ささやかな日々

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2020年10月30日(金) 
「ひとを信じる時どうやって判断しているの?」
「は?」
「…そうねえ、たとえば、信じる判断基準とか?」
「…?」
「え?」
「先生、信じるのに判断基準てどういう意味ですか?」
「…」
「目の前の人を信じようと思ったら、丸ごと信じるものじゃないんですか?」
「…(苦笑)」
「…え?」
「やっぱりねえ、あなたはそうよねえ、そうなのよねえ」
「???」
「普通ね、人間って、誰かを信じるか信じないかを決めるのに、何かしらの判断基準を設けているものなのよ。信じる価値がそこにあるかどうか、とか、信じられるだけの要素があるのか、とか」
「それってつまり、予めふるいをかけてるってことじゃないですか」
「…(苦笑)」
「それって、失礼じゃないの?だって、あなたの話信じられないかもっていう前提で話を聞くわけでしょ?そんな聞き方されたら悲しくないんですか?」
「やっぱそうなるか」
「なりますよ。だって自分が被害受けた時、嘘つきって言われたこと思い出しますよ、私。あんな気持ち、相手に味合わせたくないです。絶対。だから、話を聞くときは丸ごと信じる。それだけ」
「あなた、自分を守るっていう機能がまったく働いてないのよねえ」
「???」
「あなたの言いたいことは分かる。分かった。でも、それじゃあ誰があなたを守ってあげるの?」
「???」
今日のカウンセリングは、カウンセラーと私の押し問答が延々続いた。ふたりとも最後にはげらげら笑ってしまった。

診察時、主治医に、こめかみのところあたりがちりちりちりちりして、変に神経が高ぶってるんですよねえと伝える。眠っているのか眠っていないのかよく分からないから、余計に体の痛みが最近強いことも。主治医は、穏やかな口調で、いいのよ、あなたの場合休むことに対して危険信号が強くいまだに出続けているから、だからぼんやりできるだけでももうそれだけで100点満点なのよ、椅子に座ってでもぼんやりできたら、おっけーよ、と、にっこり言われる。そうか、それだけでいいのかと思うと少し気持ちが楽になる気がする。私も単純にできている。

私の、自分自身を守る機能が著しく低いことは私なりに自覚している、つもり、だ。でも。でも。でも。

ぼんやり闇を見やる。窓を開けると急に冷たい風が私の頬を撫でてゆく。でもその冷たさが私には心地いい。ああ、冬が近い。そう思うとそれだけで嬉しくなる。ほっと、する。


2020年10月28日(水) 
妙に不安に駆られる夜というのがあって。たとえば今夜がそう。多分昼間神経を使い過ぎたんだ。そのせいだ。と、自分に言い聞かせてみる。

妙に人恋しくなる夜というのがあって。たとえば今夜がそう。多分ヒトのアイダから離れすぎたんだ。そのせいだ。と、自分に言い聞かせてみる。

PTSDで委縮すると言われる脳。その脳のスキャン画像をぼんやり眺める。私の脳は今、どんな影を刻むんだろう? 歪に歪んでいるんじゃなかろうか。
PTSDを抱え込んで二十数年。薬を飲むようになって二十数年。二十数年前に比べれば今は全然マシだと思う。二十数年の間に私はずいぶんタフになったし諦めもよくなった。
それでも、こんなふうに胸がざわつき、不安に駆られ、ぜぇぜぇと浅い呼吸しかできなくなる夜も、ある。自分の腕を覆う傷痕をじっと見つめて、これ以上切ったらあかんのよと言い聞かせないといけないような夜も、ある。

夜が深いから、夜が冷たいから、夜が。
夜は境界線が曖昧になる時間なんだと昔漫画で読んだことがある。昼間、光に照らし出されてくっきりしていた人と人との境界線、人と世界との境界線が、夜は曖昧になるんだと。こちらからあちらへ、あちらからこちらへと、境界を越えて滲み出し、揺蕩う時間。宇宙と自分との境界ももちろん曖昧になって、何処までも自分が溶け出していきそうな錯覚を覚える時間。

とりあえずベランダに出て深く息を吸ってみる。
こんな夜は。
早く朝になってほしい。ただひたすら、そう願う。


2020年10月26日(月) 
朝焼けの美しさに息を呑む。でもそれはほんの一瞬の出来事で。瞬く間に空は装いを変えてゆく。私の眼が追いかけることも叶わないほどの速度で。そういう時、いくら写真を撮っても間に合わない。刻めない。だからむしろ、刻まない。私のこの眼でただ、じっと、見つめ続ける。変わり続ける姿をただ、見つめ続ける。

