てくてくミーハー道場
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2018年11月25日(日) |
日本テレビ開局六十五年記念舞台『魔界転生』(明治座) |
日本テレビ開局六十五年記念なら、正月あたりにテレビドラマでやればいいのに(いきなり憎まれ口)
まあ、そうしたら多分ぼくは視ないで終わっちゃうと思います(だろ?)
なので、舞台にしてくれて良かったよ日テレさん。
てか、同じストーリーでおそらく同じキャスト(特にメインの皆さん)であろうに、只で視れるテレビは視ないくせに、高い料金(こら)の舞台は観に行くって、どういう精神構造なんでしょうね我ながら。
なんか、ほかのことに気をとられながらリラックスして視るものって、ありがたみがないというか。
お金払ってチケット買って、わざわざ劇場まで行って、舞台上の役者からも見られてる(もちろん顔なんかは全然判別されてないんだろうけど、役者は観客の雰囲気をばっちし感じながら演じているはず)状態で、見ず知らずの“仲間たち”と一緒に一つの作品を観る、っていうのが何とも言えず楽しいのです観劇って。
もちろん、今回の作品が『魔界転生』だからこそ来た、っていうのもあります。
ぼくら世代は1981年公開の角川映画が刺さったド真ん中世代なので、そらもう期待はMAX。
山田風太郎の原作ももちろん読んでおります。エロイムエッサイム←
で、観た感想を一言で言いますと。
上川隆也と松平健がカッコええ
以上です←
件の角川映画も、原作を損じずに柳生十兵衛を中心にあらゆるメインキャストたちが生き生きと描かれていたんですが、実際封切られてみれば一般大衆はどいつもこいつも『寺内貫太郎一家』で樹木希林さんが演じたおばあちゃんみたいに、
「ジュリ〜〜〜ッ!」
と身をくねらせていたもんです。
そんぐらい、天草四郎を演じたジュリーこと沢田研二さんの当時の妖艶さったらたまらんものがありました。
(でも正直ぼくは、辻村ジュサブロー先生製作の天草四郎人形の首がぶっとぶテレビCMの方に圧倒的にヤラれてました。美しすぎてゾクゾクしたなぁあれは)
映画を最後まで見れば、やっぱり十兵衛(千葉真一←若かった!)と但馬守宗矩(若山富三郎←未だに目に残る貫禄とカッコ良さ)の父子対決が一番目に焼き付いたんだけどね。
というわけで、今回の上川十兵衛と松平但馬守(なんかややこしいな)のサシの勝負もしびれました。
ストーリー上だけじゃなく、俳優同士のぶつかり合いも見ごたえあり。
これやっぱ、テレビか映画にした方がモトとれたんじゃないのか?(大きなお世話)もったいないよ、映像に残しとかなきゃ。と思いました。
そういや今回は六十五年記念だが、思い出せば日テレは開局六十年(といっても2014年)にも記念作品を上演していた。
それが、今回の舞台ともリンクしてた『真田十勇士』
舞台版は2016年に再演され、同時期に同じキャストで映画版も製作された。ぼくは例によって舞台版の方だけを観たんだけど、これが実にややこしいことに、日テレ製作版と別に、舞台版『真田十勇士』が2013年に上演されてて、それはTBSの製作だった。
これに真田幸村役で出てたのが上川隆也で、日テレ版で幸村を演じてたのは加藤雅也だった。
つまり、上川君は今回の『魔界転生』と世界観がリンクしている『真田十勇士』にとってはパラレルライバル()なのだ。
ちなみに、しっかり日テレ的リンク()をしていたのは、『真田十勇士』再演でも今回も淀殿を演じていた浅野ゆう子女史と、根津甚八と秀頼の二役をやってた村井良大君。
役が違うけど、堤(幸彦)組つながり(?)で、山口馬木也、野添義弘、栗山航、丸山敦史などの面々が出演。
そして、『真田十勇士』では家康を演じていた松平健が今回は宗矩と、正直頭こんがらがりまくりでした。
で、前作とは関係なく、一番注目されるキャストに溝端淳平君。
ジュリ〜〜〜ッ!のイメージが染みついた天草四郎を演じるにあたっては、さぞや重量級のプレッシャーもあったかと思いますが、なかなかしっかりと演じており感心しました。
『ムサシ』で佐々木小次郎を演じた経験が、かなりプラスになっていたのではないかと(とかいって観てないのゴメン)
そして、ザッツ・ヒロインのお品を演じた高岡早紀女史。美しく清らかで良いヒロインでした。
ところで、映画でこんな役あったっけ?(多分・・・なかった)
淀殿も出てこないよね?『魔界転生』で活躍する女は細川ガラシャだったと記憶してるが。
このあたりは、自分ら(作・マキノノゾミ、演出・堤幸彦)で創った『真田十勇士』へのオマージュってやつだったのかもしれない。
とりあえず、一言で言ってしまえば高級エンターテインメントに徹した内容と演出。満足いたしました。
ただ、最後にケチつけちゃって申し訳ないけど、ギャグは今ひとつだったかな。
出演者にダンスをさせたカーテンコールは楽しくて良かったです。
2018年11月24日(土) |
十八世中村勘三郎七回忌追善『平成中村座 十一月大歌舞伎』昼の部(平成中村座) |
噂には聞いていたが(?)、今の浅草は半端なく観光客がすごいです。
確かにもう十年以上前から、浅草は一時の落ち込みから回復し活気を取り戻していると言われてきていたのですが、ここ数年は、その時に安堵した以上の賑わいを見せています。
とにかく異常な混雑です(いけない?)
いや、いけなくないです。喜ばしいことです。
仲見世だけでなく、その周辺も常時人であふれ、なんつっても、周囲から聞こえてくる会話の“日本語率”の低さには、誇らしさとともに戸惑いまで感じます。
でもやっぱり、嬉しいかな。
さて、なかむら屋(十八世勘三郎)の“遺影”を見るのが未だに嫌なので先月の歌舞伎座にすら行かなかったぼくですが(大損だったと例のフジテレビ番組を視て今頃後悔してるが)、平成中村座だけは何となく足が向くので、今回はチケットが買えた昼の部だけ観に来ました。
浅草にこのコヤが建つのは三年ぶりだそうで、ぼくも三年ぶりに来たことになります。
波野兄弟の順調な仕上がり()ぶりは他の芝居でもちょいちょい拝見しているので、安心100パーセントで気楽に見物するつもりで来ました。
長三郎の初の大役(太郎吉)も、じいじばあば目線で「カワイイ」「よくできまちた◎」と言ってりゃいいので(オイ)、その辺も気楽でした。
ま、実際〈実盛物語〉に関しては、勘九郎の容姿がすばらしく立派で美しく、最初から最後まで満足。あえて言えば、頭身が二十一世紀かなあ(昔の人は「五頭身」がグッドプロポーションだったので)とは思いますが、現代人の目で見れば、今の彼ぐらい(七頭身)が一番かっこよく見えます。
声も、かつては「お父つぁんソックリだよお(T-T)」といちいち泣いてたんですが、最近はそんなに気にならない。
長三郎は、もう「教えられたとおりにきちんと」やってたので、それだけで花丸上々吉でした。
新悟ちゃん(葵御前)は、また背が伸びたんか?つうぐらい長身が目立ってて、これから女方やっていくのにどうするんだろう。男役(?)転向する?(宝塚じゃないし!)
