てくてくミーハー道場

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2017年09月30日(土) 『アマデウス』(サンシャイン劇場)

世の中に“鉄板”てものはいくつもあり、その人によってそれぞれ違うものだとは思うが、ぼくにとっての“鉄板”戯曲の一つがこの『アマデウス』です。

ちなみに、ミュージカルでの“鉄板”3の一つが『ラ・マンチャの男』なので、高麗屋はぼくの“鉄板”2枚保持者。

かといって歌舞伎俳優の中で最も好きかというとそうでもな(略)ところが世の中の面白いところです。

まあその話は今日はしないでおきましょう(今日でなくても、しない方がよろしかろう)





とにかくこの『アマデウス』

文句のつけどころがない。

マスターピースである。完璧ってやつである。

ぼくはこの作品を(映画は別として)高麗屋のサリエリでしか観たことがないので、他の役者が演った場合でも同じように感動するのかは未知数であるが、まず戯曲のクオリティの確かさは間違いない。

それと、他の作品なら気になってしょうがないのだろうが(一言多いな)、高麗屋独特のセリフのリズムも、それに加担(?)しているように思える。

奇妙なものである。

さて、高麗屋に関してはもう何にも言うことがないので(なんか逆に愛がないみたいだが、そんなことはない!)、今回から加わった新しいメンバーについて。


モーツァルト:桐山照史

桐山君の舞台を観るのはこれが2度目で、1度目の作品では彼は心優しいゲイの役であった。

最近めっきり限られたテレビ番組しか視ないぼくは、ジャニっ子とは言え知らない子は全く知らない。だから桐山君がアイドル業をしてる時はどんな感じなのかさっぱり知らない(そういや『あさが来た』をちらっと視たときに出てたなあこの子。お行儀の良いボンボンて感じの役だった)

「照史」と書いて「あきと」と読むなんて、今回初めて知ったぞ!

という話はともかく、高麗屋相手にモーツァルトを演じるなんて大抜擢じゃないか。すごいぞ桐山君。

場内にけっこうな密度で存在している桐山君ファンらしき女性客たちが、ストーリーと関係ないところで予想外の反応をしませんように(意地が悪いぞお前もジャニオタのくせに)と祈りながら観劇。

予想外の反応は、気にさわるほどではないが、ときどき感じられた。「あっ、そこで喜んじゃう?なるほど」みたいな(意地が悪いぞ!)

そんなことより桐山君、よく頑張っていました。ぼくはソメソメ以降のモーツァルトしか知らないのですが、あの、常人を苛立たせる()天真爛漫さというのは、分別のある年齢になってから演じるのはものすごーく大変であることが分かります。

上手にできるとしたら、映画版で演じたトム・ハルスレベルの死に物狂いの努力か、天然でモーツァルトらしさを生まれ持ってるかのどちらかでしょう(おいこら)

そういう意味では、完璧にモーツァルトらしいとは言えませんでしたが、高麗屋がサリエリになって嫉妬のつぶてをぶつけてくるにふさわしい程度にはハチャメチャオバカな天才児でした。

ただ、桐山君はお世辞にも華奢とは言えないので、晩年の死にかけのモーツァルトの目も当てられないような病的な雰囲気は残念ながら出せてなかった。体格ではどうもならなくても、そこはお芝居でなんとかしてほしかった。あまりにも健康的すぎて、前半は良いのだが、そのシーンだけはちょっと話に入り込めなかったかな。その分高麗屋がすべてカバーしてた気がする。


コンスタンツェ:大和田美帆

ぼくが大いに買っている女優のひとりである美帆ちゃんでありますが、今回は不思議といまひとつに感じた。

コンスを演じるには理知的すぎるというのか、おばかっぽさが足りないというか。これはぼくが美帆ちゃんだからと先入観を抱いていたからでないことははっきり言える。

だって、キャスト知らずに行ったから。(えっ?)

最近はこの手法で行ってます。先入観防止策。

さすがにサリエリとモーツァルトは事前の知識避けられないけどさ。

で、コンスに話を戻すと、とにかく気が強すぎる気がした。もちろんミュージカルの『モーツァルト!』のコンスとはぴったり一致する必要もないんだけど、ぼくの考えではコンスはウルフィー(ウォルフガング)に無理してバカさを合わせてるようじゃダメで、似た者同士じゃなきゃいけない。

いるじゃん、お勉強できない同士がくっついちゃった夫婦って(・・・えと、それ以上書くと、社会道義的によろしくないですよ・・・?)

