ささやかな日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2022年04月30日(土) 
陽射しは暖かいけれど北風がぴゅるぴゅると吹いて肌寒い。半袖のシャツを着ていた私はベランダに出てぶるり。水やりを始める前に一枚上着を着込む。
先日切り込んだアメリカンブルーは今のところ静かに佇んでいる。このまま病葉が現れず育ってくれるといいのだけれど。それから名無しの権兵衛の芽が次々顔を出しているプランター、覗くたび誰か新しい子が現れている。確か葡萄と檸檬とあと何かしらの種を次々埋めたのだけれど。どれがどれなのか分からないし、そもそも最後のあと何かしらという何かしらが誰だったか覚えていない。育って実か花かついてくれるまで、私はきっとこの子らを名無しの権兵衛さんと呼ぶほかにないんだろうと思う。ブルーデイジーが次々蕾をつけている。朝顔は息子に任せきりなのだけれど、すくすく育っている様子。見ると間引きしたくなるのでできるだけ見ないようにしている。
昨日できなかった洗濯、今日はということで三回廻す。物干し竿が撓むほど干した。風が吹いているからあっという間に乾くに違いない。そうであることを祈る。

身体痛が相変わらず続いている。テニスボールのケアが欠かせない。ストレッチももちろんしているのだけれど、特に両脚の付根あたりの痛みが酷い。次の診察は10日後。ちょっと間がある。それまで自分で何とか保たなければ。

加害者が自分の歪みに自ら気づき、また、自らの言葉でそれらを語るということ。今まだ社会には、そういったことを許す場がほとんどない、というのが現状だ。もし語る誰かがいたとしても、それをまず否定したり非難したり。反応としては当然と言えば当然なのかもしれないが、私はできるなら、いつか、いつの日か、そういう場が当たり前に用意されるようになるといい、と思っている。
借り物の言葉でいくら反省や謝罪を述べたとしても、それではその加害者は真の意味での反省も謝罪も更生も、辿れはしないと思う。何処までも「借り物」であって、それは当人の内奥にまで降りていっていないことがほとんどだったりするから、だ。
自ら気づくこと。そして自らの言葉で語ること。
これができてはじめて、自分が何を犯したのか、彼らはようやっと、納得できたりする。だからこの過程を経ることは、彼らの更生には、欠かせない。そのことを、プログラムを通じて私は知った。だから、思うのだ。彼らが自らの言葉で自らの歪みや罪を語る場をいつの日かこの社会に、と。今はまだ無理でも、近い将来、できるなら。

家人と息子が喧嘩して、とうとう別々の部屋に寝ると互いに譲らない夜。私はそんな彼らをちょっと離れたところから見つめている。息子小学四年生、反抗期先取りなのか何なのか、このところの彼の様子は確かに半端じゃない。年頃になる前に反抗期ばりばりだった頃の姉貴に並ぶんじゃなかろうか、と思う今日この頃だったりする。
でもだからって、家人までもが彼とタイマン張る必要は、ないと思うのだが。どうなんだろう、そこのところ。
ふたりとも頑固だから、絶対譲ろうとしない。息子も息子なら家人も家人。要するに私から見てると、どっちもどっち、にしか見えない。

春は別れの季節。新しい出会いの季節、とも言うけれど、でもやっぱり。別れの季節だと私は思う。たとえば、AKちゃんが北の施設に入所すると引っ越して行った。今日飛行機に乗って。また、西の町に住むHちゃんは、外国に転勤が決まってしまった。近いうち彼女も飛行機に乗って行ってしまう。数年前から心調を崩していたMちゃんは、とうとうこちらを引き払って西の町の実家に帰ることになった。他にも何人か、ちらほら、と。
またいつか会える、と思えば会えるのかもしれない。でも、会えないこともあり得る。そう思うと、やっぱり、今ここの一瞬一瞬を、全力全身で生きるほかに何もできることはないのだな、と、そのことを思う。
今ここ、を全力で生きる。そんな一瞬一瞬を積み重ねる。死が迎えに来る日まで。
私ができることって結局、それに尽きる。


2022年04月29日(金) 
今日はじきに雨になるという。ベランダの植物たちに水を遣ろうかどうしようか迷い、結局明日にしようと決める。東の空を見やればぱくっと雲の割れ目、そこから漏れ出づる微かな朝の光。このところ朝の光を浴びていないから何だかとても愛おしい。

めいめいビニール傘を持って歩く。息子は傘をばんばん足で蹴り上げながら、それが面白いという顔をして歩いている。ねぇ傘が可哀想だと思わないの?と言うと、あ、可哀想だね、うんうん、なんて言うのだけれど、すぐまた蹴りが始まる。周りの人に迷惑だからやめなさい、と言っても、すぐまた再開。延々そんなやりとりをしながら歩く。いつ雨が降り出してもおかしくないような鼠色の重たげな空模様。ツツジが今が盛りと言わんばかりに咲き乱れている。子どもの頃、ツツジの花をこっそり摘んでは、その花の根元の蜜をちゅっと吸っていた。別にそんなに美味しいわけでもなかったと思うのだけれど、でも、特別な何かをもらっている気がして、だからいつもこっそりやった。懐かしい。今の子どもはそうした「特別」はあるんだろうか、ふと思う。
昨日の離人感はだいぶ薄らいで、息子の隣で映画を観るのもそんな苦ではない。たぶん、座席が一個置きだったおかげもある。コロナのおかげで映画館は大変だろうなあなんて思いながら、でも、この一個置きの座席が私みたいな人間には助かるのだよな、とつくづく思う。ひとがびっしり座っているところで映画を観るのは、まだ私にはできない。

降り出した雨の中歩いていると、息子の手が伸びて来た。いつの間にか私の片手を握り、ぶんぶん振りながら歩いている。彼の口から出るのはさっきの映画の感想。彼は要所要所の台詞をすでに覚えており、すらすら言ってのける。私はそんな彼の声をぼんやり聴きながら、雨筋を眺めている。
こんなふうに、雨の中手を繋いで歩くこと。どうってことのない日常の一コマが、いつか愛おしい情景に変わるんだ。いつだってそうだ、日常の、どうということもない一コマ一コマこそが、慈しむべきものだったと、そう、後になって気づく。たとえばこの小さな手は、あっという間に大きくなり、私の手を離れてゆくに違いない。こうして手を握り合えるのもあと僅かに違いない。あと数年すれば彼のこの高い声は声変わりし、反抗期も始まるんだろう。そうしたら手を握るどころの話じゃなくなるに違いない。今を生きるのでめいいっぱいな彼の横顔は今、うきうきと弾んでいる。こんなふうに横顔を眺められるのも、今だからかもしれない。
娘がこのくらいの頃、私はどうしていたんだろう。もはや思い出せない。ただ、いつも、伸ばしたさらさらの髪の毛を揺らして私の隣でぴょんぴょんしていたな、という、そういう印象が残っている。彼女の髪の毛はいつもさらさらで、つやつやで、触るのももったいない気がするくらいだった。彼女のくっきりした目元も、小さなおちょぼ口も、そのさらさらつやつやな髪も。私の自慢だった。そんなこと、口に出したことはないけれど。
今、隣には息子がいて、寝癖で見事に跳ねた髪の毛と、家人にそっくりな目元と、小さな顔。体つきも細っこい家人にそっくりで。よく似たものだと思う。いずれ私の背を抜くのだろうか。今こんな小さな体つきの彼も、私を見下ろすんだろうか。不思議な感じがする。でも、まぁそんなものだろう。

現実感消失の度合いが薄れ、世界がくっきりしてくると、いつも思うのは、なんて色に溢れているのだろうということ。眩しくて、私にはちょっと眩すぎて、いつも気後れする。ここは私のいていい場所じゃないと思えてしまう。
たとえば咲き乱れるツツジの色の鮮やかさ。たとえばすれ違うひとのオレンジ色のコートの鮮やかさ。振り返ればたとえばあの、観覧車を彩る灯の鮮やかさ。こんな鮮色に満ち満ちた世界は、もう目を閉じたくなるくらいで、お尻がもぞもぞしてきてしまう。
でも。これがきっと、世界なんだ。
被害に遭い、世界がモノクロになって十数年そのモノクロの中に居た私では、どうしてもそれらが「特別」な、私とは縁遠いものに思えてしまうけれど。きっと隣を跳ねながら歩く息子には、これが当たり前の日常に違いない。
世界はひとつ。でも、ひとの数だけ世界の見え方は違って在って。だからこうしてぶつかりあいもするしすれ違いもするんだろう。見える世界の違いの数だけ。

ふと雨筋に手を伸ばす。それに気づいた息子がすぐ真似をする。にっと笑いながら、ふたりして雨に手を伸ばす。音が聞こえるわけでもないのに掌を濡らす雨音が伝わって来る。
今日は、そんな日。


2022年04月28日(木) 
昨夜私は眠れたのだろうか。横になったのだろうか。今思い出せなくて戸惑っている。家人の弁当を作る必要があったことは覚えている。夜遅く一本の電話があったことも覚えている。でも、自分がその前後どうしていたのかが思い出せない。
正直昨日は精神的な負荷が大きかった。現実感消失気味だったことも自覚がある。離人感が強くあった。仕方がないと言えばそうなのだろうけれども、ほとほとこういう自分の心の仕組みに、呆れる。

生温い風が吹く。曇天から始まる朝。朝焼けを数日見ていない。少し寂しい。シャッターを切ってみるけれど、朝日を浴びることができないことがとても寂しい。
先日の強風で荒れに荒れたベランダのプランター、クリサンセマムは無事と思っていたが、枝葉が絡まり合ってしまいぐったりしてきた。薔薇のプランターの中で育っていた子。しばらく腕を組んで考え込む。思い切って引き抜くことに決める。薔薇の樹の具合がどうも弱ってると感じられるようになってきたことがその理由。クリサンセマムはベランダのプランターのあちこちに種が飛んで育っている。花が終わればきっとまた種があちこちに飛び、新しく芽吹いてくれるはず。
ごめんね、ありがとうね、と声をかけ、引き抜く。隣同士で絡まり合ってしまった子は、もう疲れたよぉと言っているかのようで。ありがとうね、ともう一度声をかける。
たかが植物に本気で声を掛けるの?と思うひともいるだろうが、私は声を掛ける。声を掛け、想いをかけた分、彼らは必ずいつか応えてくれる。たとえ今回のように引き抜くのであっても、彼らが安心していなくなれるよう、私は声を掛ける。

息子と一緒に家を出る。今日はクリニックで次回加害者プログラムの打ち合わせだ。自転車に乗って駅へ。電車に乗り半時間程揺られる。窓の外見慣れた街景が流れる。この路線は実家の近く、つまり私が育った町を横切るから、どこもかしこも、見覚えがある。あああそこは山を切り崩してマンションが建ったのだな、とか、あの建物は建て替えられたのだな、とか。そんなことをあれこれ思っているうちに目的の駅に到着。
S先生を待っている間にもう一度書き出したメモをチェックする。前回為したテーマに対して参加者が書いたレポートをもとに書き出したメモ。今回はこれらから発展させる予定だ。
S先生と向き合っているのだけれど、何か変だ。途中で気づく。ああ、離人が入ってるな、と自分の脳に届く映像から気づく。こういう時、私の眼は私の背後に離れる。だから私の背中までもが視界に捉えられる。分かるだろうか、ひとの眼は顔についているはずで、だから自分の姿が視界に入ることはない。でも。
離人が強く現れていると、たとえば今みたいに、自分の姿までもが視界に入って来る。酷い時は天井に眼がはりついて俯瞰図になる。そんなことを思っている間にも、現実感消失が強くなる。それでも、何とか自分を奮い立たせ、打ち合わせを終える。
すべてが他人事のようだ。辛うじてメモをとったのだけれど、そのすべてが他人事。
たぶん。
疲れているのだ。ひと疲れかもしれない。
おかしな譬えだけれど。ナウシカの、あれだ、瘴気を少し吸ってしまったような。ナウシカで出て来る腐海はこの場合“人海”で、つまり、ひとびとの出す様々な瘴気を吸い過ぎた、というような、そんな具合。ひとの邪気に当てられ過ぎた、というような。
ひとの出すネガティブなエネルギーは、時にとてつもなく強力だったりする。ネガティブなエネルギーを発散しているひとたちの間に、佇むだけでも、くらくらする時というのが、ある。
ひとの世界に生きてもう何十年。それでもひとに慣れることは、ない。そんな自分に正直、呆れる。


