ささやかな日々

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2021年04月29日(木) 
雨が降る。雨の中をワンコと散歩する。あっという間に前髪が濡れ、雨雫が滴り始める。ワンコを見やればワンコは黙々と歩いている。そして時折こちらを見上げ、私を確認する。彼の好きな草があって、細い葉っぱをもつ雑草なのだけれど、それを見つけるたびはぐはぐと食べる。私は立ち止まって彼が食べ終わるのを待つ。その間も雨は降り続く。私の三つ編みは次第に濡れ始め、小さな雨粒に包まれ始める。ワンコと私を繋ぐ一本のリード。もう使い古された赤いリードもじんわり湿り気を帯びる。
彼はうんちをするその直前、それまで隣を歩いていたのに私の前を歩き始める。いつもそうだ。私の前を行くのがうんちのサイン。だから私はビニールを用意する。困るのは、彼が何故か道路の真ん中でうんちをしたがること。道路の真ん中でされると途中でやってきた車に止まってもらわなければならなくなる。だから私はリードをちょいちょい引いて調整する。
ワンコがうちに来て気づけば四年目。でも、まだ四年か、というのが正直な感慨。彼はもっと昔から私のそばにいる気がする。というのも彼が実家で飼っていた犬メリーにそっくりだからかもしれない。
メリーはビーグル犬、ワンコはラブラドール、犬種も違う。なのに、彼の横顔はメリーそっくりで、時々見間違えてしまうほど。
メリーは娘の誕生を待たずに死んだ。その直後、娘が生まれた。命というのは不思議だ。それだけで命が連なっているかのようにさえ思えてしまう。
命の連なりが、私を生かし、誰かを生かし、そして私が死ねばまた、誰かが産まれ。そうして順繰りと廻ってゆく。

息子が口をへの字に曲げて泣きそうな顔をしている。お友達に裏切られた、と言う。約束したのに、待ってたのに、来ない、と。私は何も言わずただじっと彼を見ていた。彼はお友達と食べる用に私が用意していたおやつをおもむろに取り出し、むしゃむしゃと食べ始める。私はそれを止めるでもなく黙って見守る。
夕飯になって家人が息子に、お友達どうしたの、と訊く頃には、彼の気持ちは切り替わっていたらしい。彼は、きっと約束を間違えたんだよ、日にち間違えたかそれか風邪ひいちゃったかで来れなかったんだね、と言った。私はそれもまた、黙って聞いていた。

28日は次回の加害者プログラムのミーティングがあった。最初、対価型(見返り要求型)性暴力について扱いたいと思っていたが、先生と話すうちに、痴漢と盗撮について扱うことに決めた。新学期、痴漢や盗撮は格段に増える。新入生/新卒の子らがターゲットになりやすい。彼らは真新しいスーツや制服を身につけている、それだけで、まだ不慣れな環境にあるということに気づかれ、そしてターゲットにされる。
ターゲット。そう、加害行動を行なう時の彼らに、対象は「ひと」と映っていない。あくまで「的」なのだ。対象をひとと認識していないからこそ、何度でも再犯できてしまう。恐ろしい心理。
プログラムでは、そうした認知の歪みと彼らは向き合わなければならない。自分のこの感覚は歪んでいるのだ、と気づくことができてはじめて、次に進める。自覚がなければ延々と歪みの中をループしてしまう。
歪みに気づいてもらうためにも、私は被害体験を語る。

ぴょんっと携帯の通知音がする。見れば、印刷物の発送完了メール。ああ、そうか、展示のDMが明日届くのか、と知る。いよいよ展示の準備を詰めていかなければならない。気持ちがきゅっと引き締まるのを感じる。展示まであと一か月。あっという間に過ぎるに違いない。気合を入れていかないと。
まだ外は雨。予報だともうじき止むはずなのだけれど。窓の向こう、夜闇がじっとり濡れている。


2021年04月27日(火) 
約束した場所にAちゃんは先に来ており。「この前と同じ場所だね」と一緒に笑う。同じ場所、同じ席。
彼女の抱えている幾つもの問題を、次々に語って聞かせてくれる。だから私もうんうんと相槌をうちながら聞かせてもらう。Aちゃんとは知り合ってまだ間もないけれども、彼女がどんな問題も真正面から向き合う人だということはすぐに分かった。だからこそしんどくなってしまうことも。でも、しんどいからってへたりこんでばかりじゃないのが彼女のすごいところだ。しんどいのは当たり前、と捉えている節があって、しんどかろうと何だろうとやるよ私は、という気概が見てとれる。若くして、自分の加害性と被害者性と、両方、ちゃんと自覚してもいる。だからこそ私は彼女を応援したくなる。