ジャージにサンダルでコンビニ行っちゃうような。1歳ぐらいの子供を襟足だけ長いヘアスタイルにしてるみたいな(こ、こら/震)

世間で言うドキュ何とか。そういう感じだったんじゃないか?モーツァルト夫妻って。

そんなコンスが、夫のためにとない知恵絞ってサリエリに縋る。でも、頭悪いなりに(自己流)正義感はやたら強いから、いろいろしくじっちゃう、みたいな流れなんじゃないですかね、あれ(ってどれ?)は。

・・・と、偉そうなこと書いてますが、そもそもぼくはコンス役を毎回あまり重視してない。以前観た歴代コンスは誰だっけ?みたいな感じで今もすぐ思い出せない。

『髑髏城の七人』の沙霧と一緒で、主要キャラの中で一番思い入れがないという・・・。

すみません、女に冷たくて。





とにかく、実際のところこれだけ戯曲がちゃんとできているのに加えて、モーツァルトの原曲が劇伴として流れちゃうんだから、文句のつけようがないんだよなこの作品。

それより、『後宮からの逃走』とか『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』は、まあいいとして(いいの?)、『魔笛』だけはちゃんと観てから改めてこの『アマデウス』を観ないと、本当にこの作品を観たことにならないんじゃないか、と今回しみじみ実感しました。

『魔笛』を知識としてだけ知って観るのと、実際に『魔笛』を観た身で観るのとじゃ、あのアン・デア・ウィーン劇場のシーンを本当に理解できないんじゃないか。今回強くそう思いました。

あの時のサリエリの衝撃と恐怖を、同じように感じるには。

・・・急いで観なくちゃ(えっ?これから?)

とにかく観といて、次の『アマデウス』上演に間に合わせないと。





来年は高麗屋にとってン十年ぶりのご祝儀年。歌舞伎以外のことに気をまわしていられないだろうが(ぼくも久しぶりに木挽町に行こうと思ってる)、またいつか『アマデウス』も、そして『ラ・マンチャの男』も(笑)再演を楽しみにしております。

それまではフェルナンデス君の今シーズンのフリーを観て楽しむことにしよう(^^*)


2017年09月22日(金) NEW・・・MAP

検索よけになってないな、たぶん(笑)





ぼくは未来予想的なことはあまりブログに書かない主義なので、とりあえず「発見したよ」と報告するだけにとどめます。

この人たちが今後どうなるのかの予想や、どうなってほしいのかの希望的観測も、今はあんまり言いたくありません。

そういえば、今年になってから初めてじゃないか?彼らのことを書くの。

こないだ9月9日の夜、ぼくは久しぶりに録画じゃなくオンタイムで『SmaSTATION!!』を視ていた。

アバンの慎吾ちゃんの顔を、凝視していた。

さすがは日本最大のアイドルモンスター(褒め言葉)、その表情は、これまでの何百回もの『スマステ』のアバンと、微塵の違いも見せていなかった。

ボクガニブイダケカナ?

番組の内容も、これまでの数年間のスマステと微塵も変わらず。

本当のことを言うと、ぼくは2004年ぐらいのころのスマステが一番好きだ。

一応(こら)ニュースっぽいことをやってたから。

だから、正直最近は、カタログ情報誌のように、一回視たら捨てて(消して)しまっていた。

(中居君ゲストの回はとってあるけど)

明日のは、やっぱりしばらくはとっておくだろうな。

近いか遠いかわからないけど、“いつか”の未来、視返すために。

そのとき、ぼくがどんな気持ちになるのか、自分でも想像できない。










“節目の年”なんて、もっと大事なもののためには、何にもしなくてもかまわない。

去年はとうていそんな風に思えなかったが、今年はある実感を持って心からそう思っている。

これは負け惜しみじゃない。

節目でも何でもない年に、なんねんたっても(←ん?)「あーあの年は最高だった!」といつまでも思い出せるものがつくれていれば、何も悲しむことはない。



ぼくはこないだの『MUSIC STATION ウルトラFES 2017』も楽しく視たし、10時間のうち3時間ぐらいは録画を消さずに残している。

一番望んでいた人たちはいないが、それでもこの番組には「今年」が表れてる。

何年か後に、「うわーこんな年もあったんだ」と笑って視返せばいい。

稼いだお金を、バカバカしい演出にどんどん注ぎ込んでファンを楽しませようとしてくれるゴールデンボンバーの部分は、「金爆ディスク」と「Mステディスク」の2枚に焼いた(*^^*)

