ささやかな日々

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2021年03月31日(水) 
息子と一緒にベランダの植物たちに水やりをする朝。如雨露を運ぶのもだいぶ堂に入ってきた息子に、たっぷりあげてねと声をかける。菫の茂り方がまさに言葉通りこんもりしてきて、まるで小山みたいだ。イフェイオンもクリサンセマムも、その咲きぶりは、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃおしゃべりしてるみたいで何だか可笑しい。
夜が明ける時刻もどんどん早くなってる。水やりをしている最中にすでに空が輝き始めており。今日もぬくい日になるんだろうなと空を仰ぐ。

家族で公園に出掛ける。風が揺れるたび花弁がふわあっと舞い落ちて来る。公園で遊んでいる子供らが「すごいよすごいよ!花弁すごいよ!」と歓声を上げる程。私も花弁の行く先をぼんやり眺める。
すでに葉桜になっている樹も多くある。入学式の頃にはすっかり緑が茂っているに違いない。私が小学生の頃はまだ、桜は入学式の頃に咲いていた。季節は少しずつ位置を変えているんだなと改めて思う。

やらなくちゃいけないことが山積みになってる。加害者のひとたちへの手紙の返事を書くこと。受刑者さんへの手紙の返事を書くこと。次回のプログラムの打ち合わせのための準備をすること。そして何より。6月の展示の準備を進めること。
読むつもりで積んである本も気になってる。気になってるのだが、全然読めてない。どうすんだ自分、と自ら自分に突っ込みをいれたい気分。息子が「一日50時間くらいあったらいいのになー!」とこの間喚いていたけれど、まさにそういう感じ。
でも。たぶん、時間がいくら増えたとしても、あまり変わらない気がする。やるかやらないかは自分次第なわけで。足りない時間の中でやりくりしながら、ひーひー言ってるくらいが多分、ちょうどいいんだ。

iriのはじまりの日をリピートして聴いている今日この頃。高校で自殺していったYのことや、Iのこと、自分自身の一番最初の自殺未遂のことなどあれこれを思い出す。十代ってどうしてあんなに思いつめていたんだろう。これでもかってほど思いがきつきつだった。いつ爆発してもおかしくないくらいに。でも、その当時はそんなこと気づかないんだ、生きるのに精一杯で。そういうものなんだろう。
そして今は今で、私は精一杯だったりする。ただその精一杯が、その年代その年代、それぞれに色合いを変えてゆくってことだ。
十代、二十代、三十代、四十代、それぞれの色があった。私のこれからはどんな色に染まるんだろう。


2021年03月29日(月) 
人前で話しをする。機能不全家族に育ったアダルトチルドレンであること、自傷癖と摂食障害を患っていたこと。
情緒的虐待について話すと、目の前の少年がぐっと唇を噛み始めたのに気づいた。ああきっとこの子もそういう虐待に遭っているのだ/遭っていたのだ、と思った。自傷癖について話すには性被害についても触れることになる。性依存症の子がいることは自己紹介で分かっていた。彼はどんな表情を見せるのだろうと思ったが、その表情を見つめるには私に余力がなさすぎた。
一通り話し終え、彼らからの問いかけを待つ。虐待を受けて育った、それを連鎖させたくないのにふとした時繰り返している自分がいると話し出す女性。すごくよく分かる。私もそれで何度躓いたことか。今だって揺れているというのが正直なところ。だからそのことをそのまま伝える。
加害する人たちを恨んだりしなかったんですかという問いかけもあった。全く恨まなかったわけじゃない、あのひとたちさえいなければ、と思った時期が確かにあった。でも、そうやって恨んでみても、起こったことは、なかったことにはならない。起きたことをなかったことにできるのならばいくらだって恨むけれど、あったことをなかったことになどできやしない。だから、そこから始めることにした、と応えた。そう、なかったことにすることが私には一番辛かったから。
他にもぽつりぽつり、幾つもの問いかけをいただいた。ありがたいなと思う。私はただ、あったことをあったままに話したに過ぎない。そこから何を感じ取ってくれるか、は、その人次第なのだから。
帰り道、野菜や果物が安くて買い込む。鰯も安売りしていて思わず二皿も買ってしまう。重くなった荷物をえっこらせと背負って帰る。荷物は重たかったけれど、身体は結構軽かった。心が少し軽くなったせいだろう。

そして今、明日がゴミの日だと気づいてはっとし、慌てて鰯を捌いて料理している。鰯の梅煮。圧力鍋でさっさと作る。内臓を掻き出していたら、卵もあって。卵は残したいよなあと思うから内臓を掻き出す作業に思いのほか時間がかかってしまって、気づいたら午前二時。

