てくてくミーハー道場
もくじ|前回てくてく|次回てくてく
2019年08月31日(土) |
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(EX THEATER ROPPONGI)〈予告〉 |
この作品はやっぱり“劇場”じゃなく“ライブハウス”で観たい。てか、“観る”んじゃなく、“参戦”したい作品です。
・・・今からZEP TOKYOのチケットとれるかなあ・・・?
本日公演の感想は・・・まあ、そのうち(やっぱり)
2019年08月26日(月) |
「八月納涼歌舞伎 第三部『新版 雪之丞変化』」(歌舞伎座) |
(観てきたのは昨日です)
八月納涼歌舞伎なので、軽い肩の凝らない演目が並んだ歌舞伎座。まあ、朝っぱらからの第一部はバリバリ丸本物の「先代萩」ってなんのこっちゃ、とはいえ、これは七之助の“チャレンジ公演”であります。
で、第二部は人気シリーズ化した猿之助幸四郎コンビの「やじきた」、これにもぼくは乗り遅れちゃったので(シリーズ一作目を見損なったので観る気が起きないという意地の悪い客)パス。
よし、久々に玉さんだ!と張り切って参りましたのが第三部。
「雪之丞変化」って、実は歌舞伎じゃないけど、なんか実験劇っぽくて面白そうだし玉さんだし。
まさに“実験劇”でした。
登場人物というか、役名のある出演者はたったの4人。
玉さん(坂東玉三郎)、(市川)中車、(中村)七之助、そして七之助演じる秋空星三郎(こんな役「雪之丞変化」にあったっけ?)の弟子・鈴虫(かわいい名前だなあ)を(尾上)音之助と(坂東)やゑ六が役替わりで。
中車が何役もやってて、それが澤瀉屋のくせして()早替わりとかではなく(一応早替わりもあった)、映像を使った手法で、こういうのってぼくはあんまり好かない。
第一、中車はスクリーンに映った瞬間、“市川中車”ではなく“香川照之”になってしまうのである。ナマで見る中車は歌舞伎の化粧もきれいにのってて役者ぶりも良かっただけに、ここで気持ちが醒めてしまうのが勘弁だった。
そして、「雪之丞変化」っていう芝居はアクション娯楽作だとぼくは思ってたんですが、今回玉さんは、むしろ雪之丞の「役者としての苦悩」に焦点を当てていて、やけに青臭い内容になっていて、肩の凝らない納涼歌舞伎を目当てに来た身としては、なんだか「話が違うぞ」と言いたい気持ち。
なら第二部を観れば良かったのにって?・・・そうですね、うん()
まあ、たまにはいいんでないの、こういうのも(こらこら)
こういうのがメインストリームになっちゃ困るけど、客が入んなくてもいいや、っていうニッパチ月間に、客を呼べる千両役者である玉さんと、ヤングスター(←呼称が昭和!)の七之助が出るから切符はハケる、だからこそ許された実験公演なんだろうなあと思った。
普通にやれば、雪之丞が玉さんで浪路を七之助、またはそれをとっかえたダブルキャストでというサービス的な興行にできたんではと思うんだが(そういえばお初も出てこなかった)
“普通”にしたくなかったんだろう。良く言えば意欲的な冒険作なんだけど、実際観た身としては、映像の多用がとにかく製作費節約したみたいにしか見えなかった(いや、むしろお金はかかってたのかな?よーわからんけど)
ぼくはこれまで「雪之丞変化」の正統派演出作としては長谷川一夫先生の映画版しか観たことはないですが、舞台作品としては、二十一世紀歌舞伎組のやつと、宝塚歌劇団のやつと、花組芝居のやつとを観たことがあります。どれも面白かった。
・・・まあ、久々に玉さんをたっぷり見ることができたんで、料金分は損しなかったけどな(結局不満だったのね・・・?)
今度は大歌舞伎で玉さんを観に来よう。←
あ、七之助、『四谷怪談』ガンバレ。京都までは行けないけど(薄情)
変化球ばかりじゃなく、正統派作品のときに歌舞伎座に入らないとやっぱりいけませんね。・・・さて、来月はどうしようかな(オイ)
2019年08月25日(日) |
『ブラック or ホワイト?−あなたの上司、訴えます!−』(新橋演舞場)〈予告〉 |
良かったところとケチつけたいところが入り混じった舞台だったんですが、今回一番強く思ったことだけ忘れないうちに書いておく。
うちきゅん(内博貴)、めっちゃ成長した!(喜)
いや、背がじゃなくて(こら)
つうか、背は前から高いし。
あつくんと並ぶとさらに(余計なお世話!)
