ささやかな日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2021年10月30日(土) 
息子が体調を崩し臥せっている間に数日が光矢のように過ぎ去った。ほぼ丸ごと覚えていない。でもその間に私はいつものように通院日で、カウンセラーとも話した。それはぼんやり覚えている。

家人がSEをやるようになって。私はちょっと引いている。彼の神経質さが際立ってきているようで、それがしんどい。いや、彼の、彼なりのトラウマへの向き合い方なのだろうと思うのだが、でも、SEにどっぷり嵌っている時の彼は、非常に神経が高ぶっていて、私も息子も閉口する。
ワンコと息子と三人で散歩しながら、息子がぼそり言う。「なんかさ、こっちのせいにされるのやなんだよね」「ん?」「不機嫌なの父ちゃんじゃん」「ああ、さっきね、確かに不機嫌だったね、父ちゃん」「なのにさ、不機嫌なのはこっちみたいな言い方すんの。あれ嫌だね」「あー、やだね、確かにね」「何なんだろうねほんと」「何なんだろうね」。連れ立って歩きながら、私たちはぼそぼそとそんな言葉を交わす。
息子が言いたいことはすごくよく分かる。私も同感だからだ。彼は自分の機嫌の悪さをいつも棚に上げる。そしてまるでこちらが不機嫌みたいな言い方をする。あれは、いつだって首を傾げざるを得ない。何なんだろうと思う。

それにしても、今日の午後は巻雲が美しかった。筋雲の尾っぽがぐいっと曲がっていると天気が崩れる徴なのだそうで。なるほど、明日の天気予報を確認すると確かに雨の確立が上がっており。雲と空の関係って絶妙だな、と思う。

真夜中、家人も寝静まってから、カシアを加えて珈琲を淹れる。シナモンの香りがたっぷりの珈琲をストレートでいただく。それだけで、ほっと一息つける。シナモンの香りというのは私にとってそのくらい魔法だ。

本を読もうとするのだが、一向に入ってこなくなった。活字を追えない。ああ、また活字拒絶状態に陥ったか、と思うとちょっと悔しい。もはや仕方のないことなのだろうとは思うのだけれど、どうして読みたい時に限ってこうなるのかと、どうしても悔しくなる。さすがに、「あんな目に遭わなければ今頃私は」とまでは考えなくなったけれど、少し前まではいつだって、そう思っていた。あの事さえなければ私は、と、いつもどこかで思ってた気がする。

あんなことさえなければ私は。
そう思うことは、結構簡単なんだ。だって何も考えずともすぐそう思える。思わずにはいられないものだから。
でもだから、それを手放さなければならないと思う。だって、なかったことにはできないのだから。なかったことにすることを何より嫌だと思っているのは自分自身なのだから。あんなことさえなければ、ではない。あんなことだろうと何だろうと、確かにあったのだ。そこから始めるほかに、ない。
あんなこともこんなこともあった。それでも私は今ここを生きている。そうやって、いつだって今ここを大事に生きるほかに、ない。
一日一生。今日も精一杯、今を生きる。生きて死ぬ。そしてまた、明日、新しい今日を生きる。


2021年10月27日(水) 
夜空がぼんやり霞んでいるせいで月の輪郭がぼやけている。しかも、消えたり現れたり。こうしてタイプしている間にも雲に覆われたり現れたり。気まぐれな夜空。

S先生とそれからNも交えて、オンラインミーティング。先生とオンラインミーティングするとは思わなかった。ふたりして画面の向こうとこちらで苦笑い。
Nの動機やら何やらを聴いていて、つくづく、性犯罪というのは理不尽にできているなと思う。今日S先生から受け取った加害者プログラムの手紙には、最近ようやく職に就けたということを報告してくれるメッセージがいくつかあった。それを読みながら私は、Tちゃんたちのことを思っていた。彼女らは今まだ二次被害真っただ中にいて、就職なんてとてもじゃないができる状態ではなく。でも。
加害者たちはこうして更生の道を一歩一歩辿ってたりする。
いや、分かってる、それは茨の道で、容易にはたどり着けなかった道だって。だから、私は素直に嬉しくもある。よかったなぁと思う。でも同時に、Tちゃんたちのことを思い出して、理不尽だよな、と思ってしまうのだ。
性被害というのは、加害行為が行われるその一瞬だけのものじゃないんだ。その後延々と続くのだ、二次被害が。それによってひとはさらに蝕まれ、心と身体が崩壊してゆく。
私のようにそれでも十年二十年と生き永らえた者は、マシだ。十年二十年経つ間に少しずつ諦めが身につく。二次被害に晒されても、ああまたか、と思うことができたりする。被害から二年三年の頃は、その、またか、という言葉の意味も度合いも全く違った。たとえ同じ「またか」でも、深度が違ってた。
今ここまで生き延びて、こんなもんさ、と思えるようにはなった。適度に期待もするけれど適度に諦めもしていて、その間をぶらぶらしている。離人感に苛まれても、まぁそんなもんさ、解離性健忘に苛まれても、やっぱりこんなもんだよね、と。
離人感にも解離性健忘にも過緊張にも、或る意味、慣れた。そりゃ落ち込むけれど、その度落ち込みはするけれど、でも。悲しいかな、慣れた。
そういうものなのだ、という気持ちが、色濃く在る。

Sちゃんから「なんかおかしいんです、自分が自分じゃないみたいで。せっかくひとと会って気分転換しようと思ったのに、記憶がそもそもまとまらないんです。そういうの、ありますか?」と訊ねられる。あるよ、あるある、と私が笑うと、少し安心したみたいに彼女が「ああ、そうなんですねー、そっかぁ」と。そんなふうに、少し先を往く私を見て、安堵してもらえるなら、それに越したことはない。だから、カウンセラーから習った、離人感が酷い時の対処法を彼女に伝える。「こんな対処法があるんですね!知らなかった」。知らなくて済むならそれに越したことはないんだよ、でも、知らなくちゃ越えられない夜もあるんだよ、と、心の中ぽそり、呟く。