いや、もう身長はしょうがないので、何とか芸の力で女方道を突き進んでいっていただきたいと。これからは立役も若い子が増えればどんどん平均身長が高くなっていくだろうから、大丈夫でしょう。
児太郎は、今んとこ感想を抱くまでには至っておりません、残念ながら。今回のように小万を演るくらい役が大きくなってきたので、今後いい役がどんどん回ってくるでしょう。その中で成長していってほしいと思います。
で、児太郎の話になったので、先々月するつもりだった話を今しますと、福助が奇跡の舞台復帰を果たしたということで、ジャスト同年代として安堵するとともに、心からお喜び申し上げます。
近年のぼくは歌舞伎に関して全くの情弱状態だったので、八月に『NARUTO』を観に新橋演舞場に行った時、置いてあった九月の歌舞伎座のチラシをふと目にして、そこに福助の写真があるのを見て、
「いつの間に復帰してたん?!」
と驚きました。
いつの間にってか、その『秀山祭九月大歌舞伎』が復帰の舞台だったんだけど。
その舞台に、何が何でも駆けつけるほどの贔屓ではなかった(ぶっちゃけますなあ)ので、結局行かなかったんだけど、彼の回復は心から嬉しく思っています。復帰舞台「金閣寺」では、座りっぱなしの慶寿院だったのだけど、セリフはきっちり発声していたそうなので、そのうち動きのある役もできるのではないかと。
そうしたら改めて拝見しに行きたいと思っております。
閑話休題。
さて今回の「実盛物語」、勘九郎はまあ当然のこととして、亀蔵丈(瀬尾)にすっかりヤラれました(T△T)
まったく、お手本の瀬尾。前半の憎々しさにスパイス的な愛嬌をプラス。後半“モドリ”になってからの慈愛。もう言うことなし。
落ち入りでは平馬返りもやってくれて(一旦立ち上がるという荒業(コラ)だったけど)拍手喝采でありました。
〈近江のお兼〉
お待ちカネの七之助のおカネ(オヤジダジャレはやめろ)
こちらも申し分なし。
リボンさばき(新体操じゃないんだから)も鮮やかに、D得点E得点・・・すみません、ルールあんまりよく知りません(だから新体操じゃないっつの)
なんか不思議だったのは、玉さん(玉三郎)でも福助でもなく、時蔵丈に雰囲気が似てたところ。
馬の中の人()も素晴らしい演技でした。飼葉料をはずんでやってくださいね。
〈狐狸狐狸ばなし〉
何度か観ていてオチも知っているけど、やっぱり何度観ても面白い。
ただ、扇雀(伊之助)がかわいそうだったのは、こちとらになかむら屋の伊之助の面影が染み付いちゃってること。
フグ鍋を「あれ?味が変」とか言いながらパクパク食べるあの可笑しさ、やっぱなかむら屋じゃないと出せない。
芝翫(重善)は、ちょっと頼りがいがありそうなあたりが逆に難点。もっとダメンズでなきゃ。この役は、海老蔵が過去最大にはまってた(それどういう意味?!)。あれを観れたぼくは果報者と思う。
七之助はするすると簡単そうにおきわを演っててこっちもラクに観れた。こんなあばずれをラクそうにできるようになったのかと、若干複雑な気持ちにもなったが(←)
で、今回の「ておどるが選ぶ最優秀平成中村座賞」(勝手に設立)は。
中村虎之介君(又市)です!おめでとう!!!\(^^)/パンパカパ〜ン!
いやあ、子役時代からちょっと“パねぇ”子だなとは思っていましたが(そんなに大した数観てなかったくせに)、無事才気を保ったまま成人してくれて、おばちゃんホンマに嬉しいワ。
(ただし百点満点というわけではなく、“素”の又市は演じるのが難しそうだった。素でしたたかな男を演じるには、まだ人生経験が足りないのかもね。まだ二十歳だもんねえ)
もし夜の忠臣蔵にも出てたら絶対行ってたんだけどな(「五條橋」に出てますぜ)・・・ぬ、踊りの実力も確かめてみたいな・・・でも・・・明日の夜はもう別件が(←無計画)
残念だ。しかし、この年代がもう続々と花形になってきてるんだねえ。うっかり歳とってらんないな。
ええと、虎之介の次の舞台は・・・来年正月の松竹座か・・・大阪・・・(大阪なんて昔は平気で行ってたのに、何だその躊躇は)
久しぶりに宝くじでも買うか(こういう人は絶対当たらない)
よし、観音様でおみくじひいて占ってみよう。
「凶」(≧∇≦)ひゃっひゃっひゃ(←情緒不安定?)
何年かぶりに浅草寺名物()「凶」が出たので、むしろラッキーと思っとこう(ポジティブ思考!)
・・・正月にリベンジしてやる・・・(←結局気にしてる)
2018年11月23日(金) |
新演出版 ミュージカル『マリー・アントワネット』(帝国劇場) |
実は10月13日に1回目を観てまして、その時とキャストかぶりなしバージョンを今日観ることができました。
10月13日のキャスト
マリー・アントワネット・・・笹本玲奈
ハンス・アクセル・フォン・フェルセン・・・田代万里生
マルグリット・アルノー・・・昆夏美
ルイ16世・・・佐藤隆紀
本日のキャスト
マリー・アントワネット・・・花總まり
ハンス・アクセル・フォン・フェルセン・・・古川雄大
マルグリット・アルノー・・・ソニン
ルイ16世・・・原田優一
ちなみに、どちらの日もマリー・テレーズ・・・高畠美野 ルイ・シャルル・・・陣慶昭という偶然。
まず、初演を1回だけ観て再演を観なかった人間としての一番大きな感想。
正直な話、初演を観たときに「げげっ(汗)」と思ったんです。
なんつー血なまぐさい、陰気な話だろうと。
そりゃあ、なぜか日本で大ヒットしているフランス革命モノって、お花畑脳というか、きれいごとっぽいのは分かりますよ?
でも、「硬派な話」にするのと、ひたすら血なまぐさい話にするのは別だろうと。
原作を読んでないので、あんまり文句は言えないけど(もしかしたら原作はそういう話なのか?)
