てくてくミーハー道場

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2017年10月29日(日) テレビ朝日ドリームフェスティバル2017(さいたまスーパーアリーナ)

今年で七回目だそうですが、あんまりフェス好きじゃないぼくは今年初めて入らせていただきました。

フェスが好きな人たちって、お菓子のバラエティパックとかも好きなのかな(急に何の話?)

一袋でいろいろ楽しめてお得、という感性なんだろうな。

ぼくは「好きなもの一色」で攻めたい人なんで、最後に飴だけ余っちゃうような(おい)バラエティパックは不得意です。

チョコレートだけ食べたい。(好きにすれば?)

だが今回、ぼくが毎日必ず食べてたのに諸事情で販売中止になってたチョコレートが、他のお菓子に交じって再発売されるというニュースを耳にし、まんまと買ってまいりました。

パックは三種類あって、初日(26日)は味の濃い輸入菓子(ダンスバトルデー)

これはごめん、正直言って興味ない(こら)

二日目(28日)はジャンク菓子(対バンデー)

一個、すごく好きな“うまい棒”が入ってたんだけど、“うまい棒”はそれだけ買って来ればいいから、今回はパス(来年BSで放送されるようなので、その意味でも余裕をもってパス)

そして三日目の本日、数種の定番人気菓子(美声ヴォーカル&アイドルデー)の中に、ぼくの大好物の高級チョコレートを発見!

台風22号もなんのその。





と言いたいところなんですが、実はちゃっかり遅刻。

入ってみたら、既に高橋優くんのターンでした。Little Glee Monsterの皆さん、ごめんなさい。

実はこのテレビ朝日ドリームフェスティバル(通称「ドリフェス」)、セットリストはおろか、タイムテーブルも事前に発表しない。

でもさすがにこのメンツでKinKi Kidsが浅い時間帯に出ることは考えられないので(つうかむしろ絶対トリ確定)、正直終わりぐらいに行っても良かったのですが、いつ終わるのかも分からなかったのでちゃんと開演から行こうと思ってたのに、この体たらく。深く反省です。

で、とにかく高橋君の途中から参加。

CMでよく耳にする「明日はきっといい日になる」の途中でした。

全部は知らないけど知ってる曲なので楽しくノッていたら、次の曲「泣ぐ子はいねが」に思い切り持ってかれた(笑)

トーホグ人シンパシーを感じ胸熱。

最後の曲はご本人から受ける印象どおりの優しい応援歌「ロードムービー」で締め。



ふいー、フェスってこういう感じなのか、と徐々に気持ちはあったまる。

続いて登場したのが、これまた今年再始動したCHEMISTRY。

老若女々を酔わせる(イケボ+イケボ)×ロマンチック歌詞の波状攻撃。

まともに聴こうと思ったことがないのに、新曲以外のすべてのナンバーを「これ知ってる!」と思った自分に驚愕。

ヒットしまくってたわけですな。

多分これって、本日ケミちゃんたち目当てで来たお客さんがKinKiのターンで味わったのと同じ現象だったんじゃないかと察する。

いやーしかし、今さら言うのもバカみたいだが、二人ともおうたが上手い。それも、異常に()上手い。一人ずつでも上手いのに、二人揃っちゃったら無敵ですわよね。

再始動おめでとうございます。

今、フェスも百花繚乱状態ですが、フェスもただやるんじゃなく、個性のある内容で勝負してみてはどうだろうか。

例えば一定の縛りをつけるとか。

例えば、「男デュオ」という縛りはどうだろうか。(←恣意的)

世間が一番最初に思い出すであろうあのデュオは、ある事情で(中略)かもしれないが・・・実現したらきっとすごいぞ?

ぼくとしてはまず、ビリーバンバンさんは絶対出てほしいな。(え?)

あと、狩人とか(いいかげんにしろ)

・・・すみません。

今回エール交換的なものはなかったですが、一日にケミとKinKiをいっぺんにナマで聴けた本日、実に感慨深いものがありましたのでちょっとふざけちゃいました。堪忍してください。





さて、ここでややロングな休憩。寄席()で言う中入り。

売店もしくはトイレ、という、入れるのと出すのと(こら下品!)両方のためにロビーを疾走するオーディエンス。中にいたときは分からなかったが、めっちゃ女ばっかりやん。まじで老若女々やん。

ぼくも人酔いしながら腹ごしらえをして次のE-girlsに備えたわけですが、とにかくトイレの列が半端ない。

すまん。E-girlsのターン前半は、トイレの列に並んでるうちに過ぎてゆきましたm(_ _)m



次に登場したのは、本日の膝がわり(トリの直前の出演者のこと)森山直太朗。

予想どおり()本日の最高殊勲賞(≧∇≦)

氣志團万博で毎回鉄板のオープニングアクトぶりを見せているが、今回も絶妙に客をヒートアップさせてくれました。

寝坊してバイトをズル休みする寸劇に始まり、ふざけたMCで客を大いに沸かせたかと思うと、「夏の終わり」「生きてることが辛いなら」などでセンシティブな年寄(ぼくのことだ)の涙を絞る。

かと思うと「うんこ」なんて曲を挟んで場の空気を一転させ、客の99%(!)を占めるKinKiオタへの媚・・・あ、いや(汗)サービスも忘れない。

そして、ぼくが個人的に文学的歌詞の極みと評価している「どこもかしこも駐車場」で直太朗のターンは終了。

思いっきり客を自分の方へ引き付けながら、次の出演者の邪魔をしない・・・いやそれどころか、次の出演者への期待感まで煽って去るという、超絶名人芸を見せてくれました。

すげえな、この男。怖いわ(良い意味で)



さて、いよいよ大トリ。

上にも書きましたが、本日のさいたまスーパーアリーナの客は、フィギュアスケート男子シングル試合会場の羽生結弦ファンのごとく、ほぼ99%がKinKiファンで占められていたことが、ここではっきりと判明。

今までの出演者たちは何だったんだ?!とかわいそうになるほど(でも、ライブ中はちゃんと各回盛り上がってたので、そこは誤解なきよう)突然の「KinKiコール」に、自分も彼ら目当てだったくせに、びっくり仰天してしまいました。

