なべて世はこともなし
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|アイルランド真実紀行へ
2003年07月17日(木) |
<投稿編>あなたはまだいい。私の超越入院体験記(1) |
Snigel、ここ数日アホな愚客に翻弄されてまともに日記を更新する暇がありません。折りも折り、すんばらしい「アイルランド入院記」が届きましたのでご紹介です。totoさん投稿ありがとうございます。
事の発端は十月のある金曜の午後。ベルギー一人旅の際にブルージュのホステルに泊まって以来続いていた喉の痛みが悪化し、ご飯を食べたくない、飲み込みたくないという状態になってきた。これはやばいと思い、語学学校の先生に相談すると、私の元ホストマザーのフィルが働く自然食品の店オープンセサミに喉に効くスプレーがあるという。早速行ってスプレーと風邪に効くという薬まで購入した。とりあえず薬を飲みスプレーをすると心なしか少し良くなったような気がする。これに気を良くした私はきょうこ(友達です=仮名)の家にてどう考えても喉に良さそうではない堅いピザを食べついでにアイスクリームののったチョコレートパフェまで食べたのだった。
次の朝。唾液を飲み込むと、激痛。パンを食べようとすると激激痛。今まで「まぁどうせ風邪だろう」と気楽に構えていた私だったが、こうなってくると考えを変えずにはおれない。だってその痛みは「食べたい」という気力を挫くとかそういったレベルじゃなくて、何かを飲み込むとあまりの痛さに涙目になり5秒くらいのた打ち回るという凄まじさだったのだ。これは尋常じゃない。ハウスメイトのナイジェリアウーマンに話すと家から車で総合病院に連れて行ってくれた。
ありがたいことにここは土日もやっているそうなのである。診療に現れたのは黒人の医師。私の喉を見ると「たいしたこと無いよ。処方箋あげるから薬屋で買ってね。」診療は30秒で終わった。「え、これだけ・・・?」この痛みに釣り合わないあまりに短い診療時間に拍子抜けしたものの、大したことないと言われるとやっぱり嬉しい。この後フィル(前出のホストマザーです=仮名)と映画を見に行く約束だったのでcity centreに行き薬を買い、早速飲んでフィルと会う。薬屋お薦めの鎮痛剤も飲んだので、痛みは少し引いたようだ。朝ごはんを食べていなかったので、ポップコーンがやけにおいしい。ちなみに見た映画は「boat trip」。馬鹿らしく下品な私好みの映画である(笑)大いに笑った二時間であったが、これから笑わない(笑えない)三日間を過ごすことになるとはあのときの私は知らなかった・・・
フィルにオレンジジュースとのど飴を買ってもらい家に送ってもらう。部屋でベットに横になる。痛い、痛い、痛い。喉の痛みはどんどん痛くなる。鎮静剤を飲んでみる。効かない。飲んでいいと書いてある最高の数を最低守らなければいけない時間さえも守らずに飲む。でも痛い。どうも薬さえも効かないようだった。「この病気は本当にあの医者が言ったように大したことないのか?」という不安がよぎる。喉の痛みはどう考えても「大したこと」あった。暇な私は喉の痛みの傾向を観察してみる。どうもこの痛みは何かを飲み込む動作をするときだけに起こるようだった。日本では家庭の医学を読むのが趣味の一つであった私だが、もちろんここにはない。そこで電子辞書の広辞苑で喉関係の病気を調べてみる。扁桃腺炎か?まさか・・・咽頭癌?!考えはネガティブな方向へと進んでいくのだった。
夜の11時ごろだったか。コンコンコンと窓をノックする音。(私の部屋は一階だったので、友達は皆窓から出入りしていた)開けてみるとそこにはA(彼氏です。)がいた。Aはきょうこと一緒の中華料理屋で働いていたためきょうこから私の調子が悪かったのを聞いたという。それでバイトが終わった後にロールケーキとオレンジなどを買ってきてくれたのだ。ありがたい、持つべきものは彼氏だと実感した瞬間だった。(余談ですが、私とAは今も続いているのですが、本当に彼氏彼女らしくなったのは私のこの病気がきっかけでした。これがなかったら今どうなっていたかはわからないな〜と思います。アイルランドにいる間に別れてたかも。)ロールケーキとオレンジを食べやすく切ってくれ、しばらく話をして彼は帰っていった。
次の日。やってきたAはびっくり。昨日のロールケーキとオレンジにはほとんど手がつけられていない。あの大食いのtotoが(作者さんの名前です=もちろん仮名)?!とようやく事の大きさが飲み込めたようだった。そのあと彼はほぼ一日中一緒にいてくれた。そして肩を揉んでくれてたのだが、彼が「What's this?!」と叫んだ。私の首に「何か」?があるのだという。自分で首を触ってみるとそこには確かに小さなこりこりしたものがある。その後Aがおかゆを作ってくれている間に(本当に甲斐甲斐しいでしょ?そういう人なんです・・・)(Snigel注:ごちそうさまです=笑)また昼寝をした私、起きて、ふと首に手をやると「???!!!」首のしこりは明らかに大きくなっていた。2cm位ある。しかもそれだけではない。増えているのである。首の左右に2、3個ずつ・・・・鏡を見てみるとしこりの部分が明らかに目で見える。腫れている。なにかが首から生まれてきそうな気配だった。
