ささやかな日々

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2021年09月29日(水) 
「会話」は、二人、または少人数で向かい合って話し合うこと。イメージとしては英会話で一対一で話していたり、複数人で話をしている状態。
一方「対話」は、向かい合って対等の立場で話すこと。
この二つを分かりやすく学校の場面にたとえると、会話が黒板を使った授業。対話が、理解できなかった授業内容を先生に教えてもらう。という捉え方ができるのだとか。

対話と会話の違いを他者に説明しようと思って自分なりに調べていて、一番腑に落ちたのが上の説明。なるほどなるほどと思った。

先日の、加害者プログラムで、何だかこのひととはすれ違うな、噛み合わないな、と思っていた、その同じ人から、今日メッセージが届いて、愕然とする。このひとと私の間に共通の日本語辞書はないのではないかと思うくらい吃驚する。
何だろうこの違和感。
そう考えて、S先生にも相談した。すると、先生からこういう言葉が返ってきた。
「彼らは問題点を正面から指摘すればするほど巧妙に外したり、はぐらかします。それが性加害者の特性です。自分の捉え方がおかしいなと思わせるようなアプローチでないと、どんどん遠ざかっていきます。
どうすればいいのかと、途方に暮れるところですが(私もしょっちゅう呆れています)、そのようにこちら側を呆れさせることも彼らの無意識の加害者の戦略ですから、少し俯瞰して彼にはどのように現実が見えていたのか、そこから今回のやりとりを見直してみようと思います。」
先生からの返信に、なるほど、と唸らされた。
私は残念ながらまだまだこの領域に達していないなと、痛感する次第。深呼吸して、とりあえず一歩距離を置いて、見つめ直そう、と思う。

私は加害者と、対話をしにいっているのであって、つまり、対等の立場で話をしにいっているのであって、おしゃべりをしに行っているわけではない。なぁなぁにするつもりもまた、ない。

と、ここまで書いてふと窓の外をみやれば、欠けた月が東の空にぺたり、くっついている。まだ昇って間もなく、のっぺりと黄味がかった色合い。虫の音だけがしんと静まり返った夜を震わせている。
静かだ。こんな静けさが大好きだ。静かの海、というタイトルのアルバムがそういえば何処かにあったなと思い出し、かけてみる。天野月、静かの海。好きなアルバムのひとつだ。こんな月夜に海辺に立って、ただぼんやり海を見つめたい。若い頃はよく行ったものだ。終電で家を抜け出し、海まで。もうどのくらいやっていないんだろう。いつかまた行けるだろうか。
家族はもう寝静まっている。私が部屋を抜け出し今出かけたら、間違いなく心配する。夜明けまでに戻ってくれば良いのだろうが、それでも何となく気が引ける。
若い頃それができたのは、家が居場所じゃなかったからだ。何処にも居場所がなかった。学校も家も。そんな私にとって唯一、海は私の居場所だった。

あんなに美しく出ていた月が、いつの間にか雲に呑まれた。そうか、台風が近づいてきているんだっけか、と思い出す。今週の金曜日は通院日、その通院日は雨が激しく降る予定らしい。
ちょっぴり、憂鬱。


2021年09月27日(月) 
家人と息子が返ってきた。それだけで部屋が賑やかになる。ついさっきまでがらんとしていた空間に、幾重にも声が重なり色が重なり、まるでお祭りのようだ。
だからかもしれない、今夜はいつもより長く眠ることができた。すとん、と寝入ってしまった。息子を寝かしつけていたはずなんだけどな、と首を傾げ乍ら起き上がった。午前0時。
贅沢なんだと思う。それでも、私はひとりに還る時間がないと息切れしてしまう。だから今夜も、ひとりこっそり、夜を食む。

依存症施設でアートセラピーの講師の日。自転車で片道30分弱。最初道が分からなくて、家人に教えられた車通りの多い道を走ったのだけれど、どうにもこうにも落ち着かない。だから先日から裏通りを適当に走ることに決めた。
もう閉店して長く時間が経つのだろう小間物屋の脇の細道を入り、少し行くと、もくもくと湯気を出している建物が見えてくる。クリーニング屋の下請けさんのようだ。その猫がたむろする辺りを過ぎると今度は小さな公園。今日はその公園の、百日紅の樹が花盛りだった。うちの近所のお寺の百日紅はもう散ってしまったのに、と思いながら見上げる。濃いピンクの花弁が幾つも幾つも。その足元で揺れる黄色い小さな花々とのコントラストが鮮やかで、ちょっと眩しい。さらに走ると障害を持った子たちによって営まれる小さなパン屋さんが見えてくる。その店を見やりながらさらに私は走る。別の、さっきより小さな公園がぽつん。誰もいない。午後の陽光が燦々と降り注いでいる。