・・・フェスでこんなこと、アリなの?よく知らないんだけど。

そして、もったいぶるわけでもなく()定刻通りにKinKi様ご登場。

約14,000人のお客さんの目が、つよっさんが装着したデカいヘッドホンに注がれる(笑)

やっぱ、イヤモニは未だ耳に堪えるのでしょうね。思いのほか早く(とぼくは思った)ライブに復帰できたことに感激一入(なおたろくん、「ひとしお」はこういう字ですよ。Saltじゃないんですよ/笑)だったわけですが、やはり本調子までにはもう少しかかるようです。

吉田建率いるいつものバンドさんたちも、今日はアンプラグド(つっても、正確には電気増幅サウンドでしたが)風味のアレンジで、耳に優しいライブ。

いずれにしても、堂本剛さんライブ復帰おめでとう。年末年始の恒例行事も発表され(京セラで年越しという、KinKiファンにとっては最良のパターンで21周年目へ向かうことができることにぼくも歓喜)ていたので、快復へ向かっていることは感じていたのですが、これでようやく実感でき胸をなでおろしました。

ただし、あたくし今回は一つだけきんき兄さんに物申す。(えっ何?)


いつものライブのノリでMCやるな!(爆)


割り当て時間が決まってんだからよう。

全アーティスト平等に45分なんだからよう(涙)

半分強MCだったじゃねえか(←いくらなんでも嘘)

いやそれは確かにオーバーだけど、MCをほかの出演者たち程度に抑えてたら、あと2曲ぐらい多く歌えたんじゃないの?!(そ、そうかな・・・?)

まあ、歌うよりしゃべってた方が剛センパイのためには良かったのかも知れませんが。

とにかくまあ、これで一安心。

自分の病気に加え愛犬も亡くして、このところのつよっさんは散々な目に遭ってきたが、少しずつ良いことが増えますようにとファンのはしくれとして祈っております。

明日からの小喜利も楽しみながら頑張ってください。


そんで、今日はつよっさんに終始してしまいましたが、「ボクの羽根には背中がある」らしい(笑)光一さん(いや、正確には「ボクの背中にはフライングのワイヤーがついている」だろ←)、博多からのハードなトンボ返りお疲れさまでした。全盛期のアイドルみたいなスケジュール(今も全盛期のアイドルです!/おこ)にアタシびつくりしました。

いくら体力に自信があるからって・・・もう年(略)いや何でもない(汗)



ライブ終わりには華やかに銀テープが発射され、どうせドリフェスバージョンなんだろうな、と思ってさほど熱意なく軽い気持ちで拾ったら(いつものKinKiコンみたいに周囲の人もあまり必死じゃなかった)、実はこういうものだった。
     ↓



KinKi色!!

拾って良かった←

これで年末までもつわ(←オイ)


2017年10月28日(土) 『髑髏城の七人 season風』(IHI STAGE AROUND TOKYO)

正直に書きます。

一幕目途中まで、「今回は失敗だな」と思いました。

特に、捨之介と蘭兵衛が無界の里で再会した後に二人きりで会話するシーンは、舞台ヲタのぼくの完全な偏見であることは百も承知ですが、

「なにこの22時台のテレビドラマみたいなの」

と、正直鼻白んでしまいました。

演者お二人のファンの方にボコボコにされるのを覚悟で言いますが、二人して芝居が平板。

久しぶりだなあ、芝居見ながら「帰りたい・・・気がする」と思ったのは。

テレビでよく見る俳優に対して偏見持ちすぎでしょうか。

そんなこと言っても、ぼくは松山ケンイチに関しては前回の舞台『蒼の乱』は非常に面白く観ましたし、映画『デトロイト・メタル・シティ』大好きなんですよ(『デスノート』は未だ観てないという)・・・偏ってますかね、やっぱし。

向井理君に関しては、時々テレビドラマで視たことしかなく、映画も舞台も(その中継録画も)観たことがありません。そんなわけで、今回の蘭兵衛抜擢には期待より不安の方がまさっていたわけですが、それがそのまま現実化してしまいました。

ついでに回し蹴り()でもう一人批判しますが、極楽太夫・・・残念です。まったくもって無界の里で全盛を張る花魁になってない。

その周囲にいる女の子たちに完全に埋もれている。

年齢的にも極楽を演じるには早すぎたのじゃないかと思いますが。

むしろ沙霧の方が似合ってたんじゃないのか?

このお三方に対しては、ごめん、褒め言葉が出てこないです。とりあえず向井君もマツケンも肢体はすばらしく美しく(二人とも身長180センチ超)遠目で見てもなおさらカッコ良いという美点はあったのだけど、なぜだろう、“舞台俳優”としての存在感が希薄。顔が小さい、という映像俳優には最大のメリットも、舞台俳優にとってはデメリットでしかない、というのもあったのかもしれないが、それよりとにかくセリフ術が舞台人のそれじゃなかった。

さらに調子に乗ってマツケンに対しての批判となりますが、捨之介はまだ良かった。小栗旬ほど見た目がカッコ良くはなかったが、体がよく動いていたし殺陣が思いのほか素晴らしかった。

でも、どういうんだろうな・・・映像作品で評価されているような「変幻自在さ」はほとんど感じられず。天魔王の時の極悪人ぷりが、特段凄まじくもなく色っぽくもなく、森山未來のようなエキセントリックな面白さもなく、貫禄もない。

なんていうか、コクがない悪役だった。これは、メインを張る悪役としては致命傷に近い。

残念でならない。



だが今回、久しぶりに捨之介と天魔王の二役バージョンを観て実感したのは、やはりこの二人の顔がそっくりという設定の方が、話がずっと面白いということだった。天魔王を演ることにより、捨之介の方のキャラも立ちやすくなるという作用が生じるのが分かった。

あと、捨之介と天魔王が別人バージョンを何作か観てきてやっぱり思ったのは、このバージョンだと捨之介の“しどころ”があんまりなくて、よほど主役然とした俳優でないと、捨之介役の役者が主演に見えないのだ。

ワカドクロの小栗を観たときに、それを強く感じたからなあ・・・って、今回は関係ないよね、ごめんなさい!





