ささやかな日々

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2022年03月31日(木) 
いつものように今朝も定点観測。東空はぼんやり霞んでいる。花粉のせいだ、きっと。さぁそろそろ東空が染まり始めるに違いない。そう思ってベランダに出る。しかし、目の前の空はこれっぽっちも色づく様子がない。そうしているうちに太陽が昇って来た。生まれたての卵を割った時の、あの濃く深い橙色。でも、暗橙色の太陽から光が四方八方に伸びてゆく様子はなく。ひたすらに丸い暗橙色の太陽が、じりじりと這い上がって行くのだった。
薔薇の樹に病葉を見つける。よく目を凝らして見ると、その一枚だけではない。そこを中心に私の手の大きさくらいは、病葉だった。慌てて病葉を取りにかかる。病葉はいつだって、私の指が触れたかどうかという瞬間に、はらり、と落ちるのだ。まるで「いつ取ってくれるのかとずっと待っていましたよ」と言っているかと錯覚するほど。はらり、はらり、はら、はらり。
取れるだけ病葉を取って、一枚残らずそれらをゴミ箱に捨てる。これ以上病葉が拡がりませんように。ここで食い止められますように。祈るように願う。
クリサンセマムにはアブラムシがごっそり。これまで何とかならないものかと毎日のように指の腹で潰し続けてきたけれど、もうこれ以上は無理だと判断。薬を噴きかけることにする。霧吹きの中の薬液をよく振って、たっぷり吹きかける。ここぞとばかりに吹きかける。葉の裏側にも潜んでいることが多々あるから、上からやるだけではだめなのだ。下側からも吹きかけないと。結局、それだけこなすのに、半時間以上かかってしまった。慌てて部屋に戻る。
緑の手。ふとその言葉が脳裏に浮かぶ。植物を枯らすことのない、ひたすら育ててゆく緑の手。私は緑の手と言ったらすぐに母を思い浮かべる。どんな植物も待ってましたと言わんばかりの勢いで、彼女は引き受けた病いに陥った植物たちを悉く救って来た。蘭でさえも。彼女の手にかかると、植物がおのずから彼女の手に集うかのように錯覚するくらいだ。Tが、「あなたも緑の手の持ち主だね」と笑っていたことがあったけれど、とんでもない、私は、病気を治してやることさえまだままならない。
いつか。そう、いつか、でいい、母の様な手が欲しい。そのためにも私は、今日をまず淡々と生きることが目標。


この間整骨院に行った折教えてもらったストレッチを続けている。ストレッチをして改めて、自分の前腿ががちがちに固まっていることを痛感する。ここまで私の身体は硬かったか?と首を傾げるくらいだ。開脚した左右の脚に向かって身体を倒し脇を伸ばすストレッチでも、脇の下の脇腹については、まず呼吸をその強張っている箇所にゆっくり深く入れて、まずそこから身体を解す。一事が万事そんな具合。呼吸が大事というのは本当だなと心底思う。

いつの間にか雨が降り出している。窓の外、吹き荒ぶ風に乗って雨粒が右に左に散り散りになってゆく。
一粒だけでもいい、次の命を繋ぐためにちゃんとプランターの中に零れ落ちますように。がんばれ、みんな!


2022年03月30日(水) 
クリサンセマムが次々咲き乱れる。ベランダが日々賑わっている。ありがたいことだ。花が一輪咲いてくれるだけで、それだけで気持ちが救われる時というのがある。一輪どころか今は右を見ても左を見ても、花の姿がある。イフェイオン、ビオラ、宿根菫、アメリカンブルー。ただ、アメリカンブルーは葉の様子がやっぱりおかしい。近々母に訊いてみようか、何の病気なのか私では分からない。
ビオラの下に隠れて、葡萄の芽が小さな小さな本葉を出しているのだけれど、そこからいっこうに動く気配がない。頼むから枯れないで、と祈りながら、葉をそっと指の腹で撫でる。育て、育て。声を掛ける。先日植えたミモザ、大きな大きな、樽みたいに大きなプランターの中、元気そうな姿を見せてくれている。この子はこれからどんな成長を見せてくれるのだろう。
洗濯物がよく乾く。朝のうち雲が空を覆っていたけれど、いつのまにか陽光が降り注ぐ天気。

Pちゃんが教えてくれた。時効が来ると、時効成立の連絡は、紙きれ一枚なのだと。その日が来ると紙切れ一枚が送られてきて、時効が成立しました、とぽそぽそと書いてある。それですべてが終わるのだ、と。
Pちゃんの被害は、顔見知りからの被害である私のケースとは違って、見知らぬ人間からの暴行も加わっての事件だった。警察も動いてはくれた。でも結局、犯人は見つからずじまいで、時効が来た。
もし自分の事件がそんなふうに、紙切れ一枚で終わりを告げられたら、私はどうだったろう。考えても、想像さえ働かない。そのくらい、ショックだ。
でも。Pちゃんは、もうやれることはやった、終わった、と、ぼんやり思ったのだとか。その言葉に、掛けられる言葉何一つ思い浮かばなかった。

今日友人の案件が、不起訴処分の連絡が来た、と。嫌疑不十分で不起訴決定だと。友人が、連絡を呉れた。声は淡々としていたけれど、きっとしばらくしたら反動が来るんじゃなかろうか、と、そう思えるくらいの淡々さで。心配しても、いや、心配するくらいしかできなくて、彼女の声に相槌を打つくらいしかできなかった。
嫌疑不十分って何なんだろう。相手も加害を認めているのに、それでも嫌疑不十分って。まるで真っ暗な深い穴を見せられているような気がしてくる。底なしの穴。社会の不条理がこれでもかってくらい詰め込まれた穴。
「三年、よく頑張ったって自分に言ってあげたい」と。いや、本当によく耐えた、この三年。毎日が途方もなく長い一日だったろうに。越えるのがどれほどしんどかったろう、毎夜毎夜。明けない夜はないとよく言うけれど。そういう時は何処までも夜が続いていくんじゃないか、終わらないんじゃないかと思えるんだ。本当に。一日が永遠に続いて、何処までも続いて、終わりがないんじゃないか、って。恐ろしいほどの暗闇。
振り返れば、私にもそういう、越えることが難しい夜が幾つもあった。幾憶もの夜をそうして越えなくちゃならなかった。もう終わらないんじゃないか、夜明けはこないんじゃないかとそのたび思いながら、空をじっと見つめたものだった。あの川沿いの、10階の北側の部屋、リビングにぺたっと座り込んで、虚空をただ、じっと見つめる他できなかった日々。もう二度と戻りたくない、そんな、日々。

どうして被害を受けた人間が、そんな途方もない夜を幾つも、越えて生き延びなくてはならないのだろう。終わらない夜を幾つ越えれば、光溢れる穏やかな朝を迎えられるようになるというのだろう。加害側は、たとえば嫌疑不十分、不起訴、という結果を得れば、一段落つくんだろう。しかし被害側は? その場に取り残され、ただ、呆然と、過ぎ行く時やひとたちを呆然と、眺めるくらいしか、できない。
いつだって被害者は、その場に取り残される。
そうして、ひとりで、たったひとりでそこから、立ち上がり歩き始めなくてはならない。いつだって、そうだ。いやそんなことはない、差し伸べられる手だっていくつもあるだろう?とひとは言うかもしれない。確かにそれはそうだ。しかし。
歩き出すのは、いつだって、被害者その人、だ。
いくら手が差し伸べられようと、いくら声が掛かろうと、結局、その場から歩き出すのは、当事者本人でしか、ない。
当事者の人生を肩代わりしてくれるひとなど、どこにもいないのだから。


2022年03月29日(火) 
去年だったか、派手に階段落ちしてしばらくした3月頃から通い続けている整骨院、今日もその日で。K先生の施術はとにかく痛い。痛い箇所を先生の指先がすぐ見つけ出す。先生の指の腹に眼でもついてるんじゃないかと思うくらい的確に見つけ出す。見つけ出してそして、そこを解しにかかる。最初から痛むのではなく、しばらくして痛みが浮き上がって来る感じなのだ。先生の指の眼が見つけ出した痛みが、先生の施術によって浮かび上がって来る、そんな感じ。今日も、右脇の筋や前腿、足の付根等、次から次に痛みが浮かび上がってきて、そのたび「痛い!」と声を上げてしまった。
でも先生の指はぎゅうぎゅう押しているわけじゃない。むしろちょっと触ってる程度なのだ。ただ、痛みが浮かび上がって来てるから私には猛烈に痛いように感じられるだけのこと。それが不思議でならない。
でも、施術が終わるとそれまで左右のバランスも完全に崩れて歪に歪んでいたラインが、まっすぐに矯正される。そして、それを維持するためのケアとしていくつかのストレッチを先生が教えてくれる。私は次回の診察までそれをせっせとこなす。その繰り返し。
最初ここに来た時にはふらふらだった。身体が悲鳴を上げていた。二日おきくらいに通わなければならないくらい酷い状態だった。それが一週間に一度になり、今は二週間に一度のペースになってきた。確実に自分の身体が軽くなっていくのが分かる。痛みでひぃひぃ言っていたのにいつのまにか言わなくなったし痛み止めを飲む頻度も格段に減った。身体のケアって大事なんだな、と、K先生が実際に私に示してくれた気がする。
たかが身体、されど身体。
被害に遭ってからというもの、心優先で突っ走ってきたところが私にはある。身体になんて構っていられなかった。そんな余裕はなかった。生きるか死ぬかの毎日だった。
でも、身体はその心の容れ器なのだと、頭では分かっていた。分かっていたが、余裕がなかったから身体を大事に扱う、ケアする、なんてできなかった。階段落ちして骨折し、あちこち強烈に打撲し、実際にずたぼろになってもうどうしようもなくなってはじめて、どうにかしないとと思えた。
頭で分かっていても、実際にそれを為すかどうかは、別なんだ。本当に。
この一年、怠け者の私が、K先生の出す宿題については少しだけやるようになった。先生の宿題=指定されたストレッチを為すと、調子がよくなると実感できたからだ。実感がなければ、ここでも挫けていたに違いない。そのくらい私の精神はメゲ易い。身体に関しては容易に放棄する面倒くさがりだ。たぶん先生もそれが分かっていたに違いない。絶対これこれをやれ!とは言わなかった。あまりやってない週も、先生は何食わぬ顔をして施術を淡々とこなしてくれた。
身体の痛みが少しずつ少しずつ軽減されていくのに従って、頭痛の頻度も減って来た。毎日のように襲われていた頭痛。もう頭痛がすることがデフォルトのようになっていた私。だから処方される鎮痛剤の量は半端なかった。友人が呆れるくらいの量や強い薬を毎日毎日飲んでいた。それが、この半年くらいの間に、週に2、3日頭痛がする程度にまで減って来た。長年つきあってきた頭痛だったのに。まさか自分が、鎮痛剤を飲まなくても大丈夫な日があり得るなんて、想像もしないくらいだったのに。
身体を一緒にケアしてくれるひとがいるって、本当にありがたいことなんだな、と今は思う。伴走者、みたいな感じだ。ともに走ってくれるひと。道を指示してくれるだけじゃなく、こちらの身体の声をいちはやく読み取って、それをさりげなく伝えてくれるひと。こんなありがたいことは、なかなかない。

