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2009年03月31日(火) 道草

みなさまは小さい頃、学校帰りに道草食ったりしましたか? もしゃもしゃと。芋虫のように。うわぁ、草うめぇ、と。
ワタシは道草、大好きでした。
それもひとりの道草が好きでした。
なので小学生のときは、たいていひとりで下校しておりました。

当時は何も考えずに

「学校終わった(・∀・)」→「さて帰るか(・∀・)」

と、ひとりですたすたと帰ってきていたのですが、もしかしたらみんなは友達同士で帰っていたのだろうか。知りたい。
ワタシだけ「一緒に帰ろ」と誘ってもらえなかったのだろうか。知りたい。
てか、知らないほうがいいのかもしれない。

小学校1〜2年生のときは、ワタシったらまだ髪も長くてかわゆかったものですから、ワタシのこと大好きな、いつも送ってくれる男子がいたんです。約2名。
このふたりの間で「じょりぃちゃんを家まで送る権利」が争奪されていたという姫状態。
メンコとかベーゴマとかの宝を貢いでくれるので、それなりに好きでした。恋はしなかったけど。
3年生でクラス替えをして、ナイトふたりとクラスが別れてから、5年生の終わりでミニバス始めるまでは、通常、ひとりですたすたと帰っていたように記憶しております。
すたすたと家に帰ってからは、割と誰かと遊ぶことが多かったんですが。帰り道はひとりでしたねえ。

で、道草ですが。

朝、登校するときなんかですね、母親が「道草はほどほどにね」なんつって送り出してくれるわけですよ。
なにしろ、給食のパンを持ち帰り、それをちぎっては落としつつ、町内を一周して日も落ちた頃に帰ってきて
「ヘンゼルとグレーテルごっこしてきた(・∀・)」
とかいう、どこまでも調子づく娘でしたからね。
ちぎって落としただけでなく、ちゃんと拾って帰れるかまで検証した幼じょりぃ。研究熱心です。

上記のようなものは、「そうだ!」と思いついたときにやる程度で、たいていの道草の目的は「母へのおみやげ探し」だったわけですよ。(今、全米の親が泣いた)
もうひとつは「武器になるもの探し」。(今、全米の親がこの日記をR15指定にした)

「母へのおみやげ探し」は、たいてい花を摘んで帰ります。
あとは、「ののひろ」(のびるとも言いますか)を抜いてきたり。
最初は根っこが丸いのがおもしろくて抜いていたんですが、母がうっかり「これ、食べられるんだよ」なんつって料理してくれちゃったもんですから。
「役に立った!」と喜んだじょりぃは、ののひろと見れば抜いて帰ってくるようになり。
でもあれ、食べられるくらいの料理にするには、けっこうな量を抜かなければならないんですよね。
でもほら、そこは子どもだから。
せいぜい10本くらい。少ないときは3本とかね。
それも、「どこを食えと?」と問いつめたくなるような、ちっちゃーーーーい根っこ。
そーゆーのとか、ペンペン草山盛りとか、満面の笑みで母に差し出すわけですよ。
母はそのたびに「ありがとね」と言って、花はビンに活け、ののひろは・・・捨てていたかも・・・。

あとガラス瓶のカケラは、子どもにとっては宝石でございますから。
こういうのもにこにこしながら拾って母に進呈。
そのうち母、「そういう宝物は、じょりぃちゃんがまとめて取っておいてくれない?」とアタマを使うようになりまして。
その時点で「あ、おかあさん、こーゆーのはいらないんだな」と、ちょっと(´・ω・`)としたあと、

「では妹にやろう( ^ ∀ ^ )」

と、あっという間に立ち直り、また集めるわけですが。(妹にもいやがられましたが)(結局ネジなどと一緒に自分の宝にしました)

ネジ。ネジはですね、どっちかというと宝というより武器だったんです。
パチンコ ってオモチャ、ご存知でしょうか。
Y字型になっていて、ゴムがついてて、狙いすましてばびゅーーーーんと玉を飛ばせるヤツです。
子どものワタシには、あれが最強の武器でしてね!
木の枝を使っての自作品なので、ものすごく精度が悪いんですが。楽しくて楽しくて。
大人になった今でも好きですわ、パチンコ。
で、ネジなんかは、そのメタリック具合といい、重さといい、玉として優秀だったのであります。
パチンコ玉なんて落ちていればもうこの世の天下ですよ!
でももったいなくて使えないんです。またですね、この「使いたい!でももったいない!」という葛藤が甘美なわけですよ。
ビー玉は割れちゃうので使いませんでした。あれは宝チームです。