帰宅し、ワンコと散歩。この季節、モッコウバラが実に美しく咲き乱れる。散歩の道筋に、何軒か、モッコウバラがこんもり咲いているお宅があって、それを眺めるのが楽しみの一つになる。玄関先に豊かに茂っていたり、庭の柵に沿わせていたり。そのお宅お宅で違った様子が楽しめる。明るいやわらかな黄色い薔薇。花言葉を調べると、「純潔」「初恋」「素朴な美」「あなたにふさわしい人」「幼い頃の幸せな時間」などが出てくる。「幼い頃の幸せな時間」なんて花言葉があることを私はその時初めて知ったんだった。瞼を閉じて、モッコウバラがこんもり咲いているその茂みの前で遊ぶ子供の姿を想像してみる。確かにそれは幸せを感じさせる。
でも。今日Aちゃんともつくづく話したけれども、家族というのは怖い、と。私はそう思っている。家族という密室で行われることの残酷さ。気が遠くなる。家族を褒め讃える人がいまだに多いのが私などには不思議でならない。家族によって傷つき傷つけられた経験がある人間からしてみたら、まさにそれは不思議。
だから、自分が家族を作る段階になって、一瞬走った恐怖があったのをいまだに私は覚えている。あんな空間だけは、あんな世界だけはもう二度と嫌だ、と思ったんだ。閉ざされ関係は、互いを傷つけあうばかりになる。想いや言葉はひとを殺すのに十分なほどの刃になることを、もういやってほど知っている。
ピピっとスマホの通知音が鳴って、チェックしてみると、父からのショートメールだった。父の誕生日に短いメールを私が送った、その返事だった。父のショートメールにはいつも絵文字が使われるのだが、今回はそれが伏字になってしまっていてどんな絵文字が使われたのかちっとも分からない。文字だけ読んで、私はそれを閉じた。
父母と適度な距離を保つようになって、ようやく私は肩の荷が下りた気がしている。ちょっと油断すると今でもまだ侵入されるから、彼らとの関係には気を張っていないといけないけれども、それでも、あの家にいた頃に比べれば全然楽だ。過干渉とネグレクトを代わる代わる父母は繰り返してきた。容赦なくこちらに侵入・侵略してきた。我が物顔で私の庭を荒らして、それがまるで当たり前というふうだった。私も当時は、それが当たり前なのかと思っていた。でも。私はそれに耐えられなかった。
今思い返しても、ちくちくと心身が痛む。そのくらい、しんどかった。私の子供時代。
リードをひっぱられて気づく。ワンコがこちらをじっと見上げている。覗き込むような潤んだ眼で。君は私を心配しているの? 私は彼の頭をわしゃわしゃと撫でる。大丈夫、今はもう大丈夫だよ。誰にともなく小さく呟く。彼はまだ私を見つめて来る。だから私は立ち上がり、大股で彼をひっぱって歩く。春の夕暮れはのんびりゆったり暮れてゆく。


2021年04月24日(土) 
書かないでいるとまるで吸い取り紙で記憶を吸い取られているのかと思うくらい見事に記憶がなくなる。たった一日、そんなものじゃないか、と言われるかもしれない。が、私はとてつもないほど大きな不安に陥る。たった一日、じゃあない。一日一日が記録されたそばから失われてゆくのだ。私の脳味噌はもはや、記憶することを手放したんじゃないかと思えるくらい見事に失われてゆくのだ。こんな頼りなく危ういことは、他にない。
だからせめて、吸い取り紙から漏れた僅かな記憶を、辿る。そうでもしないと足元が崩れてゆく気がする。音もなく呆気なく、崩れ去ってゆく気が。

息子と映画に出掛ける。息子はいつだって、映画を観ながらひっきりなしに、観たことを報告したがる。その報告の声も結構でかくはっきりしていて、報告される側はひやひやする。周囲を気にしない息子と、周囲を異様に気にしてしまう母と。
本当は。好きにさせておいてやりたい。彼がそうなるのは、それだけ映画に没頭し、楽しくて仕方がないからだ。だからこそその楽しさ面白さを誰かに言わずには居られない、それで次から次に喋くり倒すという結果になる。でもその声は私の声と同様酷く通る声で。しんと静まり返った映画館の中響き渡ることこの上なく。母はいつも、周囲からの視線や気配にびりびりしてしまうのだ。小心者と我ながら嫌になる。
映画が終わって歩き出そうとした時、彼が唐突に、今しがた観たばかりの映画の中の一つの台詞をさらりと言う。驚いて振り返ると、にっと笑って、また台詞を繰り返す。余程気に入ったらしい。声色も真似て言う息子の表情が生き生きしている。私とは違う映画の楽しみ方を彼はすでに知っている。