アメリカンブルーはまだ枯れてはいない。他の子たちには水をやらずともアメリカンブルーのプランターには朝晩水をやる。それでも葉はまだもとに戻ってはくれない。私はプランターの前にしゃがみ込んで萎びたアメリカンブルーを見つめる。でも枝たちはまだ青々しており。まだあきらめるには早い、まだ早い、と訴えている。だから私は、そっとその枝を撫でる。大丈夫、あきらめてなんか、ない。
その隣には今ユリイカという薔薇が置いてある。ユリイカはたんまり蕾をくっつけて次々綻ばせている。今朝は二輪、切り花にした。その隣のベビーロマンティカは、ようやっと新葉を出す気になったらしい。音沙汰なくて心配していたが、ほっと胸を撫で下ろす。そのまた隣のホワイトクリスマスは、ユリイカ同様蕾をいくつもくっつけて重たそうに枝を撓らせている。
本当は。ベランダに小さな椅子が欲しい。お風呂場で使うようなあの小さな椅子みたいなものでも構わないから、本当は椅子がほしい。そうしたら私は、長い長い時間ここにいて、ぼんやり風を感じながら何を考えるでもなく時間の狭間を漂っていられそうな気がする。いや、もちろん、そうなってしまったら私の場合一体何時間をここで過ごしてしまうか知れないのでやらないけれども。

解離することに罪悪感を覚えると話したら、主治医は「解離と上手につきあう方法を探ることよ」と笑った。言われて呆気にとられ一瞬頷いてから、いやいや解離なんてしない方がいいでしょ先生?!と私が詰め寄ると、主治医はやっぱり、「解離をゼロにすることの方がずっと難しいと思うわ。付き合い方を探ることの方がずっと簡単だと思うわよ」と。そもそもあなたは何故罪悪感なんて抱くの?と逆に問われた。だから、解離している間に自分の身近な人たちに迷惑をかけてしまうことがつらい、と応えた。すると「なるほどねえ、でも、あなたの解離で被る迷惑なんて、たいしたことないと私は思うけど?」とさらににっこりされた。
どうなんだろう。本当にたいしたことないんだろうか? 家人とはよく、私の記憶の欠陥が原因で言い争いにはなる。でもまぁ、決定的な喧嘩というわけではない。でもその言い争いをするたび、もし私が解離や離人なんて症状を持たない人間だったなら、と考えてしまうのだ。もしそうだったら、今こんな言い争いなんてしなくて済んだだろうに、と。

何となしに窓を細く開けてみる。すっと冷気が滑り込んでくる。でもその冷たさが心地いい。窓の向こうは静かな闇色。濃紺、というよりも少し緑がかった闇色。車の音さえしない。ただ、冷たい微風がすううっと、流れ続けるのみ。


2020年10月24日(土) 
家人に「今朝早く起きてたよね?」と訊かれ、何も思い出せないことに気づく。ごめん覚えてない、と応えると、もうそういう答えに慣れっこになっている家人が淡々と「うん、僕より早く起きてた。四時頃には起きてたよ」と応えてくれる。そうなのか、そうだったっけ、そうだったかなあ。首を傾げながら、それでもうまく思い出せない自分に、少し狼狽える。相変わらず記憶が飛び飛びで我ながら嫌になる。

アメリカンブルーはまだ枯れてはいない。枯れてはいないが瀕死の状態だ。だから今朝もたっぷり水をやる。コンボルブルスの枯れた枝を切り落としながらアメリカンブルーに水やりをしていたら息子が「僕もやる!」と嬉々としてやってくる。だから如雨露を渡し水やりを頼む。
コンボルブルスの隣のプランター、長いこと放置していたプランターから芽が出ていることにはたと気づく。慌てて凝視すれば、去年から植えっぱなしにしてある球根が律義に芽を出しているところで。息子に声をかけ、大きな如雨露にたっぷり水を汲んできてもらう。私が勢いよくそのプランターに水をやっていると、息子がこれまた「僕もやる!」と言って私の手から大きな如雨露を奪う。しかしその如雨露は彼の体格には大きすぎて、ちゃんと持ち上げられない。私は再びそれを受け取り、三杯たっぷりそのプランターだけに水をやる。
薔薇たちが今、たくさん蕾を湛えており。重たそうに枝を撓らせるほどに大きな蕾を。去年はどうだったか、もちろん私は思い出せないのだけれど、たぶんとても寂しい状態だったはずだ。印象としてそう残っている。
ノースポールも零れ種が次々芽を出し、黄緑色の可愛らしい葉をぱっと拡げている。太陽の光を精一杯浴びたいという気持ちがその葉全身に現れていて、いつ見ても微笑んでしまう。三色スミレの芽も順調に育っている。そろそろ挿し木ばかりを集めたプランターを、整理しないといけないと思いつく。いつやろうか。

家人が今、SEP養成トレーニングを受けている。コロナ禍ゆえに今年はオンラインでの受講。今日は実習もあったようで。息子を寝かしつけ終えて部屋に戻ると、ぐったりした顔の家人が座椅子に座っていた。久しぶりにゆっくり話す。もちろん彼のその養成トレーニングの様子のことが話題のほとんど。

過去と他人は変えられない。変えられるのは今と自分のみ。と言ったのは誰だったか。エリック・バーンだったか。確かこのほかにも、今この時を認識すればよい、過去や未来を生きる必要はない、といった言葉も残されていたっけ。正直、エリック・バーンのすべてを肯定する気持ちにはなれないけれど、先の言葉たちは心に置いておきたい言葉だ。
そう、過去と他人は変えられない。変えられるのは今と自分。今ここを、生きよ。