2022年04月27日(水) 
昨日の強すぎる雨風は、ベランダを直撃した。こんもり茂っていた宿根菫は見事に薙ぎ倒された。薔薇の枝も数本折れた。ぐったり倒れたまま起き上がってこない枝葉も多くある。クリサンセマムは何とか無事だけれど、ラベンダーの首はぐったり垂れてしまった。参った。確かに昨夜の風はとてつもなかった。角部屋で崖っぷちに建つ部屋ゆえ、ベランダを吹き抜ける風の音がいつまでもいつまでもびゅるびゅるると続いていた。雨に打たれるだけでなくそんな音のする風に嬲られればひとたまりもない。たとえば薔薇の枝が折れるだけでなく、そもそもその身に纏う棘が自らの葉を容赦なく傷つける。こんなに全身ぼろぼろになった薔薇たちを久しぶりに見た。悲しい。

久しぶりに友人らと会って話す。私の古い友人と、そして私たちとは十以上離れた若い友人二人と。四人の共通項はただ、性暴力被害者ということ。さまざまな言葉が飛び交う。きっと周りから見たらその言葉は、ぎょっとするような言葉たちに違いない。たとえば被害だとか加害者だとか解離だとかリストカットだとか。性暴力の被害になど遭わないでいたら、用いることもなかった言葉たち。それを私たちは次々に交わす。何故なら私たちにとってはそれは、日常だからだ。私達の日常にふつうにあるものたちだから、だ。
時々、この差異に私は、ぼおっとする。周囲と私たちの温度差とでも言おうか。その差異をありありと感じ、ぼおっとする。ああ、こんなにも、当事者とそうでない者との間に隔たりがあるのだな、とそのことを痛感させられる。
こんな被害当事者の現状を、加害者たちは知らないのだな、とそのことに気づき、私は考え込む。知らないというのは罪だなと思う。昔は、知らないで過ごせるならそれに越したことはないとだけ思っていた。でも。知らないから何も感じない考えないで済む、というのは、これは違うと思う。知らない、体験したことがない、だから何も考えないし感じない、というのは、やはり違う、と。
体験したことがないからこそ―――体験しないで済むならそれこそ、それに越したことはないのだ―――想像を巡らせる努力をすべきだ。考え、感じようとする努力。ひとがひとであるというのはそういうことなんじゃなかろうか。ひとに与えられた才はこの、想像力なのだから。
人間一人がその生涯のうちに体験できる分量なんて、たかが知れている。そんな、限界のある体験を軸に、ひとは自分を編む。育む。それはおのずから、限界のある、小さな代物となる。それを大きく羽ばたかせるのが、想像力だ。想像力は、私とあなたの差異に、橋を架ける可能性を、その力を、持っている。
知らないことも、体験していないことも、想像することで、あたかも体験したかのような深度で味わうことができる。いや、それをしてこそ、人間が人間足り得るのだと、私は思う。

それにしても。今夜は静かだ。昨日の嵐が嘘のようだ。しん、と静まり返った闇。家人と息子は布団もかけず大の字になって鼾をかいている。ワンコはワンコで、時々ぶふっと鼻を鳴らしながら眠っている。ワンコと暮らすようになって知った、犬も寝言を言うのだな、と。今夜彼らは、どんな夢を見ているのだろう。
少しでも彼らにやさしい、あたたかな夢でありますように。


2022年04月26日(火) 
ブルーデイジーが咲いている。いつの間にか三つも。ラベンダーも今が花盛りといったところか。天気は小雨。風が強くて雨が斜めっている。舞い上がる雨粒が私の服にくっついてくる。アメリカンブルーは禿ちょびんになったけれど、今のところ静かに佇んでいる。ミモザたちはまだまだ細っこい。一年に50センチ近く伸びると記されていたけれど、今のところそんな気配は漂ってこない。のんびり屋なのかもしれない。

天気のせいか身体痛が酷い。テニスボールでのケアが欠かせない日。朝からせっせと脚と臀部を押しているのだが、ちっとも楽にならない。粘りつくような痛みたち。薬を飲もうかどうしようか迷ったけれど、今日のような天気では身体痛も当然といったところ、故に鎮痛剤は控えておく。

DVにしても性暴力にしても。被害者の裡には加害者意識が、加害者の裡には被害者意識が、それぞれ巣食う。起こった出来事すべての原因を、自分のせいと自分を責めてしまうひとがいると思えば、どこまでも相手のせいだと訴え罵るひとがいる。どちらもみな、同じ「人間」。
そんな被害者と加害者との間で中立的立場とは一体何なのか。そもそも中立は成り立つのか。よく、中立的立場から見て云々などと口上を述べるひとがいるけれども、そもそもそれが成り立つのかという問。私は成り立たないと思っている。被害者と加害者にはたいてい、差異がある。偏りとは何かと言えば、社会的な、あるいは経済的な、あるいは肉体的な、あらゆるところに差異があって、そういったものも加味した上で、公平な中立的立場はあり得るのか、と考えてみれば、そんなものまずあり得ない。単純にたとえば、男と女の間に公平はあり得るのかと言えば、あり得ないのと同じ、だと思う。
と、ここまで書いてみたが、まだ私の中で明確に言語化できるほどに至っていないことに気づく。もうちょっとこの問題は掘り下げないと、言葉にきちんと還元できそうに、ない。考え続けねば。

顔を洗っていたら息子が繰り返し何か訴えている。耳を澄ましてみる。「父ちゃんはどうしてそんなにひとつのことに拘るの? 何怒ってんの?!」。彼が繰り返し言っている。が、家人は無視しているのか声が聞こえてこない。やがて「もういいよ、父ちゃんはそうやって僕の言うこと無視するんだね!」と息子。私は洗面所から耳をダンボにして様子を窺っている。「いつもひとの言うこと無視するなって言ってるのに、父ちゃんだって無視してるじゃん!」。
しばらく間を置いて私がリビングに行くと、家人は息子を無視して寝床に行ってしまった後で、息子は私を見つけると駆け寄ってきた。小声で「父ちゃん何でひとのこと無視すんだろうね、いつも自分が「無視するのはよくない」って言ってるくせにさ!何なの!」と。あまりに御尤も過ぎて、返答に困る。「父ちゃんしつこいんだよ、ひとつのことずっと怒っててさ。なんかもうヤダ!」。私はうんうんと流しながら頷く。
それにしても。息子も言うようになったものだ。この一年急激に彼は変化した。言葉もある意味乱暴になってきた、男子らしい乱暴さ。そして、家人に言い返すところ。以前は言い返すなんて考えられなかった。
言い返す、で思い出す。場面緘黙症をもっていた娘は、家人ががなり立てると凍り付き状態になり、何一つ言葉を発しなかった。でも当時場面緘黙について何の知識も持っていなかった家人は余計に荒ぶり、沈黙し固まる娘を怒鳴りつけるばかりだった。
「言い返せるだけマシだと思うよ、私は」。娘に息子の状態を話した時、彼女からその言葉を聞いた。なるほど、と頷いた。確かにそうだ。言い返せるというのは健全な証拠とも。
家人の娘に対しての態度も息子に対する態度も、どうしてか私にはそれらすべて「子どもっぽく」見える。同じレベルでわめいてる気がする。
気に喰わないことが発生すると席を立つのも、いい加減やめてほしい。いずれそれを息子は真似するに違いない。せっかくポリヴェーガル理論で凍り付きについての本も家人は私より先に読んだというのに、家人はそれら知識を知識のまま台無しにしている気がしてならない。せっかく得た知識ならば、自分自身の血肉とし、知識を智慧にまで育む必要があると私は思う。自戒を込めて。

外の雨は一時的にかもしれないが、やんだ。しかし明日も雨模様だと言う。今年の春はやけに雨や曇りが多くて、もうそれだけでエネルギーを奪い取られ吸いつくされてる気がする。
とりあえず。今夜はテルテル坊主を作ろう。明日の雨が少しでも早く上がりますように、という願をかけて。髭付きで黒髪、顔は、適当。

必要なのは。気づくこと、かもしれない。


2022年04月24日(日) 
アメリカンブルー。思い切って病葉をすべて切り詰めてみた。こんもり山になっていた姿は禿山の如くになった。でも。切り詰めて知った。根元のところにはきれいなきれいな葉がわさわさと生えてきていること。まだ病気にもなっていない、まっさらな葉。土にもカビが落ちているだろうから、土の表面を削ることも忘れずに。もしかしたらこれでも足りないかもしれないけれど、しないよりはいいはず。
そんなことをしているうちに雨の午後はあっという間に過ぎた。家人がワンコをシャンプーしている。私は、切り落とした子たちをすべてかき集めてゴミ袋に入れ、先を結ぶ。心の中で、いままでありがとうね、と、ゴミ袋の中の子たちに声を掛ける。母は「アメリカンブルーは安価なのだから、新しい株を買ったらどう?」と言っていた。でも私は、今日まで一緒に過ごしたこの子たちがいいのだ。新しい株よりも。

新じゃがが手に入ったので、ポテトサラダを作る。うちのポテトサラダは白だしを使う。じゃが2個に対しマヨネーズ大匙2、酢大匙1、白だし大匙1、砂糖ひとつまみ。そんな具合。きゅうりと、玉葱・ハムはそれぞれ下拵えしておく。
新じゃがってどうしてこんなに皮が薄いんだろう。熱々のじゃがに傷をつけ、そこから川を剥く。薄いからあっという間に剥ける。それをフォークで潰して、きゅうり、玉葱・ハム、ゆで卵、各種調味料も最後に混ぜる。仕上げに胡椒を軽く振ってできあがり。
今日は油断して下拵えをいい加減にしたら、ちょっと水っぽくなってしまった。「でも味はいつも通り美味しいよ、大丈夫」と家人はおかわりしてくれるので、まぁよかったということにしよう。明日の家人の弁当分だけ別に分けておく。

私はたぶん、清く正しい「被害者」ではない。被害者なのにこんなこと思うのか?と思うようなことも平気で考えたりする。世間が求める「被害者像」とは、たぶん、かけ離れている。たとえば私はよく笑う。よく笑って、よく忘れる。解離性健忘や現実感消失はもはや私の日常。
清く正しい「被害者」。清く正しい「セックス」。清く正しい―――。この、清く正しいって何なんだろうな、と思う。きっと、他者が見ても何の落ち度も見当たらない、誰もがうんと頷けるものという意味合いが強くある気がする。
でも。世間が求める「被害者像」は、何処までもいつまでも不幸で、悲しみに沈み、決して世間に歯向かったりしないような、そんな色が見える。でも。そんな「不幸な被害者像」で居続けたら、いつまで経っても「被害者」からは卒業できない。被害者である、が、被害者だった、に。そうなる為には、しんどさを背負いながらも笑って泣いて、できないことをできないと言う、そうしたことが絶対に必要になる。
要するに何が言いたいかといえば。
清く正しい、なんてものは、世間が求めるだけのもの、虚像といっても過言ではない。そもそも「清く正しい」って何だ。「清く正しく」ある必要は何処にあるんだ。

そんなことを思っているところに、森山直太朗の「することないから」というフレーズが耳に留まる。
「ねえ することないからセックスしよう」。思わず飲んでいた珈琲を吹きそうになってしまった。そうか、することないからセックスするのか、と、続きを待った。一番の歌詞こそ確かにちゃらんぽらん男の呟きなのだが、三番に至ると、すうっと背筋に寒気が走った。
ねぇジョージ することないから戦争しよう/勝てば最高気持ちがいいよ うまくいきゃ英雄気取れるし/躊躇うことないさ みんなだってきっとそうしているよ/時間がすべて都合をつけて 素敵な思い出に変わるよ/ねぇジョージ いつか祖国が豊かな時代を迎えたら/あらゆることが思いのままさ こんなみじめな思いはしないよ/そしたら世界を平和にしよう/ねぇジョージ だから振り向かないで/することないから戦争しよう(森山直太朗「することないから」作詞:森山直太朗・御徒町凧、作曲:森山直太朗・御徒町凧)
世界を平和にしようと言いながら戦争しようと言う。心底ぞっとした。でも。今この世界はそういうところにいるのかもしれないなぁとつくづく思った。清く正しいと思われていた人間が見えないところでは誰かをレイプしていたり。清く正しいと思われていた人間が、あるところではすることないからどうでもいいセックスをしてみたり。人々に平和を説きながらその手には刃を握っていたり。
それが、人間のサガなのかもしれない、と。私はそう、思っている。


