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2014年03月26日(水) 解禁酒

東京でも桜がほころび、酒飲みのみなさんはワクワクソワソワの会計期末をお過ごしのことでしょう。



例によって、会計期とも酒盛りとも縁の薄いぼくは、スギ花粉への憎しみ(スギの木自体に罪はない)と桜の花びらへの寵愛にぐらぐら揺れながら今年の春を過ごしていますムズムズ。





そんな中、今年の春はいつもの春と違って(冷静に考えれば、毎年そうだけどね)、32年も続いたお化け番組のカウントダウンにちょっとだけしんみりとかもしています。



別に『いいとも』大好きー!なテレビっ子ってわけでもないんですが、そこはほれ半(←)スマオタ。



完全にものごころついてから始まった『笑っていいとも!』

初代青年隊の中に野々村誠(←昔はこの字だった)という“バカ+美少年”というぼくの好みびったし(昔から変わった趣味で・・・すんまへん)な子がいたおかげで、開始当初はけっこう熱心に視ていました。



でも、そのうち社会人になってなかなか視られなくなり、「もう、どうでもいいかな? いいともー」(←自問自答)と、興味は薄れていきました。

テレフォンショッキングにいつ自分の気になる人が出るかわかんないので、とりあえず毎日録画して(アホですね)、出てなかったらすぐ消す、という非生産的なことをしてたんですが、今となったら意外にそれが財産(←そう思ってるのは自分だけ)



そうしてるうちに、中居君と慎吾ちゃんがレギュラーになり、ツヨぽんがレギュラーになりで、ここ20年分ぐらいは、ほとんど録画が残ってる。そしてほとんど視てない←おいっ!



老後(もう半分足突っ込んでるよ!)の楽しみにとっておきます。





と、だらだら本題に入らない悪いクセがまた始まりましたが、今日ぼくが言いたかったことは、その『いいとも』終了に際してあちこちでしんみりしたり騒いだりしている人たち(主にタレントの人たち)を、正直冷めた目で見ていたこのぼくが、どうしてもコメントしたいことが、この月曜日に起こったからなんです。



今書いたように、周りのタレントたちは大騒ぎしているのに、当のタモリが泰然としているのをぼくは好ましく思っていました。

1945年生まれのおじいちゃん(ご、ごめ・・・)だから、酸いも甘いもかみ分け、大抵のことじゃ揺るがないこの人も、『笑っていいとも!』が始まった当初は、本人が言うように、エガちゃん並みの“危険なタレント”であった。

それをぼくぐらいの世代以上はちゃんと覚えてる。

だから、生まれたときから『いいとも』があった世代の人たちが、タモリのことを「一番尊敬できる大人」みたいに捉えてることが多いって事象に、正直ずっともやっとしたものを感じていた。

いや確かに、若いころは何をしでかすかわからない御仁であったとしても、今の彼に対して「この人は本当はもーほんとアブない人だったんだから」といつまでも言うことは偏見かもしれない。

だけど、最近(といっても、ここ数年)の『いいとも』を視てると、明らかにタモリが茶々を入れてるせいでコーナーが全然進行しないっていう事態が多くあって(太田光とからむと、それがさらに増幅して、めっちゃイライラが募った)、それを視てぼくは、「それ以上かき回しても面白くないよー。御大なのに、タイミングも読めなくなったのー?」「ここまで番組崩壊させるってことは、もう『いいとも』辞めたいのかなー?」と思ってた。

終わるのが判ってから言うのは後出しジャンケン並みにずるいけどね。

そんぐらい、タモリって意外と大人げないというか、逆に歳とってわがままになったのか、どっちにしても、一般人なのに彼を“タモさん”と呼ぶ人たちが信じてるほど人格者でもないと、ぼくは思ってる。





それを確信させたのが、月曜日に放映された『SMAP×SMAP』だった(ぼくの前置きもタモリと太田のしつこいボケに劣らず長いですねすんません)



54分間、完全“タモリスペシャル”で(『OVO(オーヴォ)』の宣伝もあったけど)、タモリもSMAPもフジテレビへの貢献は半端ないわけだから(そゆこと言うな!)、そこは全然気にならなかった。

ただ、ぼくが一点だけ考え込んでしまったのが、翌日のWeb芸能ニュースで歓喜色いっぱいに報道されてた

「草剛5年間の禁酒がタモリの“一言”で解禁」(←文法が変だけど、あまたのサイトがこんな具合に書いてたので、そのまま転載)

という出来事だった。

ぼくがこのオンエアを視て思ったことと、このニュースにコメントを寄せている過半数の人たちが書いてることとが、逆まではいかなくても、一致してなかったからだ。



それには、ぼくがタモリともツヨぽんとも違って、元来酒飲みでない、という要素が大きく影響してるとは思う。

でも、酒好きが禁酒するってのは、ぼくがチョコレート断ちをするぐらいツラいことだってことは解る(←ホントか?)