さてさて、では他のメインキャストさんたちについて。

山内圭哉 as 兵庫

飄々とした自分の個性を残しつつ、きちんと新感線式芝居をモノにしていた。この人が兵庫みたいなバカ120%で暑苦しい役をやるのをぼくはあまり観てないので(どちらかというと何を考えてるかわからない不気味な役が多い)、新鮮な気持ちで観れた。ステキだったです。


生瀬勝久 as 狸穴二郎衛門

タヌキ親父味のない二郎衛門。二枚目味増し。イケボって得(笑)

なんでかな、『髑髏城〜』って上演されるたびに二郎衛門がカッコいいキャラになってきてない?


橋本じゅん as 贋鉄斎

今バージョン最大のウリ(爆)

まあ贋鉄斎は毎回コメディリリーフ的な役ではありますが、特に今回は一番濃かった。

安定のド 変 態 キ ャ ラ(≧∇≦)

変態大好き(おい)なので、大満足いたしました。


岸井ゆきの as 沙霧

ハイ、例によって知らない女優さんです。まあ、沙霧としては申し分なく元気があり、演技力も充分(熱がないなー、いつものことだけど)

今回の捨之介はぼくが望んでいた()ちょっとスケベキャラだったので、沙霧もいろんなとこ触られてましたが(でも元祖ほどではない)、沙霧の心の動きは一番出せてたかな。台本と彼女の演技力がうまく合ってたと思います。


ちなみに今回、風の力を利用して剣先が届かない相手を斬ることができる“かまいたちの術”を使うことができる(説明的!しかも実は・・・おっと、以下ネタばれにつき略)因達羅の蛇眼(吉田智則)というキャラが出てきて、このバージョンが「風」であることを示していたのですが、「花」「鳥」ではそういうのあったっけ?(注意不足)

あとでゆっくり思い出してみよう・・・たぶん忘れてるけど←



で、ミュージカル調(?)だった「鳥」に対して今回はテレビドラマ調(おいこら)だったんですが、今回も挿入歌(「風の曠野」)があって、なんと美しく艶のある歌声であろうか、と思っていたら歌い手は森奈みはるであった。美声健在。嬉しいことである。

さてと。次回「月」二作はいつ行こうかなあ。なんか、今までと違う客層になりそうで、正直そっちにびびってる。とりあえず観損じることだけは避けなければ。


2017年10月22日(日) 平成二十九年十月歌舞伎公演『通し狂言 霊験亀山鉾』(国立劇場 大劇場)

ロステレコム杯のことも山ほど書きたいんですが、フィギュアに関しては一試合ごとに一喜一憂する資格のないドニワカなので、平昌オリンピックが終わってから思ってること全部書こうと密かに感想を溜め込んでおります。

ガムも溜め込んでおります。
   ↓



・・・この件はまた別の日に(我ながら恥ずかしい)





さて、日本列島台風ど真ん中、天気も大荒れなら政局も大荒れですが、ミーハー道邁進にかけては右に出るものがいないぼく(自慢する事か?)、投票をきっちり済ませまして、やってきました隼町。

こんな嵐の日に劇場なんか(おい)にくる奇特な連中はそうはおらんだろうと高を括っていたら、満員御礼。

暴風雨の中、北島マヤの大劇場初舞台を観に行ったのは速水真澄たった一人でしたが(何の話?)、仁左様を観るためなら1500人超の紫のバラの人が集まるのです!ぼくもその一人です!(だから何の話?)

そんなわけで、何か月ぶりかもわからないぐらい久しぶりに国立劇場へ足を踏み入れました。



あのね、当たり前のことを書きます。





仁左様、カッコいい!! (-− )うん。当たり前のこと言ったね。




現場からは以上です。(おいっ!)



いやほんと、これしか感想ないですよ本音で。

この「亀山の仇討」って話は、15年前にもここ国立劇場で上演されている(主な配役は今回とほぼ同じ)ので、ぼくはきっと観ているはずなんだけど、すっかり忘れてるんだよな。

そんな鳥頭な客に「カッコいい〜!」なんて言われても仁左様もお困りになるだろうが、たぶん当時も同じこと言ってたに違いないので、どうかお許しください。

しかしなあ・・・当時、58歳(歌舞伎の世界では青年扱いです)男盛りの花形役者にアラフォー客だったぼくがキャーキャー騒ぐのは、歌舞伎の世界では当たり前すぎて何の珍しさもなかった。

しかしながら、今舞台の上にいるあの重要無形文化財保持者は73歳!

世間一般ならギリギリ前期高齢者!(おいさっきからなんだか失礼だぞ?)

こんなに麗しい前期高齢者がいて良いものでしょうか?

良いんです!(出たな川平慈英)

何十年男盛りをやるつもりなんだ仁左様!(何という言いがかり)

こっちは確実にBBA道まっしぐらだというのに(お前のことなど知らん!)

・・・すみません。まったく感想になってません。



歌舞伎に関してはストーリーの紹介をしてもしょうがないので省きますが、休憩2回入れてきっちり4時間という長丁場だったにもかかわらず、話の運びはスピーディだし演出にもメリハリがあって全く退屈しませんでした。

(鶴屋)南北らしく早替わりあり本水ありと目にも楽しく。

南北調のセリフを自在に謡う仁左様のセリフ回しはまるでドミンゴのアリアのよう。ドミンゴ生で聴いたことないけど←

仁左様以外の出演者の皆さんも、それぞれ役にはまっていてとても良かったです。

特に秀太郎丈の慈愛に満ちた貞林尼が絶品、そして行儀のよい孝太郎のお松、小気味の良い美吉屋(吉弥)のおりき。

雀右衛門はこの名前になってから初めての観劇でした。気障な芝居をしないのがこの方の良いところ。でも、もうちょっとやせてほしいな。女気のある芸者にしてはポテポテしすぎ(辛いぞ!)

立役の方々では、二枚目のお手本だった錦之助、端正な又五郎(意外に出番が少なかった)、自由自在の彌十郎丈とこれまた皆さん適材適所。

むしろお父さん(又五郎丈)よりも大活躍だったのは歌昇。声も姿もはつらつとしていて良かった。

かわいいかわいい源次郎(役名)はダブルキャストだったので、例によってどっちの子かわからず。でもセリフもよく通って上手な子だった。





最後に、演出にアホ客らしいダメ出しをしますと、「焼き場」のシーン、前の方で八郎兵衛とおつまの立ち回りがあまりに決着がつかないので、後ろで水右衛門が丸焦げになっちゃってんじゃないかと気が気じゃありませんでした(←まさにアホ客)

だって、火が着いてからだいぶ時間経ってたぞ?

