ささやかな日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2020年09月27日(日) 
過去の日記を読んでいると、ずるずると引きずられそうになる。よくもまぁこんなにも当時の私は堕ちていたもんだ、と、途方に暮れたくなる。そしてまた、記憶から欠落していた事柄がこんなにもたくさんあったことに呆然とする。私の脳味噌は当時一体何をしていたんだか。
それなのに何故今更、日記を引っ張り出して読んでいるのか。いい加減対峙しなければならないと思ったからだ。空白の時間たちと、それが日記として残っているのならせめてそれらだけでも、きちんと向き合わなければ、と。
あまりにも波乱万丈だった。これでもかというほどの。友人らが口を揃えて「自分だったらとてもじゃないが生きたくない」と苦笑するような半生を生きてきた。それなのに、私はそのほとんどをまともに覚えていない。要所要所の衝撃だけが私の中に残るばかりだ。だから思わぬところで地雷を踏んで、自ら卒倒しそうになったりする。
被害から二十五年、そして生まれてから五十年という時を重ねて、僅かながら己の軸が見えてきた。でもその軸が拠って立つ地べたがあまりに不安定で、不確かで、心もとなくて。だから私は向き合うことに決めたんだ。
自分の空白と。

パンジーとスノーポールの種を植えて一週間ほど。ぽつぽつ芽が出てきた。一か所塊になって出てきたその芽たちにもし耳をくっつけたら、きっと賑やかな笑い声が聞こえてくるんじゃないかと思うような様相。一方薔薇は、先日の台風の風ですっかり葉がぼろぼろになってしまった。彼らは自分の身体の棘でもってその葉を傷つける。まるで自傷行為みたい、と、以前思ったことを思い出す。朝顔は今朝も八つほど花を咲かせた。一番最後に咲き始めた水色の朝顔が五つ、濃紺のが三つ。
ワンコと散歩していると、向こうから子供らが四人ほど群がってやってきた。「うわあでっかい犬!」「触ってもいい?」「噛まない?」次々質問してくる子供たち。噛まないよ、大丈夫だよ、と笑うと、ワンコの頭をくりくり撫でてくる。ワンコがぺろんと子供の肘を舐める。「うわ、舐められた!」とここでも嬌声が上がる。ワンコの一挙手一投足が気になるらしい。四人でうちのワンコを囲んできゃぁきゃぁやっている。結局途中まで散歩に付き添うことに。「いつもこの時間散歩?」「いつもこの道?」「今どんぐり食べたよ!」「すごーい!」。彼女たちの興味は尽きることがなさそうだ。
坂を下りきったところで別れる。「またねー!」。ずいぶん気に入られたようだね、とワンコに向かって言うと、不思議そうな表情でこちらを見返してきた。

人生はじめての釣りから帰宅した家人と息子は、五匹のニジマスを持って帰ってきた。全部息子が釣ったそうで。早速塩焼きにする。美味しいねえ美味しいねえ。みんなでそう言い合いながら食べる。ふと思う。私が子供の頃の食卓は、私語厳禁でひたすら静かな食卓だった。娘ができたとき決めた、賑やかな食卓にしよう、と。今、ああでもないこうでもないとみんなで語りながらニジマスをつつく。私は手に入れたいものを既に手に入れていたのだな、と、今頃気づく。娘にも、今の家族にも、感謝。


2020年09月25日(金) 
雨の通院日。といっても霧雨。細粉の雨がふわふわと。傘なんてなくても大丈夫そう、と思って歩いていると瞬く間に髪の毛がじっとり濡れてゆく。そのくらい細かな雨。仕方なくバスで駅まで。自転車に乗れないこの何ともいえない頼りなさ。いつも当たり前にかっ飛ばしている道を、バスでとことこ走る。
ぼんやりしていたら降りるのを忘れ、一駅越えてしまう。慌てて戻って改めて降りる。私は何でこんなにぼんやりしていたんだろう、と思い返すも思い出せない。
耳鳴りが酷いことを告げると、耳鳴りのメモをとるようにと主治医から言われる。解離のメモは困難だが耳鳴りなら何とかつけられるだろう。宿題一つ目。
何の話からそうなったのか覚えていないのだが、感情断裂についてのメモをとるようにカウンセラーから言われる。宿題二つ目。「簡単な現実エクスポージャーよ、慣れたものでしょ?」といたずらっぽくカウンセラーが笑う。慣れてるわけじゃないけれど、と思いながら私は苦笑で返す。
PTSDの治療として持続エクスポージャーが知られるようになって、いろんな人が持続エクスポージャーを受けたいと申し出るそうだけれど。持続エクスポージャー、そんな簡単じゃないよ、と時々言いたくなる。毎回宿題が出て、カウンセリング中に録音したデータを毎日聴き直さなくちゃいけないし、それについて今ここでの感じもメモしなくちゃいけないし、それ以外に課題がいくつか出されてそれもこなさなくちゃいけないし。そもそも、トラウマの最も核となる記憶を何度も何度も語らせられるから、もうそれだけで吐き気がするし。持続エクスポージャーをすればPTSDよくなる、って簡単に思っているひとたち多いけど、それは、それだけの大変なことを越えて、の結果だから。単純に、持続エクスポージャー=PTSD治療、なんてしない方が、いい。私のように持続エクスポージャーが合わない患者も結構いたりする。
でも。
縋りたい気持ちは分かる。治療方法があるならもうそれに何でもいいから飛びついて縋って、このしんどさを何とかしたい、って、誰だって思うに違いない。私だってそうだった。だから、縋りたい気持ちは痛いほど、わかる。