次の日の朝。かすかな期待を持ちながら目覚めるもやはり喉の痛みは消えていない。それどころかまたひどくなっている。これは明らかに異常である。私は友達にメールした。「校長に電話していい病院を教えてもらってくれ・・・」そして友達が校長に尋ねたところ、彼女自ら私を病院に連れて行ってくれることになった。迎えに来てくれた校長は言うには、アイルランドでは初めから病院になど行くべきではなく、まずドクターにかかって、そこで紹介状をもらい病院に行くべきだとのこと。う〜ん、もう少し早く知りたかった。
その医者はとても古い(後で聞いたところ100年以上経つという)趣のある家に住んでいて、とてもエキセントリックであった。診察室の壁には浮世絵が飾ってあり、大丈夫か?と私を漠然とした不安に突き落としたりもしたのだが、今思えば彼が救いの神だったと言えなくはない。彼は私の喉を見ると言った、「Oh!なんて汚い、ただれた喉だ!汚いだろ、見てごらん(と校長に話しかける)」入院だね。」・・・はっ?今なんて言ったと?!うそぉ、私のリスニング力不足よね?だがお目出度いことに半年間のアイルランド生活は私のリスニングをばっちり上達させていたらしく、私は町で唯一の病院(てわけでもないんですが、他の病院はどうも老人病院だったりするみたいなので、実質ここしかないのでしょう)前出の総合病院へと舞い戻ることになったのである。
病院の待合室は結構込み合っている。10分、20分位たったか、いつまで経っても私の名前は呼ばれない。そこでとうとう激情型の校長先生はぶち切れ、看護婦にまくし立てた。「このPoor girlはこんなに重症なのよ!それをあなたたちどれだけ待たせる気?!」その後私はすぐに診療室へと招きいれられた。そして看護婦は校長先生と付き添ってきてくれた友達に言った。「これから検査やなんかで1時間くらいはかかるからそのくらいにまた来なさいよ。」二人は帰っていき、私は検査台らしきものに寝かせれた。3分経過、誰も来ない。5分経過、やっぱり来ない。10分経過、それでも来ない。ここにきて私は気付いた。恐らく看護婦は校長先生を黙らせて、ここからいなくならせるためだけに私を診療室にいれたのだろう。一人でぽつんと検査台に乗っていると涙が出てくる。
落ち着いてみて見ると、棚などで分けられた隣のスペースでは骨折患者が治療を受けたりしている。今でも私が疑問に思うのは、あの病院に内科とか外科とかの区別はないのかということである。日本で私みたいな症状の患者と骨折患者が同じ部屋の中で検査や治療を受けているというのはなかなかありえないことだと思うんだけど・・・
30分も待っただろうか、この前とは違う黒人の医者がとうとう私の診察にやってきた。問診を始めたと思ったら、彼の携帯電話が鳴り、彼は話し始めた。「F**king busyだよ、ほんっとに、忙しい。いやぁ〜、まいったねぇ。ホントやすむ暇もないよぉ」・・・ていうか・・・患者を前にして携帯電話で話すか、普通?まぁ仕事の話なら分かる。でも聞いてたらなんか全然どうでもいい話題じゃん・・・
診察は明らかに彼の電話よりは短い時間で終わり、X線を取られる。移動は車椅子でなんだか重病人になったような気持ちだった。そこで来てくれた友達と合流し、病室へと向かった。
この病院は診療室や待合室がある母屋から放射線状に廊下で繋がった離れが出ているという作りみたいで、私の入院室はその離れの一番端っこにあった。10人位の広い入院室を抜けると三人部屋がある。それが私の部屋だった。三人部屋といってもとなりの大きな部屋との間に壁はあるもののドアはなく、向こうからをこちらからも隣の部屋が見渡せる、実質同じ部屋みたいなものだった。でも一応隣の部屋との間に壁があるというのは精神的に良かったと思う。しかも私のベッドの隣は非常口になっていたためベッドがなく、広々と使えた。
向かい側のベッドには30代前半くらいに見える女性が二人。二人とも結構な長期入院らしく仲が良く、よく二人で煙草を吸っていた。カーテンを閉めて隠れて吸った後、におい消しスプレーを豪快にふっていたが、その臭いにはかなり閉口した。それほどフレンドリーというわけでもなかったが、適度に親切だった。
私の部屋には特に問題はなかったが、隣の大部屋はなかなかすごかった。大部屋にいるのはほとんどがおばあちゃん達ばっかりで大部分はただお喋りなだけで無害だったが、二人はちょっとしたトラブルメーカーだった。
一人の婆さんは少し呆けているらしく、深夜の2時3時に叫び続けた。「家に帰りたいよぉ、帰りたいよぉ!」看護婦が宥めるが、聞かず1時間以上叫び続けた。その日は徹夜で本を読んだ。消灯がないところだけはアイルランドの病院がとても気に入った。
もう一人の婆さんもどうやら呆けているらしく、私の部屋にぶつぶつ言いながら入ってくる。そして「靴がない、私の靴がない。」と言いながら、私のベッドの下を覗いているではないか。あれには参った。その後もときどき私のベッドの側に立ちつくしていたりして、昼寝から起きたときにかなりびっくりさせられた。
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