身体は心を容れる容器。
分かってはいたけれど。大事に扱う気持ちになれなかった。身体なんて木端微塵になってしまえばいい、とあの日からずっと思っていた。ずっとずっとずっと。
被害に遭って、繰り返し凌辱されるという経験を経て、それでもそんな身体を愛せと言われたってそれは無理ってもんだ。とてもじゃないが愛せない。穢れてしまったことをいちいち思い出させる己の身体を憎みこそすれ、愛するなんてできなかった。
でも。
身体があったから、私はリストカットを繰り返し、そして夜を越えてこれた。身体があったから、娘息子をこの世に産み出すこともできた。身体があったから、会いたいひとにも会ってここまで来た。身体が無ければ何一つ、できなかった。
いや、分かっている。頭ではずっと分かってた。ただ、身体=穢れ、としかどうしても思えなかったのだ。ずっとずっと、ずっと。
この身体さえなければ私はあんな被害に遭わずにすんだかもしれない、と思ってしまうから。
大きい胸、大きい尻、派手な顔の作り、そういったもの全て、嫌悪の対象だった。嫌悪、憎悪の。
そんな私自身からの嫌悪や憎悪を一身に引き受けて、それでも私の身体は生き延びて来た。相当忍耐強い奴なんだろうな、と想像する。そうでなければ、とっととあの世に逝っていたに違いない。
身体は心を容れる容器。だから、もういい加減、ケアしてあげよう。私は十分に歳を取った。私の嫌悪・憎悪を引き受けてくれていた身体も歳を取った。ここからは、私が、ちゃんとケアしてあげなくちゃいけない。死が私に訪れるその日まで、ちゃんとつきあっていけるように。

心も体も、どちらも大事なものだ、と、ちゃんと私が笑って言える日が来るように。


2022年03月28日(月) 
日の出前、どんよりと薄灰色の雲が横たわっていた。重たげに横たわるその雲は、何だか悲しそうに見えた。日が昇って来た頃、東の空の雲に割れ目が現れ、太陽の照り返しを受けて黄金色に雲が輝いた。一瞬の輝き。
イフェイオンが咲き始めたのは嬉しいのだけれど、年々その花弁の色が薄くなっているように感じられるのは気のせいだろうか。濃い青色だった子たちが徐々に徐々に薄水色に変わっていっている。これは自然現象なのか、それとも違うのか、私にはちっとも分からないのだけれど、あの濃い青色が見られないのは、正直淋しい。その隣で、万田酵素の液肥のおかげなのか、ラベンダーが青々と茂っている。液肥をこまめにあげるようになって、どの子も緑に艶が出るようになった。薔薇の葉たちもずいぶん元気に見える。そういえばRさんが薔薇を挿し木で育ててみると言うので液肥のことを伝えたら、「それ!私昔飲んでた!」と返ってきて笑ってしまった。Rさんはアンティーク調の色合いが好みのようで。そういうお花が咲く薔薇を選んで育てようとしている。一本でもいい、無事根付くといい。挿し木から育てるのはいろいろ大変なこともあるけれど、その分楽しみも増す。かく言う私も、昔々、白薔薇を育てたいと唐突に思い、花屋に走ったんだった。取り寄せじゃないと白薔薇はありませんと言われ、それなら取り寄せてくださいと頼んだ。そのくらいどうしてもどうしても白薔薇が欲しかった。白い花。無垢な白い花。被害に遭い汚れてしまった自分にとって救いになり得る花。無垢な白、残酷な、白。

アートセラピー講師の日。今日はコラージュの日。この一年を振り返って、いいことも悪かったことも含め今思うことを、形にしてもらう。一年の締めくくりとして。
この一年のうちにスリップを繰り返したひともいれば、何とか踏みとどまったひと、鬱に陥ったひと、少しずつ日常を取り戻し始めたひと、それぞれにいろんなことがあった。それを「今ここ」から振り返ってどう見えるのか。
みんなが作業をしている、その表情を、私はじっと見つめる。
解離性障害を負っているTさんが、にこにこしながら次々画用紙に何かを貼り付けている。近くに行くと、「この水筒が僕なんです」と教えてくれた。水筒を僕に見立てて撮影し、それを使ってのコラージュ。最近解離の方はどう?と訊くと、だいぶ落ち着いてきたと話してくれた。Kさんはいつものようにコラージュの合間合間に文章を記している。Dくんは顔色があきらかに悪い。黄疸が出ている。白紙の紙の前でじっと悩んでいたかと思ったら、英字新聞を開いて何かを探している。作りたい方向が定まったみたいだ、よかった。Yさんは春夏秋冬という四季の巡りを使ってこの一年の自分を表そうと試みている。
仕上がった作品をみんなでシェアする時間。この一年がそれぞれにとってどんな一年だったかがありありと伝わって来る。スリップを繰り返し入院もしたひとが、ぼそり、来年度はもう入院しないで済みますように、と言うのが聞こえて、そうだよね、そうなるといいね、と返す。朝の曇天が嘘のように、陽ざし降り注ぐ午後、ヤギの八兵衛のメェェという鳴き声が窓の向こうで響いている。

帰り道、O川沿いはびっくりするようなひとの数。ああそうか桜を見にみんな集っているのだ。満開の桜にみんなスマホのカメラを向けている。立ち並ぶ屋台の前も賑わっていて、みな笑顔だ。マスクをつけていても分かる。その中を横切り私は自転車を走らせる。
ままならない日々だけれど、少しでもその日々に彩りがあるといい。ぽつんとひとつ、明るい色があるだけで、今日一日頑張れたりする。
夕方、Jさんから連絡が。Y先生がとうとう入院なさったと。ああこれは最後の入院だなと思う。近くにお子さんたちが住まわれているのに入院されたのはそういうことだろう。どこまでもひとに弱気なところを見せたくないという先生の最後の意志。コロナ禍ゆえお見舞いもきっとできないだろう。つまりもう会えないということ。
先生、私は先生とおしゃべりするのがとても楽しかったです。先生が生きて来た時代は私よりもずっと茨の道だったはずなのに、そんなことを微塵も感じさせない勢いでお話なさる先生のお顔は、いつも輝いていた。私の中の先生はいつまでも、その輝いている笑顔です。明日またLINEします、日の出の写真を送ります。変わらぬ日常を、送ります。最後まで。


2022年03月26日(土) 
植えっぱなしのイフェイオン、葉を伸ばすばかりで蕾の欠片さえ見えなかった。今年は咲かないのかなと半ば諦めていたところ、ここにきてようやく蕾の姿が。艶のある群青色の花弁、今まさに開こうとするところで、私の目の前で吹き付ける風に揺れながら花弁を開かせた。数日前、もしかしたらプランターの居場所が日陰だから花がひとつもつかないのかも、と思いついて、プランターを陽射しの降り注ぐ場所に移動させたのだけれど、それがよかったのかもしれない。私はこのイフェイオンの花弁の色が好きだ。透明感溢れる、やさしい色。今年も見ることが叶って本当に嬉しい。
娘から珍しく誘いがあり、午後川沿いの桜祭りに行くことに。待ち合わせの場所に行くと、向こうから両手を拡げて孫娘が走って来るところで。この子は自分が可愛いことをよく知ってるなあと心の中くすっと笑ってしまう。私も両手を拡げて彼女を受け止める。勢いよく飛び込んできた彼女の身体は、予想より重くて、もうちょっとで私が後ろに転んでしまうところだった。そうか、もうそんなに大きくなっているのか、と、孫娘の身体をぎゅっと抱きしめながら思う。
川沿いの桜はちょうど咲き始めたところで。曇り空を背景に、薄ピンク色の儚げな花弁をふわり開かせている。曇天の鼠色を吸い取ってしまいそうなくらい薄い花弁。この花弁を集めてもし染色したら、どんな色が立ち現われるのだろう、と、ふいに思う。
橋の袂に陣取って、買ったたこ焼きをみんなで食べていると、川を走る船の姿が。息子と孫娘が大きく背伸びをしながら手を振ると、気づいた乗客たちがみんなにこにこ笑いながら手を振り返してくれる。船はほどなく橋の下を潜り海の方へ消えていった。
普段あまり自分から己の感情を見せようとしない娘が、イカ焼きの前で立ち止まり、どうしても私はこれが食べたいと言って700円もするイカ焼きを買い込む。一口食らいついたその瞬間の彼女の顔ったら。あまりに美味しそうな、嬉しくて嬉しくて仕方がないという表情。家人が「そんなに食べたかったの?」と訊くと「だって私、魚で一番、イカが好きなんだもん」と。「え?そうだったっけ?」「イカ食べたさだけで、真剣に、青森方面の漁師さんと結婚しようかって考えた時期あった」「え?!そこまで?!」「だって好きなんだもん」。家人と私は顔を見合わせてしまう。娘にそんな一面があったとは、今日の今日まで知らなかった。「青森の方のイカは、食べた瞬間蕩けるんだって。ああ、食べたい!」。本当に蕩けてしまいそうな表情でそう言う娘を、家人と私は改めて見つめてしまった。
雨が降り出す前に、と、手を振って別れ、帰宅。その頃には家人はすっかり酔っぱらってしまっており。炬燵に入るなり鼾をかいて寝始めた。息子はそんな家人を見ながら「昼間っから飲むからだよ、まったく!」なんて言っている。私もウンウンと大きく頷く。

私たちの国に国境は、ない。島国ゆえ、海に国境線があるから、私たちは自国の国境線をこの足で踏むという体験をしていない。その、国境線を踏む経験をしていないというその点が、私たちの弱点のひとつに思える今日この頃。テオ・アンゲロプロスの「こうのとり、たちずさんで」だったか、境界線に片足で立って見せる男と、それに対して銃口を向ける兵士の姿があったような記憶があるのだが、そんな実感、とてもじゃないが得られないまま私たちは大人になっている。国境線を踏む、越える、侵す、といった経験をたった一度もしないまま。だから、それが、或る時は命を賭けての行為なのだなんて、とてもじゃないが想像がつかない。
境界線を越える行為。その行為は時に命を賭したものなのだという自覚。そこから私たちは程遠いところで生きていたりする。でも改めて考えれば、ひとがひとの境界線を侵すことは、時に相手の命を奪う行為になり得るのだと。そのことを、想像する。
性暴力とは魂の殺人だ。心の殺人。精神の殺人。言い方は様々あるんだろうけれど、加害者が被害者の境界線を侵すことから始まる犯罪であることに変わりはない。でも加害者に、境界線を越える行為が命を賭したものだなんて自覚は決してないに違いない。むしろ、「この境界線を侵されることを被害者も望んでいる」という歪んだ認識が、彼らに行為を行なうことを可能にさせてしまう。認知の歪みの怖さ。まるでそこには嘲笑こそがあり得るかのような怖さ。
唐突に、昔見た「ドイツ・青ざめた母」が思い出される。何故だろう。ヘレネのあの最後の目の表情。
もう一度、あの目、確かめたい。もう一度。