今日はとあるテーマでのコラージュを為してもらう。何人かは、事前にテーマを伝えていたからか自ら使いたい画像を用意してきていたり家で描いたのだろうイラストを写メに撮っていてそれを見ながら私が配った用紙に描きうつしたりしている。手を留めてぼんやりしている人に話しかける。テーマをどう捉えたらいいのか悩んでいるらしく、だからそっと後押しをする。
最後、全員でシェアするのだが、思っていた以上にみな、自分の内奥に潜むテーマを具現化してくれていて惚れ惚れしてしまう。そうか、このひとは今このテーマが、あの人は今あのテーマが、それぞれに心にあるのだな、と、教えられる。中には、できあがったコラージュに自身でびっくりしているひともいたりする。「こんなのができるんだあ!」と自分で自分の画に見入っているのを私は後ろからそっと見守る。

色がきらきらしている。秋はいつもそうだ。少し寂れた感触を伴って、光がきらきら輝く。ころころと光が転がる。私はだから、ちょっと眩しくて、目を細める。かつてはこの、きらきらの光を当たり前に享受していたんだろうなと思う。私にも、色があるのが当たり前だった時代があったのだから。それが、当たり前でなくなった時はじめて、知るのだ、知らされるのだ、色がどれほど心を豊かにしてくれていたのか、ということ。世界から一切の色が失われてはじめて、愕然とするのだ。ついさっきまでいたはずの世界がどれほど、やさしく美しく満ち満ちていたのか、を。
かなしいかな、ひとは。失ってみないと気づけない生き物。喪失を経験してはじめて、欠落を経験してはじめて、気づかされるのだ。世界はもう十分に美しいのだ、ということ。


2021年09月26日(日) 
土曜、加害者プログラムの日。被害者として参加してきた。そして。珍しく声を荒げる場面があった日でもあった。

あなたはおおらかだから。そう言われた時、正直ぽかんとした。何言ってんだこのひと、と思った。だから彼の続く言葉に耳を傾けた。
自分が被害者になったら到底加害者のことなんて許せません、冗談じゃない。
彼はそう言う。私は彼の言葉から、彼の内では彼自身の犯した加害行為と自分が被害者となったらという部分とが完全に乖離しているのだなと感じた。
あなたはおおらかだから、こんなふうに(被害者なのに)プログラムに出てくることもできる、とは、いったいどういう意味なんだろう。いや、頭では分かる。が。
ふざけるな、と思った。
〝おおらかな〟私は加害者を全面的に赦してるとでも思っているのか?そんなふざけた気持ちで君たちと対峙しているわけじゃないよ、君たちのところに対話しにきてるわけじゃないよ、覚悟をもってここにいるんだ。それが何故分からない? 
心の中、私は轟々と自分の怒りが滾るのを感じた。でも同時に。これが「現実」だ、とも感じた。
恐らく、彼だけではない、多くのひとたち、第三者も含め多くのひとたちが、酔狂なひとだなと私のことを思っているに違いない。「どうして加害者と対話なんてしたいんだ?」「加害者と対話したいというからにはもう加害者を赦せているのだろうな、その程度のものなのか?」等々。実際、私に「加害者と対話したいなら、自分の加害者と対話すりゃいいじゃん」と嘲笑ったひともかつていた。
そのたび私は正直、傷ついてもいる。それでも加害者との対話を続けているのは何故か。
理由は簡単だ。私は、彼らの闇を知りたいのだ。知らなければ、私は、私に起こった諸々の出来事を容易には受け容れられない。とてもじゃないが受け容れてその先に進むなんてできない。
もちろん、これ以上彼らに被害者を生んでほしくないから、という気持ちがある。でもそれ以上に。
私は、知りたい。そして、私なりに納得できるものを見つけたい。
「自分が被害者になったら到底加害者のことなんて許せません、冗談じゃない。」真剣な表情でそう言ってのけるかつて加害者になったそのひとは、自分が犯した問題行動=加害行為によって生まれた被害者のことを自分事として受け止めていないのだ。それはそれ、これはこれ、としてしまっている。だが。それは違う。
その、自分の問題行動と、自分が被害者になってしまったらとの想像との間に横たわる部分をきちんと見据え、それらすべてを受け止めて受け容れてはじめて、彼は、自分の問題行動を「自分事」として認めることができるんだと私は思っている。
とここまで書いてきたが、まだうまく表現しきれない、言語化しきれていない自分に私はイライラしている。もっとこう、ストレートに、簡素な言葉で言い切りたいのに。まだ、そこまで至らない自分が、いる。もどかしくて仕方がない。
まだまだこのことについては、考え続けていかなければいけないと思う。今この瞬間も。
自分の内の加害性と被害性とを、切り離して考えている限り、それらは別物のまま、だ。が、果たしてそれらは別物なのか?本当にそうなのか?
表裏一体、いや、ひとつづきの代物だと、私には思える。繋がっている、と。決して別個でも、ただ対立してあるものなどではなく。
ひとつづきのものだ、と。
それにしても。怒りというのは疲れる。エネルギーを消費する。体力気力を消耗する。できるなら怒らずに過ごしたい。本当にそう思う。
でも。
あの時怒らずに私がへらへら笑ってやり過ごしたら、それは絶対許されないと思ってる。それこそ、私の背後にいる夥しい被害者というひとたちへの冒涜だと、そう思う。もしそんなふうになったら、それこそ私は、私自身を赦せなくなる。ただでさえ自分が一番嫌いなのに、もっともっと、最高に私は自分を嫌悪するようになってしまう。
だから。
これからも、時々は、まっすぐに怒ろう。まっとうに怒ろう。怒るべき時に。まっすぐに。