ニュースをぼんやり眺めていたら、某女性議員が「女性はいくらでもうそをつくから」なんて宣ったらしい。相変わらず品のないニュースだなあと思いながら眺める。暗に伊藤詩織さんを揶揄していることが透けて見えるところが下品で仕方がない。この議員さんは一体何をしたいのだろう。他人をむやみに攻撃して、それで一体何が得られるというんだろう。しかも、攻撃対象の相手がどれだけそれによって傷つくかを分かった上での行為に違いないそれらは、本当にえげつない。そういう行為によってしか救われない人種って、確かにいるんだよなあ、と、窓の外に視線を飛ばしながら思う。

そういえば昨日は大網まで出掛けたのだった。対話の会による少年院訪問。私もボランティアで加わった。5人の少年との対話。グループワーク。あっという間の数時間。毎回参加は難しいだろうけれど、二か月ないし三か月に一度のペースで参加したいなあと思う。家人に協力を仰ごう。

急に冷え込んできたので毛布を出す。昨夜は暗闇の中押し入れから引っ張り出したので、間違えて炬燵布団を出してしまった。朝になって息子に大笑いされた。今夜は大丈夫、ちゃんと毛布を出した。「うーん、気持ちいいこの感触!」なんて息子が毛布に包まりながら言っていた。うん、毛布って気持ちいいよね。


2020年09月23日(水) 
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f64457ac5b6b9795b0e0ec4
「常に私もジャッジされているんだと思いました。他人にジャッジされるというより、自分の撮った映像にジャッジされるというか、ちょっとでも超えてはいけない一線を越えたら、それは映像にはっきり現れるんです。これはフィクションでもドキュメンタリーでも同じことだと思います。
ただ、その時以来何かが変わったのは事実で、カメラの持つコミュニケーションの力の大きさも実感しました。カメラに暴力性があるというよりも、それは自分自身の中にあってカメラがそれをさらけ出してしまうんだと思います。ですので、それをきちんとコントロールする意識を常に持ってカメラを回すようにしています」(映画監督・小田香さんの言葉として。記事より)

「カメラに暴力性があるというよりも、それは自分自身の中にあってカメラがそれをさらけ出してしまうんだと思います」。
本当にそうだ、と、記事を読んでつくづく感じ入った。以前、傲慢な私と写真と銘打って文章を書いたことがある。私は傲慢な、という言葉でこの暴力性を語ったけれど。どちらであっても、「カメラ」がそれを備えているのでは、ない。私達の内奥にそれはすでにあって、それをカメラが露わにしてくる、というだけのことなのだ。
同時に、カメラには癒す力もあると私自身思う。カメラを挟んでこちらとあちら、向き合うことによって、そしてそれを写真として刻み込むことによって、癒される何かしらが、確かにある、と。
言葉が諸刃の剣であるのと同じく、カメラもそうだと思う。使い方次第で、どちらにも転んでしまう。つまり使い手に、その責任はすべて、掛かっていると言える。
どんな道具であっても。使い手が使い方を間違えばひとの命を奪いかねない。そういう、ものなのだ。

台風が近づいていると天気予報が告げてくる。進路が多少ずれたとはいえ、明日は天気が荒れるだろうから注意するように、と繰り返し告げてくる。私は明日、ボランティアで少年院に対話しに行くことになっている。
とりあえず。電車さえ動けば何とかなるだろう。


