ささやかな日々

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2023年03月28日(火) 
カルガリが無事咲いた。生まれたての花弁は半透明の白だったのが、徐々に徐々にくっきりとした白色になっていった。その隣でムスカリが凛々と咲いている。紫と白のハーモニー。ネモフィラは今まさに花盛りで、ビオラを凌駕する勢い。ラナンキュラスの蕾がぷっくらと肥って来た。この子は何色の花弁を見せてくれるんだろう、と楽しみがどんどん膨らむ。

数日前、恩師から電話があった。呂律が巧く回らなくなった先生の語りはいくら受話器に耳を澄ましても聞き取りきれず、それが悔しくてならない。先生は今秋に九十三になられる。今リハビリを始めたんだ、と先生は仰っていたけれど、どこまで回復できるだろう。補聴器を直しにいってだいぶおまえの声が聞こえるようになった、と笑っていたけれど、その補聴器もいつまでもつだろう。
歳を取るというのはこういうことなのだな、と、先生と接していると思い知る。私の父母はたぶん希少なんだと思う。八十半ばを越えてもふたりで慎ましく暮らしを成り立たせてくれている。ありがたい以外の何者でもない。

薬丸岳著「罪の境界」を読み終えてしばらく経つが、頭の片隅でずっと、考えている。この一線を越えるか越えないか。その隔たりたるやどれほどの深淵か。でも、目に見えるところはほんの少しの差異に違いないのだ。レール一本分くらいの太さしかないに違いないのだ。でも。この一線を越えるか越えないか、が、そのひととなりを語るのだろう。
そして、加害者となってしまってから、被害者となってしまってからのその後をどう歩くのか、どう生きるのか。被害/加害は点だ。ほんの一瞬の出来事だ。が、その点はその後を一変させる。もののみごとに丸呑みにしてしまう。だからこそ、その後をどう歩むのか、が、問われているのだと思う。私達それぞれが。

朝出会った文言「どんなに良い人でもきちんと頑張っていれば誰かの物語では悪役になる。」。出会った瞬間、頭をかーんと打たれた気がした。でも一瞬何が何だか分からなくて、もう一度読み直した。読み直して、理解した、その時、すっと納得せずにはいられない自分がいた。
嫌われたらいけない、と思っていた頃があった。なのに八方美人にもなりきれず全てが中途半端になった。いろんなものをひとを、その結果失った。そうして、大切なものが何なのかを突き詰めて漸く納得できた。もう嫌われることを恐れることはない、たとえ数にしたらこれっぽっちとしても自分が本当に大事にしたいひとやものをこそ愛していけばいい、と。
この歳になって、年の若い友達たちに時々言われる。強いですね、と。最近は笑って流すけれど、でも思うのだ。最初から強い人間なんていないし強いだけの人間もまた、いない、と。唯一、弱いことをこれでもかってほど自覚しているというだけだ。弱いから、助けてと言える数少ない友の手をちゃんと握っていようとそう思って生きているだけだ。
助けて、と言うには一握りの勇気が要ったりすると私は思っている。自分のしがらみやどうでもいいプライドみたいなものをひょいっとかなぐり捨てて、まっすぐに助けてと声にする。それはたとえば、知らない、分からない、と告白することにも通じている気がする。自分はまだそれを知りません、それが分かりません、助けてください、教えてください等々。自分を露呈する言葉を素直に口にできるようになること。大事なことだと改めて思う。


2023年03月26日(日) 
ムスカリが綺麗に色づいて、その隣でチューリップが伸びてきている。水仙の蕾も膨らんできた。ネモフィラが水足りないと云うのでたっぷり水を遣る夕暮れ。それだけで嬉しいはずなのに、どうしても憂鬱が拭えない。
その憂鬱が夜に向かって少しずつ少しずつ膨らんできて、いつの間にか重たく私の中に居座ってしまった。困った。どうしよう。

