てくてくミーハー道場

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2018年10月31日(水) ミーハー徒然草

つれづれなるままに(大嘘)過ごしているうちに、今年も残すところあと6分の1。

やばい。今年もゴールデンボンバーのカレンダー買えなかった(モバイルサイトをチェックすることがめっきり減って、予約期間をすっかり見落としていた)

今年は羽生君カレンダーを使ってるというのは去年ついた大嘘で、本当は猫ちゃんカレンダーを壁に貼っております。意外とまとも(おい)な感性です。

来年もそうするか・・・(なぜか無気力)





そして、今月あたまにネットで()知ったんですが(大きな字では書けませんが、未だにファミリークラブ入ってません!そんならばーの風上にも風下にも置けないぼくを遠慮なく罵ってください!)、今年の年末年始はどうやらすっごく時間ができるみたいねあたしたち。

どうするの?みんなは(おめーなど仲間ではない! byらばーの皆さん)

・・・本当にどうしよう。こんなに早々にその時がやってくるなんて・・・いや、今年“だけ”だと信じてるけど。

去年のこの日の感想に書いたぼくの「未来予想図」が、今読むとすごく虚しいものに思えてきてつらいです。

まあ、今年だけだよね?(←渾身の念押し)

だから、納得しますよ、あっさりと(熱が下がったんじゃ、ないからねっ!←なぜか言い訳気味)

ドームで「小喜利の私たち」やればいいのに・・・(そういう意見がネット上に多い/笑)

ていうか、つよっさんがいつ全快するかは予測不可能なんだよなあ、実際のところ(こ、こらっ/汗ダラダラ)

だから、今年だけという保証は(もう黙れ!)



すみません。ネガティブな本性を思い切り発揮してしまいました。

東京ドームの年末年始は大みそかのカウントダウンコンサートだけになるのかしら。

京セラドーム大阪の年越しは噂されてたジャニーズWEST君たちではなく、NEWS君たちだそうですね。ドーム埋められるのね(根拠なき上から目線)

年越しといえば「NHK紅白歌合戦」の出場歌手発表ももうすぐですね。

こっちはもう一切興味ないです。金爆もきんきっずも出ないだろうし、むしろ出ないでほしいです。

特別審査員は小平奈緒さんか高木姉妹に出てほしいです()





ほんで、明日からはドキドキワクワクのフィギュアスケートグランプリシリーズのフィンランド大会(「フィンランディア杯」と紛らわしいので、今後は「ヘルシンキ大会」と称します)が始まる。

今シーズンの羽生君には、勝ったの負けたのではなく、ひたすらノー怪我ノーインフルエンザ()を望む。

四回転アクセルも急がなくていい。むしろ急ぐな。その方が引退が延びるから(自己中)

楽しくてたまらない(ファンにとってはもちろん、羽生君本人にとっても)シーズンになりますように。





いかん、『銀魂2』をいつまでも観にいかないでいるうちに、来週ぐらいで上映終わるっぽい(てか、すごく長く上映してたなあ。ヒットしたんだなあ、おめでとうダーフク)

早く予習して(この映画に関しては予習必須だと第一弾の時に学んだ)観に行かないと!


2018年10月27日(土) ミュージカル『生きる』市村バージョン(赤坂ACTシアター)〈予告〉

ぼくが観たことのある数少ない黒澤映画の中でも、一番感動した好きな映画です。

「ミュージカル」って・・・やだなあ(ミューオタのくせに)

11年前にテレビドラマとしてリメイクされたときも、ストーリーが好きだから視てみた(そのときの主演は松本幸四郎(現・白鸚)でした)んだけど、なんか物足りなかったなあ。

と躊躇してる間に、楽日直前。

いっちゃん(市村正親)バージョンの日を何とか手に入れ、総裁(鹿賀丈史)バージョンは諦めました。





詳細後日。

あ、これだけは今書いとこう。

ミュージカルとは水と油ではないかと危惧していた市原隼人くんが、めっさ良かった。

アイスクリームにラー油?!ば、ばか!やめなさいっ!!!・・・あら美味しい(試そうとしている方、自己責任でお願いします←)みたいな感じでした。

※個人の意見です。←


2018年10月23日(火) 『二十日鼠と人間』(東京グローブ座)