気が多いとこうなるのよね。










久しぶりにとりとめなさ過ぎですね。

花組芝居以来のてくてく備忘録。

ミュージカル『ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜』(山城力君バージョン)

宝塚歌劇団雪組全国ツアー『琥珀色の雨にぬれて』『“D”ramatic S!』

『グローリアス!』

『謎の変奏曲』

ブロードウェイミュージカル『ファインディング・ネバーランド』

ミュージカル『ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜』(加藤航世君バージョン)


以下、続々と。

ちょっと遊びすぎか。

今年も4分の3が過ぎようとしていますが、てくてくを数えてみたら74本。

今年も1年100本ペースになってしまったな(150本ぐらいのビョーキな年もあったので、まだましか)

感想は、あのう・・・(←やっぱりな)


2017年09月16日(土) 毎日快眠

今年の首都圏の夏は、7月に早々と猛暑が襲って今年も長い酷暑に悩まされるのかと覚悟していたら、8月に入ったとたん雨と低気温の連日。湿気はきついが気温のしのぎやすさへの安堵と農作物への心配の狭間でゆらゆらしていたところ、後半はやはり暑い日が続き、なんだやっぱり夏じゃん、と思っていたらあっという間に9月は秋の気配。

里帰りしたときに、例年はしつこいくらいすすめられる桃を、1個しか食べさせてもらえなかった。

子供のころから食べ過ぎてきたので、大人になってからは、

「もんも大してくいだぐね」(←訳しませんので、雰囲気で察してください)

と冷たいことを親に言ってしまうぼくなのだが、今年は自分からねだってしまった。

「こどしのもんもは、雨降ってみなぶっつぁげっちまってよ」(←訳しませんので以下同)

と悲しそうだった。

せっかくTOKIOが日本全国にアピールしてくれているのに、今年の「ふくしまの桃」は不作だったのです。

首都圏のスーパーでは、福島産は異常に高価で、山梨産にやっと手が届くぐらいでした。



と、今頃夏の話をしてしまったが、そんな中、我が家では衝動的にマットレスを新調。

それも東京西川(←意図的・・・ではない)

情けないことに高齢者性の持病で2か月に1回ぐらいの割合で通院しているぼくなのですが、その時間帯に必ず病院の待合室で「ジャ☆ネットた○た」のテレホンショッピング番組が流れており、その日腰がすごく痛かったこともあって、思わずその日放送されていた「東京西川の高反発マットレス」を購入してしまったのです。

羽生君のクリアファイルはもらえないやつでしたが。←

羽生君のクリアファイルがもらえるキャンペーンのときに「へーこういうのっていくらぐらいなんだろ」と思ってサイトを見てみたら、(我が家の所得に比して)めっさ高価だったので、「いやいやいやいや・・・」としり込みしていたのですが、さすがジャ☆ネットた○た、この日売っていたマットレスはすごく安くなっていた。

古いモデルなんだろうか。まあどうでもいいです、品質さえよければ。

で、注文して2日後に届いた(最近の通販はすげえ!)ので早速その日から使ってみたのですが、いやーこれがもう寝心地良いの何の。

それまでのマットレスが寿命尽きてたっぽいのもありますが、最近めったやたらに短時間覚醒を起こしちゃってて、

「うわーついにぼくにも老人性の『早朝に目が覚める』事態が訪れたか!」

と落胆していた(なにせ、目は覚めるけど全然疲れはとれていなくて、想像してたような便利さを感じられず)んですが、新しいマットレスで寝たら、なんと目覚ましが鳴る時刻までぐっすり。腰も痛くない。

・・・寝具って、大事なのね。今頃知りました。

若いころはそれこそ畳に直に寝ても平気だったぼくなので、これまで寝具に気を使うことなんてなくきてしまったのだが(むしろ仕事で仮眠の連続のときは、短時間で目が覚めるようにわざと座椅子で寝たりしていた)、この年になってようやく思い知りました。

実はぼくも家人も、枕にはやけに気を使っていろいろ試していたのだが(でも、やはり&Freeみたいな高いものには手は出せない)、それでも肩こりや睡眠不足はあまり改善していなかった。

