ささやかな日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2020年11月29日(日) 
今朝、南東の空は実に表情が豊かで。雲がくねくねと畝っており。その色合いも実に様々なグラデーションで。しばし見惚れてしまった。そして思う。空に「同じもの」はない。いつだって唯一無二の空がそこに在る。でもそれは、ひとも同じなんだな、と。ふと気づく。ひとも、昨日と今日、今日と明日、同じに思えるけれど決して同じではない。いつだって唯一無二の表情でそこに在る。だからこそ、今ここ、を生きることが大切なのだな。

家人と息子が海釣りへ出かけて行った土曜。そして大量の鯵とカサゴを釣って持って帰ってきた。実はこの歳まで魚をまともに捌いたことがない私は呆然。この大量の魚を一体どうしろと?と、狼狽えてしまった。
台所に立つことがない家人が無責任なことを言う。「大丈夫だよ、数日保つっていうし。料理してくれればいいんだから」。いやいや、その料理をするには捌かなきゃならんのだよ。どうにも食い違う私と家人の会話。
そして意を決して料理を始める午後。懸命に三枚におろして、刺身に。小さめのものは竜田揚げに。お味噌汁とサラダを添えて夕飯に。息子が骨まで食べられるかどうかが心配で、何度か二人に訊ねる。「大丈夫大丈夫!」との返事。どこまで本当に大丈夫なんだか、と心配してもどうしようもないので、そのまま私も食すことに。
食べ終えたところで家人がぼそっと。「こんな大変だって知らなかったんだよ、ごめん」。心の中で、「料理を一切しない君にわかるわけないよね」と私もぼそっと呟く。まぁなんだ、無事何とか終えたから、それでもう良しとしよう。うん。

記念日反応がもう始まっていて、何をするにも躊躇してしまう。恐怖のボディスーツを着込んでしまったかのような錯覚を覚える。何もかもが怖い。何をするにも恐怖が先に立つ。
それでも。時は待ってはくれない。そんな私に関係なく、容赦なく進み続ける。だから私もせめてこれ以上乗り遅れないよう、必死に今日を生きる。


2020年11月25日(水) 
霧雨の朝。息子とトマトを収穫する。大事そうに息子が水で洗い、家人と私と息子とみんな一個ずつのトマトを食す。「甘いね」「肉厚だね」「美味しいね」。みんなそれぞれの言葉でトマトを評する。
クリサンセマム。季節外れに次々蕾を付けだした。すべてこぼれ種で育った子らだ。ベビーロマンティカのプランターはもはやクリサンセマムに占拠されてしまった。ベビーロマンティカは悲鳴を上げてるんじゃなかろうかと思うくらいに追いやられ、クリサンセマムがもりもり育っている。アメリカンブルーは枯れてしまった子もいるけれど、大部分は復活してくれた。葉が生き生きとしてきている。挿し木した子は何故か早々に花をつけ、今四つの花を咲かせてしまっている。ちょっと心配。ユリイカは一通り花を咲かせ終わったのか、今静かになっている。ホワイトクリスマスが代わりに次々新芽を噴き出させており、でも、ここ一週間続く強風に煽られ、葉が傷だらけだ。可哀想に。コガネムシの幼虫から救出したラベンダー、こちらもだいぶ息を吹き返してきた。このまま春を迎えられるといいのだけれど。

息子と孫にマスクを作った流れで、父母にも作って郵送する。数日後父から電話が入る。ぶっきらぼうな声で、でも「あれはお前が作ったのか?」「ちゃんとできてるじゃないか」なんて電話の向こうで言っている。ちゃんとできてるじゃないか、って、ちゃんとできるように作ったんだよと心の中笑ってしまった。もっとちゃんと褒められないのかしらんと思うのだが、父の性分、ひとを褒めるのが本当に下手で。「明日からこのマスクを使うから」と言って電話は切れた。母は母でLINEで「私用のマスクよりお父さんのマスクの方がいいから私そっち使うわ」と。本当にもう、この人たちは、まっすぐ褒めたり喜んだりするのがどうしてこうできない人たちなんだろうなあと苦笑する。