2022年04月23日(土) 
ぬるい朝。ぼんやりとした薄灰色の雲が空に横たわっている。夜のうちに雨が降ったのだろうか。ベランダの草履に水が溜まっている。
薔薇たちのあいだにまたうどん粉病が。病葉を一枚一枚切り落とす。それだけじゃ足りなさそうなので薬も適度に散布する。
宿根菫の花盛りは終わったのかもしれない。最近は花の勢いもおとなしくなった気がする。そんな宿根草の向かい側でブルーデイジーが一輪咲いた。ちっとも気づかなかった。今だってたまたまプランターを持ち上げただけで、花が咲いていたなどとは思ってもみなかった。アメリカンブルーは相変わらず葉の半分が茶色くなってしまう。本当に、どうしたらいいんだろう。母が言うように辛抱強く辛抱強く、見守るほかない。

それにしても蒸し暑い。ぺとっと貼りつく重怠い湿気と熱気。まだ4月だというのに。朝のうち広がっていた雲はいつの間にか散り散りに消え去り、容赦ない陽射しに代わっている。長袖を着てきて失敗した。こんなことならTシャツにすればよかった。すれ違うひとたちの格好がまちまちなのは、この重怠さをどう扱ったものかというめいめいの惑いの現れのような気がする。

「トラウマの再演」。かつて私にもあった。まだ被害から数年の頃、気づいたら加害者に連れられて行った場所にふらふらと立っていたり。近づいてくる男性のすべてが加害者に見え、それゆえにセックスを求められれば今度こそ私はこの体験に打ち克つのだという気持ちになって誰れ彼れ構わず応じたり。
でも。一体何に打ち克つというのか。
被害に遭い、ずたぼろになり、自分などもういなくてもいい存在、むしろいない方がいい存在としか思えなくなった。存在自体が罪悪に思えた。自分をいくら傷つけても何しても救われない、むしろ余計に傷つくばかりの自分が居た。そんな時、近づいてくる男はすべて加害者に見えたし、その男とのセックスに今度こそ自分が打ち克つのだと私は勝手にそう自分をいきり立たせた。セックスなどしたくもないのに、男に応じた。今度こそ私は打ち克つのだとただその一念で。
しかし実際、打ち克てたことは一度たりともなかった。余計に傷ついて、余計にずたぼろになって、それで終わり、だった。何度試みてもそれは、同じ。
それがトラウマの再演だなどとは、その当時は思ってもみず。ただひたすら、今度こそ私は打ち克のだその一念で行動していた。
当時の主治医に指摘されなければ、私はきっと、気づかぬままだった。自分がトラウマを再演している、などと。気づかぬまま、だった。
気づかされて、愕然とした。一体自分は何をしているのだろう、と思った。余計に自分を嫌悪した。自分など何の価値もない、むしろマイナス、いること自体が罪。そうとしか思えなくて。何度も自殺未遂を繰り返したあの頃。
生きたいとか死にたいとか、それ以前のところにいた。自分の存在を「消したかった」。ただ、それだけだった。
トラウマの再演の後、それを自覚した後に訪れたその、自分を消去したいという思いは強烈で、何度でも私に襲い掛かった。私は何度でも自分を傷つけた。薬を馬鹿飲みし、救急車で運ばれ胃洗浄、その入院先から私は脱走し、また自傷。そんな毎日。
終わりがなかった。そりゃそうだ。私は自分を消去したいと思っているのだから、自分が消去されないかぎり延々とこれは続くのだ。
私は。
自分がこんなにもしぶといと思ってもみなかった。何度消去しようと試みても、私を消去することはできなかった。そうして私は、絶望した。

映画監督の誰だったか、ちょっと忘れてしまったが。昔観た映画の、パンフレットにその監督の言葉が添えてあった。絶望の先にこそ真の希望がある。確かそんな言葉。
自分に絶望し、呆然と命の前に佇んだ時。私は初めてその遠い先に、一点の光を見たんだ。

今私は、生きることが楽しい。いや、もちろん、辛いことしんどいこと、山程あるけれど。そういったことも一切合切含めて、楽しい。そう、思っている。でも、ここに辿り着くまでに一体どれほどの道程があったか。
だから、私は、元に戻りたいとか、やり直したいとか、もう思えない。戻って同じ道程をもう一度歩き切れる自信はないから。途中で倒れ伏して今度こそ死んでしまう気がするから。
私は、今ここ、を生きるので、十分。


2022年04月22日(金) 
昨日のことはほぼ何も憶えていない。思い出そうにも何も出てこない。空白。そういう夜もある、と、自分を宥めてみる。
ホールに入るまでは、調子が良かったはずなんだ。朝いつものように出掛け、珈琲屋で原稿を書いたりチェックしたりして過ごしていた、その間はまったくもって元気だった。新宿で待ち合わせた友人を待っているそのあたりから、少しずつ何かがズレ始めた。気持ちが棘々、苛々し始めた。これからS君の舞台を友人らと鑑賞することになっている。ホールに向かう道中、光が眩しすぎてくらっと体が揺れた。Cちゃんに「眩しいね、なんかすごく眩しいね」と言うと、Cちゃんはきょとんとした顔で、でも私に合わせるように、陽射しが強いですもんね、と言った。
ホールの座席に座る頃には、こめかみがぎりりと軋んでいた。頭痛薬を飲んでしまおうかと一瞬迷ったが、我慢し、水だけを口に含む。
舞台が始まり、ほどなく私は、解離した。ここから、昨日を憶えていない。私は昨日の記憶を失ってしまった。

今日は通院日。いつものように電車に乗るも、事故だとかでたびたび電車が止まってしまう。その度乗っている人の数が増え、いつの間にかぎゅうぎゅう詰めになっている。私はたまたま空いた目の前の席に、急いで座る。目の前のぎゅうぎゅう詰めを見ないで済むよう視線を落とし、意識を天井に飛ばす。
一体いつになったら駅に着くのだろう。そのくらい長い道のりだった。犇めき合う人々の間からは苛々の湯気が立ち上っており、私は今すぐにでもここから逃げ出したい気持ちにさせられた。この苛々をこれ以上吸い込みたくない、そう悲鳴を上げかけた頃、ようやく最寄り駅に到着、電車を飛び出す。
カウンセリングで何を話したのだろう。今となっては思い出せない。が、一生懸命何かを話していた、そんな記憶の感触だけは残っている。次回カウンセラーに確認しないと、本当に何も思い出せない。
診察は辛うじて、先生の顔を憶えている。いつものようににこやかな先生の表情。眼鏡をかけてかたかたとキーボードを操作する手元。でも音声はなくて。何を話したのだかについてはやっぱり思い出せない。
どうやって帰宅したのか。何故か私はいつもの倍以上の時間がかかって帰宅している。でもその道中のことを何も思い出せない。何故倍以上の時間がかかったのだろう。電車に乗っていただけのはずなのに。
帰宅し、グラノーラにヨーグルトをかけて食べる。食べているうちに少し落ち着いてきたのか、急にぐわんと体が揺れる。気が抜けたのかもしれない。そのくらい全身が強張っていた。でも、ゆっくりグラノーラを食べながら、ヨーグルトの味を感じながら、ようやく大きく呼吸が叶う。大丈夫、私は今家にいる。安全だ。そう、自分に言い聞かす。

電話が鳴っている。慌てて出ると、Aちゃんからで。「今私泣きそうなんです、今電話いいですか?」。もちろんいいよと応えて受話器を持ち直す。
役所に行って、税金の減免手続きをとろうとしたのだが、今年初め弁護士に支払った数十万のせいで担当者から「これだけの額を融通できるのだから、減免できない」と言い渡されたという。でもその弁護士費用は、性被害に遭った為に要した金であり、その後働けなくなった彼女に今、余分な金など一円もない。この担当者の言い分は正論なんだろうが、被害者の現実とはまったくかけ離れている。被害に遭い体と心を壊し、働けなくなった人間に、それでも皆と同じ額の税金を支払え、と。この現実の無情さ。何なんだろう、この無情さ加減。
Aちゃんと電話を繋ぎながら、私はかつての自分のことを少し思い出していた。仕事を半ば辞めさせるかのように追い出されて、でももう何の気力も残っていなかった私は家に引きこもって過ごした、そのせいで金はどんどんなくなり、マイナスに傾くばかりで。一度マイナスに傾くととめどもなくそちらに天秤は傾くばかりで。あの頃、私はもう、一日を生き延びるので精いっぱいだった。一日一日がとてつもなく長く残酷で、ここを超えることさえもう諦めたい気持ちになっていた。今のAちゃんの涙の重さが、だから、痛いほど分かる。
「性被害ってどうしてこんなに容赦ないんでしょう。残酷なんでしょう。被害者ばかりが追いやられる社会って、絶対おかしい。狂ってる。糞ですよ、糞」。Aちゃんの言葉に返す言葉を見つけられず、私は曖昧にほほ笑む。そのくらいしか今、返せるものが、ない。
Aちゃんが帰った後、ワンコの散歩に出掛ける。とぼとぼと歩きながら、思う。被害者に冷たい社会。でも、いつ誰が被害者になり得るかなんて、誰にも分からないことで。今この直後、あなたが被害者になり得るかもしれないのに。
みんな、他人事過ぎて。
きっとその、大勢の人々の「他人事」が凝り固まってできたのが、今のこの、社会なんだろうな、と。そんなことを、思う。


2022年04月20日(水) 
粉のように細かな雨が舞う朝。こんなに細かな雨なのに、路面はじっとりと濡れている。散歩から帰ったワンコの背中も。目を凝らさなければ見えないほど細かな雨粒なのに。
三種類あるうちの二種類、ラヴェンダーが咲いている。ビオラは、ここに種を蒔いた覚えはないのだけれどという場所でこんもり茂って、そこでだけ花が次々咲いている。葡萄の芽は、相変わらず小さな小さな掌の様な形の葉を、ぴょんと出して立っている。本当にこの子は育つのだろうか。ビオラやクリサンセマムに取り囲まれて、この子だけこんなにも小さいまま。
ふと見ると、東空、雲の割れ目から、青空が覗いている。

昨日は整骨院へ。骨盤周りの痛みは、先週に比べるとずいぶん軽くなった。が、癒着した箇所は5か所を越えてますねと指摘され、ちょっと驚く。そんなにたくさんの箇所で癒着していたとは。思ってもみなかったというのが正直なところ。頭部の施術をしている先生が、今週はいつ頭痛があったか覚えてる?と訊ねてくる。だから、日曜日と今日、と応える。先生が施術を終え、「触ってみる?」と言うので施術が終わったばかりの頭部に触れてみる。頭が一回り小さくなったかのような、いつもぶよぶよしている部分さえすっきりむくみが取れており、ちょっと感動。私の頭こんなに小さかったっけか、と、苦笑してしまった。

そして今日は、Oさんと久しぶりに会う。彼は性依存症であり、強迫神経症でもある。性依存症が先だったのか、それとも強迫神経症を先に発症したのか、詳しいことは分からない。でも「僕の主治医は、このふたつは密接に関係しあってるって言うんですよ」と言う。
―――と、ここまで書いて、私は席を立ちたくなった。何だかすべてが上滑りしていて、しっくりと自分の内に降りてこない。いくら言葉を羅列しても、まさに羅列しただけで、私の奥にあるものを何一つ説いてくれていない、そんな気がして。いっそすべて削除してしまおうか、そう思う自分もいた。削除は一瞬。簡単にできる。でも。

たった一日書かないだけで、日記の書き方さえ私は忘れてしまったのだろうか。そのくらい、「遠い」気がした。実感が降りてこない。そんな感じだ。いくら百あったことを百並べても、違う気がする。そうじゃない、そうじゃないんだ、と私の内奥が言ってる気がする。
そもそも私は解離性健忘から一日に起こったことをきれいさっぱり翌日には失くしてしまうから、その空白を埋めるためにもと書くことを改めて始めたんだった。でも。
事実をいくら羅列しても。私が思い感じたものの向こう側を思い出せなければ、意味がないんだ。

たとえば、Oさんと会った。それは確かだ。事実だ。でも、Oさんと会ったことで私は何を思ったのか。それが思い出せなければ、いくら正確に、たとえ正確に書き記したとしても、私の空白は空白のままになってしまう。