少し疲れたな、と思う。そういえば今日は朝から頭痛が酷かった。途中で我慢できず薬を飲んでやりくりしたのを思い出す。そしてそんな今日は満月。怪我をせずほぼ解離もせず満月を越えるのは一体どのくらいぶりだろう。
「プレゼンっていうのはそもそも、プレゼントするっていう意味から発生してるんだよね」と家人の言葉を思い出す。私は果たして今日、彼らに何かプレゼントすることはできたんだろうか。ひとかけらの何かしらでも、プレゼントできてると、いいな。


2021年03月28日(日) 
降り出した雨はどんどん勢いを増して、もう外はけぶっている。夜闇でも分かるほど。でもついこの間までの冷たい、刺すような冬の雨ではなく、ぬくい雨だ。春なんだな。新しい季節が、すでにもう訪れているのだな、と改めて思う。

久しぶりに息子と共にワンコの散歩に出掛けた夕刻。息子が「スパイごっこしよう!」と言い出す。一体どんなのだろう?と思っていると、私に見つからないように隠れながら私にタッチする、という遊びらしく。たとえば後方の電柱の陰に隠れてみたり、よそのお宅の塀の陰に隠れてみたり。息子が一生懸命真面目に隠れているのは至極伝わってくるのだが、こちらはワンコ連れ。ワンコがまず匂いに気づく。気配に気づく。そしてリードを握っている私もつられて気づく。「もうっ!なんで分かっちゃうの?!」と息子がげらげら笑いながら私に絡みつく。いや分かるでしょ、だって見えてるもん、と私も笑いながら言い返す。
その後も、彼が考案する何々ごっこが次々繰り出される。よくもまぁこんなに、次々と新しい遊びを思いつくものだ、と、心の中感心する。私も昔はそんなんだったんだろうか。もはや思い出せない。
ワンコが数少ない空地に立ち寄る。茂る雑草に鼻面をこすりつけんばかりに近づけて匂いを嗅いでいる。ふと思いついて息子に「空地ってね、そらの地って書くんだよ。からっぽの地、って」と説明すると、息子が「ふぅーん、ドラえもんでみんながあそんでるところだよね?」と言うのでびっくりしてしまう。そうか、彼にとって空地は、もはや珍しい代物なのだな、と気づかされる。確かに、空地はほとんど残っていないこの辺り。私が子供の頃空地で遊んだと告げても、彼にとっては想像の産物にすぎないのだと知り、愕然とする。空地。遊び場だった。土筆も空地にいっぱい生えてて、私はその土筆を摘んだりして遊びもした。空地は子供たちにとって、秘密基地みたいなものだった。そういった場所が、今を生きる彼らにはもはや残されてないのか、と。飛び跳ねながら私の前を行く息子の後ろ姿を見ながら、なんだか猛烈に、切ない気持ちにさせられた。

窓の外、雨は勢いよく降っているのに音が殆ど響いてこない。それだけ柔らかい雨なのだな、と知る。春の雨らしい。新芽のように柔らかな、ぬくい雨。
明日は人前で話しをする日。出かけるまでに雨は止むだろうか。止んでくれるといいな。


2021年03月26日(金) 
ワンコと夕刻散歩に出掛けた折、土筆を見つけた。どれくらいぶりだろう、土筆の姿を見たのは。思わず声を上げてしまう程久方ぶりで。ワンコが土の匂い嗅ぎに夢中になっている傍らで、私はうっとりと土筆の姿を眺めてしまった。小さかった頃、近くの空き地には季節になれば土筆が山ほど生えてきた。私もたっぷり摘んで帰って料理してもらって食べたものだった。今目の前にある土筆たちは、料理できる程の量ではない。土筆が珍しくなってしまった今どき、摘むなんてことはむしろしたくなくて。先っちょをちょんっと突いた。土筆は、烏野豌豆の絨毯の間々にちょこちょこと生えており。これで捩花が咲いていたら私はとても嬉しいんだけどな、なんて思いながら、空を見上げた。空はぼんやり霞んでいて、眩しさもやわらいだ様相だった。
それにしてもずいぶんと日が長くなった。朝は朝で闇が緩むのがとても早くなった。ついこの間まで五時といったら真っ暗だったのに。今はもう、地平線が色づき、太陽の気配を感じるほど。