真夜中、賞味期限が近い卵をどうしようかと考え、卵サンドを作ろうと思い立ち、茹で卵を用意するために鍋を火にかけていたのに、いつの間にか忘れてしまい、卵が噴火し、鍋を焦がす体たらく。何をやってるんだか。ぼーっとするのもいい加減にしなさいよ、と自分を諫める。
ワンコがカウンター越しにこちらをじぃっと見ている。焦げた匂いで彼は何か感じているのかもしれない。ごめんねと私の方から彼に声を掛け、謝る。そんな午前一時。


2021年10月25日(月) 
雨だ。いつの間にか雨が降り出している。天気予報の通りに。しばらく窓際に立ち、窓を開け、雨音に耳を傾ける。じっとりと濡れた夜。闇夜も微妙にけぶっている。

薬丸岳著「闇の底」をやっとちゃんと読み終えることができた。何とも言えない後味の悪さというか、後ろ髪を引かれる何かを覚えて、しばらく考え込んでしまった。しかし、巻末の中島駆氏による解説に救い上げられ、何とか本を無事閉じた。
誰の中にもある被害性/加害性。日々向き合うそれら。もちろん私の中にも在って、それがいつ一線を越えて向こう側へ転がるかなんて誰にも分からない。いつだってそれらは瞬時にして反転し得るもの。そのことを、嫌って程感じる。

何度も踏みにじられる誓約書の何処に、意味があるのか、と、思ったりする。この誓約書は一体何だったのか、と。が、同時に、だからといって私までもがこの誓約書を反故にしていいわけじゃないとも思う。
交わしたものを平然と踏みにじられるからといって、私が同じように踏みにじったら、多分もう、終着点はない。延々と続くのだ、そのやり合いが。
私はそれを望むのか? 否、望まない。
だからもう、何をされても沈黙していようと思う。永遠のループから少しでもはみ出る為に。
目には目を、歯には歯を、という言葉が確かにある。でもそれを為して誰が何が救われた試しがあるだろう。誰も、何も救われないのだ。そこに在るものは永遠のループだけ。
私はそこに留まるのは嫌だ。それだけは明確に、ある。

無傷で生きていけることなど、あり得ないのだなということを改めて思う。一歩踏み出せばその足の下には夥しい数の屍があり。誰かの涙と誰かの笑顔は表裏一体だったりする。もちろん、誰かの笑顔と誰かの笑顔が連なって繋がって在ればそれに越したことはない。でもこの世界はそんな、やさしいばかりでは、ない。

それでも世界は美しい、と、私たちが思うよりずっと、美しい、と。

ひとは。
自分が誰かを傷つけたことより、自分が誰かによって傷ついたことにばかり向いてしまう。そもそもがそういう生き物だ。これでもかってほど弱い。ちょっと爪の先でひっかいた/ひっかかれた程度で私たちの肌は容易に血を流す。血の鮮やかさに引っ張られ、傷つけられた、傷ついたことにばかり目が行ってしまう。自分の爪の先もついさっき、誰かの肌を傷つけていた、そのことなんて、即座に消し飛んでしまう。でも。
その爪の先には血が滲んでるんだ、間違いなく。今私が傷つけた誰かの血が。
どうして獣は全身毛で覆われているのに、どうして人はこんな脆い剥き出しの肌をしているんだろう。そう思った時、ひとに気づかせる為なんじゃないか、とふと思ったりする。ひとは弱く愚かだから、怒りにしろ憎しみにしろ、いわゆる負の連鎖を延々と繰り返していく。だからこそ、この脆く儚い身体を与えられたのではないのか、と。気づけ、と。

気づけ、気づけ、気づけ! 自分に向かって言ってみる。気づけ、気づけ、気づけ! 目を逸らすな。
そして。その上で。
それでも世界は美しい、と。そう―――。


2021年10月24日(日) 
今日は何曜日なのか、すこんと抜け落ちて目が覚めた。今日が日曜日だと気づくのにずいぶん時間を要してしまった。

洗濯機を廻しながら、この渦の中に身を沈めたらどんな気持ちになれるのかしら、と想像する。そんな馬鹿げたことを想像した自分に、直後、唖然とする。何を考えているのだろう自分は。
このところ自傷の衝動はずいぶん収まってはいるけれども、こういう時が逆に怖いのだと思い出す。ふいにぎゅんっと引っ張られることがある。気を付けないと。
洗濯物を干しながら空を見上げる。明日雨の予報が出ているなんて信じられないほどの青空だ。発光しているかのような白い雲が浮かんでいる。そして私の足元では薔薇たちが緑を茂らせている。植えっぱなしのイフェイオンはもう葉を伸び放題といっていいくらい伸ばしてきている。その陰に水仙のとんがった葉も見つける。アメリカンブルーは相変わらず茂っており、いい加減植え替えてやらないとと思うのだがなかなか手が伸びない。薔薇の挿し木だけを集めたプランターも、もういっぱいになっている。こちらも植え替えをきっと待っているに違いない。そう思うのだが、なかなか実現させられない。
日常を営むので精いっぱいなんだな、と改めて思う。今この日常を日常として過ごすことで、私はめいいっぱいなのだ。余力がない。
そのせいなのか、このところ過食気味。ふと気づくとばりぼりカシューナッツを喰らってしまっている。コンビニに入ると何となく余計なものに手が伸びる。ストレス値高まってるんだな、と反省。いや、反省したってどうにもならんのだが。