家人の展示が終わった。展示は終わったが、これからが写真集作りの本番だったりする。受注生産の手作り写真集、注文がすでに二十数部入っているから、早々に作り始めなければならない。おかげで部屋はとっちらかったまま。このまま年末を迎えるのかしらんと思い、ふと気づく。そういえば数年前の展示の後もこんな具合だったな、と。ということは、当分家人のぴりぴりモードは続くということか。そう考えるとちょっと憂鬱。

記憶がうまく続かないからか、私自身ちょっと苛ついている。解離が酷いせいだと分かってはいても、苛々する。苛ついたってどうしようもないことが分かっているのにそれでも苛々チリチリする。苛々チリチリする自分にまたさらに、苛つく。

ワンコの散歩に出掛けてしばらくすると、ふわあっと陽光が降り注がれ、辺りがふわりやわらかく輝いた。近くの学童の、子どもらの声がそこに響いて、まるでどこかのおとぎ話の中にいるかのようだった。
日常を日常として、丁寧に紡ぐこと。私は次々忘れていって失っていってしまうから、だからせめて「今ここ」をちゃんと生きること。自分にそう、言い聞かす。

ああ、もうそろそろ日が堕ちる頃だ。


2020年11月20日(金) 
朝起きて窓の外を見やれば、劇的な朝焼け。細く棚引く雲の間から橙色に輝く光が四方八方に拡がり、それは刻一刻変化し。私はベランダに出てしばらくじっと見つめていた。ああなんて美しいのだろう。そう、世界は美しい。もっともっと、美しい。

下半身の痛みが酷く、鎮痛剤を飲む。何とか薬を飲まないでやり過ごせないかと数時間戦ってみたけれど、無駄な抵抗だった。このところ、夜になると特にこの痛みが酷い。痛みは本当にしんどい。それだけで気力を奪ってゆく。困ったもんだ。

通院日。カウンセリング室がこれまでの部屋と変わり、それだけで何だか妙にだだっぴろくなった気がする。それだけでお尻がもぞもぞする。
今のカウンセラーは、私の思考のクセをよく指摘してくれる。お陰でそのたび、きょとんとする。そしてしばらく考えて、ああ、そうかもしれない、と納得する。その繰り返し。今日もそんな気づきが二つあった。
診察になって、主治医と向き合う。新しくなった薬についてあれこれ話す。私の睡眠時間が異常に短いこと、少しでも長くしたいこと、私が常に過覚醒状態にあること、そんな私には休息が不可欠であることなどなど。話しているうちに、昔のカウンセラーが描いてくれたイラストを思い出す。私の解離状態は仮死状態のオポッサムみたいだ、とそのカウンセラーは表したのだ。オポッサムって何ですか、と訊ねたら、携帯を取り出して動画を見せてくれた。動画を見て二人してけたけた笑ったのだった。そして、過覚醒の時の私は怒り狂ったハリネズミだ、とも。警報機が四六時中鳴り響いてる、つまり誤作動を起こしている状態だ、と。そのことを思い出し、主治医に伝えると、主治医がくすくす笑って、まさにそれよねぇ、と言った。今なら分かる。本当にそうなのだと。
帰り道、ぼんやりしていたら駅で降り損ねる。はっと我に返って慌てて次の駅で引き返す。そういえば朝も一駅乗り越してしまったんだった。何をやってるんだか、私は。

白か黒か、だけではなく。白と黒の間の何重何百重ものグレートーンを、いい加減覚えたい。そのグレートーンの間を漂えるようなひとになりたい。自転車を漕ぎながら、そんなことを思う。思ったのは今日が初めてじゃない。何年か前にもそう思ったのだ。でもまだまだ、追いついていっていないのが現実。もっと曖昧なところに佇めるようになれたらいいのに。そうなれるように。これからは。

夕飯前。息子は漫画を夢中になって読み、私は父母へ贈ろうと思っているマスクをちまちま縫う。あっという間に一時間が過ぎてしまって、息子と二人吃驚する。二人で笑い合って夕ご飯。ワンコも夕ご飯。
そんな、一日。