無駄口はともかく、こんなに芝居が上手になったんですね、かつてダメ出しばっかしていた年寄りは反省しきりです。
内容と出演者(つっても、うちきゅん以外にはあつくんぐらいしか語りたい人いないけど)については、そのうち忘れなければ。
2019年08月24日(土) |
『ブラッケン・ムーア〜荒地の亡霊〜』(シアタークリエ) |
典型的なイギリス演劇だなあと思った。
なのに、作者のアレクシ・ケイ・キャンベルは100パーイギリス人ではなくギリシャ人の血も混じっている人だそうで、その辺もまた面白い。
ちょっとミステリー仕立てで、テレンス(岡田将生)がもうちょっと若い設定(十代後半とか)だったら、萩尾望都先生の漫画みたいな感じになりそうだと思った。
イギリスの、重くくらーい、乾いた風がビュービュー吹いてる田舎町で起きる、陰鬱な事件と繊細な人々の悲しみ、そして再生のほのかな光、みたいな。
スタジオライフがやりそうだぜ←
難しい感想は今回は抜き。
岡田君は今回もべりべり麗しかった。
木村多江(エリザベス)が、役にドはまり。益岡徹(ハロルド)も。
エイブリー夫妻(相島一之と峯村リエ)は、キャスティングからして本当はもうちょっと剽軽でもよかったのではと思うんだがなあ。普通に“良い人たち”だったのが、観てた時は何とも感じなかったんだけど、今思い返すと物足りない。
この芝居、本来はもっと笑いどころがあったんじゃないかと思う。その辺をうまく出してたのが立川三貴さんが演じたギボンズ先生なのだが、彼がけっこうおもしろいこと言ってるのに、クリエの客がクスリとも笑わないので、なんか申し訳なかった。あの辺は笑っていいと思うんだが。
その代わりに、立川さんのもう一つの役・ベイリーは一から十まで深刻な状況に置かれた怒りの人なのだから。
前田亜季ちゃん(アイリーン)は、ただのおとなしいメイドではないところがちゃんと出てて良かった。
ダブルキャストのエドガー本日は大西統眞君。
(大ネタバレ)「おとうさあーーーーん!」というたった一つしかセリフがない難しい役。このセリフに全集中。
劇中の感じと、カーテンコールで出てきたときの感じがなんか違ってた。幼くとも(エドガーは12歳の設定だが、大西君は実際は14歳のようだ)“俳優”なのだね。頼もしいです。
うん、イギリスっぽかったな。(なんだその感想)
2019年08月12日(月) |
いのうえ歌舞伎《亞》『けむりの軍団』(赤坂ACTシアター)〈予告〉 |
劇団☆新感線旗揚げ39周年記念作品の東回り組。脚本が倉持裕なので純然たる新感線モノではないのかなーと言ったらかわいそうなぐらい「ザ・新感線」モノでした。
それにしても、黒澤明オマージュしすぎだろ()
むしろ、中島かずきさんが脚本書いた『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』よりもクロサワ色満載でした。
ちょっとくたびれたので以下後日。
2019年08月05日(月) |
ミュージカル『エリザベート』(帝国劇場) |
もうそろそろ飽きろよ日本人。何度目の再演だよ(いきなり毒吐くなよ。てかお前も飽きてないだろ)
いやあ、こんだけチケットとれないと、毒も吐きたくなりますよ(なるほど)
まず、6月7月全滅。とうとうたぁたん(香寿たつき)ゾフィーと京本(大我)ルドルフを見逃し。
最後のダンスチャンスである8月のチケットを命がけ(大袈裟)でとったんですがやはり土日祝日は全敗。
なので、第一幕捨てるつもりで(そんなら最初から観るな!/怒)平日をとりました。
そしたら、神様は見てくれているのか()今日に限ってすごく仕事がヒマでした。
終業時刻を待たずに「失礼しまぁす〜♪」と職場を後にし、ギリギリ開演時刻にセーフ。
多分、フリークの人はぼくなんかとは比べ物にならない回数ご覧になってるとは思うんですが、ぼくだってもう何十回観たかわからん作品なので(それでも観るたびに同じところでツッコミが入るという)、注目するのは内容よりも演者について、そして演出についてになりますが。
演出は前回上演から大きくは変わってなくて、舞台面の重厚さは数ある各国バージョンの中でもおそらく世界一なんじゃないかと(他国のバージョンは実はぼくウィーン版しか知らないんですが)
この、目から入ってくる贅沢さ加減がたまらんなあと毎回思いますね。そもそも役者の顔が日本版は世界的にも類を見ない薄さ(おいこら)じゃないですか。その分やっぱ他のところで濃くしないと(さっきから失礼千万ですな・・・)
というわけで、本日は世界でも類を見ない顔の薄いトートとシシィの組み合わせ、芳雄トート×花總シシィでお贈りされました。
芳雄くんに関しては、前回初めて観た時に強烈に思ったのは(なのに感想を書いてないという・・・)、悪くとってほしくないんだけど、他のトート役者が無心で「トートっていう特殊な役を何とかモノにしよう」と頑張ってる(約1名様除く)のが見えるのに対して、芳雄トートは、あまりにも自信たっぷりに「みんないい?これが、このボクが今やってるのが『トートの正解』だよ?分かった?」みたいな感じ。
その自信満々さに「ははーっ、おっしゃる通りでございますっ!閣下!!」みたいに平伏しちゃう心地よさがあった。
それを今回も期待して行ったんですが、ぼくの思い込みが激しかったのか、今回はさほどその(良い意味での)傲慢さは薄れていた。
非常に丁寧にトートらしさを醸し出されておりました。
あと、やっぱ「闇が広がる」がねぇ・・・。これもこっちの勝手な先入観のせいなんだけど、ルドルフ役者に対して「オリジナルはオレだから」みたいな雰囲気が(思い込み思い込み!)