朝顔が次々芽を出してきている。何種類か混ぜこぜに蒔いたから、出てくる葉もそれぞれ違う。濃い萌黄色もあれば、薄い緑色の子もある。みんな一生懸命小さな葉を広げている、その姿が何とも可愛らしくて私はつい目を細める。
植え替えたその植え替え方が下手だったのか、挿し木した薔薇の枝たちの葉がこぞってうどん粉病にかかってしまった。困った。これはどうしたものか。もう一度崩して、植え替え直す方がいいのか、それともしばらく待つ方がいいのか。迷う。明日にでも母に訊いてみようか。植物のことは母に訊くのが一番正確で早い。
アメリカンブルーとコンボルブルスのプランターを置き替えたのは正解だったのかもしれない。どれだけ陽射しに晒されてもアメリカンブルーはびくともしない。むしろ生き生きしているようにさえ見える。コンボルブルスには可哀想なことをしたな、と改めて知る。しばらく日陰で養生してもらおう。ごめんね、コンボルブルス。

最近、細切れによく寝てしまう。ふとした時、急激に眠気に襲われ、どうにもこうにも横にならないと耐えられない程になる。一体全体、どういうことなんだろう。あれだけ眠るのが不得意なショートスリーパーな私は何処へ? 謎だ。整骨院で脳髄液の調整の処置をしてもらってからというもの、どうも調子がおかしい。いや、これはいいことなんだと思うのだけれど、どうもそういう生活リズムに慣れない。貧乏性、か。
今日も今日とてあっという間に、呆気なく、一日が終わってゆく。終わったそばからきれいさっぱり消えてゆく。私の記憶力はもはや、使い果たされたとでもいわんばかりの勢いで。解離性健忘がここまで私を侵蝕するとは。解離性障害とPTSDの合わせ技は、ひとが思うより残酷だ。


2021年04月22日(木) 
陽射しが強すぎるのだろうか、プランターハンガーに設置したコンボルブルスの様子がおかしい。しじゅう微妙に萎えている。考えあぐねた末、アメリカンブルーのプランターをハンガーにかけ、コンボルブルスは少し日陰の方に置くことにする。せっかくコンボルブルスの緑が全面に楽しめるようになったけれど、具合が悪くなるのでは仕方がない。早く元の通りの元気になってほしい。
散歩の最中に公園の紫陽花の枝を一枝、頂戴して、挿し木することにした。ワンコのリードを握りながら、もう一方の手で手折る。帰宅してからそれを二つに分けてそれぞれ挿し木する。無事根付いてくれるといいのだけれど。

今日は作家のRさんのところにお邪魔する日。Rさんが前から写真を撮りたいとおっしゃっていたので、ぜひぜひということで。一時間丸々電車に揺られ出掛ける。Rさんのお宅の最寄り駅が近づくにつれ、のんびりとした風景が窓の外に拡がり始める。山も谷も畑も林も、あちこちに拡がっている。こういうのをのどかな風景というのだろうなと思う。私の住む町にはない風景だ。一軒一軒の家の距離も、広く取られていて、せせこましくなんて建っていない。豊かだな、と思う。
Rさんが最近作ったというギャラリーにお邪魔する。小さな倉庫を借りて作ったのだという。隠れ家の様な素敵な空間で、中に入るとほっとする感じ。おしゃべりも小声でこっそりしたくなるような。密やかな空間。Rさんの好きなものばかりが並んでいる。
さあ撮影しよう、と言うのであれ?と思ったら、どうもRさんは私を撮影するつもりだったらしく。私は私でRさんを撮影するつもりで身軽な格好で来たのだけれど、それを知ったRさんから小言を言われる。「ちょっとお、もっと可愛い恰好しなくちゃだめじゃない!だめだめ!」。そうしてRさんが早速自分の手持ちの衣装から私が着れそうなものを選んで持ってきてくださる。小柄なRさんの服を私が果たして着れるのだろうかとどぎまぎしたが、何とか着ることができ、「ほら、こっちの方が素敵じゃないの!」とRさんに言われる。そういうもんかなあなんて思いながら、おずおずとRさんのスマホの前に立つ。私と違って次々指示を出してくるRさん。ここに立って、あっちに立って、こっちに座って、あっちにしゃがんで。その一部始終をRさんの飼い犬のバウちゃんがじーっと見守っているという構図。
時間は瞬く間に過ぎてゆく。あっという間に私の帰りの電車の時刻になり。名残惜しい気持ちを引きずりながら手を振って別れる。最後にバウの頭をごしごし撫でる。カールした毛がわしゃわしゃと私の手の中で揺れる。

Rさんとの縁ももうどのくらいだろう。十年以上経つのだろうか。Rさんの著書はその前から読んではいたが、まさか自分がRさんと繋がることになるとはその頃は思ってもいず。縁というのは本当に不思議なものだ。
彼女が私の本に寄せてくれた当時の言葉を思い出しながら、電車に揺られる帰り道。読みかけていた中山七里著「境界線」も無事読み終えた。「護られなかった者たちへ」から連なる流れ。私は被災地の現実を何も知らない。