かと思うと、フランツ1世がらみの謎解きでいきなりマルグリットとアントワネットが和解するみたいな流れも「昼メロかよ」と思ってしまって。
今頃旧演出版に文句つけてすみません。でもこれは、今回観た新演出版で様々改善されていたことが嬉しかったので書いてみました。
まず、旧に出てきたカリオストロ(謎めいているだけで存在意義不明。悪役としてはオルレアン公とかぶるし)とボーマルシェ(狂言回し、すなわち『エリザベート』でいうルキーニの役どころなんだろうけど、これも結局話がごちゃごちゃするだけ)をリストラ()してすっきり。
この二つの役をやってた俳優さんにはお気の毒であるが、お二人(特に誰とは書きません)は他の舞台でも引っ張りだこなんだから、諦めてください(←)
新ではストーリーテラーをフェルセンにした(『ベルサイユのばら』フェルゼン編と同じ手法)ことが、非常に吉。フェルセンはマリーとマルグリット、二人の「MA」どちらにとっても敵ではない唯一の人物だからだ。
この辺、すばらしい改変だと感心しました。
ただし、新演出版では血なまぐささが一掃されたかというと実はそうではなく、ランバル公爵夫人のくだりでは、そのストーリーを忘れていただけに今回も「げげっ()」となってしまいました。
このくだり以降はさすがに凄惨な史実を「ないこと」にはできず、革命後の恐怖政府時代へと舞台は突き進んでいきます。
実は10月の観劇時には、ここ以降観てるのがしんどかった。一幕の、マカロンのような淡く甘々しい、そして脆い“かりそめの平和”からの落差。これこそが、この作品の創り手が、フランス革命という題材を通じて、現代人の観客であるぼくたちに訴えたい「こと」を最も効果的に伝えるための手法なんだろう、そう覚悟した。
しかし、それにしてもしんどかった。
ところが、今日の観劇では、さほど息苦しさを感じなかった。
もうストーリーを知ってるからなのかな?とも思うが、一番大きな違いは、やはり、玲奈ちゃんと花總の違いだったのではないか、と思う。
玲奈ちゃんのアントワネットは、ひたすら自分の不幸を嘆き悲しみ「私ほどかわいそうな人はいないわ!」みたいに喚き散らしながら死んでいく感じだった。
でも、花總のアントワネットは、死に向かって、どこか達観しているように見えた。
この辺は、『ベルサイユのばら』でマリーを演じた経験がものを言っているのかも知れない。ルイが処刑され、絶望と恐怖の淵にいるところへフェルゼンが魔法を使えるヒーローみたいに現れて、「一緒に逃げましょう!」なんて言っても、「子供たちを残して私だけ逃げるなんてできません!」と敢然と拒否する姿に、アントワネットに完全無欠のヒロイン像を求めるニッポンの観客は、そらもうぐらっときちゃうわけである(なんでそう皮肉っぽい書き方するんだ?!)
観客をこういう甘美な世界へ連れて行くチカラは、さすがは花總まりといわずばなるまい。←
正直、今の彼女の年齢では(おいこら)、前半の恋してキャッキャしてるアントワネットなんか、さすがに無理じゃないかなあ、なんて危惧してたのだ。
ところが、もう、これ、(←語彙)
だいぶぼくの花總ラブ心理が働いているのは認めざるを得ませんが。
そんなわけで、いきなりナナメから斬りかかって申し訳ないのだが、組み合わせとして本日のフェルセン=古川君は、ちょっとバランスがとれてなかった。
つうか、10月にマリオ君のフェルセンを観ながら、「やばい、完璧じゃん(大汗)」と思ってしまっていたからだ。
ちょっとさあフェルセン、カッコ良く描かれすぎじゃねえの?と文句つけたくなるような脚本ではあるんだけど、マリオ君のフェルセンは、「それでいい!大正解!!」と思わせる完璧なヒーローだった。
このお話の後、アントワネットを失ったフェルセン伯爵は、とんでもなく荒れてパワハラ三昧の暴君になり、領地の民衆に惨殺されるという史実を知っているだけに、なんでフェルセンだけこんなに贔屓されて描かれてんだろ?と疑問に思わないではなかった。
が、マリオ君のフェルセンを見てると、そんなこたあどうでも良くなってくるのだった(なんつーテキトーな客/呆)
古川君は、やはりまだ、幼さが出ちゃってるというか。
フェルセンとアントワネットって同い年なんだよな確か。
すごく年下のツバメにしか見えなかったぞ(それは演じてる本人たちの実ねんれ・・・うぐぐ)
組み合わせ、しくったなあ(今頃)
マルグリットについて。
最初に昆ちゃんの方を観たわけだけど、「なんか、ソニンみたい」と思って観てました(何だと?)
いやあ、貧乏で気の強い娘役が似合うなあ(おい)
そして、今日ソニン版マルグリットを観たら、「今までのソニンじゃない?!」と戸惑い。
なんか、歌い方がガラッと変わってたぞ。
なんか、中島みゆきみたいな歌い方になってた。どうしたソニン?!(別に・・・いいと思うが)
ぶっちゃけ、『1789』のソレーヌと変わらんのだろうなあ、なんて見くびっていただけに、すんませんでした!と謝りたいです。とても素晴らしかったです。
とはいえ、昆ちゃんのマルグリットも、全然悪くなかったですよ。
ルイ。
シュガー君のルイは歌唱力はあったんだけど、この作品の中で「ルイ16世」という人物に求められているものが今ひとつ足りてないように感じた。
ぶっちゃけてしまうと、ちょっと「しっかりしすぎて」いるのだ(何だと?!)
そういう意味で、原田君のルイは完璧であった。
もう15年も夫婦やってるのに、未だに奥さんの顔をまともに見ることもできないオドオドぶりがうまかった。歌声は全然似ていないが、(石川)禅ちゃんのルイを踏襲しているように見えた。
ただ、どちらのルイでも「もし鍛冶屋なら」で泣けなかったのが寂しかった。泣きたがりすぎかしら?
これらダブルキャストの面々以外にも、コメディリリーフ的なレオナール(駒田一)とローズ・ベルタン(彩吹真央)の達者さ、ランバル公爵夫人(彩乃かなみ)のしとやかさ(でもかなみん・・・歌は昔より衰えてたように思った。気のせいかな?)、そして『1789』のアルトワ伯とカブりまくりのオルレアン公(吉原光夫)のおいしさ(コラッ)、これまた『1789』に続いておいしいサカケン(役名を出せ!)=ジャック・エベールと、細かく見ていけばきりがない。
ソロはないけどもちろんロベスピエールも登場してる。
フランス革命モノって、いくらでも作れちゃうなあ(不遜)
とりあえず、初演ではあんまり記憶に残らなかったクンツェ&リーヴァイの楽曲が、今回はいくつもぼくの脳裏にインプットされたのが嬉しいです。やはりカッコいいんだよね彼らが作るナンバーは。
そして、舞台にとって脚本やミュージカルにとって楽曲と同等かそれ以上に演出って本当に大事なんだなと実感した新演出版でございました(不穏な発言はやめろ!)
