2022年02月27日(日) |
今年最初のクリサンセマムが咲いた。つい一昨日まで、ぎゅっと、赤子の握りしめたこぶしみたいな蕾だったのが、ほろほろっと解けてきてふわぁっと咲いた。まっすぐに陽光に向かって咲く花だ。いつ見ても元気になる。咲いてくれて嬉しい。これから次々蕾が開いてゆくのかと思うと楽しみでならない。 菫は相変わらず地べたを這いつくばるようにして育っている。その菫の隣で葡萄の芽がじーっとしているのだけれども、ここに新たに2つ、芽が出て来た。葡萄の芽だ。種を蒔いたのは秋。それから今日まで土の下で耐えていたのかと思ったら何だかとても嬉しくなってしまった。頑張るなぁ君たち。大きく育つのは無理かもしれないけれども、一度くらいは実をつけてほしい。ガンバレガンバレ。 薔薇が新芽を吹き出させる季節にもなった。特に、挿し木した子らからの新芽の吹き出し具合が凄い。これでもかというほど次々新芽をつけている。待ってました!という感じ。春なんだなとつくづく思う。 ワンコの散歩に行っても、これまで丁度良かった厚手の上着が合わなくなってきた。汗ばんでしまう。ここ数日散歩が終わる頃には背中がぐっしょりだ。一週間前はそんなことはなかった。むしろ寒かったのに。気温も間違いなく上がってきているのだな、と、タオルで背中の汗を拭きながら思う。 そのワンコ、また我が家のリモコンを破壊した。昨夜息子と仲良く寝ていると思っていた私が甘かった。息子のところから自分の寝床に戻って来る道すがら、リモコンをがしがし喰らったらしい。朝見たら破片が散乱していた。息子は「もうおまえと遊ばないからな!許してやらない!」と喚くし、家人は「どうして君気づかなかったの」と責められるし、何とも複雑な気分を味わう。でもこういう時下手に言い返してもいいことないので沈黙は金ということで黙り込むことにする。
Kさんからの手紙に返事を書きながら、今回のKさんの手紙には甘えが滲み出ているなと思う。自分が何人もの被害者を出したことを棚上げしてしまっていやしないか、と、そう思えてならない。愚痴と甘えは違う。愚痴なら聴くが、甘えには返答しようがない。私はそういう甘えは嫌いだ。
25日に行われた小松原織香氏と信田さよ子氏の、「当事者は嘘をつく」出版記念の対談、アーカイブで視聴した。興味深い点がいくつもあった。幾つもありすぎて、まだ消化しきれていない。対談の中で小松原氏が、「私が被害に遭った頃はまだ性暴力という言葉もなかった、強姦という言葉くらいしかなかった」と言っていたが、本当にそうだったなぁと思う。被害者/加害者という言葉もまだ当時は当たり前じゃなかった。また、小松原氏が「言葉がだぁぁぁって零れ落ちていくんですよ」と言ったところ、思わずうんうんと頷いてしまった。自分の被害体験を訴えようと思っても、言葉が零れ落ちて、逃げてしまう。あれは辛かった、いや、辛いということさえ感じられないほどだった。ありありと思い出す。時代は変わった、と、小松原氏が言っていたことも印象深かった。私も同感だから、だ。いや、まだまだだ、という意見ももちろん分かるし、足りないこんなんじゃまだ全然足りない、という言い分も十分すぎる程分かる。でも。 私や小松原氏が被害に遭った頃とは比べものにならないくらい、時代が変化したのも、確かなこと、なんだ。 |
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