2020年09月27日(日) |
過去の日記を読んでいると、ずるずると引きずられそうになる。よくもまぁこんなにも当時の私は堕ちていたもんだ、と、途方に暮れたくなる。そしてまた、記憶から欠落していた事柄がこんなにもたくさんあったことに呆然とする。私の脳味噌は当時一体何をしていたんだか。 それなのに何故今更、日記を引っ張り出して読んでいるのか。いい加減対峙しなければならないと思ったからだ。空白の時間たちと、それが日記として残っているのならせめてそれらだけでも、きちんと向き合わなければ、と。 あまりにも波乱万丈だった。これでもかというほどの。友人らが口を揃えて「自分だったらとてもじゃないが生きたくない」と苦笑するような半生を生きてきた。それなのに、私はそのほとんどをまともに覚えていない。要所要所の衝撃だけが私の中に残るばかりだ。だから思わぬところで地雷を踏んで、自ら卒倒しそうになったりする。 被害から二十五年、そして生まれてから五十年という時を重ねて、僅かながら己の軸が見えてきた。でもその軸が拠って立つ地べたがあまりに不安定で、不確かで、心もとなくて。だから私は向き合うことに決めたんだ。 自分の空白と。
パンジーとスノーポールの種を植えて一週間ほど。ぽつぽつ芽が出てきた。一か所塊になって出てきたその芽たちにもし耳をくっつけたら、きっと賑やかな笑い声が聞こえてくるんじゃないかと思うような様相。一方薔薇は、先日の台風の風ですっかり葉がぼろぼろになってしまった。彼らは自分の身体の棘でもってその葉を傷つける。まるで自傷行為みたい、と、以前思ったことを思い出す。朝顔は今朝も八つほど花を咲かせた。一番最後に咲き始めた水色の朝顔が五つ、濃紺のが三つ。 ワンコと散歩していると、向こうから子供らが四人ほど群がってやってきた。「うわあでっかい犬!」「触ってもいい?」「噛まない?」次々質問してくる子供たち。噛まないよ、大丈夫だよ、と笑うと、ワンコの頭をくりくり撫でてくる。ワンコがぺろんと子供の肘を舐める。「うわ、舐められた!」とここでも嬌声が上がる。ワンコの一挙手一投足が気になるらしい。四人でうちのワンコを囲んできゃぁきゃぁやっている。結局途中まで散歩に付き添うことに。「いつもこの時間散歩?」「いつもこの道?」「今どんぐり食べたよ!」「すごーい!」。彼女たちの興味は尽きることがなさそうだ。 坂を下りきったところで別れる。「またねー!」。ずいぶん気に入られたようだね、とワンコに向かって言うと、不思議そうな表情でこちらを見返してきた。
人生はじめての釣りから帰宅した家人と息子は、五匹のニジマスを持って帰ってきた。全部息子が釣ったそうで。早速塩焼きにする。美味しいねえ美味しいねえ。みんなでそう言い合いながら食べる。ふと思う。私が子供の頃の食卓は、私語厳禁でひたすら静かな食卓だった。娘ができたとき決めた、賑やかな食卓にしよう、と。今、ああでもないこうでもないとみんなで語りながらニジマスをつつく。私は手に入れたいものを既に手に入れていたのだな、と、今頃気づく。娘にも、今の家族にも、感謝。 |
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