2018年11月19日(月) |
ミューヲタが語るフィギュアスケート |
羽生君が大変なことになっている時期に出す話題としては甚だ不適格であることは重々承知のうえで、「さすがておどる、ミーハー且つおめでたい」という評価をされること覿面のお話をいたします。
オリンピックの翌シーズンていうのは、どことなくリセットした気持ちが、選手の皆さんからもファンの皆さんからも漂うのが常。
オリンピックチャンピオンが引退したり、休養したりすることも多いですし(そういう意味で、今季は男女チャンピオン二人とも現役続行というとても嬉しいシーズンではあります。オリンピックで初めてフィギュアに目覚めた新規ファンが一番見たい選手が、そのまま試合に出てくれるんだものね。ぼくは長野五輪で初めてイリヤ・クーリックを見て夢中になったにもかかわらず、その後すぐ引退しやがって(言葉遣い気をつけろ)、本当にがっかりしたくちなので、新規さんの気持ちがすごく解るのです)
また、今シーズンは大きくルールが変わりまして(特に男子シングル)、それまでの高得点ラッシュが一旦ご破算になったシーズンでもあります。
いろいろと新鮮なシーズンなのです。
とか言っときながら、全然違う話になるのですが(おい)、ミュージカルヲタがフィギュアを見ていて、一番気になるのがやはり「音楽」
2014-2015年の、ソチ五輪翌シーズンから、競技プログラムでの音楽にヴォーカル入りが解禁となりまして、それまでは有名ミュージカルの音楽を使っていても、歌のない部分だけだったり、ヴォーカルなしにアレンジされていて違和感があったりすることが多かったので、すごく楽しみが増えました(逆に自由度が増したおかげで、より“編曲”が“変曲”になるという弊害()も増えたけども)
解禁年だったこともあって、別に義務でもないのに、それこそたくさんの選手が「ヴォーカル入り」音楽で滑っていて、「過度期だなあ」と思ったもんです。
羽生君もフリーでは『オペラ座の怪人』を選びまして、このシーズンは無良崇人選手と村上佳菜子選手もオペラ座を使ってて、国別対抗戦では「オペラ座ジャパン」なんて言われてました。
『オペラ座の怪人』はオーケストレーションに印象的なフレーズがあってドラマチックなせいで、ヴォーカル禁止時代から何人もの選手が滑っていましたが、羽生君が選んだ音源は、よりによって()映画版というトリッキー(?)なもの。
はっきり言ってミューヲタはがっかりしていたもんです(歌ってるジェラルド・バトラーが、いわゆるミュージカルの錚々たる役者連と比べて声がアレだったもんで)
でも、ぼくは実のところ、羽生君バージョンがめっさ好きです。
単に羽生君が一番好きな選手だからだろ、と言われてみれば「そうかもしれない」という答えになってしまいますが。
それもありますが、なんでぼくがこれが好きかというと、映画版が本物のフルオーケストラ使ってるからなんだよね。
ミュージカルは、オケピの広さの関係で、フルオーケストラなんて使えないもんね。
みんな、最小限の構成で最大限の“音”を出せるように頑張ってる。
でも、映画版ではロイド=ウェバーの財力をもって(誤解を招く言い方すんな!)、全編60人編成のフルオーケストラで劇伴を録音したのです。
だから音の厚みが違うんだよ。
ちなみにぼくはバトラーの声も好きです。ガサガサしてるところがむしろ良い(?)
電気楽器不使用ならではの「生音の迫力」と「繊細さ」、そして一片の「洗練されてなさ」――これがなんか妙に羽生君の滑りと合ってる気がする。
いかん、羽生君がらみの話が長くなってしまった。
そいで、ぼくが長年熱望しているプレスギュルヴィック版『ロミオ&ジュリエット』の音楽で滑ってくれる選手がなかなかいなくて(これまでに見つけられたのはエレーナ・ソコロワ選手ひとり。しかも彼女は“ジュリエット”つうよりどう見ても“キャピュレット夫人”でした(T‐T))
「プレスギュルヴィック版って、はっきり言って知名度が低いからかなー」
と、残念に思っておりました。
そしたら。
とうとう今季、見つけたんす。プレス版ロミジュリで滑ってる選手を!\(^^)/ヤッター
その名も、
ニキータ・マンコ君!←なぜ見づらくした?
・・・えー・・・、個人名ですので、何も隠す必要はないのですが、一応ここは日本なんで(え?)
マンコ君(個人名)はカザフスタンのジュニアの選手で、木科君が出てたのでジュニアグランプリのリトアニア大会男子フリーを漫然と(こら)視てたぼくの耳に、待ち焦がれていた「世界の王」のメロディーが飛び込んでまいりまして。
うわー!プレス版ロミジュリだ!誰?
と画面に注目したところ、そのマンコ君(個人名←クドい!)でした。
残念ながらまだまだ上位には全然届いていない選手でしたが、なんかもうこれだけで嬉しくなっちゃった。
がんばれマンコ君!(←もういいって!)これからちょっと注目したいと思います。
実はショートプログラムを見逃していて知らなかったのですが、マンコ君(とうとうはっきり書いたなお前)のショートは『ロックオペラ モーツァルト』の「殺しのシンフォニー」でした!コーチか本人が鈴木明子さんみたいな(こら)ミューオタなのかな?
あ、それから木科君、このリトアニア大会で銅メダル獲得。良かった。これからも頑張って。
ほんとにくだらないところにばっかり目が行く、“オタ”というにはおこがましすぎるファンで申し訳ございません。
まあ、ロミジュリはミュージカルをわざわざ使わなくても(オイ)プロコフィエフ版、チャイコフスキー版、映画のニーノ・ロータ版、ディカプリオ版(なぜかこれだけ作曲者じゃなく主演俳優の名前で呼ばれる)と、いくらでも有名なのがあるんでねえ。
ディカプリオ版とニーノ・ロータ版を経験済みの羽生君も(今季はクリケ仲間のジュンファンもディカプリオ版ロミジュリを演ってる。途中に入ってくる「ジュリエーーーーーーーッ!!!」の絶叫がスケオタ内で賛否両論(?)です/笑)、年齢的にもうロミオとかやってる感じじゃないし(おいこらこら)、シングルカテゴリでもカップルカテゴリでも、今後誰かがやってくれるのを気長に待ちたいと思います。
ところで、羽生君ファンにとっては悲喜こもごもの結果となったロステレコム杯なんですが、これまたミューヲタにとって楽しいプログラムを視ることができました。
男子シングルで2位に入った首寺君ことモリス・クヴィテラシヴィリ選手のフリーが、これまた何と『ロックオペラ モーツァルト』メドレーでございました。
『ロミオ&ジュリエット』よりマイナーな作品のくせに(おい)曲はよく使われてるようで、この作品の中で一番の人気曲「殺しのシンフォニー」は、フランスのブライアン・ジュベール(当時まだ現役)がショーで滑ってる動画を視たことがある。
初めて見たときは、衣装含めてイケメンすぎてド肝抜かれました。
ずるい(?)