こういう時昔なら、とっとと自分を傷つけて、とことん自分を傷つけて、そうして何とか夜を越えようとしていた。でも今もう、それを為すことを躊躇う自分がいる。そんなことしても何も変わらないし、何の解決にもならないということを嫌と云うほど思い知っているし、それによって自分の近しい大切なひとたちを自分以上に傷つけ振り回してしまうことを痛感している。
もちろん分かってる。そうすることでしか越えられない夜があったこと。だからこそ自分の腕はこんなにも傷だらけ痕だらけなのだ。それでも。
痕が増えるだけで、解決は何一つしなかった、と、そのことがもう、これでもかってほど分かってしまっている今、周りを巻き込んでしまう自傷行為を、繰り返すことができない。
それが、つらい。
いっそ振り切ってしまえたら楽なのになぁと思う。
でも、振り切れない。もう、できない。大切なもの、大切なひとたちを守りたいという思いが私をこの場から離さない。

それはとても大切なブレーキだ。それがあるから何とか耐えようとする。でも。
矛盾しているけれども、そのせいで今こんなに心が悲鳴を上げているのにどうにもできないことが、猛烈につらい。

***

ここまで書いて、もうこれ以上はやめようと思った昨夜の自分。かといってなかったことにはできなくて、タイプしたものをそのまま残して床に横になった。

一晩を経て、つらいは少し丸くなった。落ち着いてきた。おかげで何食わぬ顔で家族と接し、何食わぬ顔でご飯を作り、掃除を為し。心はとんでもなくささくれているのに。このちぐはぐさ加減。自分でも呆けてしまう。
でも、そのくらいしか、今の自分にできることは、ない。

***

やはり、誰かと語り合うって大事だ。それによって凝り固まったものが解れることがある。もちろんその逆のことだって時としてあるのだけれど、でも、語り合う相手をちゃんと選んで、まっすぐに語れば、伝わることのなんと多いことか。
今夜も友に救われた。このまま憂鬱を抱えて夜を越えねばならぬのかと諦めかけていたのに。助かった。

StingのSongs From The Labyrinthというアルバムを聴く夜。こんな夜にはとてもお似合いの、淡々とした語りのようなアルバム。

***

加害者プログラムに出席し、盗撮と痴漢の被害体験について語る。「語りが生々しすぎて怖かった」と参加者から言われ、一瞬何のことかと唖然とする。だって君たちが為したことなんだよ? それが生々しすぎて怖い? どういうこと?
唖然としたその直後、私の中がしんと鎮まり返って、真空になった。不思議だ、ああいう瞬間。しんと鎮まり返る私の内側。
怒りに任せて言葉を吐いても、誰にも何も伝わらない。伝えたいなら、まっすぐに届けないと届けたいもの何一つ伝わらない。もう、経験からそのことを知っている。
もちろん、感情に絡めとられてしまって、どうにもならない時もある。だからこそ、何とかしたいと思う。だって。
伝え合うために対話に臨んでいるのだから。


2023年03月19日(日) 
身体痛が酷いのでテニスボールで痛む箇所をせっせとケアする夜。家人と息子はぐーかー寝息を立てて眠っている。もちろんワンコも一緒に。ありがたいことだ。
彼らが安らかに眠っている、というだけで、私はずいぶんほっとする。そのまま朝まで無事に眠れますようにといつも思う。もちろん時々「どうして君たちばっか眠って私は眠れないんだろう」と思わないわけじゃない。でも、そう愚痴った直後、やっぱりありがたいなと思うのだ。自分の大事なひとたちが規則正しい寝息を立てて眠ってくれる。それは圧倒的な安心だ。世界はこんなにも軋んで痛んで歪んでいるのに、そんな中でも彼らがちゃんと眠れるということ。この眠りを守る為なら何だってできるとさえ思わせる。そういう、もの。