だからこそ、「絶対禁酒」の方が、「お酒は飲んでもいいけど、もうああいうことはしないように気をつけなよ」って言われるより、よっぽどラクなんじゃないかと思ってしまうのだ。

ダメ、ゼッタイ<<<<<<(ツラさ)<<<<<<自分の力で制御しなよ

なのではないだろうか?



ツヨぽんにとって、“厄除け”の神様ぐらい(^^ゞ信じられる相手であるタモリが許したんだから、他の誰も文句をつける資格なんかないってこともわかる。

タモリは、世間がそう考えるところまで見越して「ツヨぽん解禁酒宣言」をする役を買って出たのかもしれない。

でも逆に、ぼくが上の方で書いたみたいに、むしろレジスタントな気分から、かねてより「あれしきの事件で、何年も禁酒して反省し続けるなんて、ナンセンスじゃん」とずっと思ってたんじゃないかと想像するに難くない。

(さっきから文章が小難しいですね、ておどるさん)



どっちにしても、一つの事象に対して捉え方は人さまざま。

「感動したー!さすがタモリだ」と素直に喜ぶ世間もいれば、

「草って、本当にまじめだよな。好きになったわ」と優しい世間もいれば、

「禁酒なんかテレビに映ってる時だけのポーズだったんだろ」とななめ見る世間もいる。

中には、「例の“事件”って何?」という、頭をナデナデしてあげたい世間もいるし(他意はないっすよ)

そこには、「5年」というのはあの“事件”の社会的制裁の時効としては長いのか、短いのか、という議論もまたあるだろう。



ぼくは、事件自体ほとんど無罪じゃねえかと思ってるクチだし、ツヨぽんに対する印象はあれ以前と以降とで全然変わってないのだが(一応2009年4月24日のエントリ「ほんじゃ、語りますか」を読んでみてください)、それと同じように、あの時も今も、ツヨぽんの「アルコール耐性」には、若干の危惧を抱いてる。



繰り返しになるが、ツヨぽんが5年間、アルコールなしで過ごしてきた生活がどんくらいツラいものだったのか、正直おもんぱかることはできない。

5年間我慢してこれたのなら、いっそこれからもずっと我慢しちゃえば、ラクだよ?ツヨぽん。そんなことまで思ってしまう。

でも、タモリはそうは思ってなかったし、世間の大半も、そうだったみたいだ。



酒飲みが酒をガマンすることのつらさを分かってやれよ、とおっしゃるのだろうね。

だが、それだからこそ、これからのツヨぽんには「一生、酒で失敗できない」という重大な任務(?)が負わされることになったんじゃないか、タモリ、残酷なことしたもんだなあ、と思ってしまうのだった。





そんな、お花見シーズンなのであった。(←今日も終わり方が下手でごめん)









※翌週『笑っていいとも!』が最終回を迎えて後、ディスクに落とすために再度視てからの蛇足※

これ、仕掛け人は完全に中居君じゃん!←おっ(汗)

すぐ判るじゃん。このくだりの時に中居君が、

「タモリさん、ぼくらと乾杯してもらえませんか」

って言うと、すぐタモリが、

「よし!乾杯しよう!俺と“SMAP”で」

と応じてる。明らかに、「草の禁酒を、今日このときで、(視聴者の環視の中)終わりにしたい」っていう合図を中居君が出して、タモリがすべて飲み込んだような返事をしてる。

おそらく、既にタモリと中居君との間に、“密約”があったんだろうなあ。

提案したのは、中居君。

そして快諾したのが、タモリ。

中居君は、身内である自分がツヨぽんの禁酒を破らせたら世間が許さないのをちゃんと知っていた。

そして、世間が文句を言わない人物といったら、タモリしかいないことも。

。゚(゚´Д`゚)゚。。←

いやあのね、上に書いたこと(ずっと禁酒してる方が、ツヨぽんにとってはラク)は撤回する気はないんだけど、なにぶん“ナニワ節”には弱い昭和生まれ。

なんか、かなわねえなあ。ううう。


2014年03月16日(日) 映画『イングロリアス・バスターズ』

パラリンピックは開会式だけは気合入れて視たんだけど、競技の方はうっかりしてるうちに終わってしまってた(コラ)



ともあれ、選手の皆さんお疲れ様でした。





んで、ぼくはとにかくこのところヒマで(おいっ)、ダンボール120箱分の本をとにかく整理すりゃいいものを、あまりの山の高さにひるんでしまい(だからこそ頑張れよ!)一向に手が付けられず。



ブリュール君が出てる映画をとりあえず徐々に観ていこうという新たな趣味ができたもんで、今回は、近所のレンタルショップですぐ借りられた、このメジャー作品を観たのでごんす。



ただ、



収録時間152分!