ああ、そうだ、Nとも話した。17年経って、ふたりいた加害者のうちの一人が、別件逮捕され、余罪追求の末Nの件を吐いた。その加害者がNに謝罪したいと申し出た。しかしNは、何をいまさら、と突っぱねた。それを担当が加害者に告げると、加害者は悪態をついたのだそうだ。旦那が自殺したのは俺のせいじゃない、自殺する奴が悪いんだ、と、鼻を鳴らしたという。
Nは。そのせいで自分を責めていた。同時に怒り狂っていた。当然だろう。彼女にとってみればレイプ犯に自分の心を殺されただけでなく、旦那の命までも奪われたのだ。それを、当の加害者に鼻であしらわれたら。誰だって愕然とするし、怒りも沸点に達するに違いない。
Nと長い時間話した。もし近所に住んでいたらすぐにでも飛んで行きたいくらいだった。でも、横浜と三重とではあまりに遠い。長いこと話して、Nはその間中ぐしゃぐしゃに泣いていた。それもまた、当然のこと。
「姐さん、もし加害者に会ったら私何するか分からない。殺してしまうかもしれないとさえ思う。そのくらい、気持ちが渦巻いてて、今にも吹き出しそうで、たまらない。でも。同時に思うの。17年かけてここまで何とか立て直してきた自分を、もう壊したくない、って。だから私、会いたくない、加害者に。謝罪も受けたくない」。Nのその言葉を私はじっと聴いていた。
彼女がまだ被害から数年しか経っていない頃の、ずたぼろだった頃を知っている。覚えている。いつも声音が震えていて、四六時中自傷していた。それから数年後、「姐さん、今日初めて、手作りのビーズのアクセサリーが売れたの。これからコンスタントにお店に置いてもらえるって!」と電話を真っ先に私にかけてきてくれた、あの時の彼女の声も覚えてる。去年加害者に偶然街中で鉢合わせして、それが引き金で首を括った、そんな彼女もつぶさに見てきた。
だから思う。
彼女が何を選択しようと、私は彼女を支持する、と。
声を上げないことは弱いからじゃない。加害者と対峙しないことも弱いからじゃない。今ここの自分を何より大切にしたいからこそ、その選択をする彼女を、私は誇りに思う。それは、弱さなんかじゃない。彼女の賢さ、だ。17年という年月の重さを、改めて思う。

日記を書く。そこに「たかが」がつくのか、「されど」がつくのか。私にとって書くことはそのまま、自分がこれまで関わって来たひとたちを想起させる。恩師や、私をずっと見守ってくれて来たMちゃんやKちゃんといったひとたちが私のすぐ背後にぼおっと立っているかのような、そんな錯覚。大丈夫、まだ大丈夫、と彼らが私の背中を押してくれているかのような。そんな感覚。
私の解離性健忘が消えて無くなることは、ほぼ、ない。だからこそ、私が為した事実より、思った/感じた何かを、繋いでおきたい。紡いでおきたい。せめてここに。
そして、その感触だけでも、思い出せるように。せめて。せめてそれだけでも。


2022年04月18日(月) 
朝から息子のテンションが高い。何かやることない? ない? と、ひとつ仕事を片付けるたび訊きに来る。床の掃き掃除、床の拭き掃除、玄関の掃き掃除、炬燵周りの片付け、洗濯物畳みの手伝い、布団の片付け、洗い物。そこまで頼んでみたものの、それ以上何も思いつかない。「もうないよ」と言うと、至極がっかりしたふうに肩を落とした。後で分かったのだが、どうも、欲しいゲームがあるらしい。我家のお小遣いは労働制。だから彼は、次から次に手伝いをしたがったのだ。なるほどなるほど。理由が分かってちょっとほっとするのと同時に、かわいい奴だなぁと心の中ほくそ笑む。
息子の朝顔はもはや、ぎゅうぎゅう詰めになっている。どう考えたって間引きしないとまともに育たないんじゃないかと私には思えるのだが、間引きと言った途端「絶対だめ! そんなのだめ!」の一点張り。まぁ朝顔は息子担当だから、彼が思う通りにやればいい、と自分を納得させる。気になる気持ちはとりあえず抑えてみる。
ラベンダーが蕾を一斉につけ始めて、その蕾が風にゆらゆら揺れている。この長い首=茎のせいだ、揺れるのは。そう思ったら、ラベンダーが、緑のキリンに見えて来た。不思議。

昼頃から雨が降り出し始めた。慌ててワンコの散歩へ。ワンコは雨などまったく気にする様子もなく、いつものようにマイペースでとことこ歩いている。そして気づく。いつも下を向いて匂い嗅ぎをし続けて顔を上げることさえないワンコが、今日はどうだろう、下を向いて匂い嗅ぎをする回数も普段の半分以下で済み、下を向く代わりに私を見上げたりちゃんと頭を上げて歩いたり。珍しいこともあるものだ。だから私はワンコの頭に手を伸ばし、がしがしと撫でてやる。何かいいことでもあったの? と思わず言っていた。もちろんワンコは返事なんてするわけもなく。でも、撫でられることは嬉しいらしい。私の手をくっと頭で押してきた。だから私もぎゅぎゅっと彼の頭をまた撫でる。
昔猫と暮らしていた頃があった。独り暮らしを始めたばかりで私は猫を譲り受けたのだ。小さな子猫。でもあっという間に大きくなった。或る日彼のお気に入りのぬいぐるみが血だらけになっているのに気づき慌てて彼の身体を全身くまなく調べたのだが何処も怪我していない。いや、ぬいぐるみの腹に何かが刺さっている。そして気づいた。歯だ。そうか、彼の歯が抜け変ったのか。そんなふうに抜け変わるなんて知らなかった私は、小さな可愛い歯を見つけてようやっと胸を撫で下ろした。一事が万事そんな具合だった。だって幼い頃の私にとっては猫は天敵だったから、猫がどんなものを好み、どんなふうに暮らすのかなんてこれっぽっちも知らなかったのだ。仕事が真夜中まで終わらない日は電話をかけ、留守電に向かって声を掛けた。「ももー、ももー、もうちょっと待っててねー」。そう言い終わるか終わらないかのところでだいたい、彼は受話器をがんっと蹴飛ばした。ツーッツーッツーという音だけが流れて来る。私は慌ててリュックを背負って自転車に乗り家路を急ぐ。毎日がそんな具合だった。私が被害に遭った時も、彼は居た。私がリストカットに苦しんでいた時も彼は居た。眠れずひたすらプリント作業をしていた夜も彼はそこに居た。私がじたばたしていようと何していようと、彼は顔色ひとつ変えず、ただただそこに、居てくれた。あの頃、彼がいなかったら、今私はここまで生き延びていなかっただろう。大げさじゃなくそう思える。そのくらい、彼はあの頃の私にとってかけがえのない、唯一無二の存在だった。決して私を見捨てない、私を見守ってくれる存在だった。それは彼がこの世界からいなくなるまで続いた。
今、ワンコがここに居る。ワンコをもらい受けることになった時私は悩んだ。あの猫を裏切るような気がしたからだ。あんなに深い絆で結ばれた者同士だったから、他の者をもらい受けるなんて、想像ができなかった。悩みに悩んで、Mちゃんに相談した。私の猫をよく知る友に。
Mちゃんは開口一番、こう言った。素敵じゃない、ワンコと暮らしなよ! だから私は彼女に言った。ももを裏切る気がして、気が進まない、と。Mちゃんは、「ももは喜んでると思うよ。あなたが新しい家族を迎えること。喜んでると思う」。
Mちゃんの言葉がなかったら、私は踏ん切りがつかなかったかもしれない。
結果、ワンコをもらい受け、今に至る。今私の作業机の棚の脇に、もも猫を抱いた写真が飾ってある。いつもこの写真を見上げながら、私はももを思い、そしてワンコと散歩にゆく。

ああ、一日中頭痛が離れてくれなかった今日も、じきに終わる。長い、長かった。痛みにずーんと圧し潰されそうになる一日だった。肩や首や頭だけでなく、もはや全身が痛い。私の頭痛は緊張型頭痛と主治医が言っていたけれど、身体痛も緊張型なのかしらんと思えて来た。いや、緊張型身体痛などというものがあるのなら、の話だけれど。


2022年04月16日(土) 
2時間ほど横になったものの、眠れない。諦めて床を離れる。過覚醒だ。今日は加害者プログラムだった。被害者として被害と被害その後を少しばかり話してきた。過覚醒はそのせい、だ。
ふと思う。加害者らは、きっと、今夜のこの過覚醒で眠れないことも知らないのだと。知らないということはなんて都合のいいことなんだろう。なんて無責任なんだろう。おまえらがつけた傷のせいでこんなに痛んで、こんなにいまだ傷を引きずって生きていかなければならない被害者の現実を、どうして知らないまま君らは生きていけるのだろう。
加害者は被害者の被害と被害その後を知らなさすぎる。逮捕後、加害者が被害者と接触する機会はほとんどない。被害者のために、というのが建前らしいが、本当にそうだろうか? そのせいで被害者の被害や被害その後を、彼らはまったく知らないままでいられる。知らないまま社会に解き放たれるか刑務所に行くかどちらかは知らないが、どちらにしたって、そんな、知らないままだったら、問題行動を再び繰り返すのも時間の問題に違いない。いくらだって繰り返せる。彼らの認知の歪みは半端じゃない。
うわべだけの謝罪も反省も要らない。そんなもの飯の足しにもなりやしない。そんなものじゃなく。二度と繰り返さないでいられるだけの更生を、その道を、しかと歩み出し、そして死ぬ迄歩んでほしい。
もうこれ以上、自分たちの様な被害者を、増やさないでいただきたい。

今日はOFのクリニックの更生プログラム参加初回だった。小規模の、かつ、時間が一時間ではなく一時間半のプログラム。ありがたいと思ったが、一時間半なんて本当にあっという間に過ぎてしまった。充分には語りきれなかった。まだ私の言語化能力が足りていないなあと痛感させられた。
被害について、被害後について語る難しさ。語れば語る程、言葉が逃げてゆく気がする。いや、自分が逃げてゆく気がする。多分、語りながら半ば解離しているのだろうなと思う。だから必死に、自分を繋ぎとめようと努力はするのだが。なかなかこれが難しい。
語り乍ら、彼らの表情を見ながら、気づくことが幾つも。ああ、このひとは自分の加害行為をまだちっとも「我が事」にしていないな、とか、このひとは意見する最初に反省という牽制を入れるけれども実際はちっともそう思っていないな、とか、このひとはちゃんと自分の為したことを「我が事」にしてくれているな、とか。たくさんのことに気づかされる。
そして、私は姿勢を立て直す。何故なら、彼らは被害者を警戒しつつ、同時に、懐柔しようともするからだ。ちっとも己のしたことを「我が事」にしていない人たち程、わかったふり、反省したふりが上手だったりする。そして無意識に自分のその「ふり」を、こちらに押し付けて来る。こちらをコントロールしようとしにかかる。
認知の歪みというものは本当に恐ろしい。自分がそう振る舞っていることさえ自覚できないのだから。

知ることは大事だ。知らなければ、気づくこともない。考えることもない。省みることもない。まず知る。その為には、自分の扉を開けなければならない。自分の扉を開けないままでは知ることもできない。もちろん、知ったことを血肉にするには、知っただけでは済まない。
知ったことを己の血肉にまで降ろし、おのずと行為できるまでになるには、長い長い道程が要る。
だから。知らないことをまず、自覚しなければと思う。知らないということを知らないままで終わらせてはならないと思う。自分が何を知らないのかに気づき、知らないことを知らないままで終わらせない努力をする。知り、そして、それを噛んで噛んで噛んで、己の血肉にするために。行為できるほどになるために。

それが、繰り返しを止める術なんじゃないか、と。そう思う。


2022年04月15日(金) 
雨。粉のように舞う雨。でも傘をささないでいると髪の毛も服もじっとり濡れてしまう。あっという間に髪に、生地に、吸い込まれてゆくほどの細かさ。夕方まで降り続くらしい。天気予報を確認しながら、今日の予定を辿り直す。
葡萄の芽が小さい新葉を出していて、その葉が掌のような形をしていて実に可愛い。でも、いつ折れてしまってもおかしくない小ささなものだから、私は気が気じゃない。今朝も一番に確認する。ちょうどクリサンセマムとビオラがもさもさ茂ってきてしまって、その子たちの足元に生えているものだから、押し潰されやしないかと心配でならない。棒切れで抑えてはあるのだけれど、それじゃもうクリサンセマムの重さを支えきれていないらしく、よく棒が倒れてしまっている。それを見つけるたび、私の心臓は縮み上がる。