ムスカリがようやっと咲いた。下から色づき始めたその紫がかった青。大好きな色のひとつだ。イフェイオンもやっと蕾が出て来たと思ったら俺も俺もと次から次に花が開いてゆく。よほどこれまで姿を見せることを我慢していたに違いない。ようこそ光の下へ、と花弁をちょんちょんと指で撫でる。もちろん花は実際には言葉を私にかけてくるわけじゃないけれど、でも、「はいはい、ちゃんと咲いてみせますよ」「今年も来たよ」と、そんなふうに声が聞こえてきている気がするから不思議だ。
樹は遠く離れた樹同士、ちゃんと会話ができているという。虫に葉を喰われたら喰われたで、瞬時に毒を生成して懸命に抗っているのだという。その話を聞いた時、私は世界がぐわんと拡がった気がした。心臓がばくばく脈打った。どきどきした。その声を聴いてみたい。心底思った。今も思う。
宿根菫が種を飛ばしに飛ばして、薔薇のプランターの中にも次から次に芽を出し始めている。最初は放置していたのだけれど、或る日薔薇の葉がくたっと弱っていることに気づいた。慌てた。菫はちょうど今花盛り。でも薔薇の葉はもう声なき悲鳴を上げている。
ごめんね、と声を掛けた後、菫を引っこ抜く。いや、引っこ抜いたつもりが根が思った以上に太くて抜けない。吃驚した。こんな強力な根だったのか、と。だからしつこく菫を揺らし、太い根をごっそり抜いた。ああこれじゃぁ薔薇の樹がヤラれるわけだ、と納得がいった。手遅れじゃなければいいのだけれど。
そして今日、暇を持て余していた息子と、トマトの種や朝顔の種を蒔いた。息子が「僕はトマトの種を植える名人だぞ」と言いながら種を蒔いているので彼に見えないところでぶふふと笑ってしまった。そうか名人か。じゃぁ今年の夏はトマト穫れ放題だよね、と心の中彼に言ってみた。いや、実際には言わなかったけど。
風が強く吹くとベランダは冷たいけれど、でも、午後の日差しはそりゃもう暖かくて。きらきら眩しくて。太陽と北風、だったか。その話を思い出していた。

Aさんが教えてくれた記事を読みながら、やり直しを許容しない不寛容な社会についてあれこれ思い巡らす。
その不寛容さは、加害者にだけではない。被害者にも、だ。私はそれを、痛感している。
たとえば「模範的な被害者」を、もっと別の言い方をするなら「優等生的な被害者」を、世間は求める。悲しみに暮れ、俯いている被害者像。何処までも清廉潔白で、か細い像。決して社会にNOなど突きつけない、弱々しくおとなし気な像。そこから一歩でも外れると、社会は被害者を弾きにかかる。排除にかかる。被害者は何処までも被害者でいろ、と、抑えにかかる。
特に性暴力被害者においては、清廉潔白であることが求められ、もし針の先程でも汚点を見つけたら徹底的にこちらを糾弾しにかかるのが社会だったりする。
何なんだろう、この、不寛容で窮屈な社会。
被害者がこうなのだから、加害者においてはもっと、だ。
やり直しを何処までも挫こうとする社会にあって、それでも、と立ち上がると、「被害者らしくない」とブーイング。
一体何を「被害者らしい」というのか。そもそも、被害者は被害者だけでいなければいけないのだろうか。
否。被害者であることは、被害者その人の一部であって全体ではない。決して。
取り返しがつかない過去がある、でもそれはきっと今を照らす光になってる。そんな言葉をとある記事で読んだ。私はまだ自分の過去の体験をそこまでに思うことはできないけれど、いつかそんなふうに思えるようになるといいなぁと思うのだ。そして。その頃には、社会がもっと、やり直しを当たり前に受け容れる社会になっていてくれたらいいなぁ、と、そう思う。
やり直しができない社会なんて、誰にとっても生き辛いに違いないのだから。


2023年03月12日(日) 
イフェイオンに続きネモフィラも咲き始めた。が、咲き始めたところで気づく。我家のネモフィラは異様に茂ってるということ。ワンコと散歩の道中に植えてあるネモフィラの葉はこんなに大きく育っていなかった。もっと小ぶりで、かわいかった。どうしたんだ我家のネモフィラ。肥料なんてやっていないのに。謎。