2022年03月25日(金) 
燃える卵黄のような濃い橙色をした太陽が、すっと地平線から顔を出した。四方八方に陽光を注ぐのではなく、じっとその場で燃え上がるかのような装いで、その静けさに私はいっとき圧倒される。一度世界に顔を出してしまったら戻ることはできず、進むばかりの太陽、じりじりと姿を露わにしてゆく。歪さのない丸形は永遠を感じさせるほど滑らかで。定点観測、カメラを構え太陽に焦点を合わせる。ぱしゃり。

性加害・性被害のニュースを連日目にする。SNSもそれらの告発等で溢れてる。最初は追っていたのだけれど、途中から吐き気を催してしまった。私の許容量を超えたんだと思った。
被害を被害としてきちんと受け止めてくれるひともいれば、いまだ揶揄するひとたちもいたり。その反応の差、隔たりに愕然とする。私が被害に遭ってからもう何十年も経つのに、その間いろんな被害者が声を上げ闘い、その周囲のひとたちも懸命に闘い声を上げてきたのに、それでもまだこんななのか、と、茫然とする。でも、それでも。私の被害当時とは明らかに時代は変わってきたと、そうは思う。
ただ、ここまでそれらの文言が巷に溢れていると、もう体が拒絶反応を起こしてくらくらしてしまう。これまで体験したさまざまな思い、記憶が生々しくフラッシュバックする。その鮮やかさといったら、ない。
もし自分以外の誰かがこんな状態になっていたら間違いなく私は「距離を置いていいんだよ」、と、言うのに、自分にはそれを許してあげられない。罪悪感ばかりが先に立ち、ここ何日かずっと苦しかった。
でも。勇気を出して自分に言ってみる。距離を置いていい、と。自分を守っていい、と。それでも私に纏わりつく罪悪感、拭うことのできないその罪悪感に手を合わせ、頭を下げ、そうして言ってみる。
自分の日常を何より優先すること。許容量を超えてまで闘う必要はないこと。性被害・性加害についての論争が噴出している今こそ闘わなくちゃと倒れかけてる自分に鞭打つ必要はないこと。罪悪感も抱く必要はないこと。繰り返し自分に言い聞かす。私が何より大事にしなくちゃならないのは自分の日常だ。他の何も誰も、代わってくれるわけじゃぁない。私の日常を生きられるのは私だけであり、私の日常もまた唯一無二なのだから。

ミモザの苗木が届いた。か細くてまだ30センチ程の高さの小さな小さな苗木。ああ、こんなに小さい頃があるのかとしみじみ見つめてしまう。明日土を買って来よう。そうしたら大きな鉢に植え替えてあげるからね、と声を掛ける。声を掛けながら私はいつの間にか、境界線について考え始める。
私の境界線のイメージは何故か、リアス式海岸の様な様子をしていて、決して真っ直ぐに引かれたくっきりとした境界線ではないのだ。あくまでそれは私自身の境界線のイメージなのだけれど。その出たり入ったり凸凹の有様が、私の弱点のように思えてならない。かといって真っすぐのくっきりと描かれた、横断歩道か何かみたいなあの明確な境界線に今なれるかといったら否で、同時に、そうなりたいのかと考えてみるとそこまで欲しているわけではない気がしてきた。
私の境界線を太くすることくらいはしたいと思うのだけれど、あの直線の、強烈さは、別に欲していない気がする。
テオ・アンゲロプロスの描く国境線のような、あの、イメージ。男がその線の上で片足で立って見せた、あのやじろべえのような揺れるイメージ。なのに、もし一歩でも踏み越えてしまったら向こうに立つ兵隊によって撃ち殺されかねない、そういうイメージ。
何だろうこのイメージは。そういえば私の住む地域は三つの区が入り乱れている。一歩踏み出すとA区、戻ればB区、その隣にC区、といった具合。見えない境界線。でも明らかにそこにあるもの。
ああ、まだ明確なイメージにはならないのだけれど。
近々、テオ・アンゲロプロスの作品でも観直してみようか。そうしたらこのもやもやしたイメージがくっきりと浮かび上がってきてくれるかもしれない。


2022年03月24日(木) 
通院日。時間通りに目的の駅へ向かう。珍しく座席が空いていたのでちょこねんと座り、せっかくだからと持っていたプリントを鞄から出して拡げてみる。老眼がいっそう進んだのか、眼鏡なしで読むことが辛い。仕方なく眼鏡も取り出す。
気になる箇所に赤線を引きながら読み進める。結局十か所以上線を引くことになった。時間を置いて今度は赤線を引いた箇所だけを読み直そう。と思ったところで目的の駅に。慌てて飛び降りる。
私が書いていったメモ書きを読んだカウンセラーが言う。まるで明治か大正時代のどこぞの武家みたいね、と言う。何を言ってるんだろうと一瞬ぽかんとしてしまった。畳みかけるようにカウンセラーが言う。煩い舅姑が揃ってて、しかもある程度裕福な武家の家。そう思わない? と。私は頭をフル回転させてカウンセラーの言うところのものを想像してみる。言わんとしていることは分かる気がする。一歩引いてメモ書きを読めば、なるほどそう思えるだろうなとちょっとだけ納得もできる。もっと適当になっていいのよ。カウンセラーがにっと笑う。だってたとえばこれ、家族の機嫌を損ねないように努めなければならない、って、たとえどれだけ努力したってひとは不機嫌にもなるものだし、そもそもそれがあなたに起因するものかどうか分からないでしょう? カウンセラーに恐る恐る言ってみる。でも、不機嫌になられるのが怖いんです。何が怖いのか教えて。うーん、とにかく怖い、誰かが不機嫌になってるとそれが全部自分のせいに思えてしまう。他人がどう思うかどう考えるかはあなたがコントロールできるものでもなし、そもそも他人同士なのだから不機嫌になるのはそのひとの領分であなたの領分じゃないのよ。うーん、何となく言われてることは分かるんですけど…幼い頃から「ひとを思いやりなさい」とか「ひとを慮りなさい」って言われ続けてきたせいか、びくびくしちゃうんです、他人の苛々のオーラとかに、過敏に反応しちゃうんです。あったわねぇ、小学校の道徳の授業とかで、「ひとに思いやりをもって接しなさい」とか。はいー、でも、でもですね、大きくなってくると、個性尊重とか言われるじゃないですか、あれ、矛盾してませんかね、他人を思いやれ、もっと慮って配慮しろ、って教えておきながら、今度は個性尊重、他人は他人とか言い出す…私、すごく混乱してしまう。確かにそうね、矛盾してるわね、でもそれをそのまま受け止めてるあなたも相当素直というか、素直過ぎるというか。カウンセラーがそう言ってにっこりする。いいのよもっと適当になって。アバウトになろう。言われてることは何となく分かるんですけど、そのアバウトさ、適当加減が全然分からない。
その後、カウンセラーと境界線の話になる。でもちょっと思い出せない。大事なことを話した気がするのだが。次回カウンセラーに確かめよう。教えてもらおう、何を話したのか。きっと私は途中から解離していたんだと思う。本当にすっかり、忘れてしまっている。確かに大事なことを話した、その感じだけは残っているのだが。
帰り道、電車の窓から流れ飛ぶ街景をぼんやり眺めた。ちょっと疲れているのかもしれない。このところ頭痛が頻発するのは主治医の言う通り季節の変わり目で自律神経が狂っているせいなのかもしれない。身体も強張っている。あちこちががちがちだ。鮮やかな色が次々飛び去り、いつの間にかぼんやりとしたグレートーンに変わる。街景は確かにカラーなのに私の脳はそれをグレーに変換してしまう。やっぱり、疲れてるのかもしれないな。

夜、足が棒のように固くなって痛み出す。横になりたくて仕方がないのに家人が今日は特別な日だからちゃんと家族一緒にいないととしきりに繰り返す。気持ちは分からないではないが、主役の息子がすでにゲームをしているのだからいいじゃないかと心の中思う。でも言えない。私が「余計な事」を言って彼と争いになったら、それこそ場を台無しにしてしまうことが分かるから、言えない。こっそり小さくため息をついて食卓に座り直す。昔からそうだ、彼は何か脅迫的に、記念日には家族一緒に過ごさないと、と思っている節がある。よほど原家族での体験がトラウマになっているに違いない。でも、それはあなたの体験であって、それで他人を縛る権利はないのだよ、と、今日のカウンセリングになぞらえて思ってみたりする。
言わないけど。


2022年03月23日(水) 
乾いた土にたっぷり水を遣る。薔薇の樹の根元に陣取って咲くクリサンセマム、アブラムシがびっしり。だから今朝も丁寧に花の首を指の腹でなぞる。ぷちぷちっと指の腹に伝わるアブラムシが潰れる音。実際に聴こえるわけではなくて指の腹に伝わって来る直接の音。確かめながらなお花の首を指の腹で挟んでなぞる。
宿根菫はもう種を膨らませ始めた子もいて、この種をちゃんと収穫しないとなと自分に言い聞かす。つ忘れて、種を弾かせてしまうことが続いてる。今度こそ収穫しないと。母から譲り受けた種を蒔いて育てたビオラ、二輪目が咲いた。同じ紫のグラデーション。花弁がちらちらと、でも鮮やかに緑の中で揺れる。

加害者プログラムのデータが届く。まずさっと目を通す。その時点で気になるものには付箋を貼る。二度目目を通す時にはちょっと時間をたっぷりとって、一文字一文字辿る。泳いでいる字、くっきりと描かれた字、力のこもりすぎた字、様々だ。でもその一文字一文字を辿ると、文言の背後に横たわる相手の背景や想いが伝わってきたりする。
どうにもこうにもこれはちょっとと思うものがあり、S先生と連絡を取る。そうしてそれを書いたTさんの、私の知らない現状や背景を教えてもらう。なるほど、今そういう状況なのかということを知ると、ここに殴り書きされた怒りにも納得がいく。そんなふうに、一枚一枚、自分の内で消化してゆく。
デジタルタトゥーという言葉をそこで初めて知る。性犯罪加害者にとってのデジタルタトゥー。それは他のものと比べ物にならないほど強烈なものであるに違いないと想像はつく。そもそもそれを為した、犯した本人が悪いのだと言ってしまえばそうであることに間違いはなく、そうだねとしか言いようがないのだけれど、そこから一歩一歩踏み出して、歩き出して、もう二度と再犯するものか、被害者を生むものか、と努めて噛みしめている者にとってそれは、ただの足枷でしかない。彼らの、地域への再統合を阻む最大の要因なのかもしれないと改めて思う。
地域に再統合できなければ、孤立し、再び罪を犯す可能性は高まる。この悪循環。
とそう思って同時に、被害者にもそれは言えると思う。一度被害者になってしまうと、どんどんネガティブな方向に転げ落ち、地域への再統合、社会への再統合が困難になる。でもひとは社会に根付いて生きていくしかない。そうであるのに被害者も加害者もそれぞれ、孤立が深まる方向にある現実。一度被害者/加害者になってしまったらもう二度と普通の日常には戻れないのか。そんな理不尽なことってあるか?
やり直しのきかない社会は生きづらい。それは被害者/加害者になったことのない、そんなものとは無縁なところで生きているひとたちにとっても。余白の残されていない社会はそれだけ窮屈であるに違いない。この軋音があちこちで聞かれるような社会を、何とかできないものだろうか。
S先生は、カナダやイギリスでは、そういうところの手当というかフォローの体制が非常に整っているのだそうで。それを実現させているのは一体どういう仕組みなのか。知りたい。