2020年11月18日(水) 
 十五年ほど前の日記を、一字一字タイプしている。読み直している。最初それは辛かった。心を無にしないとタイプできないほど、おどろおどろしい想念で塗れていた。たった一行書き写す、タイプするだけで、吐き気を催すほどの念だった。よくもまぁこんな代物を私は当時書いていたものだ、と、我ながら呆れる。
 何故今更当時の日記を?と知人に訊かれた。理由は簡単で、私が辿ってきた道を改めて知りたいと思ったことが一つ、もう一つは、回復に近道はないのだということをちゃんと形にして残しておきたかった。
 被害に遭ったひとはたいていこう言う。元に戻りたい、元に戻して、と。でも悲しいかな、時は決して巻き戻せない。元通りに戻すことなど決してできない。それでも生きていかなければならない。一体自分は何のために生きているのかと、何故こんな思いまでして生きていかなければならないのかと、何度自問しようとも、答えは出ず。ずるずる、ずるずると死に損なった身体を引きずり、それでも生きなければならない。一体何のため? なにゆえに?
 一体どのくらい、その自問を続けたろう。そうして私が辿り着いた今は、生きていることに意味はないのだ、と、そこだった。生まれて生きて死ぬ。ただそれだけのことに、何故か人間は意味を見出そうとする。でも。
 生きて在ることに、特別な意味は、ない。そこに辿り着いた時、愕然とし、でも同時に、解き放たれた感もあったのだ。ああそうだ、そうだよ、と。もう、意味がないとか価値がないなんてことに雁字搦めにならなくていいのだ、と。
 そこに辿り着くまでに一体どれほどの時を要したか。計り知れない長い長い道程だった。何度自分の首を括ろうと、掻き切ろうと思ったか知れない。それでも生きてきた、その末の私なりの答え。

 クリサンセマムは今日も花弁を開かせ、私の心にすっと入って来る。それだけで私は、もうちょっと頑張れそうな気がしてくる。命のエネルギーは、いつだって尊い。私が植物を育てるのはきっと、彼らのエネルギーを分けてもらうためなんだろうな、なんて思う。彼らの尊いエネルギーのお裾分けで、私は今日もまた、ちょっと頑張れる。

 漫画を読むことを始めた息子の集中力はすごい。これまで見せたことのない集中力。いつも途中からぐでぐで萎えるのに。私は換気扇の下で煙草を吸いながら、その姿をちらちら見やる。誰かの集中している背中を見るのは、いつだって気持ちがいい。

 生きて在ることに特別な意味などない。だからこそ、我武者羅に生きる姿は美しい。無心に、生きることに無心である姿は、いつだって、そう、美しい。


2020年11月17日(火) 
トマトが枝を撓らせている。その先にはいくつもの実がぎっしりぶらさがっており、その中の二個三個が橙色に色づき始めた。息子は「もう食べれる?いつ食べれる?!」と興奮気味。まだ赤くないでしょ、と繰り返し言い聞かす。
息子はいつも帰宅すると、玄関先でランドセルを放り出して、そのまま「いってきます!」と走り出してゆく。おかげでランドセルはもう傷だらけ。玄関の床も傷だらけ。でも、そんなふうに振る舞える彼が少し、私は羨ましかったりする。
私は子供の頃、身体が弱くて、年がら年中保健室にお世話になっている生徒だった。そんなだったから、帰宅しても誰かと遊ぶというのではなく、ひとりでリコーダーを吹いたりピアノを弾いたり、本を読んだりして過ごすことが多かった。転校も重なったせいがあったのかもしれないが、要するに、子どもらしい子どもではなかった。
同級生たちが一緒に野球をしたり、影踏み鬼に興じる様子を、出窓からぼんやり眺めていた。羨ましいという気持ちを押し殺し、私には似合わない光景なんだ、といつも自分に言い聞かせていた。そうでもしなければ、寂しさに押しつぶされそうな気がした。
私がそんな似合わない光景の一部になり得たのは、小学校4年生を過ぎた頃からだ。水泳を始めて、我武者羅に練習を重ね、大会に出場した。それと前後して何故か走るのが得意になりリレーの選手にも選ばれるようになった。それまで勉学でしか表彰されたことのなかった子が、いつのまにか文武両道になった。それまで私を小突いてからかっていた子たちが、いつのまにかにこにこ隣にいるようになった。
始まりがそんなだったから、私は自分に一切自信が持てなかった。みんな私の何を見ているんだろう、いったい私の何を知って今隣で笑っているんだろう。いつもそんなふうに、自分に対して疑心暗鬼だった。誰も本当の私を知ってはくれない。知らない。私はひとりぼっち。という感覚を、何処までも拭えずに歳を重ねた。
そんな私のもとに生まれた子供だのに、彼は本当に自由奔放だ。分からないことはしつこく分からないと訊ねてくるし、他人の都合や空気なんてこれっぽっちも読まない。とんでもないタイミングで疑問符をこちらに放り投げてきたりする。それに対して私や家人は時々猛烈にイライラさせられるのだけれども、でも、一方でそれは、彼の彼らしさの象徴であったりも、する。