2020年09月21日(月) 
娘と孫娘が泊まりに来た。孫娘はだいぶ喋るようになっており、でもまだ半分以上はこちらは聞き取れない。ん?もしやこうかな?と想像しながら相槌を打つ。彼女は自分の言ってることはもちろん、こちらの話していることも十分理解しているよう。時々不意に、こちらがびっくりするようなことを言う。侮れない。
その娘と孫娘と、そして息子と、クレヨンしんちゃんの映画を観に。娘は最初「えー、クレヨンしんちゃんよりドラえもんがいい!」なんて言っていたくせに、観始めたら誰より先にぼろぼろ涙を零していた。映画が終わりを告げる頃孫娘がスクリーンに向かって拍手をし始め、息子が「しーっ!静かにしなきゃダメなんだよ!」なんて言い聞かす場面も。娘が「マスクが濡れた、どうしてくれんの」なんて文句を言ってくるので「しんちゃん映画、侮れないっしょ?」と言うと、確かにと笑っていた。
夕方、もう娘も孫娘も帰った後、息子が「カマキリさん、元気なくなってる」と言う。そりゃあそうだよと応えると、「どうしよう」と言うので「もう逃がしてあげたら?」と声をかける。「うん、今から逃がしてきていい?」と言うのでいいよと応える。カマキリって秋に死んじゃうんだよね、と言いながら逃がしに出かけた息子。しばらくして帰ってくると「他の人にまた捕まったら可哀想だから、見つからないようなところに逃がしてきた!」とちょっと嬉しそうな表情をしていた。

誰が悪いわけではなくても、物事がこじれることがある。誰が誰を傷つけようなんて意志がなくても、誰かが誰かを傷つけ、誰かが誰かに傷つけられるという具合に陥ることがある。そして様々な状況に雁字搦めになって、身動きならなくなって、という、悪循環。誰が悪いわけでもないのかもしれないけれど、それでも誰かが傷つき傷つけられ、救いようのない泥沼に陥ったり。
それが人間の業なのかもしれないけれども。それでも。
やっぱり、そのたびに、悲しくなる。

夜、ベランダに出てみると、のっぺりと、闇。何となくシャッターを切る。息子がそれを見て「僕も!」と、家人の古い携帯を使って夜を撮る。珍しく何処からもサイレンの音が響いてこない。そんな、夜。


2020年09月19日(土) 
薔薇が小さめの花を二つ咲かせる。蕾の先がちょろっと綻んだところで切り花にするのはいつもの習慣。でないと苗木が弱ってしまうので。今年の夏の暑さにやられていたラベンダーもだいぶ復活してきた。そろそろ一度枝を詰めてやるのがいいかもしれない。アメリカンブルーは昨日の強風が止んで柔らかい風になった今日、安心したかのようにたくさんの花を開かせている。
息子のカマキリは相変わらず元気。いや、元気に見えるだけで本当は彼はきっといつだってここから解放されたいに違いない。息子に「いつ逃がしてあげるの?」と訊ねると「授業で観察してるんだ。それが終わったら」との返事。一体その授業はいつ終わるのだろう? それまでカマキリはちゃんと生き延びてくれるんだろうか? 私はそう言いかけて、止めた。もし死んでしまったら息子は凹むに違いない。でも、それもまた彼が引き受けるべき事柄なのかもしれないと思い直す。

昨日は通院日。気持ちが断層みたいにさっきと今とで切り離されてしまう話をした。もうちょっと詳しく言うと、ついさっきまでたとえば、誰かと喧嘩して怒っていたとする。その直後私は鼻歌を歌い始めてしまったりするのだ。そういう時はたいてい、気持ちが断裂して、それ前後の気持ちが断層のようになってしまって、自分でもその一瞬は事態を呑み込めなかったりする。鼻歌を歌いながら、私は何故今鼻歌を歌ってるんだろう? さっき私は何で怒っていたのだったっけ、と、他人事のように思うのだ。
そう、他人事。すべてが他人事。かつてカウンセラーに、二重三重に解離していると言われたが、まさにそういう感じ。二重三重に解離しているから、いったいどこが軸なのか、芯なのか、よくよく凝視しないと分からなくなってしまう。
そして一度私から断裂した「気持ち」は、どこまでも他人事で、自分の身に引き寄せようと思ってももはや手が届かなかったりする。
「解離しなくても気持ちを持ち続けていいのだということを自分に赦せないのよね、きっと。その安心がないというか。この断裂、断層について、少しずつ触れていかないといけないね」。怒りにしろこの断裂・断層にしろ、言語化が非常に難しい。これらをカウンセラーと対話するのは、相当心を集中させて、しかも集中させ続けておかないと、容易に私はカウンセリング中に解離するに違いない。心してかからないと。

夜風がずいぶん涼やかになってきた。ノースリーブでいると寒いくらいだ。でも今夜は窓を半分は開けておきたい。だって明日は雨だという。窓を開けておけない。だから今のうちにこの夜風を存分に楽しんで味わっておきたい。


