なべて世はこともなし
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|アイルランド真実紀行へ
2003年07月08日(火) |
まだまだ続く。アイルランド入院体験記(6) |
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前回の日記から大分日が空いてしまいました。続きものですので、過去日記からご覧になっていただけると嬉しいです。
午後12時30分。昼食。メニューは私をして唖然とさせる「典型的アイルランド」。チキンキエブ(要するに鳥肉をガーリックソースをはさんで揚げたもの)にマッシュドポテトそして豆。さらにはフルーツの盛り合わせ。さすがに量こそ多くはないが、それでもこれ食って一日ベッドにいたら…どうなるんだ?この国の人間は「食事療法」とかいう言葉を知らないのだろうか。さすがの私もフルーツ以外はほとんど手をつけずに残す。食べたくなかったというのもあるが、それ以上にこんな重いものをぺろっと平らげたらまず間違いなく「ニセ患者」扱いされそうだったから。ま、もとよりニセ患者には違いないのだが。考えてみるとニセ患者とエセ医者、いい勝負です。
その後。…時間は流れない。病棟からの外出は認められていないので、結局病室に居ざるをえない。最初の数時間は読みかけの本を読んでいたけれどだんだん飽きてきた。他のベッドには土曜日ということも会ってか家族とおぼしき見舞い客がやってきて見舞いの言葉をかけている。あー、お見舞いって来てくれると嬉しいもんだろうなって、入院してみて初めて気がついた。
午後3時。退屈に堪えかねて、「20分」という限定つきで病棟の外へ。千波にここで紙と鉛筆を買ってきて実はこの日記、全くの同時進行で書いていたりします(打ったらさっさとタイプしてあぷすればいいようなものを)。
午後4時30分。夕食。…早い。早すぎる。知る限りでは日本ですら午後5時30分とかなのに。夕食はサラダにフルーツと昼食に比べ軽め。夕食を食べた時点で全く無意味な点滴は外される。今まではトイレに行くのにもこの点滴のスタンドをもって出かけていたので気分だけは重症患者だったのだが、この時点で本当のニセ患者になってしまう。
午後6時。ひでかすが見舞いに来る。
ひでかす:「手術はどうだった?」 私:「してない」 ひでかす:「いつするの?」 私:「わからん。しないかも」 ひでかす:「…じゃあお前ここで何やってんだよ?」 私:「……………わからん」
…確かに何やってんだか。
午後8時。今度はお茶のサービス。ビスケットや希望によってはパンももらえる。…よくできてるというか患者をそのまま肉屋に売り飛ばすつもりなのか。で、9時ごろ再び検温・血圧測定。注射を1本刺されておしまい。
ところでこの6人病棟には入口のドアの上に20インチくらいのテレビが一台釣り下げられている。もとよりテレビなど全く見ない私にはどうでもいいことなのだが、テレビのリモコンは、この病室の重鎮と思われる70代の男性がいつも握っていて離さない。
彼をはじめ暇を持て余した私を含む6人全員がこの日見ていたのはおりしも行われていたスペシャルオリンピックの開会式。「日本にも中継されてます」なんて言ってたけど、日本でどの局がやったかは知らんが(BS第2あたりが怪しいかな)、夜中の3時とかにこんなものを見た酔狂な人はほとんどいないでしょう。とはいえ開会式で誰かが言った「talk about ability, not disability」という言葉。アイルランドの病院の病室で右足の膝から先のない車椅子に乗ったオッサンの隣で見ていると、妙に重みのある言葉に響いた。
さてさて。アイルランドの病院ではいつ頃消灯時間かが興味のあった私。結論から言うと、特に指定はなし。電気は50代のオッサンのひとりが消したが、テレビはスペシャルオリンピックが終わってしばらくして午後11時過ぎまでつけっぱなしだった。それでいて朝の6時30分に起きるというのはなんとなく入院しているという事実に関わらずこの人たちは元気なんじゃないかと思わせる。
元気といえば先ほど書きかけた50代の比較的若いオッサンが70-80代のじいさまを助けているという事実について。私の場合、さらに若いし元気そう(というか実際元気)だし何かしなければいけないと思った反面何をしていいのかいまいち分からない。というのもあまりしつこすぎてもいけないと思ったから。隣のじいさまが何かするたびにいちいちかまってきたのでは多分じいさまにもストレスになると思う。かといって放置しておくのも悪いし…判断が難しかった。
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