抜本的改革が必要だったんですね。

健康はお金では買えない、というか、むしろお金をかけないと健康にもなれないのだ現代人は。



そんなわけで(気のせいか)最近体調が良い・・・ような気がする←

暑苦しい日がほとんど去ったってのもあるけどね。

仕事も若干ゆるくなってきたし(座椅子ではもう寝ないぞ!←いや普通は寝ないから)、買ってそのままのツンドク本をちょっとずつ片付けていきたいとささやかに願っている。


2017年09月09日(土) ミュージカル『ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜』(TBS赤坂ACTシアター)

正直に言います。

こんなにすばらしい作品とは思いませんでした。





実を言うと、お子さまモノだと思ってたんですよ。

『ア○ー』みたいな(こ、こらっ/汗)

い、いや、『○ニー』も良い作品ですけどね(しどろもどろ)

でも、子供に見せて「ほら、世界はこんなにすばらしいんだから、希望を持って生きてゆきなさい」みたいな作品だと思ってたら、そういうんじゃなかった。

いえもちろん、「世界は捨てたもんじゃない。希望を持って生きよう」っていう終わり方だよ? でも、ぼくに刺さったのはそのラストシーンじゃなく、一幕の終わりだったんだよな。

原作は2000年に製作されたイギリス映画で、日本でもヒットした。

映画をほとんど観なくなっていたぼくは当時観てなかったし、今回ミュージカル版を観るにあたって予習もしなかった。

それがある意味良かったと思う。映画のラストシーンを知らずに観て、正解だった(と、観た後に思った)



さて、話は戻って、一幕の終わりのどこがぼくに刺さったのか。

一幕は、ウィルキンソン先生の推薦を受けてロイヤル・バレエ学校の試験を受けるはずだったビリーが、父親と兄に大反対されて受験できずに絶望して踊り狂うシーンで終わる。

この、“怒り”と“絶望”をダンスで表現しちゃうところが、さすがにミュージカル。これまたタモリがディスりそうな展開だが、こういう形で登場人物の心情を描くところこそミュージカルの醍醐味なんだよなあ。

実はこのシーンは映画でもビリーは踊り狂う。ダンスが大好きで、ダンスで気持ちを表現する子、という設定だからなんだけど、正直映画だと、

「音楽はどこから聞こえてくるの?」

みたいなかわいくない感想を抱きたくもなる。その点ミュージカルだと、音楽はそこにあって当たり前、登場人物は嬉しいにつけ悲しいにつけ歌い出し踊り出して当然というお約束に守られているわけ。

で、このシーン、とにかくビリー役の子(本日は、当初の予定を超えて“5人目”のビリーに選ばれた山城力君でした)がすごい。

全身から発する怒りのエネルギーが半端ない。

こんなふうに、手加減なしで“気持ち”を表す舞台人を、久しぶりに見た気がする。

決して大人の俳優たちをディスっているわけではないです。だけど、こういう「手加減のない」身体表現て、大人になると、やれるようでなかなかできないんだよね。

子供って遠慮会釈なしに外で大声出すじゃない? あの感じですよ。

そのパワーに圧倒されたぼくがこのシーンを観てしみじみ思ったのは、

「大人の一番大きな罪って、子供(我が子に限らず)の可能性を大人の都合でつぶしてしまうことなんじゃないかな」

ということでした。

そして、子供の未来を踏みにじってしまう大人って、結局自分の未来をも自分の手でつぶしてしまっているんじゃないか。

子供に未来があるように、大人にだって、生きていく限り未来はある。それを現在の貧相な状況から諦めてしまうのって、人類全体の罪なんじゃないか。

この『リトル・ダンサー』の舞台は1980年代中盤のイギリス北部。炭鉱不況の真っ只中で、大人たちは先行きの見えない不安とサッチャー政権への不満の中で暮らしていた。

当然子供たちもそんな大人たちの中で育っているんだから、妙に大人びた達観したところがあり、そこがまた悲しい。

でも、達観しているように見えて、自分が本当にやりたいことを邪魔されたときに全身から怒りを湧き上がらせる正直さ、子供らしさにぼくは感動した。

そして、大人も、本当に自分が大切だと思うものを踏みにじられたときには、こうやって怒るべきだと思ったのだ。



さて、ラストシーンは映画のラストシーン(十年後、ビリーがどうなったかが判明する)とは違って、ビリーが無事ロイヤル・バレエ学校に合格して(ネタばれっ!)宿舎に出発するところで終わる。