帰り道、電車はそれなりに混んでいて。すべてのひとたちがマスクをつけ、黙々と手元のスマホを覗き込んでいる傍らで。私は窓の外流れゆく夜闇のその暗さに、ぼんやり見惚れていた。人間が内に秘めている闇に比べたら、全然明るい夜闇だよな、と。そんなことを思いながら。


2021年09月22日(水) 
家の中、自分の他に誰もいなくなったのに、じっと本を読むことができない。心がざわざわする。思い切って外に出てみた。本屋の近くの珈琲屋に陣取り、本を開く。そうして薬丸岳著「誓約」を読み終える午後。
確かに、薬丸岳氏の作品は犯罪被害/犯罪加害の問題が色濃く取り扱われているのだけれど。それだけじゃないところが救いなのだな、と感じた。それは、ひととしてこれだけは、という部分が必ず、少なくとも私が読んできた何冊かの本には、描かれていた。私が薬丸岳氏の作品を読み終えた後いつも感じる切なさや安堵は、そこから来るのだろう。
現実はどうだろうか。
認知の歪みにずっぽりと染まった加害者の、その認知の歪みを歪みなのだよと伝えるだけでも難しい。伝え続けたとしても、その加害者は生涯、それを受け容れることができないまま死ぬことだって、ある。そこに救いはない。
それでも。
伝え続けることをやめてはいけないのだな、と。そんなことを思うのだ。ひととしてどうあるべきか、ありたいのか、そのことを自分自身常に自問しながら、必死に生きていかねばならぬのだな、と。
薬丸岳氏の著書からは、ひとがひととして生きることの大切さがこれでもかというほど匂い立つ。ひとがひととして守るべきものは何か、譲れないものとは何か。
何となしに「薬丸岳」と検索したらWikipediaがトップに出てきて、薬丸氏が1969年生まれであることを知る。ああ、同世代の作家だったのか、と。どおりで薬丸氏が描く悲惨な事件に私自身覚えがあるわけだ、と納得する。実際に起きた、あってしまった事件の幾つかが、薬丸氏の中に色濃く刻まれていて、それが彼のベースを作っているのだなと勝手に解釈する。こういう昇華の仕方もあるのだな、と。

帰り道、自転車でゆっくりと走る。走りながら、すれ違うひとたちの横顔をちらり、またちらりと見やる。このひとたちにも当たり前だけれどもこれまでの人生というものがあって、もしかしたらとてつもない過去を背負っているひともいて。いや、みな、それぞれがそれぞれの人生を、これでもかというほど背負っていて。
もしかしたら今日この直後、死んでしまうひともこの中にいるかもしれなくて。同時に、これまで生きていていっとう幸せだという瞬間を味わっているひともいるかもしれなくて。世界はなんて混沌に満ちているのだろう、と、呆然とした。
もし自転車で走っていなかったら、私はその場に蹲ってしまったかもしれない。
横断歩道を横切る誰かの横顔を、子どもの手を引いて足早に歩く誰かの横顔を、波止場で煙草をくゆらす誰かの横顔を、すれ違いながらちらり、またちらり見やる。そうしながら私は、胸がいっぱいになってくるのを感じる。
この中には、私のように、かつて犯罪被害に巻き込まれた誰かもいるかもしれなくて。その誰かは明日こそ死のうと思っているかもしれなくて。同時に本当は死にたくなんてないのにと思っているかもしれなくて。でもそんなこと誰にも分からなくて。誰もどうにもしてあげられなくて。
坂道を昇りながら、眩い午後の陽光を浴びる自分の腕が目に入る。あの時私が死んでいたら、死ぬことが叶っていたら、今こんな光は当たり前だけれども浴びることはなくて。
何だか走りながら、ぶわあっと感情が込み上げてきた。ああもうみんながみんな、どんな形でもいいから、今幸せであれ、と、祈るような思いが。理屈も何もどうでもいいから、そんなもんとりあえずどうでもいいから。
ただもう、幸せであれ、と。


