ささやかな日々

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2022年05月31日(火) 
ワンコの肉球の端っこに白い粒が見られたので慌てて病院へ連れて行った昨日。切開して白い膿を絞り出すという処置を受けた。それにショックを受けたのか、昨夜からちょっと元気がないワンコ。気になる。

朝は雨。そぼ降る雨。でも私が家を出る頃にはほぼ止んで、ぱらぱら程度に。今日は整骨院。
だいぶよくなってきていますよ、と言われる。右の腰が痛むのは左の腰が要因ですねぇ、なんて言われて目を白黒させる私。私の肩や背骨もねじれ放題ねじれてるようで。まだまだ整えなければならないところがたくさんある。ありはするが、もともとが散々な状態だから、自分でも「結構よくなってるじゃん!」なんて思ってたりする。
何より、薬を飲む量が減った。それは明らかな結果だ。ありがたいことだ。今日も新しいケアの方法を教えてもらって帰宅。せっせと為す。

息子が持って帰って来たプリントで、再来月宿泊学習があることを知る。息子に、よかったね!たのしみだね!と伝えると、「僕、休む。行かない」と言う。どうして、と問うと、だって寝てる最中に僕パンツ脱いじゃうから、みんなに見られるの嫌だから行かない、と。
確かに彼は、毎日毎晩、器用にパンツを脱ぎ捨てる。寝てる最中にひょひょいっと脱いでしまう。朝はだから、つるりんと丸いお尻丸出し状態になっている。「脱がないように癖を直せばいいんじゃない?」と提案するも、無理!と一言。つい笑いだしそうになってしまう。無理ってそんな。
まぁまだ時間あるから、脱がない練習をしよう、と私は彼にもちかけてみたが、彼は最初からあきらめていて、なかなかうんと言わない。
しばらく放置しておこう。それに限る。

まだ読み始めたばかりなのだけれど。これはもう、「赦す」ということにつながってゆくのだなと感じる。そしてそれは、私たち日本人の感覚では追いつかないところのものなんじゃなかろうか、と。そんな予感がする。

国境線を意識したのは、テオ・アンゲロプロスの映画が最初だった。私は大陸に暮らしたことはないから、そこに描かれる国境というものの摩訶不思議な線に、背筋がぞっとした。それは悪い意味ではなく。ただ、ぞわっとした、という、そういう体験だった。以来、国境って何なんだろうと折々に想像するようになった。
特に「こうのとり、たちずさんで」で、男が片足でふらふらと立つ線、その向かい側には銃を背負った警備隊が居り、という光景が描かれていたのだが、それを観た時には後頭部をがつんと殴られた気がした。私が日本人でいるかぎり決して味わうことのできないものがそこにはあって。愕然とした。こんな国境線が日常に当たり前にあるということの意味を思った。

幾つかの国を訪れた経験はあるけれども。私が国境を越えるのはいつだって、飛行機の中だった。自分の足で越えたことなんて一度たりともなかった。その線を越えることの、恐怖と希望が背中合わせになったような喉がひりひりする感覚なんて、想像でしかなく。どこまでも想像でしかなく。私はこの身体で味わったことなんてなかった。この線を、たかが線を越えたら撃ち殺されるかもしれない、罪人扱いされるかもしれないなんていう日常は私には、やっぱり想像でしかなかった。
その線が幾重にも交叉してゆく日常。そういう日常を、大陸の人々は生きているのかと思うと、もうそれだけで、圧倒される気がした。
そこで体験し、獲得される「赦す」という感覚は、島国に暮らす私なんかには、やっぱり手が届かないのかもしれない。交錯する線をそれでも越えて赦そうとする人々がいて、その存在は私の前に厳然とあり。そう、「許す」ではない、「赦す」。
一冊の本を読みながら、今、考え込んでいる。


2022年05月30日(月) 
障害者年金の手続きをとりに行く、と出掛けたAちゃんだったけれど。予想した通り呆然となって帰って来た。世界は弱者にやさしくない、こんな大変な手続きを経ないと助けてもらえないんですね、と、ぼそっと呟いた。
彼女の言葉を前に、私には言える言葉がなかった。だって確かに世界はやさしくはないし、こんな大変な手続きをとらなければもらえるものももらえないままになるし、それが現実だから。片言の慰めの言葉なんて、とてもじゃないが言う気持ちにはなれなかった。
レイプされたら就職もまともに扱ってもらえないんですね、と重ねて彼女が言う。それに対しても私は言える言葉がなかった。そうだね、としか言えなかった。だって実際、自分がそうだった。そして、世の中はそうやすやすとは変わってはくれない。私の時代よりはずいぶん変化したとはいえ、根本的なところはそのままだったりする。それが分かってしまっているから、そんな、容易には、言葉をかけられなかった。
死にたいとまでは思わないです、でも、できうるかぎり生命活動をゼロにしたい、そういう気持ちにどんどん陥っていきます。彼女がそう言う。私はただ、そうか、うん、そうだね、としか言えなかった。

自分の無力さや無価値さを痛感するこんな夜は、ガス台を磨くに限る。黙々と磨いているうちにガラス板が透明さを取り戻してゆく。さっきまで飛び散っていた昨日の揚げ物の油も、きれいさっぱり拭い去って、もう曇りも何もない。
でも何だろう、今夜は、ガス台を磨き終えても、気持ちはさっぱりしなかった。いつもだったらこれで気持ちの切り替えができるのに、とてもじゃないができそうになかった。

自分の無力さ。無価値さ。この存在のちっぽけさ。思い知る程にもう、耳も目も塞いで蹲りたくなる。もう何も見たくない何も聞きたくない何も。そういう気持ちになってしまう。
生活保護を受けることも考えているのだけれどと彼女は言っていたけれど、そうすると飼い猫を手放さなければならなくなるかもしれない。今彼女の命を辛うじて繋ぎとめているのは飼い猫のみっちゃんの存在だ。それがなければ彼女はとうの昔に自ら命を捨てていて不思議ではなかった。その、みっちゃんをもし奪われるようなことになったら。一体どうなってしまうのか。想像するだけで恐ろしい。
SOSを出してください、社会福祉を利用してください、ひとはよくそんなことを言う。でも、実際利用できるものがどれだけあるんだろう。性犯罪被害者に利用できる制度はどれほどあるんだろう。

先日観た映画「流浪の月」の音楽がどうしても再び聴きたくなって、CDを買ってしまった。ゆったりと漂う音の流れ。音のどれもが、その背景を想像させる。私はこの原摩利彦というひとを全く知らないけれども。これからきっと、あちこちの映像に出てくるのだろうなと思いながら、ただ、聴いている。

今頃、Aちゃんは横になれているだろうか。眠れないまでも横になれているだろうか。いや、たぶん彼女は薬を飲んで、死んだように眠ってくれるに違いない。そう信じよう。眠りさえもが彼女を遠ざけませんように。せめてやさしく抱いて、朝が彼女を迎えてくれますように。

どうしてこんな世界信じていられるんですか。彼女の問いに、私はただ、こうしか応えられない。世界を信じてるから、と。

そう、かつて、世界に捨てられたと思い込み、途方もない孤独という奈落の底に堕ちたことがあるから、もう二度とそこには戻りたくないんだ。世界はとてつもなく残酷で、遠くて、眩しくて、それなのに。
私はやっぱり、世界を信じて繋がっていたいのだ。


2022年05月29日(日) 
東の空、縦に長く伸びる薄い筋雲が、ピンク色に輝き始める。ああ、じきに日の出だ。そう思いながらじっと空を見つめていた。下から照らされピンク色に染まり輝く雲は、まるで天女の羽衣のようだった。日の出だ。その瞬間、色はピンクから橙色に、一瞬にして変わった。それまでの青とピンクのグラデーションが、青と橙色のグラデーションへ。その変貌の見事さといったら。見事すぎてもはや溜息しか出ない。

ホワイトクリスマスの様子がおかしいので、思い切ってプランターをひっくり返してみる。出てきたのはふたつの抜け殻。コガネムシか何かだろう。成虫になって飛び立った後だった。でもそれ以外何も出てこない。たった二匹のコガネムシにやられてしまったということか。私は思わず唇を噛む。憎き虫よ。
丁寧に丁寧に元に戻したけれども。これはもうだめかもしれない。覚悟しないといけないかもしれない。長年私のそばにいてくれたホワイトクリスマスだけれど。お別れになってしまうかもしれない。今日の今日まで気にしながらも何の処置もできなかった自分が悔やまれる。
私は足元のプランター、挿し木した子らが集まるプランターをじっと見つめる。ホワイトクリスマスの枝を挿し木しておいてよかった。本当によかった。もしもの時は。と考え始めてはっとする。いやまだこの子は生きているのだから、この子を生かすことだけ考えよう。大きく育ったホワイトクリスマスの樹をそっと指で撫でる。お願い、頑張れ。

見事に閉じ篭った後、何とか気持ちを立て直す。一度閉じ篭りモードに入ると延々鬱々しがちな自分。分かっている。だから奮い立たすように自分に言い聞かす。大丈夫、今日はちゃんと外に出るんだ。
私が息子と一緒に必ず一度は外に出るのは、そのタイミングを逃すと閉じ篭りに徹してしまう自分を知っているからだ。その話を加害者プログラムで話したことがある。みな、いちようにぽかんとしていた。伝わってないなと思ったので、もう少し詳しく説明した。外に出ることが基本的にしんどい。できるなら家に閉じ篭っていたい。それが一番安全だからだ。憂鬱度合いも高くなると、なおさら閉じ篭りたくなる。だから、無理矢理学校に行く息子と一緒に玄関を出る。とにかく出る。行先なんてなくとも出る。それがきっかけで、私の背筋はしゃんとする。それまで体育座りして顔を膝に埋めて頑なに世界を拒否していた自分から、世界に対して手を伸ばそうとする自分に変わる。世界に対して両手を伸ばしていられる自分にスイッチが入る。
「じゃあね!」「まったねー!」言い合い手を振り合って別れる。この、一連の行為をして初めて、私の今日は、がたがたがた、と音を立てて廻り始める。

一時期、フォーカシングを意識して為すようにしていた。自分の中のまだ名前のついていない状態に名前をつけてやり、向き合い、抱きしめる作業。それを為すだけで、ずいぶんと不安が解消されたものだった。もともと自分の内側とおしゃべりすることは為していた自分だったから、フォーカシングは自分にとても馴染んだ。今はもう、意識して為すことはしていない。というのも、それは自分の一部になったからだ。
何というか、ひとは、名前もついていない宙ぶらりんの状態が一番不安度が高まる気がする。それにいったん名前をつけてやると、それだけでほっとしたりする。名前をつけたそのモノと向き合い、受け容れ、抱きしめる。そうすると、それまで宙ぶらりんだったモノがちゃんと地上に降り立ってくれる。地べたの温度をちゃんと足の裏で感じることができるようになれば、もう大丈夫。

そういえば、今日は日曜日だったんだ。日が傾き始める頃はっとする。日曜日。何の変哲もない、何処にでもありそうなくらい穏やかな一日。ちょうど日没時に息子とワンコと三人で散歩していた。ふと眩しさを感じて横を見やれば、家々のガラス窓が燃えている。ああ日没だ、きっと見事な色合いをしているんだろう。息子にそのことを教えてやるとすぐさま目の前の壁をよじ登り、高台へ。「母ちゃん!すごいよすごいよ、すっげーきれいな色のお日様が堕ちてくよ!」。
おやすみ太陽。また明日。


2022年05月27日(金) 
外出の予定がふたつもあったのに、それらをすっ飛ばして、家から出たくない病にどっぷりはまってしまった。もう何もしたくない、何もやりたくない、何も見たくないし聞きたくない、もうすべて知らない。
閉じ篭って引きこもって、丸くなって、眠りを貪った。いや、眠りたかったわけではない。起き上がりたくなかったんだ。身体を一ミリも動かしたくなかった。
意識が戻ると、あああれしなくちゃ、これしなくちゃ、と一瞬思うのだが、もう知らない私は知らないどうでもいい!と気持ちが折れるばかりだった。あれは一体何だったんだろう。もののみごとに折れていった。
もう何も見たくない聞きたくない知らないもう知らない!どうでもいいすべてどうでもいい。どうにでもなれ。
―――いや、それさえも、どうでもよかった。何がどうなろうと知ったこっちゃなかった。何も考えたくない。そういう沼に堕ちていた。沈んでいった。
でも、沈むだけ沈んで、今、けろっとしている。いつもどおりのところにまで浮上してきてしまった気がする。これは一体何なんだろう。
昨日と今日とにあまりに差があって、何がなんだかわからない。私の中で何が起きたんだろう。身体も痛みも半減した気がする。
そういえば、先週、別れ際主治医が、本当に二週間後でいい?と私に訊いた。私は訊かれている意味がすぐに分からず、一瞬戸惑って、でも、そんな先生が心配するようなことはないはず、と勝手に思って、はい、と応えたんだった。
あれは。先生は、見抜いていたんだろうか。不思議。

今椅子にも座れるし、台所に立つこともできるし、珈琲も淹れることができた。大丈夫、普段通りだ。
でも昨日はそれができなかった。全く何もできなかった。全く何もできない、という、本当に見事にその状態だった。
椅子に座る気力もない、身体を起こしている気力もない、出されたものは食べるけれど、すぐへなっと身体を横たえたくなる。実際横たえてしまい、意識を失う。その繰り返しで。窓の外風がびゅんびゅん吹いていて、薔薇が横殴りになっていて、ああ折れそうだ大丈夫だろうかと一瞬思ったことを覚えている。でもそれも一瞬で、意識が遠のいた。
こんなことって、あるんだな。

もうじき夜明けだ。新しい今日が始まる。大丈夫、もう大丈夫。昨日はもう過ぎた。越えた。ここからまたいけばいい。それだけだ。


2022年05月26日(木) 
一か月近く前から約束していた。今日は遠方からYさんが来てくれる日。

早朝の空は久しぶりに霞んだ空で。そのぼんやり霞んだ東空に静かに燃えるような太陽がひょこっと現れる。とろんとした橙色の黄身のような姿で。私は心の中、おはよう、と声をかける。
挿し木した紫陽花は今のところ順調のようで。でも実はこれとは違う、この間息子とワンコと散歩中に見かけたあの変わった紫陽花の枝が欲しくて欲しくて、仕方がなくなっている今。息子とも「なんかこれ違うね、お星さまが咲いているみたいだもんね、かわいいね」と立ち止まって見つめた。どんな名前を持った種類なのか、どうやったら調べられるのか分からなくてだから名前も何も知らないのだけれど。今度お宅をノックしてみようか。一枝くださいと言ってみようか。そのくらい、今、欲しい。