というのが最初に目に飛び込んできたとき、一瞬後悔。



だが、観終わった今、実に爽快。(←韻を踏んでみました)



初タランティーノとしては、我ながらナイスなチョイスだったと自負しております。



そ。初タラちゃんだったの。



お名前とあの特異なキャラクターだけは存じ上げておりましたが、作品をちゃんと観るのは初めて。



なので、逆に「タランティーノだから、きっとここはこうなる」みたいな先入観なく観ることができて、良かったなと思いました。





で、普通の映画レビューのセオリーをぶっちぎりに無視して、ダニエルのとこだけ感想を書こうと思ったんですが、やっぱり、この映画でクリストフ・ヴァルツを無視することはできないのよね。



なんならブラピを完全無視してもいいくらいだけど(オイッ)、ヴァルツを無視は無理。



語弊ありありだけど、すっごく、ひたすらカッコいい。



ナチス将校をカッコいいとか言ったらいけないのはわかってるんだけど、この映画でのヴァルツは壮絶にカッコ良くていやらしい。



この年の各種映画賞で助演男優賞獲りまくったんだよなあ。“助演”ってとこに文句付けたいくらいの怪演でした。



そして、日本人ならではの感想ですが、DVDでは声をやまじー(山路和弘)が充てていて、これがもう最高の出来!

洋画は基本的に字幕で観るぼくですが、この映画では字幕→吹き替え→字幕と、立て続けに3回観てしまいました。



ちなみに、DVDでは英語にしか吹き替えがついてなくて、吹き替えモードで観てもフランス語やドイツ語はそのまんまで、英語の字幕が出てきたんでびっくりしました(― ―;)

なので、ダニエルの声は本人の声ですべて堪能。

ただ、一か所だけ英語をしゃべるシーンがあって、そこだけちゃんと日本語に吹き替えられてて、そのたった一か所のためだけに誰がキャスティングされたのか、ちょっと気になる。

声の感じからすると、ブラピを吹き替えてたヤマちゃん(山寺宏一)が掛け持ったのかもなあと思う。オタクのかたは知ってるのかな。





さて、この映画をぼくなりに一言で表現すると、壮大なバカ映画。



「バカ」はもちろん褒め言葉であります。



決して「悪ふざけ」とは同義でないところが、ステキなポイントであります。



確かに、グロ場面も多いし、道義的にも「そんなん通るか!」てなストーリーなんだけど、そうでもしてこういうことやりたかったのかなぁ、とシンパシーを感じるような。



反ナチスを表現するのに、兵士狩りをする特殊部隊だの(頭の皮を剥ぐというオプション(?)は、この映画が西部劇へのオマージュだってことをわっかりやすく表している)、ドイツ軍幹部皆殺し計画だの(大爆発でハイおしまいって・・・ドリフか!みたいな)、いわば小学生の空想レベル。



ちょっと呆れてしまうんだけど、それを本気で「いい考えだろ?」とは提示してないところが、タランティーノの知性なのかなあ、と思った。



かと思うと、ダニエル演じるフレデリック・ツォラーは、フランス語セクションに登場して、西部劇から一転「戦時中のフランス映画に出てくるデロンとした二枚目担当」みたいなむずがゆい役。



ただ、この映画のヒロイン、エマニュエル・ミミュー(本名はショシャナ・ドレフュス)は、フランス映画みたいに彼と“国境を越えた許されぬ”恋に堕ちるわけじゃなく、もっぱらフレデリックの片思い。

フレディ君、全体的にまぬけっぽい印象です。

映画オタクの、気のいい青年なんだけど、彼がドイツ人で、ムダに射撃の腕が良くて、空気が読めなかったばっかりに(ひ、ひどい・・・)、タラちゃん、無慈悲にもあっさり彼を殺してしまいます。



ダニエル君目当てにこの映画を観た一人として、非常に腹が立ちました(`∧´ )プンプン←嘘ダヨー



ただ、この、彼が死ぬシーン、後になって(こじつけかもしれないが)ふと思ったのですが、この、プレミア上映会用に着た白く美しい軍服姿で死んじゃう彼は、もしかして『うたかたの恋』のルドルフ皇太子へのオマージュなのでは? と。

なんでかっていうと、まず、フレデリックとショシャナの死に方(正確に言うと、殺され方)が、トホホなくらい愛のかけらもない互いの「憎悪100%」で撃ち殺されちゃってるにもかかわらず、このシーンで流れている音楽が、それこそ「悲恋もの」みたいにロマンチックで甘ったるい旋律であること。

そして、このプレミア上映会のために真っ赤なドレスに着替えたショシャナを見て、マルセル(こっちがショシャナの本当の彼氏)が、

「ダニエル・ダリューみたいじゃん」(←こんな頭悪そうな口調ではなかったが)

と言うのです。



ダニエル・ダリューつったら、映画版『うたかたの恋』のマリー・ヴェッツェラその人じゃないすか!