新しい薬を処方されて、実はまだ飲めていない。飲んだら朝起きれないんじゃないか、使い物にならないんじゃないか、と、そんなことが怖くて飲むに飲めない。飲んだらもしかしたら、とても楽になるのかもしれない。睡眠も長くなって、私は元気になるのかもしれない。でももし、もしも逆だったら?
そう考えると、どうしても薬に手を伸ばせない。臆病な私。

家人の個展も残り一週間となった。毎日ギャラリーに詰めている家人は、さすがに疲労が拭えない様子。でも、個展を催せるだけ私たちはラッキーなんだよ、だから、もう少し踏ん張って、残り一週間、悔いのないよう過ごしてほしい。
ふと西の空を見やれば鴉の群れが。裏山に帰る前に必ず彼らは旋回する。何回も何回も空をぐるぐる回る。そうしていつの間にかいなくなるのだ。あと少しで日も堕ちる。


2020年11月14日(土) 
ヨガでは、自分がちょっとこの体位無理があるなと思ったら、その一歩前に戻りなさい、と教えられる。戻るという判断をすることも大切なことなのだ、と。
それまで、前に進むべき、としか思っていないふしがあった。前に進まなくちゃいけないのだ、と。でもこの、必要だと思ったら一歩前に戻る判断を自分でしなさい、という教えは、私に違う地平を見せてくれた。何でもかんでも前進すればいいわけじゃあないのだ、自分で、必要な時に、必要なことを判断することこそ大事なのだ、そこには一歩戻るという選択肢もあり得るのだ、と。
ちょうど前後して、一緒に加害者プログラムを進めている精神保健福祉士のS先生が、一歩進んで二歩さがる、という言葉を私にくれた。何でもかんでも前に進めばいいわけではなく、たとえ一歩進んで二歩さがるんでも、動き続けているという意味で必要なことなのだ、と。そのことを教えてくれた。
被害に遭い、PTSDと解離性障害を背負い込んでからというもの、元に戻ろう戻ろうとばかりしていた。被害からほぼ十年は、ひたすらそんな感じだった。
でも。
戻りたくても戻れないのだ、という現実を否応なく前にし、元に戻れないことを受け容れるしかなくなった。あの当時はただただ、絶望があった。
その絶望を経て、じゃあ今は?と言えば。
元に戻ることはできないということを受け容れてから、生きやすくなった。格段に生きやすくなった。ああこれはもう私には無理なのだ、と諦めることができるようになった。もちろんそこに悔しさや悲しさは付き纏うけれども。それも含めて、自分なのだと許容できるようになってきた。
そして、何よりも。元に戻れない、だから、ここから新しい自分になるのだ、という気持ちが新しく生まれてきた。この新しい気持ちに出会えたことはとても大きい。本当は、被害にさえ遭わなければ諦めなくてもよかったことがたくさんあった。今だってそういうことがある。でも。もはやそれを言っても何も始まらないということも解った。だったら今ここから私に何ができるのか。
新しい自分を作ってゆくこと、そうして生き続けてゆくことだけ、だ。その為に、一歩戻ることも、二歩戻ることも、もう厭わない。必要とあらば、退散することも厭わない。心の奥底で悔しさやるせなさがぎゅうぎゅう泣いても、必要ならば為す。私が納得して今ここを生きる為ならば。それに必要ならば。いくらだって。