311。あの日未だ娘と二人暮らしをしていた私は、ちょうど撮影を終えて被写体の子と家で休んでいたところだった。娘が友人と帰宅し、おかえりーなんて言い合っていた、その時だった。ぐわんと揺れた。あまりの大きな揺れに驚いて、娘と娘のお友達は声を上げながら表に飛び出していった。私はというと、揺れるなぁと思いながらテレビやビデオデッキを両手で抑えていた。
しばらくして、津波や原発のことを知った。福島は父の故郷で親戚がたくさんいる場所だった。胸がざわついた。嫌な感じがした。でももちろん電話は容易につながらず、どうしようもなかった。じんちゃ、ばんちゃは無事か、Y子ちゃんやSくんらは大丈夫か、次から次に友達や親戚の顔が脳裏を過った。何故かみんな笑顔だった。あれは何でだったんだろう。こんな心配している私の脳裏に映る皆の顔が笑顔なものだから、余計に不安が煽られた。
当時まだつきあっていた家人がじきにやってきた。大丈夫かと。うんと応えながら、私は別のことを考えていた。家人は現地に飛ぶのだろうか。私はどうすればいいのだろうか。こういう時どうしたら―――。次から次に考えるべきことが怒涛のように襲ってきた。でも、ちっとも追いつかない。
結局。とんでもない被害が生まれた。東北大震災。

最近思うのだ。語られなかった言葉たちのこと。
語られた言葉というのは、まず、語る相手がいたからこそ、語られたのだ。でも、そんなひとたちはきっと、限られていたはずだ。語ることを遮られたひとたちも多いに違いない。語ってはいけないと思い口を閉ざしたひとたちだって多いに違いない。
数少ない耳の存在に励まされ、語ってくれたひとたちの存在があるから、私たちは震災のことを語り継ぐこともできる。でも。
そこで語られなかった言葉たちは?
語ることから零れ落ち、ひっそりと沈んでいった言葉たちは?

祖母や祖父、父や母の、戦争体験もそうだ。当時幼かった私の耳では、とても受け止めきれなかったことたちがたくさんあったろう。幼い私の耳では頼りなかったというのもあるんだろう。言葉を話題を選びに選んで語ってくれたんだろう祖母や祖父らの、戦争のお話。でも、何故だろう、実際に私が受け取った言葉のもっと向こうが、蜃気楼のように立ち昇ってきて、何かを語ろうとする時が、あるのだ。
そういう、声にはされなかった、語ることから零れた言葉たち、想いたちが、きっとたくさんたくさんある。そのことをちゃんと覚えておかなくてはならない、と、最近強く思うのだ。語られなかったことたちにも、ちゃんと意味がある、と。
だから、言葉と言葉の合間の、余白に、ちゃんと気づいていかなくては、と。そう思うのだ。言葉と言葉の合間、余白に零れ落ちた想いたちの気配を、ちゃんと感じ取っていかなければ、と。

奇跡、だなぁ、と思う。今日を今日として生き、明日を今日にしてゆけることの奇跡。
明日は今日に繋がっていて必ずやって来るもの。あの日性暴力被害に遭うまで私もそう信じてた。現実は違った。明日が今日になる、それはいつだって奇跡なんだ。誰でも陥ってみないと分からない、気づけない。かけがえのない日常。失ってはじめて知るのだ、それがどれほどの奇跡で成り立っていたのかを。


2023年03月09日(木) 
映画を三回観た、といったら、よほどいい映画なのだろう、レビューをぜひ!と友に云われた。たぶん私も、友が三回同じ映画を観に行ったと言ったら同じことを言うに違いない。そう思う。
でも。私にレビューは書けない。