ヅカオタ的知識が役に立ちました。(^^ゞ



ただ、このシーンのショシャナは、どう見てもダニエル・ダリューではなく、ナスターシャ・キンスキー(当時まだ生まれてへん)でしたがね。

そ、『キャット・ピープル』よね。ボウイの曲がまんま出てきたよね。

(調べたら、『キャット・ピープル』も、そもそもは1941年に作られてたそうな。さすがにそれは知らん)





とまあ、こんなぐあいに映画オタ度1000%なのがタランティーノ作品らしい。

ぼくはあんまり詳しくないので、気が付かないところもいっぱいあると思うのだが、とにかくそんな部分も含めて面白さ満点の映画なんだと思った。





さあ、特に肝心なところには言及せず(おい)話は終わりますが、あっそうだ、この映画では「アメリカチーム」「フランスチーム」「ドイツチーム」それぞれに、ちゃんとその国の俳優たちが出演してます(いわゆる「ドイツ系アメリカ人」とかじゃなく、ちゃんとドイツ人俳優がドイツ人役を演じている。三人だけイギリス人が出てくるんだけど、彼らだけなぜか全員非イギリス人)

なので、ナチス勢に見たことある俳優を発見。

ゲシュタポの将校を演じたアウグスト・ディール君。

『青い棘』の前に『イングロリアス・バスターズ』を観てりゃ良かったんじゃんか!(なぜよ?)

目つきの悪さ(おい)がサイコーで、マイケル・ファスベンダー(今は「ミヒャエル・ファスベンダー」って呼ぶのか?)演じるイギリス人スパイをねちねちと追いつめていくシーンはドキドキハラハラモーストエキサイティングでした。

クリストフ・ヴァルツが助演男優賞なら、ディール君を助々演男優賞にしてあげたいくらいゾクゾクしましたうふふ←







あまりに面白かったんで、他のタランティーノ作品も観てみようかなと思ったんだが、長いのが難ですよね・・・(そんなことで評価しちゃうの?)

だって、人生は有限ですから(←お前がそれを言うか)

『レザボア・ドッグズ』は短いのね。・・・いやそれより、ダニエルが出た映画をまだまだ観たいんで。近所のレンタルショップに置いてないのがなー・・・。(結局うだうだ言って終わるのね)


2014年03月14日(金) 映画『コッホ先生と僕らの革命』

WOWOWでやってた♪



んで、早速視ました。



今回、ブリュール先輩はお耽美ゼロ(←)でございまして、19世紀末ドイツの帝国主義に抑圧された学校に風穴を開ける、熱血教師の役どころ。



そんな事前の知識から、『いまを生きる』のロビン・ウイリアムス先生みたいな感じかな?はたまたドイツ版金八先生なのかな?暑苦しいな、やだな(おい)と腰が引けていたのですが、そこは童顔でならす(?)ダニエル先生。三ツ矢サイダーか「いろはす」かっつーくらいに爽やか100%でありました。



※追記※

「童顔」というか、この映画はダニエルさんが32〜33歳の時に撮影したものなので、現実若い。



彼が演じたコンラート・コッホは実在の人物で(そういう役、多いね?・・・いや、ほかにもたくさん出演作があるんだけど、ぼくが実在モノに偏って観てるだけか)、「ドイツサッカーの父」と呼ばれる人らしい。



ドイツといったら本日現在でFIFA世界ランキング2位の強豪国。サッカーに全く疎いぼくでさえ知っている。そんな「サッカー王国」が、当初はサッカー大嫌いだった(というより、当時サッカーというスポーツは英国で産声を上げたばかりで、他の国の連中は知らなかった)、という“世界ふしぎ発見”的エピソードからこの映画は始まる。



ただし、コッホ先生がサッカーをドイツに普及させた、というところまでが史実で、映画の中の細かいエピソードは、ほとんどフィクションらしい。



で、あんまりサッカーに思い入れがないぼくがこういうお話の映画を観て、果たして感動できたかという結論から申し上げますと、

「うん、良かったね(ニコニコ)」

程度の感想で終わったのであります。(あらら)



それ以上でも以下でもなかった。



決して、不快だったり退屈だったりという場面はなかったんですよ。ただね、あまりにも既視感。



まずコッホ先生のファーストシーンなのですが。

馬車で赴任先の学校にやってきて、御者が馬車のドアを開けると、毛布にくるまって寝ちゃってる若い先生。



『風と木の詩』のセルジュとおんなじ!(#∇#)←今回はお耽美はナシのはずでは?