午後、Aちゃんがやって来た。札幌に行くという。サバイバーがともに暮らせる施設があるそうで、そこに入ることに決めたそうだ。この二年ほとんど外に出られないで過ごしていたというAちゃんは、以前とは違ってふっくらしており。「寝て暮らしてたからさ」と苦笑するAちゃんの背後に、まだ悲しみに沈んだ傷ついたもう一人のAちゃんの影が見えるかのようで、私は切ない思いを噛みしめた。
友達は東京にしかいないんだけどね、もう思い切って行くことに決めたの。
Aちゃんの言葉を舌の上で反芻する。そう思いつめるほどのことがこの二年にあったということか。ひとの運命なんてほんと、分かりやしない。一瞬先は闇、という言葉があるけれど、一瞬先は光、と言い換えることってできないだろうか。光があれば影が生まれる。でも影があるということは光もそこにあるということで。仏の掌の上、じたばた転げまわる私たち。
札幌に行く前に、もう一度くらい遊びにおいでよ、と帰りがけ声をかける。平日だったら何処かで何とかなるっしょ!と肩をぽんっと叩きながら私が言うと、「うんうん、平日ならどうにでもなるから、また遊び来るよ!」バスに乗った彼女が車窓から手を振ってくれるのをじっと眺め、軽く振り返す。40にもなってから、大きく動き出そうとするAちゃん。本当は心細くもあるに違いない。私にできるのはただ応援することくらい。信じて応援すること。時々声掛けすること。バスはあっという間に夜闇に消えてゆく。


2022年03月22日(火) 
小雨ぱらつく朝。ベランダにちょこっと出ていつものように定点観測。のったりと空一面を覆う鼠色の雲は、ちょっと面倒くさそうな装いでそこに居た。隙間なく雲に埋め尽くされ、空も少し憂鬱げ。そんな日も、ある。
薔薇のプランターを一回り大きいものにしようと注文したものの、届いてみたら一回りどころじゃなく二回りくらいはゆうに大きいものが届いてしまった。私の計算違いだったんだろうか。正直ぎょっとしてしまう。こんなに大きいプランターどうしろっていうの、と思ったが、もはや返品するのも躊躇われ、腹を括る。ちょうど挿し木した子らが一生懸命新芽を出してくれていることだし、この大きすぎるプランターでちょうどよかったということにしよう、と気を取り直す。

先日失くした定期入れ。咄嗟に電話をした警察署に偶然にも届いていたことを知り、受け取りにゆく。その際、「どこそこに落ちていたみたいですよ」「拾い主は、何の連絡もいりませんとのことでした」と言われ、そんなことまで教えられるものなのかと吃驚する。知らなかった。想像してしまう、「連絡くださいって拾い主が言ってました」ということもあり得るんだろうか。もしそんなこと言われても連絡するのは或る意味怖いぞ、と思ってしまうのは、疑り深過ぎるのだろうか。このご時世、何が起きても怖くない、なところがあるから、下手に連絡なんてできない。この「拾い主は云々」については、言われても困る。そんなことをあれこれ考えこんでしまう正午。
雨がどんどん強くなる中、一駅分を歩いて帰る。片耳にだけヘッドフォンをつけて流しっぱなしにしているウォークマン、全曲ランダム再生にしたら、普段聞き落している曲が幾つも幾つもあることに改めて気づく。学生の頃は、一、二度聴けば歌詞もほぼ覚えることができた。それがどうだ、今では何度聴いても覚えられない。それだけ歳を取った証拠なのだろうけれど、それだけじゃない、適当に聴き流してしまっているところが多分にあるに違いない。昔はそう、一心不乱に音を辿り言葉を辿り、一曲一曲その世界の中に入り込んだものだった。いつからだろう、こんなにぼんやりしか音楽を聴かなくなったのは。もはや適度な耳栓代わりに音楽を用いているようなところがある。
と書いて思い出した。高校時代、A先輩がこんなことを言っていたっけ。ヘッドフォンをいつもしてるんだ、そうするとよほどの用事がないかぎりひとから話しかけられないで済む。でもね、僕実は、学校では音を切ってるんだ。ヘッドフォンは無音なんだよ。だから、誰がどんなことを喋ってるか全部聴こえてる。たとえば僕の陰口とかね。先輩は淡々とそんなことを語った。私は返す言葉が見つからなくて、黙っていた。以来、A先輩がヘッドフォンをしてそこらへんをうろうろしているのを見かけると、あのヘッドフォンは似非なんだ、と逆にじっと観察してしまうようになったんだった。結局、先輩に訊けなかった。「どうしてそんなことするんですか」と。何故だかちょっと、分かる気がしたからだ。音を切ったヘッドフォンで耳を塞いで佇む先輩の背中は、いつもどこか強張っていた。こちらに壁を作ってるみたいだった。きっとよほどしんどい経験をしたことがあったんだろうと私は勝手に想像した。想像して、ひとり勝手に、仲間意識を抱いていたんだった。変に覚えて残ってる記憶のひとつ。
記憶といえば。私は学生時代の記憶がほぼ、欠落している。主治医やカウンセラーは、当時からあなたは解離していたんだろう、と言う。両親からの酷い精神的虐待や恋人からのDV、友人の自殺、もろもろの体験が私には抱えきれなくて、ほぼ常に解離して、生き延びる為解離して過ごしていたんだろう、と。「解離は基本的に、その主を守るために生き延びさせるために機能するものなのよ」。なるほどなぁと思う。でも、それが分かってもやっぱり、記憶がほぼないことは不安というか、頼りなさを、拠り所のなさを覚える。解離しなくても生きられたならどれほどよかったろう、とは思う。もはやそんなこと言っても仕方のないことなのだけれども。

雨は途中、雪に変わり、そしてまた雨に戻った。霧雨になるのを待ってワンコの散歩へ。今日はちょくちょくワンコが私を見上げて来た。何か気になることでもあるの?と話しかけてみたけれど、彼はふんふんと鼻を鳴らすだけだった。今日はちょっと足を延ばして橋のたもとまで。そこで小さな花束を投げ入れる。本当はお墓参りしたかったけれど行けそうにないので、その場でそっと祈る。じいちゃん、私は元気だよ。大丈夫。それだけ心の中で言って目を上げると、電線には鴎がずらり、並んで留まっているのが見えた。この鴎たちもじきに海に帰る。もうそういう季節だ。


2022年03月21日(月) 
朝は曇天だったけれど、時間が経つにつれ陽射しが降り注ぐ日。でも明日は雨予報。春になろうというこの時期の天気はいつだって忙しない。
Tちゃんにいつの間にか子供ができていたことを家人から聞かされる。俺も最近知ったんだよ、と。駄目もとでLINEにメッセージを入れてみる。しばらくしてあれ以来初めて、彼女から返信が入る。ありがとう、一言。本当は話したいことが山ほどある。でも、私はしばらくその五文字を見つめた後、画面を閉じた。もうこれで十分だ。私はもう、彼女の今を知らない。幸せになってね、Tちゃん。

宿根菫の紫式部が次から次に花を咲かせている。もう新しい子が咲く隙間なんてないんじゃないかと思うのに、これっぽっちの隙間を見つけては新たに花を咲かす。なんて勢いなんだろう。驚いてしまう。紫式部はそんなに勢いのあるひとだったっけか、なんて考えてくすっと笑ってしまう。いやいや、そんなつもりでこの名前がつけられたわけではあるまい、きっと。
ふと見ると、息子が蒔いたままうんともすんとも言わなかったプランターに小さな小さな緑色の芽が出ている。いまさら発芽? ちょっと吃驚してしまった。だってもう半年は経つのだ、蒔いてから。半年も土の中じっとしていた子らが動き出したってことなんだろうか。なんて律儀な子たちなんだろう、蒔いたら蒔いただけちゃんと発芽しなくちゃ、といわんばかりの姿。私はしゃがみ込んで頬杖ついてじっと見つめてしまう。頑張れ、新芽たち。

金、土、日、月、と息子が四連休。おかげで私はほぼ何も自分のことができていない。昨日今日は息子が前から観たいと言っていた映画につきあった。が。
いつもそうなのだが、彼は映画を観ながら実によく喋る。これあれだよね!ここああだよね!そうそう、そうなんだよ!という具合に、次から次に喋る。おかげで私は周りの目が気になってしょうがない。「ね、家じゃないんだから、静かにしなよ」「他の人もいるんだよ、静かにして!」と何度も言うのだが、そのたび、はーい、と返事は返ってくるものの、すぐそばから「でさ、あれがあれで…」と彼の喋りが始まる。もう気が気じゃない。ゆっくりじっくり映画を楽しむなんてとても無理だ。彼と行ったらだから、私はあくまで彼のストッパーにならざるを得ない。やむなし。
でも。
映画館も、時代によって様変わりするもんだなあとつくづく思う。私が思春期の頃なんて、映画館はもっと小汚かった。定員制でもなければ入替制でもなかった。おかげで私たち貧乏学生は、上映を2回3回と続けて楽しむこともできた。煙草を吸ってるおじさんもいればお酒を持ち込んでいるひとたちもいた。今のこの、きれいで静かすぎる映画館なんて想像もつかない、そういう場が私たちの映画館だった。正直に言えば、そんなのどかな時代の映画館が、私にはちょっと懐かしい。

気圧の変化によってよりも、ストレスや緊張で頭痛が起こる、いわゆる緊張型頭痛持ちの私は、このところ頭痛が頻発している。そんなにストレスがかかっているとは思えないのだが、何故だろう。あまりに立て続けにしつこい頭痛に襲われるので、鎮痛剤にお世話になる。日常がままならなくなるのだけは避けたい。
陽射しは明るいけれど、空から雲が抜けることはないようで。明日の雨予報がちょっと、憂鬱。明日は出掛けたいのだけれど。だって明日は亡き祖父の誕生日。少しでも祖父を想える場所で過ごしたい。雨であっても。


2022年03月19日(土) 
手紙を書いていたらあっという間に真夜中になってしまっていた。一心不乱に過ごしていると何故こんなにも時はあっという間に過ぎ往くのだろう。時々呆然と、時の川の前で立ち尽くしてしまう。