たとえば雑穀ご飯を炊く。息子が美味しいといったはとむぎを加える為に、前の晩からはとむぎを水に浸して、翌朝下茹でして、そのうえで米粒やキヌア、雑穀に加えなければならない。それを為すだけであっぷあっぷしてる。
たとえば夕飯の準備をする。夕飯の準備をしながらワンコの散歩の時間をいつにするかを考える。その、両方を考えるだけで私の脳味噌はいっぱいいっぱいになってたりする。
余白がこれっぽっちもない時というのは、いろんなところで軋んでしまう。息子のどうってことのない一言だったり、家人の態度だったり、そういうものにいちいち躓いてしまう。躓いて、躓いたことに自己嫌悪になり、さらに悪循環。

Jさんと、次回の対話の会のプログラムを作る為ビデオ電話。これまでやってきた形のままでは被害者のことを考えるというプログラムが生かされない気がするというJさんの意見。プログラム詳細を見せていただき私も考える。なるほど、これだけの情報で、しかもペアでロールプレイというのは無理があるんじゃなかろうかと私も感じる。Jさんとあれこれ意見交換した結果、無理にロールプレイするよりも、加害者である少年たちに、被害者の立場にのみ立ってもらう方がいいのでは、というところに落ち着く。
こういう時、情報というか条件さえ整えばある程度テキストをすぐ書くことができる自分が役立つ。いくつかの条件下でテキストを書き続けてきた経験が生きる。ありがたいことだ。何とかプログラムの下地を作ることができ、ほっとする。

家人も息子も寝、ひとりになってから、机の中身の整理をする。加害者プログラムの資料が溢れんばかりになっていて、前から気になっていた。整理しながら、あっという間にここまで溜まってしまったなぁと実感する。これを始めた時、こんなこと想像できたろうか。いや、できなかった。こんなに続くとは思っていなかった。でも、今は、ここからだ、と毎回毎回思う。気づきには時間差がある、ということを痛感している自分。今蒔いた種は、五年後十年後に芽吹くのだ、と、経験からそう、感じている。つまり、五年後十年後までこの活動が続くよう、歩いていかなければ、と、そう思う。

それにしても朝晩はずいぶん冷え込むようになってきた。そのおかげで朝は朝焼けの色合いがより鮮やかさを増してきているし、夜闇は闇でその深さを増してきている。私が愛する冬まであともう少し。


2021年10月22日(金) 
あいにくの雨。しとしとと降る。どんよりとした雲が垂れ込める空、それだけで重怠い。そんな中宿根菫が咲いてくれている。薔薇も二輪蕾が綻び出している。そこだけぽっと灯りが点ったようでちょっと嬉しくなる。
今日はY先生と会う日。雨でも会いましょうということで待ち合わせ先へ急ぐ。
Uさんへ書いた手紙ももちろん持参する。先生に読んでもらい、アドバイスをもらう。
Y先生は白血病に冒されてもう何年。でも気持ちいいくらい煙草を吸う。今日も「もちろん待ち合わせは煙草吸えるところよね?」。というわけで、喫煙席のある珈琲屋でしばし時間を過ごす。
Y先生の率いる会の活動に、ほんの少しだけれど関わるようになって久しい。でも私は、そんなに積極的に関わっているわけでは、ない。でも、先生とは非常に馬が合う。呼吸のテンポが似ている。
きっと、先生が私ぐらいの年頃だったら、間違いなく私たちは親友になっていたに違いないと思えるほど。

本当は。
先生の今の言葉はすべて、遺言に違いないから、聴くべきひとが聴くのが一番いいと思う。
でも、何だろう、先生曰く、「私の言い方も悪いのかもしれないんだけど、否定されてるって受け止めるひとが多いのよね。そうじゃないのよ、議論したいだけなんだけど!」と。
ああ、そうだろうなぁ、と思う。別意見をはっきり表明してしまうと、即座に人格否定されたと受け止めるひとのなんと多いことか。そうじゃない、このテーマについて議論しているだけなんだけれど、と、そう言っても、一度人格否定と捉えてしまったひとはもう受け止めるどころじゃなく。結果、議論にならない、という具合。
「でももう私もじきに逝くし、伝えるべきことは伝えておかないと、と思ってるんだけどねぇ」、先生が煙草を吸いながらぽつり、言う。

自分より先に生きているひとの言葉を聞けるのは、本当にありがたいことなのだ、と、そのことをちゃんと弁えるまでに、私も何年もかかったな、と今更だけれど思う。若い頃は、人格否定までは思わなかったけれども、でも、怖いと思ったことは多々ある。
拒絶されたように感じてしまう感覚はだから、私にもよくわかる。でも。
対話をしたい、議論をしたい、そういうところにいるとき、発せられる言葉を「それは人格否定だ」と捉えてしまったら、何も話ができない。
あなたは赤色が好きで、私は青色が好きで、その違いはこれこれこうだよね、と話すことを、人格を否定された、と捉えてしまったら、本当に何も話が進まない、のだ。

「あなたと私はお互い日本人っぽくないみたいだから!」と先生はがははと笑われたが、私は小さくしか笑えなかった。きっと先生は少し寂しいに違いない。伝えて遺してゆきたいことが本当はたくさんあるに違いない。だから、「あなたはあの活動に深く関わらないかもしれないけど、でも、私がこんなこと言ってたってことは聞いておいてくれると嬉しいわ」なんて言葉がこぼれてくるのだ。
私の胸がぎゅう、と、締め付けられるように啼いた。

恩師にしろ、Y先生にしろ。間違いなく私より先に逝く。その先人たちの言葉をどれだけ私はこの体にしみこませられるだろう。
本当は、一粒残らず呑み込んで、血肉にしたい。そのくらい、彼彼女の言葉は切実なんだ。

「またお茶につきあってね!ごはん一緒に食べましょう!」とY先生はにっこり笑った。もちろんハイ!と応えた。
その日が必ず来ますように、と私は先生を見送りながら思った。先生、まだ逝くには早いですから。まだ、逝かないでください。


