てくてくミーハー道場

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2014年02月24日(月) 映画『青い棘』

ほいいぃぃ(×_×)←?



やっと観ることができました。







んー、1回観た時点での正直な感想。





意味分かんねえ。←





馬齢を重ねて、感受性の柔軟性皆無になってしまったんだろうか。



かつてなら、うっとりと共感したであろう登場人物たちが、単なる「高二病」(ぼくの造語です。いわゆる「中二病」より一見頭良さげではあるが、要するにへ理屈が上手くなってるだけで世間知らず度は変わらん、みたいなニュアンス)にしか見えない。



パウル(ブリュールさんが演じた役です)に「何にも知らないくせに」って言われるドンカンな大人の代表になってしまったのねめそめそ←反省してる様子なし









うーん、なんとか理解しようとは思ったんだけどなあ。



ぼくが理解できないのが、そもそもこの事件(実際にあった事件だそうです)を起こした二人の青年の心理なのか、それとも、この映画を撮った監督の真意なのか、それすら不明。



なんか、後者みたいな気もするんだよな。



なぜなら、主役の二人(ギュンターとパウル)に対して「君たち、理解できんわ」と思った以上に、「なんか、すげー退屈なんですけど。この映画」(おっ!おい/汗)という気持ちの方がでかかったのよね。



特に、別荘にバカそうなガキども(おいおいおい/大汗)が集まって乱痴気騒ぎをしてるシーンが、かったるくてかったるくて。



昔観た『○りなく透明に近い××ー』(こっ、こら/滝汗)という映画を思い出してしまいました。



あの、芥川賞をとった大ベストセラーを、作者自ら監督して映画化したら大コケしたやつっす(←黙りなさい!)



小説家だけやってりゃ良かったものを(えっと・・・今その話、必要かな?)



なんか、この映画の監督さん(知らない人だけど)にも、同じ匂いを感じた。



感覚的っていうか文学的っていうか、悪く言えば、この映画を雰囲気だけで成り立たせようとしたフシがある。











ただ、悲しいことに、どこでロケしたか知らないけど、残念なくらい風景が美しすぎるのよね。ウンダバー! なんかそれだけで、ゴミゴミした湿気の強い日本に住んでるあたしたちなんかは、すっかり打ちのめされてしまって、すばらしく優れた作品のように錯覚してしまう。(言いたい放題だな)



ただ、ぼくが完全に騙されず()に済んだのは、出演俳優たちの中で、こういう“お耽美映画”(というふうに日本で封切られた際は宣伝されてたみたい)にふさわしい美貌の持ち主が、ブリュール君たった一人だったという点。



ギュンターを演じたアウグスト・ディール君も、ドイツでは実力派俳優として有名らしいのだが、もちろん今回初めて拝見。



ギュンター自身が全編通して「すでに異常」な雰囲気なので、そういうメイクでもあったんだろうけど、永井豪先生の『ドロロンえん魔くん』に出てくるシャポーじいにしか見えん(こぉらあっ!!!)



特典映像の“普段の”ディール君を見たら、ふつうにそこそこハンサムな青年だったので、びっくりしましたよ。



んで、ファム・ファタールっていうんですか、劇中では「抵抗しがたいほどの魅惑的な女性」と評されるヒルデちゃんなんですが、ぜーんぜんそういうふうに見えず。



おなごの嫉妬ではございません。



逆に、普通に可愛いと思った。佐々木希を幼くした感じで。



・・・いや、だから、幼くしちゃダメだろ!(一応ノリつっこみ)



地味な女友達エリちゃんが「なんで彼女ばっかりモテるの?(泣)」と吐き捨てるような“男好きのする女”に全然見えない。



では、ファム・ファタールじゃあないんなら、ビッチってことにすればいいのか? と思ったら、そっちの方でもない様子。



他の人たちは「彼女は性に奔放で」とか言ってる割に(あと、本人も口では「一人の男に縛られるつもりはないわ」とか言ってる割に)、今カレ=ハンスにぞっこんにしか見えない。



性に奔放なんだったら、他に男がいようと、自分に気がある童貞パウル()とやっちゃえばいいんじゃん? 田舎の女子高生みたいな顔して(これは演じたアンナ・マリア・ミューエの罪)パウルを誘惑してるようなそぶりしても全然扇情的じゃないし(これは監督の力不足)、かと思ったら、「あなただけのものになる気はないの」とか言って、だからそれは寝た後に言えよ(て、ておどるさん、だんだん言葉遣いが下品になっていってますよ/汗)







そういえば、兄と妹を両天秤と言いますか二股といいますか、モテる一方のハンスなんですが、こいつがもう、登場人物の中で一番のDQN(←ネット用語を使うな!)