疲れ果てて15分ほど炬燵で丸まって眠ってしまった。その間に、たった15分の間にびっしり夢を見た。
昔から繰り返し見ている夢のひとつ。
だだっぴろいコンクリのホームがあって。そこに私は居て、電車を待っている。待っても来ない。どうしたのだろうと思っていたら、突如警笛のようなものが響き渡り、あいつだ、あいつだ、という声が私の脳内に響き渡る。それは私の裡の声ではなく、外から響いてくる声なのに、なのに私の脳内で響き渡る。一斉にホームにヒトガタが流れ込んでくる。しかもそれらは私に向かって来る。あいつだ、あいつだ!と。
私は逃げる。殺される、と不意に思い、懸命に逃げるのだが、ぴょーん、ぴょーん、と、蚤が跳ねるみたいにしか動けない。私はだからひたすら、ぴょーん、ぴょーん、と跳ねて逃げる。いつのまにか周りは山になっていて、その山間を私はぴょーん、ぴょーんと跳ねて逃げる。ヒトガタの群れはびっしりと群れて、そして私の後を追いかけて来る。どんどんヒトガタは増えてゆく。
もうだめだ、追いつかれる、と思った瞬間、ヒトガタのひとつが私に覆い被さって来る。どくん、と心臓が脈打つ。その瞬間、そのヒトガタの心臓の部分に穴が開く。だめ、死んじゃダメ!そう叫びながらヒトガタの身体の穴を塞ごうと、両手で抑える。そして気づく。父だ、これは父だ、と。
他のヒトガタたちがざわつく。父殺しだ、こいつは父殺しだ、捕まえろ!とヒトガタが一斉にざわつく。そしてさらに私に覆い被さろうとする。私は慌てて逃げだす。お父さん、お父さん死んじゃう、と思いながらも、逃げ出す。
ぴょーん、ぴょーん、ぴょーん。
そうして気づいたら、線路にいた。ホームが見える。誰もいないホーム。あそこに逃げよう、とよじ登ろうと試みた時手が差し出される。咄嗟にその手を握る。そしてその手の先が誰なのか確かめようと顔を上げた瞬間。
私は絶望する。
そうして目が覚めるのだ。いつも、いつも、いつも。
15分の間に身体がすっかり冷え切ってしまっていた。寒い。そう思いながら上着を羽織る。それでも体の芯が凍え切っていてちっともあたたまらない。この夢を見た後はいつも、そうだ。

娘に頼まれて朝一番に息子を連れ娘宅へ向かった今朝。娘が病院に出掛けている間、私が息子と孫娘の世話。最初シャボン玉をしていたふたりだが、じきに飽きて、部屋の中に戻って来る。息子は漫画を読み、孫娘は何故かメイクをし始めた。いや、実際何か顔に塗りたくったわけではない。そうじゃなく。おもちゃのコンパクトと何かを持って、メイクをしているそぶりを情感たっぷりにしているのだ。
「上手だねえ!」と私が言うと、「だってママがいつもしてるもん!私知ってるの!」と。なるほど、母の真似というわけか、と心の中くすり笑ってしまう。それにしたって、首をちょっと傾げて、ほっぺたや額に何かを持って行っては、んふっ!と鏡に微笑むところ、もうすっかり女性だな、と感心してしまう。同時に、娘と孫娘は、同じ母子家庭でも、私と娘のそれとはまったく違う世界を築いているのだな、と。そのことをつくづく思った。それで、いい。

一度何かを疑い出すと、ドミノ倒しのように疑念が疑念を呼んでしまう。階段落ちするみたいだ。気持ちが凹む。
ちょっと疲れてしまった。もういっそ、どうにでもなれ、と放ってしまおうか。疑い出したらきりがないのだ、いつだって。それならもう、裏切られることを承知で信じてしまう方がずっと、楽だったりする。


2022年03月18日(金) 
いつ雨が降り出してもちっともおかしくないくらいの曇り空で始まった今日。息子は休校。家人は仕事。息子とふたりでばたばたと午前中を過ごす。宿根菫はこんな天気にも関わらず花盛り。そして、母から貰って蒔いた種からひとつだけ紫のグラデーションの菫が咲く。おかしいな、この子はこちらのプランターに蒔いたはずなのにどうしてこっちのプランターにいるんだろう? 種が飛んだのだろうか。でも何故に? 不思議でしょうがない。ちょっと笑ってしまう。そのプランターの中には名無しの権兵衛もいる。すくすく育っている名無しの権兵衛。一体君は誰なんだい? その隣で小さくなっている葡萄の芽。これ以上育つ気配がちっともない。ぴたり、成長が止まってしまっている。心配でならない。
薔薇の樹たちは、ホワイトクリスマスを除いて全員が今、びっしり葉を茂らせている。隙間がないんじゃないかと思うくらいだ。それで窒息しないのか不安になるほど。どの子ももっと陽を浴びようとぐいぐい陽射しの方に手を伸ばす。だから私は時々プランターの向きをくるりと変える。
クリサンセマムに早速アブラムシが付き始めた。本当は嫌なのだけれど薬を散布するのもちょっとまだ躊躇われて、仕方なく指の腹でアブラムシを潰す。花の首のところに彼らはたいていびっしりいる。だから花の首を一本一本、指の腹で辿り、潰す。こういう時は無心になるのがいい。虫にも命がなんて殺生を躊躇っているとどんどん彼らは増えるから。無心に潰す。ただひたすら。

非常に久しぶりに、Aちゃんが我が家にやってくる。息子が猫のひとと名付けたそのAちゃんは、花粉症が酷いらしくティッシュを繰り返し繰り返し鼻にもっていっている。以前彼女に作ったツナサンドをホットサンドで作り、昼食にする。「これこの前と同じレシピですか?」と言われたので正直に「玉葱多めね、今日は」と応える。この玉葱のみじん切りが結構辛いのだと心の中苦笑しつつ。彼女はいつも私が出すものに対して「おしゃれカフェみたい!」と言う。そのおしゃれカフェというものにあまり縁のない私は、いまいち分かっていない。きっと誉め言葉なんだと勝手に思って、ありがたやと思っている。
K先生にいつも言われるんです、あなたはプライドが高い、もっと病院や支援者を利用しなさい、って。ちゃんと自分の気持ちを言いなさい、って。と、彼女が話し始めるのをふんふんと相槌をうちながら聴いている。最初はただ聴いていたのだが、つい口を挟んでしまう。いらぬおせっかいだよと心の奥が言うのに、ついつい言ってしまう。すると彼女が「病院なんてもう行きたくないって、要らないって思っちゃってる自分がいるんです」と言う。だから訊ねる。病院なくても今生活成り立つの?とストレートに訊ねる。「いや、成り立たないです、はい」俯いて彼女が言う。
病院や支援者をもっと利用しなさい、気持ちを伝えなさいとK先生が言う理由が何となくわかった。そして、私もかつて大昔になるけれど、病院から逃げ出したことがあったことを思い出す。だから、彼女の気持ちが分からない訳じゃない。というか、あああそこらへんを今彼女は歩いているのだなと察しがついてしまったりする。でも。敢えて違う言葉を選んで彼女に伝える。
言わなくても気持ちを察してよ、というのは無理な話だよ。言いたくなくなる気持ちも分からないではないけれど、でも、所詮他人同士、いくら察しようとしても、限界があるってもんでしょう? そもそも、Aちゃんはいつも「どうしてわかってくれないの」と言うけれど、その前に気持ちを言ってないんだからさ。自分の気持ちを伝えてないくせに、分かってよというのはそれ、無理だよ。
そこまで言って、私は心の中、娘を思い出していた。娘もそうだ、どうしてわかってくれないのと言う。でもそれ以前に、あなたが自分の想いを相手に伝えてない。それじゃ無理だよ。といつも思う。
「私、すごいプライド高いんだと思います。なんかもう、思っちゃうんです、どうして被害者の私が努力しなきゃならないのって。思っちゃうんです」
なるほど、と思わなくもなかった。でも。それだと、助けようにも助けられないし、ヘルプしようにもヘルプできないよ周りは。私はそのままそう伝える。
被害者だからと驕り高ぶってはいけないんじゃないか、と思う。いや、彼女にそんな意識はない。でも、被害者なのに、もうすでに傷ついてるのに、どうしてこれ以上私が努力しなくちゃならないの、という思いはやっぱり、ある種の驕り、だ。被害者という立場に胡坐をかいているのと同じだ。
さすがにそこまで彼女には伝えなかったけれど。私はそう、思う。

彼女が帰った後、息子と二人、降り出した冷たい雨の中公文に向かう。雨が冷たい寒いとぶうぶう文句ばかり言う息子にだんだん疲れてきて、私はつないでいた手をぷいっと放す。どうせ僕は世界一ネガティブな奴なんだよ、とさらに畳みかけて来たので、母ちゃんはそんなふうに産んだ覚えはないっす!と応えると、彼がぷぷぷっと笑い出す。私は至極真面目な顔でさらに言い返す。まるで漫才みたいだと思う。
この冷たい雨の先に、春がある。三寒四温。本当にその言葉通りだ。一雨毎に、春が濃くなる。


2022年03月16日(水) 
曇天の朝。所々ある雲の割れ目から降り注ぐ光は泡黄色で、静かに天使の階段を描いている。曇天の日の楽しみはこの、天使の階段にあると言っても過言ではないと私は思っていて、だから今朝のそれを見つめながら、先に逝ったひとたちのことを思い出していた。祖父母や大叔母といった身内のひとたち、同じ体験を経ながら先に逝った友たち。私の中で逝った時の年齢でぴたり時を止めた彼女らと生き続けている私との間には時の川が流れていて、その隔たりは日々大きくなる。いつのまにかほぼ全員の友の年齢を越えてしまった自分。それを思うと、何とも言えない苦みを覚える。生きていてくれさえしたら、今日、今、ここで、ぷっと笑い合うこともできていたかもしれないのに。ただ一秒共に笑うことさえ、もう二度とできないのか、そう思うと、歯軋りしてしまう。あまりに強く噛みしめ過ぎて、口の中微妙に血の味がする。

Kちゃんとほぼひと月ぶりに会う。そして、練馬区立美術館に「香月泰男(1911-74)」展を観に行ってきた。シベリア・シリーズはこれまでにも何度も見返した作品。「一生のど真ん中」に戦争があり、シベリア抑留があり、その体験を長い年月にわたって描き続けた香月のシベリアシリーズは、通常、応召から復員迄の「主題を時系列に」並べて紹介される。しかし今回の展示では、他の作品とあわせ、制作順に展示されていたのが印象的だった。
シベリア・シリーズ。色も最小限度に抑圧されたその画たち。そこに描かれる顔に固有名詞はないのかもしれないが、私には一個一個別個の顔、別個の眼差しをもった者にどうしても見えてしまう。だからこそ、少し画から距離を置いて見つめると、沈黙であるはずの画から蠢くような声がざわざわわと聴こえてきてしまう。それは重苦しい楔を穿たれた声。耳を覆おうと、目を閉じようと、一度画の前に立ってしまったら、否応なくその声も目もこちらを射るのだ。
全容をたどる回顧展というだけあってボリュームもたっぷりで、観終えた頃にはずんっと全身が重さを増したかのような錯覚を覚えるほどだった。
全てを観終えた時、ぺたん、と出口のソファに座り込み、呟いてしまった言葉がある。石原吉郎(1915-77)によって記された言葉、「人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ」だ。これを思い出さずにはいられなかった。
香月と石原。同時代を生き、シベリア抑留の経験を持つ者たち。その者らから生み出される作品の重さを、今一度、私たちは噛み締めなければならないんじゃないのか。そんなことを、ぼんやり思いながら眺める人波は、戦争も何も他人事かのように賑やかに色づいて、何処かへと流れ続けてゆくのだった。