2020年09月17日(木) 
街路樹の並ぶ通りを自転車で走る。樹の下の枝の葉が幾つか黄色くなっており。え、もうそんな時期なの?と目をぱちくりさせる。そう気づいて改めてあちこちの街路樹を見やれば、まだびっしり緑の子もいれば一方で疲れたように黄色い葉を抱え込んでいる子もいて、ああこの暑さは緑の葉さえ草臥れる程だったのだなぁと改めて思う。私が子供の頃は、夏が暑いとはいっても今のような暑さではなかった。もっとずっと過ごしやすかった。
息子のカマキリ熱は一向に冷める様子はなく。今朝は「散歩も大事だよね!」と言いながら籠からカマキリを出して、掌や肩に乗せて遊んでいる。カマキリも何故か逃げずにあの三角の頭をくりくり動かしながらその肩や掌の上におとなしく乗っかっている。お願いだから飛ばないでよと、私は心の中でかなり必死に祈る。
朝、珈琲を飲み忘れたせいなのか、気分がどんより。外に出ている間くらい何とかなってほしいのに、こういう時に限って何ともならない。どよーんというト書きが私の横に貼り付けられているような気分に陥る。
何とか用事を終え帰宅すると、早々に家人と口喧嘩。このところ家人はイライラが酷い。11月から始まる個展の準備、写真集の準備であたふたしているせいだと分かってはいる。以前もそうだったから十分に分かってはいる。が、だからといって何でもかんでも許容できるわけじゃない。私は人間小さいので、許容量はたかが知れている。
でも。引きずられるのは、それはそれで、嫌だ。相手がイライラしているからって私がびくびくするのはもう疲れた。だから、さっさと切り替えて、鼻歌でも歌うことにする。とりあえず出てきたメロディは何故か滝廉太郎の「花」だったりして、自分で自分にずっこける。もっとこう、格好いいメロディが何故思いつかないのか。まったくもう。

昨晩は心の友とLINEチャットであれこれおしゃべり。本当なら電話してぱっぱか話したいところなのだが、彼女は電話が苦手なひと。電話が怖いと言っていた。だから彼女とのおしゃべりはもっぱらチャットになる。
音楽の話、トラウマの話、アダルトチルドレンの話、その他もろもろ、あっちいったりこっちいったり忙しく話題が投入される。気づけば丑三つ時、慌てて「おやすみ!」を言い合い終わりにする。
彼女とのつきあいももうどのくらいだろう。十年近くになるんだろうか。もはやはっきり思い出せない。彼女の余命があとわずかだとしても、私たちはけらけら笑いながら話をするんだろう。しんみりなんてしてやるもんか。最後まで大笑いさせてやる。覚悟しとけ!なんて、心の中で言ってみる。10月入ったらすぐ入院が決まっている彼女。その治療を受けたって、病が取り除かれるわけではなく。
彼女とは本当は、もっともっと長く一緒にいたかった、そのつもりだったけれど。難病中の難病を患っている彼女に、これ以上、頑張れ、とは私は言えない。彼女が「私もう十分やったと思うんだわ」と笑っているのに、そこに「いやもっと頑張ってよ」なんて、どの面下げたら言えるだろう。私には言えない。
だって。
本当に頑張ってきたことを、私は少しだけれど知っている。だから、私は残り僅かの彼女の人生だったとしても。その残り時間でいっぱい、これでもかってほど彼女を笑わせてやろうと思っている。それが私にできること。


2020年09月16日(水) 
朝顔は「もうじき終わり」と知らせるかのように、こぞって咲いている。赤紫、濃紺、水色。色とりどり。私はせっせと種を採る。その足元に置いたプランターには、薔薇の挿し木やコンボルブルスの挿し木があって、今、みんな小さな小さな新芽を出している。トマトの苗はずいぶん大きく育っている。が、まだ実が実る気配はなく。花だけが次々咲いている。竜胆はこんもり茂って、その茂みのどれもが蕾を湛えており。私はその色合いの美しさにうっとりする。でもそこでうっとりしているとまるでアメリカンブルーがやきもちやいてきそうな気がするので、「君もかわいいよ」と声をかけたりする。
息子は、カマキリの世話に躍起になっている。ソーセージを買ってきてと言うので家にあったものを差し出すと、早速楊枝に挿してカマキリに差し出している。昨日籠に入れていたバッタは食べられたようで。息子が頬を紅潮させながら「すごいんだよ、がっしと鎌を振り上げてね、こうやってね、むしゃむしゃ食べた!」と報告してくれた。
私は、空を見上げる。見えるはずのない南の街に住む友人と、今日そこへ向かってくれているはずの弁護士のことを思う。どうか面談がうまくいきますように。少しでもうまくいきますように。空を見上げるたび、そう祈っていた。
友人は、幼少期、親族から被害を受けた。でも彼女はその間の記憶を四十になるまで忘れ去っていた。四十を越えて、いきなりフラッシュバックしてきたその強烈な記憶に、彼女は夜毎苛まれるようになった。精神はずぶずぶと蝕まれ、バランスを崩し、そんな彼女は他人に牙をむいた。きっと他人という他人がすべて、敵に見えてしまっていたんだろうと思う。そうして彼女の周りからは多くの人がいなくなり、彼女はさらに孤独になった。
そんな彼女に、それでもと寄り添った数少ないひとのひとりが、今回私に打診してきた。そういうことを扱ってくれるいい弁護士はいないか、と。
信頼できる弁護士さんがたったひとり、いた。そうして今日、その弁護士さんが向かってくれている。