チラシ見て、スタインベックかあ・・・観たいなぁと漠然と思っててジャニーズ舞台(っていう言い方、近年では失礼かな?)と気づかなかった。

ミヤケン(三宅健)主演でしたが、彼以外にはバーターおらず(ジャニへの偏見が近ごろキツいぼく)

やまじー(山路和弘)や藤木孝さんなど、ぼく好みの渋い俳優さんも出演。

女優はかのまり(花乃まりあ)紅一点。

ほかの出演者は、知らないわけではないが、さほどたくさん観ている人たちではなかった。





内容は、「ザ・スタインベック」という感じの、アメリカ西部の埃っぽく無常感あふれる悲劇でした。

目端の利く主人公と“うすのろ”な相棒という取り合わせ、山本周五郎の傑作『さぶ』と激似じゃね?と観る前から思ってたんだが、スタインベックの方が30年近く早いですし、ストーリーも主題も全く別物なので、スタインベックも周五郎先生も無罪(?)です。

さて、そんな(どんな?)気分で観に行ったこのお芝居、登場人物の感情を過剰に表現しない、スマートな演出は鈴木裕美女史。

彼女の演出は、いつも上品というか粋というか。それでいてしっかりと主題が伝わってきて、ぼくは好きですねえ。

出てくる人間が、一人残らず無常感を抱えていて、「全員、さびしい」。

そのさびしさが悲劇を生むんだが、その悲しい結末も、実は最初から決まってた、そんな気がする冒頭の場面。

BGMも、ギターとバイオリンの生演奏で、機械的音響じゃない(もちろん役者はマイクなし)

手作り感満載の、ぬくもりのある良い舞台でした。



役者では、上に書いた、ぼくが知っている俳優さんたちももちろん良かったんですが、やはり「演劇男優賞とりそうな」(すぐ皮肉るんだから!)役・レニーを演じた章平君に心もってかれました。

難しい役を、見事に演じ切っていました。

あと、かのまり。

歌劇団の中では、周囲との比較もあってか(また口が悪いですねておどるさん)全然美人に見えなかったかのまりですが、こうして野郎の中にポン、と入ってくると、さすがに彼女の周囲だけ色彩が鮮やか。まさに「花が咲いたよう」なたたずまい。

決して照明のせい・・・では・・・ない。・・・はずだ(おいこら)

そこそこ綺麗で若いのに、むさい男しかいない村で一人ぼっち。しかも、そうではないのにビッチ呼ばわり。

たしかに、やさぐれる気持ちはわかる。

彼女の“最後”も可哀相だった。





ストーリーについて、柄にもなくまじめな感想を書くと、普通に考えたら、ジョージにとってレニーは足手まといでしかないのに、なんで、何のために一緒にいるのか、最初は不思議でしょうがなかったんだよね。

これが余計な頭の働く作者だったら、「よんどころない事情があって、ジョージはレニーを見捨てることができない」理由なんかをくっつけるんだろうけど、そういうのはこの作品には出てこない。

途中、ジョージがポロっと、

「あいつといると、自分が利口者のように思えてくる」

とスリムに漏らすシーンがあるんだけど、そんなこと()で、これまでの色々な厄介ごとが釣り合うのかなあ、なんて、人情というものを1ミリリットルも持ち合わせていないぼくなんかは考えてしまう。

だけど、最後に(大ネタバレ)レニーがいなくなってしまったこれからのジョージは、足枷がなくなってのびのびと生きていけるどころか、もう未来への希望も失って、周りのだらしない飲んだくれの日雇い労働者たちの一人になってしまうんじゃないか、と思わされる結末だった。

一週間、無気力に働いて、稼いだ給料を休みの日1日で酒と売春宿と博打で使い果たしちゃって、また一週間、無気力に働く。

ささやかな未来の夢のためにコツコツためるなんてことも、おそらくもうジョージはしないんだろうな、そんな風に思わせるラストシーンだった。

そうか。守るものがあるってことが、人間が生きてく上で何よりも幸せなことなんだ。

そう考えると、レニーが力加減をできずに二十日鼠をポケットの中で握り殺してしまうのと、ジョージがレニーを(ネタバレ)のとが、

「二十日鼠と人間」

てタイトルの意味なのか(勝手に納得)

深いなあ。(ほんとに、これで合ってるのかな?)


