今日も今日とて
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12月23日の職場にて。 きょんが、若い同僚さんにたずねられたそうです。
「きょんさん、クリスマスはどんな風に過ごすんですか?」と。
ちなみにきょん、職場では「結婚もしてないし彼氏もいない」というスペックでして、喪女を演じております。 当然、この同僚さんもそのスペックはご存知であります。
「あー、適当に過ごすと思います(笑)」ときょん。 「イブの食事なんかは?」 「チキンだけは食べようかなぁ。あとは適当かな?」 「チキンは、一緒に住んでるお友だちと食べるんですか?」
(・_・)どうしよう <きょん
「あちらも予定が何もなければそうなると思います」ときょん。
本当は、イブは何食べようかー、一緒に過ごせるシフトでよかったね、なんて話していたワタシたちではあったんですが。
「普段の食事もそんな感じなんですか?」と同僚さん。 「そうですねー。お互い、ほかに予定がなくて家にいれば、じゃあ一緒に、って感じで」 「そうですかー」
「・・・という会話をしてきたわけなんだけれども」ときょん。ワタシに。
「ふむ」 「なんか、へんなのー、って思った(笑)」 「どのように?」 「よくわかんないけど、なんかもやっと、へんなのーと」 「イヤな感じ?」 「特にそうは思わないけどさ。ホントは仲良く過ごしているわけじゃん」 「うん」 「夕飯だって、毎日『今日は一緒だね』とかさ、シフトも毎日報告してさ」 「うん」 「できるだけ一緒の時間を増やそうとしたりするじゃない?」
このへんで、なんか恥ずかしいのか、きょんの顔が赤くなっておりました。 そのことについてからかって差し上げようかという気持ちがむくむくとわき上がったんですが、 そうすると「うるせえっ」でこの話が終わってしまいそうなのでガマンしまして。
「そうだね」 と、にこやかにお返事。 「でもなんか、人に聞かれて説明するときは、ことさら何てことなく、無関心な風を装って話すじゃない?」 「うん」 「へんなのー、って」 「それってストレス?」 「いや、それは別に」 「ならばよかった」 「そうね」
じょりぃ、少々の黙考のあとに言いました。
「でもきょんの場合さ、 たとえワタシたちが普通に結婚したり同棲したりして世間に認められる関係だったとしてもさ、 同じこと聞かれたら、同じようにそっけなく無関心を装って返事してると思うわ」 「言われてみればそうだ」 「恋人と過ごすんです☆とかさ、はりきって言わなそうだし」 「言わないねぇ」 「やっぱめんどくさくて『適当に』って言ってるような気が」 「ホントだ」 「だから、もやっとすることないのかも(・∀・)」 「言われてみればそのとおりだ。あははははは」
と、この件は特にお互いくよくよすることなく終わったのですが。 それでもちょっと残念に思うことがあります。関連することで。 それは
クリスマスイブのディナーなんかに、気に入りの店でふたりでしっぽり過ごす、ということがしづらいことです。 「あのふたり、イブまで一緒かよ!」とか思われるのはめんどくさくてですね。 つきあいはじめの頃は、イブと誕生日には毎年決まったフレンチを予約していたんですが、 つきあいが長くなるにつれて「・・・やめとこうか・・・」ってなってきてしまいました。
まあ、そう気にすることでもないんでしょうけど。 堂々と、毎年記念日に同じふたりで出没してもイイジャナイカー(´∀`)とも思うんですけれども。
しかし、記念日にこそ、自宅でもそもそとふたりでゆっくりと過ごすことが、最近ではじんわりとしあわせだったりもして。 それができるありがたさに胸がほっこりしたりして。
ホントに年々、「なんてことない時間」のしあわせをしみじみと感じるようになっております。 ワタシは震災以後、特になんですが。
こうやって、日常の『小確幸』ほど、ありがたく、また難しいものである、 ということをしみじみ感じるようになるにつれ、「ワタシも年を取ったんだなぁ」なんてことも思ったりします。
若い頃はあれほど恐れていた「老い」でしたが、しかし、うむ、
年をとるのも、なかなか悪くないです。
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