夜、被害当事者という若者二人とオンラインミーティング。まだ被害から間もない彼女たちの、切実な今の声に耳を傾ける。ああ私もこうだったんだなあと思う。私はもうそこからだいぶ遠く歩いてきてしまったけれど。当時は本当に苦しかった。一日が一日なんかじゃなく、延々と続いて終わらないかのような泥沼の中にいた。四六時中酸欠の金魚のようにあっぷあっぷしてた。彼女たちもきっとそうなんだろう。その呼吸が少しでも楽になるように、何かできることはあるんだろうか、私に。
そんなことを思いながらふと窓の外を見ると、もうすっかり真夜中。風がびゅるると暴れている。


2021年04月19日(月) 
コンボルブルスをプランターハンガーに設置してからというもの、リビングから眺めるベランダの風景が微妙に変わった。強い風が吹くたび、コンボルブルスが大きく揺れるのがちゃんと分かる。それはまるで風とお喋りしてるかのようなじゃれ合い具合で、眺めていてほっとする。
ホワイトクリスマスは今年は大きな蕾を幾つもつけてくれた。私はそれだけで嬉しい。あの、北側の10階の部屋で暮らしていた頃に挿し木して育てた一株。一度枯れかけたこの樹。生きていてくれるだけで嬉しいのに、この姿。ありがたいことだ。ビオラたちは陽光に向かって両手を広げているかのよう。だから毎日プランターの向きを変えてやらないと、大きく撓んでしまう。今朝もせっせと私は向きを変える。アメリカンブルーも元気だ。ラベンダーが花を咲かせ出して、これも去年枯れかけた子たちだからなおさら嬉しい。

自分ひとりの時間は大事ですか、と訊かれた。だからとても大事だと応えた。本当にそう。自分ひとりに帰る時間がなければ、私はきっと窒息してしまう。誰にもやさしくなれなくなってしまう。
それは家族がいる今も同じだ。これほど親しい近しいひとたちがそばにいる、それはそれで幸せな光景だろう。でもだからこそ、息詰まるし、苛々もする。
自分ひとりに戻る時間。それは、心に余白を生んでくれる。心の余白は、日常でささくれた心を宥めてくれる。再生させてくれる。だから私には、この、ひとりに戻る時間、帰る時間が必須になる。

たとえば今この時間がそうだ。午前4時。家人も息子も起きて来る前の、僅かな時間。窓の外は夜闇が横たわる。でもきっとあと半時間もしないうちに地平線の辺りが緩み始める。私はだから、じっとそれを待つ。
誰にでも朝は等しく来る、という言葉に対し、いやいつまで待っても朝が来ないひともいるんだ、という言葉を読んだ。だから声を上げていかないと、と。
それはそれですごく分かる。私にとっても終わらない夜が越え難い夜が幾つもあった。これでもかってほどあった。でも、だからこそ、それは自分で越えるしかない。
終わらない終われない、と嘆いているだけでは、本当に終わることはできないし越えることもできない。それは強者の立場の言葉だ、と揶揄されるかもしれない。それも承知の上で、私はそれでも、「誰にも等しく朝は来る」と言いたい。
朝は、当たり前に来るものなんかじゃあない。夜を越えて、越えようともがいて、足掻いて、じっと耐えて、そうしてようやく届く代物だ。だからこそ。
朝は、誰にも等しく来る。それを信じ、もがき、耐えた者に、等しく朝は、来る。

名古屋からやってきた友人と、僅かな時間だけれどお茶をする。仕事で静岡まで来たので、と彼女は言うけれど、静岡からここまでだって結構な距離だ。それでも「会いたかった」と笑う彼女は、とても眩しい笑顔をしていた。僅かな数時間を、一分も無駄にすまいと、ふたりしてあれもこれも思いついたことを次々投げ合う。そうしているうちに、午後8時はあっという間に来てしまう。名残惜しい気持ちを笑顔に変えて、私たちは笑い合って別れる。
縁とは実に不思議なものだ。私の手の中に今ある縁はすべて、ひとからひとへ、伝い伝わってやってきたものばかり。それを省みると、ただただ、ありがたいとしか言葉が浮かばない。私も、そうやって、縁というバトンを次に伝えてゆけるような人間であれたらな、と思う。