早めに家を出ようと思っていたその時、Yさんから連絡が入る。時計が15分狂っていて、そのせいで乗るつもりだった電車に間に合いそうにない、と。もちろんそんなことはちっとも構わないのだが、そのせいで慌ててヘルプマークも何も忘れて出てきてしまったと、そのことが私は気にかかる。私と違って繊細なひとだから、たとえば電車に乗っても自分が具合悪くても誰かを見つけて席を譲りかねないひとだから。大丈夫かしらんと気が気じゃない。
Yさんは。難病を患っている。私には計り知れないほどの痛みやだるさと闘ってきたひとだ。ついこの間も検査を受けたばかりだったはず。

彼女とよく話す。私達、十分、もう十分生きたよね、と。よくここまで生き延びて来たよね、と、笑い合う。私のことはさておき、彼女は本当に、そうなのだ。一体何度の手術を超えてきたか知れない。身体のあちこちに手術の痕があるという。想像するともう、それだけで私は身体が痛くなる。
いつだったか、身体の傷を撮ってほしいと言われたことがあった。撮ることは、できないわけじゃなかった。でも。撮ることはできても、発表はできないな、と、私はそう思ったから、実際は撮らないまま今に至る。何だろう、うまく言えないけれども、彼女の生き様は、その傷だけでは語り切れないという思いが私の中にあって。傷を撮るくらいなら彼女のポートレートを撮る方がいい気がしていて。そんなこんなで撮らないまま今日に至る。
たとえば傷を、あからさまに撮ることは不可能じゃない。いやむしろ、可能だ。でも。それで本当にいいんだろうか、と。そう思ってしまうのだ、私が。
夫の自死やその死後残された借金の返済や、そして彼女自身の病気や。そういった一切合切を思うと、とても手術の傷痕だけに還元されるものじゃない、と、そう思えてしまう。
昔々、彼女がその、夫の自死について記していたテキストを読んだことがある。よく、残された家族特に妻は、悲しむべき、いとおしむべき、というような周りの勝手な思い込みがあったり、実際その遺族たちは自分を責め苛む。そうあるべき、というような空気も実際ある。
そんな中、彼女が、そう思えない自分を綴っていた。私はその潔さにまず、感服したし、その、そうなれない自分と対峙し苦しむ彼女を、そのテキストを通して知っている。私は、それでいいと思えた。
夫の自死に対し悲しむことができない自分、空洞を抱えた自分、そういう自分を冷徹に見通す自分、そういったものがまっすぐに綴られた彼女のテキストは、十分に私に届いた。
と、そんな昔々のことよりも。要するに、今ここまで、生き延びて在る彼女を私は、尊敬しているのだ。よくここまで子供を育てながら夫の残した借金を返済しながら、自分の病と闘いながらそれでも、生き延びて来た彼女。

あっという間に時間は過ぎ、彼女の帰る時間になってしまう。時が経つのはこういう時なんてあっという間なんだろう。
帰りのバスに乗った彼女をガラス窓越しに見送る。今度またいつ会えるか分からない。彼女の病気が急変すれば会うことなんて叶わないかもしれない。いつだって死は隣り合わせに在る。
だからこそ、信じたい。再会を。それでも会える、と。会うのだ、と。

いつの間にか雨が降り出した真夜中。私はせっせとテニスボールで身体痛の身体をケアしている。この白湯を飲み終えたら、彼女がお土産にくれたはとむぎ茶を淹れよう。ほくほくしながら飲もう。

会えて、よかった。


2022年05月25日(水) 
眠ろう、今夜こそ早く横になろう、と思う程、身体が寝床に辿り着けない。横になることを拒絶してしまう。股関節が酷く痛むから、テニスボールやいぼいぼボールで一生懸命ケアしているのだけれど、痛みが消える気配はなく。効き目足りないなぁと思いはするのだが、それを止めてしまうととたんに痛みが倍増するので、やめるわけにもいかず。延々そうやって、どのくらい時間が経っているんだろう。

答えがすぐ出る事柄と、そうではない事柄がある。どんなに答えを欲しても得られないこともある。どんな答えが出ても納得がいかないこともある。そういう時はもう、心の保留棚スペースにぽいっと棚上げすることに決めている。いくら悩み苦しんでも、どうしようもないこと、って、ある。
辛うじて答えを出されてもその答えに納得がいかない。それが分かってしまっているならなおさら、いくら追求しても自分を追いつめても、何もいいことはない。自分がすり減るばかりで得るものも何もない。そういう時こそ、手放す作業が必要になったりする。保留棚行き或いは手放す作業。大事なこと。
それに、執着するほどに自分がすり減ってしまう、そういう事柄ってどうしようもなくあったりする。悩むだけ悩んで泣くだけ泣いてできることはやった、なら、あとはもう、手放す。今ここで手放す。深呼吸して、明日に続く今を丁寧に生きる。その繰り返し。丁寧に生きた今の連なりが、明日の私を間違いなく形作る。私は、そう思っている。

生きていることは、それだけで疲れる。ここに存在していることが、エネルギーを要することだから。昔は、そういうことが分からなくて、なんでこんなに生き辛いのだろう、なんでこんなにしんどいのだろう、とひたすらそのことにかまけてた。
でもなんだろう、生きているそのこと自体が大変なんだと思えるようになって、だいぶ楽になった。生き辛さも半減した気がする。
ああ、私だけじゃないんだ、と気づくことができてようやっと、自分を嫌うばかりの自分にストップがかかった。好きになれないのは仕方ないとしてもせめて、嫌わなくてもいいじゃないか、と、そう思えるようになった。自分にとって自分というものが一番、ややこしかったりするものなんだ、と、それは別に私にとってだけじゃなく、結構多くのひとがそこで躓いてたりするということも知って、ああ、別に、特別でも何でもないのだな、生き辛くても別に、いいのだな、と思えるようになった。

ひとと関わるのがそんなうまくないから。むしろ下手だから、転ぶことも怪我することも多くある。でも、ひとと関わってなんぼ、とも思うのだ。人間という字は、ヒトのアイダ、と書く。ひとのあいだにいてこそ人間たりえるのだ、と、そう思うのだ。

あんな経験もこんな経験もしたのに、よく人間嫌いにならないね、と言われたことも多々ある。なんでだろう? 私にも分からない。自分のことを嫌いになることはたやすいのに、誰かを嫌うのは難しい。ひととひととを結ぶ縁を、緒を、たとえ向こうから切られても、私からは切りたくない、と、いつも思う。それもまた、何故だろう。
人間は、命あるものの中で最も残酷になり得てしまう存在。どこまでも狡賢く、残酷な、そいうう存在。一方で、誰より何よりも、やさしくもなれる、そういう存在。両面をいつだって、持っている。いつだって天秤にかかってる。どちらを選ぶかはそのひと次第。
どちらだってあり得る。

それにしても、昼間は容赦のない陽射しが降り注いでいたけれど、夜気はまだまだ涼しい。ワンコが気持ちよさそうに腹を出して寝ている。こんなにも無防備に眠れるものなのだな、と、ワンコや息子を見ているといつも思う。
ちょっと、羨ましい。


2022年05月24日(火) 
ぼんやりした日の出だった。ちょうど日の出の場所に雲がかかっていて、だいぶ昇って来てからようやっと太陽が顔を出すという具合。朝の太陽を少しでも見ることができて、おかげで背筋が伸びた。眠れなくて、どんよりしていたから。
SS君と散歩と撮影の日。息子と一緒に家を出る。込み合う電車に揺られながら都内へ。乗り換え駅でちょっと迷子になる。この駅は苦手だ。昔通ったセンターもこの駅で乗り換えだった。数年通ったのにいまだ慣れない。落ち着かないというか、お尻の脇がもぞもぞするというか。
駅の改札口脇で待ち合わせをしたのだけれど、このまま撮影行こうかと言ったら「さすがにパジャマはあれっすよ」と言うのでびっくり。そうなのか、これがパジャマなのか、と大笑いした。
彼の部屋までてこてこ歩く。SS君は自転車を引っ張って歩く。その間もひたすらSS君が喋り倒している。私は聞き役。それがいつものカタチ。今読んでいる本、最近読んで面白かった漫画の話、観た映画で印象に残った作品の話等々。尽きることなく続く。
着替えたと言っても単にシャツを羽織り草履をはき替えただけの姿。パジャマと特に変わりはないぞ、と思ったのだけれどさすがに言えず。心の中でくすっと笑った。
がっつり撮影、ではなく、いつの頃からか彼とは、彼のおしゃべりプラス撮影、というバランスになっている。それが、彼との間ではちょうどいい。今回も結局、てくてく歩いた結果、長く延びた公園で、ここでいいか、と何枚か撮影。特別なものは何もなく、散歩の延長で撮影した、みたいな感じで。
煙草が吸える貴重な喫茶店があるというので一緒に行く。この時もひたすら彼の話。タコピーの原罪という漫画の話に終始する。私はほぼほぼ、うんうん、それで?と相槌うっていたのみで、ひたすら聞き役。
別れる時彼が唐突に「飲みましょうよ」と言った。珍しいなと思ったのだけれど、りょーかい!と返事をし、別れた。

今日こそは早く寝よう。いつもそう思うのだ。いつも。今度こそ早く横になり、早く眠るのだ、と。なのに、それがいつもできない。
横になる、ということが遠すぎる。遥か彼方、だ。いつだってそうなのだ。悲しいくらいに。
たとえば、歯医者で横になることは必要不可欠であって、避けようがない。分かっている。分かっているのに、いつもじたばたしてしまう。
横になる=無防備になる=襲われてもおまえの責任(と、私が思ってしまっている)。いや、分かっている。そんなことはないというか、それは私の極端な反応だ、と。わかって、いる。
頭では十分すぎる程分かっていて、だから何とかしなくちゃとも思っているのだ、これでも。が、しかし、うまい解決方法がいまだ見つけられていないというのが現状。

帰り道Tから連絡があって、急遽最寄り駅で会うことに。どのくらいぶりだろう? 久しくあっていなかった。私が贈った煙草入れ用の小袋が破けてしまったのだという。とうとう限界がきたか。
でも、久方ぶりに会った彼女は顔色もよく、元気そうだ。どうしたのかな、と思っていると、左手をちらり私に見せて、指輪を買ってもらったんだ、野良猫から、家着きの野良猫に昇格したの、とうれしそうな顔を見せる。そかそか、と私もにこにこになりながら彼女の嬉しそうな顔をちらちらと見やる。満たされた、いい顔だ。よかった。本当によかった。
Tよ、自分の幸せ、大事にして、ね。

そして最後にひとつ。Nから連絡が。再犯を繰り返していた加害者のひとりの起訴が決定した、と。求刑は10年だそうだ。それを聴いてNは、どうしてこんなにも罪を重ねてきていた人間がたった10年なんだろう、と思ったそうだ。たった10年だけで罪は本当に償えるのだろうか、そう思った、と。
10年、か。それが短いのか長いのか私には正直分からない。私に分かるのは、今ここを精一杯生きている被害者に、そんな、起訴内容についてなど連絡してくるな!ということだ。善意の悪意、とでも言おうか。そこらへんが、連絡をよこした人間にはちっとも分かっていないのだな、と。そう思った。
とにもかくにも、Nよ、お互い、今ここ、を大事にしよう。他人を変えることはできないし、そもそも過去は変わらない変えられない。変えられるのは唯一、自分と今ここ、のみ。それに尽きる。