すがすがしい希望と、“親友”マイケル(本日は山口れん君)との甘酸っぱい(この言葉の意味、ぼくは映画とは違う意味で書きたい)別れ。

良いなあ。青春未満(*^^*)

映画をご覧になった方はお分かりだと思いますが、マイケルは実はトランスジェンダーで、十年後、ロイヤルバレエ団のプリンシパルになったビリーをお父ちゃんと兄ちゃんが観に行くと、ちゃっかり隣の席にカレシらしき男性と一緒に座ってるというオチだったんだよね。

でも、このミュージカルではそこまでは描いていない。

ぼくはマイケルのことを、「少年期によくありがちな」異装好きな男の子なんだと思って見てました。

ま、ビリーのほっぺにキスして、

「オレはバレエが好きだからって、オカマじゃないんだ」

ってビリーに言われて、

「誰にも言わないで(焦)」

っていうところは残ってたので、そこで察してくださいってことだと思うんだけど、ぼくはあんまりそっちを掘り下げたくないっていうか、それよりマイケルが、

「誰に何を言われようと、自分がしたいことをすればいいじゃんか」

とビリーを励ますところが本当に好きで。

映画ではただ女装するだけなんだけど、ミュージカルではビリー役とマイケル役の子が、そらもう超絶キレッキレのダンスを披露するんです。

ストーリーの外側で感動するのは「お子さまモノ」だと思っているってことで、あんまり感心しないことかもしれないけど、まーとにかくここは見どころです。最高でした。





それともう一つ、脚本に感心したのが、登場人物たちが筑豊弁(?)をしゃべっていること。

映画でも登場人物たちはダラム訛り?をしゃべっていたらしい。これは日本にすると東北弁かと思いきや、「炭鉱」というキーワードから、福岡県飯塚市あたりなんでしょうかね。『青春の門』ですな。

なので、ビリーも父親のことを、海外ミュージカルではお定まりの「パパ」なんぞでは呼ばず、「とうちゃん」である。

そして、ウィルキンソン先生の娘・デビーは、母親のことを、「ママ」と呼ぶ。

ここで、ビリーとデビーは“階級”が違うってことが、如実に分かるようになっている。

とはいえ、ウィルキンソン家も上流階級てわけではなく、炭鉱の町でそこそこの暮らしをしている中産階級なので、ウィルキンソン先生も筑豊弁である。ここもステキであった。

この先生、“かつては”バレリーナを志したんであろう、“かつては”美人だったんであろう、けど、今や口は悪いしヘビースモーカーだしダンナには浮気されてるし、という「今はこのていたらく」な感じの女性。

だが、ビリーの才能をこの町でただ一人見出し、彼の可能性をこの町でただ一人信じた大人である。

ビリーがロイヤル・バレエ学校に合格して町を去る時、

「ロンドンに行ったら、あんたはあたしがここで教えたことを全部忘れるんだよ」

と言って聞かせる、その冷静な愛情にぼくは涙を抑えることができなかった。

こういう大人になりたいなあ。

どっちにしても、大人たちはみんな子どもに幸せになってほしいと願ってる。それがこの作品の主題だと思う。





カーテンコールでは、大人も子供も男も女も全員がチュチュ()を着てごあいさつ。たまらん楽しさです。

そんで今日はビリーとマイケルの撮影会があって、二人で「ビリージャンプ」をしたところを撮ってSNSにアップしても良い、という許可があったんですが、おばちゃん、文明の利器を使うのがド下手で(_ _ )

こんなんしか撮れませんでした。




すまん。二人とも。



そして終演後、場内に流れた曲は、今作には全く使われていなかったT-REX「Bang a Gong(Get It On)」であった。

なんでや?!と思うより、あれ?なんかピッタリだなあ。と思ったのだが、これ、映画の『リトル・ダンサー』で使われてるんだよね。

『リトル・ダンサー』といえば「Bang a Gong(Get It On)」というのは、封切り時にCMとかで使われていたんだろうか、あまりにも自然に聴けたのでなんか不思議だった。


2017年09月03日(日) 花組芝居 劇団創立30周年第四弾『いろは四谷怪談』(下北沢ザ・スズナリ)