時間がないから順不同で書いて行っちゃうけど、本日は今回初ルドの三浦涼介クン。彼の舞台は何作か観てますけれども、つい最近知ったんだけど、彼って二世俳優だったんですね!
お父さんが三浦浩一さん、お母さんが純アリスさん。つまり、知ったきっかけは、純アリスさんがこないだ(7月12日)亡くなったというニュースに家族構成が載っていたから。
役者の常で、つらいつらい時期であるにもかかわらず、それをおくびにも出さず頑張って舞台を務める姿に胸を打たれます。
しかし、言われてみるとほんとお母さんそっくりやな。なぜ気づかずにいたんだろうか。ぼく鈍いからなそういうとこ。
それはともかく、やっぱり歌は今一つ。決して「下手だ金返せ」てほどではないんだけど、やっぱルドルフって役はハードルがスカイツリー並みに高いんで(高すぎだろ!)
で、今日観てたら、ダンスも今一つ芝居も今一つだった(全部かよ?!)
人一倍良いのは顔とスタイルだけじゃん!(ほんとに毒だなあ・・・)
親の十四光をふっとばして本人の輝きでキラキラする日がきますように。ぜひ頑張ってください。
さて、あんまり詳しく感想書く体力がもう残ってないので、花總の話で終わらせます。
つくづく、やっぱ歌下手やね(ど、毒がすぎますぞ、ておどるさん・・・/哀)
今回特にそう感じた。スコアところどころ変えちゃってるし。
高音が出ないから?と思ったりもする。ぼく自身そんなに音感良くないので自信はないのだが、エリザベートのナンバー、原キーより下げてなかったか?気のせいか?
Hi Gだったか?シシィの一番高いキーって。それが半音まではいかない、四分の一音ぐらいフラットして聞こえるのだ。そういうなんか微妙なピッチだった。
でも花總って人は、そういう基本的な技術はともかく()、とにかく“立ってるだけで”シシィの人だし、少なくとも感情の出し方があまりにも的確なので、歌は壊滅的だけど(そ、そんなには酷くなかったと思う・・・)見てて不愉快にはならなかった。
あ、今回ぼくが「へぇー」と思った箇所が一つあって、それはシシィがフランツから豪華なネックレスを贈られるシーンなんだけど、あそこで「つけてごらん♪」「とても重い」――この「重い」を、ぼくはずっと、シシィが皇后になることへの畏怖を表現してるんだと思ってたんだけど(確実にかつて花總もそのように演じていた)、今回は、単純に幼いシシィが「わぁ、重いわ。すごーい」と喜んでる風に演じていた。
ここに限らず、今回の少女時代のシシィは思いっきり幼く演じており、それは、そんぐらいしないと花總自身が少女に見えないお歳になっ(黙れ)
・・・いや、あながちそうでないとは言い切れないのではないか。とにかく前回とは諸所違った役づくりでありました。
花總の話で終わるなんて言っといて、最後にこれだけは付け加えたくなった。
成河ルキーニ。
前回初見のときは「いろんな部分が物足りない」と感じたのだが、今回は、歴代のルキーニにはなかった一番“狂気”を感じさせるルキーニで、なんともいえぬ魅力がありました。ぼくが思う大正解というわけではないのだけど、「なるほどー、ルキーニにはそういう感情があったのか」みたいなことを教えてもらえた気が。
そして、ほんとにこれが最後に一言。
田代フランツ。
貫禄の大正解。
つくづくうまいっす。
この作品のフランツ=ヨーゼフって、エリザベートを一生愚直に愛し抜いたように描かれてるけど、実は(やめなさい今そういうことを言うのは)
なんか、そういうところがそこはかとなく見え隠れするフランツで(まさか狙ってなかったとしたら逆にまずい感想だぞ?)どことなーく冷たいんだよね。
それはシシィを愛し足りないってことではなくて、自分でその“冷たさ”を分かってない、生まれた時から皇帝だからしょうがない、みたいな、いかにもやんごとなきお方らしいフランツでした(ほらあ、結局ほめてないみたいになっちゃった)
名曲「夜のボート」は、実は「あなたが側にいれば」のリプライズなのであり、この、いかにも若い高貴なカップルの愛の歌であるかのようなナンバーは、ちゃんと聴くと、二人、まったく平行線なことを歌ってるのである。
最初から全然お互いを理解しようとしてなかったんだ、っていう、クンツェ先生の深くも意地悪な歌詞である。
何十回観ても飽きないのはこういうところがあるからなんだろうな。
さて、もうチケットは持ってないのであとは当日券に賭けるしかないのだが、果たしてゲットなるでしょうか。
答えは〇日後(←アホなテレビ番組みたいなこと書くな!)
|