義母がやってきた。息子の誕生日を祝いに、ということだったが、確かにそれもあるのだろうが、彼女はお酒が飲みたかったのだな、と、つくづく思う。
義母と家人と息子と蕎麦屋に行った。そこで飲み始めた義母は早々に酔っぱらい始めた。私は、お酒が嫌いなわけじゃない。むしろ、楽しいお酒は大好きだ。でも。彼女とのお酒は苦手だ。何故なら、彼女はお酒に溺れてしまうから。
今回もそうだった。早々に、言葉に棘が出始めた。ああ酔ってるんだなと思ったが黙っていた。その間も彼女は家人と飲み続けており。次第に言葉を放り投げ始めた。それに家人が過剰に反応し、険悪な雰囲気に。
息子と家人を先に行かせ、義母と連れ立って私が歩く。義母はすぐさま、家人の悪口を言い始めた。私が少し家人を庇うと、今度は私に攻撃の矢を向け始めた。ああまたこれか、と思った。いつもそうなんだ、いつも。
そして何より私が嫌なのは。彼女が攻撃の言葉を矢継ぎ早に繰り出す、そのそばから、彼女自身は忘れていくこと、だ。彼女は覚えていない。だから、まったくもって自分の放った言葉に責任を持たない。悪口を言い続ける彼女の隣を歩きながら、私は、心の中で小さくため息をついた。
アルコール依存症と認知症でホームに入っている義父。一方義母は、今も自宅でひとり暮らし、酒を飲む。この歳になってお酒やめるなんて私にはあり得ないわと豪語する義母。そして家人も家人で、日々酒を飲む。酒に溺れる。みながみな、自覚がない。
私は。
そんな彼らを一歩離れたところからじっと見ている。悲しいな、と、思う。周りがどう言ったとしても、結局、自分で気づくしか、術はない。


2021年03月24日(水) 
ここ数日ずっと空が霞んでいる。特に早朝の空。色と色の輪郭がぼんやりするほど霞んでいる。毎朝定点に立ち写真を撮ることを習慣にしている私は、今朝もベランダで、空と同じくぼんやりしてみる。そういえば春霞という言葉があったな、そういう言葉が生まれるくらい春は霞むものなのかしら。今更だけれど不思議。
整骨院に通っている。骨折による痛みの治療はほぼ終わった。ここからは挫傷した頚椎の治療やズレにズレている骨盤の矯正やらが始まる。私の身体を改めて触診した先生が「よくもまぁこんなに凝り固まってるもんですね」と笑う。これじゃぁ緩むことができないですね、とも。
確かに私の身体はがちがちだ。緩むことなどぽいっと何処かに捨ててきたんじゃなかろうかと思えるくらいがちがちだ。おかげで凝りのない状態を私が思い出せないくらい。「でも、ちゃんとメンテしていきましょう!」先生の心強い言葉。ありがたい。

省みれば、線維筋痛症と思われるくらいの強い身体の痛みと長年つきあってきている。おかげで鎮痛剤が手放せない。でも、この状態ではない、解れた状態をほぼほぼ知らないから、いってみれば痛みがある状態が自分のデフォルトだから、そうじゃない状態を想像することすらできない。痛みがないってどういう状態だろう?純粋に首を傾げてしまう。

ついこの間、性的虐待順応症候群という概念を知った。知るほどに、頷いてしまう。これは身に覚えがあるな、と強く思う。これは、子どもに限ったことではないな、と。
1)性的虐待を秘密にしようとする/2)自分は無力で状況を変えることはできないと感じる/3)加害者を含めた周りの大人の期待に合わせよう、順応しようとする/4)被害の開示の遅れ、開示内容に矛盾があること、開示が説得力に欠けること/5)被害を開示した後で撤回する
一度の性暴力ではない、繰り返し繰り返し行われた性暴力の被害当事者にとって、これはとても親しい症状なのではないか、と、思う。
今更ながらこの概念を知り、私は最初こそ驚いたけれども、その後、すうっと私の内奥の泉にその概念が沁み込んでくるのを感じた。ああ、覚えがある、と。改めてこのことについてはカウンセリングで取り扱わせてもらおうと心に決める。

それにしても。
いろんな先生がいるなと思う。今回の整骨院の先生や、いつだったかケアしてもらった東洋医学に詳しい先生、そして私の恩師などなど。ひとりひとり個性があるように、ケアの仕方にもそれぞれに方向がある。痛みを取り除くのか、それとも痛みと共存するのか、そういった、要所要所での方向性を確認しつつ治療を進めなければいけない。近々インナー検査をする予定。一体どういう結果が出てきてしまうんだろう。ちょっぴりドキドキ。


2021年03月20日(土) 
たまにある。「神様信じないんですか?宗教は?」。入信を勧められる。申し訳ないが、既存の神様に興味はない、というのが私の本音。
確かに幼少期、教会に通うのを習慣にしていた。讃美歌を歌うのも好きだったし、神父の話を聴くのも好きだった。でも。神様に助けられたという実感はなく。私は思春期に入ると教会に行かなくなった。
被害に遭い、ますますその気持ちは強くなった。神様なんて助けちゃくれない。それが私の実感だ。私の信じる気持ちが足りなかったのかもしれないけれども。でも、神様の存在によって助かった記憶は、私にはない。
だけれども。
自然を司る力のことは、実は信じている。