2018年10月21日(日) 『THE GREATEST MUSICAL CONCERT』(東急シアターオーブ)

なんかタイトルが仰々しいですが(オイ)、確かにグレートなコンサートでした。

(ちょっとだけケチつけると「コンセプトがいまいち不明。ごちゃませ感強し」)

出演者はぼくの感覚としては「この人がいるなら絶対絶対絶対行く!」てほどの(以下、出演者に超失礼なので略)

でも、ほぼ彼ら彼女らが本役として演じたナンバーをやってくれたので、観ていた作品も、噂に聞いてただけの作品も、違和感なく入ってきました。





で、メインというか、上置きとして出演した“ウエストエンドからのお客様”ルーシー・ヘンシャル女史はウエストエンドを代表する大女優さんで、代表作は『レ・ミゼラブル』のファンテーヌ。

ところがぼくはその知識ゼロで(それでよくミューオタ騙れるな!)

ぼくはルーシーさんのことを、一路(真輝)さんが昔出したエッセイで知りました。イチロさんが尊敬する女優さんとして挙げていた人で、その時はファンテーヌじゃなくて『CHICAGO』のロキシーが当たり役と書いてあった。

そんなルーシーさんが今回のコンサート、トップバッターとして歌ったのは、「All That Jazz」

ヴェルマの曲やんけ!(ツッコミ)



いつものおちゃらけはともかく、とにかく、何でしょうね、外国の俳優さんはその体幹のせいでしょうか、声量というか声の太さというか、なにせ、半端ない。

ルーシーさんの現在の年齢のことはこの際考えずに(こらっ)言いますと、お声がかなり低くなってるんじゃないかと思ったのだが(全体的に語尾がフラット気味)、とにかくその声の豊かさには毛布に包まれているような安心感しかなかったっす。

日本の俳優さんたちも、上手さはもちろん声量という点でも負けてなかったんですが、声の体幹というか、なんか基本的な部分での「豊かさ」がなんか弱い。

女優さんなんかは特に、太るとディスられるからなあ日本では(そうなのか?)

ジレンマですね。



セットリストは一応撮影してきたんだけど(今回パンフレットが売られてなくて、セットリストは終演後にホワイエに張り出されてた)、一曲ずつに対して書いてると週明けの仕事に差し支えるので、強烈に印象に残った2曲を挙げます。

1曲目「Gethsemane」(by 海宝直人)

ロックしてた(≧∇≦)

『ジーザス・クライスト=スーパースター』は、いつかぜひ観たいと思っているんだけど、こういうのを聴いちゃうと、ぜひFour Season Theater(わざと英文表記)以外で!(こ、こら・・・)と思っちゃうんだよねえ。

あの劇団が教科書唱法なのは昔の話なのかしら?ならいいんだけど(はまメグ姐さんの歌を聴く限りでは、近年は大丈夫なのかもと思ってるのだが)


2曲目「石になろう」(by 柿澤勇人)

今回のコンサートの隠し設定は“直人 vs 勇人”なんじゃないか(エッ)と思うくらいカッキーもぶっとばしてました(≧∇≦)

毛細血管ブチブチ切れてたんじゃなかろうか。

あら、今調べたらこの曲は『ノートルダムの鐘』のナンバーなんだね。『ノートルダム・ド・パリ』じゃなくて。

するとこれもFour Season Theaterか。しかも、一昨年の上演ではカジモド演ってたのは海宝君じゃねえか!



なんて不穏な←



ある意味大変刺激的なコンサートでした(ひどい終わり方)


2018年10月20日(土) 新感線☆RS『メタルマクベス disc2』(IHI STAGE AROUND TOKYO)〈予告〉

ゆりかもめ「市場前」という駅名が、やっとその意味を成してから初めて降り立ちました。

いやー、去年の5月に初めてここに行ったときは、「『市場』ってどこだよ?!つうか、アラウンドシアター、どこだよ?!」っつーくらい何にもなかったからねえ(今頃その愚痴?)