2020年10月22日(木) 
アメリカンブルーのプランターをひっくり返した朝。仰天する。二十匹以上のコガネムシの幼虫がぞろぞろと。私は仰天すると同時に息子を呼びつける。これ全部潰しちゃって!息子はよーし!と言って次々潰す。
昔は私が自分で潰していた。娘に頼んだりはせず絶対に自分で潰した。何故なら虫だろうと何だろうと命を奪うことに代わりはない行為。だから全部自分でやった。
じゃあ何故息子を今呼びつけたのだろう、私は。きっと私がひとりでやっていたら、後で文句言われると思えたからだ。息子は何でもやりたがる。だから呼んだ。
でも。やっぱりいたたまれなくて、私は息子が喋るの先で潰した虫の残骸を、自分でも潰す。いまさらかもしれないけれど。
アメリカンブルーの根はすっかりぼろぼろになっており。これじゃあ再生は不可能かもしれない。そう思うのだけれど、このまま捨ててしまうなんてとてもじゃないができなくて。だって長年育ててきたのだもの。だからそっと、そっと、プランターに戻す。どうか少しでも長く生きてくれますよう、祈りながら。その足元に散らばった虫の残骸たちの分も、どうか。
近々、全部のプランターをひっくり返そう。そうしてひとつずつチェックしていこう。コガネムシの幼虫は絶対他のプランターにも居るに違いないから。今頃嬉々として私の植物たちの根を喰らってのうのうとしているに違いないから。

舞踏家Sさんと久しぶりに横浜で会う。彼はこの後小田香監督「セノーテ」を観に行く予定で、その前にせっかくだからと会うことになった。会うということはたとえ1時間でも2時間でもコラボするということでもあり。私達は早速場所を選んでそれぞれに立つ。
シャッターを切り始める直前、彼が着替えている隙間を縫って、私は空をぱっと見上げる。いい空だ。雲がいい具合に散っている。
彼が踊り始める。すぐに、今日の彼の調子がいいことに私は気づく。海を背中に空を背中に、彼が手を足を撓らせる。私はひたすらにシャッターを切り続ける。ここで彼が踊った、私がここに居た、その証として。
微風が時折私のうなじを滑ってゆく。その風がそのまま目の前の彼の指先に絡んだり、足先に戯れたりしているのが見えるかのような錯覚を覚える。風の匂いがする。いや、風の色が見える。もちろんそんなもの、写真には写らないのだけれども。

明日は通院日だ。正直ほっとする。明日が病院なのだから、今夜はどれだけ解離しても大丈夫、と安心できる。おかしな言い方だけれど、解離してしまうことに対して私には常に罪悪感がつきまとっている。私の解離によって私の身近なひとたちがどれだけ迷惑を被っているかを思うと、どうしても罪悪感が拭えない。申し訳なさが拭えない。でも、明日病院なら、今夜くらいは。そう、思うのだ。
そんな夜はだから、なかなか眠る気になれない。自分と世界との境界がとても薄くなる。曖昧になる。何処までも世界に溶け出していけそうな気さえする。それが許されるような、気持ちに、なる。


2020年10月20日(火) 
息子が嬉々として捕まえてきたアゲハチョウの幼虫。しばらくして息子が言う。「母ちゃん、なんか元気なくない?この子」「んー、新しい蜜柑の葉っぱ探してきてあげたら?」「ん、そうするー」と話していた翌朝、見たら蛹になっており。参った、今日逃がしてあげようと話していたのに、蛹になってしまったら動かしようがない。「どうする?母ちゃん」「どうしようもないよね、こればっかりは…」ふたりして籠を前に腕組み。しかも蛹はころんと横たわっており、これは無事羽化できるんだろうか?と私は口にこそ出さなかったが首を傾げていた。私の記憶では、この状態できれいに羽化できた蝶は見たことがなく。この蛹もその可能性は高くて。息子、その時どうするんだろう。私は息子の、寝ぐせのついた後頭部を見つめながら思った。結局、そのまま籠に入れてそっと置いておくことにする。それ以外に方法が思いつかない。
そんな息子と共に、映画館へ。息子が観たい観たいと言っていた鬼滅の刃を観る。最初のうちちょっとうとうとしてしまい気づいたら後半にさしかかったところで。慌てて座り直して観る。気づけば隣の息子は声を上げて泣いており。私はそんな息子の様子に半ば圧倒されながら、映画を見守った。
なるほど、今の時代から失われつつあるものたちのあれやこれやが映画の中に詰め込まれており。たとえば、ひとの縁の篤さやどんな状況であろうと諦めずに前へ前へと歩を進めることの意味、どんな状況でも自分の信じるところを曲げず、信じぬくことの強さなどなど、本来ひとが大切にしたいところのものたちが散りばめられた映画であった。「母ちゃん、僕泣いちゃった、母ちゃん泣いた?」「うんうん、泣いたよ」「よかったよねー、すごかったよねー」「そうだねぇ」。そんなことを何度も言う息子の、その未来では、これらのことたちはどんなふうに様相を変えているのだろう、と、私はふと、考える。どうか、どんな状況にあろうと、ひとがひとを想うことの強さ、大切さが、見失われていませんように、と、心の中祈るように思う。

