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2008年12月03日(水) とっつき

昨夜、洗濯したハンカチを畳んでいて思いました。

アイロン。

と。

ワタシは日頃、ハンカチにアイロンてかけません。
アイロンがびしっとかかってパリッとしたハンカチを持ちたい、という野望は常に持っているのですが、自分でアイロンをかける気にならないので、よれよれのハンカチを持つことになります。
アイロンがけ、今となっては仕事で必要なときしかしてません。
どうなのそれって。
でもだって、アイロン、そもそもの始めで苦手意識を持ってしまったんですよ。

それは中学のとき。
制服がブラウスだったので、中1の終わり頃から、母が「自分でやんなさい」と、正しい教育意識を発動し、ワタシにアイロンかけを教えてくれました。

最初は楽しかった。最初って、ホントに最初の最初ですけど。
教えてもらってる日の、それもかけ始め。

ワタシったら、変なところで「キッチリ几帳面!」なので、洗濯して少々よれっているブラウスが、アイロンがけによって

ぴっしーーーーーーっ

となっていくのは、快感といってもよかったんです。
うわー!楽しいー!と、うきゃうきゃと喜ぶじょりぃ。
これなら、毎日家族の分までアイロンかけしてやってもいいぜ!って思った。
靴磨きを覚えたばかりの頃は、やっぱり靴が「ぴっかーーーーっ」となるのが楽しくて、ヒマさえあれば家族の靴を磨いていたりしたんですが。
アイロンも、同じ運命を辿るのだろう、と信じていました。
父親が「いやー、娘がアイロンかけてくれるんだよねー(*´∀`*)」と、会社で得意そうに自慢する顔まで浮かびました。

初めてのアイロンがけ、後半にさしかかるまでは。

なんかね。
端っこの方、どうしてもよれるのね。袖口とかさ。
隅から隅まで、ぴしーーーっと、できないのね。
「シワひとつありません!」て、アイロニることができないのね。
どっちかというと、何カ所かは「いっそ、アイロンかけない方が良かったのでは・・・」という風情すら。
だって、ぴっしーーーーっと、シワになるから。

でも、お母さんがやるとちゃんとできる。
様子を見ていた妹が「あたしもやるー」っつって参加したんですが、これまた上手。
ワタシがやると、数カ所にシワが、わざわざアイロンにより、刻印される。

まあ、ワタシって、なんでも「とっつき」がヘタクソですので。
母も「だんだん上手になるよ」って励ましてくれたんですが。
結局最後まで上手にはなりませんでしたが、それでもとっつきの頃よりはいくぶんマシになりました。
今アイロンかけろ、って言われたら、ほぼとっつき状態ってくらい、もうしばらくかけてないのでやっぱりヘタクソだと思いますが。


この「とっつき」の要領の悪さは、特に「算数」の世界でのびのびと発揮されましてね。
もうワタシ、本当に、算数が苦手でした。
特に応用問題。

母は数学が得意な人だったので、ワタシに根気よく教えてくれたものでしたが。
ワタシねー、あの当時の母、えらいと思うんですよねー。
それでも教えている後半はかなりイライラしていたみたいですけど。

例えば今でもよく覚えているのがこういう問題。

太郎くんがりんごを6つ持っています。
これを友だち3人と分けることにしました。
りんごは一人にいくつずつになりますか?


たぶん、こんなニュアンス。細かい部分は違うかもですが。

答は「2つ」でしょ? 「2」でしょ?
今となってはわかるんですけども!

当時は、ワタシには難解だったんですよ。
ていうか、母はもっと難解だった。ワタシに教えるのが。

問題を前にして、ワタシはうーんうーんと考え込むわけですよ。
ちなみに「6÷3=2」という計算は簡単にできる娘だったんです。
でも、応用問題になるととたんにダメ。

「どこがわからないの?」と母。
「太郎君の友だちは、男の子なのか女の子なのか・・・

そういうところ、気にしなくていいから、幼じょりぃ。

「それはここでは関係ないでしょ?」と母。

しかし、何で関係ないのかがわからない。
で、黙る。

「じゃあ、みんな男の子だったとしてさ」と母。

今度は、なんでおかあさんが勝手にそれを決めていいのかがわからない。
と伝えると「いったんそういうことにしておいて、ね?」と母。
でもここで、いったんそういうことにできない自分がいるわけですよ。
そのへんを曖昧にしているこの文章が気持ちが悪い。し、問題を解く上で幼じょりぃには大事なことだったんです。
さらに大事なのが

「じゃあ、太郎くんの友だちは、年上?年下?同い年?」とこうくるわけですよ、幼じょりぃ。


母、「この子はすごくユニークなのか、ちょっとまずいのかもしれない」と思ったそうです。
前者ならまだ見込みがあるけど、後者ならホントにまずいと。
算数・・・のちの数学という大海を渡っていくのは難しいんじゃないかと。

で、母は当然聞きますわな、「それは問題を解くのに大事なことなの?」と。

大事だからつかえているんですよ、幼じょりぃは!