芝居の話は後日。(また?)


2018年10月14日(日) 宝塚歌劇団花組公演『MESSIAH(メサイア)−異聞・天草四郎−』『BEAUTIFUL GARDEN−百花繚乱−』(東京宝塚劇場)〈予告〉

花組絶好調ですな。

みりお(明日海りお)も絶好調。

ゆきちゃん(仙名彩世)も、顔良し、声良し、スタイル良し、もちろん実力も折り紙付きで、このコンビが長く黄金時代を築きますように。





とか言ってたら!(不穏



な、なんで退めるの(T△T)ゆきちゃん・・・注:このエントリは16日以降に書いております

やっと美形の歌ウマ娘役がみりおについたのに(;;)(いちいち嫌味な言い方しないでください)

トップ期間はちょうど2年かあ。娘役としては遅すぎる就任(研10)だったから、仕方ないのかもしれないが、だったらもうちょっと早くトップにしてほしかったよなあ。グチグチ。





すみません、公演の感想全然書かなくて。

本編は、ぼくの原田先生への印象を良い方へ転換する良作でした。

ショーは、「ザ・幸作ちゃん」でした。←

詳細はいずれ。(またこのパターン)


2018年10月13日(土) 『ライオンのあとで』(EXシアター六本木)

サラ(ベルナール)が(黒柳)徹子か、徹子がサラか。





これ以上の賛美の言葉が思い浮かびません。

黒柳徹子ほど自分自身まんまで舞台に出てくる(ように見える)すごい度胸(ほめてるんです!)の女優は、寡聞にしてぼくには全く思いつかない。

森光子だろうが、大竹しのぶだろうが、ぼくには「その役を演じてる」のが見えていた(つもり)

だが、このサラ・ベルナールは、どこからどう見ても「まんま黒柳徹子」にしか見えない。

なのに、ちゃーんと、サラ・ベルナール。

恐ろしい。(ほ、ほめてるんです!大絶賛してるんです!)

サラが黒柳徹子的な人物だったってことなのだろうかとも思ったが、思い出してみれば、ぼくが過去に観た「黒柳徹子主演・海外コメディシリーズ」の主人公は、どれも全員“黒柳徹子”まんまだった(身もふたもないな・・・)

マリア・カラスも黒柳徹子だった。

マレーネ・ディートリッヒも黒柳徹子だった。

とにかく全部黒柳徹子だった。

そして、すべてめっちゃ面白かった。

多分、黒柳徹子主演シリーズの観客は、「黒柳徹子を観に」行ってるのである。それ以外は要らないって勢いで。

それが正解なのだ。

だから、今作がシリーズファイナルということは、本当に、心から寂しい。残念である。

だが、全編座ったまま(移動は車椅子か、杖を使ってちょっとだけ歩く)の黒柳女史を目の当たりにして、これ以上無理を言うのは過酷すぎるかなとも思った。

むろん、座りっぱなしでも「なんで?!」ってくらいエネルギーに満ちてパワフルな女史なのであるが。

こっちはすっかり芝居に引き込まれているので、全編主人公が座りっぱなしでも、

「黒柳さんも、トシだものねえ」

なんて気持ちは1ミリも思い浮かばず、芝居の中で主人公のサラ・ベルナールが脚を切断したから座りっぱなしなんだ、とちゃんと納得できるのだ。

肢体を切断して座りっぱなしで舞台を務めた人といえば、日本人は三代目澤村田之助を思い浮かべるが、サラには彼のような悲劇的なヒロイズムは無縁に見える。

『ライオンのあとで』という不思議なタイトルの意味がお話の後半も後半に判明するのだが、そこに至ってなおサラには悲愴感はない。

それは、サラ・ベルナールという稀代の女優の強さだったのか、黒柳徹子の個性のせいなのか、ぼくには判別できなかったし、する必要もなく思えた。





徹頭徹尾、黒柳徹子に始まり黒柳徹子で終わった舞台であったが、彼女を囲み支えるほかのキャストもみな良かった。

特に、すっかり安心の実力派ジャニーズの一人と言っても過言ではない桐山照史君が、今回も素晴らしい出来でした。


2018年10月08日(月) ミュージカル『タイタニック』(日本青年館)