・・・あ、(狼狽)いや・・・、そうなんです。お耽美はゼロです。大丈夫です(何が?)



え、えーと、そいでですね、コッホ先生、当時のドイツの成人男性のたしなみとして、おヒゲづら。



これ、ブリュール先輩の自毛(自ヒゲ?)なのかしら? 童顔なので似合ってないような。あ、でも、『RUSH』のプロモーションで来日したときもおヒゲだったな。でも、この映画では淡い栗色。本人は髪もおヒゲも自毛は黒っぽいんだが。



ま、そんな話はおいといて、普仏戦争後のドイツ帝国だとかの舞台背景に元祖腐女子(ジルベールーーーーー!!←そっちはフランスだろ)の邪心が萌え上がるのをぐっと抑えて観進めましょう。



フランスとの戦争に勝って意気盛んな当時の帝政ドイツのお年寄りたちは、自分たちの後を引き継ぐ若人たちにも、「強固な肉体と精神」でどんどこ“敵”をやっつけることを望み、スパルタ方式で鍛えまくっているわけですが、そこへ、どういうわけかイギリス留学から戻った(劇中では、それが「徴兵逃れ」であることをほのめかしている)爽やか先生が赴任してきて、“敵国語”英語を教えるという。



教室に入ったとたん、流暢な発音で「Good Morning, Gentlemen!」と言われ、生徒たち、ぽかーん。



まるで、『飛び出せ!青春』で河野先生が、いきなり黒板に「Let's Begin!」と書いたときの太陽学園の生徒たちのようだ。(既視感その2)



最初は英語の授業に難色を示す生徒たちだが、時間の都合で(2時間弱の映画ですので)気持ち早めにコッホ先生に心を開いてゆきます。



中でも、一番体格が小さくて弱っちそうな(どうやら、貧乏な母子家庭の子で、クラスで一番威張ってて意地悪そうなフェリックス・ハートゥングのいじめの標的にされているっぽい)ヨスト・ボーンシュテット君が、発音のスジがいい。



そしてこの子、後に判るのだが、サッカーのスジも抜群にいい。



そしてそしてこの子、元祖腐女子のおいらがリア中時代にうっとりと読んでいた萩尾望都センセイが描く少年そのもの!(≧∇≦)いたよぉ〜!やっと会えたよ正統派ドイツ美少年!!←



いやいや決してよこしまな感情は抱いておりません。

ついでながらに書くと、この映画には15人の高等中学校4年生(モー様のマンガの知識で言うと、日本で言う中学2年生)がコッホ先生の受け持ちの子として登場するのだが、別段とびっきりの美少年はいない。

でも、ぼくもすでに彼らぐらいの孫がいてもおかしくない年齢に差し掛かってきているので、どの子もみんな可愛いく見える。みんな“子どもとして”可愛いのだ。

チビっこボーンシュテット(この子=アドリアン・ムーアについては何にも知らないので勘で書いてるのだけど、彼はおそらく生徒役の子供たちの中で一番キャリアのある俳優なのではないだろうか? 一番役どころが大きかったこともあるけど、演技力が抜きん出ていたので)はもちろん、太っちょシュリッカーも傲慢ハートゥングも、メガネっ子クラーゼンも、みんなみんなカワイイ。

ドイツ映画万歳!なのである(←現金)





さて、いじめっこハートゥングの親父は当然権力者(学校の後援会長)で、だからこそ息子も威張ってるのだが、この学校では『人間・失格』と違って、全員が弱いものをいじめてはおらず、体操器具メーカーの息子なのにオデブちゃんという不遇(?)なオットー・シュリッカー君なんかは、いじめを正面きってやめさせはしないにしろ、ハートゥングの子分などではなく、運動神経鈍いながらも率先してサッカーにのめりこんで行ったりして、クラスを引っ張って行くリーダーっぽさも見せる。



その他の生徒たちもそれぞれ個性的で、70年代に各少年漫画誌に連載されていた「古き良き時代」のスポ根友情物語みたいで、とにかく安心して見ていられる。



一見弱っちいのに才能抜群のおチビちゃんがいて、ちゃっかりしているが行動力のあるおデブちゃんがいて、運動よりも勉強のほうが得意なメガネっ子がいて、金持ちのいじめっ子がいて。

その親たちも、息子に古い価値観を押し付ける典型的権力者の父親とか、気のいい商人根性丸出しのおやっさんとか、子供にだけは苦労かけまいと「勉強第一」に必死の母親とか。