2022年05月23日(月) 
病葉を見つけてしまった。うどん粉病だ。充分気を付けてやっていたつもりだったのに。ひとつの薔薇のプランターの前で途方に暮れる。いや、途方に暮れている暇はないと気づき、急いで病葉を丁寧に摘む。これ以上拡がりませんように。願いながら。
今日はアートセラピー講師の日。今日使う絵具と絵筆を忘れないよう鞄の中を確認して、朝の用事を済ませてから出掛ける。自転車で走り出すと、燦々と降り注ぐ陽射しが暑いくらいで、もしこれで北風が吹いてなかったら私は汗だくになっているんじゃないかと思えるくらい。北風がこんなに気持ちいいとは。少し風が強いなと思いながら走る。明るい日差しの中で見やる街景はいつだって色鮮やかで、ちょっと気後れしてしまう。モノクロ世界の住人でいた時間が長くあったせいなのか、それとももともと私がこの世界の異物なのか、それはよく分からないけれど。
昔この辺りには十以上の川が流れていたんだとか。その川を利用して材木問屋が栄えたんだとか。いまだその名残の残るところも街には残っている。その間をひょいひょい走りながら、施設に向かう。
やっぱり自分は自転車がいっとう好きなのだなと走りながら思う。この適当な速度と、それから風を直に切って走ることのできる車体と。裏道に入ると、途端に生活の匂いが色濃く現れる。この辺りの家々は犇めいて建っている。門構えというものがほぼない。いや、違う、私が生まれ育った町のような門構えというものがほぼ、ない。表札がひょいと立っていていきなり玄関がある。昔は、これじゃあ玄関開けたらいきなり道路で何だか落ち着かないなと思ったものだった。
クリーニングの下請け工場の脇を通り、公園を過ぎ、もう閉店して長い時間が経つのだろう食べ物屋の脇を通り過ぎ、そうして施設に辿り着く。この間綺麗に咲き誇っていた花々は、今日はもうだいぶ草臥れており。花も終わりなのだなと知る。その代わり夏野菜の苗がぐいぐい育っているところ。隣の大家さんの庭から、八兵衛の、メェェと鳴く声が響いてくる。メェェメェェメェェ。今日の八兵衛はご機嫌なのか、やたらに鳴いている。
今日のテーマは、なりたい自分の心の形、だ。こんな自分になりたいな、と思える、その自分の心のありよう、その形、を、水彩絵の具で表現してもらう。「形のないものを形にするのって一番難しい」。Yさんがぼそっと溢す。ほんと、そうだよね、と私も応じる。だから形に表すにはちゃんと見つめてあげないといけない。ふだん見つめてない心をちゃんと見つめてあげないと描くことはできない。この時間だけでいいから、ちょっと自分の心と向き合ってみて。一番年長のSさんが困った顔をしている。
N君は象徴的な形を幾つか、細筆で描き始めた。握り合う手や拳、メビウスの輪など。その隣のKさんは、紙一面を水色で塗り始めた。Yさんは、ちょっと考えてから、紙の中央に丸い形を描き始める。MちゃんはMちゃんで、私ピンクと水色の組み合わせ大好きなのと言いながらその色を使って描き始める。めいめいの形。めいめいの色がそこに在る。
穏やか海みたいなそんな心の有様だったらいいなぁという気持ちを込めて、通い慣れた湘南の海を描いたというKKさん。小さな犬とヒトガタも描かれていた。もうちょっと全体的に明るくしたかったんですけど気づいたらこの色になってました、とも。YYくんは、僕ボディビルダーになりたいんです。この病気も卒業して、筋肉むきむきになって、もうこういう僕とも決別して。だからシックスパックならぬテンパックくらいにはなりたいなと思うんです。ニコニコ笑いながらそう話してくれる。海パンを逆さから見ると日本を代表する富士山になるんですよ、と言い出すのでつい笑ってしまう。Sさんは、僕はね、この裏の公園かここから見える花壇か、そこが一番落ち着くの、だから描くならそこしかないの、と説明してくれる。N君は、僕、子どもの頃いつも父親からお前は絵が下手だって言われてて、たとえば絵の宿題を家でやってると、こんな絵じゃだめだ!って勝手に描き直されてしまう、自分の絵じゃない父親が描いた絵を持って学校行かなくちゃならなくて、すごいトラウマなんです、絵具。と、打ち明けてくれた。だから僕、絵具見た瞬間、あああ、ってなりました。と苦笑しながら。「でも、描き始めたら、結構描けるものですね」と、どもりながら話してくれる。Yさんは、描き出したらこういう形になっていた、と話してくれた。中心のある、光り輝く何か。きっとYさんは、今、なりたい自分にとても近いところにいるんだな、と絵を見て感じる。
もう時間も終わりに近づいた頃、メンバーのひとり、D君がふらふらになりながら現れた。ああ、飲んじゃってる、と、それが明らかな千鳥足で、ついでに顔面から出血している。どうしたの、だいじょうぶ?とみんなが言う。でも、D君はどうも、自分が怪我したことも自覚してないらしく。え、何?とふらふらしている。そういえば前回も彼は、このくらいの時間に唐突に現れたな、と思い出す。この前も飲んでいたっけ。お酒の匂いがしたんだった、とそのことも思い出す。窓の外、八兵衛のメェェと鳴く声が大きく響く。

いつか。いつか、こんな日があったねと、彼らにとってここで過ごした日々が過去になる日が来ますように、と、私は心の中、祈る。


2022年05月22日(日) 
新苗の薔薇たちに次々蕾がついてしまうので、私も懲りずに次々摘んでゆく。お花をつけるのは秋でいいんだよ、と声をかけながら。それでもやっぱり、摘むときは胸がぎゅっとなる。せっかくついた蕾なのにね、ごめんね、と思う。宿根菫はもういい加減終わりなのかもしれない。花がつく速度がぐんと落ちた。あれだけ咲き誇ればそれも当然か、と思う。種があちこちに飛び散って、芽を出して来ている。これは抜くべきなのかどうするべきなのか、と迷っているうちに、一枚また一枚と新しい葉を伸ばしてくるので、まぁしばらくはそのままでいいか、と放っている。それにしても、こんなところまで種が飛ぶのか、と驚くほどの距離、そのくらい勢いよく種がはじけるのだな、と感心する。息子の朝顔は蔓がしゅるしゅると伸びてきており。しばらくはその蔓を棚の網に絡ませてやることに終始することになりそう。大きくなれよ、朝顔。

疲れがピークだったのか何なのか。顔を洗わないで倒れ込むなんてことはほぼない今日この頃だったのに、昨晩久々にやってしまった。顔も髪も洗う余力はなく、とにかく倒れ込みたいという気持ちでワンコの隣に丸くなった。ワンコはそんな私を何食わぬ顔で見やるばかりで、でもそれが私にとっては安心できる要素でもあり。それにしても体中が痛い。今日は特に下っ腹がぱんぱんに腫れあがってちょっと体を動かすだけでも痛みが生じるという具合で。何が楽しくてこんなに膨れ上がってくれるんだろう、と自分の下っ腹を見下ろしながら思う。

昨日の日記をいつどうやって書いたのかちっとも思い出せない。一体いつ? 覚えがまったくもって、ない。なかなかな、謎。
そしてまた、今日が日曜日だというこの実感のなさったら、ない。どうしてこんなにも現実感が薄いんだろう。

SIさんから連絡が入る。担当している子の中に自傷癖のある子がいて、その子がちょっと騒動を起こしてしまったのだという。リストカットの衝動が止まらない為施設の職員にカッターを貸してほしいと頼んだが、職員は当然渡すわけもなく、それに腹を立てたその子は職員に物を投げつけちょっとした怪我をさせてしまったのだという。衝動が起こるとどうやっても自力では止められないそうで。結果、他害に及んでしまう、という具合。リストカットは深いものではなく、表面を切るくらいのものなのだが、とにかく一度衝動が起きると止められない、と。父親からの酷い虐待とネグレクトに晒されて育ったそうで。母親はそれを止める術を持たなかったという。
SIさんは、他害に及んでしまうくらいなら、カッターを渡した方がいいのではないか、と考えてしまうという。表面を切るくらいの程度なら、命に関わるわけではない、それなら、他害に及んでしまうよりずっと、リストカットをさせる方がいいのではないか、と。
どう思いますか、と問われたが、私はその問いには直接応えられなかった。
代わりに、この話を伝えた。
私がリストカットが酷く、毎日のように腕を切っていた頃。当時の主治医がこう言ったのだ。「左腕はもう、しょうがない、でも、この綺麗な右腕は、綺麗なままとっておこうね。左腕だけにしよう」。私はその言葉を聞いた時、自分を全否定されないことに深い安堵を覚えたんだった。だからこそ、この主治医との約束は絶対守らなければいけない、と自分に誓ったんだった。それからというもの、酷い衝動に襲われ左腕がすべて傷で埋まってしまって他に切る余白がなくなって、もう右腕をいっそ切ってしまおうかと思われるような時でも、ぎりぎりのところで主治医との約束が足枷になってくれた。それでもだめだったことが二度ほどあって、その時は右腕を切ってしまった後で深い後悔に襲われ、泣いた。約束を破ってしまった自分に、絶望した。
私の場合、傷ひとつひとつが深くて、放っておくと命に関わる深さだったから、余計に、左腕だけに留めておく必要があったんだろうなと今なら分かる。だからこその主治医の言葉だったんだろうけれども、その主治医の提案は、当時の私をそっと支えるだけのものとなったことに間違いは、ない。
その話を、SIさんに伝えた。カッターを渡すという選択肢はよほどのことがない限り私にはありえないけれども、とも付け加えて。あとはもう、SIさんがその都度その都度、その子と向き合う中で選択してゆくことなんだろう、と思う。

明日はアートセラピー講師の日。ちょっとこの、現実感のなさをどうにかしないといけない。明日の授業の時間まであと半日以上ある。大丈夫、なんとか、なる。信じよう、自分の底力を。


2022年05月21日(土) 
曇天。いつ泣き出してもおかしくないような曇天。見上げていると雲ごと空が堕ちて来そうな錯覚を覚える。
公園の紫陽花の枝をちょこっと頂いて挿した子ら、もうどのくらい日が経つのだろう、今のところ無事生き延びている。その隣でクリサンセマムはそろそろ終わりといった風情。その向こうの朝顔たちは、蔓を伸ばし始めた子もいたりして。みんな、生きてるんだなぁ、と、当たり前なのかもしれないけれどもそれでも、命の鼓動をこうして感じる時、私は静かに感動する。当たり前は当たり前なんかじゃない。
昨日の病院のことで覚えているのは。自覚的になること、くらい。たとえば自分が罪悪感を感じてしまう、その場面で自分が今罪悪感を覚えたということを気づくこと。その練習をしよう、と言われたような覚えが。うろ覚えなのだけれど。いやそもそももしかしたらまったく別のことを言われたのかもしれないのだけれど。
そもそも身体痛が酷くて、じっと座っていることもままならなかった記憶が。―――忘れてしまうって、ほんと、心もとないというか、何と言うか。ついさっきまで歩いていたはずの地べたがふわり、失われるような感覚というか。忘れてしまうことによって私は何を得ているんだろう。忘れるという喪失によって、私は何を代わりに得ているんだろう。誰か、教えてほしい。

朝早く、電話が鳴る。びっくりして出るとS先生で。今日の加害者プログラムは中止との連絡。もう出かける支度をしていたから間に合ってよかった。
でも、別件の約束があって、結局都内に出る。Jさんと会う。Jさんと話していてつくづく、恩義とか義理とか、そういうものを果たすことも大切だけれど、自分が一番輝ける場所を見失っちゃいけない、とそう思った。Jさんは自分が出所した数か月後に偶然自分を見つけてくれたY先生への恩義を、と、そう言っていたけれど、いやそれは分かるのだけれど、でも、程度っていうものがある気がする。恩に報いることは或る意味大事なことなのかもしれないけれど。それによって今ここの自分が犠牲になっているのでは、意味がないのではないだろうか。
Jさん、人生もう折り返し地点過ぎてるんだよ。自分が納得できることしないと。と、私が言うと、苦笑いしながら、でもなあ、と。
とにかく今ここでできること、やりましょうよ、と声をかける。

Jさんと別れて電車に乗ると、少し意識が遠のくのを感じた。他人事のように過ぎる目の前の事柄、目の前の人々。何度も掌をつねって自分の身体の感覚をとらえようとしてみるのだが、ちっともとらえられず。少し焦りながら、同時に、焦っても仕方がないことも分かっていて、私は遠のく自分をぼんやり眺めていた。
最寄り駅ではっと我に返り慌てて降りる。間に合ってよかった。胸を撫で下ろしながら階段を下りる。階段を下りる時いつも思い出す。息子の声。かあちゃんまた階段落ちするの? 笑いながら彼はいつもそう言う。だから、心の中一生懸命繰り返す。もうしないよ、したくないよ。だから頑張るよ、と。

帰宅後、ワンコの首元に顔を埋めてみる。ワンコがじっとしていてくれるのをいいことに、何度もはふはふ埋めてみる。彼の心臓音が伝わって来る。私の鼓膜を震わす。その震えに、ほっとする。
一日何やってたんだろうなぁと思い出そうとしても、僅かなことしか思い出せない自分に少し腹立たしさを覚えながらも、もうそれが私なのだなとも思う。受け容れてつきあっていくほかにないのだから。


2022年05月19日(木) 
身体痛が酷すぎて閉口している。この痛み、もう何度襲われているか知れないから或る意味慣れた、とはいえ、それでもその度痛いことに変わりはない。こんな夜は薬も効かないからなおさら、苛々もする。悪循環。
家人からお風呂にお湯入れたばかりだから入ったら?と言われていたのを思い出し、熱めに追い炊きして入ってみる。入っている間は何とか緩和された痛みも、湯船から出てしまえば再び襲って来るという始末。一体何をそんなに私に訴えたいんだこの痛みは、としまいには頭を抱えるほかない。いや、実際には頭じゃなく心を抱えるという具合なのだけれど。

朝、まだ日が昇る前、植木に水を遣る。ひとりひとりに挨拶しながら、たっぷりめに水を遣る。ただそれだけなのだけれど、彼らと会話しながら、私は小さなエネルギーを彼らから与えてもらう。大げさに聞こえるかもしれないが、彼らと会話していると、私もここにいていいんだよな、という気持ちにいつもさせられる。ひとつの安心の灯がぽっと、心に点る。
息子は最近、漢字練習を熱心に為している。せっせとやっていたおかげなのか、クラスで一番進んでいるらしく、それが励みになってなおさら一生懸命やる、という具合に。漢字ひとつに対して四種類の、その漢字を使った言葉を書かなければならないというおまけつきなので言葉をよく訊ねられるのだが、昨日の「栃」という字や「岐」「阜」という字に対しての言葉がほぼ思いつかない自分に気づいた。あれま、と漢和辞典を探したのだが何故かあらゆる辞書があるにも関わらず漢和辞典だけが抜け落ちている我が家。慌てて家人に漢和辞典を買ってほしいと頼んだら、「スマホにアプリを入れればいい」と返される。アプリ?ときょとんとしていると、漢和辞典のアプリがあるんだと。結局その場はそれで済まされてしまったのだけれど。
辞典というのは。その文字だけを調べるわけじゃなく。紙ゆえに横のつながりがあったりして、アプリでは味わえない面白さがあるはずなのだ。こんな字もあるんだ、こんな言葉もあるんだ、そういう発見が、紙の辞書にはある。スマホのアプリでは、目的の文字に対しての答えは返してくれるだろうけれども、そこからの拡がりはあるんだろうか? 私にはちっともアプリの良さが分からない。改めて家人に訴えてみよう。日を改めて。

娘が母の日のプレゼント買ってあげるということでふたりでウィンドウショッピングなるものに出掛けてみたのだけれども。ふたりともこういうものが大の苦手だということを改めて思い知る羽目に。「ねぇ、私たち女子度低すぎじゃない?」「ママ、もう低くていい」「女捨てないでよ、まだだよ」なんてやりとりを延々しながら、一生懸命ふたりして店を廻ってみる。試着もしてみた。でももう疲れ果てて最後はいい加減になっていた。苦笑し合いながら、もうこれでいいよね?!と。
でも。娘のそういう気持ちがありがくて、こそばゆかった。五、六年前、荒れに荒れていたあの頃の娘の横顔を思い出す。今の娘に重ねようと思ってもあまりにその表情が違い過ぎていて重ならない。彼女の十代から二十代へのこの道程は、それほど険しかったのだな、と、改めて思う。