だいたい、顔でPCS満点とってんだもん(※ルール上嘘です)
ジュベールさんは現役時代は変衣装変振り付けで有名だったらしいんですが(オリンピックシーズンしかフィギュアを見ない人生を送ってきたので、よく知らないの。ごめん)、このプログラムはめっちゃ素敵です。舞台上のサリエリがそのまんま氷の上に降り立った感じ。
話は行ったり来たりしますが、ザギトワちゃんも今季はオペラ座。見た目からしてGOE満点(?)のクリスティーヌっぷりですが、編曲はぼく的には残念。ショートプログラムなのでいろいろ難しかったのかもしれないが、曲のコーダまでいかないうちにブツッと終わっちゃうので、見た後にいつもモヤモヤしてしまいます。
ミューオタ的偏見かもしれませんが、どんな編曲にするかでそのプログラムの“勝ち度”がある程度決まってくるんじゃなかろうか、と思ったりもします。まあ、ザギトワレベルになると、変な終わり方だろうがバンバン高得点出るんだけどさ(おい、投げやりになるなよ)
今季日本選手では、雛形あきこ似の()松田悠良ちゃんがショートで『ME AND MY GIRL』をかわいらしく滑っています。日本人キャストの幼い声に慣れた耳にはびっくり()なウエストエンドキャストのぶっとい声で、若干びびりますが。←
ちなみに、ぼくが一等最初にフィギュアでミュージカルナンバーを聴いて感動したのは、長野五輪のエキシビションで“ミス・パーフェクト”ミシェル・クワンが演じた「On My Own」でした。
エキシなのでヴォーカル入りだったから違和感がなかったのと、そのヴォーカルが、日本が世界に誇るエポニーヌ・島田歌穂ちゃん(英語バージョン)だったからってのもあります。
レミゼも人気だよね。ドラマ性あるし。でも、これも、どの曲を選ぶかで全然印象変わってきちゃうから、曲に助けられもすれば、反面すごく難しいと思う。
かつて村上大介選手やジュニアの須本光希君、三宅星南君もレミゼやってて、それぞれに選ぶナンバーに個性があって面白かった。
でも、こういう、誰もが知ってる作品よりも、ややマニアックな作品をやってる選手にツボをつかれちゃうのがヲタのならい。
逆に、おととしの『LA LA LAND』ブーム、去年の『グレイテストショーマン』ブームには、映画をあんまり観ないぼくにはちょっと(黙れ)
もはやとりとめのない与太話になってきてますが、今後もマニアック(そこ?)なミュージカルナンバーが試合で聴けたら嬉しいです。
とりあえず、ニキータ・マンコ君(いいかげん薄文字やめろ!)、がんばれ!←
2018年11月18日(日) |
宝塚歌劇団月組公演『エリザベート〜愛と死の輪舞〜』千穐楽ライブ中継(TOHOシネマズ新宿) |
ちゃぴ、幸せになってね(T-T)
ぼくみたいに近年薄くタカラヅカを観てきた人間にも、愛希れいかという娘1は特別な生徒でした。
この6年間の、どこへたどり着くかわからん不安な月組を(おいこら)ここまで導いてくれて、本当にありがとうちゃぴ。
実は、ちゃぴを初めて意識して観たのは、「次のトップ娘役はこの子だよ」と言われて観た『エドワード8世』のアデールで、この役自体はきちんと美しく演じてたんだけど、次がジュリエットってのを意識しながら観たんで、
「可憐さ、足りなくね?」←例によって失礼
と心配だった。
『スカーレット・ピンパーネル』のルイ・シャルルや『アリスの恋人』のアリスなど、はっきり路線の生徒だったのに、今頃になって「えっ?あれ演ってたの?!」って思うぐらいちゃんと観てなくて、本当に申し訳ない気持ちです。
そんな鈍いぼくでも、トップになってからのちゃぴの牽引力に気づけないはずはなく、ここ数年の月組公演では、しっかりと彼女の存在感を味わってまいりました。
お芝居では男役トップをでしゃばることなく支え、ショーでは思いっきりスターダンサーぶりを発揮。
舞台人三要素の中ではわずかながら歌部門が弱いかな?と思ってはいたんですが、今回のエリザベート、何の不安もない素晴らしい出来栄えでした。
歌を、単に「音符通り」でなく、役の心を伝えるように歌っていた。満足です。
で、千穐楽だったので、ちゃぴのサヨナラショーとすーちゃん(憧花ゆりの)組長の実に立派な退団のご挨拶(もう「社会人としてのスピーチのお手本」みたいなすんばらしいご挨拶でした。組長さんを務められるということは、かほどに人間的に成熟するものなのかと、心から感嘆いたしました)を満喫した一日だったのですが、肝心の公演の話は(えっ?!ま、まさか・・・)
今回の公演は、ただでさえ競争率の高い『エリザベート』×トップの退団公演になおかつルドルフのダブルキャストという「歌劇団いいかげんにしろ」という事態だったのですが、ぼくも意地になって()両ルドルフを制覇(?)しました。
まず風間柚乃ちゃん(おだちん)ルドルフは、某平日マチネに東京宝塚劇場のB席から見物。
この子のことは今回のルドルフで初めて意識して観ました。
うん、普通←
研5生らしい、クセのない、普通に優秀な生徒さんという印象でした。
いやー、事前に情報(あの、伝説の美人女優・夏目雅子と血が繋がっている!)を仕入れてなくて良かったと思います。先入観なく観ることができました。
多分これから路線を走り始めるんだろうから、それからゆっくり見守らせていただきます。
で、本日思わずリキを入れて観てしまったアリちゃん(暁千星)ルドルフ。
手越みたいな童顔のアリちゃんですが、順調に男役らしさを身に着けてきてます。おだちんと比べてってわけではなく、ぼくが望んでいるルドルフに近い、とても好きなルドルフでした。
それこそ、イメージに合ってないのは顔だけ(おい)
本物のルドルフの、病的なしょぼい顔を知ってるからなあ(←他国の皇族に対して無礼な言い草)
アリちゃんは可愛く健康的すぎるビジュアルなんですが、歌と演技の力で、しっかりとルドルフになっていました。力のある子は贔屓するよあたしゃ←
というわけで、(皆様準備はよろしい?)
