ささやかな日々

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2021年02月28日(日) 
何となく気持ちが立って眠れない。眠るつもりで横になったのに、一時間もしないうちに起き上がってきてしまった。何となしに心がざわざわして、脳味噌がみんなごっそり起きていて、とても寝直せる気がしなくて。結局そのまま起きている。

昨夜は息子と家人とみんなで、ボードゲームをした。カタンというゲーム。息子はいつものようにひたすら発展カードを引き続け、結果彼が勝った。勝った時の彼の狂喜のダンスといったら。笑ってしまうくらい面白かった。両手上げて腰振って。今思い出してもくすっと笑ってしまう。

それにしても、階段落ちして以来、この、ぼやーんぐわーんと頭の中が廻る症状が断続的に続いている。血圧が安定しないのか、もしくは何か悪いところがあるのか、まったくもって私には分からないのだけれど、正直言うとちょっと気にしている。頭をあんなに見事に打ったらこうなってもおかしくはないのかもしれないが、頭を強打することなんて何せ初めてのこと。何もかも分からないことだらけ。少々不安。

親友と話をしていて、いろんなことが走馬灯のように脳裏を過った昨日。彼女とどんなことを話したかなんてほとんど忘れているのに、お互い泣きながらも電話を繋ぎ、頑張ろう、生き延びよう、と毎日のように言い合ったことだけははっきり覚えていたり。彼女の友達が自殺してしまった時彼女がどれほど憔悴しやせ細ったかその時の映像や彼女の声音が思い出されたり。彼女のお母様が亡くなられるまで彼女がひたすら介護していた、その頃の彼女の疲れ果てた声だったり。いつも涙するより笑い合って笑い飛ばして、ここまで生き延びてきたことだったり。要所要所でふたりで「生き延びよう」と約束を交わし、それを決して破らずここまできたことだったり。
とにもかくにも、今こうしてここにいることが奇跡だ、と、そう思うのだ。共に珈琲を飲みかわし、のんびり午後を過ごすことができるなんて。本当に、奇跡、だ。

これからもきっと、私たちの人生に、当たり前のことなんてひとつもなくて。凸凹だらけの日々になるのだろうけれども。
でもそれが、生きるということそのものだ、と、私たちは思うんだろう。生きてるってそういうことだ、と。

生きよう。


2021年02月27日(土) 
朝、窓の外を見ると、ベランダに干しっぱなしにしていたタオルがびゅるびゅるると大仰に揺れているのが見え、それほどに風が強いのだと知る。どんよりぼんやり霞んだ空の色合いなのに。こんなにも風は強いのか、と少し不思議に思う。こんな風なら埃も塵も飛んで行ってしまいそうなものなのに。
ベランダに仲間入りした勿忘草の小さな水色の花弁さえ揺れている。隣のクリサンセマムはくわんくわんと葉も花弁も揺らしている。ようやく咲いた菫は、黄色い薄い花弁がこれまた揺れている。空の雲があっという間に流れてゆく。

ほぼ一か月ぶりに親友宅に遊びにゆく。息子は親友宅のゲームがしたくてくっついてくる。強風吹き荒ぶ中、自転車で駅まで走り、電車を乗り継ぎ、途中で美味しそうなパンを買い込んで親友宅へ。
息子がゲームに興じている間、親友とふたりであれやこれや互いの近況を分かち合う。二十年以上彼女と共にいるけれども、本当にふたりとも、人生が山あり谷ありで笑ってしまう。笑うしか、ない。
彼女と出会った二十数年前、毎日のように国際電話を繋いで互いに泣きながら励まし合っていた。それからもお互いこれでもかってほどいろんなことがあって、そうしてそれでも生き延びてきた。
よくもまぁここまで生きてるもんだ、と、いつもふたりで笑い合うけれど、本当に笑い飛ばす以外にお似合いの術が思いつかない。