2021年09月21日(火) 
21日は中秋の名月、八年ぶりに満月と同日だったとか。家人が息子を肩車して東の空からのぼり始める満月を指さしていた。でも。
美しい満月、という言葉が巷にこれでもかってほど溢れていて、私はそれになかば中てられてしまった感じがする今夜。確かに美しくてうっとりもするけれど、同時に、その美しさから僅かながら傲慢さを感じてしまうのは私だけなんだろうか。ほら、美しいでしょう?と差し出される月の手を、握り返したいとどうしても思えない。
私は下弦の、細い月の方が、落ち着く。ほっと、する。

乱視がいよいよ酷くなって、眼鏡を衝動的に作り直す。視力自体はまったく問題がない。要は乱視が酷いっていうだけなのだが。でも何だろう、眼鏡を作り直す、と決めたら気が楽になった感じがする。眼鏡屋で待ちながら、最近こんなふうに店に入ったのってどのくらいぶりだろう、と突如気づく。ずいぶんご無沙汰だった気がする。店に入って待つ、なんていう、どうってことのない行動。それさえも、していなかったのだな、と。
友人のお子二人が、ひとりは喘息で、ひとりは熱痙攣で、救急車で運ばれたという。ひとり待合室で待たされている友人とLINEでやりとりする。ここで待たされる最中の不安には慣れないなあと言う友人に、うんうんと返事をしながら、何故この友人には次々不安が襲い掛かるんだろう、と心の中で思う。次から次に彼女を見舞う災難。まるで、彼女に休む隙を与えないように神様が操作しているとしか思えないくらいに。神様、それってどうなのよ、と、私は空に向かって悪態をつきたくなる。

息子を寝かしつけるつもりが自分がうとうとしてしまった。はっとして起き上がる。息子はもう寝た後で。彼に布団を掛け直してから私は起き上がる。顔を洗ってなかったんだよな、と。
でも。正直、顔を洗う、ということさえもしんどくなる夜というのもあって。このまま横になって寝たふりでもし続けて気づかなかったふりをしようか、なんて思ってみる。シャワーを浴びる気力は間違いなく残っていない。ならせめて顔だけでも。這うように洗面台まで行き、洗顔料に手を伸ばす。セルフケアって簡単におざなりになれる。わかってるから、顔だけは洗うよう、踏ん張ってみる。

そういえば。ワンコとの散歩中、電信柱につかまって必死に啼き続ける蝉に会った。もう君の季節は終わったと思っていたのに、と思いながら電信柱につかまっている彼を見やる。まるで気配を察したかのように黙り込む蝉。私が一歩踏み出すとまた啼き出した。たった一匹の蝉の声が、辺りに響き渡る。
そして今、夜更けの闇を虫の音が震わしている。その振動が私の鼓膜を揺らす。日の出が遅くなり、日の入りが早くなり、そうしてこんなふうに虫の音が響き渡るようになり。季節は間違いなく次へ次へと進んでゆく。容赦なく。


2021年09月18日(土) 
少しでも微かでも覚えていられるうちにと思い、家人に手紙を書く。先日の枕のことは私にとっては自分(の領域)が侵蝕されたように感じられたことや、最近のカウンセリングでの話等。勢いでとにかく書いた。それを読んだ家人が傷ついてしまうかもしれないと何処かで思いながら、どうかそういうふうになりませんようにと祈りながら。

雨が勢いよくざんざか降った日。でも午後ぽっかり青空が垣間見えた。その合間に、急いでワンコと散歩にゆく。喜び勇んで歩き出したのに、ワンコは散歩の半分も行かないうちからテンポが遅くなり。私は振り返ってはリードをくいっくいっと引く。その繰り返し。彼もこの九月に入って、鬱にでもなっているのかしら。

九月に入って体調を崩している友人らが多くいる。天気のせい、コロナのせい、季節のせい、いろんな要素が絡み合って、押し寄せてきている感じがする。世界についていけない、という友達の気持ちが私にも分かる。
私自身、ゆらゆらと揺れている足元を感じる。不安定なその足元をじっと見つめると、奈落の底に落ちそうな気がするから、できるだけ何も感じていないふりをしているけれども、本当は、じわじわと不安がそこに滲み出しているのを知っている。
こういう時思い出すのは、中島みゆきさんの「船を出すのなら九月」という歌だ。だから声に出して小さく歌ってみる。船を出すのなら九月、誰も見ていない星の九月、ひとを捨てるなら九月、ひとはみな冬の支度で夢中だ…。
何処かで聞いた、九月は自殺者が増える、と。納得してしまう。

珈琲の粉にカシアだけ足して、シナモンコーヒーを淹れてみる夜更け。いつも思うのだけれど、真夜中の珈琲ってどうしてこう美味しいんだろう。兄者が言っていたっけ、この背徳感がたまらないのだよ、と。背徳感かぁ、とその言葉に感心したんだった、あの時。私は背徳感とはまた違う、何というか、一日のうちで一番ゆっくり珈琲を味わってひとりを味わえる時間が真夜中だというのが大きく自分に作用している気がする。朝も昼も、なかば勢いで珈琲を飲んでしまうけれど、本当はこんなふうに、ゆったり自分に浸りながら珈琲を味わいたい。そう、まさに言葉通り、味わえる時間が、真夜中だ、ということ。どうせたいして眠れやしないのだから、それなら美味しいことをする方がずっと心の健康によかったりするし。