アメリカンブルーの様子がやっぱりおかしい。一度プランターをひっくり返して根の状態をみてやらないといけない。薔薇たちは新しい蕾を次々こさえており、膨らんできた蕾は重たそうだけれど、でもその、くいっと首をもたげて立つ姿は、いつ見ても、いい。こちらも背筋を伸ばしたくなる。
洗濯物がきれいに乾く。たったそれだけのことににんまりしたり。今の私ができることを見つけてこれまたにんまりしたり。ちょっと嬉しい、そんな日。
ひんやりした風が、流れている。


2020年10月18日(日) 
真夜中からせっせと家人の展示のチラシを三つ折りにし、手紙を添えて封をする、という作業をひたすら続ける。あっという間に朝になる。
学校から、今日運動会を実施するとの連絡が入り、慌ただしく支度。玄関を飛び出してゆく息子を見送り、開始時間まで再び封をする作業。宛名書き。手が痺れてくるのをだましだまししながら、ひたすら作業。私、自分の時より一生懸命やってるんじゃない?なんて思えてくる始末。何やってんだか、自分。
運動会はたった二種目。でもこのコロナ禍、運動会が次々中止になる中、たった二種目でもやってくれるのだからありがたいと言うべきか。ダンスと徒競走。二年生と五年生が同時に、ダンスと徒競走を交互に催すという具合。私達はその三十分間だけ観覧が許されている。もちろん人数制限もあり、一家庭二人まで。
息子はダンスをしながら、まったく集中力ない様子で笑ってしまう。ひょろひょろ踊りとでも称せるんじゃなかろうか。心の中、まったくもー、と文句を言いたくなる。徒競走は徒競走で、これまた遊んでるんじゃなかろうかと思う速度で走って来るので唖然としてしまう。後で、靴と体操着のズボンが脱げそうになって、と彼の言い訳を聞き、私の方がしょぼんとしてしまう。

午後、映画館で小田香監督、映画「セノーテ」を鑑賞。水に酔うのではないかと思うほどの水の映像。次から次に折り重なるようにして、こちらを畳み込むかのように。それは水の、と同時に光の洪水でもあり。そして正面からのポートレートや闘牛の象徴的なシーン。あちこちに重なり合い響き合う音。
どれをとっても、小田香さんの心を射たのであろう印象の洪水。
私は水が好きだ。海が好き、湖が好き、池が好き。水が好きだから、水と、海と友達になりたくて泳ぎを覚えた。それが嵩じて一時期は海女になりたいとさえ思ったことがある。そんな私にとって海は何処までも深く、深く、深く、沈んでゆける場所、そして、それは何処までも独りであれる場所、だったりする。
一方、小田香さんは、カナヅチだという。その小田さんの心眼に捉えられた水は光と音に溢れ返って何処までも何処までも響き合いながら絡まってゆく縁の織物みたいだ。観る者は否応なく、自分の立つ場所を考えさせられる。今こことは何なのか、何処なのか、今自分が立つこことはそもそもいったい何処なのか何なのか。
私は映画を観ながら、時間さえ浮遊してしまいそうな足場のない宙を感じていた。
映画の後リモートで小田監督が現れ、Q&A。映画鑑賞前、メッセンジャーで会話した時には「ぼそぼそしゃべると思うんでよろしくです」と仰っていたのに、はきはきにこにこお話される姿に、つい笑顔になってしまう。
最後に、今「ノイズが言うには」を上映する意味などにも触れられていた。映画館を出ると目の前のコンビニの前、喫煙スペースを見つけ一服。急に現実に戻されて、逆に身体がぐわんと揺れる。確かすぎる足元=地面に違和感さえ覚える。
そのくらい、小田香監督の「セノーテ」の水と光は圧倒的だった。


2020年10月16日(金) 
手紙の返事を書いていたらあっという間に真夜中を過ぎ、丑三つ時になっていた。冷え込んできたなと今更気づく。足の先が冷たくなるなんてこの季節ならではだ。冬に向かっているのだなと思うと嬉しくなる。手足が冷たくなるのは難儀だけれど、でも、あの、冬ならではの大気の冷たさ、透き通る度合いが、私はたまらなく好きだ。
冬といえば雪、と息子は言うけれど、私にとっては雪は親しすぎてあまり浮かばない。幼少期、毎年冬休みになると山小屋に連れて行かれた。否応なく連れて行かれた。そこで父からスキーや冬山登りを教えられた。今でもぱっと思い出すのは雪のあの眩い白さと、父のストックの鋭い痛みの感覚。いや、痛みよりも、父のあの、ゴーグルの向こうの冷たい目と冷たい声が強く思い出される。そう書いてくると、父はよほど厳しかったのだと思われるかもしれない。いや本当に厳しい人だった。スキーを教え込まれたお陰で今も滑れるけれど、スキーが楽しいと感じられるようになったのは父から離れてから、だった。雪は美しいけれど冷たく、同時に暖かく、私の命を吸い取るもの、だった。でも、白樺のあの雪を湛え陽の光を浴びた美しさは忘れられない。何もない、ただただ一面雪原であった山の頂に立つ時の静けさも。
そんな私にとって冬といえば雪ではなく、海なのだ。轟々と鳴る波の荒さや風の冷たさ。そして何よりも何よりも、透き通る海の、あの美しさ。この世界は、この星は海でできていると強く思う。脅威であり圧倒的美であり、象徴。この星がこの星であることの象徴。そんなふうに、私には感じられて。
自分が被害に遭ったのは冬だ。だから解離も酷くなる。離人感も強まり、四六時中何処か浮遊しているような状態になりがちだ。フラッシュバックの度合いも酷くなる。でも。
私が、自分が生きていることを実感できるのもまた、冬なのだ。