そうか!「水」右衛門だけに()

・・・・・・すみません(涙)すみません大南北、すみません奈河先生、すみません仁左様。

こんなアホ客ですみません。大丈夫、ちゃんと話の芯は理解してますので。(本当かなあ?)

※科学的(?)に考察するとね、あのシーン、雨降ってるのよね。だから火が回らなかったということでしょうね。でも、逆に不完全燃焼で危なそうだけどね・・・おや、誰か来たようだ。



アホ客のアホ感想は気にしないでいただきたい。

さすがは大南北、本当に面白いお話でした。


2017年10月21日(土) シアターコクーン・オンレパートリー2017『危険な関係』(Bunkamura シアターコクーン)

特に好みの役者が出ているわけでもないのに(いきなり暴言)観に来たのは、やはり題材に惹かれたからであろう。

ヅカオタには『仮面のロマネスク』という意味不明な(いちいち一言余計)タイトルでおなじみの、ラクロ原作のスキャンダラス愛憎劇である。

『仮面のロマネスク』が初演されたときに、一応観てみっか、と思って1988年製作のハリウッド版映画を予習したのだが、正直内容が全然理解できず、グレン・クローズおばちゃんがコワイヨー()という感想しか抱かなかった。

そんで、怖々(おい)ヅカ版を観たら、こっちは柴田侑宏先生の真骨頂メロドラマで、すっかり間違った印象がぼくの脳裏に刻み込まれてしまったのであった。

今回、スミレコードを取っ払った「ほぼ原作どおり」のものを観て、ぼくは正(まさ)しく正(ただ)しく理解した。

ヴァルモン、こいつはまごうことなき ゲ ス であると。Σ( ̄□ ̄;)またコレ字がデカいっすね・・・



いやー、ゲスだった。(なぜか嬉し気)

こんなゲスを主演男役にやらせて、しかも女性客たちをうっとりポーッとさせるんだから、柴田先生はやっぱスゴい。

まあ、実は今回の脚本も、そんなゲス野郎がゲーム感覚で“鉄の処女”(人妻だけど)を堕としたはいいが、いつの間にか本気になってしまって身辺をちゃんと管理しなかったせいで、侮っていた若造に法的に正しい手段で殺されてしまう、という(思いっきりネタばれ)本人的には悲劇的な結末ではあったのだが、観客からすると100%自業自得。

ただ、(好みでないから暴言グサグサ)玉木宏の芝居力がその脚本に追いついてなくて、

「ゲス野郎が本気になってしまったがゆえの悲劇」

がいまひとつ伝わってこなかった。

もし「本気になってしまった」ところが充分に伝わってきていたら、ヴァルモンの身に起こった悲劇にこちらもある程度同情できていたと思うのだが、少なくともぼく自身はそうならなかった。残念です。

「稀代のプレイボーイが本気になってしまって破滅する」って芝居を、日本人男優でできる人っていんのかな?とふと考えてしまったのだけど、ぼくあんまり俳優知らないからなあ。

さて、ディスったおわび()に今度は褒めますが、玉木宏、カッコよすぎて○んでほしい(不穏当発言!)

誤解しないで!(?)美しすぎて散る役があまりにも似合ってた、って意味ですよ。

もともとモデル(※)だったんだよね、この人。「こういう肉体こそ『美』と呼ぶのですよ!」てな主張満々の体つき。

※なぜか思い込みでこう書いてしまいましたが、そのような事実はなかったようです。玉木氏は最初から俳優でした。くっそう(←?)スタイル良すぎやがって(怒り()のあまり正しくない日本語)

長すぎるくらいに長い腕と脚、贅肉ゼロの胴体。小さなお顔、精悍な目鼻立ち。

嫌いだ、こういうやつ(←主観!)

性格悪いに決まってるもの。(←主観2!)

・・・そういやミタライの続編はどうなっ(今それは関係ない!)


うーん、唯一残念だったのは、やはりトゥルヴェルに「謝る!最初は確かに遊びだった!でも本気になっちゃったんだ!ほんとだ!」と切々と訴えるところ、いまいち伝わってこなくてなあ。

こういういい男が言うことは頑なに嘘だと思ってしまうぼくの偏見の方に問題があるのだろうか。

でも、できそうな俳優がどこかにいそうな気がするし(さっきと言ってる事違うぞ?)



名前が出たからトゥルヴェルの話になりますが、今回も例によって玉木宏と鈴木京香以外の出演者をnot予習で行きまして。

コクーンの二階席からぼくの視力では顔は全然見えませんで。

全身スタイルと声だけでその役者の力を判断する、という手法で今回も臨みました。

で、しばらく“知らない女優さん”状態で観ていたのと、ヅカ版とトゥルヴェルの性格もちょっと変わっていたのとで、最後まで誰だかわからない状態でした。

終演後にプログラム開いてびっくり!

(野々)すみ花でしたの!?

声が現役時代と全然違うじゃないか!

退団後のすみ花の芝居には、毎回意表を突かれる。これはけっこう嬉しいことである。

なにせ現役時代にはメルトゥイユを演じたすみ花ですから、この作品には出演者中随一の薀蓄?がありそうなもんだけど、演出家からしたら、それは邪魔なのかな?

ぼくの道徳観では、トゥルヴェルはヴァルモンに陥落させられて寝たあと(言葉が直截的!)、自分がヴァルモンとメルトゥイユのゲームのコマになってたのを知って自殺すんのかな?と思ってたんだが(ピストルを拾って退場するシーンがそんな感じだった)、結局ここでは死なないのね(ネタばれ2)

ヅカ版ではどうだったんだっけ?(覚えてないのかよ!)