薬を倍量飲めば痛みが止むのであれば、倍量だろうと何だろうと飲んでしまいたい気持ちにかられるのだけれども。こういう夜は倍量飲んだからって倍の効き目があるわけでもなく。痛いなぁ痛いなあと思いながら、テニスボールやいぼいぼの硬いボールで身体のあちこちをごりごり押すばかり。窓の外、静かに夜が深くなっていく。でもあと数時間すれば朝が来る。明日は通院日。そうだ、きっと新しい朝には何かいいことがあるに違いない。朝よ、来い。


2022年05月18日(水) 
うっすらした雲が拡がってはいるけれど、雲を透かして朝陽が届く。久しぶりだ。朝陽を浴びるとそれだけで元気になれる。目には見えないけれどエネルギーが陽光と共に注入される、そんな感じ。太陽ってすごい。
ブルーデイジーがぽっと灯っている。その隣でビオラが微風に揺れている。クリサンセマムはそろそろ終わりにさしかかってはいるけれど、それでもまだ、天を向いて揺れている。お日様の花だな、と思う。
洗濯機を2回廻し、布団も干す。風も強すぎず弱すぎず、ちょうどいい。ああ、いい天気だ。

いろいろあった昨夜、家人がふとした場面で「これは差別だ」と言った。その言葉を耳にした時、私ははっとした。そうだ、これは差別だと主張するには、差別がどんなものだかを自覚していることが必要なんだな、と。今更だけれどはっとした。差別されている状態が当たり前と思えてしまっていれば、それが差別だ虐待だなんて主張することさえできないままなんだ。ああ、そうか、そういうことだったんだ、と妙な納得。
虐待されていることも差別されていることも、自分がこんな人間だからそうなるんだ、と思えてしまっているうちは、差別だ虐待だと声を上げることさえできない。でもそもそも、差別や虐待といったことを自覚するにはある程度の知識や判断力がその当事者に必要になってくる。或る程度の教育、とでも言おうか。そういったものが不足していれば、いつまで経っても気づけない。教育は大事だと常々耳にしてきた言葉だったけれど、ここに繋がることに今の今まで私は気づいていなかった。自覚するって大変なことなんだな、と、改めて思った。
顧みれば。自分のせいだとか、自分にはこれが当たり前なんだとか。そういう時間が長く長くあったから、これが性虐待だこれがDVだ、なんて、思い煩う隙間もなかったから、もうそれが当たり前だと思っていた。それが自分にとっての当たり前なのだ、と。違うかもしれないと疑うことさえしなかった。周りからこれは差別だよとか虐待だよと言われても、そうかもしれないけど私にはしょうがないんだ、と、勝手に納得していた。でも。
違うんだな。そもそも私には知識が圧倒的に足りていないのだな、と。無知は罪、とよく聞く言葉のひとつだけれど、私自身、無知は罪だとさらり言ってのけたこともあったはずなのに。その私自身がちっとも分かっていなかったというこの体たらく。何やってんだ自分。
まだ、私はこのことを頭でしか分かっていない。この感覚を己の血肉に落し込んで、「学ぶ」ことをもう一度始めたい。そう強く思う。

学ぶ。私の解離性健忘は私が学ぶことを奪うんだろうか。学ぶ、と考えた時そのことがいっとう先に浮かんだ。次から次に遥か彼方に記憶を放ってしまう私は、果たして学べるんだろうか、と。
分からない。もうちょっと言えば、やってみなけりゃ分からない。
忘れたら忘れたでいいじゃないか、と、いつもの豪快な笑い声とともに笑い飛ばすことができるくらい腹を括って開き直れたらいいのにな、と思う。さすがにそこまでまだ、腹を括れていない。
もともと、子どもの頃から学ぶことが好きだった。知らない、と言えない性格だったし周りも私が知らないことを許さない雰囲気があって、だから私はいつだって、必死にがっついた。
でも。たとえばそれが小中学生だったとして。それから数十年後の今、私は当時勉強したことをきちんと記憶しているだろうか。自分の引き出しにちゃんとしまっておけているだろうか。
否。それでも。
学びたいなと自分が思うのであれば、やるしか他にない。忘れてしまうなら忘れてしまうで、しょうがないじゃないか。それを怖がって学ぼうとしないというのはもっと、自己嫌悪になりそうだ。だったら。
やるしか、ない。


2022年05月17日(火) 
見事な曇天。鼠色の雲が空全体を覆っている。それは実に重たげで、いつ泣き出してもおかしくなさそうな、そんな様子。早朝ほんの僅か現れた裂け目も、あっという間に呑み込まれていった。朝の陽光を浴びることなどどこへやら、という具合。洗濯物はどうしよう。天気予報の前でじっと固まってしまう。さんざん悩んだ挙句、溜まっている洗濯物をそのままにしておくのも嫌で、一回だけ洗濯機を廻すことに決める。
昨夜はまったく寝床に行く気持ちになれなくて、台所と作業部屋の椅子とを何度も何度も往復してしまった。立ったり座ったり、そうしているうちにたまらなくなって、エスプレッソを淹れてみるなんていう暴挙に出てみたり。一体今何時でしょうかと我ながら呆れたのだけれど、できあがったエスプレッソはもう美味しくて美味しくて。久しぶりというのもあったのだろうけれども美味しくて、にんまりしてしまう。この時刻に呑むエスプレッソはどうしてこんなにも背徳感に満ち溢れているんだろう。でも美味しい。
エスプレッソを飲んだ後すぐ横になったのだが、一時間過ぎた頃ぱっちり目が覚めた。もう「おはようおはよう!」と声に出して言って回りたいくらいすっきり目が覚めた。これは要するにこの時間を何かに使えという神様からの御達しだな、と勝手に思い、早速やりかけの作業にとりかかる。
こういう時というのはたいてい、作業が倍速で捗ると相場が決まっている。謎のやる気に満ち溢れた自分は、そのやる気に押されるような形でどんどん目の前のことを片付け始める。机の上の付箋がいくつも片付いてゆく。
昔本を出した時。担当してくれた編集者とよく話をした。100人の人間に一度きり読まれる本よりも、たった一人に100回読み返されるような、そんな本を作ろう、と。いや、その当時は、正直に正直に言えば、何処か捩じれた気持ちも混じっていた。どうせ私の本なんて売れやしない、それなら、という気持ちがどこかに混じっていた。どうせ売れないんだからせめて、というような。
でも、実際本を出して時間が経つについれて、ひとりに100度読み返される本、ということの意味がずんと胸に迫ってくるようになった。ああ、Nさんはこういう気持ちで私にあの当時このことを言ってくれていたのかな、と、今更なのだが深く感じ入るようになった。そのNさんはもう、この世にはいない。だから、再びこれについてNさんと語り合うことも叶わない。
だからかもしれないけれども。邪念はとりあえず棚上げしておいて、今の気持ちを言えば、必要なひとのところに必要な分だけ届く、そんな本でありたい、と。誰かから誰かへ、何度でも海を渡ってゆけるような、そんな、関係の間に横たわれる本を。今の私なら心の底から、そう、思う。
Nさん、元気ですか。元気でいますか。そっちはどんな具合ですか。私はまだ死んだことがないからまったくもって分かりません。Nさんにとってそこは、心地よいですか。
この間、とある人から連絡があって、「本、まだ読めていないんです、怖くて」と仰っていた。Nさん、そんな「怖い」を私は、ちゃんと理解できていないのです。何がどう怖いのだろう?と、いつも思ってちょっとだけ途方に暮れてしまう。
Nさんが亡くなった後、ほんと、いろいろあったんですよ。Nさんがいてくれたらなあ!と、その道中で何度思ったことかしれません。それなのに、Nさんはもうここにはいなくて。
Nさん、でき得るなら。もう一度会いたいです。会って話がしたい。


2022年05月16日(月) 
雨そぼ降る朝。バスと電車で出かける。自転車が乗れないだけで不自由を感じる私は、普段どれだけ自転車に依存しているかを痛感する。自転車だとひととすれ違うことに苦痛を感じないで済むという、その点がどれだけ私にとって重要か、思い知る。被害に遭う前は、ひととすれ違うことにとりたててストレスを感じた覚えはなかった。でも被害に遭ってからというもの、誰かが隣に立つ、誰かが後ろに立つ、というだけで悪寒を覚える。でもそれは日常的に在ることであって、何も特別なシーンでも何でもないのだ。だから毎度毎度悪寒に襲われるというのはストレス以外の何者でもない。逃げられない、というその一点が、私を怖がらせる。逃げても抵抗してもあの時のように組み伏せられるのがオチ、と、痛烈なまでに身体が知っているから、身体が凍り付いて動かなくなる。こればかりは、体験を経た者とそうでない者とでは、どうやっても異なるんだろう。理解し得ないだろう。だから、ふだん口に出したりはしないけれども。でも。自転車に乗っていれば。少なくとも逃げ出すことができる。それがどれほどに私を勇気づけることか知れないのだ。
朝一番の用事を終えてから急いで映画館に滑り込む。今日はどうしても観たい映画があってひとりで映画を観る。
映画「流浪の月」。俳優・広瀬すずと松坂桃李が主演の映画で、広瀬演じる更紗は何故警察で受けてる性被害を告白できなかったのか(それができていれば松坂桃李演じる文は犯罪者にならずにすんだ?)とSNS等で批判が出ていたのが少し気になっていたのだが。いやあれはふつうに言えないだろと私は感じた。言えば文は救われたはず、と世論はそうなるのだろうけれども、更紗もそんなことは百も承知だったのだろうけれども、それまで更紗がどれほど性虐待に晒され痛めつけられてきたのか。大人になってもうなされ続けるほどに深く深く傷ついた更紗に、それでも秘密を告白してひとを救えよ、なんて、私はとてもじゃないが言えなかった。ああ、世論はまだ、そういうところにいるのだなぁということをむしろ逆に強く思い知らされた。
そんなことは脇に置いておいても、役者の、役者たるゆえんがいかんなく発揮されていて、見応えがあった。役にぎりぎりまで沈み込み、浸り込み、広瀬も松坂も、他の演者たちもみな、ぎりぎりまで自分を削り役にのめり込み、演じた、そういうぎりぎりの軋音のようなものが画面いっぱいに張り詰めていた気がする。
内田也哉子演じる文の母親のあの、眼を決して合わせないあの横顔。たまらないものを感じた。あの母親に、私は、かつての自分の母を重ね合わせずにはいられなかった。僕を見て、こっちを見て。あの言葉は、私は言いたくて、でも、言えなかった、そういう言葉たちだった。だから観ていて、他のシーンよりずっと、胸に突き刺さった。自分だけオトナになれない、と絶望的に振り絞られたその言葉に、改めて、「ただふつうに生きることができる」幸せを、思い知らされた。
それにしても、映像が実に美しかった。絵画的、といえばいいのだろうか、映画というよりも場面場面が美しい絵画のような、その連なりのような。絵画的な映画、だった。色のトーンも一律に落ち着いて何処か水面を思わせるような穏やかさで、観る者にひたひたと迫って来るものがあった。
重たい映画だ、という評もあったけれど、わたくし的には、絶望の先にこそ真の希望がある、という自分の座右の銘に通じるものがあって、最後、静かな気持ちで観終えることができた。原作をぜひ読んでみたい、そう思えた。
日常に舞い戻って来た私には、たとえば家人と息子と当たり前にご飯を囲むこと、当たり前に本屋に立ち寄ること、当たり前にスーパーに立ち寄りパンを買うこと、そういった、どうということのない、何の特別さもないような場面場面が、実はどれほど尊いものであるのか、を、考え立ち止まらずにはいられなかった。当たり前は決して当たり前などではないのだ、と、日常はささやかな特別がいつだって連なっているものなのだと。映画はそのことを改めて、私に問うてきた。
そういえば昔、レオス・カラックス監督がこんなことをインタビューで言っていた。映画は、ひとが十年かかって気づくことを、一瞬にして提示することができる、と。恩師にその言葉のことを言ったことがあって、その時恩師は、十年かけて気づくことの意味を考えろ、と、そんなことを言っていた。
今改めてその言葉を振り返る。十年かかって気づくことを一瞬にして気づかせることのできるものが映画であり、その十年というのは途方もない日常の、ささやかな特別の連なりである日常の、積み重ねであったはず、と。そのことを、今改めて、思う。


2022年05月15日(日) 
宿根菫がこれでもかというほど茂ってきてしまった。もうだいぶ前から「切り詰めなくちゃ」と思い続けている。思い続けていることは覚えているのだが、分かっているのだが、ちっともそれが為されていない。せっかく伸びた子たちを切り詰めることに勝手に申し訳なくなっている。でも、このままでは絡まるばかりで、そっちの方がよろしくないことも、分かっている。
ということで、今朝思い切って、もう何も考えずに鋏をじょきん、と入れてみた。じょきん、じょきん、じょきん。適当に、もはや手元をほとんど見ずに。見ると躊躇ってしまう自分がいるから。じょきん、じょきん。鉢からはみ出て垂れ下がっていた子らを立て続けに切り詰める。
ふと、割れたばかりの、詰まった種を見つけた。その種だけ別に拾い上げる。と、続けて重なる葉の奥にもうひとつ、種を見つける。その子も拾い上げる。この子たちをもらってくれる誰かにいつか渡そう。そう思いながら、種を握り締める。

家人のイタリア行が目前に迫っている。二週間かぁ、長いのかな短いのかな、よく分からない。何処までもひとごとのように思えて、実感がない。寂しいとか悲しいとか、そういうものとは程遠い、何というか、こう、目の前で無声映画がかたかたと廻っている、そういう感じ、だ。
頼まれてデパートにお土産の和菓子を買いに行った。彼にここの落雁を勧めたのは私。昔よく、祖父にお土産に買ったものだった。祖父がおいしいおいしいといつもにんまり食べてくれるので、私は何度もここの小倉の味のする落雁を買って帰ったものだった。見た目も可愛らしくて、だから海外へのお土産にはちょうどいいんじゃないか、と。干菓子は日持ちもする。
買った時は、そんな自分の昔の思い出にじんわり胸があたたかくなったのだけれど、それも束の間、バスに乗る頃には消えてしまい、残るのはただ、ぼおっとする自分ばかり。何だろうこの、現実感のなさ。