手紙を書き始める前、ガス台を磨いた。ぴかぴかに磨いた。磨いていると、いつだって心が落ち着いてくる。そうして一本煙草を吸って、それから書き始めた。書いている途中何度か珈琲を淹れ直した。そのたびワンコがちらり、こちらを見上げてきた。家族が寝静まった真夜中、私とワンコの気配だけ。
あまりに静かで、音楽をかける。今日はどんな気分だろうとランダムに曲を流していたのだけれど、結局StingとSigur Rosに落ち着く。ひたすらリピート。
そして手紙を書き終え、封筒に宛名を書き、封をして切手を貼る。封書を机の端に置き、立ち上がり、ぴかぴかのガス台の前に立ち、換気扇の下一本煙草を吸う。

今日は映画「望み」を観た。何故だろう、描かれていた母親に酷く苛立つ自分だった。加害者だろうと何だろうと生きていてくれればいい、という姿は、過日観た「許された子どもたち」のあの加害者の母親と似通っていた。だからかもしれない、苛々してたまらなかった。
信じるって、何だろう。そのことを、改めて見つめる。


2020年10月14日(水) 
アメリカンブルーの様子がやっぱりおかしい。葉が乾いて縮れてしまう。どんなにたっぷり水をやっても、気づけば葉が乾いている。どうしたんだろう。思いつく手当ては全部やってみたのだが。困った。
挿し木ばかりを集めたプランターは元気で、めいめい新しい葉を萌え出させている。もう少ししたら植え替えてやらないといけない。その頃合いを見定めてやらないと。気を付けて見守っていかなければ。
トマトは息子が忘れかけているにも関わらず、律義に実を湛え、最近は枝が撓っている。重たそうだ。じっと見つめながら、頑張れよーと声をかける。
蕾の段階で切り落としたホワイトクリスマス。花瓶の中綺麗に咲いた。そのほっくり丸い形を愛でながら息を吸いこめば、涼し気でありながら甘い花香が。いい香りだ。これこそが薔薇の香りなんだと思う。人工のローズの香りはやはり苦手だ。

緊張して日々を過ごしているせいか身体の痛みが強い。痛み止めが手放せない。心の友のYさんが、「トラマールが親友って何なのそれ!」と笑う。だから私も笑い飛ばす。変に深刻にならずに笑い飛ばすのがいい、こういうことは。
調子に乗ってトラマールにばかり頼ると効かなくなるので、合間合間でロキソニンを投入する。そのくらいが私には丁度いいらしい。
身体の痛みに比例するかのように、記憶も飛び飛びだ。傷だらけのレコードを再生したらこうなる、みたいな。夜になって一日を振り返ろうと思っても、おかげでちっとも繋がらない。
でも。最近はもう、そうしたことに嘆かなくなった。もう仕方がない、と思えるようになった。それがいいのか悪いのかは別にして、私にはその程度の受け止め方が必要なんだとつくづく思う。でないとどんどん落ちるばかりになってしまうから。

ワンコの散歩をしていて彼が急に勢いよく向きを変えてくれたおかげで、右手を痛めた。これが結構困った事態に。珈琲を淹れても珈琲の入ったポットが持てない。ケトルでお湯を沸かしてもそのケトルを持ち上げることができない。参ったなぁと思いながら左手を添えて何とか持ち上げるのだけれど。

家人の写真集作りが佳境だ。おかげで彼の神経がぴりぴり張り詰めていて、不用意にそれに触れるととんでもないことになる。ああまたかぁと思うのだけれど、慣れない。あと数か月この状態が続くのかと思うともはやうんざり。困ったなあ。こういう時、作業部屋が一緒というのが足枷になる。当分彼が作業中の時はびくびくしながら過ごさねばならない。ちょっと憂鬱。

SNSから距離を置き始めて数か月。だいぶ慣れた。もはや話題を追おうという気もなくなった。よくもまぁこの次から次に流れる書き込みの中にかつていたもんだ、と今更ながら思う。距離を置いてみると、言葉がどれほど浪費されているかがよく分かる。しかもそれはたいてい尖った言葉だったりする。刺激に慣れて、やがて鈍感になる。このまま距離を少しずつ置いて、最後は要らなくなれたらいいなと思う。