れいこ(月城かなと)様、サイコー!!!(≧∇≦)
はあはあ(荒い息)
とうとう、イシちゃん(轟悠)と並ぶ(一応まだ超えてはいない)ルキーニに出会えた(*´Д`)最高に幸せ♪
闇の中から刺すようなギラついた眼差し(目が大きいなあ・・・)、自在な歌声。
ぼくがルキーニで一番「ここが肝」だと思っている「ミルク」での、
「誰も信じないさ、そうだろう?!」
の殺気。
そして、ルキーニって劇中何度も登場人物たちを嘲笑するんだけど、その笑い方が扁平でない。
ほら、タカラヅカって、よく敵役が「ハッハッハ」みたいに笑いながら去る芝居があるじゃないですか。あれって何なんだろ?ってあるときからすごく気になり始めたの。単に場面転換の合図みたいに思えてきて。
このルキーニの「フッフッフ」も、一度それで気になっちゃって以来、「ここ、何のために笑ってんの?小池先生」(小池先生のせいかよ)とずっと思ってたわけよぼくは。
だが、今回の月城ルキーニの笑いは、場面ごとにちゃんと感情が乗っていて、その時々のルキーニの心理がしっかりと伝わってきて、ぼくは本当に満足いたしました。
ええ、贔屓ですよ?悪い?←開き直んなって(汗)
さて、残りの主要キャストさんたちには、あまり良い言葉をかけてあげられないので、ファンの方すみません。
ミヤ様(美弥るりか)フランツ。
フランツってめっさ難しいわりにすごく損な役なんだよね。『エリザベート』を上演するときに二番手でいるのって不運としか言えません(こらっ)
ミヤ様がフランツを本当にフランツらしく(それこそ「皇帝らしく」)演じてたのはしっかりと伝わってきたんだけど(彼が、自分ではちゃんとシシィを愛してると思い込んでるけど、実は全然わかってないという部分、よくできてた)、これ、クリンゲラインの時も言ったけど、なんで高音がファルセットになっちゃうのかね?同じキーを地声で出せてる時もあったんで、実に不思議です。
ミヤ様に関しては、グランドフィナーレで「ああ、綺麗・・・」ってうっとりして終了でした(おい)
ヴィンディッシュ(海乃美月)
うーんと・・・何か違うな。
くらげちゃんがどう、ではなく、ヴィンディッシュの出し方が、なんか違うな(つまり、小池先生へのダメ出し?)
・・・ん、まあ、そういうことだ(←偉そう)
東宝版の強烈なやり方が染みついちゃってるからかもしれない。
けど、タカラヅカ版のヴィンディッシュにも、すごいド肝抜かれたのがあった(星組版および宙組版:陵あきの)んで、一概に演出のせいだけでもないような。
それよりくらげちゃん・・・(そういう、余計な感情を入れて観るのはやめましょうね)
マダム・ヴォルフ(白雪さち花)
これもまた・・・普通(おいっ)
特に悪目立ちはしてなかったってことで。
ゾフィ(憧花ゆりの)
普通に厳しいお姑さんでした。4年前の花組版の感想に書いたように、ゾフィーと宮廷5人衆には、ぼくはもうちっと諧謔性がほしいです。
最後のご挨拶でも感じたけど、真面目な人だったんだろうね、すーちゃんて(今頃)
さて、とーとートートの番がやってまいりました(←お前はもう少し真面目になれ by読者様)
ええと・・・(?!)
そうです、褒めません。
あまりにも平べったすぎるよ歌い方が。
ルキーニが、フランツが、ルドルフが、革命家たちが、そしてシシィが、気持ちを振り絞って一所懸命演じてるのに、なんでこんなにぺったりしてんの?
これ、花組版のみりお(明日海りお)トートの時にも言ったことだから、もしかしたら「トートってのはこうなんだ」っていうイケコの指導なのか、生徒の思い込みなのかしらんが、そういうのがあったのかもしれない。
でもなー、いくら何でも、トートが歌いだすといきなり水差されたような(まさにそんな気分でした)状態になるのはいただけなかった。
これが、歌が下手なんだったら「いやぁははは・・・(苦笑)」という感想で済むんだけど、一応歌える生徒だからねぇ・・・。
東京宝塚劇場で観たときは、生徒の顔もはっきり見えてなかったから、それこそ歌声だけが拠り所だったわけですよ。
その「歌」で心を揺さぶってくれたのは、ぼくにはちゃぴとれいこだけでした。
ライブ中継は、顔のアップが見れたんで、ひたすらそっちに頼って(実際、たまきち(珠城りょう)すごく綺麗だった)観てましたぞ。
まあ、いろんなとらえ方があるんだろうけど、このトートは、ぼくにとっては正解とは言えないトートだったな。
あんまり感情を出しすぎるトートも変なのは理解できるんだけど、ここまで何にも感じないトートも、どうかと思うよ。
なんか、歯切れの悪い感想になっちゃったけど。
エトワールは次期娘1(これを知ったときは、娘役人事にはなーんにも感じない冷たいぼくでもさすがに軽くショックでした。くらげちゃん、どうか諦めず頑張って)の美園さくらちゃんで、素晴らしいソプラノを発揮。
で、本編ではさくらちゃん、どこに出てた?(こら)
まあいいか(ほら冷たい)
次期の月組体制のことは、その時に改めて考えればよい。
とにかく今は、ちゃぴがこれからの人生を幸せに歩んでくれるなら、何も言うことはないです(かなり強引な締め)
2018年11月17日(土) |
ミュージカル『TOP HAT』(東急シアターオーブ)〈予告〉 |
すごく良かった。
すごく幸せな気分になれる舞台でした。
ただ、わかる人にはわかると思うのだが、ゆっくり感想書いてる場合じゃない事態が発生したので、棚上げにします。
羽生君、言ったよね?!今年は勝った負けたじゃなくて、とにかくステイヘルシーでって(T△T)(そんなこと言ったって起こってしまったことはしょうがないだろ)
ううう・・・もう今日は何も手につかない・・・寝よ。←
2018年11月14日(水) |
ロマンティックコメディー『さよなら、チャーリー』(三越劇場) |
テルさん(凰稀かなめ)、また会いに来ました〜!て感じ(笑)
どうしたのておどる、すっかりテルさんの追っかけになっとるやないかい。
てか、テルさん、仕事途切れんなあ(言い方!)
