なべて世はこともなし
日記アーカイブ(インデックス)へ前日の日記はこちら翌日の日記はこちらアイルランド真実紀行へ


2002年12月17日(火) 書きたいことがなかったのでただだらだらと書いた意味のない日記

ドイツ語のレッスンで、ベルリンについて話をしています。ベルリン…ドイツに10回、いや20回か下手をしたらそれ以上行ったことがあるのに行ったことがないんですよね。かねがね行きたいとは思っているのですが。


で、独訳の問題で、「ベルリンにはXXで行きます」という文を作った。バスでとか電車でとか。そこで私はふと思った。


「ん?ベルリンはEUの首都の中で唯一ダブリンから直接ヒコーキで飛べない首都ではないか」


ロンドン、当然行けます。ローマ、エアリンガスが飛んでる。オスロ・ストックホルム・コペンハーゲンはSASでカバーされているし、ルクセンブルグですらLuxairが飛んでいる。ヘルシンキにも(ストックホルムで1ストップながら)フィンエアが飛んでいたはず(確認してませんので間違ってたらつっこんでください)


私は別にお得意のヒコーキネタに持ち込むつもりはありません。言いたいことはベルリンはちょっと例外的な街だといいたいのです。下手をするとうっかり「フランクフルトはドイツの首都である」と言ってしまいそうになるのはきっと私だけではないと思う。


その理由は誰もが知っている。冷戦と東西ドイツの分断。ベルリンは実に長い間壁によって洋の東西を分断されていた街。その壁を越えようとして多くの人がなくなったことも周知の事実。たった13年前の話なのだ。ベルリンの壁がなくなったのは。


高校の歴史の授業でカメラのフィルムケースにはいったコンクリート片を歴史の教員に「これがベルリンの壁の一部だ」と見せられ、まだ見ぬ外国に思いを寄せたのがたった12年前。まさか自分がドイツ人の彼女を持つことになるとは夢にも思わずいつもドイツ語の授業で居眠りをしていたのが9年前。そう


人生何がどうなるか分かったもんじゃない。


ホントですよ。もし今自分がドイツ語で悪戦苦闘する羽目になることを知っていたら大学のドイツ語の授業で居眠りなどしているはずはなかった。ましてやC(単位が認定される最低評価)など取るはずもなかった。


Mausi(彼女の名前=仮名)には口が裂けても言えない事実です。私が大学の時に第二外国語としてドイツ語を選択していたこと。きっと信じてくれないだろうなあ。まったく勉強をしない大学生など。


こう考えると、自分の10年後がどうなってるか、まったく想像もつきません。自分がどこにいるかすら想像もつきません。それでも案外このホームページはだらだらと続いていたりして。



日記才人の投票ボタンです




Snigel |MAILアイルランド真実紀行へ掲示板へ