北澤八幡神社例大祭で賑わうシモキタへ二日続けて行ってまいりました。

昨日ソワレ:山組キャスト(ゲスト:小林隆)

今日ソワレ:川組キャスト(ゲスト:渡辺いっけい)



『いろは四谷怪談』は、同劇団のレパートリーの中でも群を抜く人気作。とはいえ13年ぶりの上演なので、初見のご新規さんも多いんだろうなあ。

ぼくは“歴”こそ古いが(最初に花組を観たのは1989年の『かぶき座の怪人』初演)近年では毎公演忘れずに行くことができず、年に一公演都合がつけば行けるって感じのとんと薄情な客に成り下がっている。

そんなぼくでも、この『いろは四谷怪談』は、再演されるたびに(初演は1987年なので、観ていない!)欠かさず観ていて、“封印”公演(1994年に宮城県七ヶ浜国際村で上演)までオッカケをしたくらいはまってた。

その封印が解かれたのが2004年の世田谷パブリックシアター公演で、もちろんそれも観てる上での一番の感想は、

「(劇団運営上それが必ずしも良いことではないのは承知の上で)こういう芝居って、やっぱこういう狭いコヤで観た方が絶対良い。面白さが全然違う」

ってこと。

最後にくっついてるフィナーレは宝塚への憧れを示しているので(そうなの?)本当は大きい劇場でやらせてあげたいのだが(小さいコヤでやると、二丁目のショーパブにしか見えない)、演者たちのスキルが(以下略)

それはともかく、今回13年ぶりに本編を観て、ほとんど全部(台詞の一つ一つすらも!)覚えていたことに自分でも感心。

公演ごとに全部観ているとはいえ、連日通ったってわけでもないのにワンシーンワンシーンすばらしくよく覚えてるということは、それだけインパクトがあって記憶に刻まれている作品なんだなと。

それと、この作品、言ってみれば「ジュークボックスミュージカル」のはしりなんだよね。

有名ジャズナンバーに歌詞をつけたミュージカル仕立てになっているので、ナンバー(ポピュラーな曲なので、公演に関係なくときどき耳に入ってくる)を随所で耳にするたびに、例の歌詞がよみがえってくる。

これはうまい!そしてずるい。←

これに似た手法の作品として、同劇団には『南北オペラ』『シャンソマニア』などの作品があるのだが、使っている楽曲のポピュラー度もあって、この『いろは四谷怪談』ほどは成功していない(断言しちゃうあたし)



かように休憩なし2時間があっという間であった。

今回の公演の特徴として、お岩とお梅を一人の役者が二役で演じるという点が大きいのだが(もしかして、ぼくが見逃している初演もそうだったのかな。今調べがつかない)、これは確かけっこう昔の話だけれども、座長(加納幸和)がかわぐちかいじ氏(当時、『アクター』という作品の中で『四谷怪談』映画製作ネタを描いていた)との対談の中で、お岩とお梅は同じ女性の表裏なんじゃないか、なんて話をしていたような記憶がある。ぼくの記憶なんでアテにならないが。

今回の一人二役は、そのことに対する座長の一つの答えなのかなという気がしている。



ところで、シモキタもお祭りだったが、今公演は劇団にとってもお祭りで、連日ゲストがちょい役で花を添えていたのだが、もう一役、ラストシーン直前に出てくる“クリスマスの街にいる酔っ払い”の役で劇団の役者が日替わりで出てきている。

ぼくの感想は、昨日と今日誰だったか、ということではなく(ちなみに昨日はカツケン(笑)こと伊予屋(桂)と鳴流屋(丸川)がストリートミュージシャン(馬鹿くんバンドの生き残り?)役でけっこう長いこと路上ライブをやってくれた。今日は乙貝屋(磯村)が脂汗だらだら流しながら苦手なアドリブで会場を凍らせて()くれました)、四十七士と師直が賑やかに去った後に伊右衛門が言う名ゼリフ「また、夏は来るさ」までの間に、長々と空気の流れが途切れるようなアドリブシーンを入れる意味は何だろう?ということです。

これに関しては、ちょっと座長宛にアンケートで問い詰めたい()と思っております。

もしかして、座員の着替えの時間稼ぎだったりするのかな。(えっ/汗)