2021年10月19日(火) 
実に秋らしい、抜けるように高い青空が広がった日、私はRさんのアトリエへT君と一緒にお邪魔する。Rさんは相変わらずキュートで、バウという犬と共に出迎えてくれる。バウは小柄なワンコだけれど、余程のことがなければ鳴かない。実に落ち着いた、かわゆいワンコだ。ちょっとおじさんチックなところが我が家のワンコに似ている。
「まだ続けるの? 加害者の活動」。Rさんが唐突に切り出してくる。ああ、以前Rさんから訊かれたことがったなぁとその時のことがちらり頭をよぎる。Rさんはきっと心配してくれているのだ。私が息切れしていやしないか、と。
だから、私もできるだけ丁寧に言葉を紡ぐ。一番最初に伝えたことがようやく伝わったと実感できたのが最近であること、そんなふうに時を経て伝わることがあるのだということを強く感じたこと、まだ伝えきれていないことがたくさん残っていること、だからこれからも活動を続けていこうと思っていること。
Rさんにはサリン事件の死刑囚と文通なさっていた過去がある。死刑となってしまった受刑囚のことで、Rさんはずいぶん悩まれていた。もし私が文通している受刑者の方たちが死刑になってしまったら、私も同じく悩み苦しむだろう。その明白な死、暴力的な死に、呆然とするに違いない。それがたとえあらかじめ決められた死であったとしても。ひとがひとを裁くという傲慢な行いに、どうやったって立ち止まらずにはいられないに違いない。
私は自分が被害者になるまで、死刑制度に正直疑問さえ持たない人間だった。深く考えたことがそもそもなかった。でも、自分が被害者になってみて、短い間とはいえ加害者に対しどうしようもない憤りを抱いた人間の一人として、死刑制度について考えざるを得なくなった。
確かに、税金を使ってどうして極悪人を生き永らえさせる必要があるのか、と、そう言うこともできるんだろう。でも。
簡単に死なせてそれで終わり、って、何か違う。何が、までまだ言語化しきれないのだけれど、でも、何か違うと思うのだ。
その考え方にはたぶん、私が、何人もの友を自死で失ったことが大きく影響している。彼女彼らがあんなに呆気なく死んでしまった、どうしようもなく死へ踏み出してしまった、止めることもできなかった、というその悔しさが、私の中に明確に、ある。
その彼女彼らは、みな、どれほど生きたかったろう。同時にどれほど死んでしまいたかったろう。その狭間に立ち、両極に引き裂かれるようにして、そして結果、彼らは死んでいった。ふわり、と、死んだ。
そんな、彼女彼らが選んだ死は、それが自死であったとしても私にとっては触れられない程尊いもので。いや、彼らの死を私は喜んでいるのではない、むしろ悔しくて悔しくてたまらない、だからこそ、彼らが自ら選んだ死を、私は受け容れるほかに、ない。
そして、その同じ死を、罪人たちに与えたくないのだ。
そんなに簡単に死なせてたまるか、と、そう思ってしまう。生きながらえることの方がずっと残酷で、しんどい。あなた方はどこまでも這いずるようにしてでも生きて、罪を償え、と、そう思ってしまうのだ。
一瞬で死が与えられる、そんな、簡単な死を、罪悪人に与えたいと私はどうしても思えない。もがいて足掻いて、這いずって、泥まみれになりながらもそれでも生きろ、と、そう、言いたい。
すっかり話が逸れてしまった。
Rさんに私の気持ちを何とか伝えると、Rさんはそうか、とだけ応えてくれた。きっと、私のこれからの道程を、Rさんは想像して、その言葉に凝縮されたんだろう。私も、はい、とだけ応える。
帰宅後、息子をダンス教室へ連れてゆく。同じクラスのAちゃんのお母さんが、「息子頑張ってるじゃない。すごいよ、最初はもうどうなることかと思ったけど、ちゃんと形になってきてるじゃない!」と、そう誉めてくれる。私はその言葉を聞きながら改めて、躍る息子の様子を見守る。不器用ながらも、時々ぶぅたれながらも、それでも、彼は彼なりに踊りと向き合っている。その真摯な様子は、こうして見守る私の心にも響いてくる。息子よ、頑張れ。

Rさんのところから帰った翌日の今日、ぐんと気温が下がった。昨日の「秋」がいきなり「冬」になったかのようで。私は今季はじめて、上着らしい上着を着こむ。夕飯後、息子と共にワンコの散歩へ。すっかり闇に包まれた街を歩く。匂い嗅ぎに余念のないワンコと、走り回る息子と。私は私でとことこ歩く。オリーブの樹の下ではワンコが落ちたオリーブを探してふんがふんが言っている。オリーブのどこが美味しいのかなと思うのだけど、ワンコは実に美味しそうに種までがりがり齧っている。
明日は気温がまたちょっと戻るらしい。この天気の変化に身体がついていききれていない。今夜もせっせと私はテニスボールで身体の痛みをケアする。
ふと窓の外を見やれば、深い闇がしんしんと、横たわっている。


2021年10月17日(日) 
通院日の朝、息子にご飯を作り出したのが午前5時、その後の記憶がなく。息子から聞くと母ちゃんはぬくぬくしたいと言って布団に包まって、いつの間にか寝てしまった、と。そして何度起こしても何か変なことばかり言ってびくともしない、と。結局私が目を覚ましたのは出掛けるべき時刻の10分前で。慌てて身なりを整えて玄関を飛び出す。息子が半ば呆れ顔で笑っている。学校の前まで一緒に行き、そこで手を振り別れて私は駅へダッシュ。
しかし電車の中でも立ちながらうとうとしてしまい。気づいたら降りるべき駅に着いており。ここでもまた慌てて飛び降りる始末。私は一体どうなってしまったのだろう。私はというか私の身体はと言うべきか。自分で自分の身体を持て余してしまっている。鈍く頭痛が響く。