そんなこんなで、ぼんやり午後を過ごしていた私に、家人と息子から注文が。夕飯は唐揚げにしてくれ、ということで。そういえば唐揚げは久しぶりだ。このところ家人が、唐揚げの翌朝胃がもたれると言い始めて以来、作ることを控えるようになったんだった。でも、注文とあらば、作りますよ、ということで唐揚げの準備にかかる。
大皿に山盛り。作っている途中から息子と家人がぱくぱく食べてゆく。サラダなんてそっちのけでふたりとも唐揚げをぱくぱく。

すべてが、何処か遠い。解離まではいかない、現実感消失。何かストレスなことでもあったかな、と顧みるも、何も思い出せない。諦めて、このぼんやり感にただ、浸る。

数日前、昔からの統合失調症の友が入院を余儀なくされた。入院した彼女がそこから、「一週間で済まないみたい」とLINEをよこす。そか、まぁしっかり休んでのんびり過ごしなよーと返事をすると、「やだよ」と返事が。「一週間で何とか済まないかな」と。
私は返事をするのをやめた。
これ以上続けると、私は酷いことを言ってしまいそうだった。「そういうことを言われても私困る。主治医とちゃんと話してね」とずばり言ってしまいそうで。
分かっている。そんなことを求めて彼女がLINEをよこしたわけじゃないだろうこと。そしてまた、通常の彼女とは今、状態が異なっていること。
でも。何だろう、今私にも余裕がない、余力がない。何処かすべてが上滑りで、硝子戸の向こうで。現実感が本当に薄い。
ラディゲの「肉体の悪魔」冒頭、こんなくだりがある。
「僕は決して夢想家ではなかった。僕よりも信じやすい性質を持った他の人たちに夢と思えることも、僕には、たといガラス蓋があってもチーズは猫にとって現実であるのと同じように、やはり現実に見えた。だが、蓋はあるにはあるのだ。
 蓋がこわれると、猫はそれにつけこむ。たとい、飼い主が蓋をこわして、そのために手を怪我したとしても。」(新潮文庫刊 ラディゲ著「肉体の悪魔」より)
ガラス蓋は。私の場合たいていそれは硝子戸なのだけれども、それは確かにあって。でも、あまりにきれいに磨かれた硝子戸だから、それがあることをつい忘れてしまう。忘れてしまうのだけれど、手を伸ばすとその手は硝子にぶち当たり、あ、と思わせられる。その、繰り返し。
うまく言えないのだけれど。離人感が強く現れる時、私はこの、猫とチーズと蓋のくだりを思い出す。

私の硝子戸は、相当分厚いらしい。光が屈折するくらいには分厚い。大丈夫、だから容易には割ることはできない。


2022年05月14日(土) 
雨の間思うようにベランダに出られず、薔薇たちは大丈夫だろうか、ミモザは折れていないだろうか、等々あれやこれや思い煩っていたのだけれども。今日の午後ようやっとゆっくり見て廻る時間を得た。雨が何とか止んでの曇天。重たげにじっとり湿った雲が空全体を覆っている。
薔薇たちは、自分の棘で自分の葉を傷つけてしまっている、それはいつものこと。それでも何とかあの激しい雨風に耐え、雨の前には硬い蕾だった子らがこぞって綻んでいる。でも何より驚いたのは名無しの権兵衛たちだ。いきなりぐいっと大きくなっている。この子とこの子は仲間なんだろうな、こっちとそっちも仲間だろう。みんなめいめいに葉を広げ芽を伸ばししている。誰のことも見分けてやれないからいまだ名無しの権兵衛なのだけれども、何だかもうそれでいいやという気もしている。とにもかくにも無事でよかった。
東側のベランダのビオラには、たんまりアブラムシが付いてしまっていて、絶句する。場所移動しようとするアブラムシたちがプランターの縁を歩いているのを見つけた時には唖然とした。よくもまぁこんな堂々と。そう思ったらもう我慢がならず、薬剤を散布する。ブルーデイジーは雨の間に一回り大きく茂ったようで。蕾もたくさんついている。朝顔は相変わらずぎゅうぎゅうづめに育っており、私は間引きしたくてしたくてしょうがなくなっている。一応息子の植木なので勝手に手を出しはしないけれども。

何だかとても体温が恋しくなって、唐突に恋しくてたまらなくなったので、ワンコのところへ行った。ワンコの横に丸くなってワンコの首のところに顔を埋めたら、とても幸せな気分になった。ワンコ、おまえの体温が今私にはぴったりなんだな。と、心の中彼に語り掛けたら、まるでそれを見透かしたかのような表情でこちらを見やるワンコがいた。ワンコは確かに言葉を喋りはしない。声にしたりはしない。でも。私の表情からすべてを読み取っていく。いつもそうだ。そして彼はそういう時、たいていこちらを受け止めてくれる。海のように深い愛情だな。いつも、そう思い、彼に感謝する。
彼の首のところに顔を埋めていたら、うとうとしてしまったらしい。さすがに私の頭が重かったんだろう、ワンコが体の向きを変えようと動いた。はっとして私も起き上がった。時間にしてたった3分4分のことだったのだけれど。一日分のエネルギーをもらったような。すっかり元気になった私は彼の頭をぐりぐり撫でた。ありがとう、ワンコ。私はもう、大丈夫。
時々、あるんだ。体温が恋しくて恋しくてたまらなくなる時というのが。でも悲しいかな、私はもう、それを男性に求める気持ちになれない。怖いのだ。私は体温が恋しいだけ。でも体温を求めると男性はたいてい、セックスに繋げる。でも私はセックスしたいのでは、ない。でも、男性がそう動くと、怖くて断れない。
そう、怖いのだ。凍り付いてしまうのだ。身体が勝手に、凍り付く。いや、身体だけじゃない、心も凍り付く。一瞬にしてその気配を察すると、凍り付くのだ。
ありがたいことに今、私には、ワンコがいるし、息子もいる。隣に寝ている息子にぴたっとくっつくだけで体温をもらえるから、全然困らない。でももしこれがなくて、男性に体温を求めるしかなかったら。
私は凍り付くんだろう。それが、もう、怖くて怖くて仕方がない。
自分が一瞬にして、凍り付く体験を、してみるといい。この恐怖、果てしないから。

ワンコにエネルギーをもらったので、一気に仕事をこなしてしまおうか。朝までまだしばらく時間がある。その間に何ができるかな。
その前に。珈琲を淹れよう。一杯分の珈琲を。私の、贅沢。


2022年05月13日(金) 
久しぶりにMKさんと会う。久しぶり、と声を掛け合ったところで息を呑んだ。目の前のMKさんは驚くほど老け込んで見えた。あまりの老け込みようにどうしたのと訊くのさえ躊躇われほど。
この春、通信で大学に編入し勉強を始めたMKさん。つい先頃もレポートの締め切りがあったのだとか。彼女のその、幾つになっても学んでゆこうと有言実行する姿は頼もしく、応援せずにはおかない。が、しかし、この彼女の老け込みようは。
でも、語り口は相変わらずのほほんとしていて、それに耳を傾けているとそれだけでくすくすっと笑んでしまえる。
途中から家人も加わり、喫茶店で三人でのんべんだらりん。と書いたが、正確には家人とMKさんが賑やかにやりとりし、私はいつ瞼がくっ付いてもおかしくないくらいの眠気に苛まれていた。
最近時々、発作のように、眠気に襲われることが増えた。歳のせいなのかしらんと思ったりはしているが、それにしたってこの私が昼間眠くなるというのが不思議。普段どれほど睡眠時間が短いことが続いても、昼間猛烈な眠気に襲われるなどということはあり得なかった。やはり歳なのか、それとも更年期なのか。誰かさっさと私に教えてほしい。宙ぶらりん状態って、一番落ち着かない。

今書きながら気づいた。私は今日、MKさんから聞いた話がとても、嫌だったんだ、と。MKさんは近々性暴力をテーマに写真を組む。被害だけではない、加害の方向からも切り込むのだという。それを聴いたとき、私はとても複雑な気持ちになったのだ。
どうしてあなたがそれを為すの?と。
でも、口には出せなかった。そうなんだ、それで?と話の先を促すような相槌を打つのが精いっぱいで、そうしているうちに私は猛烈な眠気に襲われた。
あれは。
私の、私なりの拒絶だったんだな、と。今になって、気づいた。
私はMKさんは好きだけれど、彼女がこれから為そうとしていることについてきっと、不快に思っている。
いや、分かってる。私が不快に思うなんて筋違いだって。分かってる。でも。
私は、このテーマを彼女が扱うことが、やっぱり不快なんだ。

半ば解離しながら、ぼんやり彼女と家人が笑い合うのを横で聞いていた。早く帰りたいなぁと何処かで思ったのを覚えている。何で私ここにいるんだろう、とも思った。
わかってる。彼女は上手にきっとテーマをまとめる。そしてきっと多くの人がそれを評価もするに違いない。分かってる。
私がどうこう言う筋合いなんて、何処にも、ない。分かってる。

いろんなものがフラッシュバックする。ああ、今、私とMKさんとふたりきりじゃなくて本当によかった。家人が来ていて本当によかった。私は心の底から家人に感謝した。そうしている間にも、私の裡でフラッシュバックは繰り返し起こり、時間軸はもはや、何の意味もなかった。
どろりと私の内側に横たわり居座った不快感。どろり、どろどろ。
帰宅し、しばらくすると呼び鈴が鳴った。宅急便。受け取るために玄関を開けると雨音がざあっと雪崩れ込んできた。びっくりして目をやれば、いつの間にか土砂降りになっている。潔い降り方というか何と言うか。ここまで降るとむしろ気持ちが良い。いっそこの雨の中に突っ立って、全部洗い流してもらおうかしらん、と心の中思っていたら、お茶をとりにきた息子がにまっと笑って言った。「今雨の中出たらすげー気持ちいいと思うんだよね」。
あら、お仲間。


2022年05月12日(木) 
曇天。早朝の東空、薄いグレーの雲が波打っている。真ん中あたりに裂け目ができていて、そこから朝陽がすうっと漏れている。ああ、天使の階段だ。久しぶりに見る気がする。
ベランダに出て、いつ大雨が来てもいいように植木たちをゆっくり点検。プランターの置き場所は大丈夫だけれど、あとは風の状態次第、といったところか。
挿し木して増やしているホワイトクリスマスが数本あるのだけれど、どれもこれもみな大きな蕾をつけてきた。一輪綻び出したので、すべて蕾を摘む。本当は咲かせてやりたいけれども、今年の秋までは挿し木の子らに花を咲かすのは我慢。摘んだ蕾はすべて、水に浮かべて飾ることにする。

「昨日の僕の行動は、完全にアウトでした」と、仕事から帰って来るなり家人が言う。「ごめんなさい」。そして息子の前でも「あれはね、暴力なんだよ。いけないことだよ。父ちゃんがいけなかった、本当にごめんなさい」と。「今度もしあんなことあったら、君は絶対に息子の味方になってね」。
言いたいことは山のようにあったのだけれど、何だか今、それを言うのはよくない気がして私は黙った。そして分かったよとだけ応えた。
昼間、業者に来てもらって直したアクリルガラス。残ったのは割れた破片たち。集めて包んで、片づける。
私の頭の中、娘の時と今回と、それぞれに走馬灯のように映像が脳裏に流れる。あの頃とは少なくとも、何かが違ってる、変化しているんだな、と、心の中、思う。

天気のせいなんだろうけれど、身体痛が酷い。左半身が特に。せっせとテニスボールでケアを続けているのだけれど追いついていっていない。仕方なく鎮痛剤も飲むことにする。来週の今頃はもう、家人はイタリア。今週末イタリアでは製本作業が行われるそうだ。普及版、か。あの本の普及版、表紙は一体どんなふうになるのだろう。気になる。

昨日は夜中過ぎ、思いついて新じゃがを使ってポテトサラダを作った。じゃがいも、胡瓜、ハム、玉葱、卵。この間から白だし入りのポテサラにハマっていて、今回もそれを作ってみる。じゃがいもは電子レンジでチンして皮を剥きマッシュする。胡瓜はスライスして塩もみ、水気はしっかり切る。玉葱とハムはひとかけらのバターを用いて炒めておく。あとはもう、材料を混ぜるだけ。
気づくと、夢中になって作業している自分がいた。夢中が無心になり、そうしていつの間にか、さっきまでざわついていた心がきれいに静まり返っていた。料理ってなんて偉大なんだろう。いや、私が単純すぎるんだろうか。ちょっと不安になりながら、まぁいいやとくすり笑う。
そう、こんなふうにいつの間にか笑えるくらいには、私は今大丈夫になってきているということ。長く生きていると、諦めも割り切りも早くなる。まさか自分がこんなになるまで生き延びているとは思ってもみなかったけれども。長く生きてみるもんだな。つくづくそう思う。

忘れてしまった、失ってしまったことがある傍ら、私の場合覚えていられる分量はこんなふうに最低限というのがいいのかもしれない、と、思ってみたり。いや、本当は、ふつうに忘れてふつうに覚えていて、と、そうでありたいのだけれど。
でも、日常的に解離している私には、或る程度諦めて受け容れて過ごすこと以外、できることが、ない。解離に効く薬なんてないのだから。
諦めて受け容れて過ごす。それは決してネガティブなベクトルを持って為すことじゃなく。むしろそれは私の場合、ポジティブに為すこと。諦めにもいろんな色があるし、受け容れることもいろんな深みがある。だから、私は大丈夫。


2022年05月11日(水) 
心がざわついている。ホットフラッシュの発作が立て続けに起こる。身体が、心裡のエネルギーを抱えきれていない。バランスが全くとれていない。そんな感じ。
夕方、ワンコと散歩をしている最中、北西の空に天使の階段を見つけた。私が思わず立ち止まって眺めていると、ふだん立ち止まるのを嫌がるワンコなのに、その時は何故かじっと、ただじっと私を待ってくれていた。ありがとね、と声をかけると、くしゃん、とくしゃみをひとつして応えてくれた。