遊びから帰ってきた息子に、トマトがほんのり色づいてきたよ、と話したら「僕もう知ってる!」と鼻高々に言われて、ちょっと笑ってしまった。クリサンセマムは今日もきれいに咲いていた。水を遣りながらラベンダーを撫でると、指先に少しだけラベンダーの香りが移ってきた。青々とした、瑞々しいいい香り。ふと西の空を見やれば、日が堕ちる直前の橙色の陽光がまっすぐ私の眼を射た。


2020年11月12日(木) 
今日はいろいろ連絡が来る日だ。恩師からも友人らからも、次々。元気そうな声もあれば枯れた声もあり。みんな一生懸命今を生きているからこその声なんだよなと思ったら、何だかどれもこれもが全部愛おしく感じられて、たまらない気持ちになった。

アメリカンブルーは一進一退。調子の良さそうな日もあれば今日はちょっとつらそうな様子で。だからたっぷり水をやる。クリサンセマムが一輪だけ咲いていて、こんな季節に咲く花ではないから何だか嬉しいのと申し訳ないのとが入り混じった気持ちになる。花弁をつんつんと指で突いて、頑張れヨと声をかける。朝顔は今朝もまた一輪咲いた。一体いつまで花が続くんだろうと不思議な気持ちにさせられる。トマトはもう実がびっしりなっているが、まったくもってすべて青いまま。赤くなる気配が感じられない。息子はもう待ちきれんという様子で、毎朝毎朝、まだ赤くならない、とほっぺたを膨らませている。

泊まりに来たCさんは、ひっきりなしに何か喋っていた。ご飯を食べる時は「こんなふうに食卓を大勢で囲むのってどのくらいぶりだろう?!」と目を輝かせていた。結婚願望がまったくない彼女は、いつかシェアハウスに住むのが希望だ、と。私は心の中ふと、もし彼女が被害者でなかったなら、今独り暮らししていなかったかもしれないし、結婚願望も昔のままあったのかもしれないなあと想像してみた。でもそんな想像が無駄なことは、私が一番わかってる。むしろ、今目の前にいる彼女に失礼だ。心の中、私は彼女にそっと詫びた。
映画の話、加害者との対話の話、アートセラピーの話、虐待の話、セカンドレイプの話。あれやこれや、次から次に思いつくまま会話した。話題は尽きなかった。あっという間に帰宅時間になっており。彼女は慌てて鞄を肩にかけ、また来ます!と言ってバスに乗っていった。私はくすくす笑いながら、そんな彼女を見送った。
見送りながら、最後に話をした、死刑についてのことを思い返す。私が死刑は望まない、と言うと、彼女がおいかぶさるように「私もなんです、死刑は反対です!」と言い、私が「死刑より終身刑ができてほしい」と言うと彼女も「そうなんですそうなんです、そう思うんですよ私も!」と言った。彼女は前向きに、罪は生きてこそ償うべきだ、その責任をちゃんと生きて負うべきだ、と繰り返し言っていたが。私はむしろ、後ろ向きの、こうなんというか、そんな楽に、簡単に死なせてたまるか、という気持ちがあってのことだった。そのことを、伝え忘れたな、と、そんなことを思った。

そう、私は自分の加害者にも死刑を望んではいない。むしろ、一生涯罪を背負って生きてくれ、と思っている。でもそれは、罪を罪と認識していれば可能であるだけの話で、罪を罪とも思っていない人間にとっては、背負うも何もそもそもないお話。残念ながら。そして私の加害者は恐らく、歪んだ認識しかもっていない。悲しいかな、それが現実。