気づけばすっかり空は晴れ渡っており。燦々と陽光降り注ぐ午後、私はすでに汗ばんでいた。なんて陽気だろう。これから春に向かって世界は騒めく。命がこれでもかというほど蠢き始める季節。
でも。私はそういう季節が正直苦手だ。嫌い、というわけじゃない。ただ、苦手だ。世界が騒めくと、その波動が圧のように私に伝わって来る、覆い被さってくる。息苦しくて息苦しくてたまらない。
Kちゃんとも話したが、「もうすでに私は冬が恋しい」。冬のあの、凛と張り詰めた早朝の空と大気。寒さは、ほんの微かな世界の動きにも敏感に反応する。そういうところを私はつい愛してしまう。

O川の橋のたもと、鴎たちがぎゃぁぎゃぁ言いながら大勢集まっていた。何事かと思って見やれば、久しぶりに餌やりおじさんを見つける。ああまだ元気にしてくれているのだな、と思ったら、ちょっと嬉しくなる。鴎ももう、来週にはここからいなくなるんだろう。そして海に還る。

私も、還れる場所が、欲しい。


2022年03月15日(火) 
誰だかいまだ名前が分からない名無しの権兵衛は順調に育っており、もう5枚目の葉を拡げ始めている。あまりにすくすく育って、ついでにひとつではなく同じ種族なんだろう子が他に四本も芽を出して来ており。これは間違いなく私が何かを食べて、そうして蒔いた種だ、と確信するも、やっぱり思い出せない。私の記憶力のなさ、ほとほと呆れる。
宿根菫は今が盛りなのかもしれない。びっしり紫色の小さな花が咲いている。こんなにいっぱい花が咲く子だったっけ、とちょっと驚いている。クリサンセマムは一番最初に咲いてくれた子が一番大きくて、次からの子はひとまわり小さめ。でも次から次に蕾が開いてゆく。この数日、暖かい日が続いているからなおさら。薔薇たちはここぞとばかりに新芽を吹き出させる。一方、アメリカンブルーはちょっとお疲れ気味かもしれない。葉の色が冴えない。気になる。

二週間前から約束していたLさんと会う。Jさんの紹介だ。はじめましてなので「三つ編み一本横に垂らしてます」と知らせると、「私は茶色のジャケット羽織ってます」と返事が来た。おかげですぐお互いの存在に気づくことができた。
まだ二年前の出来事らしい。裁判も終わったが、もやもやとした何かが胸に充満したままだ、と。これをなくすには、加害者との対話しかないんじゃないかと考えた、と。そう話してくれた。ここでも「何故私が?」という言葉に出会う。

認知の歪み、と、よくその言葉が性依存症のひとに使われる。いや、認知の歪みなのだ、本当に。歪んでいる。それは私もそう思う。
でも同時に、その言葉に逃げ込んでいないか?とも思ってしまう。そう言えば、すべて済まされる、みたいな。十把一絡げじゃないけれども、認知の歪みと言ってしまえばすべて解決みたいな。そんな空気。
冗談じゃない。認知が歪んでいようと何だろうと、為した罪は罪であり、犯罪であり、君が背負わねばならぬ責任がそこにはあるのだよ。
たとえば説明責任もそのひとつ、だ。
被害者の「何故私が?」という問に応える。その責任が、加害者には、ある。それがたとえ、結論として「モノとしてしか見ていなかった」というものであっても、そこに至るまでの過程を被害者に自分の言葉で説明する、その責任が、あると私は思う。

Lさんが、どうして被害者同士で足の引っ張り合いするんでしょう?と突然言うのでびっくりしてしまう。同時に、そうなんだよ、とも思う。「ネガティブな方向にみんなしてひっぱりあって落ちてってる気がするんです」とも。「互いの傷を比べ合っても何にもならないのに、被害者が集まるとどうしてか比べ合いが始まってたりする、あれって何なんですかね」。Lさんの問いに私は言葉を詰まらせる。うまく応えられない。いや、それに答えがほしいのは私も同じなのだ、と、そう思って、戸惑う。
そうか、こんなところに、似通ったことを考えているひとがいたんだ、とも。他にもあれやこれやおしゃべりし、再会を約束して別れる。

先日思い出してしまった父の言葉の棘は、まだじくじく痛むけれど、我慢できないほどじゃあない。たぶん、大丈夫。
でも、連鎖的に思い出してしまった。婚約までした男からの言葉を。これ以上精神病者の相手はできない、と。また、レイプにまつわる言葉も。まるで数珠つなぎのように思い出してしまった。
きっと、その言葉に噓はなく、みんなそれぞれに、思ったことを思ったまま言葉にしたんだと思う。だからこそ、受け取る私には痛かったという、それだけだ。父も、その男性も。噓なくそう思っているからこその言葉だった、だから私には痛かった。それだけ、だ。
とりあえず。鬱々としてしまう前に、煙草を一本、吸おう。


2022年03月13日(日) 
Yちゃんが遊びにやって来た昨日。遊びに、というか、ひたすらおしゃべりをしにやってきた、というのが正解。彼女の抱えるあれこれを、ただひたすら彼女が語る。私はふんふんと聴きながら時々思うところを返す。途中ワンコの散歩につきあってもらったら、ここで土筆に出会った。あれ、土筆!と、ひとつやふたつかと思ったら、その背後に土筆が群生しており。空地の半分が土筆で埋まっているという具合で。これにはびっくりした。すごいね、と言い合いながら空地を散策。ワンコは早速土筆を喰らう。「え、苦くないの?」と彼女が言うのだが、ワンコはまったく問題なしという顔をしてがしがし喰らう。よほど気に入ったらしい。
Yちゃんが抱えている問題に、私が応えられることは多分、何一つない、と思う。相槌をうつことはできるけれど、似たような体験を経た私がその時どうしたかを語ることはできるけれど、それだけ、だ。いやそもそも、何も応えなくていいと思っている。今の彼女には、語ることが何より大事なのだ、と。そう思うのだ。誰かに語る、思っていることを外に出す、という作業。それが今の彼女には大事なんだ、と。それを何度も何度も為して、ああ、語っても大丈夫なのだという実感を得ること。また、自分の人生は自分で選択してよいのだ、という実感を得ること。これらが今、彼女に必要な事なんじゃないか、と。私にはそう思える。
摂食障害も抱える彼女は、半日以上うちにいたけれど、お茶を2杯飲んだだけだった。途中おせんべいを出したのだが、彼女はそれを鞄に仕舞った。私は何も言えなかったけれど、心の中で、「いつか、誰かと食べたいって思えるようになるといいね」と思っていた。かつて摂食障害になった者の一人として。

実家から採れたての金柑と檸檬が送られてきた。檸檬は今年二度目。早速金柑を生でかりかり戴く。息子もオットもかりかり齧る。目に見えるはずもないのに、新鮮な金柑から発せられた光がきらきら部屋の中に散った気がした。ありがたや。檸檬は蜂蜜漬けにしよう。そして種はプランターに埋める。芽、出るといいな。出なくても、それはそれ。
たかが宅急便、されど宅急便。「荷物を作るだけでも大変なのよ、もう体力ないの」母が愚痴る。そんな母が必死に荷造りしてくれたのだと思うとありがたさが倍増する。彼らとは本当にいろいろあったしいまだ距離を保たなければ難しい間柄だけれど、それもまた、良し。そういう親子もありだよな、と思う。

加害者プログラムのプリントをじっと読んでいたら、家人が、「君はさ、自分が重要なことをやってるんだっていう自覚というか自信を、もっとちゃんと持った方がいい」と突然言った。突然すぎて私はたじろいでしまう。「自分の為してることを過小評価しすぎだよ、君は」。続けて彼が言うので、私は黙り込んでしまった。
言ってくれる言葉はありがたいのだけれど。どう応えていいのかちっとも分からない。私が為している事柄は確かに重要な気がする、いや、重要だと思うからやっている。でもそれは私にとってであって世間というか社会にとってはどうだか知らない。こんなバカげたこと、と思われてるのかもしれないし。そもそも、そういうことを考えると怖くてやってられないというのが本音だったりする。社会から見ての自分なんて、想像するだけで怖くなる。
それを見越して、家人は言葉を繰り出している。それも分かっている。「君にアレルギーというかトラウマがあるのは分かってる。でも、自分を、自分の為してることをちゃんと認めてあげないと。だめだよ」。家人の言葉がだんだん不愉快になってきて私は顔を顰めてしまう。
いや、本当は、ありがたくもあるのだ。そんなことをストレートに言ってくれる他人はなかなかいない。それも分かってる。でも。
そう、私は、社会からの脱落者だ、と、自分を見做しているから。彼の言葉をちゃんと受け止められないんだ。それも、分かってる。どうにもこうにも居心地が悪くて、歯軋りをしてしまう。黙り込んで、歯軋り。何やってんだ、自分。
「ごめん、今言える言葉がない」。とだけ彼に伝える。「いいよいいよ、僕がそう思っただけだから」と彼はさらり流してくれたけれど。申し訳なさしか私の裡には残らない。

おまえは社会からの脱落者だ、という意味の言葉をかつて父から言われた。それが私の裡に突き刺さったままなんだ。いつの間にか私自身が、自分をそう見做してしまっている。抜けない棘。


2022年03月11日(金) 
今朝も空は霞んでおり。たぶんそれは花粉のせいなんだろう。すべての輪郭がぼんやりと霞んで、光が乱反射しているようだった。そんな中での日の出は桃色と橙色の絵具をたっぷりの水で溶いてのばしたような色合いで。生まれたての黄味のような太陽がゆっくりと昇って来たんだった。今日もまた太陽は少しだけ東に位置をずらしていた。律義な太陽。私はそうして定点観測を済ませ、早速弁当作りに励む。
鶏もも肉を一口大に切って、塩コショウした片栗粉をまぶす。焼き色がつくまで焼いたら照り焼きにする。にんにくと生姜をすりおろしたものをたっぷり混ぜたおかげで、朝から部屋中に匂いが。これはちょっと苦しいと慌てて窓を開ける。窓を開けても寒くない時期になったのだなと改めて知る朝。
息子は一昨日から描き始めた迷路を今朝も描いている。もう5ページ目に突入していた。一体どこまで描こうというのだろう。果たして終わりが来るのだろうか。でも彼は、とても集中して描き続けている。何が面白いのか私にはちっとも分からない。でも自由帳に向かって描き続けている彼の顔は、確かに輝いている。
息子は幼い頃こそ物語を好んだがこの頃はふしぎ事典とかなぞなぞ事典を選んで読む。私や娘にはない発想を彼は持っている。気になる分野もまったく異なっているようで。興味のないことにはちっとも振り向かない。とても分かりやすいベクトルの持ち主。
家人や私が一生懸命物語を読ませようと試みたが全て無駄に終わった。つまりそういうことなんだろう、今彼は物語を欲していない、むしろ謎を発見して面白がる。私や家人には全く通じない言葉をぺらぺら喋って「ね、すごいでしょ!」と言ったりするからずっこける。いや母、全然分かんない。
出産時彼や彼女を見、畏怖を抱いたのは、もうすでにそこに私には理解不能な、別個の宇宙があったからだ。ああ私の理解をゆうに超えてこの子たちは飛んでゆくのだなという予感があった。今実際ふたりとも私から羽ばたいてあっちゃこっちゃの空を自由に飛んでいる。勿論そこで躓きもするがそれでいい。
結局人間、自分で痛い思いをしてはじめて実感・納得できたりする。他人がどう世話を焼こうとそれは所詮余計なおせっかい。だからもっと飛べ、どこまでも飛べ、娘息子よ。疲れたら樹の枝や岩陰で休めばいい。世界はいつだって君たちを信じてそこに在る。