あ、「気のいい」と言えば、コッホ先生を英語教師として召還した気のいい校長先生は、まるで『熱中時代』の船越英二さんであった(*^^*)

キャスト表を見てびっくりしたのだが、このメアファルト校長を演じたブルクハルト・クラウスナーは、『グッバイ、レーニン!』でダニエル演じるアレックスの生き別れのお父ちゃんを演っていた俳優だった。この人もおヒゲなので判らなかったのだが。

他の先生たちも、ひたすら厳格かつ横暴な歴史教師とか、カタブツ体育教師とか、類型的と言ってしまえばそれまでだけど、ここまで“典型的”キャラクターが揃っていたら、思ったとおりにストーリーが進むのもむしろ快感。



まず、最初は反抗的な生徒たちが、コッホ先生の教育方針に魅せられ心酔し始め、サッカーに夢中になってきたところで一事件起こり、大人たちが横槍を入れてくると、子供たちが機転を利かして危機をすり抜け、その後また一波乱あって、いよいよダメか・・・と思ったところで思わぬ味方が現れ(ここはちょいとできすぎだった)、結局最後は認められて・・・という、思いっきり気持ちいい筋運び。(ほめてるんです!)



教育庁の役人たちが、最初は苦々しい顔で試合を見ているうちに、思わず少年たちのチームを応援してしまうシーンとか、「やると思った!」と大笑いしてしまいました。



とにかく、『飛び出せ!青春』と『三年B組金八先生』と『熱中時代』と『ごくせん』と『キャプテン翼』と(略)既視感満載のヒューマンドラマでありました。



唯一、日本のドラマや映画だったら絶対こういうことはないな、と思ったシーンは、コッホ先生が、髪飾りを落としていったボーンシュテットのお母さんにその髪飾りを返すとき(落としたくだりと、彼女がコッホ先生を管理人さんと間違えるてなエピソードは、日本のドラマでもよくある展開でしたが)、やけにキザなコメントを添えて返したところぐらいかな。



“粗野なゲルマン民族”のくせに、ドイツ人も意外とロマンティストであります。



無骨な大和民族も、見習わねばなりませんね。←



















※追記2※

この映画に出てきた、印象深い2曲の歌について語りたいと思います。

1つめ。

国粋主義の歴史教師・ボッシュ先生が生徒たちに歌わせている国歌について。

歌詞はどう見ても(字幕で観たので)ドイツ国歌(の、悪名高き1番?)なのに、メロディーが“敵国”イギリスの国歌「God Save the Queen」と同じなのである!

これにはアタイ頭の中が「?????」

これどういうこと? と思い調べてみたら、なんと今現在ドイツ国歌になっているハイドン作の「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」は、そのタイトルからも自明なように、ハイドンが祖国オーストリアのために作ったものだったらしく、この時代のドイツ帝国では、「God Save the Queen」のメロディーにドイツを称える歌詞をつけて国歌(仮)にしていたのだそうだ。

「God〜」そのものが作曲者不詳の古い民謡か何かで、英国に著作権(?)があったわけではないらしい。

そして、現在のドイツ国歌(ハイドン作曲)は、オーストリア=ハンガリー帝国が滅亡した1918年以降に、「せっかくだから」っつうんで(ちょっと脚色)ドイツ国歌として正式に採用されたのだそうだ。

ドイツ大好き!とか言ってるくせに、この辺の歴史のことはてんで知りませんでした。恥ずかしいっす。



2つめ。

エンドクレジットでも歌われてたくらいだから、この映画にとって非常に重要な意味を持つであろう楽曲が「Auld Lang Syne」――そう、「蛍の光」

この曲は日本では「卒業式の曲」転じて「別れの曲」「閉店の曲」(←)のイメージ100%なのだが、この映画で使用されていたシチュエーションからもわかるように、生まれ故郷のスコットランドをはじめとするヨーロッパでは、旧友との再会を喜ぶ曲なのだそうだ。

劇中では、コッホ先生絶体絶命()のシーンで、彼のイギリス留学時代の親友が、オックスフォードのサッカー少年たちを引き連れてやってくるシーンで歌われる。

「久しぶりに会った友よ、祝杯を上げよう!」というその歌詞が、感激を持って歌い上げられるのだ。

日本人にとっては寂しい歌だが、そう思って聴くと、この素朴なメロディーがまた違って聴こえてくるのであった。


2014年03月02日(日) 宝塚歌劇団星組公演『眠らない男ナポレオン―愛と栄光の涯に―』

(観て来た日の日付で書きます)



ナポレオンを主人公にしたタカラヅカ作品といえば、『愛あれば命は永遠に』という1本物の作品がかつてあり、後に4人同時期に男役トップになった生徒を輩出した“栄光の71期”の初舞台作品でもありました。



当時ぼくはまだヅカに嵌っていなかったので、この作品は『タカラヅカ花の指定席』という番組でダイジェスト版を視た。実は本編の方はあんまり覚えてなくて、フィナーレで件の71期生が変顔をしながら(そういう演出だった)ロケットを踊っていたことばっかり印象に残ってる(^^;)



喜多先生、どうしてあんな振り付けをしたんだろうか?