こんなにべえべえ泣けたっけ?この作品。

てくらいボロボロ泣きました。

実は今回のサザーランド演出版の初演時(2015年)は観逃しております。そして以前のグレン・ウォルフォード演出版は、やはり再演時(2009年)に観たきりであります。

それを踏まえて。





やりおるな、トム(サザーランド)←例によって上から目線



一応主役というか、トップに名前が出るのは、タイタニック号を設計したトーマス・アンドリュース役の俳優(今回は加藤和樹君)なのだが、この作品は言わずもがな、登場人物全員が主人公たりえるお話。どの役にもあらゆる観客が感情移入できるようになってる、『レ・ミゼラブル』や『グランドホテル』形式の作品です。

ぼく自身は特に誰にも感情移入はしなかったんですが()、ヤンさん(安寿ミラ)演じるアイダ・ストラウスが、夫と離れないために船に残ると宣言するシーンから以降、嗚咽が止まりませんでした。

女性と子供たちを先に避難させるために恋人や妻と別れ船に残る男たち。救命ボートの漕ぎ手になれば逃げられるのに、その役を三等客ジム・ファレル(渡辺大輔君――いつものようにかっこいい)に譲る機関士のフレッド・バレット(藤岡正明君――「だって彼は客だろ!」のセリフで完全涙腺崩壊)。自分にも待っている婚約者がいるのに。

そして逆の意味で心が握りつぶされるような気持になったのが、タイタニック号の船主J・ブルース・イスメイ(悪役やるときも全力の石川禅ちゃん、サイコー!)と船長E・J・スミス(貫禄の鈴木壮麻さん)とアンドリュースが、

「こんなことになったのはお前のせい!」

とそれぞれに責任を擦り付け合うナンバー。

人間の愚かさ弱さをここまで鮮やかに突き付けてくるシーンはない。

そして、これって、まさしく現実だよなあ。何十年、何百年経っても、人間て同じことを繰り返すよなあ、と悲しい気持ちにさせられる。

人間の両極端の姿を見せられるのだが、おそらくそのどちらも一人の人間の中に同居しているものなんだろう。

そういうことを教えてくれるから、この作品は名作なんだろうな。





今名前を挙げた以外の人たちも皆それぞれに素晴らしかった。

あほな言い方だが、「下手な人」が一人もいなかった。だから、登場人物全員が、「本当にそこにいる人」だらけだった。

群像劇のお手本のような作品でした。

やっぱりトム(サザーランド)、すげえ演出家です(言外にグレン女史をディスってるみたいだが、それは違う!・・・でも、『グランドホテル』といい、ぼくの感情にマッチするのはやっぱりトムの方なんだということが、これで実感できた)


2018年10月03日(水) 『魔笛』(新国立劇場 オペラハウス)〈予告〉

念願かなったーー!(T-T)



これでいつでも安心して『アマデウス』観に行ける(そこ?)

新制作版てことで、なかなか斬新な演出だったんですが、初演当時のウィーンっ子もこのインパクトを経験したのかもしれないなあ、とポジティブに受け止めたでござる。

そもそも“古典的”なオペラ自体を観たことがないぼくですから、これがどう“斬新”なのかは分からんかったんですが(ダメなやつ)

少なくとも18世紀当時だったらありえない演出であることは理解できました(そらそうだ)

映像を駆使した背景や照明、登場人物たちの衣裳は20世紀のもの。王子タミーノが吹く魔法の笛でダンスするサイ。

・・・なぜサイ?(これには深い意味があったらしい)

アニメーションがモンティ・パイソンみたいでシュール。

いやー面白かった。

これでいつでも安心して『モーツァルト!』のあのシーンが観れる(そこ?)




いつもこんなオチでごめん。

とにかく、有名な(ぼくでも知ってる)「夜の女王のアリア」が素晴らしかったです。ブラヴォォ!でした。


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