ある朝林檎がある日突然落ちる。
ある朝ベランダの花が、ぽんっと咲く。
ある朝風が緩やかに吹いてくる。
ある朝―――。
世界を見つめていると、心がしんとする。ひとのあいだにいるとざわざわどきどきしてやまない心が、しん、と無音になれる。
その瞬間が私は、たまらなく好きだ。

ひととの対話も好きだけれども。
世界との対話も私には欠かせない。それがなければ、心がざわついてざわついて、ほどなく疲れ果ててばたんと倒れてしまう。
世界を見つめる時間。向き合う時間。その無音の時間が、私に力を与えてくれる。その力が私を、ひとへ向かわせる。
そうやって、ぐるりぐるり、私と世界は廻っている。

明日は雨だそうだ。まだ降ってはいないが、じきに降り出すはず。天気予報を見ながら窓の外を見やる。頭痛がするのも、身体痛が酷いのも、この、天気の崩れのせいだろう。仕方がないのでせっせせっせとテニスボールで身体のケアを為す。痛み止めを飲むべきか否か。
とりあえず自分の為だけに濃いめの珈琲を淹れよう。朝までまだ、少しある。


2021年03月19日(金) 
早朝ふと見るとベランダのクリサンセマムがくたっとしている。慌てて如雨露で水を遣る。ごめんねごめんね、と唱えるように言いながら、たっぷり水をかけてゆく。菫とイフェイオンはこんもり花盛り。いや、クリサンセマムもそうなのだけれども、もうこのベランダの様子を見ていると春真っ盛り、というような具合で。季節の力ってすごいな、と思うのだ。
そうしているうちに霞んだ空に太陽が昇ってきた。朝だ。

対価型/地位利用型性暴力、という言葉を見つけてしまって以来、頭の中心の中その文言がぐるぐる廻っている。もはや居座っているといっていい。
だから今日カウンセリングでそのことに触れてみた。これまで私の被害という言い方をしても心の何処かで「私に起こった出来事なんて私が悪いに違いない」という思いがあった。心の何処か隅っこに、その思いは残っていた。でも。
対価型/地位利用型性暴力、というこの文言を読んで、いや、読んだ瞬間、すうっと降りてくるものがあったんだ。
ああまさにそうだ、私に起こった出来事もこうだった、と。繰り返し繰り返し凌辱された日々を省み、まさにそうだった、と、そう思ったんだ。
そこからどういう流れで別のテーマに移ったんだったか、正直言うと今思い出せない。ただ、いつの間にか別のテーマに移っており。私が父母から受けた言葉の暴力、情緒的虐待についてに話題は変わり。あんたなんていなければよかったから始まり、恥ずかしい、汚らしい、いやらしい、いったい誰に似たんだか等々。主に彼女から言われた言葉たちが淡々と蘇って来る。まさに淡々と。もはや私の身体の一部なんじゃなかろうかと思えるほど私に沁み込んでいるそれらたち。
診察室に入り主治医と向き合い、カウンセリングのことや骨折のことなど話すと、主治医が「躁転するかもしれないから気を付けないと、こういう時は」と言った。そう言われてなるほどと納得する。でも、いくら気を付けても転じる時は転じちゃうしなあと心の中思ったりして。いやいや気を付けるんだぞ自分、と言い聞かせてみたり。

息子の公文までの道中、久しぶりに川縁を走ると桜がずいぶん開花しており。息子と二人、いっとき自転車を止め眺める。保育園に通っていた頃は毎年ここらへんはお店が立ち並んでいたねぇなんて懐かしくなる。店の姿のない川縁はしんと静まり返って、隙間風が吹いてるみたいに感じられる。それでも咲く桜はやはり美しい。


2021年03月16日(火) 
月曜日に家人の勧めでとある整骨院に行ってみた。そこで丁寧に診察してもらって、先生が一言、「骨折れてますね」と。ええっ、いまさら?!と私が笑い出すと先生も笑っていた。いや本当に今更なんですけれども、と私が繰り返し言うと、先生は「整形外科に行って一応レントゲン撮ってもらってきてください」と言う。
電気治療をしっかりしてもらう。施術後、動かしてみてくださいと言われ右腕を動かしてみれば、痛みが半減しており。あら不思議。ここでも私は笑ってしまった。今まで大変だったのが嘘のような話。何だったの今まで。