窓を開けていると涼しい風が漂ってくる。流れ込んでくる、のではなく、じわりじわりと漂ってくる。明日は雨だと天気予報が告げている。私は窓際に立ち、夜空を見上げる。


2020年10月10日(土) 
雨。台風が変てこりんな進路を辿っているそうで。一体どうしたらこんな進路になるのかと思うくらい。家人が言う、こりゃ当分雨続きかなぁ、と。冗談じゃあない、そんなんじゃ我が家は洗濯物で埋まってしまう、と、私は心の中で悲鳴を上げる。
娘と孫娘が遊びにやってきた。雨だからと家人が気を使って車を出し迎えにゆく。まだそんな時間が経っていないうちから息子が、「まだかな、まだかな」とそわそわ。最後には「迎えに行ってくる!」と玄関の外に走り出る始末。
ようやくやってきた孫娘は、今日はやたらに家人に纏わりついている。「じいじ、あのね」「じいじ、これね」。これまでにないサービスぶり。私が首を傾げていると娘が淡々と「今日はそういう気分らしい」と言う。
息子と孫娘が喧嘩したり仲直りしたり忙しくしている横で、私はシチューを作り始める。玉葱を山ほど切り、大鍋へ。とろ火でことこと。玉葱から汁が出てきたのを確認して他の具材も次々投入。
息子は何故か、孫娘が遊び始める玩具にばかり執着し、孫娘の手に取ったものを次々取り上げる。孫娘が結局大泣きしはじめ、地団駄踏んで怒っている。娘が「いい加減にしなさい!」と声を上げる。私はそんなやりとりを見聞きしつつも、シチューを煮込む。
外の雨は今頃どうなっているのだろう。アメリカンブルーが何故か一株枯れたようで。他の子たちは元気なのに、一部分だけ。悲しい。台風が去ったら植え替えをしてやらないと。
シチューを煮込みながら実家の父母に電話をする。結婚記念日おめでとう。そう言うと、母が「え、あ、結婚記念日だったわ、忘れてたわ!」と大笑いする。覚えていてくれてありがとう。母が笑いながら言う。私はそれを聞きながら、そういえば去年もそんなやりとりをしたなと思い出す。
家人は、孫娘を抱くたび「ぷにょぷにょだぁ」と顔を綻ばせる。息子の骨ばった体と大違いな女の子の体にちょっとびくつきながら膝にのせてにんまりしている。そのせいか、今日はお酒を飲み過ぎている。
結局家人は布団に倒れ込み、息子と熟睡。孫娘を寝かしつけた娘と換気扇の下で煙草をぷかり。あれやこれやどうでもいいおしゃべりであっという間に真夜中になる。
明日も雨か。そういえば、小川洋子の小説に、ひとつずつ何かが失われてゆく世界を描いたものがあったな、と思い出す。今雨が止むことが忘れられたら、私たちは永遠に雨に閉じ込められるのか、と、想像する。
途方もない想像。静かに夜が更ける。


2020年10月08日(木) 
雨だ。台風が来ているらしい。天気予報が繰り返し繰り返し、台風のことを告げている。私はといえば、それを聞きながらも、洗濯物ができないなぁ困ったなあと、そんなことを考え続けている。
唯一心配なのは植木だ。薔薇は今、幾つもの蕾をこさえている。その蕾たちをくっつけた枝たちは台風の風に嬲られて、大丈夫だろうか。ラベンダーも朝顔も、瀕死の状態になったりしないだろうか。新しく植えたスミレなど、今芽が出たばかり。みんなダメになったりしないだろうか。そんな心配ばかりしている。

手紙を書き終えて、気づけば真夜中過ぎ。今日は本当にあっという間の一日だった。朝から先日の結婚式で撮影した写真をプリントしたり、次の加害者プログラムの準備をしたり。その合間合間に家人の展示の準備の手伝いをしたり。時間がいくらあっても足りないくらい。雨の中ワンコの散歩に出掛けている数十分の間だけが、ぽっかり空いた時間だった。
昨日は昔の同級生に久しぶりに会った。一年ぶりだったろうか。久しぶりに会ったのだけれど久しぶりという感じがしない。ついこの間も会っていたような感覚。会話しながら、こういう、時間がいきなり巻き戻る感じって、どういえばいいのかなあなんて考えていた。
大学時代。正直あまり思い出せない。その友人とのことくらいしか思い出せない。それも途切れ途切れ、残念ながら。
PTSDは脳にダメージを喰らわすというのはもう研究されて知られていることだけれど。はっきりいって生半可なダメージじゃないとつくづく思う。記憶を断片化させるに十分なもの、なのだ。ダメージを喰らう前のことを、破壊し尽くす。木端微塵にする。そして、ダメージを喰らって以降に関しては、もちろん、様々な場面で痛みとして現れる。
一度ダメージを喰らった脳は、誤信号を出し続ける。たとえば、それまで安全とされていたものたちに対してさえ、危険信号を強烈に発し始める。私の場合、二十四時間三百六十五日、つまり四六時中危険信号が発せられ続けているから、心身が休まる時がない。それだけでもう、疲弊する。生きる気力がどんどん奪われる。
私が生き延びられたのは、ただただ、娘の存在ゆえ、だ。娘の存在があったから、私は死ねなかった。彼女が私をここまで生かしてくれた。つくづくそう思う。守るものがあったからこそ私は生き延びられた。いくら感謝してもしきれない。