もう一か月も前から今日は父母との約束があって、雨の中出掛ける。前から用意していたミモザと息子から預かった朝顔の種をしっかり荷造りして持って出たのに。バスの中に忘れてしまった。バスを降り、そのまま階段を下りた、そこで気づいた。走って戻ったがもうバスはいなくて。慌てて営業所に電話をするも、バスはまだ走っている途中。荷物があるかどうかも分からず。とぼとぼ歩く道。息子よ、ごめん。
父母は相変わらず姿勢の良い立ち姿をしているものの、ふたりとも膝を悪くしていて、昔の速さでは歩けない。昔はこちらが小走りになって、ふたりを追いかけたものだった。胸の中、そんなことを思いながら、歩く速度をふたりに合わせる。
この店が好きなんだ、と、入って行くふたりに付いてゆく。和食の静かな店。ああ、父母の好みだなとすぐ納得する。私ひとりでは高価過ぎて間違いなく入らない、入れない店だ。父母に合わせて、同じものを注文する。
私の娘、父母にとっては孫のこと、そしてその娘のひ孫のこと、私の息子や連れ合いのことなど、話題は定まることなく、自由自在に泳ぐ。こんなふうに話をするのは実に久しぶりだなと気づく。そうだった、私がひとりで彼らに会うことがそもそも久しぶりなのだ。
食べながら、私の脳裏には走馬灯のように様々な場面が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。口にはもう出すことはないけれども、彼らとは本当にいろいろあった。苦々しい思いをどれほどしたか知れない。絶望も悲しみも諦めも、数えきれない。
でももう、口に出すことはきっと、ない。そのくらい、時が経った。少なくとも私にとっては。そう思う。

帰宅し、夕飯時、また家人と息子が喧嘩を始める。行儀が悪い、食べ方が汚い、と、言い合いになる。家人が先にキレて席を立ち、息子はぶうたれて炬燵に潜り込み、それを見て最初は仲介していたのだけれどどちらも食事に戻らない様子を見て私が最後、ブチ切れた。私の分の食事を全部片づけて、勝手にしてください、と言い放った。
換気扇の下で煙草を吸う。気持ちの切り替え。もう今夜は食事はどうでもいいやと思う。そもそも、楽しくない食卓なんて、これ以上やってられない。
家人がぼそっと、もう俺一緒に食事するのやめようかな、と言い出すのを聞いて、正直呆れた。そうやって逃げてどうすんの?と思った。言おうかどうしようか迷ったのだけれど。自分で考えてほしいと思って黙っていた。

遠くサイレンが鳴っている。救急車の音だ。夜のサイレンはどうしてこう、響き渡るのだろう。そしてどうしてこんなに、突き刺さるのだろう。このサイレンに何度も世話になった私が言うのもおかしいかもしれないが、夜のサイレン音には棘がある。
明日は加害者プログラムの日。事前に貰った質問事項のメモを、これからもう一度見返さねば。
とりあえず、濃いめの珈琲でも淹れようか。


2022年04月13日(水) 
朝顔の芽が凄いことになってる、と息子が大仰に言うので、つきあいのつもりでプランターの前に立って驚いた。本当に凄いことになっていた。いや、そもそもは私たちがぎっしり種を蒔いたせいだ。芽がぎゅうぎゅう詰めで生えてきている。これは、間引きしないとだめだなと私が呟くと、息子が即答、絶対だめ、絶対!そんなことさせない!
いや、この状況のまま育てる方が酷じゃないかい?と言い聞かすが聞き入れる様子はなく。これ触ったら怒るからね!とのこと。仕方なく引き下がる。
これも、ひとつ勉強かもしれない。これで育てることの方が或る意味残酷なんだよということを彼に知ってもらう機会になるのかもしれない。そう考えてみることに、する。
ラベンダーはひとつじゃなく幾つも幾つも蕾が出て来た。一番最初の蕾は先っちょが微妙に紫色に変色している。紫色といえば宿根菫、こちらは勢いを日々増していく感じで、もうこんもり盛り上がっている。茂る葉、咲き乱れる花。この間植えたミモザは変わりなく、じっとしている。でも、新葉を拡げてきているから、大丈夫なんだろう、きっと。そう願いたい。心配なのはホワイトクリスマスの大株だ。何となく気配がおかしい。元気がない。新芽は出してきているのだけれど、途中で枯れてしまっている芽も中にはあって。大丈夫だろうか、もしや根を虫に食われているのだろうか。もう少し様子を見て、おかしいままなら一度土をひっくり返さないといけないかもしれない。

Facebookで記事が流れてきて知った。安曇野にあるという塀の無い少年院。そこへの潜入ルポ。こんな少年院が日本にもあったのか、と。驚きとともに、ぜひもっと知りたいという気持ちにさせられる。こういう番組を全国で流してもらえないものだろうか。多くのひとが知るべきこと、気づくべきことが短い番組紹介動画の中に詰まっていた気がする。これはぜひ、ちゃんと通して番組を見てみたい。
そんな折、H局のYさんから、異動になりました、というメールが届く。結局何もできませんでした、申し訳ない、とあった。だから私も、残念です、と正直にメールを返す。

叶うか叶わないか、で言ったら、おおよそ叶わないでしょう、と思う。この国の社会の有様や、風潮を考えれば、私が実現させたいことは叶わない。私が死んだあと、もしかしたら、ということもあり得るけれども。分かっている。
でも、叶わないから行動しない、というのは、それは違うと思うのだ。叶うか叶わないかだけが行動しない理由にはならない。むしろ、叶うか叶わないか、それよりも、今この状況を打破したいというその思いが私に行動させる。
できることに限りはある。たかが私にできることなど、まさに「たかが知れてる」。でもじゃぁ何もしないで、何も行動しないで、悶々としてるだけでいいのか、と言ったらそれは違うとやっぱり思う。
できることをこつこつとやり続ける。それしか、ないと思うのだ。私が死ぬまでにそれを叶えられるかどうかで計るのではなく、実現を信じて行為する。そのための一歩を今日も重ねる。それに尽きる。

家族の食卓、というものに、私は恵まれていないのかもしれない。原家族の食卓は、沈黙だった。ひたすら沈黙。母だけが時折しゃべる、そんなふうだった。おいしいとかおいしくないとか、感じた覚えもない。黙々と食べなければならない場所、だった。
今、家人と息子と私、夕食を囲むのだけれど、必ず息子と家人が言い合いになる。今日もそうだった。だんだん止めるのも面倒になってくるのだが、止めないと際限がないのでやっぱり今日も止めに入る。
家人の、SE風な受け答えが、息子の神経を逆撫でするのだろうな、と思う。何故なら私も神経逆撫でされることが多々あるから。火に油を注ぐような、そんな感じで。
何とか食事を終え、早々に息子を、ワンコの散歩に一緒に連れ出す。そんなことの繰り返し。
穏やかな、或いは楽しい食卓、ってどんなものなんだろう。よく、分からない。

ぬるくゆるい微風がゆるゆると漂う今夜。明日は雨になるらしい。頭痛がするのはそのせいだろうか。


2022年04月12日(火) 
雲のかかった早朝の空、でも東方だけぱっくり雲が割れており。ああ今日も晴れるのだなと思う。きっとこの割れ目が大きく育つに違いない。そう思わせる空模様。雲の向こうから昇って来た太陽が四方八方に陽光の手を伸ばしている。
最初についた薔薇の蕾が綻んできたので切り落とす。挿し木で増やした子のひとり。この大きさの蕾はきっとこの子には重すぎたのだろう、ぐいっと蕾の首が曲がってしまっている。よくここまで頑張ってくれたね、あとは花瓶で花を咲かすからね、と声を掛ける。薄い檸檬色の蕾。大丈夫、ちゃんと咲かせるから。
葡萄の芽は完全にクリサンセマムとビオラの影になってしまって、一本は萎えてしまった。残り二本、さて、育つだろうか。クリサンセマムとビオラには申し訳ないのだが、ふたりを棒切れでぐいっと抑える。そうして少しでも葡萄の芽が日の光を浴びることができるようにする。小さな小さな掌のような新葉を出してくれている今、この葉が少しでも大きく高くのびるようにしてやりたい。育ててやりたい。
ラベンダーに蕾が付いた。液肥をこまめにやっていたおかげなのか、今年のラベンダーは葉の艶が全然違う。こんなにも違うのだなぁと感心するほど。
それにしても、風が強い。崖っぷちに建つマンションの角部屋、コの字型にベランダがあるのは嬉しいが、そのベランダに沿って風がぐいんと強く吹く。薔薇の葉はだから、己の棘で己の葉を傷つけるのが四六時中。可哀想でならない。でもこの部屋に私が住んでいる限り、ここで育つ他にないわけで。ごめんね、つきあってね、と心の中声を掛ける。この街以外では暮らしていけない私。植物たちには本当に申し訳ないと思う。

今夜は、いつもより早く後片付けを済ませることができた。たとえばそれがひとつ目。長いことできなくて放置していたことを片付けることができた。それがふたつ目。そうそう、届いたカラーボックスをすぐに組み立てることも済ませることができた。それがみっつ目。
そんなふうに、他人から見たらどうってことのない、些細なことの積み重ねが私の今日を作っている。そう、他人から見たら「ん?なにそれ?」と思うような、微かな違いでしかない。昨日と今日の微かな違い。
ひとっ飛びに、ひょいっと高みを目指せたらよいのだろうけれど、それが叶うなら苦労はしないわけで。私は私のテンポで、ひとつひとつ、積み重ねてゆくほかに、ない。明日になれば砂の城のように今日という波に攫われて消えてゆく私の頼りない記憶。そんなに常時解離してるの?と不思議がられることも多いけれども、常時解離を使わなければ生きることが叶わなかった人間もいたりする。

家人が発達性トラウマ関連の本を買い込んで片っ端から読んでいる。その背中を見かけるたび、君自身のトラウマと向き合うためでありますように、と思う。息子をはじめ、他人のトラウマを自分がカウンセリングする為にそれらの書物を読み漁ってるのだとしたら、それは何か違うんじゃないかと私には思えてしまって仕方がない。SEという術が彼に合ってるのは、確かにそうなんだと私も思う。
でも、私もかつてカウンセラーの資格取得をした折、履き違えたことを、今彼も、履き違えをしているように見えてしまって仕方がないのだ。しかしそれを言葉にするときっと彼は今拒絶反応を示すに違いない。だから、下手に声掛けできない。
そんなふうに私が見ていることに彼が気づいてくれるといいのだけれどもなぁ、なんて、他力本願なことを思ってみるが、現実そんな甘くはできていないもの。分かってる。
他人のトラウマの中に自分の影を見出し、他人のトラウマを癒す手伝いをしながら自分のそれも癒されている錯覚を覚える。でもそれはやっぱり、錯覚なんだ。自分のトラウマは自分自身できちんと向き合わなければならない。

桐野夏生氏の本を立て続けに読んでいる。ちょっと活字がきつくなってきている時期なのだけれども、何とか、ゆっくりだけれど読んでいる。この、作品ごとに時代を予見するようなこの小説たちは一体何者なのだろう、と思いながら。


2022年04月11日(月) 
初夏のような陽気。半袖を着ていいのか、それとも長袖なのか、そもそも暑がりな私はこの時点で汗ばんでおり。これからの季節が思いやられる。
今朝の日の出時、太陽が昇る地点を中心にして、左右に飛行機雲が現れた。見る間に雲の下の方が濃い桃色に燃え上がり始める。ああ、今きっと太陽はあの真下にいるのだ。程なくぽっと太陽が現れ、そこからがあっという間。気づけば太陽全身地上に現れ、つつつっと空を駆け上がって行く。一日が始まる合図。
朝顔は、昨日から今日にかけて、夥しい数の子らが芽を出し、燃え上がっている。私と息子の種の蒔き方が下手だったのか、所々群れのように芽が集中していたりする。これはいずれ間引いてあげないとなぁ、間引くのは苦手なのだよなぁと思いながら、新芽に声を掛ける。大きくなあれ、大きくなあれ。