Hちゃんが、中国に行く前に会えるのは今日しかなくて、桜木町で彼女と待ち合わせる。新幹線で飛んできてくれる彼女にただ、感謝しかない。紹介したい後輩がいて、とHちゃんが連れて来たのはYさんという若い美人さんで、今Hちゃんの仕事を引き継ぎしているのだという。三人でテーブルを囲んで、ただひたすら思いつくままおしゃべりに興じる。来月には遅くとも中国に行く、いや、行かされるHちゃんが写真家チェン・ズのことを知りたがっていたのでいい機会と思いざっと調べる。調べながら私は心の中で、心病む前に帰って来るんだよHちゃん、ちゃんとそのタイミングを見極めるんだぞ、と、思っていた。いつだって頑張り過ぎてしまう彼女だから、そしてまた弱音を吐けない彼女だから、そこが本当に心配。Yさんも「仕事なんて辞めてしまえばいい、そういう時は。ちゃんと帰ってきてください」と声にしていた。Hちゃんは「そんなこと言えないしできないよ」と繰り返すばかり。私は私で、そんな彼女をちょっともどかしく思いながら見つめていた。

ワンコの散歩から帰ると、何だか家人と息子の様子がおかしい。どうしたの、と訊いたら「ざっくりだよ、ざっくり、指」と家人が吐き捨てるように言う。どうも何かで指を切ったらしいことは分かった。それで?
家人は舌打ちするばかりで、ちゃんと私に説明をしない。説明しないまま、先日父が息子にプレゼントしてくれた水鉄砲を「捨てろ」と私に言う。さすがに私も黙っているのが嫌になって言い返す。「これは父が息子にプレゼントしてくれたものだけど、何故捨てなくちゃならないの?」。家人は「んなことはどうでもいい。もう限界。捨てて」。
風呂場の扉のアクリルガラスを、家人は割ってしまった。しかもそれは偶然何かの拍子に割れたのではなく、家人が意志を持って割ったのだ。何故?
来週からイタリアに家人は出掛けてしまうから、息子は家人と風呂に入ると言い、それゆえ私がひとりでワンコの散歩に出掛けた。ふたりは揃って風呂場へ。
が、ここでひと悶着起こった。
プレゼントしてもらったばかりの大きな水鉄砲を家人に向けて何度も発射したらしい。家人は何度もやめてと伝えたという。でも息子がきかなくて、我慢の限界で家人は息子の目の前で勢いよく扉のアクリル板を木端微塵にしたそうで。
木端微塵になったアクリル板の破片を何とかつなぎ合わせようと試みるもムダで、私はインターネットでとりあえず修理してくれそうなところを探してみる。
「我慢の限界だからって、ガラス扉壊してたらきりがないよね?」
「壊したことは謝る。でもその前に息子がちゃんと俺の言うことを訊かないからだ」という意味のことを家人は言ってのけた。私はかちんときたので、正直に、「だからって物に当たって物壊しても何の意味もなくね? おねえちゃんの反抗期の時はドア壊したし。壊して何になるの? ほんと、無意味だと思わない?」
「そもそも君が、昼間にワンコとの散歩を済ませておけばよかったんだよ、そうすればこんなことにはならなかった」
「は? それ、アクリルガラスを壊した理由にちっともなってない」
ふだんだったら私は早々に退いて沈黙を選ぶのに、今回は黙ってる気になれなかった。。修理代がいくらかかろうと、直さなければならないのに、金がないとかもったいないとか言い出す彼に、私は正直呆れた。
昔娘の部屋だった部屋の扉はいまだ、家人が蹴って穴をあけたままになっている。でも風呂場は、ドアがなければ入浴もできない。いやそもそも、何故物に当たるんだ? 自分の怒りをぶつける先がなかったからとりあえずパンチをしてみたとでも?
私の頭の中で、娘と息子と、穴の開いたドアと今回の風呂場の扉の穴とが、ぐるぐるぐるぐる廻った。

心がざわついてる。身体が、心裡のエネルギーを抱えきれていない。でもきっと明日になれば私は忘れてしまう。すべてが遠くなってしまう。遥か昔の出来事のようにしか感じられなくなるか、そもそも失ってしまうか。
だからせめて、もう少し味わっておこう、今夜は。


2022年05月10日(火) 
渦巻くような雲が空を覆っていた。東空にぱっくり割れ目があり、そこから光が漏れていた。今朝のこと。確か今朝のこと。でも、今それを思い出そうとすると、とてつもなく昔の光景のように感じられる。
息子に朝食を作り、洗濯をし、植木に水やりをして、あっという間に朝は過ぎたと思う。息子に何度も、あと何分で出る時間だよ!と言われた記憶がある。私がぼんやりしていたから。世界が遠くて、何もかもが遠くて。息子の声さえもが遥か彼方から降って来るかのように遠かった。
そういう時は必ず、降りるべき駅で降り損ねる。出口に向かってひとが流れてゆくのをぼおっと見送ってしまい、自分が降りることを忘れてしまう。そして扉が閉まってしばらくしてから我に返るのだ。
時間、間に合うかしらと時計を見ながら逆算する。たぶんぎりぎりだけれど予約した時刻には間に合うはず。階段を駆け上がり、逆方向に電車に乗り込む。
二十日ぶりに先生の施術を受ける。先生の指が痛みを浮かび上がらせる。そこまで痛いつもりはなかったのに、要所要所で思い切り「痛い!」と声を上げてしまう。でも先生の指は一度痛みの箇所を見出すと絶対逸れない。しつこくそこに留まって、痛みのしこりを解し終えるまでそれは続く。頭部もずいぶん浮腫んでいたようで、途中鉛の分厚い兜を被せられてるような鈍く重い痛みに襲われる。ああこれこの前もそうだったなと思い出す。きっと残っていたのだ、ずっと。あの時からずっと。
そんなこんなで、終わった時には私は汗だくになっていた。でも脚も腰も、頭も軽い。痛みが少ない状態がこんなに軽くて楽なものなのだと改めて思う。

やるべきことが幾つも溜まっている。書かなければならない原稿も、読みたくて買った本も、幾つも溜まっている。やらなくちゃ、と思うのにその一歩が出ない。集中力も途切れがちで、気が散って仕方がない。と、愚痴ばかりになってしまうこともまた、自己嫌悪を増幅させる。
帰り道、ホームに立ち、空を見上げる。薄水色の空がくっきりと広がっている。世界では白い光が乱反射して、眼を覆いたくなるほど眩しい。時々思う。確かに今私は世界の色をちゃんとカラーで認識できている。でも、本来の世界の姿は私にとっては色の洪水で、頭の芯がくらくらする。十数年モノクロの世界の住人だったからなのか、カラーのこの、あるべき世界の姿は、こちらが罪悪感を抱くほどに美しく眩しい。
ふと、昨日Yさんが描いていた太陽を思い出す。彼は一番最後にそれを描いた。他の箇所は色鉛筆の筆圧もうっすらなのに、その太陽だけはくっきりと強く、艶々と色塗られていた。いつかこんな人間に自分はなりたい、という願望というよりももはや強い意志がそこから感じられた。
今その太陽を思い出しながら空を見上げる。私の眼は太陽を捉えられないけれど、何だかあの、Yさんの描いた太陽がそこに、在る気がした。

夜、家族が寝てしまった後、自分の為だけに珈琲を淹れる。この間父が買って持たせてくれた珈琲を。いくらでも飲めてしまいそうなすっきりした後口のこの珈琲。もう、あと一回分しか残っていない。
飲みながら、一頁だけでもいい、本を読もう。好きな音楽をかけて、本を読もう。唯一ひとりを存分に楽しめる時間。
私の、贅沢。


2022年05月09日(月) 
見事な曇天。薄墨色の雲は何処までも垂れ込めており。いつ雨が降り出してもおかしくないなという様相。プランターの植物たちに水やりをしようかどうしようかしばし悩む。天気予報は午後から雨。明日の朝まで様子を見ようか。雨の降り方次第で、明日水やりをするようにしよう、今日はとりあえず様子見ということで。
水を遣り過ぎても、ろくなことはない。うどんこ病やら根腐れやら、要するに、どんなことも「適度に」為すのがコツなのだ。適量適度。やり過ぎるくらいなら、少し放任の方がまだいい。
それにしても。今年は雨が続く。沖縄はもう梅雨入りしたと誰かが言っていた。もうそんな季節なのかと唖然とする。

アートセラピー講師の日。いつ降り出してもいいように雨合羽をリュックに入れて自転車で走り出す。少し肌寒い風がひゅるひゅると吹いてゆく。肌寒いのだけれど、私自身はここ数日ホットフラッシュの発作が激しくて閉口している。
道中、公園や街角で紫陽花の茂みとすれ違う。その紫陽花たちが蕾をたくさんつけていることに気づく。私はピンク色の紫陽花が苦手だ。青や紫はこんなにも好きなのに、何故だろう。小さい頃からそうなのだ。ピンクの紫陽花を見つけるとつい後ずさってしまう。いや、そもそも、ピンク、という色が苦手なんだろう。女の子を象徴するような色として存在するピンク色が、正直何処か、怖い。我家にはそういえば、ピンク色の花は一輪も、ない。手元でピンク色を育てようと思えないからなんだろう。
今日は風景構成法を一年ぶりに為す予定。11の要素を順番に黒のサインペンで描いていってもらう。すべての要素を描き終えたら、色鉛筆で色を付ける。ただそれだけなのに、それをどこにどう配置するか、どんな遠近でもって描くのか等で、そのひとの今の状態が手に取るように分かってしまう。
要素を一個一個正確に描き出し並べるひともいれば、要素がどれがどこにあるのか説明をしてもらわないとこちらに分からないような描き方をするひともいる。そもそもこれは想像力を働かせて描くものなのだけれど、実際の風景を当てはめて描くひともいたりする。11の要素をただただ並べて、つなぎようのないような描き方をするひとも。そういった絵を前に、カウンセリングを丁寧に為してゆく必要がある。たとえばこの絵の季節はいつで、時間は何時頃で、その季節や時間はそのひとにとってどんな意味をもっているものなのか、等。色も重要だ。そのひとがたとえば花を何色に塗っていたか、樹の葉の色は何色なのか、それはどんな意味が込められているのか等。一個一個辿っていくと、そのひとの「今」のありようがつぶさに浮かび上がってくる。
ああ、このひとは今焦っているのだな。想像する余力もないくらい焦っているのだな、とか。ああこのひとは統合失調の症状が相変わらず強いな、とか。足元が不安定で障害が大きく立ちはだかっているのだな今の心境は、とか。話を伺えば伺う程、ありありと絵が、絵を描いたそのひとの心持ちが、こちらに迫って来る。中には、自分の矛盾を無理矢理力技で相手に納得させようと躍起になるひともいたりして、そういうひとの認知の歪みは本当に度合いが強い。こちらを巻き込まんばかりの勢いがある。
そうやって辿りながら、同時に説明をしているうちに、あっというまに時間オーバー。駆け足で何とか説明を終える。
施設の外を彩るビオラやネモフィラが曇天の下きれいに咲いている。もう種をつけている子もいたりして。私はメンバーに手を振って、また次回!と約束しながら自転車に跨る。辛うじてまだ雨は降り出していない。
走りながら、どうしてもひっかかったYさんの絵についてあれこれ思い巡らす。非常に矛盾した、同時に「彼にしか分かり得ない」構成の絵を描いたYさん。彼の説明をまず聞いていたのだが、その無理矢理さ加減に心の中驚く。彼の説明と絵がまず、一致していない。明らかに一致していないのだけれど、彼は朗々と堂々とそれを説明する。あたかもまるでそれが正しいかのように。つまり、彼の中でそれは「正しい」のだ。絵と、彼の説明と、そこから導き出されるのは彼の認知の歪み、だ。その歪みはかなり強烈で、下手すると周りを巻き込もうとする。周りを支配しコントロール下に置こうと躍起になっている。それが絵でありありと分かる。ああ、まだまだ彼は渦中の人なのだな、と。そのことを私は思う。言葉では彼は「僕はもう自覚しています」というようなことを繰り返し言っているが、いやいや彼は自分の歪みにちっとも気づいていない。或る意味怖い。後日スタッフのひとたちともいろいろ共有しておかないと、と思う。

夕方降り出した雨は冷たく。街往くひとたちみな、上着をぎゅっと着込んでいる。明日の天気はどうなんだろう。雨は止むのだろうか。止んで、ほしい。だって。
空の青に、私は会いたい。


2022年05月08日(日) 
挿し木で増やし育てているホワイトクリスマスの蕾がぽろんと綻んで来た。それにしてもどうしてこんなにも違うのだろう、同じ「薔薇」なのに、種類によって花の付き方も葉の色も何もかもが違う。私から見ると一本一本性格が違うとさえ感じられる。昔何処かで読んだ、植物は根で会話している、と。本当なんだろうか、あの時もっとちゃんと読んで調べておけばよかった。今更だけれど後悔している。
植物が根と根で会話している、と考えるだけでどきどきしてくる。種族を超えて世代を超えて、彼らは会話するのだろうか。どんなやりとりがそこにあるんだろう。もし私に植物の声を聴く耳があったなら。
名無しの権兵衛さんたちが集うプランターは今日も賑やか。誰が誰だかちっともまだ分からないままなのだけれども、彼らがちょっと変化するたび、どきっとする。君は誰れ、教えて。そう語りかけてしまう。もちろん彼らは沈黙したまま、応えてはくれないのだけれど。
花咲いたラベンダーを一輪一輪切り落としてゆく。ありがとうね、と声をかけながら。これ以上花をつけたままにしておくと株の負担になるから。プランターなんていう狭い場所で育てている私の都合。もし地べたで、しかも広い場所だったら、こんなことしなくても全然大丈夫なんだろうなぁと思うと、ちょっとうちの子たちに申し訳なくなる。我家に来たばっかりに。そんなことを考えては、いやいや凹むくらいなら感謝しよう、と思い直す。

昨夜は。記憶なく倒れ伏したらしい。家人が「俺もへたり込んだからあんまり覚えてないんだけど」と言いながら教えてくれた。確かに限界だった。体力的に限界だったのか精神的に限界だったのか、正直よく分からない。でも「もう無理、限界だ!」と一瞬頭を過ぎったことだけは、明確に覚えている。限界。そう、ぷつん、と何かの糸が音を立てて呆気なく切れたみたいだった。言葉通り、限界、だったんだろう。
家人はSE講習が昨日で今期最後。無事昨夜で春の講習は終了した。あとは今秋と来春、それぞれ講習会があるそうだけれども、これがオンラインなのかリアルなのかはまだ不明とのこと。どちらにしてもあと二回、無事終わるといいなぁと思う。