昔は。
生き延びることをさせられた、と思っていた。生き延びることを「させられた」ことで、私は罪悪感を覚えていた。死んでいった友人たちに対し、生き残っていることが申し訳なくて申し訳なくてたまらなかった。
今は。
生き延びることができて、本当によかった、と思っている。罪悪感は微妙にまだ残っているけれども、それでも、私は生きたいと思うし、生きていたいと思うし、そして、生きていてよかった、と思う。

明日は通院日。支度をしなければ。


2020年10月06日(火) 
竜胆はほぼ咲き終わり、今は薔薇の蕾たちが開くのを待つ日々。アメリカンブルーはもちろんまだ咲いていて、花数は少なくなったけれど、この鮮やかな青色が美しい。挿し木した小枝たちは誰一人ダメになることはなく、みんな新芽を噴き出してきている。嬉しい。朝顔はもうさすがに終わりが近いのだろう、一番最後に育った水色の花ばかりが咲いている。息子の植えたトマトにも無事青い実が実り、色づくのを待つばかり。
日曜日は怒涛のようだった。紅差しの儀から始まり、その後は息つく暇もなく、まさに水一杯飲む暇もなく夕方まで。でも。いいお式だった。いい披露宴だった。お嫁さんが終始嬉しそうな笑みを浮かべ、それを見守る新郎の彼の視線が穏やかで、誰もが彼らの未来を思って集っていた。そういう場所に時に立ち会うことができたこと、幸せだなぁと思う。二十代の群像のひとりとして彼を追いかけてほぼ十年。こんなにも穏やかな幸せの表情を彼が浮かべるのを見るのは、きっと初めてだった。もはや私も母親のような気持ちにさせられ、二人のこれからの航海に幸あれ、と、シャッターを切るたび祈っていた。
帰宅すると。家人があたふたしながら私を待っており。聞けば息子が大怪我をしたという。「病院に行って縫ってもらわないとだめかな?どうかな?」と繰り返し言っている。息子の顎の深い傷を見れば、確かに深いけれど私のリストカットに比べれば何分の一かの傷で、これなら縫わなくて大丈夫、と判断する。そっと消毒をし、絆創膏をぺたり。足の裏も傷つけたというが、要するに手も足も傷だらけで、いったいどうしたらこんなになるのかと訊けば、転んで突っ込んだところにガラス片が散らばっていたのだと言う。それを聞いてぞっとした。もし顎のこの深い傷が一歩間違って首筋だったら。考えても詮無いことだけれど想像して背筋が寒くなった。とにもかくにもこの程度の怪我で済んでよかった。
しかし家人の慌てようったら。「あのね、熱痙攣一番最初に起きた時の方がずっと恐ろしかったよ?」と私が苦笑すると、いやはやそう言われてもその時僕いなかったし、いなくてよかった、ほんとに、なんて、意味不明なことを呟いて家人も苦笑した。「お友達が大声で大人を呼んでくれたらしくて。助かったよ」とのこと。今度Nちゃんが来たらお礼を言わなければ。ありがとう、Nちゃん。

読まなければいけないと積んである本が山になっている。いい加減取り掛からないと、と毎度思うのだが。なかなかこれが…。困ったものである。そうして今夜も夜が更ける。


2020年10月03日(土) 
ワンコと散歩をしていると、あちこちで金木犀の香りに出会う。ああ今年もそんな季節か、実家の金木犀は元気かな、と思う。私の二階の部屋にまで届く大きな大きな金木犀。毎晩のように出窓に座ってはその樹を見下ろした。季節になれば香りが窓から幾重にも流れ込んできた。懐かしい光景。
家人が個展時に販売する写真集作りに勤しんでいる。今日はなかなかハードだったようで、作業中に何度も、違うこうじゃない、と呟いていた。私はそれを耳にしながら、気になりながら、それでも何も言わないでいる。彼の作業は彼のものだ。私が介入できることなどない。だからひたすら黙っている。それが私にできること。
息子は朝から外に遊びに出掛けている。昼に昼食を食べに戻っただけで、後はもうひたすら外。夕方戻った時には膝っ小僧に擦り傷を作っており。もちろん本人はけろりとしている。気にする風もなく。だから私もちらっと見ただけで放っておく。
アメリカンブルーは昼過ぎには葉を縮れさせており。だから夕刻、たっぷり水をやる。挿し木ばかりを集めたプランターは元気で、みんな瑞々しい葉を拡げている。朝顔は今朝も咲き、風に花弁を震わせている。
明日はH君の結婚式だ。挙式から披露宴、撮影を頼まれている。だから、紅差しの儀から撮影させてもらうことになった。私のカメラなどで大丈夫なのか正直不安が過ぎるが、こうなったらもうやるしかないわけで。精一杯務めるつもり。
彼を撮り始めて約十年。長かったような、短かったような。でもやっぱり、あっという間だった。私が覚えていないことも、写真は残って私の代わりに覚えている。写真の刻まれ方というのを思い知る。
夜、不安になったのかH君から諸々の連絡LINEが届く。慌ててPCに向かい返信。そんな彼の向こうで、きっともっとどきどきしてるんだろうお嫁さんの姿が思い浮かぶ。私は結婚式をやらなかったから、どこまで彼女のどきどきに寄り添えるか分からないけれど、彼女のそんなどきどきも写真に刻めたらいいなと思っている。

