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2003年05月12日(月) 味覚マザコン

本日、母が竹の子ごはんをつくって持ってきてくれました。

いつもスミマセン<母。

「竹の子の季節なのに、じょりちゃんのお母さんは、今年は竹の子ごはんをつくってくれないのかなあ」と、質問を装った催促がなっちゃんからあったことを母に伝えましたら、母、嬉々として持ってきてくれました。

んまいんですよこれが。

ワタシの母は、料理がとてもうまくてですね。
娘はこんな具合に「え? 料理って、待ってれば出てくるものなんでしょ?」という、とんちきな人間に育ってしまいましたが、母はこと料理に関してはマメな人で。
そのおかげで、実家にいた頃は、好き嫌いなんてほとんどなかったワタシでした。
が、家で食べられるものが、外では食べられなかったりします。
サバの味噌煮なんて、絶対食べられません。 サバ、怖いよ怖いよ。
でも、母のはOK。 というか、「んまいんまい」と食べております。

これをですね、ワタシのまわりの人間がからかうですよ。バカにするですよ。
当然ですかそうですか。

なっちゃんなんかは、よくこのネタでワタシをいぢめるです。

「じょりちゃん、好き嫌いが多いよねー」
「ないでしょ」
「多いよーー。 じゃ、サバ食べられる?」 <わかってて聞くんですよこの人、しかも何回も。
「食べられるよ。 お母さんのつくったのなら
「くすくすくす。ナス料理も嫌いだよね」
「好んで食べないってだけで、全然食べられますよ」
お母さんのつくったのならでしょ?」
「・・・・・・」
「あんかけ風もキライだよね」
「食べられるよ」
お母さんのつくったのならでしょ?」
「・・・なっちゃん、その話題好きだねー」

きょんとつきあい始めた当初も、このお母さんのつくったのならを連発していたらしいワタシ。

「じょりぃ、マザコンなの?」
「は?」
「マザコン男みたいだよ、それ」
「いや、ホントに、うちの母、料理うまいのよ」 <だからやめろって
「そういうのって、作ってあげる気なくすよねー」

確かになくすでしょうね。

そのうえ、母は講釈好き。
ワタシが小さい頃から、その日のおかずを、いちいち解説してくれるのです。

「今日のこれは、隠し味に○○を入れてみてね・・・解説・・・」
「うんうんもぐもぐ」
「こっちの炒め物は、・・・解説・・・」
「ふうんむしゃむしゃおいしいね」

なんて具合だったので、作れないくせに、知識だけは身につけてしまったワタシ。

これって、一番いやがられるタイプなんですよ。 そりゃそうなんですけど。

きょんのつくった物を食べているときも
「おいしいねおいしいね」 <必ず言います。一応、感謝を込めて。実際料理上手です彼女も。
「よかった」
「でもこれ、隠し味にしょうがを効かすともっとおいしいかもねもぐもぐ」
「ああ、なるほどね。・・・・てか、あんた作れば

作れませんよやだなあ。

.「野菜炒めおいしいね。大好きさこれ」
「よかった」
「でも、野菜炒めって、もっとシャキッとしてた方がおいしくない? 火力が弱いんじゃないかなむしゃむしゃ」
「火加減ね。・・・・・てか、あんたできるの?

できませんよやだなあ。

いいしばらくうんざりしていたきょんですが(そりゃうんざりもするわな)、
結局「じょりぃ母風味」をいつも意識してつくってくれます。
エライですね。
ワタシがきょんなら、二度とつくりませんが。

しかし、おもしろいことにですね。

きょんの味付けは、もともと母によーく似ているのですよ。
基本的に、かなり薄味な我が家なのですが、きょんも相当な薄味。
カレーや、野菜たっぷりうどんなんかは、まったく同じ味か、母よりおいしいくらい。

そして、ワタシにとってもうひとりの運命の人・ナナ。

こちらもやはり、かなりな薄味で、きめ細やかさで言えば、母の味への近さは、きょんよりナナの方がより上かなという感じで。

おそるべし、味覚マザコン。

舌で好きな人決めてるわけではないんですけどね。
なんの運命のいたずらか、ワタシの愛する二人の女性は、二人とも「おふくろの味」。

ナナにごちそうになっているときも、やっぱりついつい「お母さん」を言ってしまう、野暮なワタシ。
しかし、同じようなことを言っても、やはりきょんとは反応が違います。

「もぐもぐおいしいね」
「(無言)」
「うちのお母さんの味に似てる」
「お母さん、そんなに料理が上手なの?」

さすがです。おまえ何様だ。

おまえ何様だ、って、ワタシに言いたいですかみなさん。そうですか。
スミマセンでした。


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