そして今日、整形外科に出掛けてレントゲンを撮ってもらう。改めて呼ばれ診察室に入ると、先生開口一番「折れてますねー、ほらここ」。淡々と言い渡される。見れば確かに折れている。先生の隣にいる看護師が「これは痛かったでしょう?大変だったでしょう?」と言う。私は言葉を失ってしまう。「でももう時間が経ちすぎてますから、とりあえず三角巾固定で二週間、安静にしてください」と言われる。二週間ですか、いまさら三角巾固定ですか、それじゃ自転車も乗れない、と思ったが口には出さずぐっと我慢する。だって私は自転車でここに来てしまった。自転車に乗って帰るしか術はない。うむ。

帰り道。家人の飲む豆乳を購入する為スーパーへ立ち寄る。豆乳3本にブロッコリー3つ、息子の食す苺2パックなどなど買い求めていたらあっという間に袋がいっぱいの量に。それを肩にさげながらエスカレーターを上がり自転車置き場へ。極力右腕を動かさないように努めてはみるものの、動かさない、というのはやはり不可能で。ちょろちょろ動かしてしまっては、そのたび「あ!」と思う。

29日に人前で話す内容をあれこれ箇条書きにしてみたら、あれよあれよという間に話したら恐らく一時間弱の内容になってしまっていた。持ち時間は一時間と少し。困ったな。
でも。
書き出していて、つくづく、自分の人生平凡とは程遠い代物だなと改めて思う。だけれども、どんな人間の人生であっても平々凡々というのはあり得ないんだろうなとも思うのだ。穏やかに見えても、その穏やかさを支える何かが必ず存在している。そういうものだと私は思う。


2021年03月13日(土) 
土砂降り、というのはこういう雨のことを言うんだったな、と、窓の外を見やりながら思い出す。見事な雨。息子は遊びに行った先で傘を飛ばされたとかで、全身ぐしょ濡れになって帰ってきた。途中何度か雷鳴も響き渡る。でも、何故だろう、とても静かに感じられる。

昨晩は、久しぶりにカッターに手を伸ばしかけた。その衝動を何度も何度も窘めては、煙草を吸った。そんな私と重なるように、知人が「今年一番の衝動が…」と。なのでふたりして「朝が早く来ないかなー、朝が遠いなー」と言い合いながら夜を越えた。過ぎてみればあっという間なのだけれど、その最中は本当に長くて、もうこのまま雨に閉じ込められるんじゃないかと思えた。出口のない雨の中、ずっとずっとずっと、このままなんじゃないか、って。
そんなことあるはずないじゃないか、と嘲笑する人の方がきっと普通なんだろう。でも、越え難い夜を必死の思いで越えてきた経験を何度もしていると、永遠に朝は来ないんじゃなかろうかと思えたりするし、このままここに閉じ込められてしまうんじゃなかろうかとぞっとしたりもする。サバイバーというのは、そういうものだ。

そして今日、とても久しぶりに娘と孫娘がこの雨の中遊びにやってきた。ズボンの裾をぐっしょり濡らして、でもにこにこ顔の孫娘。髪の毛を結び直してやりながら、あれこれふたりおしゃべりをする。しゃべりがずいぶんしっかりと、達者になったな、すっかりおしゃまになっちゃって、と、彼女の後ろでこっそり笑む。
娘はたぶん、初だろう、ショートカットになっていた。「似合うでしょ」と言われ、素直に「うん」と応える。予想外に似合うな、と。私は彼女が幼かった頃、彼女の髪を結うのが好きだった。その時だけ、何も考えず一心に彼女の髪の毛と向き合っていた。懐かしい記憶。

息子を寝かしつけてからもせっせとマスクを作り続ける。手を動かし続けていると、大丈夫な気がする。余計な思いに呑み込まれずに済む気がする。だからせっせせっせとマスクを縫う。

そうして気づけば雨は止み、風も止み。塵芥がすっかり流されたからだろうか、今夜の闇はとても深い。深海の如く。埋立地の灯がすぐ近くに感じられるくらいに大気が澄んでいる。そして星も燦々と輝いている。
美しく、静かな夜。


2021年03月11日(木) 
ぼんやりと霞んだ早朝の空、まだ太陽は昇ってきていない。濃紺から橙色へのグラデーションも霞んでいる。空全体に塵が舞っているかのように。私はそんなぼんやりした空を窓のこちら側から何となく眺めている。
夜明けの合図は、鴉の声とともにやってきた。鴉の一声。かぁぁ。南東の空のグラデーションを掻き切るかのような一声が響いて、それと同時にこうこうと燃える太陽の臍が、ちらり地平線から現れる。
洗濯物をベランダに出す。プランターを振り返って、昨日蕾だった菫がくいっと首をあげているのを確かめる。この蕾はもう咲く。陽光がここに届く頃にはきっと開いてる。私はしゃがみこんでその蕾をじっと見つめる。この子は紫色だ。死んだ祖母の大好きだった色。
クリサンセマムも勿忘草も咲き乱れている。薔薇の樹からはそれぞれ新芽が萌え出している。私がこんなふうにしゃがみこでいてももう寒くはない。春なんだな、と、気づいたら声が漏れる。