さてこの作品、ぼくは『グッバイ、チャーリー』というタイトルで上演されたときに、ピーター(池畑慎之介さん)主演版とミュージカル版(主演はリカ=紫吹淳)を観たことがある。
どっちもずいぶん前だから、正直ラストはどんなんだったか覚えてなかった(ほんとに金の無駄だな・・・)
とりあえず、倒錯もの好きなんで、こういうのは見逃さないわけだ。
というわけで今回も観に行って、「そうだ、こういうオチ()だった」と納得して帰ってきました。
何しろこの作品、本邦初演は越路吹雪さん主演だったそうで、チャーリー役は宝塚OGならばお茶の子さいさいってことなんだろうな。いやもちろん、実力があってのことなんだけど。
そもそもピーターはOGじゃないが()
両性具有役者という点では同じ土俵である。
だけど、「そこらの女より女度が高い医学的には男」の人と、「どこの男よりも美麗な男を演じられる医学的には女」の人では、チャーリーのどの地点に軸を置くかという点で真逆になるんじゃないかと思う。
今さら両者を比べてどうこういうつもりはないし、そもそもピーター版をあんまり覚えてないのだが(金の無駄・・・2)
今回のテルさんのチャーリーは、前世(?)では子供みたいにやんちゃだったんじゃないか、てな感じのチャーリーだった。
女をとっかえひっかえして罪の意識が全くないというところは原作通りなのだが、そこよりもむしろ、人生に一切の欲がないというか、だからこそ平気で何股もかけられるし、自分の命にすらあんまり執着してない。
実は、体は女で心は男、という状態のチャーリーが、その繊細なはずの肉体を一切いたわる様子も見せずガサツに動き回る姿を観てて、
「なんか、喜矢武さんみたい」
と思ってしまったのである。
女装した喜矢武さんて、あんな感じなんだよね(金爆婆感覚あるある)
スカートなのに大股開いて座るわ、裸足でペタペタ歩き回るわ、(さすがにテルさんはそんなことなかったが)乳首がはみ出してるのに気づかないわ、そんな喜矢武さんの女装そのもの。
芝居と全然関係ないところで気が散ってなりませんでした(ダメじゃん)
それはともかく、テルさん、例によって圧倒的な美貌。
誰よりも女好きのチャーリーが、自分がすごい美女に転生したことに満足しないわけはない。そこら辺の傲慢さの説得力は半端なかったです。
でも、そんな人でなしチャーリーが、ラスティと話しているうちに自分の罪に気付いていくところ、良かったです。
欲を言えば、ラスティ役の松山メアリちゃんが、もうちょっとお芝居こなれてればなあ(おやおや・・・)
今回共演者に関しては、ぼくはジョージ役の辰巳琢郎しか知らなかったんだけど、ここの年の差も若干気になった。
チャーリーとジョージは同じぐらいの年のはずでしょ?まあ、チャーリーはなぜか10歳ぐらい若返ってるんだけど。それ以上の差があるように見えたぞ・・・。
なんか、まとまりのない感想になってしまいました。コメディエンヌとしてのテルさんの力は十二分に発揮されていたし、ヒューマンドラマの部分のメリハリも良かったし、良い作品だったと思います。若干やっつけな感想ですみません。←
2018年11月10日(土) |
ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』凱旋公演(神奈川県民ホール) |
やっと観れたよ(^ ^°)念願の『ジャージー・ボーイズ』
なんせ、シアタークリエで観ようと思って買っといたチケットは9月30日ソワレ!
見事()台風直撃で公演中止になりまして、泣く泣く払い戻ししようと思ってたら、振替公演に優先的に入れることになり、即座に申し込みました。
むしろ良かった。だって、おかげでBlueバージョンとWhiteバージョンの両方を1日で観れたんで。
さて、一番言いたいことをまず書きます。
本当に面白い!
なるほどこれは再演するわ。追加公演も出るわ。
実は、想像してたのとちょっと違ってた。
ぼくはてっきり、フランキー・ヴァリが主人公で、彼を中心にしたサクセスストーリーだと思ってたの。
でも、主人公はまさに“ジャージー・ボーイズ”
それも、フォーシーズンズのメンバー4人の評伝ものという枠を越えて、“ジャージーっ子気質”が全編に溢れた躍動感のあるお話だった。
そして、お話を彩る楽曲が、当たり前だがとても素晴らしい。
ジュークボックスミュージカルって、やっぱ卑怯だなあ(こら)
お話にピッタリ合ってるのは当然だし、元々ヒットしてるから良曲に決まってるし。
「シェリー」の歌い出しの「出たあ!♪」という高揚感、「君の瞳に恋してる」のイントロの「くるぞくるぞくるぞ♪」そしてサビ前のホーンセクションとともにミラーボールの光が会場を包んだ瞬間の幸福感!
これぞジュークボックスミュージカルの醍醐味ですな。
そしてやっぱり思ったのは、アッキー(中川晃教)が日本ミュージカル界にいなかったら、おそらくこの作品の上演は不可能だっただろうなあということ。
アッキーがいてくれて本当に良かった(T△T)
こういう声を出せる人を探してくんの、大変だぞ。まじで。
もちろん、ほかのキャストも皆さんとても素敵だったのだけど、とりあえず今日は満腹状態なので一旦この辺で。
2018年11月07日(水) |
『岩谷時子メモリアルコンサート〜Forever〜Vol.3』(中野サンプラザ) |
去年も同じ日にここ中野サンプラザであったコンサート。
なんで毎年11月7日に開催されるのかというと、越路吹雪さんの命日だから。今頃知りました。
で、去年の感想に書いた疑問点()が今回解けまして、タイトルに「Forever」とついたのが2016年開催からで、今回が3回目。「岩谷時子メモリアルコンサート」というもの自体は、その前に2回、岩谷さんの御命日(10月25日)前後に開催されていたそうなのです。
ぼくはその第1回(これ)からちゃんと行ってたんや。偉いぞ我ながら(自画自賛)
まあ、出演者に惹かれてってのが大きいんだけど、歌われる楽曲も、毎度「よくこんな歌詞が書けるなあ」と感心してしまう、まさに岩谷時子の世界、という感じ。
ただ、今回ちょっとだけ思ったのは、さすがに5回目ともなると「またコレ?」(こらっ)という曲もちらりほらり。
歌う人が変わるわけだし、お客さんも全員が全通してるわけじゃないんだから、それで良いのだろうとは思う。
でもなあ、それこそ膨大にあるんだよ岩谷女史の作詞曲って。
改めて掘り起こしてほしい曲がたくさんある。そういうのを次回は聴きたいな。
(そんならアンケートに書いてくりゃ良かったのに)
あっそうか。忘れてた。←
ところで今回は、
「なんか最近やけにテルさん(凰稀かなめ)を観るなあ」
と思ってました。
巡り合わせなのかもね。
ちなみに、ぼく的今回のハイライト(^^)は、田代万里生君歌唱の「裸のヴィーナス」でした。
「ど・う・したの〜ついて来ないのかい〜?♪」ゴーゴー!(←一応心の中で)
来年もきっと行きます。
2018年11月04日(日) |
映画『銀魂2 掟は破るためにこそある』(イオンシネマ板橋) |
やっと観に行けた。
元ネタの「真選組動乱編」は、実は前作を観た後に読んでたんだけど、細部を忘れてたのでもう一度読み直してから行きました。
ほぼ、原作のまま。VFXの進化はすごいですな(そっちかよ)
いやVFXもだけど、近年の、実在の俳優たちの劇画キャラクターの再現率って、なんでこんなにすごいの?