夕方遅く、ワンコの散歩をしながら彼女に電話をかける。2コールで出た彼女の声は、とても晴れやかで高揚していた。話せたよ、いっぱい話したよ。これからの方針も決めたよ。ありがとうね。彼女がそう言った。私は、こちらこそ、と返した。電話を切って空を見上げると、もうすっかり夜闇に覆われていて、西の地平線近くだけがぼんやり明るかった。私はそこに向かって手を合わせた。ありがとうございます、と、誰にというわけでもなく、ただ手を合わせた。
もちろんこれで終わりではない。むしろここがスタートであり、すべてはこれから、だ。でも。彼女が、自分からちゃんと弁護士に話ができたということが何よりの成果。今はそれを祝いたい。

明日は新月らしい。見上げた夜空はどんより雲に覆われており。これではもし月があったとしても見えやしないよなあと思う。じっとりと湿った夜。


2020年09月15日(火) 
ワンコと散歩中にカマキリ捕獲。コカマキリと思われるそれを咄嗟にうんち袋に放り込む。ワンコは不思議そうな顔をしてこちらを見てる。帰宅後息子に差し出すと「わわっこの前逃がしたカマキリだよこれ!」と喜びの声を上げる。図書室で借りたカマキリの本を早速開いている。 喜んでもらえてよかった。
先日、映画館で「宇宙でいちばんあかるい屋根」を桃井さん見たさで観てきた。清原果耶さんは「デイアンドナイト」で知った女優さん、ああこれからの女優さんだなあなんてしみじみ感じ入る。桃井さんとのかけあいがほのぼのいい感じで。でも私の好みは、デイアンドナイトの方だったな、なんて思いながら観た。
過去の日記を今読み直しているのだけれど。四六時中といっても過言でない程リストカットの記述が出てきて我ながらうんざりする。よくもまぁこんなにしょっちゅう切ってたなあと。いや、自分で言うなよ、ってことなんですが、あの頃はほんと、毎日が闘いだった。切らないで夜を越えることが本当に大変だった。改めて思い出すと、ただただ恥ずかしくて穴があったら入りたくなる。
でも。
性犯罪被害に遭い、セカンドレイプで息も絶え絶え、それでも娘を産んでシングルマザーやって、ってやってたら、ともかくも夜を越えるのだけで必死だったんだ、あの頃。毎晩毎晩が。必死だったんだ。
リストカットを、甘えだとか、見せびらかしたいんだろだとかいまだに言うひとたちがいるらしい。あほか、と思う。甘えや見せびらかしでわざわざ自分の身体切り刻んだりしない。
私の傷痕を見て「こんなのリストカットじゃない。絶対リストカットのわけがない」とせせら笑うひとたちがいたのも知ってる。好きに言えばいい。構ってらんない。ってか、どうでもいい。
今、今まさにこの時、自分の意識が朦朧として、カッターを握りかけてる誰かがいるなら、そっと肩を抱いて言ってあげたい。「大丈夫、この夜をちゃんと越えられる。傷つけなくても越えられるよ、大丈夫だよ」って。だから痛まないで、傷付けなくてもいいんだよ、って。
日記を読んでて思い出したのだけれど、私が解離してリストカットをしてしまい、意識が戻った時慌てて病院に駆け込んだら、治療を断られたことがあったらしい。しかも何軒もの病院から。「自分で傷つけるようなひとの傷を治すような場所じゃありません」って。当時の私は、その言葉にひどくショックを受けて、呆然としたようだった。SOSを出しても、受け止めてもらえない。そのことに、呆然としたのだろう。
今も病院は、そんな対応しかしてくれないのだろうか。だとしたら、夜を越えられないで苦しんでいる彼女や彼のSOSは何処へゆけば受け止めてもらえるんだろう。
どうか、今はもう受け止めてくれる場所ができていますように。