身体痛を何とか軽くしようとストレッチをしてみたりテニスボールで押してみたりを繰り返している。鎮痛剤が効かないのはもうよく分かった。家人が「自分の内の何かしこりみたいなものを解さないと、治らないんじゃない?」なんて言い放つので、ちょっと凹む。そんな、しこりみたいなものなんて、探し始めたらきりがなく。とにもかくにも、これ以上酷くならない為に、あれやこれや試みてみる。

アートセラピー講師の日。自転車でYRCに着くと、Sさんがわざわざ出てきて声を掛けてくれる。「いつ会っても元気がいいねぇ」とSさんが笑いながら私に言う。「元気だけが取り柄ですよー」と返す。今日のSさんは無精髭を生やしっぱなし。何となく気になる。セルフケアができないくらい何かがあったのかな、と。
一年間作って来た作品たちを一冊に綴じる作業。表紙は自分の「好き」で埋め尽くしてもらうことにする。色鉛筆を使おうと折り紙をコラージュしようと、どんな方法でもいい、と伝えると、「どんな方法でもいい、っていうのが一番困るんだよねえ」とYさんが言う。私も「だよねぇ、でも、そういうのも自分が好きな方法探してみて!」と返す。
マジックで言葉を書き、それで一面覆い尽くすひともいれば、一番苦手なことやってみると言って折り紙をちぎってコラージュを始めるひとも。Sさんは以前やった曼荼羅塗絵の一枚を素材に用いるという大胆な方法をとっていた。みんなが作業している間、私は、今日いないひとたちの分に表紙を付ける作業を。白紙の表紙。
あっという間に一時間が過ぎ、みんなでシェアする時間に。ピカチュウを描いたNさんは「自分がまともだった頃に流行った、自分も観てたポケモンのキャラクターを描いてみました」と。なるほどそういう思いが込められていたのかと気づく。依存症になる前はサッカー選手だったUくんはサッカーのコートを描いて、そこにゼッケン番号は収監番号を記すという大胆な表紙を描いている。なるほど自分の好きとそうじゃないものとの対比でとてもおもしろいなと思う。
本当に、いつも、みんなの作品に私はいくつもの発見をする。気づかされる。ああ、こんな方法で自分と向き合ったり自分を探ったりもできるのか、と、みんなと接していると新たな発見ばかり。ありがたいことだ。
大家さんの庭で、ヤギの八兵衛が窓の外メェェと鳴いた。桜の花弁がひらひら舞っている。
のどかな午後。
今日もこの言葉を思い出す。
You cannot change others or the past.
You can change yourself and the future.
今ここの連なりが私の未来を創る。だから私は精一杯今を生きる。そう、自分に言い聞かす。
今日を越えることさえ困難だった日々。一日を終えることができなくてひたすら自分の腕を傷つけた日々。眠ること食べることを怠り、まるで亡霊のようだった日々。省みると我ながらぞっとする姿もあったりする。そういう日々をもう繰り返したくはないから、せめて今ここからは、精一杯、生きよう、と思うのだ。


2022年04月10日(日) 
息子が教えてくれた。朝顔、芽が出たよ!と。連れられて見にゆくと、ふたつ、ぐいっと首を曲げて土を割って出て来た子らが。家人は、何処に芽が出てるのかちっとも分からなかったそうで。「父ちゃん全然気が付かないんだよ」と息子が自慢気な表情で私に報告する。そかそかと私も笑う。
いつも思う。この、土を割って出て来る時のこの力強さ。何という力なんだろうこれは。不思議で仕方がない。自分を覆っていたものを突き破って出て来るこの力。私にもこういう力があったら。私にもこの力を分けてほしい。真剣にそう思う。

夜、NからSOSの連絡が入る。ちょうど息子を寝かしつけているところですぐ出ることが叶わず。寝かしつけてから改めて電話をする。
「ねえさん、犯人が別件で、捕まったんだって。余罪追求してたら、たまたま私の件知ってる人が事件に関わってて。それで…」。Nの声が嗄れ声になっている。きっと歯軋りしすぎて、思いがぐしゃぐしゃに入り乱れすぎて、パンクしているに違いない。そうなって当然だ。こんなこと、あり得るなんて。
「あとひと月であれから十七年だよ。必死こいて今、記念日反応と闘ってるところだったのに。何なの。謝罪したいって言ってきたって。でも、謝罪すればすべて赦されるの? ありえない」。しばらく話をしていて、ようやっとNが涙声になる。それまできっと泣くことさえできなかったのだろう。とにかく今感じていることを吐き出せよと伝える。箇条書きでもいい、支離滅裂でいい、書き出してごらん、と。そう伝える。そうでもしなければ、今受けたものが膿になってしまう。傷になるだけでなく膿んでしまう。
電話を切って半時ほどすると、ぽろん、とLINEが鳴る。Nの罵詈雑言と言葉にしきれない嘆きが綴られたものが送られてくる。読み乍ら私は、彼女と出会ってからの日々を、十数年を思い返す。
「ねえさん、やっぱり、被害者であることから被害者だったに変わるのは、難しいね」
「いや、Nは、もう被害者だったになりかかってたよ。それを今、暴力的に、加害者によって被害者であるに引き戻されてるだけだ。それもまた、暴力」
「ああ、そうか。そうかもしれない…」
去年、彼女はこの時期、ちょうどこの時期、首を括った。たまたま虫の知らせで飛んで行った母親によってそれが発見されて、救急車で運ばれ事なきを得たけれども。もうちょっとで三途の川を渡っていたかもしれなかった。
「何も、今、記念日反応ばりばりの時に重なるようにこんなこと起こるなんて」
「でも、去年あの時期に重なるより、今でよかったと私は思う」
「ああ、そうかもしれない」
「ん」
「私は結局、Rちゃんの命を間接的にでも奪った犯人が赦せないと思う」
「それでいいと思うよ。きれいにまとまる必要はない。NはN。それでいい」
当たり前のことだけれど。私は加害者が顔見知りだったから、犯人が誰だか、分かっていた。でもNのように、見知らぬ人間からの被害だと、こんなふうに、或る日突然「知らされる」ことがあるのだな、と。そのことに気づく。それはどれほど残酷なことだろう。日常が突如分断されるような、暴力的なその知らされ方。たまらない。
でも。
それが現実なんだ。

今日は身体痛が半端なく襲って来る。朝からずっと、だ。鎮痛剤を何度か飲んでみるも、全く効果なし。テニスボールでケアし続けているのだけれど、軽減されるのはテニスボールでぎゅうぎゅう押しているその最中だけで、痛みを取り除くことはできそうにない。

今夜もきっと、眠れない。


2022年04月09日(土) 
横になるタイミングを逸してしまった。月曜日のアートセラピー授業のための準備や、来週末のアディクションリカバリープログラムの準備をしながら朝を迎える。それにしても闇が消えてゆくのが本当に早くなった。そして五時過ぎには日が昇る。昇る位置も、真冬の位置からずいぶん遠く東に移った。季節が変わるというのはそういうことなんだよな、と、窓を開けぬるい外気を浴びながら思う。
アメリカンブルーがやっぱりおかしい。悉く葉の先が茶色くなっていってしまう。水の与えすぎだろうか、それとも液肥の与えすぎだろうか、それとも。正解が分からなくて、途方に暮れる。あまりにひどいところは枝を切り詰めたりもしてみる。枝自体はちゃんと生きてる。どういうことなんだろう。耐えかねて母にLINEする。母は一言「カビでなければ心配いらないから、じっと待ちなさい」。待つ。もうずいぶん待った気がするのだが、それでもまだ待つのか? 「遅れて咲くか持ち直すか様子を見ていて。カビじゃなければ大丈夫だから」。こんな時、心底母の緑の手が欲しいと思う。アメリカンブルーの前でじっと座り込み、見つめながら言ってみる。信じて待つよ。ガンバレ。
ビオラは種を蒔くのが遅かったから、ほとんどの子たちがまだ咲かない。唯一咲いている子はちょうど葡萄の芽のところに陣取っていて、私は気が気じゃない。頼むから葡萄の芽を凌駕しないでくれ、といつも思う。いやそれ以上に、薔薇のプランターの中にこぼれ種で育ってしまったクリサンセマムの勢いが凄くて、それもそれで気になっている。いっそ抜いてしまおうか、と迷うのだが、せっかくここまで這いつくばって育った子らを引き抜くというのはできそうになくて。この子らの花が終わり種になるまでは、何とかもってくれよ薔薇の樹たちよ、と、祈るように思う。

映画「GUNDA」のDVDが欲しいと思っていたのだけれど。Blu-rayしか販売しないようで。残念で仕方がない。手元に欲しい作品の一つだった。あと「さがす」と「名も無い日」も。チェックしているのだけれどまだまだ先なのかもしれない。

書かないと翌日には私の記憶はしゅるしゅると消えていってしまうから、書き留めておこうと思うのだけれど、書き留めようと思うそばから逃げてゆく記憶たち。ああもう私は追いつかない、といつも思い知らされる。追いつかない、追いつけない。悲しいかな。どうしようもない。
過日、Aちゃんがこんなことを言ってきたことがあった。「私記憶が飛んじゃったみたいで。友達に「覚えてないの?」って言われてもまったく思い出せなくて。解離で飛んじゃったみたいで。こわいですね、これ。もうなりたくないって思いました」。彼女からのこの言葉に、私はぐっと思いを呑み込んだ。飛び出しかけた言葉を、ぐっと、呑み込んだ。
本当は。
いや、私は毎度毎度その解離性健忘にとりつかれて生きていかなあかんところにいるのやけど。その人間にそういうこと言うか?と。
言ってしまいたかった。だって傷ついたから。
でも。今、彼女は、正常な状態じゃない。それが分かっているから、言葉を、想いを、呑み込んだ。
解離を、とりわけ解離性健忘を、あまり甘く見ない方がいい。本当に、日常が送れなくなるから。私は呑み込んだ言葉の代わりに彼女に言う。「主治医にちゃんと話した方がいいよ。話して、対策を教えてもらっておくといい」。そう言うのが精いっぱいで、それ以上は口を閉じた。
私って、まだまだだな、とつくづく思う。まだまだ自分の許容量狭すぎて、人間なってないな、と思う。自己嫌悪に陥らない程度に自分に舌打ちする。
せめてあともうちょっとだけでもいい。自分の許容量を拡げたい。もっといろんなこと、受け止められるようになりたい。笑んだまま、すっと。受け流せるくらい。

窓を開けると、動物園から動物の鳴き声が低く小さく響いてきた。彼らも夢を見るのかもしれない。


2022年04月08日(金) 
ぼんやりとしたグラデーション、ピンク色からオレンジ色への。そんな空で始まる朝。ベランダに出て呼吸すると、大気がぬるくて驚く。もうこんなに暖かくなっていたのか、と。私はやっぱり、冬の、きーんと張り詰めた冷気が好きだ。その冷気がびっしりな朝が好きだ。ぬるくなってくるとそれだけでやる気が削げる。輪郭が曖昧にされそうで怖くなる。これからの季節が私には憂鬱でならない。もうすでにこの4月の時点で挫けてる私の弱さ。
通院日。昨日から続く身体痛と頭痛を抱えながら電車に乗る。空のグラデーションの如くぼんやりしていたら、もうちょっとで乗り越すところだった。慌ててリュックをしょい直して飛び降りる。一瞬、何処へ行こうとしていたのか分からなくなってホームで途方に暮れる。誰もが出口に向かって一心に歩いてゆく、その流れに乗り遅れて、呆然としてしまう。ひと、ひと、ひと、ひと。顔のないヒトガタが、一方向に流れゆくさまを、少し離れて見つめた。
カウンセリングで、ここしばらくずっと抱えていたもやもやを、何とか言葉にしてみる。被害者、と言ってしまう、被害者という特権が掲げる極端な「正義」が私には怖ろしい、と、途切れ途切れに言葉にして、伝えると、カウンセラーがちゃんと応えてくれて私は胸を撫で下ろす。
カウンセラーがこんな話をしてくれた。何事件だったか名称は忘れちゃったんだけれど、精神病者を座敷牢とかに閉じ込めるのが当たり前だった時代から、それはおかしいと逆に振れる動きがあって、でもまたその反動で強制入院させられる時代があって、その反動で逆に振れてそれはあってはならないという動きが出て、と要するに、極端から極端へずっと振れ続けて今がある、というような。そんなふうに、右か左か、白か黒か、というところをずっとジグザグに進んできてるのが人の世のようなところがある気がする、と。
私は。
今の流れが怖い。

