川底を流れる小石のように。 〜番外編〜 海老蔵への道!
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2004年01月14日(水) |
寿 初春大歌舞伎 夜の部 その2(母へのお誕生プレゼント) |
幕間。 さっきまで福袋を売っていたコーナーに、突如舞台写真が張りだされてる。 おおー。 母は座席で大人しく待ってるというので、 写真購入の長い列に加わる。 母には「善きこときく」柄(菊ちゃんのマークみたいなもの)のブロマイド帳に 二人道成寺の綺麗な写真を入れてプレゼント。
三幕目。 「花街模様薊色縫」さともようあざみのいろぬい 十六夜清心
これを一番に母に見せたかったし、観たかった。 とはいえ初日のテレビ生中継では、新之助の魅力が充分に発揮されているようには思えず、 一抹の不安も。
廓の遊女・十六夜と深い仲になり、女犯の罪で寺を追われる所化清心。 都へ出て修行しなおそうとするも、十六夜と再会し、 しかもお腹には自らの子まで宿していると知り、手に手をとって心中を決意する。
ところが泳ぎの得意な清心は一人助かってしまい、嘆く。 (清心は知らずにいるけれど、十六夜も別ルートで助かってしまうのだが・・・) その後、はからずもさらに罪を重ね、追いつめられる清心。 ついには悪に目覚め、鬼薊清吉(おにあざみせいきち)として生きてゆく〜〜。 黙阿弥らしい世話物で、七五調の台詞も心地よく・・・のはず・・・。
初っぱな上手の清元が鳴り始めると、むうう。 清元ってこういうものなの? 高い声が苦しそうに聞こえて、ちと気になる。ような。 とはいえ新はやっぱり美しく、指先や背すじの伸びやかな後ろ姿に見とれてしまう。 次第に黙阿弥ワールドへ染まってゆく気持ちに。
後ろのばあちゃんの咳も、奇跡のように治まり、やればできるじゃん!などと思ったり。 (けれど、このばあちゃん、新が出てきたら「あれは菊五郎の息子だ!」と言い切ってた。)
ゴーンと鐘の音。 ぽっかり浮かぶお月様。 「・・・しかし待てよ 今日十六夜が身を投げたも またこの若衆の金を取り、殺したことを知ったのは、お月様とおればかり 人間わずか五十年・・・首尾よくいって十年か二十年が関の山 つづれを纏う身の上でも金さえあれば出きる楽しみ 一人殺すも千人殺すも、取られる首はたったひとつ 同じことならあのように騒いで暮らすが人の徳 こいつあめったに死なれぬわえ」 おおー。 こっちの鬼薊の方がかっちょいい!もっと見てみたい!というこちらの希望をよそに、 本日はこれにて幕。
明るくなった場内で、ポカンとする母。 ここからがおもしろそうだったのにいー。 そうだねえとなだめる私。
けど、私は全然、黙阿弥勉強不足と反省。 どうして当時こういう台詞がうけたのか、実感が湧いてこない。 お芝居を観ている間の心持ちが しっとり色っぽくなのか、切羽詰まってハラハラしてなのか、 ちょっとコミカルになのか、心中だもの悲しげに儚んでなのか、 どんな気持ちになったらいいのか戸惑ってしまう。 正解なんてのはないのかもしれないけれど。
新之助のオーラも、今日は少な目な気がした。 おかんにも、三階まで届くような花道力(っていう言葉があるのかどうか不明だが)見せたかったな。
それでも一日目一杯楽しんで、 ブラブラと銀座へ出る。 こんな時はやっぱりお蕎麦だよねと、見かけた蕎麦やへ飛び込む。 「木挽町 砂場」は、場所がいいなと思ったけれど、 酔っぱらいオヤジの天国と化しており、かなりにぎやか。 まあ母娘二人、各々今日の舞台の事で頭はいっぱいでへっちゃらだったが。
ホテルに戻ってもう一度乾杯。 あーでもないこーでもないと、あれこれ語って夜はふける。
○○追記○○
風邪が流行ってきてるようですね。 これでなんとか風邪を吹き飛ばしたいものです!
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