今回の特出キャストとなる伊東鴨太郎(三浦春馬)と河上万斉(窪田正孝)は、見た目はもちろん、実力も折り紙付きの俳優さんだったので、ノンストレスで作品世界に没頭できました。
とはいえ、やっぱ今回の一番の殊勲は柳楽優弥君(土方十四郎役)じゃないでしょうか。
史上最年少のカンヌ国際映画祭男優賞はダテじゃないっす(カンヌ獲ってる人の役として“これ”を褒めるのはいかがなものかとは思うが)
ただ、そのように今回は真選組が主役だっただけに、万事屋三人の存在感が、若干薄いかな(「将軍接待編」は、言ってみれば前菜みたいなもんだったし)と感じた。
後半部分では、銀ちゃんと万斉の一騎打ちが尺長めにあったけど、正直に言わしてもらうと、なんか、映画の中盤あたりから「ドンパチ」と「チャンバラ」が延々と続いたせいで、少し疲れてしまった。
このあたりは「おばちゃんに『ジャンプ』タームはキツいよ」と愚痴らせていただきます。
週刊誌のリズムだと、一週間ごとに、飽きさせないように小さなクライマックスを作りながら結末まで引っ張らなきゃいけないんだろうけど、それを実写でまとめて見るのは、やっぱ疲れるんだよなあ。
作った方はもっと疲れたんだろうけども。
愚痴ってしまったけども、全体的には満足しました。上に書いたキャスト以外でも、(中村)勘九郎の近藤勲なんて、「勘九郎の近藤勇で大河ドラマやろうよ!」って思っちゃう(おい、慎吾ちゃんの立場は?)ぐらいの芝居力。
こんな(おい)ギャグ映画に、なぜ大河ドラマレベルの本気を出す?勘九郎。(いや、それが役者だから)
あ、来年(本物の)大河ドラマ、がんばって。大河としてはヒットしないというジンクスのある近代史だけど、ぼくは視たいと思います。
ほぼ“ごちそう”出演レベルの高杉晋助(つよっさん)でしたが、原作でも高杉の出番てあんな感じなんだよね。まあ、今回も出てくれて嬉しかったです。
ごちそう出演と言えば、桂小太郎役の岡田将生君もそんな感じだったけど、とにかく女装がきれいすぎて爆笑モンでした(≧∇≦)卑怯だっつのあれは
そして、エリザベスの中の人(などいない!←)は、今回も“あの人”だったのか?“あの人”である必要性を全く感じなかったというか、今回のエリザベスの中(だから、“中”に人なんかいないんだって!←意固地)は過酷すぎてないか?ちょっと心配になりました。
真実は知らんけど。
シリーズ化のにおいがプンプンするけど、ぼく的にはそんなに熱を入れずに(おい)緩く応援していきたいと思っております。
2018年11月03日(土) |
浪漫活劇『るろうに剣心』(新橋演舞場) |
文化の日なので文化的なものを観に来ました!(本心)
脚本は雪組が上演したのと同じです。『オーシャンズ11』パターンです。
嬉しいのは、剣心役がちぎちゃん(早霧せいな)の続投だったこと。
周囲のキャストが“本物の男”になっても、ちぎちゃんの剣心には違和感なし、と信じていました。そして、おおむね(ん?)その通りでした。
新キャスト(特に男性陣)の皆さんは、本物の男ならではの、より原作に近さ、という点で、斎藤一と相左、武田観柳が上々吉。
特に斎藤一の廣瀬友祐君は、今やイケコ組の若手ナンバーワンの地位にいるといっても過言ではありません。
今回も、廣瀬君がカッコよすぎて、ぼくは内心笑いが止まりませんでした。←
原作オタではないぼくが言うのはおこがましいのですが、過去“斎藤一”を演じた俳優の中で、彼が一番イメージぴったりだったんじゃないでしょうか。てか、これまで演じたのって三人しかいないか(おいこら)
アニメの声優さんに関しては「見た目」が排除されるのでカウントしてません。
逆に、タカラヅカの方が原作に近かったんじゃないかなあ、と思ったのは四乃森蒼紫と、神谷薫、高荷恵のヒロイン二人。
蒼紫に関しては、ぼくが激しいれいこ(月城かなと)びいきだから話半分で聞いていただいても良いのですが、顔自体もれいこの方が蒼紫に近くね?と思いました。
ただ、演舞場ならではの演出で、蒼紫がいきなり空中から登場したのにはド肝を抜かれました。
やりやがったな、イケコ(口が悪いですよ)
あんなん卑怯だぞ。カッコいいに決まってるもん(なに悔しがってんだよ?)
薫を演じた上白石萌歌ちゃんのことは、ぼくはキリン午後の紅茶のCMでしか見たことなかったのですが、やはり「漫画の中の人」を演じるスキルがちょっと足りない感じ。
漫画原作の舞台って、普通の芝居とちょっと違うんだよな。お芝居にもう少しアニメ風味を足さないとそれらしさが出ない。
あと、歌はお姉ちゃん(上白石萌音)がめちゃくちゃ上手なわりに、この子はあんまり(断)
恵はみなこ(愛原実花)なのでさほど心配してなかったのだが、なにせ(大湖)せしるが良すぎた。
みなこの恵は、何か神秘性が薄くて、やけにぞんざいな性格に見えた。
そいで、最後にとっといた加納惣三郎についてなのですが、まー正直に言います。
違和感あった。
ぼくは決して松岡充に「どうせバンドの人だし」とかいう偏見は持ってません。
それどころか、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』なんて、すごく良かったと思ってるし、他の彼の主演作もいくつか観ていて、評価してる。
でも、今回の加納惣三郎は合わなかった。
まず、惣三郎が剣心と同じぐらいの背だったのが良くない(おろ?)←こら!
ちぎちゃんという逸材がもしいなかったら、まっつん(いきなりあだ名命名)が剣心を演ってた方がまだ違和感なかったかな、と思う。
いや、彼に剣心のキャラを求めるのは難しいかな。
バンドの人という偏見はない、と今書いたが、まっつんの歌声だけ“浮いてた”のは事実です。他の出演者たちの歌ととにかく水と油。
おかしいなあ、『キャッチ・ミー〜』は良かったのになあ(まだ言ってる)
あと、惣三郎の“心の闇”を全然表現できてない。これはぼくが激しいだいもん(望海風斗)びいきなのとは全く関係ないと断言する。
それと、タカラジェンヌと“そこ”を比べるのはいかにもかわいそうすぎるけども、立ち居振る舞いに“金持ちっぽさ”“勝ち組っぽさ”が全く漂ってない。体型的にも(いいかげん勘弁して!!!)
申し訳ありませんでした。
まっつんとは別の作品で会いたいです。
ちぎちゃんに関して全然書いてないが、おおむね現役時代の剣心を踏襲してたので、付け足すこともあまりない。むしろ、上に書いたように、周囲が“本物の男”になっても違和感なく剣心だったことから思うに、演技力はグレードアップしてたと思う。
殺陣も素晴らしかったし。
殺陣と言えば、雪組上演時に「剣心の影」のひとこ(永久輝せあ)の方が良かった、なんて当時書いてしまいましたが、今回の松岡広大君も身体能力半端なかったです。
(彼のことは『髑髏城の七人 season月』の下弦チームで初めて観たと思う。特段の印象はなく(ごめん)「元気があって良い」ぐらいの記憶しかない)
“影”にこういう役割を与えたかったのかなイケコは。そんな感想。
さて、演舞場でのお楽しみと言えば、お弁当。
今回も、「赤べこ牛鍋弁当」を無事ゲット。
おいしゅうございました(*^^*)
そんで、
ド近眼のせいでミートボールかと思ったら、この丸いのは「高荷恵謹製“おはぎ”」でした(≧∇≦)こういうこだわり、好きだ!
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