映画館に再び行けるようにはなったものの、私はとても大きな問題を抱えている。解離だ。
映画を最後の最後まで、一瞬も見逃さずに見通せたことが、実はない。折々にふわっと、解離に襲われて、私はそのたび意識が遠のいて、俯瞰でしか記憶がなかったりする。そういう時映画のスクリーンは、遠いところにある。
どうしてもこの映画は映画館でちゃんと見通したくて、私は三回通った。でも。結局三回とも最後まで見通せない自分を痛感した。
情けなかった。誰より何より、この映画を一瞬残らず一滴残らず味わいたいと思っているのに、私の意識は私の意志に関係なく遠のくのだ。一度遠のいてしまうとしばらく戻ってきてくれない。映画が終わる前に戻って来てくれれば御の字、という具合。一度目観て、穴ぼこだらけで、だから二回目観に行ってその穴を埋めたくて、でもやっぱり穴ぼこだらけで、どうしてもちゃんと味わいたいからもう一度と思って三回目観に行った。でも。必死に手の甲をつねったり何したりして解離しないよう努めたけれど。結局途中解離して、気づいたらエンドロールだった。
被害に遭って、映画館という暗闇/密室が怖くなって映画館に行けなくなった。それが再び行けるようになった。けれど。私は、まだ、一度も解離しないで映画を最後まで楽しめた試しは、ない。こんなに大好きな映画を、映画館で楽しむという行為を、堪能したいといつも思うのに、それができない。そんな自分が悔しいし情けないし、張り倒したくなる。でも。
それが私の、今の私の、現実なんだ。
そう。私は映画が大好きで、学生の頃は毎日毎日映画館に通っていた。その為にアルバイトしてたと言っても過言ではないくらいに、毎日毎日飽きずに映画館通いをしていた。これはと思う映画は片っ端から映画館で観た。
だから、再び映画館に行けるようになって、もうとんでもなく嬉しかった。
でも。
一番後ろの左端の席にしか、まだ座っていられない。そして、私は映画を観ている最中でも何度でも解離する。

映画館に行けるようになったことを誰より喜んでくれた友に、そのことをそっと打ち明けた。すぐ汲み取ってくれて、そうなんだねと返してくれた。その友が、自分は解離が日常的にあることの意味をまだ分かっていなかったのかもしれない、と言った。それは無理だと思う。私だって実際解離になってみてはじめて、こんなにも厄介なものなんだと知った。解離を背負っていないひとが、その面倒くささを実感するなんて、それはもう、無理としかいいようがない。
そして気づいた。私が映画館に行けることを誰より喜んでくれた友が誤解していたように、他の大勢の人々も、私が解離なしに映画を最後まで観て楽しむことができている、と思っているのかもしれないと思ったら、複雑な気持ちになった。

そうできたら、誰より私が嬉しいのに。

解離を抱えている大勢の彼/彼女が、今私がぶつかった思いと同じ思いを味わった/味わうかもしれない、と思ったら、悲しくなった。これは、書いておかなくてはいけないと思った。
映画館に三回行ったよ、という言葉の、意味の違い。三回行っても、解離なんて味わうことなく一度きりしか観てないという誰かよりも映画をちゃんと味わえてないんだろう自分。
解離とは、そういう、厄介なものなのだ。

いつか。
死ぬまでに一度でいい。一瞬も解離することなく、映画を映画館で観通してみたい。昔のように。今改めて、そう思う。


2023年03月08日(水) 
日の出前の空がすっかり霞んでいるここ数日。ぼんやりとしたグラデーションを、これまたぼんやり私も眺めている。
ネモフィラがようやく蕾を付け始めた。まだ咲く様子はないけれど、蕾が出てきてくれたことがとても嬉しい。そしてラナンキュラスは葉を伸ばしたい放題伸ばしている。いつ咲くの?と話しかけたりしているのだが、どうものんびり屋らしい。だから私もしつこく声をかける。
ビオラが全色咲き揃ったのだけれど、イフェイオンとムスカリの姿がちっとも現れて来ない。こちらも今年はのんびりしている。いつかないつかなと毎朝覗くのだけれど。
それにしても暖かくなった。ちょっと厚着をしていると汗をかいてしまう。まだ三月なのにと思う私の隣を、卒業式を済ませた学生服を着た子らが声を上げながら通り過ぎてゆく。そうだ、三月とはそういう季節だった。
卒業、私にとって卒業式は中学校の卒業式だけしか記憶がない。高校や大学はどうしたんだろう、と思うのだが、欠片も記憶が残っていない。
中学校の卒業式。最後の最後に残っていた子らで何故かフォークダンスを踊ったんだった。なんであんなことになったんだろう? 思い出せない。思い出せないのだけれど、私が恋人から殴られたりしていたのをたびたび助けてくれていたⅯ君と躍った時、どちらともなく涙がぼろぼろ零れたのだった。「高校行っても頑張れヨ、無理しすぎんなよ」、Ⅿ君は涙を拭いながら私にそう言った。私もうんうんと返事をしながら何か言った記憶がある。他の誰と躍ったなんてまったく覚えていないのに、この一シーンのみ、私の中にくっきり鮮やかに残っている。