あと、武器的宝といえば、カラスとか鳩の、割と大きめの羽根。
今思えばどんなバイキンがてんこもりだったのやらとちょっと怖いですが、当時は羽根が落ちていれば、宝。
羽根を拾えた日はたったかと駆け足になって家に帰り、羽根の先に針を仕込んで、ダーツみたいな武器を作るのです。
が。
針だと重さが足りないんですよねー。と、だんだん学ぶじょりぃ。
羽根の先につけるおもりをいろいろ試したりして。楽しかったものです。
ふすまやタンスに穴をあけまくって怒られましたが。
羽根の先にエンピツの芯を埋め込んで、それでぐにゃぐにゃした文字を書いて、「なんかフランス人ー」とか満足したり。

とまあ、すっかり思い出を語ってしまいましたが、道草とは楽しいものです。ということが言いたかったんです。
ワタシは今でも道草が好きです。
打ち合わせに出たりしたときなんかですね、ふらりと糸の切れた風船になるときのあのよろこび。

これがですね、「今日は打ち合わせの帰りに本屋に寄ってみよう」、とかじゃ、道草じゃないんですよ。じょりぃ定義によると。
ポイントは「ふらり」。
あ、本屋。 ふらり。 これですよ。
で、できれば、本屋から出てくるときは手ぶら。これがもっとも美しい大人の道草であります。
ここで何か買っちゃうと、道草の純粋性が失われるわけですよ。
とわかっていても「お」なんて本を見つけてしまえば買ってしまい、それはもう道草でなく買い物になってしまって、「ワタシにはもう純粋な心は残っていないのか!」と月に吠えたり  はしませんが。当然。

かように道草を愛しているワタシでありまして、小学生時代はほぼ毎日道草をしていたわけであります。
が。
ある日、道草をしないどころか、いつもより時速を上げて家に向かった日がありまして。

あれは何年生だったろー。よく覚えていないんですが。
当時、テレビで(たぶん再放送?)『少年忍者サスケ』をやってましてね。
ワタシはそれが大好きだったのであります。
子どもなので、物語の大筋とかはさっぱりわからないんですが(今でもよく知らない)(でもDVD-BOX欲しい)、いいんですよ、ストーリーなんてどうでも。
ワタシのココロをときめかせたのは、忍術と、その解説だったのです。
あの頃はですね、ワタシも訓練すればいつか忍者になって、火とんの術とか煙幕とか分身の術とか使えるようになると思っていたものですから。
日々、忍びとして精進の毎日だったわけです。
お風呂の中に潜って、ストローで息してみたりですね。
草むらに寝ころんで、気配を消す練習をしてみたりですね。(今では虫がおそろしくてできません。子どもって強いわー)

で、この問題の日も精進の一環としましてですね。
縁石ってあるじゃないですか。 縁石だけで、こっちが車道・こっちが歩道 って分けてあるような、あの縁石。
幅15cmくらいのコンクリが並んでいる、あの縁石。 ところどころ途切れてたりしてね。
その縁石をですね、全力疾走して家に帰ろう、と、その日のミッションは決めてあったんですよ。
もう寄り道してるヒマなんてないですよ。
忍びになるためには、ここから家へ曲がる角まで200mほど続く縁石の上を、普通に走れるくらいでないといけない。そういうミッション。
子どもな上にバカですから、もう絶対行ける!という自信があったじょりぃ。
あとは「どれだけ速く」走り終えることができるか。これしかアタマになかったのです。
今のじょりぃが傍にいれば「転ぶから、やめときなー(´∀`)」って言ってやれるんですが。
幼いじょりぃのひとりぼっちの帰り道だったもんですからね。

縁石の端に乗って。

よぅい  どん。


たたたたたたたたたたたたたたたた


これがですね! なんかもう、すごい忍び。
できるって思いこんでいたせいか、ホントに走れちゃってたんですよ。
今思うとビックリですが、当時のじょりぃは無心。 てか、このくらい忍びとして最低限度のことだという謙虚な気持ちでもってたたたたたたたたたたですよ。
いい調子で走っていたんですが。


ごろ


じょりぃが転んだ音ではありません。
駆け抜けている足の乗った縁石がひとつ、横に崩れました。

まあ、そのあと、そのせいでじょりぃも派手に転んだんですが。

ずるっ とか落ちたわけではなくて(それでも危ないですが)、縁石ごとコケたもんですから、じょりぃ、イヤミの「シェーー!」みたいな姿勢で持って地面に叩きつけられまして。
打った場所がまず地面、ならまだ良かったんですが、縁石の角に膝から落ちました。シェー!しながら。