私は春が正直苦手だ。ぼんやり霞んだ今日の空みたいに、何もかもが霞がかって見えてしまう。卒業式、入学式、卒業生、新入生、前向きに前向きに、というような世の中の雰囲気が、どうにもこうにも鼻について感じられてしまう。どうしてそんなにみんなして一斉ににこにこしなくちゃならないような空気になるんだろう。涙したり笑顔になったり、場面場面に合わせてとりつくろわなくちゃいけない。そういうのに、私は早々に疲れてしまう。
植物たちが一斉に萌え出して、歌い始めるのもこの時期だ。一斉に生命が蠢き出す。確かにそれは、命の塊のような季節で。尊いのだろうけれども。
私はもうすでに、冬が恋しくなっている。嗚呼。

家人が仕事で留守。ふと思いついて、ワンコを片手で抱き上げてみる。ワンコの体重はほぼ25キロ。どうかな、と思ったのだけれど、なんだ、やってやれないことはないじゃないか。すうっと持ち上がってしまった。
早速ワンコと散歩。どのくらいぶりだろう、1月末の怪我以来だから、ほぼ2か月ぶりか。久々だね、なんてワンコに話しかけると、まるで分かってますよというような表情でこちらを見やる。今日はしょっちゅうふたり目が合って、私はちょっと笑ってしまう。
ふと思い出す。川崎鷹也の歌の歌詞に、会えなくなることよりも喧嘩できなくなることが悲しいというようなフレーズがあって。ああ、本当にそうだなと思う。本気の喧嘩って、心許した相手とじゃなきゃできない。喧嘩ができなくなるってだからつまり、その相手を失うということ。これが悲しくないわけが、ない。散歩中私は、そのフレーズだけ繰り返し口ずさむ。あたたかい、夕。


2021年03月09日(火) 
早い時間に息子を寝かしつけてそのまま自分も二時間眠ってしまった。ぱっちり目が覚める。窓の外はとっぷり闇色で。家々に点る灯の数も眠る前と比べて半分以下に減っている。そういう時間だよな、と窓際に立ちながら思う。
右腕が不自由になってあれやこれや不便になった。フライパンを持ち上げられなかったり、箸使いがうまくいかなかったり。顔を洗うのも右側だけ不自由だったりする。今迄当たり前に為していた行為がうまくできないもどかしさ。少し苛々したりもする。
さて。これから朝までの時間どう使おうか、と逡巡し、ふと目に入る南瓜。ああ、家人が今日買ってきてくれたのだったと思い出す。そうだ南瓜の煮つけを作ろう。
が。これがいけなかった。南瓜を切ろうとして気づく。今の私の右手にはこの南瓜の硬さはなかなか手ごわい相手だった。四苦八苦しながら南瓜一個分を適当な大きさに何とか切る。そして醤油と酒とみりんと砂糖を加えてことこと、ことこと。
煮詰めてる間に右腕にシップを貼りつける。さっきの南瓜を切るという行為のダメージを何とか解消するため。友人が言っていた、シップとサポーターは最強の組み合わせだと。だから傷めて以来ほぼ毎日、シップとサポーターを巻いている。
ことこと、ことこと。南瓜を煮る。みな寝静まった夜更け。静かだ。とても静か。何の雑音も聞こえない。そのせいだろうか、自分が吸う煙草の、ちりりっと燃える音が妙にくっきり鼓膜に響く。

そういえば昨日は雨だった。しっとり降る雨、なのにもう刺すような冷たさはなく。何処か緩んだ冷たさだった。ああそうか、春だ、春のせいだ、そう思った。春がもう目の前なんだな、と。
ベランダのプランターの中、イフェイオンと菫が次々花を開かせている。青、薄水色、黄色、紫。それにクリサンセマムの白と勿忘草の水色。色が賑やかになればなるほど、私は何処か気後れを覚える。自分に色は似合わないんじゃないかと。少なくともまだ、早いんじゃないかと、そう思えてしまう。
世界がモノクロになったあの十年程の時間。私は色に恋焦がれた。でも、こうやって色が戻ってくると、今度は、モノクロの世界が懐かしい気がしてしまう。モノクロの世界に親しみすぎたのかもしれない。もう、色が溢れる春なんて、色が眩しすぎて、私は恥ずかしささえ覚えてしまう。

ことこと、ことこと。南瓜の煮つけが程なくできあがる。煮崩れることなくきれいにできたじゃない、なんて、自分に言ってから笑ってしまう。タッパーに移し替え、冷蔵庫に入れる。
あと一時間もすれば家族がぼちぼち起きてくる。それまでの自分の為に濃いめの珈琲を淹れてみる。窓の外の闇色は相変わらずそこに横たわっており。でも、あの色の向こうには、もうきっと夜明けの色がひっそり佇んでいるに違いない。