そういえば昨夜は家人が「久々にのんびりふたりでおやつでも食べようか」と言うので、コンビニまで出掛けておやつを買い込んで、家人は酒を、私は生姜茶とはとむぎ茶のブレンドをホットで、酌み交わした。
家人が報告しておきたいことがあるんだと言うので耳を傾ける。彼の言い分があまりにストレートすぎてちょっと笑ってしまう。そうして二時間ほど、夜をのんびり過ごした。何だかもうずっと前のことのように思えるけれど、確かに昨夜の出来事。

今日は満月。スノームーンと呼ばれる満月だそうだ。知らなかった。確かにベランダから月を見上げると、白く透き通って見える。
美しい、月。


2021年02月19日(金) 
通院日。自転車に乗って駅まで。段差を越える時自転車が振動して腕に痛みが走るから、その時は微妙に手を緩めて、振動の伝わりが半減するように気を付ける。紅葉坂を下る時も努めてゆっくりで。
電車の中、座席が空いたので座り、半藤一利著「語り継ぐこの国のかたち」を読む。読むほどに面白くなってきて、もっと日本史の勉強をしておくんだったと後悔してしまう。日本史の、怨みつらみの絡み合った様が苦手だった学生時代。それでももっと、勉強しておくんだった。まぁ今そう思うのだから、今からやればいい、とにかく読む。
そうしているうちに病院の最寄り駅に到着。今日は久しぶりに、ちゃんと駅で降りることができた。ここ何回か、いつも一駅二駅越えてしまっていたから。
カウンセリングでは、体調をまず訊ねられる。ぽつぽつ応えた後、本題へ。1月29日怪我をする前のカウンセリングでの私の様子のおかしさに触れ、記念日反応のあれこれに触れ。私の抑圧された記憶にちょこっと触れ。
本当はあなたにはたくさんの意志や気持ちがあるのよ。それをいつもいつも否定されるか抑圧されるかしてきたことを今も引きずってしまっている。でもそれは過去で、今は今なのよ。カウンセラーの言うことは尤もで、私も頷かずにはおれない。なのに、実際はどうだ。今もずるずるべったん引きずり倒れ伏す私がいるばかりじゃないか。
抑圧された、否定された記憶たちを思い出したくないから私の脳が拒絶する。全力で拒絶する。その結果、危険を察知すると即座に、相手の言葉が異国語のように聞こえてきてしまうという具合になる。異国語、いや、宇宙人語とでもいおうか、私にとってはただの音声、言語ではない音声として捉えられるようになってしまう。
その直前何が起こっているのか。私の裡で。
私の内奥を辿りながら、私はどんどん疲弊していくのを感じた。そこに向かうにはまだ気力が精神力が足りてない。そんな感じで。
しかも今カウンセリングは二週に一度。このペースだとどうしても私の中に空白ができてしまう。カウンセラーと向き合い、そのことで頭を抱える。さて。どうしようか、と。
また、私がそのことで雁字搦めになるとまた解離を起こして階段落ち、なんてことになりかねないから、それは一番避けたいことだよねー、ということで、とりあえず「棚上げ」することに。
「棚上げ」。難しいのだ、これが。一度気になってしまったことを「棚上げ」にして「保留」にしておくということの難しさ。でも、これ以上家族に迷惑をかけることもできない。怪我が増えたら家中とんでもないことになる。
主治医とも相談し、とにかく今は、身体を治すことを最優先に、ゆるゆると過ごそう、と話す。
受刑者さんからお手紙が届いている。読みながらちょびっと涙が込み上げた。私は何をしてるんだろうなあ、と、空を見上げた。夕暮れた空に棚引く雲が、滲んで見えた。


2021年02月16日(火) 
洗濯物を取り込もうとベランダに出て気づいた。三色スミレの蕾がひとつ。嬉しくて思わず声を上げる。「蕾だよ蕾!」。部屋の中から息子があまり気のなさそうな返事を返してくる。「よかったねー、ラッキーだねー」。だから私は畳みかけるように応える。「これからきっと次々蕾が出てくるよ、そういう季節なんだねえ」。
西日がまっすぐ強い風も越えて伸びてくる、そんな時間。