転ぶのって恥ずかしいじゃないですか。
まずはキョロキョロまわりを見まして。にやにやしながら。へへへーなんて笑いながら。
誰もいないことを確認して、かえってへへへーが恥ずかしくなるんですが。
で、立とうと思ったんですが。

痛くて立てない。
なんかすごい痛い。
とりあえず左膝が痛い。
見てみましたら。

ジーンズが裂けて、血がどくどく出ちゃってます。

くらっ。


とは来ないで

か、かっこいい・・・ワタシ・・・(*・∀・*) と思いました。

しかしここでうっとりしていても仕方がないので、なんとか家までのあと僅かな道のりを帰ろうと思うのですが。
痛い。
でもまわり、誰もいないし。
助けてもらえないし。
とりあえず歩かなきゃ。

最初はびっこもひけなかったんですが、そのうち痛みにも慣れてきまして、ずーるずーると足を引きずりながら、ゆっくりゆっくり進みまして。
なんとか家に着き、鍵を開け(鍵っ子でした)、家に入ったときには、ジーンズの膝から下は血だら真っ赤。

まず思ったのは「ジーンズ破っちゃって、しかもあんな理由で、お母さんに怒られるー((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル」でした。
次に思ったのが「こんだけケガをしていれば、包帯巻いてもいいんじゃないかな!(・∀・)」でした。

ずるずるいそいそと救急箱に向かいまして。
包帯を取り出しまして。
なんか、傷口がぱっかりしちゃってて白いモン見えたりしてひえーーーと思ったんですが、まあとにかく憧れの包帯ですよ。
子どものときって、絆創膏や包帯に憧れませんでしたか?
てなわけで、見よう見まねでぐるぐると包帯を巻きまして。
みるみる血に染まる包帯を見て、うっとりしちゃったりして。自分に。
ケガをした忍者ですよワタシ。かっこよすぎる。

そうこうしていたら、遊びに行っていた妹が帰ってきまして。
ワタシの膝見て、

「あ、おねえちゃん。包帯! いいなーーーー」

ちょっと視点がずれているんじゃないかという気もしますが、当時のワタシは「えへへーーん」てな具合。
忍びとして走っていたらねー、ということも得意そうに説明し。

「あたしも包帯巻きたーい。ダメー?」と妹。 忍びのことについてはスルーされました。

「せっかくおねえちゃんが巻いたけどー・・・(ここでもったいぶるのが姉道)、じゃあいいよ。キレイに巻いてね(´∀`)」
「うん!あたしキレイに巻けるよ!」

一度巻いた包帯をほどきまして。
が、傷についている部分は「見ないほうがいいよー」と言って(痛かったんで包帯剥がしたくなかったんです)寸止めにし。

で、妹が巻き直してくれたわけですが、ワタシが巻いたのと同じに巻けるわけではないではないですか。
なもんで、やけに血があちこちに飛んだ包帯になりまして、なんか、すごい様相を帯びましてね。

仕事から帰ってきた母がそれを見て、今度は母がシェーーー!ですよ。

「痛くないのー?」と母。
「痛いけど大丈夫(・∀・) でも、ジーパンごめんなさい・・・(´・ω・`)」
「うわっ」 <ジーンズを見た母
「ごめんなさい(´・ω・`)」
「ジーパンはいいけどさー。すごい血じゃない。お医者行く?」
「もう包帯巻いたから(・∀・)」
「そう(´∀`)」

母、病気にはとっても神経質だったんですが。
昔から、ケガには割と無頓着なんですよね。
ワタシもワタシで、母が心配なさそうにしていると「あ、大丈夫なんだー」って単純に思ってしまう子どもだったので、そのまま放置。

翌日になって、母が「包帯じゃ大袈裟だから、絆創膏貼ろうか」ということで、包帯を外そうとしたんですが。

ぱっかりしていた傷口と包帯が一体化しておりまして、包帯、取れなくなっておりました。

結局その部分を残して包帯をちょきちょきし、ワタシ、しばーーらくの間、包帯とドッキングした生活を送りました。
もちろん痕が残りました。
一生残るかと思ってましたが、最近になったら見つけないと見つからないくらいになっちゃった。
気に入ってたんですけどねえ、忍びの勲章。


ええと、何の話をしていたんだったかな(°▽°)
そうそう、道草ですよ。道草のすばらしさを語りたかったんですよ。無駄に長くなっちゃったけど!

このように、なまじ道草をせずに、時速を上げて家に帰ろうとすると、思いがけない大惨事(大袈裟)に見舞われてしまうこともあるわけですから。
やっぱり道草しながらのんびり帰るのがいちばんですよね、と。
道草してる先でも忍びの練習をしていたワタシが、無意味に締めようと思います。


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