記憶とは。本当に都合のいいものだと思う。あるひとたちを眺めていると、記憶を改竄してゆくのを目の当たりにしたりする。いやそれ違うよ、と思うのだが、彼らの中ではもうその改竄した事柄こそが真実になってしまう。記憶は嘘をつくというタイトルの本が昔あった。どういう内容なのか全く思い出せないのだけれど、でもこのタイトルは私の裡に刻まれていて、折々に思い出す。同感以外の何者もない。まさに、「記憶は嘘つき」だ。自分の記憶もしかり。

今日やってきたSちゃんは、元受刑者でもある。依存症者でもある。今日はクリニックでマイヒストリーを開示してきたところ。とてもはきはきくっきり話をする彼女だが、今日はいつもと少し何か違う。ああそうか、よく笑うんだ、と気づいた。これまで数回彼女と会っているけれど、その時はいつも別の友達も同席していて、その彼女の話を私とSちゃんとで聴くことがほとんどで。だから、ふたりで会ってゆっくり話すのは、今日が初だったことを改めて思い出す。
元受刑者、ということを彼女はとても背負っていて、いや、それが当たり前なのかもしれないが、私などからするとそれは背負いすぎじゃないかと思えるほどで。でも。社会からの蔑視は、容赦ないのだろう、元受刑者ということが手枷足枷になることは間違いないのだろう。そんなに頑張りすぎなくても、と思うことばかり。でも、そうしなければ認めてもらえないのだ、と彼女は言う。
何となく、被害者も元受刑者も加害者も、その点よく似ているな、と思う。偏見、蔑視、どこまでもついてまわる。もちろん、それが為される背景は、前者と後者とではまるっきり異なるのだけれど。
Sちゃんを見送って、家族に夕飯を作りひととおり一日が終わってひとり煙草を吸いながら換気扇の下で思う。私は、何処かに所属して、何かに拠って立つのが、被害に遭って以降、本当に難しくなった。会社という空間に居ることがトラウマからできなくなったことやそれでも試みたあれこれで手痛い経験を経たおかげで、ますます苦手になった。今はもう、諦めた。手放すまでに時間はかかったけれど、でももう、諦めた。
諦める、手放すって難しい。簡単じゃない。手放せないままでいることも実際たくさんある。でも、自分を傷つけて来るものに対して、もうこれ以上傷つくことはない、と思うことは罪悪じゃないと思えるようになったのは大きい。自分を守れなければ自分が大切にしたいひとたちのことも守れない。そのことを知った。
それでも私はまだまだ下手だ。護り方が下手だ。だから、行きつ戻りつしたりもする。それもまた私の一部。否定したってしょうがない。つきあっていこうと思う。そして、死ぬその時に「ああ生きた、生き尽くした」と笑えるよう、今はただ、こつこつと生きていこうと思う。
そもそも私は生きるのが下手だ。ヒトの真似をしてどうこうできる人間でもない。なら結局のところ、自分で自分を全うするくらいしか術はない。そういうところに辿り着いて、腹を括って、ようやっといろいろ見えて来たものがあったりもする。もう人生折り返しを過ぎた。この道をただ、歩んでゆこう。