何だかすっきりしない。胸のあたりがもやもやしている。言葉になりきらない何かがどんより、溜まっている。たとえば同じ部屋にいる家人がかける音楽が私の琴線とは合わなかったり、せっかく作ったご飯にヤジを入れられ黙りこくったり。そんな、どうってことのない場面場面で、しこりのように溜まってゆく何かの気配。
こういうときはフォーカシングするに限る、と思うのだが、これまた家人が同じ空間にいて集中できない。悶々としながら時間だけが過ぎてゆく。夜。

怪我をして負った不自由さが、少しずつ少しずつ薄れ始める。だから調子に乗って片手でひょいっと鍋を持ちかけて「痛い!」と思わず悲鳴。怪我前だったら当たり前に片手で持ち上げていた鍋がとてもじゃないが持ち上がらず、両手で何とか、という具合。ああまだこれっぽっちかあ、なんて、しょんぼりしたり。
自転車を漕いでいて今迄意識することなんてなかった段差、段差を越えるたびハンドルを握る両手首に振動が走り同時に鋭い痛みが生じたり。

ああ要するに、私は、今のこの自分の身体を持て余しているのだな、と。思い至る。じりじりと、悶々と、するばかりで、ちっとも思う通りに動いてくれないこの身体を。
そもそも毎日朝昼晩と山盛りの薬を飲み、その合間合間に鎮痛剤を飲み、そうして何とかやりくりしていたはずの身体。やりくりできていたはずの身体。それが、たかが怪我でここまでぼろぼろの有様か、と。ほとほと嫌になって来るのだ。
なーんてことを書いていたら、「どれだけおまえは恵まれた奴なんだ」という声が私の奥底からしてきた。自分の身体ひとつ受け容れることもできないで、何を偉そうにぶいぶい言っているんだか。

そして唐突にぱっと思いつくこと。旅に出たい。一人旅に。そうでもしなけりゃまともに深呼吸さえ叶わなさそうな今の自分。情けなや。


2021年02月14日(日) 
春のように穏やかな一日。クリサンセマムがこぞって咲いて、強い風にざわわと揺れる。小さな細い花弁は、いっぱいに開いて陽光に向かっている。その花弁を風が容赦なく嬲る。それでも決してめげない花。一心に陽光に向かって。その姿に私は心が震える。

バレンタインデーということで、息子とオットにチョコレートの入った紙袋を渡す。息子は大喜びで早速封を開けぱくつく。「美味しいねえ!これ!美味しい!」満面笑みの表情を見ているとこちらが幸せになってくる。ありがたいことだ。
たとえば当たり前に散歩に出掛けること。
たとえば当たり前に買い物に出かけること。
たとえば当たり前に箸を持つこと。
たとえば当たり前にご飯を食べること。
そうした「当たり前」がちっともできなかったこの数週間だった。右腕を酷く傷めたせいで箸を使うのも難儀し、激しい頭痛と嘔吐に四六時中見舞われていたからむしろ黄緑色の胃液を目にすることに慣れてしまった。まっすぐ歩けなくてふらふら廊下を歩くのが精一杯だったりして、だから「ちょっと買い物に」なんて芸当も特別なものになってしまった。
そう考えてくると、健康ってありがたいなあとつくづく思う。当たり前にご飯を食べて当たり前に歩いて当たり前に座って。そういう「当たり前」は、実はちっとも「当たり前」なんかじゃないんだな、と。改めて痛感する。

風が午後になってもびゅるびゅると吹いているそんな中、自転車をゆっくり漕いで近くの店まで出掛けてみる。不自由な右腕でも自転車は乗れる。電動自転車サマサマである。
トイレに入ってズボンを上げ下げすることにも難儀していた頃は過ぎて、何とかズボンを上げることもできるようになったから、試しにセール品のGパンを試着してみる。買わなくてもいい買い物なのだろうけど、履けたのが嬉しくて購入することに決める。怪我回復記念とでもいおうか。