2021年04月16日(金) 
通院日。朝からいらいらしてしまう。息子とやりあっているのを見かねた家人が、今日は早めにでかけたら?と提案してくれる。ありがたいのでいつもより1時間早く出掛けることにする。
道中本を読もうと努力したのだが、叶わず。もうこれは寝ろと言われているに違いないと空いた座席に急いで座り、眼を閉じる。脳内で気配がぐるぐる廻る。でも無理矢理眼を閉じ、見ないふり感じないふりをする。はっと気づいた時には自分が降りるべき駅を過ぎており。慌てて戻るという失態。何をやってるんだ自分は。
カウンセリングが始まり、カウンセラーと向き合う一時間。二週間前私が触れたことをカウンセラーにもう一度確かめ、その続きから始める。二週間に一度のカウンセリングのリズムにもだいぶ慣れてきた。覚えていられないのは仕方がない。だからカウンセラーに前回のカウンセリングの概略を、簡単に教えてもらう。はじめの頃はそれでも思い出せなかった。最近はだいぶ、沈んだ記憶を呼び出すことができるようになってきた。
「そういえば1997年、98年頃の日記を読み返したんです、そしたら私、結構憤ってることに気づいて。びっくりしました」
「そうなの? その頃はちゃんと怒ってたのね」
「怒ってたというか、どうして、何故、って繰り返し書いてありました。でもいつの頃からか私、麻痺してきたみたい」
「そうね、麻痺っていうか、もはや切り捨ててしか生き延びてこれなかったんでしょうね」
「そうかもしれない」
「そうすることで、何とかやりくりしてきたんでしょう」
カウンセラーと話しながら日記を思い出す。記憶は思い出せなくても読み返した日記は今覚えているから、何とか辿ることができる。
「憤るとかってエネルギー要りますよね。私、そういうのを持続できなかったみたい」
「エネルギー要りいますよ。それは大事なエネルギー」
「そうなのかも。でも私、長く保ってはいられなかった」
「生き延びる術だったのよ。悪いことじゃあない」
悪いことじゃ、ない。それは私なりに分かった。でも、怒りをうまく持てない為に、いや、思い出せない為に、私は、自分の被害にケリをつけることができないでいるんじゃないか、とも思えてしまったり、する。
「自分に加害行為をした直接の加害者に対してよりも、セカンドレイプ等してきた間接的な加害者への憤りの方がむしろ、私は大きかったような気配さえあるんです。当時の主治医は、ストックホルム症候群だと言っていました。加害者(直接の)が唯一の私の味方というか理解者というか、そんなふうに私は思っていたところさえあったような記述がありました」
「ストックホルム症候群、典型的なそれでしょうね。でも、あなたが受けた二次被害は、壮絶だったと私は思うわ。それを考えると、ストックホルム症候群に陥って当然だった気がしますよ」
「…」

私はやっぱり、自分自身を何より赦せないんだと思う。被害に遭ったことも、繰り返し凌辱されたことも、ストックホルム症候群に陥ったことも、これだけPTSDや解離の症状が酷く、また、長引いていることも。
自分が自分でなければ。こんなことにならなかったんじゃないのか、と、いつまでも自分を責めている。そんなの意味がないと、無意味でしかないと、頭では分かっているはずなのに。

帰宅すると、注文したプランターハンガーが届いており。くたくたに草臥れていたのだけれど設置してみることにする。コンボルブルスはもう茂っている。早く何とかしてやらないと。コンクリの、太い手摺に合わせ幅を調整し、ハンガーを設置する。コンボルブルスのプランターは大きく重い。よっこいしょ、と持ち上げてハンガーにはめ込む。その瞬間南風がびゅるりと強く吹き付けてきて、私の髪をぐわんと揺らす。髪の毛が、コンボルブルスの伸びた枝と一緒に揺れる。やっとコンボルブルスらしくなったな、なんて、ちょっと嬉しくなる。
それにしても。今日は草臥れた。思い出したくないことを自分からほじくったりすると、たいていこうなる。でも、それをしないと私は私を解けない。
ホワイトクリスマスの蕾がだいぶ大きく膨らんできた。ラベンダーの蕾はもうきっと数日のうちに開く。アメリカンブルーは植えたそばから花を開かせ始めている。植木を眺めているうちに気づいたら日がぽとり、地平線の下に堕ちて行った。ぽとり。まるで音が聞こえて来そうなくらいの呆気なさだった。


2021年04月13日(火) 
空が堕ちて来そうなくらいの曇天。みっしりと垂れ込める雲を窓のこちら側からじっと見やる。夜のうちに既に降った雨でベランダの手すりは濡れている。そのひとつの雨雫に、今空を渡る鴉の姿が小さく映り込む。そんな朝。

中山七里著「護られなかった者たちへ」を読んだ。久しぶりに一気に一冊を読み切ってしまった。登場人物の誰か一人についつい入れ込んで自分を重ね合わせて読むのが大概だが、今回は何故だろう、誰か一人にというわけではなく、主要人物それぞれに思いを寄せていた。細い小川がやがて大河となって海に流れ出るような、そんなイメージが浮かぶような、読み手の想像力を引き出す骨太な作品だった。読んでいてずっと喉の辺りがひりひりした。共感せずにいられなくて、だからこそ握った拳の内側突き刺さる爪の痛みに唇を噛んだ。
社会って、法って、人間って何。
どう読んでも、そう問いかけずにはいられなくなる。私自身数年間、医者からドクターストップがかかって働けなくなり、やむにやまれず生活保護を受けた時期があった。だからこそ思う、感じるものが多々あったのかもしれない。そうであったとしても、十二分に読ませる作品であることに違いはない。
読み終えて本を閉じた瞬間のこの感じ、懐かしい感じがした。何だろうこの懐かしさ、と振り返って思い出す。ああ、高村薫作品を読んだ後の感じにとても似ているのだ、と。そんなことを思った。