カウンセリングで話をしていて、加害者たちの話になった途端「身体に力が入っちゃってるわよ」とカウンセラーから声を掛けられる。力を抜いて、と言われても抜き方が分からない。そもそも力が入っているということを自覚できない。
悔しいなあと思う。どうして被害から何年何十年経ってもこうなのだろう。いい加減解放されたい。過去の呪縛から。そう思うのに、身体は克明に当時を記憶していて、反応してしまう。頭では「それはもう過去なのだ」といい加減判っているはずなのに。身体がちっともいうことを聞いてくれない。
それにしても。歩くたび左の踵が痛む。骨挫傷していると整骨院の先生に言われた箇所だ。じっとしていても痛む。治って来ていたはずなのに、どこでまた傷めたのだろう。自覚がないところが何とも情けない。

翌日、息子を連れて都内へ。被写体になってくれている若者の一人が主演舞台を務めるというので出掛ける。慣れない道行き、あまりの人の多さに閉口する。息子と二人手を繋ぎ、ひたすら電車に乗り、たったか歩く。
舞台は。フランク・パブロフの「茶色の朝」を思い起こさせるような内容で。いや、実にふざけた、テンションの高い舞台、なのに、その端々から「茶色の朝」の匂いが零れてくるのだ。私は隣に座って観ている息子の様子をちらちら見ながらも、その匂いにすっかり囚われてしまった。息子も観客のほとんどもくすくす笑っている。私だけが笑いきれずにいる。
帰宅すると、息子がおもむろに、ビニール袋をかぶりにっと笑った。私は写真を撮って主演を務めた若者に早速送信。「うわー嬉しいなあ」と返事が返って来る。いい舞台だったよ、とメッセージを送る。

瞬く間に時が過ぎていく。明日が今日へ、今日が昨日へ、まっしぐらに飛んでゆく。私はその速度に追いつききれていない。まったくもって。くるくると風車の如く風に廻されている気がする。
船を出すのなら九月、と歌ったのは中島みゆきだった。九月十月に体調を崩す友人たちを見ていると、あの歌をどうしても思い出す。そして、先に逝った友たちのことも。


2021年10月14日(木) 
朝、のったりと雲が空を覆っていた。天井の方だけぽかんと雲に穴が開いていて、そこから光が漏れ出ており。ああ、じきに雲は消えるのだろうなと想像できた。雲の向こうはいつだって晴れてる。私の眼に見える範囲の事柄なんて、つまり、これっぽっち。眼になど見えて来ない向こう側の事柄が、どれほど世界の大部分を担っていることか知れない。

薔薇が根詰まりを起こしているのかもしれない。新葉たちがうどん粉病に。数日水やりを控えたのだけれど、それはそれで樹全体にはよろしくなく。だから今日は水をたっぷりやった。ホワイトクリスマスが大きい蕾をつけており。今年は肥料を変えたせいなのか、本当に次々花が咲く。ありがたいことだ。
息子が蒔いたぶどうの種。うんともすんとも言ってこない。雑草がひょろり、生えてきたのみ。「だめだねえ、死んじゃったのかな?」「きっとそういう気分なんだよ」。息子と植木鉢の前で頬杖つきながらぼんやり見つめる。

これだけやってもらったのだからお返しさせてください、と時々言われるけれど、それは私に返す必要はないものなんだ。だって、私は昔、KやMにさんざん助けてもらってきた。彼らがいなかったら私は今いないに違いない。そのKが教えてくれたんだ。
「俺に申し訳ないとかありがたいとか思うのは自由だけど、だからお返ししなくちゃって思う必要はないからね。もしもそう思っちゃうなら、それはおまえが元気になって、その時隣にいる困ってるひとたちに配ればいいから。そうやって巡ってくもんなんだよ」。
かつてKやMが無心で私にただただしてくれてきたことを、今元気になってきた私が隣人に手渡しているだけ。それだけなんだ、本当に。
だから。
あなたがもし、それでもお返しを、と思うのなら。それは私に返さないでほしい。いつかあなたの隣で困っている、SOSを発したくても発せないような弱ってるひとに、手渡ししてあげてほしい。そうやって想いは巡ってゆくんだ。本当に。

午前2時、Sちゃんからメッセージが届く。頭痛が酷くて薬を立て続けに飲んだけれどまったく効かなくて、というものだった。急いで電話をする。すでに鎮痛剤を飲み過ぎており、それじゃもういくら飲んでも効かないからと、身体のツボを伝える。それと、頭を冷やすように。それでもだめなら救急車を呼ぶように、と伝える。
本当は飛んでいって、身体をもみほぐしてあげたい。でも、この時刻、息子が寝室で熟睡している。家人は留守。出掛けられない。
朝まであと3時間。息子が起きるまであと2時間。彼女の身体がもってくれるといいのだけれども。トラウマを想起させる場所で働き続けている彼女には、生きることそれ自体がすでに今、相当なストレス。私もかつてそうだったから、嫌と言うほどそれが分かる。唇をぎゅっと噛みしめる。でもきっと今私が噛みしめてるのは、本当は、悔しさなんだろうと思う。トラウマを凌駕できず、結局職場を去らざるを得なかったあの当時の自分の悔しさ。でもそうするほかにもう、術がなかった。
あの時もし。もし、あのままあの職場に居続けていたなら、私はどうなっていたんだろう。今私はきっと、ここにはいない。もし生きていられたとしても、間違いなくこの場所にはいない。
生きるっていうのは常に、選択なんだな。その日その時、その選択を自分がした、その集積が自分を形作っているんだ。