2021年03月07日(日) 
昨日はアディクションリカバリープログラムの日で。いつものように都内まで出掛ける。今回は久しぶりに自分の被害と被害後について、まとまって話すことになっていた。
原稿はあったけれど。原稿を見ないで、彼らの顔を目を見て話したかった。だから、原稿の大事なところにだけ蛍光ペンで線を引く、それだけに留めた。
話しながら、何度も喉が詰まった。二十何年経ってもまだ、被害について語ることは喉を詰まらせるようなことなのかあ、と、ぼんやり頭の後ろの方で思った。私と目を合わせないよう目を伏せている人もいれば、こちらをじっと見ている人もいる。斜め横を向いている人もいれば、まっすぐこちらを向いている人もいる。そういう中で私はとにかく話した。50人弱いる教室は、少し暑く感じられた。
語っている最中はもう、余計なことは考えられなかった。ただとにかく、「届け、届け、誰かたった一人にでもいい、届け」と思いながら声にした。三十分を少し超えてしまったが、ほぼ時間通りに語りを終え、シェアの時間になった。まず二人一組、その後全体でのシェア。
思い返せば、以前は、挙手をお願いしますとS先生が言っても誰も挙げてくれないような時期もあった。それが今は、ぽつぽつではあってもちゃんと自ら手を挙げてくれるひとたちがいる。それだけで私は、嬉しい。
最後、起立して名前を言い、それから感想を述べてくれたひとがいた。ああ、前に私を呼び止めてくれたひとだ、と思いながら、じっと耳を傾けた。ちゃんと届いてる、受け取ってくれたひとがいる、と知れるのは本当にありがたいことだ。いくら感謝しても足りない。
最後「ありがとうございました」と言って会は終わった。少しふわりとする身体を支えながらエレベーターに乗り込む。S先生と会後のふたりでの打ち合わせ。

クリニックを出る頃には辺りはすっかり暗くなっており。私は、親友に電話を掛ける。最寄りの駅で待ち合わせの約束を交わす。一本だけ煙草を吸って、そうして電車に乗る。
親友のあれやこれやの話を聴かせてもらいながら、私は早々に酔っぱらう。梅酒一杯でやめて、慌てて珈琲に切り替える。ふと、身体の中が空っぽになっていることに気づく。がらーんとしたその空洞を私は心の眼で見やる。そして一言だけ、自分に声を掛ける。「お疲れ様」。
親友が言う。よく加害者と対話なんて思いつくよね、よく心保てるなあっていつも思う、と。だから応える。それ以外私に思いつくことがなかったんだよ、これをするしかないって、そう思って、と。
加害者と対話、というと、対立した構図を思い浮かべるのが通常なのかもしれない。でも私にとって加害者と被害者というのは、決して、対立だけしているものではなかった。とても似通った痛みを知っている者同士でもあった。だからこそ、ちゃんと向き合って対話ができたなら伝わるものが在るに違いないとそう思えた。
すべての被害者がそうだとは思わない。たまたま私がそうだった、というだけの話。だから決して、他の被害者に強いようなんて思わない。
ただ、このバトンを、いつか誰かに渡したい、いつか次に連ねたい、という気持ちは、ある。それがいつなのか、私にはまったく分からないけれども。

親友の家を後にし私は電車に乗り込む。今日は絶対に乗り越したりしないぞと思いながら。そして慌ただしかった一日をぼんやり思い返しながら。


2021年03月05日(金) 
どんよりと横たわる雲、でも地平線のすぐ上に雲はなく、そこから漏れてくる朝焼けの色。その色に向かっておはようと声をかけながらいつものようにシャッターを押す。クリサンセマムはこれから春だというのにほぼ咲き終わっており。イフェイオンと菫が今、見頃になっている。我家のベランダ、春の先取りみたい。見ていて楽しい。
秋に植え替えたラベンダーも順調に育っており、唯一、先日ひっくり返したプランターの中の薔薇の挿し木が。これはもうダメかな、という様相を見せている。申し訳ないことをした、あの時私の足が引っかかってプランターをひっくり返していなければ、今も無事育っていたかもしれないのに。心底後悔。