PTSDや解離の症状が酷いと、とてもじゃないが本は読めない。読んでいるそばから意識が遠のく、活字が遠のく。いや、活字が文字として認識できなくなるからだ。記号かなにかにしか見えなくなってくる。とてもそこに意味を見出すことができなくなる。知人が「文字が跳ねる」「逃げる」と言っていたけれども、まさにそうで、文字が書いてあるはずと思って開いているのに、本の見開きの文字という文字が記号になり、意味を持たない何かとなり、跳ねたり踊ったり逃げたりし始める。とてもじゃないが意味なんて結ばなくなる。
だから、私は本を読める時期と読めない時期とがくっきり分かれている。読みたいのに読めないのは正直苦しいし、もともと読書が好きなたちだから、読むことに飢えてしまう。そして何度も、本を開いては頭を抱え、頭を抱えては本をもう一度開いて、ため息をつく。

久しぶりに読書ができ、しかも読み応えのある作品に出会えて、本を閉じた後ももっと読みたいもっと読みたいと心が言っているのが分かる。
机の端、山積みになっている本たちの、どこにまず手を伸ばそう。そんなことを考えるのも今はどきどきして楽しい。

文字が読めるって、幸せだ。心底そう思う。それができなくなる時間があるからなおさらに、そう、思う。

「人から受けた恩は別の人間に返しな。でないと世間が狭くなるよ」
「どういう理屈だよ」
「厚意とか思いやりなんてのは、一対一でやり取りするようなもんじゃないんだよ。それじゃあお中元やお歳暮と一緒じゃないか。あたしやカンちゃんにしてもらったことが嬉しかったのなら、あんたも同じように見知らぬ他人に善行を施すのさ。そういうのがたくさん重なって、世の中ってのはだんだんよくなっていくんだ。でもね、それは別に気張ってするようなことでも押し付けることでもないから。機会があるまで憶えておきゃあ、それでいい」

(「護られなかった者たちへ」中山七里著 より)


2021年04月09日(金) 
映画「すばらしき世界」を観に映画館へ。久方ぶりの映画館。わくわくしながら出掛ける。開始一時間前に券を購入しようと受付に行くと、もうすでに半分以上の座席が埋まっており。慌てて一番後ろの一番端っこの座席を指さして購入する。
仲野太賀演じる津乃田の目線で役所広司演じる三上が描かれてゆく。津乃田の心の中に渦巻く三上への思いのあれこれが洪水のように溢れ出てくる。それがそのまま私の心の中にも押し寄せる。
私はいつの間にか、三上を通して、自分が文通している受刑者さんたちの出所後という未来へ思いを馳せていた。彼らが出所した頃、世の中はどうなっているのだろう。まだ二十年近くの刑期が残っている二人それぞれに、出所した時、どれほどの生きづらさを抱えなければならなくなるんだろう。そう思うと、胸が抉られた。
三上がようやく就職し、働き始めたその職場での一シーン。たまらない思いがした。三上がぐっと堪え、いつもなら間違いなく飛び出して爆発していたに違いないのに、必死に自分を押し殺して堪えるところは、私がむしろ叫び出したくなった。
あの時、三上は自分を殺してしまったのではなかろうか。内なる死。
床に倒れ激しい雨に打たれながらコスモスに手を伸ばす三上が一瞬映される。それは持病の発作で倒れたに違いないのに。それは分かるのに。
私には、三上は自殺したんじゃないかと思えた。
いつもだったら薬を飲んで凌ぐ三上なのに。あの時あの夜に限って何故、薬に手を伸ばさなかったんだろう。それは、その日職場で彼が遭遇したあれやこれやの場面ゆえなのではないだろうか。あの時彼は、自分が堪えることによってやり過ごしたことによって失ってしまった何かを痛感せずにはいられなかったに違いない。そしてそれは、三上の生き様、これまでの生き様を、彼が自ら否定してしまったことに他ならない。三上はそのことに何より、耐え難かったんじゃなかろうか。
二重の死。私には、そう感じられた。
いや、映画の中で、それは何も語られていないし、むしろ、曖昧にされている。私が勝手にそう感じただけで、そんなことは映画の作り手は何も思っちゃいないかもしれない。でも。
私には、そう感じられたんだ。
最後に空にぽっかり浮かぶ「すばらしき世界」という文字。この言葉に込められたものは何だったのだろう、と、私はぼんやり、その文字の向こうに思った。