さて。仕事に戻るかな。


2023年03月04日(土) 
乾いた夜、久しぶりにカシアを足して珈琲を淹れる。出来上がるのを待つ間に、林檎を薄くくし切りにし、鍋にぱかぱか放り込む。
心と頭がぐるぐる余計なことを考えてしまうような時は、とりあえず料理するのがいいと相場が決まっている。もちろんその相場は私の相場であって、他のひとの場合は知らない。
藤田真央氏のリストやショパンの演奏をBGMに、合計8個の林檎を鍋に入れる。とろ火でことこと。消えちゃうんじゃないかと思えるくらいのちんまい火。そのくらいでちょうど良い。しばらくすると、じんわり林檎から汁が滲み出して来る。放っておくとじきにそれがひたひたになるくらいになる。そこではじめて木べらでかき混ぜ、檸檬やらシナモンやらをたっぷり振りかける。そうしてさらに、ことこと、ことこと煮る。
カシア珈琲は相変わらず美味だ。カシアの香りがちゃんとわかることを確かめる。よし、嗅覚は失われてない、大丈夫。じゃぁ味は? 大丈夫。私はほっと、安心する。
味覚や嗅覚は、私のような人間はすぐ見失ってしまうから、折々に確かめずにはいられない。自分に今どれだけ負荷がかかっているかが一発で分かる。今まだ匂いも味も分かるなら、それがうっすらでも分かるなら、私はまだまだ大丈夫、ということ。

次の個展の準備。のろのろとだけれど何とか進めている。こんなんで間に合うのか、と不安になるのだけれど、今はこのテンポでしか進められそうにない。自分の軸が、どうも、まだ定まらない、定まっていない、そんな感じ。
家人が「テキスト先に書いちゃえば? そしたら軸も定まるかも」と、アドバイスをくれた。なるほど、ということで、方向転換、作品の引き算より先に、テキストに取り掛かってみることにする。
すると、私はまだまだ、N氏との向き合いが足りてないんじゃないかと、そう思わずにはおれなくなってきた。これじゃあ定まる軸も何もあったもんじゃない。私は再び頭を抱える。
そうか、対峙が足りてなかったのかもしれない。覚悟も足りていなかったのかもしれない。
腹を括らねば。改めて自分に喝を入れる。
私が見たくて見たもの、ではなく。私が思わず感じてしまったことたちをまず、もう一度見直そう。

そうしてともかくも書いてみた文章をプリントアウトする。そこに赤入れ。それをまたプリントアウト。再び赤入れ。
このデジタル時代にありながら、私はモニター上だけで赤入れするのがひどく苦手だ。どうしてもプリントアウトして、そこに赤入れせずにはいられない。
こんなこと言うのも変かもしれないが。モニター上の文字と紙にプリントされた文字とでは、感触が、違うのだ。
モニター上の文字はあくまで電気の記号とでもいおうか。私にはそれは、感触の無い、手触りのない、記号なのだ。それがプリントアウトされて紙に落されてはじめて、感触のある、そう、手触りの確かにある意味のある代物になる。
脳味噌が何処まで行ってもアナログなのかな、と我ながら苦笑せずにはいられない。でも、それが私の方法なら、仕方がない、とことんそうして突き詰めてゆく他ない。
書きながら、校正しながら、ちょっと胸がぎゅうとなった。N氏の孤独がじわじわと私を浸食してくるかのようだった。

林檎がくたくたになって、シナモンの色味ですっかり染まる頃、一度火を止める。しばらく味を馴染ませる。林檎の熱がすっかり冷めた頃、再びとろ火にかける。そうして煮詰めたら、私の林檎ジャムの出来上がり。シナモンと檸檬たっぷりの林檎ジャム。じたばた暴走していた心と脳味噌も、少し緩んできたようで。煮る、それもことこととろ火で煮る、という作業はいつだって、私の味方。ありがたや。
さて。ジャムの瓶詰を終えたら一服しよう。もう一杯カシア珈琲を飲みながら。


浅岡忍 HOMEMAIL

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