2020年09月13日(日) 
カブトムシの雄が一匹、死んでしまった。息子が身体をつまんだらぽろんと首が落ちた。その呆気なさにその場にいた二人ともが呆然とした。「母ちゃん、死んじゃった」「…そうだね、死んじゃったね」「…」「生きてるモノは必ず死ぬ。だからちゃんとお世話しなくちゃだめなんだよね」「おなかすいて死んじゃったかな?」「ちゃんと餌半分残ってたから、おなかすいて死んだんじゃないと思うよ。寿命じゃなかな。もう秋だ」。
その後息子は家人にもカブトムシが死んだことを報告。「秋だもんね」と家人が言うと、「秋だもんね」と息子が応える。
生き死にを、幼い子供に見せることを躊躇う方は結構いる。私はむしろ、幼い頃に体験させてやりたいと思っていたりする。何のてらいもなく、生き死にをそのまま、あるがままに受け止められるうちから、体験させてやりたい。そう思っている。
いずれ、生き死にに、いろんなものが纏わりついてくる。その命に対しての情や事情といったものが。そうなる前に「命あるものはいずれ必ず、誰もが死ぬのだよ」ということを、そしてまた、死に様、生き様というものがあるということも。見せておきたい。

私にできるのは結局、そうしたものを「見せる」ことくらいだ。私が見せた時、それをどう感じどう受け止めるかは、どれほど言葉を尽くしたとしても結局、その者にかかっている。その者が、悲しいといえばそれは悲しいし、その者が嬉しいとするなら嬉しいのだ。それで、いい。
他人がどうこう操っていいものじゃあないと思うし、操れるものでもないと思うのだ。

私が息子や娘に、何かを見せてゆく、提示してゆくのは、先に生きる者の務めのひとつだと思っている。でも、そこで彼らが何を選択し、何を選択しないか、は、彼ら自身に任せたい。任せるべきだ、と思う。
それが、先に生きる者の、できる、唯一のこと、といっても過言ではない。私はそう思っている。


2020年09月10日(木) 
「母ちゃん、蝉が僕にくっついてきた!」。朝、玄関掃除をしていたはずの息子が部屋に飛び込んできた。お、またか!と思いながら振り返ると、息子のTシャツの裾に油蝉が一匹。「離れようとしないんだよね、この子」「また蝉に好かれちゃったかあ」「そうみたい!」。声は困ったような声色だが、表情は嬉々として輝いている。蝉大好きっ子の息子にとっては、こういう事態はいつでもウェルカムなのだ。「部屋で飛ばしちゃだめだよ、捕まえるの大変だから」「わかってるって!」。結局その蝉は、息子が登校する時間までひしっとシャツの裾にくっついて離れなかった。
でも、息子が玄関を出たその時、ぱっと離れ、飛んで行った。「あ、飛べた!」「あっちの方向なら大丈夫だね、樹がいっぱいあるから。安心だ」「そうだね!頑張って生きるんだよー!」。そうして息子は登校していった。
トマトの苗はずいぶん大きくなって、花も次々咲く。秋実り、と銘打ってあったが、いったいいつ頃実るのだろう。トマト大好きな息子はいまかいまかと待っている。朝顔は今朝も弦の上の方の花が八つも咲いた。咲いている花の下の方には取れ頃の種があり、ひとつひとつ摘んでゆく。来年も蒔くために。コンボルブルスはもう花は終わった。ひっそり葉を垂らしている。アメリカンブルーは強い風に揺れながら陽射しを弾くかのように咲き誇っている。もしも、もしも私が一軒家に住むことがあったなら、庭の広い家にしただろう。あれやこれや植えて、虫にたじろぎながらも楽しんだに違いない。母の庭のような、あまりに沢山植えすぎて他人から見たら何が何だかわからない、でも花が次々咲く、そんな庭は私には作れないけれど。こじんまりした、でも、白と青を基調とした、時々黄色が混じるような庭を、作りたかった。

このところ体の痛みが強い。そこまでストレスがかかっているという自覚はないのだけれど。と思いながら処方されている痛み止めを随時飲んでいる。特に右側の腰から足の付根の辺りの痛みが酷い。そういえば、腰の痛みは怒りが原因だと誰かが言ってたなあと思い出し、苦笑する。自覚していないのに、身体は相変わらず反応が早い。いつだってそうだ、大丈夫、私は大丈夫、何とかなる、なんて思って踏ん張っているのに、身体は人一倍正直で、激痛が常に何処かに在る。トラマールを飲んでも全然効かないような痛み。閉口するばかり。
でも、一番辛いのは頭痛だ。身体の痛みは何とかなる。いや、もう、慣れっこになってしまった。辛いししんどいけれど、痛み止めを上手にやりくりすれば、痛みは半減してくれる。でも。
頭痛はそうはいかない。私の頭痛はちょっと薬を飲むタイミングを間違うと、痛みを薬では拭えない。
そういう時活躍してくれるのが、陶製の枕だ。頭を乗せる部分がかなりの凸凹になっていて、頭を乗せるとぎゅっぎゅっとその突起で押されている感じになる。この枕のおかげで、私はどれほど救われていることか。
実はこの枕、母の持ち物だった。独り暮らしをするときにこっそり持ち出してしまった。母よごめん。今更だけどごめん。そのおかげで私は今日も生き延びてるよ。ありがとう。