加害者の加害行為によって被害者が生まれる。
被害者を生んだ加害者。
加害者と被害者は決して対等にはならない。なれない。
どんな犯罪においても、そうなんだと思う。
そして誰もが、そんな「被害者」にも「加害者」にもなり得るのがこの世界。
また、一個の人間が、ある場面では「加害者」に、ある場面では「被害者」に、なり得てしまうこの社会。
だのに、「被害者/加害者」をどこまでも、「他人事」にしておきたい私たち。
どうして「自分事」にできないのか。見たくないからだ、自分の弱さも狡さも何も、直視したくないからだ。そうして目をそらし、見なかったふりをして、果てはなかったことにして私たちは今日も他人事の顔で生きてゆく。
でも本当にそれでいいんだろうか。だって。
いくら見ないふり、なかったこと、にしてみても、厳然とそこに在るのだ、私たちの弱さも狡さも何もかも。「加害者」であることも「被害者」であることも。あったことはなかったことにはならない。私たちは私たちの生き様に責任を負わなければならない。「自分事」として生きる。そのことをもういい加減、為さなければならないところにこの世界は来てる。
被害者も加害者も、あなたの中に在る。

帰宅し、はんぺんとひき肉を使って塩昆布味のつくねを作る。せっせ、せっせと練るはんぺんとひき肉。その中に、ついさっき見た三上の後ろ姿が見えるようで。そんな思いで作ったつくねを、私は噛みしめながら食べるのだ。


2021年04月07日(水) 
雪明かりという種類のマーガレットとブルーデイジー、そして何よりも、アメリカンブルーの苗を手に入れた。早速プランターに植え替える。植え替えながらいつのまにか鼻歌を歌っている自分に気づく。アメリカンブルーがようやっと手に入ったことが何より嬉しい。とにかく嬉しい。どうしてこの花がこんなに好きなんだろう。理由は分からないけれど。長く長く、植えっぱなしにしていた枯れてしまった苗を、そっと引き抜く。今までありがとうねと声をかける。もう捨てるしかないのだけれど、容易には捨て難くて、そっと脇に置く。そうしながらもせっせと植え替え。
ひととおり植え替えを終え、水をたっぷり遣り、ベランダで大きく伸びをする。午前7時。すっかり明るい空。今朝の明けは、ピンクがかった空だった。薄い霞の向こうに、太陽がぽかっと浮かぶ。穏やかな朝だった。

始業式はあっという間に終わり、息子が飛んで帰って来る。新任の先生が担任だという。彼はこれまでずっと担任は男の先生だ。今回もまた、男の先生。それにしても、新学期はどうしてこうもたくさん名前を書く作業があてがわれるんだろう。何でもかんでも「書け!書け!書け!」と迫って来る。しんどくなる。だんだん字も乱雑になってゆく。洗濯ばさみにも名前を書けというけれど、これ、あっという間にハゲるんじゃね?と意地悪いことを思ってみたりする。
ノートを買い出しに行って気づく。算数のノートが10ミリマスのものをということなのだけれど、と文具コーナーの店員さんに訊ねると、さっと差し出してくれる。それが、いわゆる大学ノートのような表紙で、あれれと思う。そうか、小学3年生にもなるとノートはだんだん大学ノートに変わってゆくのだな、と。しみじみ感じ入る。息子は日々成長し続けているのだなあ。

昨日整骨院で、担当の院長が、脳脊髄液の調整をした方がよさそうですね、とケアしてくれた。何だか触られてるだけみたいな、掌を当てられてるだけみたいな、不思議な施術で。「今日は、眠くなると思いますよー」と言われ帰宅する。本当に眠くなるのかしらん、と思っているそばからこっくりこっくりし始めてしまい、息子に「公文行く時間だよ!」とたたき起こされ慌てて出掛ける。そして夜は夜で、一度真夜中に眼が覚めたものの、そのまま眠りに戻ってしまい、朝まで。朝起きて、あれ?私一度も真夜中起き上がらなかったなあと吃驚する。そして思い出す。「肩も背中もがちがちですけど、頭皮もがっちがちですね」と笑われたことを。この施術をすると自律神経が整いやすくなるのでとも言っていた。「効果がなければもうやらなくていい施術です。もし効果があるなら、定期的にいれていきましょう」と。次回行ったら院長におかげさまで効果ありましたと伝えなくっちゃと心にメモをする。

夜、息子と家人とが寝静まり、私一人。さて。今日は昨日やり残したことをちゃっちゃと終わらせよう。そしてできるなら早めに横になろう。眠れなくても横になろう。とりあえず。自分の為にカフェオレでも作って、それを飲みながら作業をするか。

振り返ると窓の向こう、高層ビルの灯が煌々と闇の中光ってる。


2021年04月05日(月) 
なんだか、独りだな、としみじみ感じ入る夜。あまりにいろんなことがあり過ぎた。一日があっという間過ぎた。突風がびゅるっと私の頬を叩いていった、そんな感じの一日だった。