カーテンを半分開けて外を見やれば、しんしんと闇がそこに在り。私は生姜茶を淹れ直す。温かいお茶が欲しくなる季節。


2020年11月08日(日) 
ユリイカがまた一輪綻び始めた。開いてしまう前に切り花にする。まだ若いこの樹にこれ以上の負担をかけたくなくて。先日孫娘と植え替えたラベンダーは様子は変わらず、じっと佇んでいる。ホワイトクリスマスは根詰まりしているのかもしれない、新しい葉がうどん粉病だ。近々プランターをひっくり返さなければいけないかもしれない。ベビーロマンティカも本当は土を替えてやりたいのだが、こちらのプランターには零れ種で育ったクリサンセマムがぎっしり育ってしまっていて、とても土替えは無理そう。ちょっと困った。ベビーロマンティカ、もう少し辛抱しておくれ。
アメリカンブルーは少しずつ少しずつ息を吹き返してきている気配。まだ気配だから確かではないけれど、でも。根元から新しく芽吹いた葉の姿がある。大丈夫、きっと大丈夫。私は自分にそう言い聞かす。
昨日は家人の展示を息子とふたりで観に行った。大がかりな展示で、私の展示とは全く異なる姿を見せている。同じ写真家でも、こんなにも違うんだなと改めて思う。写真集作りに勤しんでいた家人は、会場内をばたばた走り回る息子に気が気じゃなくてぴりぴりしている。これは早々に帰った方がいいなと私は判断し、息子を呼ぶ。
帰り道、鬼ごっこしたいという息子のリクエストに応える。でも息子は夢中になると周りがまったく見えなくなる性質で。だから通行人にすぐぶつかってしまう。もうこれ以上だめだよと息子に言い聞かせ、手を繋いで歩き始めたら、足元に雀の死骸。ふたりとも思わず立ち止まって凝視してしまう。「善逸の雀かな?」息子がいきなり言うので私は一瞬反応に困る。ちょっと考えて「そんなことないよ、きっと。でも可哀想だね、どうしちゃったんだろうね」応えにならないことを返す。「きっと猫に潰されたんだよ」息子が言う。え、猫に?私はこれまた反応に困るが、息子は確信に満ちていて、私はさらに困ってしまう。「うんそうだ、猫に潰されたんだ。きっと。間違いない」。本当は、猫じゃないよ、この潰れ方は、と言いかけた私だったが、彼の心を潰したくなくて、そうは言えなかった。だから代わりに「きっと今頃天国で歌うたってるよ、雀さん」なんて夢見がちなことを言ってみる。息子は空を見上げて「そうだといいなー!」と言う。
一時間以上電車に乗るのはやはり苦痛で。それが往復となるとしんどい以外の何物でもない。息子と二人、空いた席に並んで座ったものの、手持無沙汰で、あと何駅で着くかななんて言い合ってみる。流れ飛ぶ景色は曇り空を反映してどんより暗い。

そういえば、通院日の金曜、受付でちょっとした行き違いがあり。大したことじゃない筈なのに被害や被害後の体験のフラッシュバックに襲われ過呼吸に陥ってしまった。まるで自分が立っている足元が、地面という地面が、がらがらとすべて崩れて宙づりになったかのような錯覚にさえ陥る。おかげでカウンセリング中ずっと涙が止まらなかった。久しぶりにこんなに泣いた。すっかりぐしょぐしょに疲れた。何だかいろんなものがぐしゃぐしゃになった気がした。
「それでも人を信じることを止めないでいましょうね。でも。一度信頼を裏切った相手のことは切り捨てていきましょうね、これからは。切り捨てていっていいのよ、もう。」主治医がにっこり笑顔でそう言った。今もその言葉がぐわんと響いてる。「あなたの良い処に一味加えればいいのよ、大丈夫」。
その、一味加えるっていうのが難しいんだよ先生、と心の中で思ったけれど、でも、言わなかった。だって、先生の言うとおりなんだ。わかってる。