まあええわ。不満というか疑問点はこれぐらいで、やっぱり名作だなあという感想を抱きました。

題材が四谷怪談なので、これはよくある通り一遍の言葉ではなく、深い意味を持って(おい、怖いわ/震)、出演者、関係者の皆さま、どうか千穐楽まで事故などのないよう、連日大入りで締めくくれますよう、心よりお祈り申し上げます。

そしてぼくも“年一”見物を反省しまして、次回公演(『黒蜥蜴』)も楽しみにしております。


2017年09月02日(土) ミュージカル『ヤングフランケンシュタイン』(東京国際フォーラム ホールC)

実写版『銀魂』が未だ全国の映画館で上映継続中でございますが、福田組舞台版の方も、舞台版らしく局地的ではありますが盛り上がっていました。

つっても明日で千穐楽。日本の場合、どんなに人気が出ても舞台は予定通り終わっちゃう。文化的バランスが“かの地”(というのはもちろんブロードウェイとかウエストエンドとかのこと)とは違うのがつくづく寂しいですなあ。

舞台オタとしては悔しいもんがありますが、まぁ別にいいや。←

楽前の休日ということもあるのかもしれないが、(特別コンサートなどでなく通常のミュージカル公演で)国際フォーラムホールCが三階席までびっしり埋まってるのを見るのは久しぶりだった。

小栗君はテレビドラマや映画はもとより、舞台俳優としても以前から活躍しているので、ほとんど舞台でしかエンタメに触れないぼくから見ても今さら珍しい役者ではない。

だが、今回はどどどどういうつもりかミュージカル初挑戦。

ダーフクの悪乗りではないのか、と、若干の不安と不満がよぎる。

そもそも、ぼくは小栗君の“歌”ってものをまともに聴いた記憶がない。

改めて一所懸命思い出してみたが、本当に例の「PASSION」しか聴いた記憶がない。

やばいんじゃねえの?これ←

期待と不安に慄きながら、鑑賞させていただきやした。





結論から申しますと、小栗の歌は「中の上」だった。

金返してほしいほど下手ではないが、金出して聴くほど上手くもない。なんだそりゃ(自己ツッコミ)

でも、こういう作品だから(どういう作品かはこれから説明します)許せたな。

この『ヤングフランケンシュタイン』は、1974年に公開されたメル・ブルックスのコメディ映画が基になっていて、2007年にミュージカルとして舞台化された作品。

そう、かの傑作『プロデューサーズ』と同じ道をたどっている作品なんですね。ってか、舞台化したときのスタッフも『プロデューサーズ』のスタッフが再集結したんですって。

つまり柳の下のドジョウなのね(おいこら)

二匹目はやや小ぶりだったかな・・・(ずけずけ)

ぼくは『プロデューサーズ』は映画も観てるし舞台版も大好きなのだが、この『ヤングフランケンシュタイン』の映画は実は観ていない。そんだけ思い入れがないからの感想なのかもしれないが、今回この舞台を観て最初に思ったのは、

「うわー、ぼくが苦手な方面のダーフクが出てる」

だった。

いわゆる「作ってる側が先に面白がっちゃってて気に障る」感じ。

もう、最初のムロツヨシ登場で駄目(何か厳しいですよておどるさん/汗)

映像作品では面白いんだけどなあムロツヨシ。舞台で、それもこういう大きなコヤで観ると、なぜ腹が立つんだろう?

でも、観ているうちにどんどん面白くなって最後には上機嫌になりましたけどね。

要するに、気分があったまってない状態でふざけられたから腹立ったのかなあ。それだったら悪いのはムロツヨシじゃなくて、やっぱりダーフクだよなあ()

実は前々からダーフクがメル・ブルックス好きなのは感じてた。だからこの『ヤングフランケンシュタイン』も、どんな感じになるのか予想はできてたんだけど、それ以上に、メル・ブルックス臭(こら)がきつかったなあ。

あのね、全編「こんなミュージカルありましたでしょ」ってパロディなんだよ。音楽も、「あれに似てる!」(どころか、まんま「踊るリッツの夜」を丸々使ってるシーンがある)の連続で。

それにブルックスらしいふざけた歌詞が乗ってる。

わかってるんだ、そういう作品だって。

でもなんか、「今さらこういうことやられてもな・・・」って思っちゃった。

1974年だったらすごく刺さってたんじゃないかな。それまでの古臭い作品群のパロディとして生き生きしてたんだろうな。

でも、その後そういうのが出尽くしちゃったからなあ。この作品が元祖に近いとしても、“今”初めて観ちゃったからなあ。

何かあまり楽しめなくて残念。

その元作品の古臭さをカバーするために、ダーフクが現代ニッポンのあれこれをまぶして面白くしてたが、それって作品の根幹の面白さとは全然別物じゃん?