ま、それはともかく、内容をさっぱり覚えていないってのもひどい話だが、今わずかな記憶をたどってみると(多分、VHSテープに録画してるはずだが、ご想像のとおり、すぐに見つけられません←)、今回の『眠らない男』が、小池先生らしく“愛だの恋だの”は添え物扱いで(偏見)、ひたすら、愛すべきまっすぐでエネルギッシュな少年がかっこいい青年になって、ガシガシとのし上がって、頂点きわめて、女をなおざりにして一所懸命突き進んでいると、案の定(コラ)女に去られて、落ち込みながらもさらなる野望に燃えて突き進んで、そのうち時代の波に足元すくわれて、落ちぶれて、はかなくお亡くなりになる。その一部始終を後世の生き証人が若者に語って聞かせて「あの人はほんとにスゴかった」と懐かしむ、って話だとすれば(長いよ!つうか、説明終わっちゃったよ!)、『愛あれば〜』の方は、

野望<<<<<(越えられない壁)<<<愛

という、まさに『ベルサイユのばら』の柳の下のどじょう(時代も「続編」ぽいしね)を狙った感じの(以下略)



主題歌も、「あーいー♪ あいあいー♪ あいーこそすべて〜♪」と、愛のバーゲンセールなとこが『ベルばら』そっくし。



ヨーロッパ統一を図って戦争に突き進んだ英雄ナポレオンも、ひたすら年上の色っぽい未亡人に恋焦がれる朴訥なカタブツ君である。



そういうのを「古臭い少女マンガの典型的なパターンだ」と一蹴する向きもあるが(ぼくなんか、そうです)、冷静に考えてみると、どんな男でも“愛に苦しむ”色好みの英雄に仕立て上げてしまう植田先生って、実は本当にすごいんじゃないか(小池先生がすごくないってことではない)と思ってしまうのだった。



まあ、小池先生の場合、ものがたりの中心に“愛”を持ってくるのが本当に下手な演出家さんなのでね。



“かっこ良い男の生き方”と“色恋”を両立させるのが相変わらずお下手です。今回もそう思いました。



色恋とかにかかずらってないで突っ走ってる男の方が、ぱっと見「かっこ良い」ですもんね。それがタカラヅカのファン層にマッチしてるかはともかく。



小池先生が実在の人物の「一代記」を描いた作品というと、『ヴァレンチノ』とか『JFK』とかが思い出されますが、そのいずれにしても、彼らの人生の中では

色恋<<<<<(越えられない壁)<<<野望(「野望ではありません、理想ですわ」byジャクリーン)

であった。



登場するヒロインたちは、そんな“女(自分も含む)にわき目も振らずに”突進していった主人公を「あの人ホントに素敵だったわ」と言ってくれる、若干身勝手な作風なのである(ギャツビーは原作があったから、そのパターンに陥らずに済んだと思う)



でも、そんな小池作品が、ぼくは好きだ(今まで散々ディスっといて、何だと?!)



今回のナポレオンも、ちえ(柚希礼音)がうまーく演じてたから(?)バレなかったが、正直、さほどジョセフィーヌを心底大好きって感じはなく、「勝利の女神」だから手放したくないみたいな感じを受けた(それはナポレオン本人じゃなく、周りかな?)



まあジョセフィーヌの方も、かなり奔放というか、モテる女の余裕で、御しやすい年下の男を適当にあしらって、生き易いように戦乱の世を渡ってるクールな女のイメージだ。



そんなある種お似合いのカップルが、当然のようにくっついて当然のように気持ちがすれ違い、打算で別れていく・・・そんな感じのラブ・アフェア。



植田作品のように、起きてる時間の9割を相手を想うことに費やしたりしてない。



・・・いえ、これはあくまでぼくが作品を観ていて受けた印象ですので。



実際のナポレオンとジョセフィーヌは、もっと熱烈に愛し合ってた人もうらやむカップルかもしれませんのですが(二人の遺言というか、死に臨んでの互いへの言及から鑑みるに、やっぱり相当想い合っていたのは事実のようだし)



とにかく今回の作品を観てぼくが一番感心というか感動した点は、すごい勢いで人生の絶頂まで上り詰めた主人公が、同じような(いや、それ以上の)速度でまっさかさまに落ちぶれていく姿を描きながら、タカラヅカ作品ていうのは、かならず主人公は、めっさカッコよく、潔く“どん底”へ赴いていくのがパターンであるという点だ。



