気持ちが良くて、いいぞー!と思う。 そして、仁左さんとは趣がちがっていても、新なりに、 「こういう清心」という形を、少しずつ捕まえつつあるようなのが窺えて、 安心して見られるようになった気がした。 花道、眼光鋭く石つぶてを投げつけ、裾をからげ袖まくりで引っ込む新は、 この先がもっともっと見てみたい色悪ではあった。
翌日は千秋楽。 今日で新之助の歌舞伎が観られるのもおしまい。 十六夜清心では「成田屋!」ではなく「新之助!」の大向こうの声が 数多く飛んだそうだ。(新聞記事によると) 別になんでもないと思ってた。 新之助自身がいなくなるわけじゃなし、 海老蔵になって、また舞台で輝いてくれるのだろうから。 それでも、こうして今日が楽で、 あー今頃幕が降りたな・・・と思ったら、 ぽっっかり穴が空いたみたいな、 行き場所のないような、 そして襲名への緊張感も伴う、静かなどんよりが襲ってきた。
新自身はインタビューに「7歳から20年弱、新之助をやってきたから、 寂しくて泣くかなと思ったけど、思ったよりもなんともなかったね」と 晴れやかな表情で節目を語ったそうな。(東京中日スポーツ)
当事者は懸命だろうし、そんなものかもしれないなと思う。 ひたってるヒマなどないのかも。 それでも私はなんだか寂しくて、 この一年の雑誌のスクラップやインタビューや舞台写真を、しみじみ眺めたり。 立派になってーとか、色々あったねえーとか、 親戚のおばちゃんみたいになってしまう。 これからますます忙しくなって、ますます大きな役ばかり、 本当に楽しみにしています。
○○追記○○ 次の二月の歌舞伎座は、観劇をお休みしようか?とも思ったのですが、 仁左右衛門、玉三郎、団十郎の三人吉三を両花道で観られると知り、一度だけ行く予定です。 ちょうどその日は節分なので、歌舞伎座で豆まきして福はうちー!ですね。
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