私の抱え込んだ病は。脳にも影響を及ぼすものだと承知はしている。それにしたってこの、記憶の途切れ方、見事すぎて呆れる。自分だけなら別にたいした影響はないけれど、誰かとの作業になるととんでもなくこれが弊害になる。困る。そのたび、もういい加減にしてほしい、と思う。被害から二十五年を越えても続く症状に、ほとほと嫌になる。きっと加害者側はそんなことこれっぽっちも想像しないに違いない。被害がこんな永続的に続くものだなどと、思いもしないに違いない。それが、正直、少し虚しい。
虚しい。それ以外の言葉が思い浮かばない。見つからない。悔しい、というような、能動的なものとは違うのだ、どこか他人事の、ぼんやりした痛み、なのだ。その宙ぶらりんの穴のような痛みが、いつもいつまでも私について回っている。それが正直言うと、しんどい。

珍しく封書ではなく絵葉書で手紙を出した。投函する時、その薄い紙が本当に届くのかしらんなんて思って少々不安になっている自分がいて、いまどき葉書を出すだけで不安になる人間なんておかしいでしょ、と突っ込みたくなった。苦笑しながら、頼りない薄い紙をポストに押し込んだ。
とにもかくにも明日。無事に過ぎますように。


2020年10月02日(金) 
すこんと晴れた。通院日、とことこ電車に乗って出かける。青い空が何処までも青い空が広がっている。車窓からただぼんやり、空を眺める。
先週出されたふたつの宿題のメモを主治医そしてカウンセラーに渡す。カウンセラーは私の感情断裂の有様、記憶の欠落の有様を改めて見て、よくまぁここまで、と唸る。でも、それでもこの二十五年私は娘と共に生き延びてきた。それはすごいことよ、と言われる。私は頭の中、すごいことよ、という言葉を反芻してみるのだがまったくもって実感が沸かない。だから一生懸命さらに反芻する。主治医は、日常的に離人が起きているから、大きな事故につながらないよう気を付けてね、とにっこり笑って言う。ストレスが身体化しやすくもなっているようだから気を付けてね、とも。
帰宅するとアメリカンブルーの葉が乾燥して丸まっており。慌てて水をやる。このところ乾燥しているせいか、すぐアメリカンブルーの葉が丸まってしまう。根が弱っていたりするんじゃなければいいのだけれど。ちょっと心配。
息子と「おおかみこどもの雨と雪」だったか、DVDを観る。息子が「うわー、泣いちゃう、ここで泣かなきゃ嘘だ!」なんて言ったりしているのをぼんやり聞きながら、私は心の中、これは親離れ子離れの儀式の映画なんだなぁなんて思っている。私は、親離れ子離れ、ちゃんとできたんだろうか、できるんだろうか。問いながら。
文通相手から、カミュの異邦人が、「私」ではなく「わたし」と記された箇所が一か所だけあるんだ、見つけてほしい、との手紙が来たので、改めて本を購入する。持っていたはずなのだが本棚に見つからなくて。そうしたら、今のこの本は、鮮やかな紫色の無地のカバーになっていることを発見し驚く。どうして紫なのだろう?よりによって?手に取り感触を確かめながら思う。今これを読んだら、私はどんなことを感じるのだろう?私がこの本を読んだのは、十代の頃だった。
先日、映画「許された子どもたち」を観た。私には描写が激しくてシーンによって目をそらしたりすることがあったのだけれど、見通せた。この映画に参加した子供たちは何度もワークショップを行なったとパンフレットにあった。ああ、ちゃんとケアしながらの現場だったのだなあよかったなあなんて、おせっかいなおばさんのようなことを思う。そして、これは子離れできない親へのメッセージなんじゃないかとも思う。被害者の母の、「ちゃんと罪と向き合いなさい」と淡々と言ったその言葉が、頭の中木霊する。
また、映画「ミッドナイトスワン」も勢いで観た。この監督さんが、この映画は娯楽だからとか宣っていたそうだが。ひどく残念な思いを味わった。とても社会的な映画だし、出演者の演技がとてもよい。そういう意味で、監督の言ったという、この映画は娯楽で社会的映画ではない、という言葉は残念至極。せっかくの映画を台無しにしてしまっている気がした。


浅岡忍 HOMEMAIL

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