万田酵素の肥料を与えるようになってからというもの、ベランダの緑たちがぐいっと元気になった。何より葉の緑が冴えるほど輝いて見える。こんなことならもっと前からこの肥料に変えればよかったと思う程。
息子の植えたトマトが、今頃ようやく花を咲かせ始めた。それを見つけた時の息子の喜びようったらなかった。母ちゃん、三つもお花咲いてる!ううん、こっちにも咲いてる!そう大声で叫んで、私を呼んだっけ。さて、これが膨らんで色づくのにどのくらいかかるんだろう。秋も深まってしまうんじゃなかろうか、なんて想像すると、このトマトさんたちはなんてのんびり屋さんなんだろうなぁとちょっと可笑しくなって笑ってしまう。

明日の朝は、晴れるだろうか。久しぶりに気持ちの良い朝に会えるだろうか。今からどきどきしながら私はその空を待っている。


2021年09月17日(金) 
通院日。何を話したのか、もうおぼろげにしか思い出せないのが悔しい。私の脳味噌の皺はびよんびよんに伸びてしまっているんじゃなかろうか、とかなり真剣に思い悩む。
風呂の湯に浸かることが怖いという話。侵蝕される恐怖の話。決して家人が嫌なのではなく、私は今過去の亡霊に追い立てられまくっているという話。それを家人と話す時期なのではないかという話。他にも、大事な話をいっぱいした覚えが微かにあるのだけれど。思い出せない。

若い友人からメールが来て、そのメールに書かれている言葉にぐさぐさ来てしまう。それが昼間。だいぶ時間を経て、夜になってみれば、いやいや決して悪気のある言葉でも何でもなく、素直に思いを綴ってくれただけのことなのにと気づく。どうしてあの時はあんなにもぐさぐさ来てしまったのだろう、と。
疲れてるんだな、と今更だけれども思った。そうだ、私は疲れている。被害の体験を経た誰かと向き合うことに過敏になっている。怖いのだ、また傷つけたらどうしよう、また抉ってしまったらどうしよう、また裏切られたらどうしよう、などなど。考え始めるともう、恐怖で雁字搦めになってしまう。
余力がある時はそんなことはないのだ。ある程度の距離を保てる。でも。
今日のように、心に余力がないと、どうしても自責してしまう。自分をどうしようもなく貶めて、責めて、自らの手でずたぼろにしようとしてしまう。

心に余白を持つこと。大事だ。分かっている。その為にも私には、ひとりに還る時間が必要なのだ、とそのことも分かっている。
でもなかなか、この、ひとりに還る時間、というのを持てなかったりすると、こんなふうに、切羽詰まってしまうのだ。
NさんとTさんから電話を頂いて、なおさらに反省。お二人が心配するくらい私ははたから見ていても切羽詰まっていたのだな、と、今更ながら気づく。
気づかせていただいて、ただ、感謝。

こういう時はいつもとちょっと違うふうにしよう、ということで、珈琲を淹れる時に、カシアとナツメグを混ぜて淹れてみる。スパイスチャイティー風の珈琲に仕上がる。私の嗅覚はいまだ万全ではないけれど、それでも微かに、香りを感じ、ほっとする。珈琲なのにチャイっぽくて、チャイっぽいのに珈琲で。この、珈琲とチャイとの間を漂うような飲み物。とりあえず今夜のお伴。
読みかけの本も、せねばならぬと焦っていた仕事も、原稿も、全部今夜は棚上げ。保留棚にぽいっと放り投げよう。じきに降り出すのだろう雨の気配に垂れ込める闇雲の拡がる夜空を、こんな時だからこそぼんやり眺めて過ごそう。ただぼんやり。のんびりぼんやり。


2021年09月16日(木) 
ワンコと散歩していると、いろんなものを新たに発見する。たとえば木の実。彼は道端に落ちている木の実を次から次に見つけては食べようとする。だから私も彼がフガフガ言い始めると慌ててそちらを見る。今日はオリーブの実が落ちているのを見つけて食べていた。こんな近所にオリーブの樹があるなんて私は今日の今日まで知らなかった。立ち止まって樹を見上げる。独特な葉と枝ぶり。そうかこれがオリーブの樹なんだ、としみじみ思った。ワンコのお陰、だ。
たとえば雑草。彼が好んで食べる雑草とそうではない雑草とあって、私から見るとそれはほぼ同じように見えるのだけれど違うらしい。似たように生えているのに、同じ種類にさえ見えてしまうことがあるのに、彼は見向きもしない時もあれば、少し先から早々に見つけて駆け寄る時もある。何がそんなに違うのかまださっぱり分からない。でも、その度、こんなところにも緑があるのか、と、発見する。