明日は撮影。頼まれてポートレイトを。ひとの縁というのはありがたいものだ。ひとがひとを呼ぶ。一枚でもいい、気に入ってもらえる写真が撮りたい。
頑張ろう。


2020年11月03日(火) 
霧のような雨が止んだ。それと共に娘と孫娘がやってきた。孫娘はずいぶん口が回るようになってきて、何やかやと喋りかけてくる。もうたどたどしい口調ではなくなって、私には聞き取れない言葉が多いけれど、彼女自身は確信をもって喋っているのが伝わってくる。
娘はずいぶんお疲れの様子で。昼食後すぐ布団に包まったかと思ったら寝息を立て始めていた。娘を起こさぬよう、孫娘をベランダに誘う。
さて。
以前から気になっていた、ラベンダーの鉢をひっくり返す。出てくるわ出てくるわ、コガネムシの幼虫。孫娘に、この虫が根っこを食べてお花を枯らしちゃうんだよ、と指さす。すると孫娘は至極真面目な顔で「うん分かった!」と返事をしてくる。私が土を掘り返すたび出てくる虫。それをつまんでぽいぽい放り出す。と、孫娘が「えいっ!」と言いながら踏みつけにする。あらまぁ、と一瞬呆然となったが、何だかその様子がとても誇らしげなので、そのまま彼女に任すことにした。私が虫を放る。孫娘が虫を潰す。延々その繰り返し。
ラベンダーの根はすっかりぼろぼろになっており。一本はもうこれはだめだろう。でもそのまま捨てるなんてできない。枝を切り、空いたスペースに挿すことにする。孫娘を手招きし、ここにこれを挿してくれる?と頼むと、これまた真剣な表情でゆっくり枝を挿してゆく。
一時間ほどそうやって土いじりを楽しんだ私たちは、洗面所で手を洗う。私が、爪洗いのブラシの使い方を教えてやると、早速嗜む孫娘。ふたりで互いに手を見せ合い、きれいになったねとにんまりする。
来週三歳になる孫娘の為に買っておいたケーキを、三時のおやつにみんなでいただく。紫いものモンブランを娘と孫娘が、南瓜のケーキを息子が、私はマロンタルトを選んで、ちまちま食べてゆく。気づけばもう、陽ざしはほんのり色づいてきている。
早めの夕飯を作り、みんなで囲む。その間に太陽はぽとりと地平線に沈み、瞬く間に辺りは暗くなる。

いってみれば、どうってことのない休日。でもその、どうってことのなさが、日常という贈り物。日常を失ってみればわかる。それがどれほど私たちを支えているものであるのかということ。


2020年11月02日(月) 
息子と玄関を出ると、日が照りながら小雨が斜めに降っており。「あ、狐の嫁入りだ」。私が言うと、息子が「なぁにそれ」と訊ねる。だから、青空が見えていながら小雨が降ることを狐の嫁入りって言うんだよと応える。不思議そうな顔で空を見上げる息子は、「変な天気!狐いないし!」と笑った。だから私も笑って応えた。
今日は一日そんな天気で。小雨降る中自転車を走らせ続けていた。

今朝見ると、アメリカンブルーの葉がほんのり開いており。「見て!アメリカンブルーの葉っぱが復活してるよ!」。ほんの少しだけれど、でも。私は葉をじっと見つめる。「ほんと?すごいー!」息子がベランダに出てきて言う。早速二人で今朝の水やりを為す。息子はトマトと朝顔と挿し木を集めたプランターを、私はラベンダーと竜胆と薔薇とアメリカンブルーとコンボルブルスを。ベビーロマンティカのプランターの中にノースポールが幾つも育っており。春に植えた子たちが種を飛ばしたのだろう。ベビーロマンティカがすっかりノースポールに埋もれている。でも、しばらく新芽を出さなかったベビーロマンティカもここにきて次々新たな葉を萌え出させている。よかった。
何が植わっているのかもう忘れた球根たちにももちろん水を遣る。この子たちは果たして花を咲かせるのだろうか。私は首を傾げる。でも、別に花が咲かなくても、緑がベランダにあるだけで気持ちが穏やかになるというもの。こうして葉を伸ばしてくれるだけでも嬉しい。

