昨日ケロが「(ケロ)ちゃんもおきやも(お着物)着たいな」と言っていたので、先日落札したアンティーク交織絽の四つ身を解きかけたが、白い筈の糸が着物の色に染まってるし、柄は泣いてる(色落ちしてふちが滲んでる)しで、途中で断念。どうしようこの布。
それでケロに「(ケロ)の着物小さくしてあげるって約束したけど、代わりにこっち(家人の予感に賭けて性別が分かる前に買ったピンクの金魚柄のサッカー布地)でお着物作るのと、どっちがいい?」と聞くと「おあかな(魚)」とにへっと笑ったので予定を変更。浴衣を作ることになった。
最初はもちろんミシンで作るつもりでミシンを出したのに、何故か上糸かけが見当たらず、ボビンケースも見当たらず、そのまま手縫い。ミシンの予定でケロに「お昼寝したらお着物作ってあげる」と言っていたが、ケロが起きた時はまだ袖が出来ておくみつけてる途中。途中で夕飯を作ったりしながら何とかあと衿と袖つけで完成というところで、起きたケロに「おかあさん、ここねんねしてー」と泣かれて今日の分は終わり。
でも20年以上前に習ったきせのかけ方なんかを思い出して我ながら感動。一昔(二昔?)前は子どもの浴衣なんかちゃっちゃと縫うのが当たり前だったと思うのでこんなことでうぬぼれちゃいけないと思うけどこのまま自分の着物も手縫いできるんじゃないかと大きく出るこの性格、我ながらお調子者。
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丁度作っている最中に昨日会った某身内から電話がきて、お召や銘仙の話をしてたら「私は銘仙の産地の見分けがつく」と自慢された。今度また解いた奴を見立ててもらおう。
ついでに「NHKの朝ドラ見てる?」と聞いたら見てないというので、内容を説明して当時の事情を聞いてみたら、家にピアノがある家はほとんどなく、オルガンで練習している人が数人、たとえバイエルでもピアノが弾けるってだけで確かに珍しかったのは事実らしい@大阪。でもちゃんとバイエル・ツェルニー・ハノン・ソナチネ・ソナタあたりは順を追って習ったというので、先生について習えばそれほど進度が遅かったとも思えない。
R隊長も当時の東京の(だから地方より恵まれていたとは思うが)ピアノ事情について「**は大正生まれですが、戦前は上野の東京音楽学校の子供向け教室に通っていたし、**は大人になってから始めてソナタ程度は弾いていたそうです。…(中略)…当時は、ピアノ人口(底辺)が少なかった分、弾ける人のレベルは高かったんじゃないでしょうか。」とコメントを下さった。
ということで第二次大戦前のピアノ事情についての調査、終わり。
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