この頃になってくると、目に涙がたまってきます。
ワタシがバカだから、おかあさん困ってる・・・と思って、悲しくてならなくなるのですよ。
でも、問題を解こうにも、そこが解決しないと解けないんですよ。

べそべそしてくると、母も「まったく・・・(´д`)」て感じになってきます。
小さい頃のじょりぃはすーーぐ泣きましたからね。
でもここでもう少し根気よく「どうして大事?」と聞いてくれます。

「年上の子の方に、いっぱいあげなきゃならないから」とじょりぃ。長幼の序。
「男の子と女の子の違いは?」
「男の子のほうが欲しがるから。取られたりしちゃうし」

算数の世界では、そういう感情的な部分は排除して考える、というルールが、なかなか飲み込めなかったんです。

で、たとえ目先の問題である、みんな男の子で誰が年上で誰が年下でって条件がクリアになったとしたって、もちろん答えなんて出るわきゃーないんですよね。
そんなしょーもない、いろんなしがらみを考えてたら。
結局、応用問題、解けないの。


「じゃあさ、みんな男の子で、みんな同い年で、平等に分けっこしたいな、と思ったら、ひとりにりんごはいくつ?」と母。

ここで素直に「6÷3=2」と考えればいいものを、またワタシが勝手に物語を作りたがるんですわ。

「りんごは、どうやって切るの? いくつに切るの?

りんごを丸で、という頭がなかった。
子どもの前に、というか、ワタシの前に「食べ物としてのりんご」として登場するのは、きれいに切ってある形であるわけですよ。
そして切り方によって、ひとりあたりに渡る個数というのは違ってくるではないですか。
で、また悩む。


足し算引き算のときもつかえたんですよ。

花子さんは、ビー玉を3つ持っています。友だちに1つあげました。花子さんが今持っているビー玉は何個ですか?とかね。
もう、難しかった。

何が難しかったって、花子さんが家にいくつビー玉隠し持っているか、ワタシにはわからなかったからですよ!
だから応用問題、ほとんど解けないんですわ。

けっこうですねー、こういう子どもって多いんではないかと思うんですけど、いかがなもんでしょ?(ワタシだけ?!)
子どもって、自分の体験した世界と本で読んだ世界くらいしかわからないではないですか。
「その世界のルール」というのに、疎い。
なので応用問題に、自分の生活や経験を反映して考えちゃうわけです。と思うんです。(ワタシだけ?!)


そのうち母がワタシのこのミョーな考え方の根っこに気づいてくれたようで、

「算数の応用問題って、テストのために作ってあるの。
 だから応用問題のときは、物語は考えずに、数字だけ見て問題を考えるようにすればいいんだよ。
 問題の文章の中に物語を読むんじゃなくて、『どの算数を持ってこようとしてるのかな?』って考えてみれば?」

と教えてくれまして、それからは「なんだ!そんなことでいいのか!」と開眼し、ワタシは応用問題という底なしの泥沼から抜け出すことができたのですが。
それまでは本当につらかったです。
割とお勉強はできる子だったんですが、どうしてこんなに算数の応用問題はワタシだけわからないんだろう、と、テストや宿題のたびに泣いてましたから。


ワタシはとにかく、「とっつき」が苦手なんですよ。
ってハンカチ見たらそれを思い出して、それだけのことが言いたくて、長々と文章をしたためてしまったのですが。
しかしこれじゃオチにならないなー。
どうしようかなー。


そうそう。
とっつきの悪さは、セクースにおいても同様なわけなんですよ。(やっぱオチは下ネタかなと思いついたじょりぃ)
まあ、ワタシがえっちヘタクソとかそれだけの話なのかもしれませんけどー。
ひとりひとり違うじゃないですかー。
違わないよとか言わないで、話合わせてください。(無理矢理)
上手な人とか慣れてる人なら、ひとりひとり違っても最初からパーフェクトストームなのかもしれませんけども。
それになんか、恥ずかしくていけないわけですよ、初めての人とするえっちなんて!(清純派だし!)

だからですね。
最初のえっちの印象だけでワタシをすべて判断せずに。

最低でも10回くらいはお手合わせ願いたい、と。 <清純派の吐くセリフ


とりあえずナナにでも言っておこうかしら。(オチに困ったらナナかきょん)




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