ワンコとの散歩時、息子が、すれ違う人全員に「こんにちは!」「こんばんは!」と声をかけている。でももちろん、返事をしてくれる人はほとんどいない。辛うじて返事をしてくれるのは、私達と同様に犬の散歩をしているひとたちのみ。それでもメゲずに彼は声を掛け続ける。
彼が小さい頃、私は彼に言ったのだ。挨拶はできる子になりなさい、と。挨拶はノックと同じなんだよ、と。誰かと仲良くなりたいと思ったら挨拶から始まるんだから、ちゃんと挨拶できるようになりなさい、と。
彼はそれを覚えているのか覚えていないのか分からないけれど、でも、しつこいほど挨拶する子になっている。怪訝な顔をして通り過ぎる大人たちを見ていて、私は、心の中息子に言い続けている。私はそんな、決してあきらめようとしない君が大好きだよ、と。

来月とある大学で講義をすることになり、その準備を進めている。話そうと思うことをまとめ、その合間合間に流す動画を作る。たったそれだけ、なのだが、それがなかなか難しい。この話をするのならこの動画を、あちらの話をするならあの写真たちを動画にして、などなど、考え始めるときりがなくて、パソコンの前でうんうん唸っている。
でも、せっかくやるのなら、ベストの状態で臨みたい。もうちょっと踏ん張ろう。


2021年09月10日(金) 
時々、こう訊かれることがある。「昔の自分を今取り戻すことができていますか」と。
被害に遭った後と前とでは自分が違って感じられてしまうのは当然のことだ。それほどの出来事に出くわしてしまったのだから。私も、ずいぶん長いこと、元に戻りたいとか昔に戻りたいということを思い願ったものだった。でも。
戻れない、のだ。
幸か不幸か、戻れはしないのだ。あんな出来事に出くわして、何も知らなかった頃のようには振る舞えない。当然だ。
あんなことさえなければ。あんな目に遭いさえしなければ。
何度呪っただろう。恨んだだろう。悔やんだだろう。そうして最後は自分を責めに責めて、解離し、気づけば自傷行為を繰り返す日々だった。
いつ頃からだろう。そこから少しずつ、本当に少しずつ離れることができるようになって、今に至る。その今の私が先の問いに対してどう応えるかと言えば、ただこう応える。「昔の自分かどうかは知らないけれど、私は今の自分に納得しているよ、いろんなことを経て今の私が在るって思ってる、と。
被害をなかったことにはできない。あってしまったことはなかったことにはならない。どうひっくり返っても、なかったことにはならない。つまり、時を巻き戻す術をもたない私達人間は、出会ってしまったことをなかったことにはできない。そういうところで生きている。
そんな私は、被害後、様々な二次被害やら何やらに巻き込まれ、それでもここまで生きて来た。生き延びて来た。そんな私が、昔と全く同じ私のわけが、ない。
でも、十年、二十年、二十五年と時を重ねて来ることによって、気づいたらいつの間にか、こんな私でも、私は私なんだな、と思うようになってきていた。
昔と今とを比べることなんて、残念ながら、そもそもできないのだ。だって、被害に遭ってしまったから。被害をなかったことにすることはできないから。
昔の主治医に言われたことがある。私が何度も何度も「元に戻りたい、元に戻したい!」と繰り返し泣くのに対してこう言われたのだ。
「もし時間を元に戻したとして、そうしてそこでも被害に遭ってしまった時、あなたはここまで生き延びて来れるかしら? そのくらい大変な道のりだったはずよ。今回は幸運にも生き延びてこれたけれど、次回も生き延びられるかどうか、分からないのよ」
こう言われて、呆然としたことを今もありありと思い出す。何を言ってるんだ先生、時を巻き戻せたとして、そこでもまた被害に遭うかもしれないと?
と、そこまで考え至って、愕然とした。ああそうだ、被害に遭わないで生きられるのはむしろ幸運中の幸運で、誰が被害に遭ってもおかしくないのがこの世界の有様で。私がもし今時を巻き戻したとして、そこで再び被害に遭う可能性はゼロではないのだ、と。気づかされた。
ああ、ここから生きていくしかないのだな、受け容れて、すべてを受け容れて生きてゆくしかないのだ、と、そう私が腹を括ったのは、たぶん、あの時だと思う。
ここから生きるしかない。私はだから、そういうところで生きている。
今だって油断すると、ぶわっと感情が揺すぶられる。「あんなことさえなければ私は!」と、怒鳴り散らしたくなる。
でも。
それは、あり得ないのだ。あんなことは在ってしまったのだし、今の私はそれを経てここに在る。そもそも、被害をなかったことにするなんて、私には、できない。
だから、今私ができるのはただただ、すべてを受け容れて、引き受けて、黙々と生きること、だ。そう、思っている。