ところでこれは演出家への疑問なんですが、トゥルヴェルが登場する前にヴァルモンとメルトゥイユが彼女のことを「顔以外は1ミリだって肌を見せない服着てるガチガチのつまらん女」ってボロクソ言うシーンがあるんだけど、実際トゥルヴェルが出てきたら、なんとベアトップのドレスだったという。一番露出多かったという。

こういう皮肉っぽい演出がけっこう随所にあって、なかなか面白かったです。

第二幕の幕開けにヴァルモンが悩ましげな息遣いをしてる音で始まるんで、観客が大いに期待()していると、実はルームランナーで走ってた、みたいな。

そうそう、今回この作品、どういう演出になるのかも楽しみだった。

映画版やヅカ版みたいに18世紀風俗をまんま再現するのかなあ?女優たちのドレスさばき大丈夫かなあ?男たちの白タイツ姿、大丈夫かなあ?みたいな。

そしたら、服装は現代風(といっても、女性たちが着ているドレスの生地は西陣ぽい和洋折衷)。小道具も今風。そして、イギリス人演出家ならではなんでしょうか。大道具が「That's日本の金持ちが住んでるお屋敷風」

わかる、わかるよ。その気持ち←

日本の大金持ちが住んでそうなお屋敷の方が、いまさらロココ調セットにするよりずっとアッパーに見えるよね。

出てくるやつら、みんな金持ち、金持ち、金持ち・・・ダンスニーだけ貧乏人(年収300万円台レベル)ぽいのが直感的に分かる感じ。

ガイジン(雰囲気を出すためにわざとこう書きます)が日本を見るときのセンスだね、あれは。感心しました。





話がとっちらかってて全然まとまりませんが、とりあえず書きたいことは書きました。(えっ?嘘・・・)

はい、ごめんなさい。鈴木京香さんについて。

悪女似合うね。すがすがしいほどにカッコいい。

この話は最終的にはメルトゥイユに同情してほしいのかなあ、ちょっとそこはわかんないんだけど、同情するなんて失礼じゃないのか?ってくらいカッコいい“悪いおんな”っぷりでした。

そこが正解かどうかはわかんないけど。

グレン・クローズ版ともヅカ版ともオチ()が違うからねえ。

むしろ、ヴォランジュ夫人(高橋惠子さん、好演!)のいけ好かなさや、ロズモンド夫人(新橋耐子さん、これまた大好演!)のしたたかさの方がくっきり印象に残ったかな。

セシルとエミリーについては・・・うーんと(女の登場人物への関心が薄いねえ相変わらず)

そして今回こういうオチで観てみて、やはりヅカ版はオンナコドモ向けだったんだなあ、と思わずにはいられない。いや、宝塚はそれでいいと思うんだけど、原作者はもっと違うことを訴えたかったんだねえ、と知れたことが良かった。



今回の脚本は件の映画版と同じクリストファー・ハンプトンのもので、彼はぼくがディカプリオ主演作で一番好きな『太陽と月に背いて』(邦題は正直ダサ/略)の脚本を書いた人でもある。

なんか、日本的な機微とか深謀遠慮とかあんまりない感じの脚本家だなあと(全然ほめとらん)

そういう日本ぽさゼロのストーリーに日本ぽさ満点のヴィジュアルってのが、今回一番ぼくに刺さったところでありました。


2017年10月09日(月) 『人間風車』(東京芸術劇場 プレイハウス)

基本的にホラーが嫌いなぼくは、この作品、観るチャンスは何度かあったんだけど意識的にスルーしてきました。

大きな上演というところでは、2000年と2003年に上演されていて、その時の出演者を見るともう「なんで観ておかなかったのか」と今さら後悔必至のメンツです。

しかも演出・G2だし。

でも、とにかく観てこなかった。

で、なぜか今回は観ようと思った。

そしたら、演出が総代(河原雅彦)に替わってる。

これはイヤな予感(つま××そうという意味ではなくて、グロさ倍増しそうという意味)しかしない。

その予感は見事に的中。

でも、観たことに一片の悔いもない!(ラ▽ウですか?)

プロレスネタについていけてないところが若干残念だったけど、別にそれは知らなくても内容を咀嚼する上で何の影響もございませんのでご安心ください。

でも、知ってたら2倍は面白かっただろうな、と思います。





観た後で(プログラムを読んで)知ったんだけど、今回脚本がさらに暗黒化パワーアップしてたらしい。

実は観ながら、

「ここで終わるのかな?」

っていうシーンがいくつかあった。つまり、「オチ」にふさわしい感じの瞬間が何回かあったのだ。

でも、終わらなかった。

そして残酷場面がとつとつと続いていく。

途中から、「これ、どうやって収束させんの?」と心配になった。

それにはちゃんと答えがあったので、不満はなかったのだが、以前の脚本だと、もっと「ああ良かった。でも・・・悲しいね」みたいな終わり方だったらしい。

それが、今回はとことんまでやっちまってから終わらせる。

そしてオマケがつく。



ぼくの感想も、ネタばれしたくないせいで何言ってるかわかんない感じになっている。

困った。

ただ、「休憩なし2時間35分」という貼り紙をロビーで見て青ざめてしまったぼくが、結局その時間を一瞬も退屈することなく過ごせた、という、送り手側にとっては最大級に嬉しいであろう感想を書き留めたい。

あと、今回も例によって出演者の予習をせずに行きました(唯一の例外:加藤諒)

途中で「あ、この人出てたのね」と気づいた人もいたのだが(なんせ顔が判別できない視力のまま観てるんですいつも)、びっくりしたのがラチ君(良知真次)と矢崎広君。

奇妙だったのは、矢崎君に対するイメージががらっと変わってしまったこと。

こんなに背、高かったっけ?

共演者との比較のせいかな?

性格が軽ワルいギョーカイ人(小杉)の役だったけど、以前からぼくが矢崎君に抱いていた「いまいち完全二枚目になれない男」色が全然なくなっていた。

やってる役でイメージが変わっちゃうって、ぼくも単純ですね。

ラチ君に関しても、これまた逆で、今回の役(国尾)はなんだか小者臭漂う役。

この二人、(ここ、すごいネタばれですよ)ものすごいえげつない殺され方をするんだけど、それも仕方ないのかなー(お、おいおい/大汗)というキャラだった。

観客に一筋の同情もされないような役を、こういうイケメン俳優にさせちゃうあたり、今回の制作陣もえげつないっすねー(そこ?)