2020年09月08日(火) 
何故か朝顔が次々咲くこの数日。もう終わったと思っていたのに。不思議。その隣で挿し木した薔薇の枝たちが一生懸命生きている。命を繋ごうと。
竜胆の青はどうしてこう美しいのだろう。二十歳の誕生日に友人が竜胆と白百合を二十本束ねた花束をくれたことを思い出す。あれほどの花束をもらったことはない。あの白と青のコントラストは今も鮮やかに記憶に刻まれている。
日に日に日の出が遅くなり、日の入りが早くなり。季節は流れ続けているのだなと教えられる。犬と散歩しながら、もうじきこの時刻では真っ暗になっちゃうね、と話しかける。犬は知ってか知らずか、ふふん、と鼻を鳴らす。

前回の診察時主治医から指摘されたことがじわじわ沁み込んできている。
 私怒りがよく分からない。私、怒ってるんでしょうか。
 怒ってるわよ。とんでもなく。
 そうですか?
 あなたの怒りは身近なひとたちにこれでもかってほど出てるじゃない?
 え?
 たとえばご主人、たとえば息子さん。触れられるのたまらなく嫌ってるでしょう、あなた。怒ってるでしょう?
 …はい。でも。
 記憶に刻まれた触感、体感が蘇ってしまうのよ、あなたの場合。鮮やか過ぎて。それで本来怒るべきでない相手に怒りが爆発する。そのくらい怒ってるってこと。
 …。
主治医に畳みかけるように言われたけれど、その時はよく分からなかった。でも。先日妹分が加害者と遭遇してしまった時に思い出した私の怒り、あれはたしかに怒りだったかもしれない、と今思うのだ。
そして今日も。めったやたらに私に触れてくる息子を邪険にしてしまった。もういい加減やめてよ、やめてって言ったことはやめて!と最後怒鳴ってしまった。多分その怒鳴り声は彼を傷つけた。はっとした時にはもう、遅かった。

そうやって丁寧に丁寧に自分の生活を見返すと、いたるところに自分の怒りが埋まっている気がする。まるで何処かの外国の土地に埋められた地雷みたいに、いつ誰がそれを踏んでしまうか分からないような、そんな危険な状態。そう気づいたら、ぞっとした。私は私の地雷で大事な人たちの命を危険に晒すかもしれないんだな、と、そう自覚した。

怒りと向き合う作業は、とんでもなくしんどいだろうと思われ。考えるだけでそれはそれでぞっとするのだけれども。このまま放置するわけにも、もはやいかないんだろう。気づいてしまったからには。
次回のカウンセリングで、カウンセラーに相談しないと、な。

これを書きながらふと窓の外を見やると、半月がぽっくり東空に浮かんでいた。ぽっかり、ではない。ぽっくり。そんな表現がぴったりな半月が。


2020年09月06日(日) 
天気予報では今は雨なのだが。と思いながら窓の外を確かめる。雨はまだ降っていず。乾いたアスファルトが街灯に照らされている。家々の屋根も寝静まっている。

妹、といっても実の妹なわけではなく、妹のような存在の友達、から、電話。「ねえさん、加害者に会っちゃった、あれは加害者の声だった」。夜、コンビニに立ち寄った時のことらしい。「以来、フラッシュバックが酷くて、怖くて、バイトも休んでしまった」という。
私は心の中、自分が加害者と遭遇した時のことを思い出している。当時その電車に乗る以外病院に行く術がなかった私は、病院の行き帰りによく、加害者と遭遇していた。電車に乗っていてふと気配を感じ眼をやると、そこには横を向いて立つ加害者がいて。頭が真っ白になる。手足が震える。胃がせりあがってきて今にも口から出て来そうな気がする。くらくらする頭を何とか支えながら、私はとにかく自分が降りるべき駅に着くのを待つ。加害者は私より先に私に気づいていたようで、時折こちらをちらりと見てくる。そのたび私の心臓はぎゅうと痛む。
加害者と電車でそうやって遭遇するたび、私は食事がとれなくなった。家に帰り床にしゃがみこみ、猫が近寄って来るその猫の背中を必死の思いで撫で、何とか平静を保とうとするのだがそれができなくて、結局トイレに駆け込み嘔吐したり。或いはリストカットしたり。
そこにあったのは何だったろう。恐怖と怒り、だったのかもしれない。その当時の私はそれさえ分からず、ただただ怒涛のように襲ってくるあらゆる症状に対処するのが精いっぱいだったけれど。今振り返るときっとそこには、恐怖と怒りがあった気がする。
どうしてそこにいるの。
どうしてあなたは平然としているの。
どうして。
加害者が見知らぬ人間だったらよかったのに。せめて見知らぬ人間だったら、こんなふうに加害者と遭遇することなんてなかったかもしれないのに、と。
耳元で、妹が「十五年も経ってるのに、情けないよ」と凹んだ声を出す。いやいや、十五年しか経っていないとも言えるよ、十五年しか経っていないのだからこんな反応が出たって当然なんだよ、と私は返す。
あれやこれや話しているうちに、妹の声に笑い声が混じるようになる。よかった、と心の中思う。笑うことがほんのちょっとでもできれば、浮上は早い。電話を切る頃には、がはは笑いも出てきていた。もう大丈夫。