2021年10月11日(月) 
陽射しが強い。その陽射しを浴びながらせっせと自転車を漕ぐ。依存症施設までの道程約半時。車通りの多い通りから一本脇に入った道をするすると走る。信号も車もほとんどない道で風が気持ちよく渡ってゆく。この間まで百日紅が咲いていた小さな公園、今はコスモスが咲き乱れていた。クリーニングの下請けをやっているのだろう処では、今日ももくもくと蒸気が立ち昇っており。その蒸気が空にすうっと吸い込まれてゆく。青い青い空。
今日は、ちっちゃなタイムカプセルを作る。二人一組になってもらい、互いに互いを分かち合いながら、手紙を書き合う。半年後の、自分と相手への手紙。それぞれに書いてもらう。自分宛ての手紙と、ペアになった人が書いてくれた自分宛ての手紙を自分の箱の中に入れる。もちろん箱の中は、自分の大事な何かしらで埋めてもらう。
箱をあらかじめ作ってきている人、箱の中に詰めるものをいっぱい用意している人、一方で、手紙以外何も箱の中に入れたくないと頑なに拒否する人、箱を用意するだけで精一杯の人などなど、みんなそれぞれ。
半年後に箱を開ける、という前提で書き始めた手紙。いつのまにか部屋がしんと静まり返って、ただ、ペンを走らせるその音だけが響いていた。静かな時間。
結局、時間ぎりぎりまで手紙を書いていたひともいて、終了時間をちょっとオーバーしてしまった。みなに挨拶をして私は急いで自転車に乗り、帰路に着く。
息子が帰宅する直前に何とか自宅に帰りついて、今度は息子を自転車の後ろに乗せてダンス教室まで走る。何だか今日はひたすら自転車で走っているな自分、と思って笑ってしまう。そういえばこの間私の自転車に乗った娘が「ママ、この自転車、サドル硬くない?」と言っていたっけ。確かに硬いかも。今度お小遣いがあるときにもっとクッションのいいものに変えようかな、なんて考えてみる。

昨夜は、家人に手紙を書いた。家人がふと溢した言葉が、引っかかって、ずっと考えていた。その場ではうんうんと相槌を打っていたのだけれども、違和感がずっとあって、気になっていた。
「どうしてわからないんだろう」という家人の言葉は翻って「わかるはずだろ、どうしてわからないんだ?」という言葉にすり替わる。それはつまり、分かって当然、という前提が彼の中にあるということじゃないのか、と。私にはそう思えた。
でも。
分かって当然、のことなんて、何一つないと思うんだ。そもそもひとは、その人にしかない荷物を背負いながらその人が選んだ唯一の道を歩いている。その唯一の道筋を、分かって当然、と思うことは、傲慢以外の何者でもないのではないか、と。私にはそう思えたのだ。
だから、悶々と考えた末、家人や息子が寝静まった後、便箋を引っ張り出し、手紙を書いた。不愉快に思うかもしれないけれど、と一言添えて。
書き終えた代物を何度も読み返した。一瞬、もう渡さなくていいんじゃないかという思いも過ぎった。でも渡さないでいることは、黙ってそれを許容することであり。それはやっぱり違うんじゃないか、と。パートナーとして、伝えるべきことのひとつなのではないか、と自分を励まし、封をし、家人の机の上にそっと置いた。
彼が今日それを読んだのかどうか、私は知らない。彼は何も言わない。私も何も訊かない。

ダンス教室からの帰り道、もうすっかり暗くなっており。全速力で家まで自転車を走らせる。途中、どうしても肉まんが食べたいと言う息子に肉まんを買う。あっという間に食べ終えた息子は「口の中がまだほくほくする。美味しいなあ!」なんて言う。私はちょっと笑ってしまう。
それにしても。月がくっきり浮かんでいる。細い月。「母ちゃん、月のとこだけ雲があるね」と、ワンコの散歩時息子が指をさす。その雲も、今はもう消え去った。月だけがぺたり、空に貼りついている。

分かって当然、なんてことは何一つない。私はそう思うんだ。「どうしてわかってくれないの、どうして理解してくれないの、どうして」と、ひとはつい、そう思いがちだ。でも。
幸か不幸か、みなそれぞれに生きて在る。分かってほしいなら、言葉を尽くして伝えなければならない。伝えてはじめて、知り合えるんだ。
分からない、知らない、というところから始めなければ、何も始まらない。
私はそう、思う。


2021年10月09日(土) 
晴れていた空が突如鼠色の雲だらけになり、なのに雨が降る訳ではなく。しばらくそうして雲が垂れ込めていた今朝。動物園の方から動物たちの鳴き声が響いてきて、大気を震わせているのが目に見えるかのようだった。
時々、そんなふうに、音が目に見える、時がある。
きらきら眩い光になって辺り一面に弾けている時もあれば、しんしんと足元を這いずるように横たわる時も。音によってそれは全く異なっていて、そのたび私はどきんとするのだ。どきんどきんどきん。ああ、見えるよ、と。聴こえるだけじゃない、音が見えるよ、と、どきんとするのだ。

嘆き悲しむ。その嘆き悲しみ方も、ひとそれぞれにあって、一様ではない。当たり前だ。だってそもそも、その対象に対してのスタンスも、ひとそれぞれなのだから、嘆き悲しむ道筋もそれぞれにあるというもの。
人前だろうと構わずおいおい泣いてしまう人もいる。一方で、淡々と過ごしているように見えてその内側で崩れ落ちんばかりに泣き崩れていたりする人もいる。どちらがどう、とかそういう問題じゃないんだ。道筋は、ひとの数だけある、ということ。