Sちゃんが、最近解離が酷いのだと言う。話を聞かせてもらうと、どうも記憶が途切れ途切れになる時が最近多く見受けられるようで。しかも、自分が意識を失っている最中に私物を捨ててしまっていたりするのだという。こんな解離は久しぶりだよ、とSちゃんが苦笑する。確かにそうだ。彼女が最近で一番大変だった数年前、Jの死の前後、彼女は解離が激しかった。でもそれを越えて、ようやく落ち着いてきたところ、だった。「家が見つからない、家がないというのがこれほど自分に打撃を与えるとは思わなかった」とぽろり彼女が言う。いや、家がないというのはこれ、とてつもない不安だと私は思う。このまま見つからなかったらどうしよう、と不安が増幅し続けてゆくに違いない。私にできることなんて、こうして話を聞かせてもらうことくらいで、それより他に何も、ない。
いったいいつになったら私たち、落ち着けるんだろうね、とふたりして苦笑い。本当に長い道程、だ。もう私たちが被害に遭ってから、二十年以上の年月が経つ。それでもまだ、こんなところでうろうろしている。私達は、どうしたら心穏やかな日々を迎えられるんだろう。
何となく思いついて映画「死刑にいたる病」を観る。本当は「二トラム」を観る予定だったのに。ふらふらと死刑の方に行ってしまった。
阿部サダヲ演じる殺人鬼の、あの、何処までも誰かをコントロール下に置こうとする狂気。見覚えがあって、ぞっとした。MTやSTも、それに似たものがあった。何処までも私をコントロール下に置いて操作しようとした。心を弄られる恐怖が、ぞわぞわと蘇って、吐き気がした。でもこんな恐怖は、経験した者でなければ分からないのかもしれない。映画館で隣り合わせたひとびとの横顔を盗み見ながら、このひとたちは怖くないのだろうか、と、少し途方に暮れた。他人に心を弄られる、一方的にコントロール下に置かれることがどれほどの恐怖か、そしてひとは麻痺してゆくのだというそのことがなおさらに恐怖なのだ、と、ひとり、しんしんと、思った。
私もSちゃんも、加害者から、それに似たものを受けた。支配。コントロール。操作。そして私たちの感覚の麻痺。そこから回復するのに、どれほど長い時間がかかるのかを私たちは痛感している。まだ回復の途上である私たちは。


2022年05月06日(金) 
通院日。身体痛が酷いせいなのか、身体がいつも以上に怠い。その身体を引きずるように起こして病院へ向かう。
カウンセリングをいつも通り受けたことは覚えている。でも、その内容を一切合切忘れてしまった。思い出せない。何となく、匂いというか気配は思い出せるのだが、それ以上まったくもって思い出せない。
またやってしまった。その思いが強くせり上がって来る。でももうどうしようもない。消えたものは容易には戻らない。でも、カウンセリングで記憶を失っても、カウンセラーが様子をメモし続けてくれているから、次回カウンセラーに訊いて教えてもらうことはできる。それだけでもありがたい。次回カウンセラーに会ったら開口一番、今日何を私は話していたのか、教えてほしい、と頼もう。何か大事なキーワードがあったような、そんな気がするのだ。思い出せないけれども。
診察は、急患が入ったせいでずいぶん待った。草臥れたなあと思う頃、ようやく名前が呼ばれる。ぐったりしながら椅子に座る。先生はいつもと変わらないご様子。この、いつもと変わらないという状態を保つのに、先生は一体どれほどの努力をしてらっしゃるのだろう。いつもと変わらない様子は、私のように不安定な患者には、とてもありがたいのだ。こちらがどんな状態であろうと先生がびくともしないでそこにいてくれるということ。いつものようにそこにいて、ちゃんと私と向き合ってくれるということ。ありがたい以外の何者でもない。
あなたはほんとに、リトマス試験紙みたいに次々誰かの気を吸ってしまうのよねえ、と先生が笑う。吸ったら吸った分だけ吐き出さないと。でないと膿んでしまうからねえ。先生の言葉に私はうんうんと頷く。
頭では分かっているのだが。それでも勝手に吸い込んでしまう。反応してしまう。そういう自分に私自身が何より疲れてしまう。先生の言う通り、吐き出す必要があるのに、私は吐き出すのが下手だったりする。どうにかしたいと思うのだが、思うばかりで行動が伴ってこない。そもそも、ネガティブな気を吸い込んだ、そのどよんとした澱みを誰かに吐き出すというのがうまくできない。そんなことされたら、そのひとにも澱みが伝染してしまいそうで、それが申し訳ないし嫌だし、そう思うと躊躇ってしまう。そうしているうちに、吐き出すことを忘れてしまう。
でも。先生にそんな、自分のリトマス試験紙具合をちゃんと理解し気づいてもらっているということに私は救われる。誰かがそのことをちゃんと知ってくれているというだけで、私はまたここから頑張れる気がする。大丈夫になれる気がする。
そう、誰かが気づいてくれている、知ってくれているというそのことに、どれほど励まされ、安心感を得ることか。ああ、大丈夫だ、私はまだ頑張れる、と、その度にそう思う。先生だったり、数少ない心の友たちだったり。そして思う、私が生き延びて来られたのは、ここまで生き延びて来られたのはひとえに、そういうひとたちの存在のお陰だ、と。彼らがいてくれなかったら、私はここまで生き延びてはこなかったに違いないから。

それにしても。ちょっと疲れ過ぎていたらしい。息子を寝かしつけた後立ち上がろうとしたら身体がふらりと倒れかけた。ワンコが私の足元で私を支えてくれたので転ばずに済んだけれど。ワンコ、ありがとう。君にまた助けられた。

観たい映画、読みたい本がどんどん溜まってゆく。溜まるばかりで追いついていかない。どうして一日24時間なのだろう。一週間に一日だけでもいいから一日60時間くらい欲しい。神様、おねがい。


2022年05月05日(木) 
薄い雲がかかった東空、うっすら朝焼け。SEの講習でこの連休ずっと詰めている家人が私より先にベランダに出てぼんやり空を眺めている。邪魔しないように、今日は写真を撮るのを控えることにする。コーヒーメーカーをセットし、息子の朝食を用意する。それと並行して洗濯機を廻す。朝は何かと忙しない。
昨夕公園で手折った紫陽花の枝を挿し木にしてみようかと準備する。大きな葉は半分に切り落とし、茎を斜め切り。種を蒔いたのに一向に芽吹かなかった寂し気なプランターに差し込んでみる。無事根付くといいのだけれど。
息子がさっきから「いつ行くの?」と繰り返し訊いてくる。今日は娘と孫娘のところへ出掛ける予定で、彼はそれが気になって仕方がないらしい。娘にも何時に来てもいいよと言われてはいるけれど、さすがにまだ早すぎるでしょう?と息子に言うと、納得がいかない表情でご飯粒をぱくり、口に頬張る。

息子を自転車の後ろに乗せて実家に行くのが最後なら、娘のところへ行くのもたぶん、最後になるんだろう。まだはっきりは決めていないけれど、でもきっとそうなるに違いない。娘にも事前に伝えておいた。もう息子の体重が限界だから、自転車で気軽に出かけられるのはこれが最後になると思うよ、と。
交番の前を走り過ぎる時、注意されたらどうしよう、と一瞬心が怯むも、「おはようございます!」とふたりしておまわりさんに声を掛けてしまう。習慣というのは恐ろしい。走り過ぎてから「おまわりさん、怒ってたかな、大丈夫だったかな」なんて息子と苦笑いした。
電動自転車がなかったら。私はどうやって娘のところに通っていたんだろう。こんなふうに気軽には、行動できていなかったに違いない。自転車で片道30分弱。大通りをひたすら一直線に走るのだけれど、何せ車通りが多く、ひやっとする場面もあったりする。そんな道筋を、息子と歌を歌ったり大声であれこれおしゃべりして毎回走った。今日は最近彼が見返しているアニメ「弱虫ペダル」の話になり、登場人物の誰が好きか、とか、あの場面の誰それの台詞はどうだった、とか、息子が夢中になって話し、私がふんふんと言いながら聞く、という感じで。朝のうち空にうっすらかかっていた雲はいつのまにか散り散りに消え去り、すこんと抜けるような青空の下、私はせっせとペダルを漕いだ。本当に、電動自転車サマサマである。
今日は前からたこ焼きパーティーをすると決めていた。娘宅に着くも娘はまだ寝ていて孫娘がえいしょっと鍵を開けてくれる。「ばあば、私、まだ眠いの」と言いながら自分で着替え、息子と遊び始める孫娘の髪の毛を結ってやる。昔娘の髪の毛もこうして結ったよなぁと思い出しながら、今日は孫娘からの注文でポニーテールに結わく。
娘が起きるまで間がありそうなので息子の提案で買ってきたかぼちゃ一個を半分に切り、そそくさと煮物を作る。計量スプーンを探したのだが見つからず、えいやっと適当な分量で作ってしまう。我ながらいい加減だなあと苦笑する。
やがて起きて来た娘と、何故か台所で、彼女の反抗期の時の話になる。あの時は恨んだよ、とか、あの時はなんでだよと思った、とか、彼女がつらつら話すのに私はひたすら相槌をうち、そうかそうかと聞く。あまりに私がうんうんと頷いてばかりだったせいなのか、娘が「あの時はママどう思ってたのよ、言ってよ!」と問い詰められる。正直解離しまくってたから、自分事としての感情が分からないままなのよ、全てが遠い手の届かないところの出来事で、ずっと自分が除け者みたいに思えてた、数年後あなたが落ち着くまでいつも、心臓ばくばくしてて、呼吸も浅くなっちゃってひぃひぃしてて、なのに記憶の映像は全部俯瞰図なのよねえ、とできるだけ正直にそのまま伝える。生活安全課のKさんにもずいぶん世話になったなぁ、と私が名前を出すと、娘がけたけた笑い出す。他にも何人かの名前が出、ふたりしてくすくす。笑ってはいるけれど、心の中で私はそのひとたちに、ありがとうを繰り返していた。
他にもいろいろ話した。たこ焼きを焼きながらもあれこれ話した。孫娘と息子は途中から録画されていたアニメに興じ、その間なおも私たちは会話のキャッチボールを続けた。たこ焼きは、あっという間になくなった。全員で一体何個食べたのだろう。そもそも何個作ったのだろう。もはや覚えていない。とにかくよく食べた。
娘が、あの時期を生き延びてくれたこと、今も奇跡かと思う。生き延びてくれてありがとうしか、だから、ない。それ以外の言葉が思い浮かばない。それはたぶん、私が死ぬその時までずっと、そうだと思う。あの時期を生き延びてくれたから今ここがあることを、私はとてもよく知っている。そのことについてだけはたぶん、私は痛いくらい知ってる。

娘よ。生き延びてくれて本当にありがとう。今日声に出しては言わなかったけれど、いつもそう思っている。


2022年05月04日(水) 
「Nさんとの縁、切ろうかと思って」。彼女は簡単にその言葉を口にした。私は正直、吃驚した。ひととの縁というものはそんなに簡単に切れるものなのか、と。同時に、私は自分が引いていくのを感じた。まるで波が引くかのように、ざざざざざっと、その場から自分が引いてゆくのを。ああ、解離だな、と頭の何処かで思った。止めようがなかった。
理由を尋ねた。せめてそこで納得できれば、私はこんなふうに解離せずに済みそうな気がした。でも彼女が語ってくれた理由はあまりに安易で。私はさらに自分と彼女との間の隔たりが深みを増すのを感じた。
丁寧に丁寧に、これでもかというほど言葉を選んで、私は彼女に私の思いを伝えた。縁を切るのは簡単だ。でもそれでいいのか? 自分の味方か敵かだけなのか、ひととの関係というのはそんな、白か黒かだけのものなのか? ついこの間あなたはNに助けられたのではなかったのか? それなのに、ちょっと気に喰わないことがあったからとそんな簡単に縁を切るって本当にそれでいいのだろうか? 私の裡で渦巻くそういった思いを、ゆっくりゆっくり、一語一語声にした。
何処まで伝わったのか、私には分からない。そもそも私は彼女を説得しようと思って声にしたわけはなかった。だって彼女は私ではない。彼女の選択は彼女のものであって、私がどうこう言えるものではない。
だからこそ、伝えるだけは伝えた。伝えながら、私の眼は天井に貼りついていくのを感じていた。私の眼は私の身体を離れ、天井に貼りつき、私と彼女とを見下ろしていた。私の記憶はだから、俯瞰図だ。
縁を切るのはいつでもできるから。よく考えてみたらどうかな、と、最後に私はそう言った。それだけ言って、私は沈黙し、しばらくして席を立った。

私の中で完全に、別事に感じられる数十分のこの時間。でも、記憶は残っていて、俯瞰図の記憶図が残っていて、私は、じっとそこにいる私と彼女とを、見下ろしているのだった。私は私であって、同時に私ではない。私ではない、遠い遠い他人。でもどうやってもそれは私でもあって。
解離に慣れている私だけれども。こういう場面はやはり、しんどい。こういう時こそ解離性健忘が作動すればいいのになぁなんて思ってしまったりする。もちろんそんなことになったってたぶん、私はこの「感触」だけは覚えていて、きっと重たい気持ちを味わうに違いないのだけれども。

私は。被害に遭った後、ことごとく周りから縁を切られた。当然だ。当然だと言いたくなるくらい私の状態は酷かった。リストカットにオーバードーズ、パニックやフラッシュバックでのたうち回るばかりの私を、誰が好んでそばに置こうと思うだろう。みな恐れ戦いて、去って行った。
ああ、こんなもんなんだな、と私は当時思ったのを覚えている。人間なんてこんなもんさ、と。かなしいを通り越して、もはや、虚しかった。空、だった。
なのに。
そんな私を、適度な距離を保って、ふたりの友人がじっと見守ってくれていた。いやきっと彼らもいずれ私との縁を容易に切って去っていくに違いない!!そう思いたかったし、そう思っていた。でも。
彼らは去らなかった。
人間なんてこんなもん。されど。
私にそう思わせてくれたのはだから、彼ら、だ。