被害者にとっての被害は、一瞬では終わらない。被害そのもの、その一瞬、で終わるものではない。永遠に続く。加害者にとって時効はあっても、被害者に時効はないのと同じで。被害者はその傷を生涯背負って歩かなければならない。歩いてくる中で、少しずつ少しずつ、風化してゆく。でも、消えることは、ない。なくなることは、ないのだ。


2020年09月02日(水) 
注文していた宮地尚子著「トラウマにふれる 心的外傷の身体論的転回」が届く。心待ちにしていた一冊。丁寧にグラシンをかけ、明日から読む本とする。
ホットフラッシュが相変わらずなのは仕方ないのだが、最近特に耳鳴りが酷い。ふとした時耳と耳を結ぶラインで音がきーんとし続ける。酷い時は周りの音が掻き消されてしまう音量で。
昔、こうした耳鳴りを止めようとして、必死にウォークマンで音を聞き続けていたことがあったっけ、と思い出す。最大ボリュームでがんがん聴いていた。私の耳の悪さはその時のせいだろうなあなんて想像すると苦笑しか出てこない。耳鳴りがPTSDのせいだなんて思ってもみなかった。何とかなるもの、と思っていたから、最初は。抗っていたんだ。

昨日息子が学校の授業で虫捕りをやったらしく。帰ってくると一匹のカマキリと一匹のバッタが虫籠に入っていた。「でもね」、と息子が言う。「僕が「いたっ!」って叫んじゃったせいでみんなが一斉に網をばんばんばんってやってきて、そのせいでカマキリ、怪我しちゃったんだ」。確かに何だか動きがおかしい。身体の向きが微妙に曲がっている。
「母ちゃん、餌ない?」。そこで怪我したカマキリは何を食べられるかと調べることになり。知らなかった。レバーや鶏肉、ヨーグルトなども、楊枝の先にくっつけてカマキリの目の前でフリフリしてあげれば食べるんだと初めて知った。早速やってみる。息子がレバーの切れ端をフリフリすると、弱々し気にカマキリが反応してきた。「母ちゃん!食べたよ!」息子が歓声を上げる。しかし。
翌朝、飛び起きて虫籠を見た息子はがっくり肩を落とした。カマキリが死んでしまっていたのだ。私は心の中、やっぱりなあと思う。でもそうは言えない。「きっとカマキリさんは、昨日、君が餌をくれたって喜んでいっぱい食べてたんだね。おいしかったと思うよ。嬉しくなってゆっくり眠りたくなったんだね」。息子はしばらく黙っていたが、やがて「僕のお肉おいしかったかな?」と言った。「おいしかったよ、絶対。きっと今頃、もっと食べればよかったなあって言ってるよ」と声をかけた。
生きているものは必ず死ぬ。いかに死ぬか、いかに生きるか。友人が、「私、年取ってまで生きていたくないんだ。早く死にたい」と言っていたのを思い出す。実は私も、二十代三十代の頃は、自分は早々に死ぬんだ、と思い込んで生きていた。それがどっこい、この年まで生き延びてしまっている。不思議だ。歳を重ねるほどに生きやすくなっている気がする。生きることが面白いと感じられるようになってきているように思う。このままなら、あと十年くらいは少なくとも生きてもいいかなあ、いや二十年くらい頑張れるかなあ、なんて思ったりする。若い頃のあの、生きることが苦しくて重くてしんどかった時期が、嘘のようだし、そう思うと何だか懐かしくも、ある。
カマキリが死んでしまったその一方で、挿し木した薔薇に小さな小さな白い花が咲いた。もうちょっと本当は花を楽しみたいけれど、もうここまで綻んだら充分だ、樹の為に切ってやろうと決める。ついでに、もうひとつついていた蕾は切り落とす。まだ小さな小さな樹だ、栄養がちゃんと回るように。来年も再来年も生きてもらう為に。
巡る命。私という命は今、どのあたりを泳いでいるのだろう。


浅岡忍 HOMEMAIL

My追加