今日は通院日でもあり、慌ただしく家を出る。空いた席に座りまだ読み終えられてない本、信田さよ子著「加害者は変われるか?」を開く。なかなか読み終えられないのは、一言も取りこぼしたくなくて、三行読んでは一行戻り、ということを繰り返しているからだ。とても大切なことが書いてある。私には必要なことが書いてある。そう、思う。
カウンセリングで、何がきっかけだったのかよく思い出せないのだが、気づいたら子どもの頃の話をしてしまっていた。担任から受けた執拗な虐め。今もありありと思い出せる、あの当時受けた虐めの数々、その場面映像。不思議とすべてカラーで思い出される。ゆっくりとスローモーションで繰り返し再生されるその場面映像。よく擦り切れないものだなと思ったりする。いつだって鮮やかで、私はその鮮やかさ、くっきりとした輪郭加減にちょっと圧倒されたりする。
話はとりとめもなくて、だから終わりがなくて、曖昧なまま時間が来てしまった。宿題を出され、「でもね、あなたの場合、忘れたら忘れたでいいわよ。真面目に律義に何もかもやろうとしないでいいからね!」と言われてしまう。苦笑しながら、私は部屋を出、次の診察に向かう。
主治医と先日の腹部の激痛について話をする。筋が委縮・硬直しがちな私の身体のケアのために特定のサプリを飲むよう勧められる。帰りに買って帰ってね、とメモを渡される。先生の字はいつ見てもちゃんと読める。走り書きでも、一字一字くっきり書いてくれるので助かる。昔の主治医の字はミミズが這ってるみたいな流れ文字で、解読するのがひどく大変だった。
今日は3月11日。あの日のことを思い出す。私はこの街の片隅で、帰って来たばかりの娘を出迎えているところだった。突き上げるような大きな揺れに見舞われ、娘はうわぁと大声を上げながら通りに飛び出していったんだった。私は何故か部屋の大きな電化製品が倒れないようにと抑えていた。今思っても謎だ、何でそんなことしていたんだろう私は。そうしてじきに来た静けさ。娘のところに飛んで行くと娘はけらけら笑って、すごいね、すごい揺れだったね、何これ、とせわし気に言ったんだった。びっくりすると笑い出すところがあった娘ゆえの笑いだった。酷く晴れた日でもあった。
後で知った、福島のこと。原発のこと。津波のこと。じんちゃ、ばんちゃたちが巻き込まれたこと。逃げ遅れた親戚もいたこと、そういった諸々のこと。後で、知った。
あの日のあの時刻を思い出しながら、私は今日も空を見上げた。あの日見たくすこんと晴れた空だった。ワンコと散歩しながら、その時刻に立ち止まり、空を見上げながら少しだけ祈った。じんちゃ、ばんちゃ、私はここで元気で生きてるよ。


2022年03月09日(水) 
日の出前の一瞬、空が桃色に光り輝いた。あまりにその色合いが美しくて、しばらく窓際に立ち尽くしてしまった。なんて綺麗なんだろう。桃色から始まり、上にいくほど水色になる。そのグラデーションの美しさったら。微妙に空が霞んでいたのは花粉のせいだろうか。その霞がまた、桃色から水色へのグラデーションを飾っているかのようだ。写真を撮りながら、こういう何でもない日の空がたまらなく好きだなぁと改めて思ってみたり、する。

被害からまだ間もない友人が、何とか生活を立て直そうと就職活動を繰り返している。どう見てもまだ正社員で働ける状態じゃあないのに。周りが何を言っても彼女の耳には届かない。就職活動をして何とか就職できても、また一か月足らずで自ら職場を去ることになるのでは、いい加減気力が持たなくなるに違いないのに。
と書きながら、そうなんだよなぁと思う。周りに何を言われようと、元に戻りたいという気持ちが強烈にあった頃私だってそうやって何度も就職退職を繰り返して、顰蹙を買った。そうやってどんどん自分の世界を狭めてしまった。でも、生活だってしなければならない。だからある程度の収入は必要なわけで。まったく働かないという選択肢は選べないわけで。だからこそ、「元のように働きたい」と願ってしまうのだ。あの頃みたいに忙しく立ち働いて、輝きたい、と。
でも。元に戻ることはもう、できないんだ。被害をなかったことにはできない。

なぜその被害者を選んだのかという先日の加害者プログラムのテーマに対して、「何でもいいから認められたかった」と走り書きしていたひとがいた。そこだけ字が大きく、斜めになっていて、最後の最後に彼が走り書いたのだということがありありと伝わって来た。何でもいいから。彼にとってもきっとその思いは切実だったのだろう。でも。結果被害者を生んでしまった。その責任を、彼はどこまでも背負って果たしていかなければならない。
またあるひとは「誰かに「自分はここにいるよ」と気づいてほしかった」と書き残していた。憧れ、性的欲求、支配欲、居場所が欲しかった、等々、それらの言葉から矢印を伸ばしたその先に、そう記していた。自分はここにいるよ、というその言葉が、あまりにくっきり書かれていたのではっとしてしまった。字それ自体が「僕はここにいる」と言っているかのようで。どうしてそんな必死な思いを、性暴力に転嫁してしまったのだろう。私にはとてもじゃないが分からない。分からないけれど、これをこのままにしておいていいとも思わない。

加害者との対話を続けるほどに思うのだ。この隔たりにどう橋を架けたらいいのだろう、と。そもそもそんな橋を架ける必要があるのか?と嘲るひともいるんだろうけれど、私はその橋は必要だと思うのだ、加害者を知らなければ永遠に「何故私が」という問に答えは見つからないままになる。そもそも何故彼らがこんなことを繰り返すのか、彼ら以外の誰が答えられようか。その疑問への答えがなければ、彼らの「繰り返し」を止める術は、ないと私は思う。
たった一度、じゃない。何度でも繰り返してしまう。性加害行動は何度でも繰り返されてしまう。
私の加害者も、私への加害行動が初めてではなかった。過去に何度も繰り返してのことだった。そのことを知らされた時愕然としたのだ、呆然としたのだ、何故こんなことを繰り返せるのか、と。でも、それが現実だった。
もっと遡れば、恋人からのDVも、延々と繰り返されるものだった。まるで蟻地獄のような、螺旋階段を転げ落ちるかのような、そんな永遠さがあった。どうして愛していると言いながらその同じ声音でもって私を罵倒し殴れるのだろう、と、心底不思議だった。でも、同時に恐怖で、とてつもない恐怖で、私はこれっぽっちも抗えなかった。
繰り返し繰り返し行われる性暴力。その繰り返しを止めるには。加害者自ら語ってもらうしか、ない。自らの言葉で自らの行為を思いを、語り尽くしてもらうほか、ない。

今日は自分を褒めることひとつ。かぼちゃの煮つけが上手にできたこと。息子も家人も、これまでで一番美味しいかも!と言ってくれた。ありがたいことだ。食べてもらえるだけでもありがたいのに、誉めてもらえるなんて、得した気分。作ってよかった。明日は家人用弁当を作る日。明日も頑張ろう。


2022年03月07日(月) 
あっという間に3月になり、それももう1週間過ぎようとしている。そうしている間に宿根菫の紫式部が次々咲き出し、何を蒔いたんだか忘れてしまって誰だか分からない芽があちこちから吹き出し、なんだかベランダがとても賑やかになってきている。薔薇も次々新芽を吹き出させる時期で、赤緑色の葉もあれば最初から深い緑色の子もいる。本当にその種類によって姿かたちがひとつずつ違う。ラベンダーはこの秋から液肥をこまめに与えていたおかげなのか、これまでになく落ち着いた様子。ちょっと嬉しい。そして息子の植えた春菊はふさふさと育っており、この間息子が先っちょを食べて「春菊の味ちゃんとする!」と歓声を上げた。そりゃ味するだろと思ったけれど、そういうことさえもが今はまだ彼にとっては新鮮なんだと気づき、何だか羨ましいなと少し思った。

ふと思い出す。そういえば私は3月の8日だったか10日だったかに実家を飛び出したんだった、と。大学卒業式直前だった。懐かしい。あの頃親との仲は最悪で、私は親に引っ越し日時も告げず、その留守中を狙って家を出たんだった。なんて不義理な子どもだ、ときっと周りに思われたに違いないのだけれど、でも、当時の私はそれがもう精一杯だった。これ以上親とぶつかりあいたくなかった。今思い出すともはや苦笑いしか浮かばない。親子関係ってほんと、難しいなぁと思う。
実家を飛び出して独り暮らしをし始めた頃、どれほど自分が親に怯えてこれまで生活していたかを思い知った。そのくらい酷い機能不全家族だった。そして自分が受けて来た精神的虐待が私をどれほど蝕んでいたのかも知った。虐待の世代間連鎖が謂れはじめた時代でもあり、私は怯えた。自分が将来虐待するのではないかと。実際に自分が赤子を産み落とした瞬間「一個の別個の宇宙が現れ出た」そのことに、畏怖を覚えずにはいられなかった。圧倒的な宇宙だった。ああ、思い出し始めるときりがない。
家というのは、密室で、その内側で何が起こっても「家族」の名のもとに許容されてしまうような空気があった。殴られようといたぶられようと、誰も何も言えない。家は、そういう恐ろしい代物だった。なのに、子どもはその場所がなければ生きていけない。
今子供を育てる立場になって。時々思い出す、子どもの居場所は限られているのだということ。学校と家。この場所がなければ子どもが子どもであるほどにまだ生きていく術がない。その中で虐待が行なわれれば、もうそれは命取りだったりする。
居場所って、大事だ。居場所を奪ってはいけない。
というよりも。親ができることって、子どもの居場所を作ることくらいなんだろうな、と。子どもがそこに居られる場所を確保してやることくらいなんだろうな、と。そのことを、思うのだ。
子育て、という言葉の意味はきっと、親育て、なんだろうな、と。そう思う。

朝は、今日一日をどう無事に越えようかと考えている。でも、その一日も、過ぎてみればあっという間なのだ。一日はなんて長くて短いのだろう。今窓の外は闇色に沈んでいる。静かな夜だ。