私は手話が上手じゃないから、耳の不自由な友人とはほぼ筆談で話す。ノートを間に、あっちこっちにお互い走り書く。言葉だったりイラストだったり、ただただマークだったり。線をぐちゃぐちゃ描いて頭がぐちゃぐちゃ!ってことを知らせたりもする。そんなふうに彼らと話をしていると、言語ってひとつじゃないんだな、って強く思う。
そしてふと、立ち止まる。今この、紙の上ペンが走り回る音は、私には聴こえているけれど、きっと彼らには見えているに違いない、と。
だから何だという訳ではないのだけれど。そんなことにどきどきして、私は時々どうやっても、雑踏のただなか、立ち止まらずにはいられなくなることがあるんだ。
流されて歩ければ、その方が楽なのに。ぶつかられても蹴られても、それでも立ち止まるしかない時というのがあって。
私は。

そういえば、昨日は鱗雲が青空全体を覆っていた。どこもかしこも鱗雲だった。そういう季節なのだな、と改めて知る。十月。神無月。ということは。あと少しで今年が終わるということか。
なんてあっという間なんだろう。歳をとるごとに、時間の速度が増していくかのようだ。そうしてふと横を見ると、息子が今日も「ね、どこまで走る?」と。ワンコの散歩の最中、彼はひたすら走る。駆ける。もう日も暮れて心配なのだが、じゃあ今度はどこまで?と繰り返し訊いてくる。だから、目に見える範囲で、あの角まで、とか、あの電信柱まで、と指をさす。全速力で駆けてゆく息子。ワンコはそんな息子に釣られることなく、いやむしろ、まったく気にすることなく淡々とマイペースで歩いている。だから私も、とことこと誰のことも気にせず歩く。
自分のテンポで歩くことができる、それはきっと、幸せなこと、だ。


2021年10月07日(木) 
整骨院に出掛けたのだけれども、確かに施術してもらって左肩から左腕にかけてのラインはだいぶ楽になったのだけれども。帰宅途中から、骨盤周り、特に左側が差し込むように痛み始めてしまった。左肩左腕のラインがあまりに酷く傷んでいて、そこを今日重点的にやらなければならなかった分、骨盤周りができなかったせいなのだろうか。それにしたって痛む。辛い。仕方なく鎮痛剤をぽいっと呑み込む。効いてくれたらいいのだけれども。

昨日映画「護られなかった者たちへ」を観た。原作である中山七里氏の小説とだいぶ異なる設定になっており、でも、映画は映画でずいぶんと楽しめる仕上がりになっていた。小説と映画と、それぞれに楽しめる。
それにしても、清原さんはずいぶんといい女優さんに成長したのだなあと映画を観ながら思った。映画「デイアンドナイト」で私は初めて彼女を観たのだけれども、その頃の面影はちゃんとありながら、でも間違いなくこのひとはここまで懸命に仕事をしてきたのだな、とこちらを納得させてしまう力強さがあった。他の誰より私には輝いて見えた。

薬丸岳氏の「闇の底」を読み始めたのだけれども、他の作品と違ってこの作品はかなり前半から、登場人物の誰が犯人かが想像できてしまって、むしろそれが狙いなのかと首を傾げている。まだ途中だからその点が定かではないけれども。ちょっと拍子抜けしているのは間違いがなく。これは何を狙ってのことなんだろう、と考えながら続きを読んでいる。と、ここまで書いた直後、地面が大きく揺れた。その途端ワンコが立ち上がるのが分かり、私は急いでゲージの隣に立つ。家人と息子は微動だにせず寝ている。ワンコだけが私と一緒に揺れている。ようやく揺れが止むと、その途端ワンコがお漏らし。え、何故そこに?!とこちらが吃驚。そうか、お前も怖かったんだね、とハグをする。

友人に手紙を書きながら、友人が手紙に書いてきた、「青い鳥」の原作をぱらぱら捲る。いわさきちひろの絵本の「青い鳥」と、メーテルリンク作・堀口大学訳の新潮文庫のそれとでは、ここまで違うということを実は私は今日の今日まで知らなかった。そうか、「青い鳥」はそもそも童話劇だったのか、と。もし友人が問うてこなかったら、私は生涯、知らないままだったに違いない。知らないって怖い。
私にとっての青い鳥はだから、絵本の青い鳥で、そして哀しみ色でありながらも幸せな物語、だ。でも原作はどうなのだろうか?
まだちょっと読み込めてないしそもそも読み終えることができていないのだけれども。私の知る青い鳥とはかなり違って感じられる。まるで別物みたいだ。

珈琲にちょっと草臥れたので、少し迷った末、久しぶりにふくぎ茶を淹れてみる。ふくぎ茶を教えてくれた友人はもうそばにはいないけれど、このお茶を飲むたび思い出す。元気かな。どうしてるかな。生きていてくれればそれで、いい。いつもそう思いながら空を見上げる。空はきっと、友達がどこにいてもここと繋がっているはずだから。


2021年10月05日(火) 
明日は新月だという。昨夜偶然、東の空に、爪の先のように細い細い月を見つけた。それは触れたらあっけなく折れてしまいそうなほどで。私はだからじっと、ここから見つめていた。しばしの月との対話。
野菫が次々花を咲かせるようになった。こちらも小さな小さな、菫色の花だ。ちゃんと見てやらないと、濃い緑の葉の色に埋もれてしまいそうなくらいだ。それでも花はちゃんと咲き、そして種を弾かせる。その営みの確かさに、私は植物の命脈を感じる。