なんかごめん。

『プロデューサーズ』は好きなのに、これは好きになれないって何でなんだろう?自分でもわからない。

エロネタが多いからかしら?別に今さら純情ぶるつもりはないんだが。

うーんそうか、エリザベス(主人公フランクの婚約者)にせよ、インガ(オバカな助手)にせよ、ブリュッハー夫人(謎の家政婦)にせよ、出てくる女を悉くニンフォマニアっぽく描いているのがムカつくのかもな。この辺、フェミニズムなんてないがしろにされてた70年代っぽいもんな。

こういうネタをあはははと笑って楽しめる思考の持ち主じゃない自分が残念です(←あまり本心でない書き方)





さて、作品に対する不満はこれくらいにして、出演者に。


最初に散々ディスったムロツヨシに関しては、本当は敢闘賞をあげたいです。彼がいなきゃお客がここまであったまらなかったと思うんで。1500人規模のコヤの客を最後列まであっためるって、実は大変なことなんで。


主演の小栗旬。いやー頑張ってた。最近はもう中堅俳優になっちゃってて楽々と(本当はそんなことないんだろうけど)仕事してるような印象があったので、今回みたいに歌とかダンスとか、基礎からやんなきゃいけないような仕事をしてるのを見て、蜷川作品に出始めのころの小栗君を思い出した。

ただ、これはもう偶然のタイミングの神様の意地悪なんだけど、彼が自分の婚約者を呼ぶたびに、映画『銀魂』の宇宙生物がチラつくんだよお!どーしてくれるんだよダーフク!!()


で、その宇宙生物婚約者の“エリザベス”あさこ(瀬奈じゅん)ですが、まあー歌が上手くなったこと(えっ?)

男役時代の後半は普通に上手かった(下級生時代はそうでもなかったから)んだけど、女優になってしばらくは元男役のならいで高音が出てなかったじゃないですか。でも今は出る出る力強い声が。

嬉しかった。

コメディエンヌぶりも板についてた。

OGには相変わらず甘いておどるですスンマセン(^^ゞ


保坂知寿さん。彼女も相変わらず芸達者。安心して観れました。これは宮川浩さんも一緒かな。

そして吉田メタルも実力発揮。

・・・あっさりした感想ですいません。


さて、最後にとっといたとっておきの二人、瀧本美織賀来賢人

ブラヴォ!(はい、本日のデカ字、いただきました)


二人そろって殊勲賞です。主演女優賞と助演男優賞です。

特に瀧本美織ちゃんのポテンシャルを、『マリウス』に続いて再び強く実感。

いやーどんだけ隠し持ってるんだこの子。すげえわ。

歌やダンスの実力もだけど、ぼく的に一番ツボッたのは、フランクが悪夢にうなされてるところに駆け寄ってくるところの走り方。あれはもちろんダーフクの演出だったんだろうけど、あまりにもおかし可愛いかったんで、もう一度見たい!と思った。明日もう楽日だから難しいけど。

ふと、今思い出すと、インガのせりふのアクセントって何か神楽みがあったな。ダーフクの好みなのだろうか?

ほらほらまた『銀魂』影が・・・だからやなんだよこういう時期かぶりは(愚痴るな!)


えと、アイゴール。こいつもまたこれすごいやつだった。

賀来君は『モンティパイソンのスパマロット』での好演ももちろんだが、『五右衛門vs轟天』『五右衛門ロック掘の三浦春馬以来の衝撃を受けたことを覚えている。てか、『ロミオ&ジュリエット』やら『RENT』やら普通に出てるんだけどね。なぜかぼくにはイケメンのくせにナンセンス作品でしれっと笑わせ役してるイメージが強い。

なんか、こういう俳優がボコボコ()出てくると、日本もすごくね?と思える。いや、欧米コンプレックスなんて今時ナンセンスなのかもしれないが。

とりあえず、今回はこのお二人が大収穫でした。

ありがとう。(誰に?)


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