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2009年09月11日(金) あほやけど

ヤケドって、割とカジュアルにやらかしませんか。そして痛い。
ワタシも数々の小さなヤケドを人並みに経験してきましたが、今日はその中でも、割と大袈裟なことになったアホなヤケドの話を2つほどさせていただきます。
少し前に書いた、道草日記のケガの部分を読み返していたら、過去のアホヤケドが懐かしくなってしまったので。

アホヤケドその1

当時ワタシは小学校の・・・1年?2年? まあ、低学年でした。
で、今もやっているのかどうか知らないのですが、ベルマーク集めというのがあったんですよ。
ワタシはある種の動物のように「集める」ということが好きな子どもでしたので、ベルマーク集めも好きでした。

で、登校前の朝。
母は朝ご飯の仕度を終え、「ごはん食べちゃいなさーい」とワタシと妹に召集をかけました。
「はーい」と返事をしながら、ワタシはとある袋についていたベルマークを発見。

「おかあさーーーーん、ベルマークあったーーー。ハサミどこーーー?(((((*・∀・)」たったったったった


がらんっ  びしゃっ


数秒後、ワタシは大泣きをしておりました。
勢いよく走ってきた幼じょりぃは、母がテーブルの脇に置いておいた、みそ汁の鍋を踏んづけ、片足が見事に鍋にイン☆

熱くてビックリして泣いた、というのもありますが、それ以上に「おかあさんに怒られる!」というのが怖くて泣きました。

しかし母はワタシを怒らず(あたりまえだ)(でも当時の母はワタシにそう思わせたのです)、「大丈夫?!」とワタシを抱え上げ、お風呂場に連れていき、水で冷やしまくりまして。
「お母さんが床の上になんて置いておいたらから・・・ごめんねー」 謝ってくれました。

ワタシは怒られなかったのと心配してもらえたのが嬉しくて、足が痛いのは痛かったのですが、すぐにケロっとして「大丈夫だよー」なんつって、ごはん食べて学校に行くことに。
しかし、痛くて靴下が履けない。なんか、足の甲が裂けてるみたいになっちゃってますし。
さらに言えば、靴も履けない。

ここで普通なら「学校行きたくない(´・ω・`)」とか、母親のほうも「病院行かなきゃ」とか思うところなんですが。
ワタシはなにしろ学校が大好きな子どもだったので、なんとか学校に行く手だてはないものかと考えまして。
母も道草日記に書いたとおり、ケガにはなんだか無頓着だったもので。
「裸足じゃ行けないしねぇ。どうしようかー」なんつって。

そうしたら、お風呂場に良いものがあったんですよ。
これ。

  バスブーーーツーーー。<ドラえもんの声で

「これならはけそうだよお母さん(・∀・)」とじょりぃ。
「そうね(´∀`)よかったね」

片足は普通の靴、片足はバスブーツ、で、登校することにしたじょりぃ。

当時幼稚園児だった妹は

「おねえちゃん、かっこわるいよ。 やめなよ」と。
「かっこわるくないよ。これなら歩けるもん」
「かっこわるいよ。やすみなよ」
「やだよー」

てなわけで、学校に向かって歩き始めたのですが。(いつも一緒に登校する友達には、先に行っててもらいました)

すごく歩きづらい。(当然です)
しかも、なんか・・・  足、すごく痛いや・・・。
ずるーーんこ  ずるーーんこ  と、バスブーツの方の足を慎重に引きずりながら歩きまして。
しかも季節はたぶん冬でした。
裸足にバスブーツを履いていたので、なんだか寒くてちょっと悲しくなったのを覚えております。

そこに、おませな妹の憧れでもある、近所の6年生のカッコイイお兄ちゃんが、ワタシを走って追い越しながら、ワタシのバスブーツを指さして

「なんだそれー。 かっこわりーーーー。ぎゃははははは」と。


がああああああああああああああん Σ(゚Д゚;)


ここに来て初めて、自分がカッコワルイらしいということを知ったじょりぃ。
妹の憧れのお兄ちゃんでもあったので、そんな相手に笑わちゃったもんだから、もう恥ずかしくて悲しくて。ちょっと泣きそうになりました。
(しかし、家に帰ってから「原沢君(憎らしいので実名)ていじがわるいよ」と妹に悪態ついて復活しましたが)(てか、上記のワタシは誰が見ても指さして笑いたくなったと思いますが)

なんとか学校にたどり着き、朝の自習の時間には間に合ったのですが。
漢字の練習をしていて、もうどうにも足が痛い。
足が爆発しちゃうんじゃないかっつーくらい、痛い。

ここでもクラスメイトにバスブーツを笑われながら、ずるーんこ、ずるーんこと、保健室に向かうことにしまして。
保健の先生に「朝、やけどしちゃったんですけど、いたくて」と打ち明けた時点で、ちょっと涙が。
当時のワタシは体が弱かったので、保健室の先生とは顔なじみだったので、安心しちゃったんでしょうね。
「あらら、見せてみて?」と、バスブーツを脱がせた先生、