今回のお話でも、退位宣言書にサインして歩み去るナポレオンの姿は、これから流刑地に送られるとは到底思えぬほど威風堂々としていた。



実在の人物が惨めな(まあ、ナポレオンの場合、実際にはこの後一回リベンジがあったのだが)境地に墜ちてゆく場面で、こんな風に最も颯爽とした退場をさせるところが、タカラヅカという一種特殊な演劇形態の“祝祭劇”的なところなのかもしれない、とぼくは思った。



昔の人は、偉い人が非業の最期を遂げたりすると(例:菅原道真)、そのたたりを恐れて“神様”に祭り上げたりするが、タカラヅカ作品でヒーローとして描かれるのも、その“祭り上げ”の一種なのかもしれない、と思ったのだ。



このシーンだけで、作品として大成功してるような気がしたくらいだ。











さて、大げさな話はこのくらいにして、等身大の作品レビューを少々。



脚本・演出が小池先生で、音楽を海外ヒットミュージカルの作曲家センセイというパターンは、『NEVER SAY GOODBYE』でフランク・ワイルドホーンに楽曲を作ってもらって以来で、今回は『ロミオとジュリエット』のジェラール・プレスギュルヴィック。

この人の作品、ぼくは『ロミジュリ』しか知らないので、“プレス先生っぽさ”を感じることができるかどうか、心配も期待もせずにあっさりした気分で臨んだのですが、正直に言わせていただくと、「あー、このメロディーって『ロミジュリ』のあの曲と一緒だな」ってとこがちらほら。という感じでした。



それより、日本で最初に『ロミジュリ』を上演して成功させたカンパニーの割には(当時とはメンバーが若干変わってるけど)、全体的に歌下手やなー。



特に主役コンビが(今さらそれを言うのか!?)



主要な役を受け持ってる組子がほとんど上手くない(並みダッシュ、ぐらいのレベル)



みちこ(北翔海莉)を筆頭とした専科の姉さま方しか安心してソロを聴けないなんて、残念すぎる星組の現実であったぞよ。



まあ、ちえは主役としてドーン!ドドーン!とでっかい衣裳に負けない筋力を持ってれば(ヲイ)役目は果たせていたと見るべきだし、(夢咲)ねねは綺麗で色っぽければいいんだし(スポイルしすぎですよ!ておどるさん)



さゆみ(紅ゆずる)は顔だけで十分だし(ヲイヲイヲイ)、ゆりかちゃん(真風涼帆)は何やらしてもカッコいいし(≧∇≦)←おめえってやつは(呆)



そうとも。ゆりかちゃんは歌もうまいし老けてるし(褒めてないがな!)今回もサイコーでした。



えーと、どんな役だっけ?(←おい)



なんか、勝手に自分でデザインした軍服で出てきたっけな。



そういう変わった男の役だった、確か(←君、寝てたんか?)



いえ!寝てなんかいません!!ただ、ストーリーがサクサク進んで(それは良いことでは?)一人一人を掘り下げようって気になれなかっただけで。



タレーランとか、おいしい役なのに、不完全燃焼やったぞ。

昔のタカラヅカみたいに、「タレーラン編」とかやってほしいと思ったナリ。

まあ、単純にみちこ贔屓の戯言と思ってくださって結構ですが。



だが、そんなみちこオタクのぼくでさえ、彼女がエトワールだったのには疑問を抱いた。



あのメンツの中でみちこが抜きんでて歌えるのは理解できるんだが、エトワールだけは天井貫くようなソプラノが聴きたい。ソプラノの歌姫であってこそエトワールなのではないだろうか。



歌える娘役が皆無なわけでもなし、なんか賛成できなかったよ。



(もう話が時系列じゃなくなってます)



それにしても、フィナーレのデュエットダンスのねね姫の衣裳にはヤられた。



あの衣裳はねね姫じゃなきゃ着れない。



歌が×△※〓なんか、あれで全部帳消しになったぜ(おいっ!!!)







というわけで(全然まとまってないが)感想は以上です。



仁(ニン)はドンピシャリだが歌唱力に不足(まあ、ゆうてるほど不満でもなかったけどね、ぼく的には)のある主要キャストではございましたが、全体的には満足感のある作品でした。



ま、最後はどうなるか判ってる(歴史だからね)お話なので、「最後はどうなるかドキドキ」というよりも、「最後、どう持っていくのかワクワク」という観劇感。そういう意味では、期待は裏切られなかったな(上に描いたような、“颯爽と去る敗者”の美学が見られたから)



小池先生には甘いな我ながら。


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