あることを正しいと言う。こうあるべき、と。
こうあるべき、という言葉がすでに、極端に振れてる気が私には、するのだが、そういうふうに振れる時というのは中庸であることさえが罪とされたりする。そのどちらにも与しないというだけで、罪悪というような。
まだうまく言語化できないのだけれど。これが正義であり、これ以外は悪というような断罪の仕方はやっぱり、私は違うと思う。
正義は。ひとの数だけ、ある。

かつて、私にとっての正義が世界の正義だと勘違いしていた幼い頃があった。何を言っているんだおまえは、ふざけるな、である。つくづく思う。私にとっての正義はあくまで私にとってだけであり、あなたにはあなたの正義があるよね、と。どうして私はあの頃分からなかったのか。
私の思いとあなたの思いの、摺り合わさる部分を探そうよ、と、何故そこに至れなかったのか。
いまさらだけれど、つくづく私はガキだったなと。そう思うのだ。

白か黒か。だけで判断できるなら、苦労はない。右か左か、どちらかを選べばいいだけなのだから。こんな楽な話はない。
でも。
右か左か、だけじゃないのだ。右と左のあいだに、幾千幾憶のグラデーションが、存在している。じゃあ右と左の、それぞれのいいところを抜き出して、すり合わせて、右か左かではない道を作る、そんな方法があったって、いいじゃないか。

―――いや、まだ言語化しきれない。
まだまだ取りこぼしていることがたくさんある。言語化できてない部分がたくさんあるせいで、他人に伝えられるほどのものにはなってない。まだ、伝えられない。
とにかくただひとつ言えるのは。
私はこの流れに乗り切れない。何か違う気がする。と。そのこと。

病院の帰り道、燦々と降り注ぐ陽光、車内が光できらきらしていた。細く開けてある窓から風がしゅるしゅると流れ込んでくる。最寄りの駅までまだしばらく間がある。少し休もう。何も考えず。音楽だけ聴いて。


2022年04月07日(木) 
薄墨のような雲が拡がっていた朝。その僅かな割れ目を見つけた太陽が、その割れ目から四方八方に陽光を降り注がせていた。なんて元気のいい太陽だろう、とちょっと惚れ惚れしながらしばらく見つめた。毎日毎朝、このベランダから朝景を眺めるけれど、一度として同じことはなく、毎日毎日が新しい一日だということを教えてくれる。
息子の小学校がようやく始まった。始業式の今日、ランドセルを持っていくのかどうかで悩んでいる息子。どっちも持っていけば間違いないよね、なんて私が言ってしまったものだから、息子がしぶしぶ手提げとランドセル両方背負って玄関に出て来る。もう習慣のひとつなんだろうけれどマスクをつけている息子。いつこのマスクから解放されるのだろう。マスクなんてなかった日々が私には懐かしい。

ビオラに押し潰されそうになっている葡萄の芽。一本はもうダメかもしれない。微妙に色が変わってしまっている。残り3本あるはずなのだが、ビオラとクリサンセマムの勢いが強すぎて、1本行方不明。2本は何とか確認出来て、この子たちはちびっちゃいままだけれどそれでも何とか生きている。1つきりでもいいから、何とか生き延びてくれるといいのだけれど。葡萄の樹ってどんなふうに育つのか、見てみたい。幼少期住んでいた家に、葡萄の樹があった。微かに覚えている。季節になるとぶらんぶらんと葡萄の実が垂れ下がって来る。葡萄の棚。でもそれ以上のことは何も憶えていない。2階のベランダが異様に広かったあの家。そのベランダで私は、幼少期、歩行器に乗ってよく遊んだと聞いた。歩行器に乗って勢いよく地面を足で蹴るとびゅんっと走る歩行器。そのまま干してある洗濯物の波に突っ込んでいって、洗濯物をめちゃくちゃにするのが楽しくてしょうがなかったらしい。母が「おかげで何度か洗濯し直しさせられたのよ」と言っていた。
葡萄と柿。幼少期に家にあった果物の樹。その他実がなるものとして梅と金柑があった。今実家にはさらに、檸檬、ブルーベリー、キウイ、グレープフルーツといった樹たちが育っている。緑の手を持つ母の行き届いた世話のおかげで、みんな元気だ。
私は母の代りにはどうやってもなることはできないから、母の死後、その子らはどうなるんだろう、と時折考え込んでしまう。誰が世話をみてくれるのだろう。そう遠くない将来、父も母も死んでしまうだろう。その日を後悔なく迎えられるよう、父母もそして私も悔いなく迎えられるよう、今ここである今日を精一杯生きる。

SEの勉強をするようになった家人の、SEっぽい振る舞いが、正直苦手だ。家人はよかれと思って、自分が勉強した事柄を実行に移しているだけの話なのだけれど、それが妙に鼻につく。今日はとうとう、家人のそれっぽい振る舞いに、息子がパニックを起こして、結局へそを曲げてしまった。ちょうど食事時だったというのもあって、息子が床にでーんと身体を放って「もうわかんない!意味わかんない!何言われてもわかんない!」ときぃきぃ声で繰り返す息子を見ていて、いらいらっとする部分もあったけれど、同時に、分かる分かるそうなるよね、と頷いてる自分も、いた。
そうして気づく。ああ私は、結婚パーティーの時のあれこれや結婚時のあれこれ、出産にまつわるあれこれ等、すべて、忘れてはいないのだな、と。あんなことが平然とできる人間だったのだよ君は、と何処かで思っている自分がいると気づく。今どう振る舞おうと、あなたの今を透かして昔が見えてきてしまうから私はつらいのだ、と。気づく。
いや、そんなこと言ったら、誰も更生できないじゃないか、と、自分に腹が立ったりもする。でも今はまだ、そういうところに自分がいることを、改めて思い知る。なんてちっぽけな自分。ほとほと自分で自分が嫌になる。
今目の前の家人は、SEを勉強することを通してずいぶん変わったのだ。変わろうと彼は努力しているのだ。それはすごく分かっている。分かっているのだけれど。
まだ、私の幾つものこだわりが、「このままなかったことにするのか?冗談じゃないやい!」と悲鳴を上げている。

その悲鳴にじっくり向き合っていかないといけない。
私の大事な、家族だから。


2022年04月06日(水) 
桜の花弁がひらひらと舞っている。ワンコと散歩に行く道中、あちこちで花弁に出会う。花弁によって桜の樹が近くにあることに改めて気づくことも。それにしても今日は午後から風が強く、それゆえに宙を舞う花弁も一層多くあった。そういえば今日は息子の小学校で入学式があったはず。この花弁舞う中での入学式、美しかったろうな、なんて、想像を巡らす。
イフェイオンは白っぽい子と青い子とが入り乱れて咲いており。おかしいな、うちの子たちはみんな青い子だったはずなのに、と首を傾げる。何故白い子がいるんだろう。植えっぱなしにしている子たちだから、いつのまにか色が変わった、なんてことがあるんだろうか。考え巡らすほどに不思議で仕方がない。

戦争のニュース、性加害のニュース。私にとってどちらも、しんどいニュースだ。できるなら見たくない、聞きたくない。でも、どこを向いてもそれらが目に入る。もういっそ何も見ないで目を閉じていようかと思ってしまう程。
時代が変わり始めている。性加害のニュースがここまで連日巷を賑わすなんて、これまであっただろうか。
昔関わりのあった被害者の子らは、今どうしているんだろう。こんな世の中が来るとはあの頃思ってもみなかった。たとえば十年も経った被害についてカミングアウトできる世の中が来るなんて。そしてそれに耳を傾けてくれるひとたちの存在があり得るなんて。
それを考えれば、この変化は大切な変化なんだと思う。それは分かっている。でも、心がこの状況についていききれていない。

でもいつも思うのだ。
被害者です、と名乗りを上げることはそのまま、加害者の存在を指し示すことだ、と。加害者がいなければ被害者は生まれない。加害者による加害行為があってはじめて、被害者というものが生まれる。だからつまり、被害者ですという名乗りは、加害者がそこに存在しているのだということを指し示す。
この重さ。

それにしても身体が痛む。たぶんこういったニュースに対するストレス反応なんだろう。特に右半身、痛くて痛くてたまらない。その話を家人にしたら、こんなことを言われた。トラウマ体験が右半身にあるからなんじゃないの?それが疼くのかもしれないよ、と。そう言われて、改めて省みれば、被害に遭った時掴まれた肩は右側だったな、と。右肩を掴まれ、押し倒されたのも確かに右肩が先だったかもしれない、と。そんなことを思い出す。家人に言われなければ改めて思い出すこともなかっただろう事柄。
あまりに痛いので、息子を寝かしつけてからずっとテニスボールでケアしているのだが、あまりにがちがちに筋膜が固まっているらしく、びくともしない。また被害に遭うかもしれない、またとんでもないことに巻き込まれるかもしれない、という危険信号が、身体の奥から発せられているのかもしれない。身体が臨戦態勢だ。
心と身体は密接につながっている、とは、よく言ったものだと思う。己の心の状態をまだ言語化し得ないうちに、身体は正直に反応する。そのくらい敏感なのだ、身体は。
主治医から習ったケアも取り入れてみているのだが、あまりに痛みが酷くて、仕方なく鎮痛剤を飲む。

私が最初にカミングアウトした時。自分が被害に遭った、ということを誰かに伝えることは本当に本当に恐ろしかった。自分がそれを為してしまうことによって、何もかもが狂ってしまう、反転してしまう気がした。そして、そこに加害者の存在もまた、あった。
私が被害に遭ったと告白することによって、加害者は炙り出される。炙り出された加害者は再び私に牙を剥いた。もう最初の被害でずたぼろになっていた私は、為されるがまま、それを受けるしかできなかった。
地位利用型性暴力とか、対価型性暴力とか、グルーミングとか。いまでこそそういった言葉が用いられるようになってきているけれど、私の被害の当時はそんな言葉は皆無だった。私の被害を言い表す方法がなくて、言葉がなくて、私は苦しんだ。
言葉が存在することのありがたさ。痛感している。
自分の被害について明確に表現し得る言語が存在するということは、それだけで、救われる。それだけで安心度合いが増える。その言葉によって、物語ることも可能になる。
物語ること。己に起こった出来事をつらつらと物語ること。これが、被害者には必要なことなのだと思う。正確に物語る、よりも、思いつくまま物語ることの大切さ。それには、それを遮らない忍耐強い「耳」の存在が必要不可欠になる。
第三者の「耳」がそこに在って、物語れるだけの言葉があって、はじめて、被害者は語りを取得する。これは、いずれ、その者の回復を大きく後押しする。

何となしに窓の外を見やる。闇が深い。厚手の靴下を履かず裸足でいても何とか耐えられるくらいにあたたかくなった。私はごくり、手元のコップで水を飲む。動物園の方から動物の遠吠えのような吠声が響いてくる。
私の眠りは、まだしばらく、先のようだ。久しぶりにチャイでも淹れようか。眠れそうにない自分の為に。


2022年04月05日(火) 
早朝の空に横たわっていた薄墨のような雲たちはやがて散り散りになり、気づけば燦々と陽光降り注ぐ有様に。冷たい風がひっきりなしに桜の花を散らしてゆく。私はその花弁舞い散る中、3回も洗濯機を廻し、ベランダが洗濯物でぎっしりになるほど干した。洗濯物の影になるイフェイオンとラヴェンダー、今日はちょっと我慢してねと声を掛ける。
息子が今日も外に遊びに行かない。お友達誘えばいいじゃない、と言うと、もごもごと口ごもるばかり。学期末に喧嘩でもしたのかな、何か争いごとでもあったかな、と想像しながら、じっと彼の様子を見つめる。彼が言葉になりきらないうちに私が先取りしちゃいけないと思うから、これ以上のことは私からは彼に言い募らないようにしている。でも。
息子よ、何かあったならなおさら、自分から行動にかかる方がいいぞ。もじもじうじうじしていても何にもならない。もしも何かあってそれが自分の心にひっかかってるなら、きっと相手もひっかかってる。そのひっかかりを取り除くには、誰かが一歩踏み出さなきゃならない。息子よ、じっとしていただけでは、何も状況は変わらんよ。母は、そう、思う。
ワンコと散歩に出掛けると、アスファルト一面花弁の海。ワンコが吹き溜まりに小山のように溜まった花弁を見つけ、嬉々として喰らう。桜の枝も彼は大好きなのだが、花弁も好きなようで。濡れた鼻面にいっぱい花弁を付けて、そのせいでくしゃみを連続でしてみたりして。それでも花弁を食べようとする。よほど美味しいんだね。人間にとっての桜餅みたいなものかしらん。私は頭の中、あれこれ想像する。

前から思ってた。もやもやしてた。悶々としてた。
私は真っ白です、過ちを犯したことはありません、みたいに声高らかに自分の正当性を訴えてるひとに出会うと、私はもやもや悶々してしまう。言葉になりきらないところで、もやもや悶々と。ずっとそれがしんどくて、しんどくて、つらかった。

真っ白? 本当に真っ白なだけで生きられるの? 本当?