日曜にSさんが遊びに来た。何か用事があるわけではなく、ただ、時間を共に過ごす、それだけの為にやってくる。私達は珈琲をちびちび飲みながら、のんべんだらりんと好き勝手な、その時思いついたことを次々話題にする。だから話題はあっちに飛びこっちに飛び、せわしなく入れ替わる。でもそれで、十分私たちは楽しんでいる。
私たちは同じ時期に似通った被害に遭った。その為か、知り合ってからというもの、何だか他人じゃぁないような気がしている。どんなところで生きていても、会えばきっと分かり合えるような、そんな錯覚を覚えさえする。他人同士なのに。
上にいたはずの太陽はあっという間に傾き出し、私たちが座る部屋には西陽が差し込んでくるようになり。そんな橙色の陽光の中、私たちはまるで二十代かそこらの子供みたいに、お互いの暴露話で盛り上がり。そうしてあっという間に陽が落ちる。早めの夕飯を一緒に食べて、彼女はバスに乗る為支度を始める。その最中にも彼女は、息子とアニメの話で盛り上がる。ねぇねぇもう時間だよ、と私が急かす。慌てて玄関を飛び出してゆくS。
二十年ちょっと前。私達は共にどん底にいて。海を挟んでこちらとあちら、生きていたんだ。そうして金もないのに国際電話を四六時中繋いで、一緒に泣いたり笑ったりしてたんだ。彼女の後姿を見送りながら、私はそんなことを思い出す。
お互い、よくここまで生き延びたよね。


2020年11月01日(日) 
アメリカンブルーの葉は元に戻らないまま。それでも私は水を遣り続けている。一体どうなってしまうんだろう。大丈夫だろうか。心配になる。不安になる。でも信じて待ち続けている。その隣で、薔薇たちが次々蕾を開花させてゆく。薔薇の花弁はどうしてこうも美しいのだろう。一枚一枚がまるで生き物。いや、生き物なのだが、それでも。瑞々しく花弁を拡げてゆく蕾を指先でそっと撫でる。ありがとう、咲いてくれて。
ノースポールや三色スミレの芽は順調に育っている。でも中には、芽と芽の間で蔭になって小さく縮こまっている子もいたりして。だからそっと、頑張れヨと声をかける。

家人は搬入・設営二日目。家人が出掛けた後、家人に頼まれて動画を作り、送信する。そんな私の横で息子が、「遊んでよー、暇だよー!」と繰り返し喚いている。だから送信後、一緒にサツマイモを賽の目切りにする。
「サツマイモの灰汁抜きをちゃんとしないと美味しくないよ」
「灰汁?」
「ほらこういう感じの。お水につけるとよくわかるでしょう?」
「ふぅーん」
「手がぺたぺたしてこない?」
「する!」
「それ、灰汁のせいだよ」
おしゃべりしながらせっせと切る。芋ご飯を作る。お昼に食べようと約束をして、炊飯器のスイッチを入れる。
水泳教室を終えて出てきた息子を出迎えるプール前。出てきた息子が「カエル泳ぎ難しすぎ!」と顔を顰める。今日から新しいクラス、平泳ぎの足かきが加わった。「そうなの?難しい?」「うん、全然わかんない!」「へえー!母ちゃんはカエル泳ぎの選手だったんだよ」「え?!そうなの?!」「うん。だから、君が上手になったら競争しよう!」「えー…いいよっ」。息子がにまっと笑う。だから私もにまっと笑い返す。
昼食を終えて息子が遊びに行った後、私は息子と孫のマスクを作ろうとミシンを引っ張り出す。せっせと作っていて、最後、あと三か所縫うだけ、という段になって、ミシンが壊れた。いきなり壊れた。うんともすんとも言わない。泣けてきた。この間買ったばかりなのに。ショックでかすぎ。
そんな時ちょうど娘からLINEが入ったのでミシンのことを涙目で告げると「何それ、ウケる!」と返ってきた。ちくしょうめ、と苦笑しながら「手縫いでいい?」と入力、「もちろんだよー」と返ってきてほっとする。

2004年、2005年、今、2005年の10月まで日記を読んできた。正直、落ち込む。こんなひどい時期があったっけか、と。喉元過ぎれば熱さ忘れるとはこのことか、と自分に呆れる。でも。
堕ちるところまで堕ちたら、あとは這い上がるだけ。穴も掘るだけ掘ったら向こう側に出られるというもの。そこには太陽が燦々と輝いているかもしれないのだから、落ち込むだけ落ち込めばいいのだ、とことんまで。中途半端が一番よろしくない。
慰めにも何にもならんが、そんなことを改めて思う。堕ちる時も徹底して堕ちればよいのだ、私みたいなのは。そうすれば這い上がりも早いに違いない。

そう、明けない夜はないのだ。誰にも等しく、朝は来る。


浅岡忍 HOMEMAIL

My追加