ただ、ここがぼくが今回一番感心したところなんだけど、サムを加藤諒にやらせたことによって、目をそむけたさ度が少し緩和されていたような。

以前の上演では、阿部サダヲと河原雅彦が演じていたそうで、想像するに、

「ああそりゃー怖かったでしょうねえ(メンタル的な意味で)」

という感じ。

だが、加藤諒だとちょっと雰囲気が違ってくる。

この芝居、平川の話を喜んで聞いている近所の子供たちも大人の役者が演じているので、「この人は10歳設定」みたいに想像力を働かせながら観る必要がある。

そこに、「異様な大人」というテイでサムが登場するんだが、ぼくは最初彼を「見慣れない子供」なのだと勘違いしてしまった。

あら、ほめてない。

そうなの。サムは登場シーンで「なんか、普通の大人じゃないっぽい」という雰囲気を出さなきゃいけないのだが、そうではなかった。そこが唯一、残念だった。

サムが自分を31歳だと言った時点で、やっと「あっ、そういうことなのか」と理解した。

そこからは、良かった。

つまり、加藤君が演じるサムは、一見大人なのか子供なのかわからないところが、サダヲちゃんや総代がそうだったであろう(観てないのに勝手に決めつけたらダメだけど)ような、

(元から)「異常殺人を犯しそうなアブなそうな男」

という感じではなくて、

「何かに操られて無邪気に残酷なことをやってるコドモ(チャッキーみたいな)」

っぽかった。

なので、この作品の大事なところ(本当に事件を起こしているのは平川)がブレずに済んだのではないかと思っている。

しかしまあなんつうか、説教臭い感想で申し訳ないけど、ぼくはこの芝居を観て、

「復讐のための殺戮って、空しい以外の何モノでもないなあ」

と思ってしまった。

だって、気が済まないでしょ、結局。

ぼくだったら、国尾は生かしとくなあ。

いくらでも搾り取れるでしょ、これから。

あんだけ他人の優位に立てる事態を、殺すことでむざむざなくすことないのに。(し、真実恐ろしい人だ、あんたは/震)


2017年10月08日(日) ミュージカル・コメディ『パジャマゲーム』(日本青年館)

約2年間かけて完成した新・日本青年館に、やっと足を踏み入れてまいりました。

新しい大ホールについて、前身の二代目日本青年館大ホールとの違いを一言で申しますと、ロビーが細長くて客のハケ(終演後の流れ)があまり良くない。入口出口たぐ(おいこら無関係)・・・もとい、エントランスが若干狭目の階段しかなくて、そこで人の流れがつまっちゃう。前の青年館大ホールの大階段みたいな幅をもたせるのは無理だったのでしょうか。そこが少し残念でした(一階の入口自体は広々としてただけに)

あと、名物(と思ってたのはぼくだけ?)“微妙にパサパサ(おい)なサンドイッチ”を売っていた売店がなくなり、一階にはファミマが。まあ、これは安心できますね。でもちょっとだけあのパサ(略)サンドイッチが恋しかった。



さて、肝心の公演の感想を。

一筋縄ではいかない複雑なストーリー展開(平気でバッドエンドだったり)の作品が多い昨今のミュージカル界隈ですが、この作品は1950年代に生まれただけあって、まあこの(角栄さん?)、ベッタベタにベタなロマンチックラブコメディであります。

もちろんハッピーエンド。

すがすがしいくらいに古 い。 ( ̄□ ̄;)えっ・・・ちょ、ちょい待ち(汗)

いやー、古かった、ストーリー展開。

これに感情なじませるのがけっこう大変だった。ぼくには(この、ひねくれ者!/怒)

そうです、仕方ないんです、ぼくはそういう人なんで。

でも、だからと言ってこの作品に不満ぶーぶーとかそういうことはありません。

ミューオタですから、いわゆるオールドファッションな今作のノリ(主人公とヒロインが出会って、たちまち恋に落ちるとか、芝居がしばしあって、はい歌、はいそして人が集まってきてダンスナンバー!とか)も、「こういうものだ」と納得しながら観させていただきました(こうやって書き連ねているってこと自体、まあ・・・そうなんですね、ちょっと辛かったんですね・・・)

こういう、「こういうものだから、納得して観なさい」って言われるようなストーリーって、タカラヅカだと素直に従えるところがぼくの困ったところで(タカラヅカは、作品を鑑賞するのではなく、生徒のスキルを愛でるものというひねくれた考えがある)、みちこ(北翔海莉)の初ヒロイン作だから採点が甘いのかなと。

・・・困ったな、作品に対する不満しか書いてない気がする。

正直に言うと、みちこ以外のキャストの方々、ぼくでも存じ上げている方もたくさんいたし、歌唱力もダンス力も素晴らしかった。かなり。でも、それでもどことなく「足りない」感じがぬぐえなかったんだよな・・・。



たとえば、名指しでディスるのはすごく心が痛むのだが、役が大きいんだから耐えてもらいたい、ニーロ(新納慎也)君。

歌も以前から比べると大変お上手になっていたのだが、みちことデュエットになると、完全に力負けしてるのがバレる。別にみちこが力任せに歌っているのではなくて、むしろ逆で、彼女はもうほれぼれするほど変幻自在(みちこには大甘ですから覚悟しろ)の歌唱力でナンバーごとに声を使い分けていたのに、ニーロ君がついていけてない。

みちこの歌唱力をSSレベルとすると、彼はAからS'のレベルなのだ。普通なら十分なレベルだが、“主演男役”()にはそれでは足りぬ。

実力的には悪くはないはずなんだが、とにかく“主役らしさ”が足りないのだ。これはぼくがこれまで脇役Aレベルのニーロ君を観すぎてきたせいなのか、なんだかとにかく、華やかさが足りないと思えた。

歌唱力っていう部分で言えば、男役二番手(ヅカ病が出てきたぞ・・・)がやりそうな役チャーリーの広瀬友祐君の方が、ずっと点が高かった。Sレベル。いやあチャーリー、魅力的な男だったなあ。これは得な役ですよ。前途有望な若手男役がぜひやるべき役(タカラヅカから離れろ!)