私には、真っ白があり得るなんて、とてもじゃないが思えないんだ。真っ黒なだけの人間もいないと、私はそう思う。白か黒かだけで断じられるくらいなら、人間の世界、こんなややこしいことになってないと私は思うからだ。
むしろ、白と黒との間のグレーのトーンがどれほどあることか。誰もが間違う。間違いを犯す。真っ白なブラウスに一点のシミも曇りもなく生きていくことなんて不可能だ。泥だらけにもなれば血だらけ傷だらけにもなる。
生きてるってそういうことだ、と私は思う。
かくいう私も、かつては、白か黒か、だった。0か100か。そういうところで生きていた。白か黒かじゃなければ、自分を赦せなかった。でも。
そんな、白か黒かしかない世界って、しんどい。きつい。どちらかしか許されない世界なんて、きっといつか、悲鳴が上がる。いや、或る意味楽なんだ、白か黒かで二分される世界は。どちらかしかないから。どちらかだけしか赦さないから、考える分量もその程度で済む。でも。
夥しいグレーのトーンの海の中を泳ごうと思ったら。これはこれでとても、大変なことなんだ。覚悟がいる。責任が生じる。負うものが増える。選択も常にし続けていかなければならないし、考える分量も何千倍何億倍に増える。常に選択をしていかなくちゃいけないから自分自身と常に向き合っていかなければならない。
生きるって、覚悟、だ。それが一瞬一瞬、試される。
だからこそ。
生きるのは、面白いんだ。


2022年04月03日(日) 
雨。じっとりと降り続く雨。どうして桜が咲く頃には雨がこんなにも多いのだろう。桜の花を散らさんとばかりに降る。咲いたばかりの花たちが雨粒に叩かれ散ってゆく。毀れ落ちる花弁たちが濡れたアスファルトに重なり合う。そして誰かの足に踏みしだかれる。あっという間にそれは、ただの形骸化される。薄い命。
雨の中雨合羽を着てワンコと散歩。ワンコの尻尾がぶるんぶるん振れるたび私に水滴がかかる。まるでリズムをとってるみたいな具合。散歩を終える直前、突如リードが切れてしまう。驚いてワンコを呼び止める。気づいてないワンコは不思議そうな顔で私を見上げる。そっと彼の首輪に手をかけ、彼が走り出さないよう気を付ける。リードが切れる、なんて、こんな呆気なく切れるなんて。吃驚。

久方ぶりにCちゃんとふたりおしゃべりする。パートとはいえ仕事を始めた彼女の顔色が、ぐんと明るくなっている。きっと今はまだ、新しい場所へ慣れるのに精いっぱいに違いない。ひとと中途半端につきあえない彼女を、不器用と言うひともいるけれど、私はそんな彼女の丁寧さが好きだ。信頼できる。
仕事の話、本の話、彼の話、あれやこれや、つれづれなるままにおしゃべりが続く。珈琲に飽きて和生姜焙じ茶に切り替える。最近煙草を持ち歩くのをやめたんですという彼女が、すみません煙草貰ってもいいですか、と私の煙草を吸うのだけれど、私の煙草が彼女の煙草より強いんだろう、吸い方が微妙でふたりして笑ってしまう。
正義の話になる。ひとの数だけ正義があるね、と。私の正義、Cちゃんの正義。決して100%重なり合うことはなくて、みんなそれぞれ物差しがあって。でもだからこそ、自分だけの物差しで誰かを計ってはだめなんだよねぇ、と。そんなことをふたりしてうんうん言いながらおしゃべりをする。
Cちゃんのツボるところと私のそれとが、結構重なり合うおかげで、あっという間に夕暮れてゆく午後。その間も雨は降り続く。じっとり、と。
被害の体験は、それを受けた者の内にくっきりとしたトラウマを残す。刻印のようにくっきりと。でもだからといって、すべてを「被害のせい」にしてはならないよね、と。被害の体験があまりにくっきりと「トラウマ」であるから、ひとはつい、その後起こるあらゆる不幸を「被害のせい」にしたくなる。どれもこれも、あの被害体験がなければ、それさえなかったら、と。でも果たしてそうなのか?
同じ被害の体験を経たとしても、感じ方は千差万別。そのひとそのひとのそれまでの過去だったり人間性だったりによって、まったくもって受け止め方が変わる。そこまでちゃんと向き合わないと、何もかもを「被害のせい」と一括りにしてしまいがち、だ。でもそれでは何も解決しない。
ひとつひとつ、向き合っていかないと。絡んでしまった糸を解いていかないと。時には自分の弱さや狡さとも向き合わねばならないことだってある。見ないふり気づかないふりしたくなることもあるだろう。でも。それらもひとつずつ越えていかなければ、決して終わらない。
トラウマに試されてるかのようだ。そう、酷い被害体験を通して、おまえはどれだけの人間なのかと試されてるかのようだ。はっきりいって残酷な試され方ではある。そんなもの、経ないですむならそれに越したことは、ない。
それでも経てしまう時が、経てしまう者が、いるわけで。試される人間性。それが多分、その体験を経ての回復と成長につながるんだろう。そんな気がする。

天気予報は明日も雨だという。溜まった洗濯物の山を前に小さくため息ついてみたり。でもきっと明日は今日よりいい日になる。そんな気がする。


2022年04月02日(土) 
一日留守にしただけで、ベランダの植物たちがぐったりしている。慌てて如雨露で水を遣る。いつもよりたっぷり、如雨露を傾ける。
薔薇の樹の足元から葉を茂らせているクリサンセマムの葉はぐったりと項垂れており、その中央の薔薇も息切れしている。如雨露を高く持ち上げて上からたっぷり水を遣る。液肥を混ぜた薄茶色い水が次から次に葉を濡らし、土を濡らす。イフェイオンと宿根菫はそんな中でも元気そうで、それぞれに花を咲かせている。

帰宅して間もなく、家人と息子が喧嘩を始めた。はっきり言って、どっちもどっちの、くだらない言い合いだ。両方で相手の傷つくこと腹の立つことをわざと選んで言っているとしか私には思えない、そんな言い合い。いつもならぐっと黙って言い合いがやむのを待つのだが、今日はさすがに遮るように怒鳴ってしまった。いい加減にしてよ、何の為にお出かけしたの、台無しになるような言い合いをどうしてするの、やめなよ!と。
家人は席を立ち、息子はぶうたれた表情を全身に浮かべる。私は私で、心の中思ってしまう、こんなふうな終わり方するなら私はもう次は行かないぞ、と。

人間、どうして、相手の腹の立つこと、傷つくことを分かっていて、わざとそれを選んで吐き捨てるのだろう。
相手の喜ぶことにはあまり気づけないくせに、その反対のことについては人間誰しも敏感だ。こう言えば、こう行為すれば相手はむかつくに違いない、というのを瞬時に見つけ出す。
そういう言葉を吐き捨てる時のそのひとの表情もまた、独特だ。いつだってそういう時の表情は醜い。相手を傷つける為に吐き捨てられる言葉と同じくらい、醜い。
そういえば。昔々まだ子供だった頃、母に怒られたことがあった。捨て台詞を吐くのをやめなさい、と。強く叱られた。捨て台詞を吐いた方はそれですっきりするかもしれないが、吐かれた方はそのせいで長いこと心が不愉快なままになるのだ、と。たとえば学校へ行きがけに私が捨て台詞を吐き捨てたとする。吐き捨てた側は家を出て学校に出掛けるから気持ちも切り替えられるだろうが、吐き捨てられた側は吐き捨てられた言葉が響き続ける家の中、ずっと呼吸し続けなければならない。ずっと、吐き捨てられた言葉の醸す気配を、呼吸し続けなければならない。こんなしんどいことはない、と。
家人や息子の捨て台詞に出会うたび、私はこの、大昔のことを思い出す。そして、胸がちくりと痛むのを感じる。今なら分かる。母が当時言ったことの意味が、痛いほどに分かる。

夕方、LINEが流れて来る。Aちゃんが言う。「ほんの少しの支えてくれるひとたちを大切に過ごそうと思います」と。私はその言葉がひっかかった。
ほんの少しの、とAちゃんは書くが。支えてくれるひと、信頼できるひとというのはそもそもそんなに大勢いるものなのだろうか、と。私は考え込まずにいられなかったのだ。
被害に遭ってまだ日が浅い頃。私も絶望に暮れたものだった。私が被害者になったことや具合が悪くなっていることを知って離れていくひとたちもいれば、何も言わず黙って隣にいてくれるひともいた。その数だけ数えるなら、離れていく人たちの方が膨大で、残ってくれるひとは片手に数えられるほどだった。その数の差に、当時は愕然として、傷つきもした。どうして被害者になった私がさらに追い打ちをかけられなきゃならないんだろう。どうして私がひとりぼっちにならなくちゃならないんだろう。理不尽だ、と。そう、思っていた。
でも。
じゃあ被害にも遭わず、そういったことから無縁のところで生きているひとたちは、そんなにたくさんの信頼できる人がいるものなのだろうか? 疑問だ。
結局のところ、心底心を打ち明けたり、信頼したりする相手というのは、ごくごく少数で、片手に収まってしまう程度のものなんじゃなかろうか、と。
だからひっかかったのだ。いやいや、ほんの少しいればいいじゃないか、ほんの少しだろうと何だろうと、信頼できる相手がひとりでもいれば、人間生きていけるというもの。違うだろうか?
全力で誰かと向き合うのは、そもそもしんどいものだ。全神経全体力を費やす。ひとと向き合うとは、そういうことだと私は思う。
一週間、一日一日誰かと会ったとして、その誰もに全力で向き合おうとしたら、とてもじゃないが一日一人が私には限界だ。一日一人、懸命に心を傾け全力を傾け、耳を澄ます。それがもし、できない、というのなら。
私はそもそも、あなた方と縁がなかったのかもしれない。

窓の外、すっかり闇色。でも、昨日見たあの夜の濃さ深さは十分すぎる程深く濃い。星も驚くほどくっきり輝いていた。今窓の外に星はほとんど見つけられない。それでも。星はきっとそこに居る。


2022年04月01日(金) 
川の音。流れ続ける水音。家人と息子に連れられてやって来た渓谷。じんじんする寒さ。土筆がもりもり生えている。桜もまだ半分ほどしか咲いていない。ワンコはずっと興奮しっぱなしで尻尾をブンブン振り続けている。
普段寒さに強い私がへばっているのを見て家人が苦笑している。私自身首傾げている。でも、家という壁に守られている部屋と、そうではないこの場所では、不安度も全く異なるんだよと、説明しかけてやめた。多分家人や息子には伝わらない。
よく、家人は良き理解者だよねと知人たちは褒めるけれど。私自身はそう思っていない。私の具合の悪さに気づくのは確かに早い。でも理解しているかと言ったら否のことの方が多かったりする。口に出しては言わないけれど。

人間どうやっても、自分の物差しを当てたがる。ひとと自分のそれとは異なるのだよと知っているはずなのに。私にもそういうところは多分にある。
とことんのところ、どれだけ自覚しているか、どれだけそれをとっさに用いられるか、なんだろう。

日が暮れて星が瞬いていたのも束の間、夜空は呆気なく雲に覆われてしまった。辺りに外灯はほとんどなく、手元の小さな灯りのみ。その間もずっと流れ続ける川の音。

少し疲れた。
時々、猛烈に独りになりたくなる。そういえば久しく海を見ていない。海に潜っていない。飢えているのかも知れない。あのとてつもない孤独に。

夜が深い。このまま闇に溶けてしまえたらいいのに。



浅岡忍 HOMEMAIL

My追加