濃いめの珈琲を淹れる。iriのはじまりの日をひたすらリピートで流す。夜中だから小さな音で。部屋に湯気と音が拡がってゆく。
誰もが幸せになりたいと思ってる。幸せになりたくて必死に今日を生きてる。分かってる。だから誰が悪いわけでも何が悪いわけでも、ない。ただ、ボタンの掛け違えみたいに、歯車の歯が一個、食い違った、みたいな。
一個食い違えば、その後の流れは変わる。それまで予想もしていない方向に歯車は廻り始め、もう二度と出会うことは、ない。元の廻りに戻ることは、ない。

植物たちは季節になれば花を開かせる。それは見事に天を向いて、まっすぐに咲く。それの何が凄いって、延々とその営みを繋げてゆくこと、だ。
もちろん、少しずつ少しずつ、変化はあるんだろう。思わぬ花粉を受粉して、思わぬ色の花弁が開く日が来るかもしれない。それでも、決して営みを止めずに、廻り続ける。この動力は一体何処から湧いて出てくるんだろう。

私は。
たった一個のことで今、躓いている。どうしたらいいのか分からなくなっている。頭が混乱している。そして、疲れ果ててもいる。
事態をどう呑み込めばいいのか、どう受け容れればいいのか、皆目分からないで、いる。
でも。
どうすべきか、ではなく、どうしたいのか、を、私は見つめたい。

もう、どうすべきか、どうすべきでないか、といった、強いられた形を自分に投げかけたくない。もうそういう時代は過ぎた。私はここで一体、何をどう選びたいのか。それを自問してあげたい。もう自分を、何々すべき、という形で縛り上げたくは、ない。それだけは、分かっている。

そういえば今日、ポストに「ナウシカ考 風の谷の黙示録」(赤坂憲雄 著)が届いた。明日から読むつもり。今読んでおかなくちゃいけない気がする。

窓の外、昼間雨が降ったせいか漆黒の闇だ。大気に一点の曇りもない。際限のない闇。夜というのは境界線を曖昧にする、と言ったのは誰だったか。溶け出して互いに溶け合ってしまいがちなんだ、と。だから夜の方が親密になれるんだ、と。
ちょっと、切ない。だいぶ、切ない。


2021年04月04日(日) 
どんよりと雲が空を覆う朝。せっせと洗濯機を廻す。息子は朝から録画したクレヨンしんちゃんを観てくすくす笑っている。笑うのは全く構わないのだが、ちゃんとご飯食べてよと私は彼に何度も声を掛ける。
桜があっという間に葉桜に変わってゆく。まだ僅かに残る花の間々から萌黄色の生まれたての柔らかそうな葉の姿。季節はどんどん過ぎ往くのだなあと改めて思う。時はいつだって容赦なく刻まれ続けている。

久しぶりに身体を動かしたら、あちこち軋んでしまっていることを思い知らされる。骨盤周りがぎしぎしだ。もしこれが自転車か何かなら、間違いなくぎしぎしと音を立てていたに違いない。骨折している間中何もできなかったことを思えばそれは当たり前なのかもしれないが、ちょっと凹む。開脚してぺたんと前屈できていたのが、微妙にできないのが悔しい。これからせっせと励むとするか、なんて自分で自分を鼓舞する。
身体は本当に正直だ。心はあれこれごまかそうとするけれど、身体は容赦なく、いや違うと声を上げて来る。ただ、それに気づこうとするかしないか、なんだろうな、と思う。十年前の私だったら、それに気づくなんてまったくしようとしなかった。そんな声聴いてられるか!と無茶苦茶をしてた。でもそれを為すと、絶対ツケが回って来る。それを思い知らされた。歳を取るってことはそういうことなんだと思う。
でも、歳を重ねて私は生きやすくなった。本当に楽になった。十代二十代三十代って、どうしても女の「性」の部分が強調されてしまう。匂い立ってしまう。そのせいで傷つくことがどれほど多かったか。歳を重ねて、そういった匂いが薄れ始めて、気づく。荷物がひょいっとどこかにいって、その荷物の分だけ身体が軽くなる、って。
だから私は、歳を重ねるのが今は丁度良い具合なんだと思う。

黄砂が飛んでいるらしく、朝がこのところいつも煙っている。すっきりした夜明けの姿に出会えていない。今朝もそうだ。曇天ということもあるけれど、モノの輪郭が微妙に霞んでいる。
そんな中でも、ベランダの植物たちはせっせと花開く。菫もイフェイオンもクリサンセマムもみんな元気にぴんっと天を向いて、ここだよここだよと言わんばかりに咲いている。ここにブルーデージーも仲間入りしたら、きっと色合いが綺麗だろうなと思いつく。来年はブルーデージーも育てよう。心にメモする。
二十年前くらいに日々書いていたテキストを読み返すと、この頃は必死に前を向こう天を向こうとしていたのだなと、そんな昔の自分の姿がありありと浮かび上がってきてちょっと切なくなる。そんな必死にならなくても、と声をかけたくなる。もっと、のんびりでいいんだよ、と言ってあげたいくらいに。
夕方から雨になるという。さあ、今日を精一杯生きよう。


浅岡忍 HOMEMAIL

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