2021年09月08日(水) 
解離性健忘を、私は、舐めてかかってたのかもしれない。
私の記憶は、一日がちょうどいい具合で、一日一日、失われる。娘に言わせると「ママは忘れすぎ!きれいさっぱり忘れすぎ!」と。

被害に遭った後、15年くらい、「忘れられない」ことがしんどかった。事件のことも、その後起こる二次被害的なことすべて、何もかもが、「今」にとどまってしまって、過去にならないまま、つまり生々しいままいつまでもいつまでも、私に圧し掛かって来てた。記憶に殺される、と思った。そのくらい、「忘れる」という能力を失っていた。

それが、解離性障害が顕わになってきてからというもの、次々忘れていくようになった。つい今しがた交わした約束や、つい今しがた食べたものさえ、私は容赦なく忘れるようになった。日常生活を営むことに支障がでるくらい、その健忘は半端なくなった。
あまりに次々時間や記憶を失うので、私は恐ろしささえ感じた。私の懸命な努力にも関わらず、私の時間や記憶は容赦なく欠落していった。次から次へ。
家族や友人にどれほど迷惑をかけたことか。数知れない。

最近は、解離性健忘の症状との付き合い方が少しずつ分かってきて、とにかく付箋とスマホのメモ帳機能を多用するようになった。本を開いている途中ではっとしたら付箋に殴り書いてとりあえず本に貼り付けてみる。カレンダーは家族全員の予定が書き込める代物を冷蔵庫に貼り付けて、忘れちゃいけない事柄をとにかくメモするようにする。その他友人と交わした言葉や約束は、スマホのメモ帳に走り書きするよう努めている。
でも。
私の記憶は基本、一日単位、だ。昨日食べたものの記憶や一昨日感じたことの記憶なんてきれいさっぱり失う。翌朝には空っぽ、だ。白紙だ。
「50回目のファーストキス」って映画で、新しい記憶は一日で消えてしまう短期記憶障害の女性が描かれていたけれど、私はとてもじゃないが、笑ってあれを見れない。私も似たり寄ったりだ。一日単位で私の記憶は上書き保存されるから。基本的に。

「先生、どうして私、こんなに覚えていられないんでしょうか」
「それがあなたの症状なのよ」
「・・・」
「解離性健忘の症状なの」
「治らないんですか」
「症状とどうつきあっていくか、が大事よ」

どうしても覚えていなくちゃならないことは、だから、次から次に文字に起こしておかないと、私は容赦なく忘れるんだとつくづく最近思い知った。
こんなことなら、PTSDの原因になっている被害のことも、すっこーん!と忘れ去られたらいいのになぁ、と思ってみたりする。解離性健忘が人一倍酷いことも、すっこーん!と忘れられたら楽かも、なんて。
いやいや、そんなことになったら、私はもはや、私を忘れそうな気がする。私が私であることを忘れないように、私は必死に私を繋ぎとめる。精一杯今日を生きて、今日を死ぬ。その繰り返しだ、と、自分に言い聞かす。それが私に、できること。


2021年09月06日(月) 
霧雨から始まった。空を見ようと起きぬけにベランダに出て、ふわふわと粉のように舞う雨に気づかされる。どうりで空が暗いはずだ。雨雲に一面覆われて、どよんとしている。右に左に舞う細かな雨粒、私はカメラを持っていた右手を下ろして、左掌で雨を掴もうと試みる。もちろん掴めやしないのだけれども。

薬丸岳著「虚夢」読了。勢いで立て続けに薬丸岳の本を読んでしまった。でも、「Aではない君と」の方が私にはしっくり来たせいで、ちょっと消化不良。また時期を置いて読み直そうと思う。
半藤さんの本も読みたい本が数冊溜まっている。赤坂さんの本も。活字拒絶症状が長く続いたおかげで、ちっとも読書が進んでいない。未読の本にグラシンでカバーをそれぞれにかけながら、早く読まなくちゃなあ、と反省する。私の活字拒絶が再び来るのは間違いないのだから、その波が来るまでの短い間、飢えた子のようにがっついて読書をするのだ。改めて自分にそう言い聞かす。私が読める時間はひとより短いのだから。

午後、雨が止んだと思い込み自転車で息子のダンス教室へ。でも送り届けた直後から雨がざっと降り出す。参ったな、と、空を見上げても雲の切れ目は見えず。さっきまであんなに陽光がさしていたのに、うまく騙された気分。
雨宿りをしながら手紙に返事をしたためる。8月末に受け取っていたお手紙への返信。でも、雨が気がかり。

来週一週間家人は留守。関西方面へ展示へ出掛ける。その前準備で今、家の中がごたごた散らかっている。掃除機をかけたい、と思っても、下手に家人の机の近くを掃除できない。大事なものが転がってるかも、と思うと気が気じゃない。そんなこんなで、掃除機じゃなく掃き掃除になる。栃木方面に出掛けた際仕入れた箒でしゃっしゃと為す。それが一番無難な方法。