2022年03月05日(土) 
春一番が吹いた今日は加害者プログラムに出席する日だった。都内まで電車に揺られる。車窓を流れゆく景色に、冬とは違う色合いが混じっていてちょっと賑やかに私の眼には映る。そうだ、啓蟄。どうりで世界が明るく賑やかに見えるわけだ。妙に納得してしまう。
それにしてもなんて強い風。最寄り駅に降りたらあちこちで自転車が倒れている。恐らくすべて風のせい。自転車を倒して回りながらきゃっきゃとはしゃぎ笑う風の精の姿がくっきりと心に浮かぶ。きっとよほど楽しいに違いない。

プログラム。「あなたはなぜその被害者を選んだのか?」。今日のテーマはそれだった。被害者にとっては永遠の問いだ。人間が巷に溢れているにもかかわらずよりによって何故自分が被害者にならなければならなかったのか、その理由を知りたいと思うのは当然と言えば当然のこと、だ。
これまでの対話の中で彼らは「ゲームだった」「人として見ていなかった、だから繰り返し出来た」「たまたまターゲットになっただけ」と繰り返し話してくれた。でも、それでは私は納得できなかった。だから今回、S先生とも話をしてこのことを改めてテーマに据えた。
彼らひとりひとりが自分の問題行動と対峙し、そして「自分自身の言葉でもって」自分の問題行動を語ってほしい。テンプレートに沿った決まりきった言葉などではなく、そのひとにしか言えない言葉でもって、説明をする。それは、彼らが為した罪に対して引き受けなければならない責任のひとつに私には思えた。だから、問うた。

最初は性的欲求を満たす為だった。それがやがて「コレクション」を増やす為になっていった。
何故その被害者を選んだのかについてこれまでできるだけ考えることを避けて来た。何故なら考えるだけでマスターベーションに繋がってしまうから。性的な思い出し方以外まだ思い出す術が自分にはないから。
子どもの頃は母親に甘えたりスキンシップをとったりできた。それが年頃になってできなくなり、寂しくて、それを埋める為に問題行動を繰り返した。
等々。

拙い言葉であっても、彼らが必死に問題と対峙して紡ぎ出した言葉であれば、それは間違いなくこちらに届くものだ。でも残念ながら、これからというところで時間切れ。とてもじゃないが、今日のプログラムの時間だけでは足りなかった。時間を軽くオーバーしてしまった。それでも終わらなかった。
プログラム終了後、S先生と、また日を改めて同じテーマを扱いましょうと話す。とても必要なことに思えた。S先生は、母親との関係に何かがある気がするんですよねぇと指摘する。それを聴いて私は胸に突き刺さるものがあった。私と息子との関係はどうだろう? 大丈夫なんだろうか? 赤子を産んでそれが男児だと知った瞬間のことを思い出す。加害者にも被害者にも容易になり得るのだな、と、そのことを思い、茫漠たる思いを味わったのだ、その時。そのことがありありと思い出される。
女性が怖い、と思っているひと、結構多いと思うんです、怖いからこそ暴力を振るって自分の意のままにコントロールしようとしてみたりする。性暴力という圧倒的な暴力にうって出る。それもこれも、女性に対する怖さが底にあるからと思うんですよね。S先生の言葉、これには私も頷かずにはおれなかった。
じゃあその怖さはどこで植え付けられたのか? これについても、いずれテーマに据えて、考えていかなければならない。

何故私が?
この問いに加害者が、たとえ拙い言葉だったとしても己の言葉で語り応えた時、はじめて、被害者と加害者との真の対話が始まる気がする。この問いを無視しては、何も始まらないんじゃなかろうか。
私には、そう思える。


2022年03月03日(木) 
34通目の手紙を書き終える。加害者プログラムに参加するみんなに書く手紙ももう34通目なのかと思うとちょっと呆けてしまう。最初はプログラムに出席していたのだった。息子が小学校にあがるのと前後して、夜のプログラムへの参加は控えることにした。息子がもう少し大きくなるまでは、手紙でのやりとりにしようと決めた。以来、昼間のプログラムへの出席と、手紙とのやりとりが続いている。
毎月一通ずつの手紙とはいえ、大勢からの手紙に対しての返事を書くのはエネルギーを要する。ひとりひとりの言葉に対して何処まで向き合ってゆけるのか。いつも自分との耐久戦みたいになる。時々、もうこのくらいでいいじゃないか、という気持ちが過ぎる。その度、いやいやそれをして後悔するのは自分だ、と自分に言い聞かす。深呼吸を幾つかして、気持ちを切り替え、もう一度向き合う。その繰り返し。
そこまでして何故やるのか、と問うひともいるのかもしれない。でも、それは私がやりたいからやるのだ。それ以外にない。
誰かと向き合うことは、いつだって膨大なエネルギーを要するものだ。それが加害者だろうと被害者だろうと、そうでなかろうと。それがたまたまここでは加害者だったというだけの話。

先日のカウンセリングで、境界線の話が出た。共感性が強いあなたの境界線はとても曖昧になりやすい、という話。その境界線をしっかり引けるようになるといいね、と。カウンセラーが言っていた。
その時は、そうだよなぁと思ったのだけれど。ふと、今日になって、「本当に私は境界線をそんなにもくっきり引きたいのだろうか?」という疑問が湧いてきた。私は本当にそれを望んでいるのだろうか?
確かに、境界線が曖昧であるが故に、誰かと共振してしまいやすくて、侵入されやすくて、それに振り回されることも多々、ある。そのせいで不必要な罪悪感や自罰感に苛まれることも多くある。
でも。
共感性が強くて境界線が少し緩いが故に、見えている世界もあるんじゃなかろうか、と。今日ふと、思ったのだ。
私はそんな世界のことが実は、嫌いじゃないのかもしれない、と。

間違いなくこれまでの私は、それ故に見えている世界・感じられる世界の中で生きてきたわけで。それは確かに他人から見たら、しんどくて楽ではない世界なのかもしれないけれど、少なくともこれまで私はそれが当たり前と思って生きてきているわけで。
必要のない罪悪感やら自罰感やらに苛まれもしてきたけれど、でも、そうでなければ気づけなかった、味わえなかったことたちもたくさんあったわけで。
そんなに私はそうしたものが嫌いだったのか?と。改めて問いたくなってしまった。
実はそんなに嫌いじゃぁなかったのかもしれない、と。
そう、思えたのだ。

Yさんから、あなたは境界線を引くことがうまくコントロールできてるよね、と言われた。最初それが冷たいと思えてた、とも。でも今は、分かる、とも。
ちょっと考え込んでしまった。私は果たしてコントロールできているのか? できていないからカウンセラーに指摘されたのだ。もうちょっとくっきり引かないと自分が壊れちゃうわよ、と。必要のないものまで背負い込んで、どんどん辛くなるわよ、と。もっと生き易くなっていいと思うわよ、と。そのためにも、境界線をもっと明確に引いて、区切れるようになるといい、と。
考え込んでしまった。今更なのだけれども。私はどうしたいのだろう?と。どう生きていきたいのだろうこれから。
そもそも、生き易いって、どういう状態? よく分からない。生き辛さがお友達みたいなものだったから、生き易い状態というのが分からない。
みんな、そんなに生き易い状態で生きているものなの? もはや首を傾げるしかできない。


2022年03月01日(火) 
他者の気持ちを考えられるようになること。加害者の方が返信にそう書いてきた。それを読んで改めて、彼らの認知の歪みについて思いを馳せた。
よく性欲が抑えられなくて性加害を行なう、と言われる。でもそれだけじゃぁない、そこには支配欲や自己顕示欲も絡み合っていることがほとんどだ。相手を自分の思う通りに支配したい、支配できるという錯覚、そもそも相手を人間と見做していないことも多々ある。相手を人間と見做していないからこそ、自分が都合よく扱える人形或いはゲームの駒と見做しているからこそ、加害行為を為すことが可能だったりする。
もしそこで、相手の気持ちなんて理解できてしまったら、そもそも加害行為を為すことができなかった。
この、認知の歪みの闇の深さ。改めて、その闇深さに愕然とする。

実際に彼らに会いに行く対話と、文通とを続けていて、こういう言葉に出会う時、私は身が引き締まる思いがする。彼らからそういった言葉を受け取ることの意味を思う。ごまかすこと、適当にやり過ごすこと、偽善的な言葉でやり過ごすこともできるはずなのだ。実際そういうひとたちもいないわけでは、ない。
でも、そういう中に、彼らの切実な言葉が散見される。認知の歪みに気づいてしまったが故の苦しみもそうした中から見て取れたりする。そういう言葉や想いに出会うたび、私は、対話の意味を噛みしめる。

性依存症は依存症の中にさえいまだカウントされないのだそうだ。何故?と思ったが、それは被害者を生んでしまう代物だからだと聞かされたことがある。被害者感情を考えてのことだ、と。
なるほどな、とも思ったが、同時に、それが治療につながることを遮ることにならなければいいのだけれどと思った。彼らの認知の歪みは間違いなく病的だ。その見事なまでの歪み。ここに治療を加えなければ、再犯防止も何もあったもんじゃない、と思うのは私だけだろうか。

「罪と向き合うことが自分を卑下することだと間違え、勝手に自己肯定感を下げ、挙句の果てに何故か、自分が責められていると「被害者ヅラ」になる…。そういう自分に気づい」た、という言葉を彼らからの返事の中に読んで、なるほどなと思った。罪と向き合うことが自分を卑下することと間違え自己肯定感を下げ、という悪循環。その結果の被害者ヅラ。ここまで自分を分析し言語化できるようになるまで、彼はどんな道を辿ってきたのだろう。
加害者はもっと、己を語るべきだ。何処までも自分を分析し、語るべきだ。自分を語る言葉を育まなくちゃいけない。それがなければ、彼らの認知の歪みは歪みのままになってしまうに違いない。

被害者は。
己の被害体験直後というのは、語る言葉を持てない。それまで培ってきた言葉ではとてもじゃないが語れない体験を経てしまったが故に、言語化できない時期がある。その時期を経て、ようやっと言語化できるようになるまで、灯りひとつない真っ暗闇の、長い長いトンネルをたった独りで歩かされているような感覚を味合わなければならない。辛い辛い、何よりしんどい時期だ。そして、「もう二度と元には戻れない」ことを見せつけられ、そのことを受け容れるのにまた、苦しい時期を味わう。二重三重に苦しみは続く。だからこそ、被害者は己の語りを手に入れる必要があるんだ。己の語りの為の、己の言葉を新たに構築する必要が。

それは加害者にもきっと言えることなのだ、と、改めて最近思うのだ。自分の認知の歪みを歪みとして語り得ること。その歪み故に為せた加害行為について自らの言葉で向き合うこと。とても大事なことだと思う。そして、でき得るならば、後に続いてしまった加害者仲間に伝えてゆくこと。もう二度と繰り返さないのだという位置から、言葉を紡ぎ続けること。もう二度と悲しみ苦しむ被害者を生まないのだという位置から、言葉を紡ぎ続けること。

被害者にも加害者にも、己の語りを手に入れる必要が、ある。私はそう、思う。


浅岡忍 HOMEMAIL

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