待てよ、二番手がやる役はハインズ(栗原英雄さん)かなあ。奇妙なおっさん役ではあるが、ソロナンバーも多いしおいしい役。

栗原さんは、ぼくは『不信〜彼女が嘘をつく理由〜』でしか拝見したことがない俳優さんなのだが、今回はもう本領発揮で歌い踊りナイフも投げる(笑)大活躍でした。素晴らしかった。

そのハインズの彼女・グラディスは、こういうミュージカルコメディには必ず出てくる悩殺系美女。大塚千弘ちゃんが肉体美を駆使して()これまた大好演。本作の2大ビッグナンバーのひとつ「ヘルナンドス・ハイダウェイ」のセンターパーツとして大活躍でありました。

なんか、今回は、この作品全体のパッケージの良さというよりも、1曲1曲の完成度で観客を圧倒、みたいな感じだったんだよな。とにかく出演者の皆さま、技術力は素晴らしい。だが・・・いや、これ以上は言うまい(言ってるようなもんだが)



で、それを一番実感したのが、二幕冒頭の「スティーム・ヒート」

これがもう圧巻で、チケット代の9割・・・っていうと大げさすぎるけど、ぼくにしてみればまさしく8割以上はこのナンバーを観るために出したって実感がある。

「スティーム・ヒート」だけのために9,200円出したといっても過言ではない!
(いや、過言かな?←どっち?!

まあとにかく素晴らしかった。甘々みちこオタのぼくが言うことなので信用度は低いかもしれませんが、今回の作品、みちこの芝居、歌、どちらも「こないだまで男役だった人の若干不自然な部分」が一切なく、わざとらしい女っぽさや高いトーンのセリフ回しや弱々しいファルセットなどがなくて「さすがみちこだ」と大満足していたところへ、この半端ないクオリティの「スティーム・ヒート」。もう、トム(サザーランド)に足を向けて寝られません(ぼくんちから見てトムがどっち方角に住んでるか知らないけど)

しかしみちこ、本当にタカラヅカ時代とたいして変わらない声のトーンで普通にベイブを演じてたのには感服した。これはアレだろうか、タカラヅカ時代も、みちこはたいして声を作らずに男役を演じていたということではないだろうか。これはすごいことである。

あまりにも自然にヅカ時代のまんまなので、いっそ在団時代にシド役を演ってほしかったなと思ったりなんかして(←これだからヅカオタは!/叱)

でも、ベイブ役じゃないと、あの「スティーム・ヒート」は出来ないのか、それは困る。

まあ、ショーでやれば(えー加減にしろ)

・・・すみません。

とまあ、こんな感じの感想です。

あっそうだ、無敵(ぼくにとって)のみちこにも、スカート&ロングヘアという強敵をひれ伏せさせるには、まだ時間が足りないようであったと最後に申し上げておきます。

あと1〜2年ぐらいかかるかもな・・・いや、意外にこの強敵は・・・ま、まあ、いずれ。←


2017年10月07日(土) 『トロイ戦争は起こらない』(新国立劇場 中劇場)

難解そう。

そう思うでしょ?

ぼくもそう思いました。

なので、最初はそんなに観る気なかったんだけど()、せっかく三連休なので(?)行きました。





良かった。時間とチケット代、損しなかった(言い草に気をつけろ!)

たぶん、何年か後にはストーリー全部忘れてる可能性大だが(そんなら観なくてよい!/叱)




で、本題に入りますが、なぜかぼくの席の周辺は、ふだんぼくが観ているような作品ではあまり見かけない20代男子5、6人に取り囲まれてしまい、非常に不穏な気分()になりました。

こう言っちゃ失礼だが、キミたちにこういう芝居分かるんかね?とエラそーに心の中で呟くおばさん。

案の定、上演中非常に落ち着きがない彼ら。

おそらく大学の課題かなんかで来させられたのではなかろうか。

もしくは、どこかの劇団の研究生だろうか?(見かけ的に)

なんと彼ら、二幕になったらいなかった(降参したか)

全部観ないで課題クリアできるのか。余計な心配をしてしまったのですが、一方ぼく自身の方はというと、事前に覚悟していたより数段面白い戯曲だったのでなんか得した気分。

主演は今をときめく鈴木亮平。

ぼくが彼を舞台で観るのはこれが2度目で、1回目はもう4年半も前になる。

当時はプログラムで名前を確認するレベルだったのに、この数年間であれよあれよと大物におなりになって、来年の大河ドラマの主役だもんなあ。

長身のみならずガタイが良いので、軍服にマントがすばらしくよく似合っていた。

もちろん芝居の基礎力もある。

ただ、ぼくの異常な嗜好(おい)は、こういう威風堂々とした男には全くそそられないという悲しい特徴があるので、感想は以上である。(・・・好きにしろ)


その奥さん役に鈴木杏。おお、夫婦で苗字が同じ(←バカ)

いやそれはどうでもいいんで、杏ちゃん何となく雰囲気変わった?というか、ぼくにはいつまでも“才能ある子役上がり”なイメージだったのだが、もう大人の女優だよな。少女っぽさがすっかり鳴りをひそめて、独り立ちした女性らしさをまとっていた。

ところで、今回の作品、女の人たちはお話の時代のトロイアっぽいずるずるしたドレス姿だったんだけど(トロイの王妃・エキューブだけは20世紀半ばの高齢女性っぽいロングジャケットにパンツスタイル。ここもまた意味深)、男たちは20世紀半ばのシャツとズボンや軍服なんだよな。

この奇妙なズレ感。

登場人物たちの価値観のズレ感(同じ時代の衣裳を着てる人たち同士が同じってわけではない)ともリンクしてるみたいで、非常に面白かった。


んで、ぼくにとって一番衝撃的だったといいますか、2時間半の上演時間中、一番その人ばっかりに目が行ってしまったのが、一路真輝 as エレーヌ。

エレーヌっていうのは劇中の発音で、世間の人たちには()ギリシャ神話に出てくるときの名前「ヘレネー」の方がおなじみでしょう。

そう、世界三大美女の一人に名を連ね(この「世界三大美女」ってのにも諸説あるみたいですが)、なんにせよ“美人過ぎたせいで戦争(つまりトロイ戦争)を起こした”、まさに「傾城」の名にふさわしい女性です。

しかもお父さんはゼウスとかいう、人間と神のハーフ。さすがギリシャ神話。設定自由すぎます←

そんなとてつもないキャラを、「わたくしですが、何か?」みたいにおすまし顔でするっと演じてしまえるイチロさん。

とても○歳とは思え(女優に対して大禁句!)