息子が育てているカブトムシが無事産卵した。卵を一個一個スプーンで拾い上げ、別の虫かごに移す作業。私の老眼では無理なので、息子と家人にやってもらう。私は見ているだけ。果たしてこの卵は無事かえるのだろうか。不安いっぱい。

ダンス教室での息子のふるまいを見るにつけ、学ばさせられる。たとえば彼の、ちょっとひねながらも踊り続ける姿。私がもしあの場にいて先生からあんなふうにからかわれたり注意されたりしたら、固まってしまって身動きとれなくなるんじゃなかろうか。でも息子は、どんなにからかわれようとどんなに叱られようと、その後も動き続ける。そんなの当然でしょ、と返されるかもしれないが、私には決して当然なんかじゃない。今クラスで男子は一人。みんな上手になって男の子は全員上のクラスに移動してしまっている。彼一人大勢の女の子に囲まれながらの練習。時々女の子から肘鉄受けながら、それでも彼は今できることを一生懸命為している。私は最初そのことに気づけないでいた。Aちゃんのお母さんのMさんが、「ほら、頑張ってる頑張ってる、ちゃんと踊り続けてる、すごいすごい!」と。言われてようやっと、彼の凄い点に気づいた次第。情けなや。
でも、気づいて以来、感心しきり。そして、私も似通った場面に出会った時は彼を見本にしよう、と心に決める。すぐ挫けたり固まったりするのでなく、とにかく動き続けて今できるベストを積み重ねよう、と。
先週よりも今週、昨日よりも今日、ほんの少しでも、お!と思えるところを。それがたった一か所、たった一瞬であろうと何だろうと、それが大事なのだ、と彼の姿から私は教えられた。
ダンス教室からの帰り道、天気は不安定。時折ぱらぱらっと降る雨の中、ひたすら自転車で走る。西の空の上の方、雨雲にぽっかり穴が開いている。そこから見える青空の何と鮮やかなこと。
「母ちゃん、すごいね、雲の向こうにはいつも晴れた空が拡がってんだよ!」
「うん、そうだね」
「ね、空の向こうには何が拡がってるか知ってる?」
「ん?」
「宇宙だよ、そこには星もいっぱいあるんだよ」
「そうだね、うん」
「人間は一番星が光り始めても全然気づいてくれなかったりするけどさ、星はちゃんとそこにあるんだよね」
「うんうん、そうだね」
家に帰る頃にはこの会話も彼は忘れてしまうに違いない。あっけらかんとした表情でテレビに見入り、けたけたと笑うに違いない。
だから代わりに私が覚えていよう。

東の空、斜め方向、一番星がちかちか光る。


2021年09月01日(水) 
今更なのだが薬丸岳著「Aではない君と」読了。三章立てのこの三章目がまさか、こういう運びになるとは。読み終えてしばらくぼおっとしてしまった。「考え続けるんだ。これからずっとずっと、その人たちの心を少しでも癒すためになにをしなければならないのかを。何ができるのかを」。

かつて生きづらさを抱え思い悩みながら十代を過ごしたひとりの子どもとして、そして今子供を育てたひとりの親として、作品を読みながらひたすら「罪を償うとは何なのか、更生とは何なのか」を自問し続けずにはいられなかった。作品中に答えがあるとしたら先に挙げた言葉なのだろう。私もそれしかないと応えるだろう。しかし、それが唯一の正解なのかは分からない。そもそも罪を償うことや更生に「正解」なんてあるのだろうか。否、正解なんて必要ないのかもしれないと、ふと思う。
正解なんてないかもしれないからこそ、ただひたすら「考え続け」ながら生きなければならないのだろうし、自分に何ができるのかを自問しながらひたすら生き続けなければならないのだろう。

私は読みながら、今関わっている加害者プログラムのひとたちのことを心の片隅に思い浮かべていた。彼らは小説の中の少年のように誰かを殺したわけではない。しかし、加害者プログラムに参加している彼らはかつて、誰かの心を殺したことには違いない。性犯罪という罪を犯したことに間違いはない。

プログラムに参加している彼らは時々、私から見ると「考え続けること」「向き合い続けること」から逃げられるなら逃げ出したいと思っているように感じられることが、ある。「考え続けること」も己の罪と「向き合い続けること」も、そりゃあ並大抵の努力ではできないことに違いない。それでも。
君があの問題行動を犯さなければ、被害者は生まれなくて済んだ。被害者は、被害によって心身を木端微塵にされ、その木端微塵になった心身を抱えながら被害のその後をひたすら生きなければならない。
その罪は、重い。
どんな理由があろうと、決して、「考え続けること」「向き合い続けること」から逃げ出していいわけがない。

私はそんな彼らとまた数日後にプログラムで向き合う。私は彼らに、何を伝えることができるんだろう。伝え続けることができるんだろう。

薬丸岳「Aではない君と」。未読の方にはぜひ、お勧めしたい。そんな一冊。


浅岡忍 HOMEMAIL

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