2020年10月30日(金) |
「ひとを信じる時どうやって判断しているの?」 「は?」 「…そうねえ、たとえば、信じる判断基準とか?」 「…?」 「え?」 「先生、信じるのに判断基準てどういう意味ですか?」 「…」 「目の前の人を信じようと思ったら、丸ごと信じるものじゃないんですか?」 「…(苦笑)」 「…え?」 「やっぱりねえ、あなたはそうよねえ、そうなのよねえ」 「???」 「普通ね、人間って、誰かを信じるか信じないかを決めるのに、何かしらの判断基準を設けているものなのよ。信じる価値がそこにあるかどうか、とか、信じられるだけの要素があるのか、とか」 「それってつまり、予めふるいをかけてるってことじゃないですか」 「…(苦笑)」 「それって、失礼じゃないの?だって、あなたの話信じられないかもっていう前提で話を聞くわけでしょ?そんな聞き方されたら悲しくないんですか?」 「やっぱそうなるか」 「なりますよ。だって自分が被害受けた時、嘘つきって言われたこと思い出しますよ、私。あんな気持ち、相手に味合わせたくないです。絶対。だから、話を聞くときは丸ごと信じる。それだけ」 「あなた、自分を守るっていう機能がまったく働いてないのよねえ」 「???」 「あなたの言いたいことは分かる。分かった。でも、それじゃあ誰があなたを守ってあげるの?」 「???」 今日のカウンセリングは、カウンセラーと私の押し問答が延々続いた。ふたりとも最後にはげらげら笑ってしまった。
診察時、主治医に、こめかみのところあたりがちりちりちりちりして、変に神経が高ぶってるんですよねえと伝える。眠っているのか眠っていないのかよく分からないから、余計に体の痛みが最近強いことも。主治医は、穏やかな口調で、いいのよ、あなたの場合休むことに対して危険信号が強くいまだに出続けているから、だからぼんやりできるだけでももうそれだけで100点満点なのよ、椅子に座ってでもぼんやりできたら、おっけーよ、と、にっこり言われる。そうか、それだけでいいのかと思うと少し気持ちが楽になる気がする。私も単純にできている。
私の、自分自身を守る機能が著しく低いことは私なりに自覚している、つもり、だ。でも。でも。でも。
ぼんやり闇を見やる。窓を開けると急に冷たい風が私の頬を撫でてゆく。でもその冷たさが私には心地いい。ああ、冬が近い。そう思うとそれだけで嬉しくなる。ほっと、する。 |
|