こほん。とにかく、彼女が登場するまでの間に、舞台にいる人たちが口々にいかにその女が美しさの極みであるかを長々としゃべくりますので、並みの美人程度なら、出にくくてしょうがないはず。

観客に「へぇー、そーんな美人なんですかねぇー。ふぅーん。そんなら見てやろうじゃないの、その美人さんを」と思わせ、実際出てきて、

「ホンマや!」

と思わせる、その底力(語彙が不適当ですか?)

感服いたしました。

しかもこのエレーヌ、はっきり言ってすごく性格悪い(えっ?そうとったの?あなたは)

悪いですよ。人を馬鹿にしてるっつうか。スパルタ人がトロイア人を若干見下していたっていうことを戯曲が表現してるのかも知れませんが、そういう女性に描かれています。

でも、トロイアのバカな民衆ども(こら、便乗するな)は、そんなエレーヌに見下されて喜んでるという、これまたジロドゥの痛烈な憤りがここで描かれています。

とにかく主人公エクトールは、この当時世界一の美女を前にしてもヤニ下がるどころか、とにかく女癖の悪い弟(パリス)がしでかした犯罪(他国王の妻誘拐)を何とかうまくごまかして、愛する妻と生まれてくる息子のために戦争を回避しようと頑張るんですが、それをことごとく邪魔しやがるのが、自国のぼんくら爺ども(言葉がどんどん悪く・・・)という、内憂外患の極み。

第二次世界大戦前夜のフランスで外交官をしていたジロドゥにとって、無意識でも意識的でも戦争へ戦争へと事を運ぼうとする周囲の手に負えない輩へのいらだちが、この戯曲を書かせたんだろうなあ、とシンパシーを感じずにいられない。

かといって深刻一方の、眉間にしわがよりまくるような重苦しい芝居かというとそうでもなく、いや、本人は真剣にそう感じていたのかもしれないけど、ときどき「そこまで言っちゃいます?!」ってなキツいセリフがあったりして、ぼくは客席で思わず笑ってしまうことしばし。

たとえばいきなり「老人が未来のことを考えるなど無意味だ!」みたいなことをエクトールが老人たちに向かって言ったり(日本人にはとてもとても言えない・・・ですよね)

トロイ中から美女よ女神よと崇め奉られているエレーヌに対して、エクトールの末の妹である(年齢は不明)ポリクセーヌが「おばちゃん」と身も蓋もない呼び方をしてみたり(ふつうならここで「お姉さんでしょ!」と怒るのは日本人的なんでしょうな。ヨーロッパの方では若い=正義みたいな価値観はないらしいから)

“平和の女神”が、全然「神」っぽくなかったり。

「えっ?笑っていいんだよね?(ぼくは遠慮なく笑ったけど、笑ってない人もいたなあ。こういう芝居だからって全編まじめに観る必要ないでしょ?)」

みたいなシーンがいくつも出てくるんです。

ただ、それだけにオチ(ラストシーンと言え)は残酷で悲しいものでした。

エクトールのあらゆる忍耐と努力を最後の最後に裏切ってくれるデモコス(大鷹明良さん)

「デマ」の語源ってこの詩人の名前なのかな?不明にして存じませんが。



とにかく、最後はやりきれない終わり方です。

だからこそ真理に迫っている気がする。

あの、二幕目は観なかった兄ちゃんたち、損したぞ。

ぼくみたいな次期高齢者じゃなく、彼らぐらいの年代こそが観るべき芝居なのに。

「芝居って面白いんだぞ」っていうムーブメントを作るのが、現代の演劇界の人たちの最大にして最難関なお仕事なのかもなあ。

作品の主題とはちょっとズレちゃったけど、そんな感想も抱きました。


2017年10月01日(日) 間に合いませんでした!

2017年の4分の3が過ぎました。

先週は平日にドドドとてくてくしてしまったので、この1週間は平日はしっかり仕事に励み、夜はゆっくり寝み(東京西川(←作為的)ありがとう!)、久しぶりに本日PCに向かってハタと思いついたのが、

「あ、『月刊ゴールデンボンバー』視なきゃ」

であった。

ここ1年程、オンタイムで視ていない(なぜか、『お焚き上げ』だけリアルで視た)

タイムシフト期間を逃しかけることもあったので(愛が足りない!)、今回はよくやった、えらいぞオレ、と自画自賛していたが、プレミアム会員限定コーナーを視ながら、

「あ、そうだ。カレンダー予約しなきゃ」

とふと思い出し、シルクロードストアへアクセス。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(注:キリトリ線ではありません)





予約期間は終了しました





間に合いませんでした。゚(゚´Д`゚)゚。

配信終わってから「間に合いませんでした」ネタができてしまった。

「間に合いませんでした」ダブル。

そもそも、月刊を配信当日(9月23日)に視てれば、間に合ったかもしれないのに!。゚(゚´Д`゚)゚。

愛が足りなくなった罰かしら。

って、よく見たら予約期間1週間しかなかったんじゃんかよ!(怒)

おいユークリ!!!(激怒)

・・・冷静になってふと思ったのだが、なぜあたくし、今こんなに熱くなっているのか。

ミーハーひとすじ56年を誇るアタイですが、こういうタレントカレンダーを複数年にわたって使用するのって、金爆が初めてなんだよな(単年ではあります。たのきん()とか、宝塚とか、デヴィッド・ボウイとか(ミーハーのキャパシティ、すげえ)。すごいところでは、ウィーンで買ってきた「エリザベートカレンダー」てのを使ったことがある。祝日が全然違ってて(当たり前)困ったけど)

きんきっず兄さんのやつは、買っても飾ってなかったので(扱い方の違い・・・)

再販売に間に合えば、買おう。忘れそうだけど(こら)

そして、もし金爆のを買えなかったら、来年は羽生くんのを使おう(実はこれまで買ったことがない)

なにせ2018年は勝負の年!初買い(←自慢にならぬ)にこれほどふさわしい年はない!o(^-^)o

・・・え?4種類もあるの?(「も」とか言ってる時点で正当ファンの方に怒られそうだが)





まあ、そういうカレンダーは自分の部屋用のポスターみたいなもので、日常使い倒すのは、ダイニングキッチンに貼ってある日付が大きくて余白が多くて予定がごちゃごちゃ書き込める保険会社でただでもらってくるやつなんですけど(生活臭)

それはそうと、徐々に秋冬物を虫干ししなきゃ。

来週の三連休はすべててくてくを入れてしまったけれども(おいっ! by家人)


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