「これで学校来たの?! 自分で歩いて来たの?!」 と、大きな声を出しまして。

それにビックリして、えぐえぐ泣き始めるワタシ。

「がっこうきたくて・・・(つд-。)」
「おかあさんは知ってるの?」
「はい」
「おかあさんがこれ履かせたの?」
「じぶんでみつけて・・・」

ワタシが泣いているので、先生も声のトーンを落としまして。

「じょりぃちゃん、これね、すぐに病院行かないとダメよ? おかあさんに電話するけど、いい?」
「はい(´;ω;)」

どうしよう。とんでもないことをしてしまったのだろうか。

ていうか、ワタシの足ったら、足の甲がすでに半分以上水膨れになっていて、てっぺんが裂けたところからぐじゅぐじゅと水が出ておりまして。
腫れているその厚みといったら。今なら写真撮っておくんだけどなー。

母、家からすっとんできまして。
そして、保健の先生と担任の先生から注意されてました。
ワタシはおかあさんが怒られちゃったということが申し訳なくて、この事態がおそろしくてしかたなかったのを覚えております。

そしてそのまま病院へ。ついでに言えば、ナナが看護実習した病院です(・∀・)えへ<関係ないけどナ
受付を済ませて、順番を待ちまして。
大きな総合病院だったので、けっこう待ちます。
この頃にはワタシ、もう「足が痛い、足が痛い」とそれしか考えられなくなっておりました。

「ごめんねー、じょりぃ」と母。
「えー、なんで?」
「お母さんのうっかりでヤケドしちゃった上に、学校行かせちゃってかわいそうだったね」
「じょりぃが行きたがったんだよ」 また泣くワタシ。ワタシのせいだー(´;ω;)
「ううん。じょりぃは悪くないんだよ。お母さんが悪かったの」
「・・・じょりぃがベルマーク欲しがったのが悪いんだもん・・・」
「ちがうよ。でも、家でも外でも、まわりによく注意して動くようにしようね」 <このセリフ、なぜか心に残っています。実践できるようになったの、30過ぎてからですが(°▽°)
「うん」
「痛い?」
「・・・うん」
「そっか。 じゃあ、何かお話してあげるね」

上記にも書きましたが、ワタシは体が弱かったので、病院の常連だったのでありますが。
待つ時間が子どもには苦痛でして、そんなときは、よく母が「お話」をしてくれたのであります。
何度も聞いたことのある昔話だったり、母の創作だったりといろいろでしたが、ワタシはそれが楽しみで、もしかしたら体が弱かったのも、

「病気のときはおかあさんにやさしくしてもらえる。ひとりじめできる」

と思っていたせいもあったかもー、と、大人になってから思いました。

余談ですが、創作話については、父のほうが抜きんでておりました。
「うんこかづき姫」とか、うんこ大好きな年頃の子どもにはもう最高でしたわ。(鉢かづき姫のパクリですが)(てか、鉢がうんこになっただけですが)(何が創作だ)


で、順番が来て、診察室に入りまして。
ワタシの足を見た先生に

また母が怒られてました。今となっては笑えます。

このときはもう、水膨れは足の指まで及んでいて、足の甲も足の指も一体化しちゃってましてね。野口英世状態。
ワタシもこれ見てびっくりしました。びっくりしたけど、「すごい!妹にも見せてあげたい!」とも思いました。
で、足の裏は水膨れにならないんですよね。どうしてなのかしら?
てかお母さん、日頃「みそ汁は煮立たせたらダメ」って言ってた割に、みそ汁どんだけ熱く作ったの!

「すぐに来てもらわないと、こういうのは」と先生。
「すみません・・・(´・ω・`)」と母。
「この裂けてるのは、ヤケドしてすぐから?」
「そうです」
「そうかー。じゃ、痛かっただろー?」 と、先生、ワタシに。

ぐすん。 と、返事の代わりにべそをかくじょりぃ。

「すぐ来てもらえれば、こんなに水膨れにならなかったんだけど・・・
 このままじゃ痕が残るし、指も心配だから、水膨れの部分の皮をすべて切りますね」

なんか、そのまま中の水がなくなって皮がしぼんじゃうと、皮がよれた状態で皮膚と一体化しちゃっていけない、みたいな説明をしていたと思います。
今もこういう治療なのかどうかは知りませんが。
で、先生、中の水を抜いた後、

じょきじょきじょきじょきじょきじょき

と、皮をハサミみたいなもんで切ってました。
途中から怖くて見るのをやめちゃったので、詳細は覚えておりません。

そして、この日から、ワタシは変わりました。
どのように変わったのかというと。



ベルマークが大嫌いになりました。 <責任転嫁もはなはだしい




長くなっちゃったので、アホヤケドその2はまた後ほどー(・∀・)ノシ



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