ひととの縁を、容易に切り落とせる彼女を、私はきっと理解なんてできないし、理解したいとも今は思えない。だからって彼女との縁を私は切ろうとも思っていない。そういう彼女と私との間に深い隔たりを覚えるけれども、それはそれ。彼女が私にSOSを出して来たら私はやっぱり応じるに違いない。自転車を飛ばして駆けつけるに違いない。
ひととの縁というのは、そんな、一瞬で切ったり貼ったりできるものじゃぁないと、私は思っている。むしろ、育むもの、と、私にとって縁は、そういう代物だ。
だから、そもそも、私と彼女とでは「縁」に対する意味合いが違うのだろうな、と思う。私は。私の「縁」の意味を、大事にする、それに尽きる。縁は、切られることよりも、私自身が切ってしまうことの方が、私には恐ろしい。

私とあなたとの縁を。
あなたと私との縁を。
今日も、この手に握られた糸を、私は紡ぐ。


2022年05月03日(火) 
夜明け前。東の空では雲が散り散りにちぎれ飛んで、ゆったりとなびく風に漂っていた。刻一刻と変化し続ける雲の様を辿りながら、私はどきどきしていた。どのタイミングでシャッターを切ろうかと、ひたすら空を見つめながら考えていた。何度でもシャッターを切ればいいじゃないか、と言われるかもしれない。確かにそうなんだ。でも、何だろう、それじゃ違う気がするのだ。だから私は、ひたすら空を見つめている。シャッターを切りたいと思える瞬間を見つめている。
建物の後方から昇って来た太陽の、一番最初にさあっとこちらに伸びて来る陽光の手。あ、いまだ、と思った。思うと同時に私は、シャッターを切る。

母の庭に一歩踏みこんだ瞬間、息子が私の脇から飛び出してきた。驚いて立ち止まると、息子のその手には、カマキリの赤ちゃんがいた。よくもまぁこんな細くて小さな子に気づいたものだと感心する。息子は掌の上に乗せたカマキリの子を、実に愛おしそうに見つめている。これは絶対持って帰ろうと思っているなと気づき、慌てて言う。そんな小さな子持って帰っても世話できないよ。息子が言う。でもさ、でもさ。私は知らぬふりで彼の隣から離れる。
母の庭は相変わらず花盛りだ。紫の、この花は何という花なんだろう。縦長の色鮮やかな花。檸檬の花もちょうど今咲き出したようで。細長い白い花が幾つか、それからジャスミンや盛りを終えたのだろうビオラ、クリサンセマム、コンボルブルス…もうこれでもかというほどいろんな花が咲いている。でも、どれもこれも強く主張する花では、ない。
そして庭の中央には鳥の餌台が拵えてある。私達がいる間にも、メジロや雀、ヒヨドリたちがやってきてここで休んでいた。
母が、イギリスのごくごくふつうのお宅の庭のような、そんな庭が私は好きなの、と昔言っていた。私はイギリスに行ったことがないからそれがどんな庭だか知らない。でも、母の庭を通して、きっとこんな感じなのだろうなと想像する。整えられた庭ではなく、誰もが好き好きに、適当な場所で咲いている。だから決して窮屈じゃない。
父が好きだろうと思いコンビニでかりんとう饅頭を買っておいたので手渡す。父と母と、テーブルを囲んで、というのは一体どのくらいぶりだろう。もはや覚えていないくらい久しぶりな気がする。
父も母も、相変わらずと言えば相変わらずなのだけれど。でも。こうなるまでに本当に長い時間が要った。過干渉とネグレクトを繰り返す彼らに、私はいつも翻弄されてきた。もはや自分を生きることができないのではないかというところまで追い詰められた。だからこそ家を飛び出したのだし、また、その後私が被害に遭った後には絶縁した時期もあった。それが何故今まだ繋がっているかといえば。
理解し合えない、ということを、お互いに知ったから、だと私は思っている。
理解し合えない。もはや私たちは理解し合えない。それは聞き方によっちゃあ絶望なのかもしれない。しかしそうではない。理解し合えないということに「気づく」ことによって、私たちは互いの間に距離を持つことができるようになったのだから。
この距離が、とても大事なのだと。今は本当にそう思う。それでも時々父母が踏み込んでくることがある、そういう時は私が一歩退く。退いた私に気づいた父母が、立ち止まる。私もまた、立ち止まり、距離が保てているかを確かめる。そのお陰で私たちは、もう互いを必要以上に傷つけ合うことがだいぶなくなってきた。
父の淹れてくれた珈琲を飲みながら、とりとめもない話を繰り返す。こんなとりとめもないお喋りを、父母と為す日が来るなんて。昔の私は思ってもみなかったに違いない。昔の私よ、見えているかい? 今の私たち。ありがたいことだよね、本当に。あのまま終わってしまっていたら私がこの家に来るなどということはあり得なかった。
南向きの部屋には、燦々と光が降り注ぐ。

帰宅し、友達の家へ出掛けてゆく息子を見送った後、私はベランダに出る。これまで咲いていた濃紫のビオラと別の鉢の子が一輪咲いているのに気づく。母の手が伸びて来たかのような錯覚を覚える。風が心地よい午後だ。
でもさすがに片道一時間自転車を漕ぎ続けるのは疲れた。息子を乗せてこの道程を走るのはこれが最後だろう。父母に、無事帰宅したよと一報を入れる。そして一言、「本当はお父さん、ちょこまか動き回る息子に苛々してたでしょ。我慢してくれてたんだよね、ありがとね」と私が言うと、父が一瞬の沈黙の後苦笑しているのが伝わって来た。
この距離で、いい。
この距離が、いい。


2022年05月02日(月) 
名無しの権兵衛のプランターの中、わっさわっさと芽が出てきているのだが、誰が誰だかやっぱり分からない。似てるなぁと思っても、次に出て来る葉の形が違っていたり、違ってると思うと今度は似ていたり。だからもう、分からない、というところで括ることにした。誰が誰だか分からないけれども私にとっては誰もが等しく大事で、それでいいじゃない、と。そういうことにした。
ミモザはこそこそと、新しい葉を拡げてきている。知ってるよ気づいてるよ、と思うのだが、どうもこの子らは気づかれるのが好きじゃなさそうというか、知ってるよ気づいてるよに続く言葉を欲していないというか。ラベンダーなどは「をを、お花きれいだね、ありがとうね」と言われるのを好んでいる気がするのだけれど、ミモザは一転、そうじゃない気配を強く感じる。不思議だ。だから、できるだけそれ以上は思わず、そこで止めて、眺めてる。
植物ごときに何を言ってるんだおまえは、と言われるかもしれないが。命あるものの醸し出す気配というのは、ほんとうにひとりひとり異なるもので。その子が望む耳の澄まし方をしないと、枯れてしまったりする。構えばいい、というのとも違う。構い過ぎて枯れてしまう子だってたくさんいるから。適度に適度に、その子に合わせた呼吸の仕方があるのだ、と、そう思いながら見つめている。
それは何も、植物に限ったことではなくて。ひとに対しても、同じようなことが言える気がしている。適度な距離感というか、そのひとそのひと、まったくその距離が違っていたりするものだから。
何事も、適度、というのがあるのだな、と。だから、思うのだ。し過ぎもしなさ過ぎも、よろしくない。適度、が、いい。

久しぶりに早朝、東空が燃えるのに出会った。このところずっと曇天続きで、染まる空の様なんて見ることができていなかったから、何だか久しぶりに恋人に会ったような、そんな気持ちにさせられた。
私はやはり、朝の空が一番、好きなのだな、と思う。はじまりの空、が。

中森明菜さんのライブの様子をテレビで見かけて以来、手持ちの明菜ちゃんの歌をひたすらリピートして聴いている。十代の多感な時期、彼女の歌が傍らにあった。いくつもの記憶に、その都度その都度、彼女の歌が寄り添ってくれている。従兄弟のあにぃにとってそれがかぐや姫だったり雅夢だったりするように、私にとっては中島みゆきやオフコース、中森明菜だったりしたのだろうな、と。歌を聴き返しながら、ぼんやり記憶の海を漂ってしまう。思い出せることはほとんど今もうないのだけれど、でも、みっちり詰まってたな、というそういう感触は覚えているから。だから、それでいいんだと思う。
いや、本当はよくないかもしれない。思い出せたら思い出せたで、それに越したことはないのかもしれない。でも、思い出せないのだからもう、どうしようもない。そのことをあれこれ言っても何もはじまらないし変わらない。だから、もう、諦めの境地というか、そんなところ。私が今思い出せるのは気配だったり色合いだったり感触だったり。そういったものだけ、と言っても過言では、ない。でもだからこそ、大事な芯は、それだけは、ちゃんと残ってくれている、と信じたい。
その僅かな、気配や感触や色合いや音たちを、私は時折取り出しては愛で、憩う。それが、私なのだと思う。

私―――。そう、私は結局、私以外の何者にもなれないんだよな、と、そのことをつくづく思う。不器用というか何というか、そもそも私が私以外になろうとしていないというか、うまく言葉が見つからないのだけれど、でも、そういうことなんだな、と。
これもまた、或る種、諦めの境地というのかもしれないけれども。でも、それは決してネガティブな方向じゃなく。淡々とした、もっとこう、そう、淡々として穏やかな境地。それでいい、とも思う。だって、それが、私なのだから。


2022年05月01日(日) 
何か、夢を見たのを覚えている。いや、夢の内容は全く思い出せないのだけれど、夢を見た、ということをくっきりと覚えている。乾いた空気の、さらさらと流れてゆくような感触の夢だった。

「母ちゃん雨降るのに水やりするの?」。息子に言われながら、私はせっせと水やりする。「だって奥にあるプランターには雨はほとんどかからないからさ。お水、やらないと」。息子が不思議そうな顔をしたまま手伝いに来る。彼の担当は朝顔。朝顔はもう、これでもかというほどプランターの中混雑している。でも彼は、絶対一本も抜かないんだ、と頑張っている。私は喉から手が出そうなほど間引きしたい欲に溢れているのだけれど、ここは我慢、と自分を制している。朝顔は、彼に任せたのだ。だから私は口出しをしないのだ。懸命に自分を制している。
薔薇の蕾が大きく大きく膨らんできた。挿し木して増やした子らの蕾。でもまだ樹が細いから、こんなに蕾が大きくなると樹の負担が増え過ぎて心配。もうすでに枝が撓ってしまっている。ほんのちょっとでも綻んでくれば、切り花にするのだけれど。そう思いながらじっと待っている。東側のベランダに移動したクリサンセマムとブルーデイジーは変わらず元気。こちらのビオラはまだ蕾が付く様子さえないのだけれど、もさもさと茂ってきている。種を蒔いたのが12月だったか11月だったかだから、花も遅いのは当然か。信じて待つ。

久しぶりに娘と孫娘と合流。息子と孫娘が大道芸に興じている最中、娘に「ねぇ、ちょっと、私が髪の毛切ったの、気づかないの? 色も変えたんだよ!」と怒られる。そういうところが私は鈍い。いつもそうだ。頭ちっちゃくなったね、と言ったら「頭は小さくならない! 髪の毛梳いたの!」とさらに怒られる。はい、ゴメンナサイ。
四人で外食するも、孫娘と息子のあまりののんびりした食べっぷりに、私も娘も苛々しっ放し。ついでに息子の行儀が悪すぎて娘のこめかみがぴりぴりしているのが私にも手に取るように伝わって来る。私がいくら注意しても息子は何処吹く風で、ちっとも気にしてない。娘一言「こんな行儀悪かったら私はもう食べさせないよ」と言い放つ。息子、聞き流してもぐもぐしている。私、はらはらして、もう何も考えたくなくなっている。一事が万事そんな具合。孫娘はチャーハンを口に入れたままぽけーっとしている。娘が歯軋りしているのがこれもまた手に取るように伝わってくるので、私が手で「もぐもぐ、もぐもぐ」と彼女の目の前で示す。思い出したように噛み噛みするのだけれど、すぐまたぽけーっとなる。このふたりののんびりさは、誰に似たのだろう、と私は心の片隅でぼんやり思う。
雨はいつの間にか降り出しており。すれ違うひとたちが濡れた傘をぶらさげている。映画館はひとで溢れ返っており、トイレに行くにも飲み物を買うにも行列。ああ、休日なのだなぁと今更だが実感する。不思議な気がする。ここまでの人混みの中に出てくるのは一体どのくらいぶりだろう。私はちょっともう、頭がぽーっとしている。こういう時は何も考えないのが一番だ。
映画を観ながら、ぼんやり顧みる。私の父母は「こんな下品なアニメーション絶対だめ!」とした代物を今、私たちは見ている。娘も息子も孫娘も、目を輝かせ、笑ったり泣いたりしている。父母はこの様子を見てもきっと、こんな下品な、と言うに違いない。父母はそういう人だった。自分たちの基準を絶対に譲らないひとたちだった。それは80を越えた今でも変わらない。それがもはや、私の父と母。

強まって来た雨の中自転車に乗る。大きな自転車用雨合羽を着込んで、後ろに息子を乗せて走る。息子は私の雨合羽の裾を広げそこに入り込んでいる。「前見えないねー!」なんて楽しそうに言いながら。私は私で「大丈夫? 濡れてない?」と何度も訊き返しながら雨の中走る。合羽から出ている顔にぱしぱし雨粒が当たる。でも、冷たすぎもせず、かといって温いわけでもなく。ちょうどよい具合の雨の感触。
ふと思い出す。パリでしばらく過ごした時、パリの女性たちは雨でも傘をささず、でも上等の毛皮コートを颯爽と着て歩いていた。かっこいいなあ、と、傘をさしながら、私は彼女らの歩き去る姿を見送ったものだった。雨が降ると頭の片隅で思い出す、あの、颯爽と街中を闊歩する女性たちの後ろ姿。

何だか今日は、思い出すことが多すぎる。ちょっと胸のあたりが飽和状態になっている。家族も寝静まった今、私は自分の為だけに濃いめの珈琲を淹れてみる。さあ、ほんの少しでもいい、自分の為だけの時間を過ごそう。

夜闇が、深い。


浅岡忍 HOMEMAIL

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