とにもかくにも。
日常はやっぱり「日常」で。当たり前はやっぱり「当たり前」なんだな、と。
かぎかっこ付き、その程度が、私には一番しっくりくるな、と、納得する今日この頃。


2021年02月12日(金) 
恩師から電話が入る。首下がり症候群なるものにすっかりとりつかれて首と背中が曲がってしまったよ、と恩師。おかげでテレビも見れないし、手も痺れているから手紙が書けない。補聴器も壊れたままでコロナのお陰で修理にもいけないからひとの話が聞こえなくて分からない。困ったもんだ、と。
手紙と一緒に届けた写真集の中に恩師の手紙を写した一枚があって。その写真について恩師が繰り返し、ありがたいねえと言う。ありがたいのはこっちだと心の中思う。恩師との文通が長い間私の支えだった。

家人の勧めで鍼灸院へ。今日で二度目。一度目は首と頭と背中とががちがちに固まっていて、そこに鍼を打った。今日はだいぶそちらが解れていたので、要所要所に鍼を打って、あとは右腕と左腹に。こちらもがちがちに傷んでおり、処置の最中にお灸もしてもらった。右腕は熱ささえ感じられない程傷んでいたらしく、置き鍼もしてもらう。

少しずつ「日常」生活ができるようになってきた。嘔吐が止まって、激しい頭痛もとれて。でも今日は朝からふわふわふらふら身体が浮くので、家人にぼやくと「今日は新月だからねえ。ひっぱられてるんじゃないの」とあっさり言われる。なるほど、そうなのかしらんと思ってはっとする。階段落ちをしたのはそういえば満月の日だった。あれも満月に引っ張られての出来事だったんじゃなかろうか、と、今更ながら呻く。

加害者さんたちとのやりとりをプリントアウトし赤線を引きながら読む午後。読めない箇所にはチェックを入れておく。打ち合わせの際にS先生に確認しないと。多くの加害者さんが今回、幼少期「男らしさ」に苦しんでいた体験について触れていた。ここまでとは想像していなかったから愕然とする。「男らしさ」「女らしさ」って一体何者なんだろう。この得体のしれない何者かが、私たちをがんじがらめにして苦しめているのは間違いない。この何者かの正体をいずれ、がっつり露わにしてやりたい。

忘年会の折友人がくれた黄色い薔薇の花の枝を挿しておいたものが、芽吹いてきた。嬉しい。でもこれで油断したらだめなんだ。薔薇は、芽吹いても根はまだまだだったりする。つまり根っこは育っていないからいつ枯れてもおかしくないのだ。用心深く育ててやらなければならない。

明日は土曜日。息子が一緒にクッキーかケーキを作りたいと言ってきた。さて。何を作ろうか。


2021年02月10日(水) 
嘔吐と激しい頭痛とがようやっと去って、今ある程度身体の具合が落ち着いてきた。落ち着いてきたおかげで、くっきりと浮かび上がってくる今の痛み。
右腕と左腹と頚椎。この三か所。
全ての痛みを一度に味わうと人間きっとパンクしちゃうのよ、だから一つ来ては去ってまた来て去って、っていう具合になるんだよ、と友人がそんなことを言っていたが、本当にそうだと思う。全身の激痛が去った後、くっきり明るみに出る深部の痛み。

だからといっておとなしくじーっとしていられるような人間であるわけもなく。私はあれこれ思いついては動き出す始末。貧乏性が板についてんだなあと我ながら苦笑いするしかないのだが、本当に、じーっとしていることが苦痛で苦痛でならない。

今思い出した。今朝の朝焼けは実に美しかった。日の出前の空には水彩絵の具に水をたっぷり含ませ、平筆でさっと描いたかのような薄雲が東から南に流れており。それが徐々に徐々に広がって、日の出の時には南東全体の空に薄雲が。でもそれを越えて眩い陽光がふわあっと。
空と雲と陽光の描き出す世界のあの美しさったら。
世界は美しい、世界はもっと美しい。旧友がかつてそう言っていた。本当にそうだなと思う。