今日は通院日。カウンセリングの部屋に入り、カウンセラーと向き合う。私があまりに二週間前のことを失念しているのでそこを軽く辿り直し、そうしているうちに私も少し思い出し、話を続けてゆく。
私のフリーズは、私が本当は感じたであろうことを凍り付かせ、なかったことにしてしまう。このフリーズをまず何とかしよう、ということで。次のカウンセリングまでに、宿題が出た。この課題、無事こなすことができるんだろうか。ちょっと心配。
PEの治療にトライした過去、でも私の度重なる被害ゆえのトラウマにどう切り込むべきか、カウンセラーや当時の主治医があれやこれや工夫を凝らしてくれたのだろうが、当時の私はそれらを一切合切受け付けられなかった。結果、PEの中断。今に至る。
今のカウンセラーは私に基本的には無理強いしない。時々思い出したようにぎゅうぎゅう押し込んできて私が慌てふためくところはあるけれども。当時のPEの失敗も、当時の主治医が私の納得を待たずに無理強いした結果だと今のカウンセラーは捉えているようで。それは或る意味ありがたい。
だからというのも何だが。今のカウンセラーが言うのなら、もう一度トライしてみようか、という気持ちになった。どこまでついていけるか分からないけれども。

処方箋を受け取る際、ちょっとした行き違いがあって。私は混乱する。どうしてこんな混乱しているんだろう私、どうってことのない行き違いなのに、と何度も自分に言い聞かす。そうして気づいた。背格好が私の加害者の一人に酷似しているんだ、ってこと。ああ、そうか、とようやく胸を撫で下ろす。理由が分かったことで、ひとつ安堵する。

あっという間の一日だった。私の記憶が時折断絶しているせいなのかもしれないが、でも、今日はあっという間に過ぎた。今窓の外は闇色に沈んでいる。もうすっかり夜だ。息子と家人には風呂に入った。私は窓の向こうの闇をぼんやり、眺めている。

ちょっと疲れた。


2021年03月02日(火) 
月曜日、どきどきしながら都内に向かう。今日は会いたいと思っている人たちと会う日。ちゃんと話ができるだろうか、伝わるだろうか、様々な思いが胸の中ざわざわと蠢く。でも。何だろう、伝わらなかったら、とは一度たりとも考えなかった。不思議。
一時間遅れでやってきたAKさんをAMさんと一緒に待つ。年齢にしたら私よりずっとずっとお若いAKさんなのに、経験値はきっと私なんかよりずっと高くあるに違いない、そう思わせるものが彼女にあった。
気づいたら、自分から喋り出していた。どうしてAMさんに頼んで保護司というお仕事を知りたいと言い出したのか、加害者との対話、被害体験もろもろ、一気に話した。AKさんもAMさんも、じっと耳を傾けてくださって、私はだから、話してる途中からもう、涙がこみあげてきて、こらえるのに必死だった。
どうしてこんなに話したくなってしまうんだろう、はじめましての相手に、こんな無遠慮に、どうしてこんなに。途中で何度もそう思った。でも。止められなかった。
加害者と被害者の相似と隔たりについてだったり、加害者との対話を通じて感じた諸々のことなど。思いつくまま喋った。話しながら、何のためらいも感じない自分が、いた。
ふたりのそういう姿勢は、いつも接しているS先生と似ているな、と、ふと思った。どこまでも被害当事者を受け止めようとしてくれる、深い懐というか、何というか。だから、私は大丈夫、と思えた。

ふたりと会ってお話しし、たくさんのアドバイスをいただいた。自分一人では思いつきもしなかったことたち。たくさんいただいた。ああ、だから、ひととこうして「会う」「会って語り合う」ことを私はやめられないんだと思った。
確かに今、オンラインでいつでもどこででも繋がることができるようになって、それはとても便利になったと思う。その便利さは、すごいなと思う。でも。
直接会うからこそその場で感じられる、体温や匂い、目線、目の奥の深さ、指先の有様、こちらに向けられる身体の角度、そういったいろんな、その場に実際いるからこそ得られる諸々のことが、私にはやっぱり必要で。そうしたものが在ってはじめて、納得できること、腑に落ちること、たくさんあって。
私はアナログの人間なんだな、と心の中ちょこっと笑う。でも、そういう自分が私は、嫌いではない。

手を振って別れた後、電車に乗って帰宅しようとするのに、何故か一度目は大船まで、二度目慌てて戻ろうとするのに今度は品川まで、要するに横浜を二度も越えてしまって、もう私はこのまま電車の中迷子になるんじゃなかろうか、と、かなり焦った。とりあえず家人にLINEで「あと10分で横浜に着くからその前に電話して!」とお願いする。結局息子をダンス教室に連れて行くのも何も、家人に代わりにやってもらうしかなく。情けないな自分、と唇を噛む。
解離しながら階段落ちして以来、どうもこう、何かがおかしい。まだ自分の中噛み合っていない何かがある気がする。あの時何かを落とした、もしくは何かが欠けてしまった、そんな感じ。
「頼むから予定をセーブしてください。迷惑です」と家人に言い渡され、しょげかえる夜。でも。

今日はいい日なんだ。とっても。いい日なんだよ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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