どうして九月や十月というのは、慌ただしく事が起こるのだろう。いや、私じゃない。私の周りで、だ。私の周りの大事な人たちが次から次に事に見舞われてしんどい思いをしている。私にできることは何だろうか、とひたすらに自問しながら、とにかく駆け回っている。できることなんて実は何一つないのかもしれない。ただ寄り添って、待つことしか本当はできないのかもしれない。それでも。
「オーバードーズってしたことありますか?」
「あるよ」
「楽になれましたか?」
「一瞬は逃げられるけど、目が覚めてから地獄だよ」
「え?」
「飲みようによっては、目が覚めた時汚物だらけになってたりする。身体もぐでんぐでんになってる。救われない」
「…そうなんですか。楽になれないんだ」
「一瞬目を逸らすくらいはできるけど、でもそういう逃げにはツケが廻って来るように世の中できてるんだろうなあ」
「ははははは」
涙をこらえながら笑う彼女に、本当はもっとかけるべき言葉があったのかもしれない。でも、私には何も、浮かばなかった。他に何も。
何度もオーバードーズした過去がある。救急車で運ばれ胃洗浄され、入院を余儀なくされたこともある。汚物に塗れて目を覚まして、朦朧としながら体を洗ったこともある。要するに、オーバードーズしても、その一瞬だけなのだ、逃げられるのは。そして、逃げても結局、現実は変わらない。何一つ変わらない。むしろ、余計に悪い方向に傾くだけだったり、する。
オーバードーズもリストカットも、その場をやり過ごす、逃げるにはちょうどいいんだ。でも。
周りの大切な人たちを巻き込むし、事態は悪くなる一方だし、要するに、碌なことは、ない。

「死がリアルに隣にあってもうだめです」「明日まで生きられる気がしません」「もう引きこもりたい」「何もしたくない」。彼女たちの言葉が次々降って来る。分かりすぎるから、心がぎゅうぎゅうなる。でも、それを顔に出さないくらいには、私はもう、大丈夫になった。そのことを、強く知る。
そして、もう二度と、友達を若くして見送ることはしたくない、と思う自分が、いる。私は命を見送り過ぎた。死が当たり前に隣にあると思えるくらいに、見送り過ぎた。これ以上自分より若い命が消えゆくのを、私は見たくない。
できることを、とにかく淡々と、こなす。見えないところで走り回って駆けずり廻って、命を引き留めるために、ただ、ひた走る。それでも、死にゆく命はきっと、また、あるのだろう、けれども。


2021年10月02日(土) 
台風が去った後。美しい夜明けに出会う。久しぶりだ、こんなしんと張り詰めた朝は。シャッターを切りながら心の中きゅっと引き締まる思いを感じる。そうだ、私は朝の、こんなひとときが好きなのだ、たまらなく好きなのだ。冬が近づけば近づくほど、冬が深まれば深まる程、この、きゅっと引き締まる感じは強まる。まだ秋が始まったばかりなのに冬、冬と呟くのはどうかと自分でも思うけれども、私はすでに冬が恋しい。早く来てくれることをただ祈るばかり。

場面緘黙症だった娘が、いつの間にかそれを乗り越え、自ら自分を語るようになっている姿を見ることができることほど、嬉しいことはない。今日もそんな場面に出会う。まるであの頃のことが嘘のようだな、と思ってすぐ、いやいや嘘でも何でもない、あの頃彼女は本当にしんどかった、と強く思う。あの時があったからこその今なのだ、と。
それは誰にでも言えることなんだろう。あの頃があったからこそ、それを礎に今があるのだ、と。私自身にも言えることのはず。
なのに、過去にしきれない過去をいまだ引きずっている。もういい加減そこから解放されてもいいと自分でも思うのに、まさにその言葉通り、過去の亡霊にとって喰われてる。だめだ、こんなんじゃ。つくづく思う。
カウンセラーと話をしていて、これまでのことはいい、でもここから先まだ十年二十年残っている人生ずっと、そうやって生きるのはしんどいよね、といつもその話になる。過去の亡霊をもういい加減過去に葬ってあげていいんじゃない?と。私もそう思うのに、刻まれた記憶によって反射的に反応するこの躰と脳味噌。どうやったら解放してあげられるんだろう。
身体はトラウマを刻み込む、とそれは本も読んで知っている。私自身痛感している。が、じゃあどうやったら解放できるのか。頭ではすでにそれが過去の亡霊と分かっている、承知している。なのに身体が勝手に反応するのだ、瞬時に反応してしまうのだ。
正直、もう、そういう自分自身の反応に、私が疲れている。

田口ランディさんの新刊「水俣 天地への祈り」は、作者がどんな役目を担っていまここにいるのかが明確に伝わって来る。橋渡しの人、あるいは蝶番の人。
ひととひととを繋げるためにこの本がある。ひとがひとであることを思い出させるためにこの本がある。ひとがひととして生まれたことの意味、ひとがひととして生きることの意味、ひととして何ができるのか、何ができないのか、何を重ねていったらいいのか、そういったことがぎゅっと詰まっている。読むほどに、しんと心が鎮まって来る。
私はここに登場するひとたちのことを誰一人実際には知らない。知る訳がない。なのに、何故だろう、とても近しく、すぐ隣にいるかのように立ち現われて来るのだ。それが作者の力なのだろう。感服する。肌で感じるのだ、そのひとたち、を。だからこそ、彼らの言葉、想い、が、胸がいっぱいになってしまうほどにじんじんと伝わって来る。そして、自分に問いたくなる。私はどうありたいのか。どう生きて死にたいのか。私の役目は、と。
タイトルに水俣と付してある。が、水俣だけに留まらない、いや、水俣から確かに始まっているのだけれども、でも違う、もっとこう、「ひととして」を問うてくる。そんな一冊。

ついさっきまで夕焼けが美しく空を彩っていたのに。夜も更けてきたら突如、雨が強く降り出した。一時的なもののようだが、その雨の中家人が帰ってきた。今日一日きれいに晴れていたから傘を持っていなかったのだろう、ぐしょ濡れになって。サスケを脇に座らせ缶ビールを開ける家人。少し話をする。淡々と流れる、雨の夜。
そうだこれも、じきに終わる。じきにまた晴れる。


浅岡忍 HOMEMAIL

My追加