昼から久しぶりに料理をば。鍋に玉葱薄切りを5つ分、カリフラワー一株、しめじ一株を入れ、とろ火でことこと。水は入れない。だってとろ火なら野菜から十分に汁が出てくるから。だからゆっくりゆっくりことこと、ことこと。
ついで人参、鶏肉、それから少し時間をおいてジャガイモ、全部やわらかくなったらホワイトシチューに仕上げる。ほら、やっぱり水を足さなくても十分。仕上げに牛乳を足して最後もう一度煮込む。それでできあがり。
水菜の白和えサラダと添えて夕飯。なんだか一仕事終えた気がするくらいふわーっと疲れた。久しぶりに料理をするとこんな具合なんだろうか。

髪を洗い顔を洗い、横になる前にもう一度濃いめのお茶を飲んで。さて。夜も更けゆく。


2021年02月08日(月) 
怪我をしてからの一週間は怒涛の一週間だった。頭の中のぐわんぐわん廻るのが治ったと思いきや、嘔吐と激しい頭痛に襲われ。結局また救急へ。
ちょっと良くなったと思って油断したのがいけなかったのか何なのか、呪われたような具合の悪さだった。あんなのはこりごり、だ。
でもおかげですっかり余分な脂肪が落ちた。これは喜ぶべきなのか何なのか。体重計に乗ってうーむと腕を組んで考える夜。

右腕の痛みが一番酷く、確かに見た目も酷い痣が浮かび上がってきていて、これはここを一番強く打ち付けたのかなあと思うのだが、それよりも額の裂傷が何とも、これはもう前髪を作っておかないと絶対だめ、ってやつなんだな、と納得する。仕方ない。

痛みにのたうち回っている間、考えていたのは、人はいつ死ぬか分からんなあということだ。つくづく思った。もうちょっと打ち所が悪ければ私は間違いなく死ぬか何かしていたに違いなく。もっと激しく苦しんでいたに違いないわけで。

人間いつ死ぬか分からん、ということは前々から思って覚悟しているつもりだったけれど。覚悟が足りんな、と反省。
もう、心底、「いつ死んでも後悔はない」という立ち位置で生きられたら。これほど納得のいくことは、ない。


2021年02月01日(月) 
1月29日昼頃、予約した本を受け取りに街へ出た。そこで解離を起こし、気づいたら階段落ちしていたという。
唯一覚えている画像は床に臥せって、ああ血が飛び散ってる、と思ったその映像のみ。そのまま誰かが救急車を呼んでくれて救急車で運ばれて。ほぼほぼ覚えていない。意識が戻った頃には家族が迎えに来てくれていた。車椅子でそこまで行った、そのことを覚えている。
解離していたからか、無防備な体制で落下したようで、上半身めちゃくちゃに打撲しており。両腕は骨にヒビが入ったらしく、ついでに鼻もヒビが入ったようで。片目はまるでボクシングの試合を終えた選手みたいにでっかく痣になってるし。我ながらすごいなと思う様相。
よくここまで怪我できるもんだ、と感心した。いや、感心している場合ではないのだが。
姿勢を変えるたび、頭の中がぐわんぐわんと揺れて吐き気を催す。当たり前にできていたことがひとつひとつできない。そんな状態のここ数日。
怪我って怖いって、改めて思った。

主治医が連絡をくれて、そこで少し話したのだけれど。解離はふつう、本人を傷つけないのだという。本人を危険に晒すことは極力避けるのがふつうなのだという。でも今回のように階段落ちしたりする、というのは、希死念慮や自傷衝動の現れかもしれない、ということで、次回の診察の時によくよく調べないといけないね、という話になる。
私はそういったことに無知に近いから、言われるまま、はい、と応える。
解離って、なかなかおりこうさんにできてるんだな、なんて、改めて関心したりして。

両腕にヒビが入っているから、これらを入力するのも結構至難の業だったりする。でも、今残しておかないとすぐ私は忘れてしまうから。

とりあえず。忘備録程度のメモとして。あ、ちなみに、前歯も欠けた。やられた。


浅岡忍 HOMEMAIL

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