最も納得いきませんでした、この部分。



まー、百歩譲って、DQNというか頭弱い系?でもいいっすよ。だけどね、だけどあーた(←デ○夫人?)なんなの、あのぶさいくな青年は!(←せ、せめて伏字を/震)



もーおばさん、耐えられませんでした。



ドイツ映画界にはこんなのしかおらんのか!(怒)



この監督に日本の美少年大挙出演ドラマ傑作選(『若葉のころ』とかー?『青の時代』とかー?『ごくせん』とか『花ざかりの君たちへ』とか?←とても意図的)を見せてやりてーもんだ。



ぼくが田舎で中学生やってた頃は、



「ドイツとか、オーストリアとか、フランスとか、イギリスとか、美少年の宝庫なんだろうなー。こんな東洋のだっさい島国と違って」



なぞと大きな勘違いをしていたものです。



すべて萩尾望都が悪いんです(←こら)



すべて竹宮恵子が悪いんです!(←こらこら)



すべて大島弓子が悪いんだあああ!(涙)←もうよしなさい!



夢を見させてくださった先生方、ありがとう。







んでも、ダニエル(だんだん呼び方が変わってきてますね)はやっぱり可愛かった。彼だけが救いであった。



別に、完璧な美貌とは思わんのだが、ぼくが一番好きな眉毛の角度(←細かい)と、生活力がなさそうなおちょぼ口が良い()



そして、必死になって鍛えてないのがわかる、ちょっとだらしなボディなとこも良い←



なぜか、この映画では脱ぎまくり(2〜3シーンだが)



でも、ぼくが彼の一番好きなとこは、実は“声”なんであります。



『グッバイ、レーニン!』の感想で、ぼくはドイツ語に弱いのねーと書いたが、どうやら正確には、ダニエル・ブリュールがしゃべるドイツ語に、特に弱いみたいだ。



『グッバイ、レーニン!』も、この『青い棘』も(そして『RUSH』も)、彼のモノローグから始まる。



そのモノローグがすばらしく甘美なのだ。



“モノローグ俳優”と呼びたいくらいだ。←







ただ、とにかく、ストーリーに対しては、「もったいぶってる割に、なんにも共感できんな」という感想を抱きました。



ごめんね、汚れた大人になっちゃった。←キモイ



付け加えると、ギュンターが同性愛者なのも、ハンスが両刀なのも、あたくしにとっては何ら衝撃ではございませんです。



その辺もあったのかな? 当時の人たちが「こ、これはすごい事件だっ!」って騒いだであろうに、ぼくにはピンと来なかった。



もっと「理解不可能」な事件が、この85年間のうちに次々に起きてしまっているからかもしれないが。













そういや、最初、頭でっかちの青年二人が何らかの事件を起こしてしまう、という前フリにぼくが想定したのは、『スリル・ミー』(この『青い棘』で描かれた“シュテークリッツ校事件”とほぼ同時期にアメリカで起きた、“レオポルドとローブの完全犯罪”をモチーフにしたミュージカル)だった。



どっちも本当にあった事件だから、事件そのものに優劣(って言うこと自体、けしからん思想だが)をつけるわけにはいかないが、劇化作品としては、『スリル・ミー』の方が大分出来が上のように感じた。



さーて、次は何を観ようかな。


2014年02月21日(金) 映画『RUSH/プライドと友情』(吹き替え版)

フィギュアの試合もひと段落して、あとはひたすら楽しんで観られるエキシビションを残すのみとなりました。



結果に関しては(語弊があるかもしれないが)どうでもいいです。



競技を観ててこんなにドキドキうっとりハラハラした大会も近来珍しかったんではないかと。観る方にすれば、こんなにも楽しませてくれた選手たちに感謝です。



ジャンプの葛西選手が41歳で「レジェンド」なんて言われてるくらい、オリンピック選手って新旧交代が激しいじゃない?



今回の大会を沸かせた選手たちの中で、4年後にも現役でいる人たちって、おそらく半分もいない。



なんだか、はかないなあ・・・と思うと同時に、またもや思わぬところからミュータントみたいな選手が出てきて楽しませてくれるのかなと、今からわくわくしてたりします。



そして、選手寿命が短いからこそ、アスリートたちの輝きは、運動神経なよなよであるぼくなんかから見ると、眩しすぎて痛いくらいなんだよね。











というわけで(どういうわけだ)『RUSH/プライドと友情』吹き替え版、観てまいりました。



すいません、やっぱり照れてしまいました(^^;)



第一声(冒頭のモノローグ)が、やっぱね。



多分、普通の人たちより、彼らの声を長年&年間通してかなり多量に聴いてるので、すぐ反応してしまうんだと思う。



でも、さすがに全編通して照れまくっていたわけではなく、冒頭の「ワタシハ、ニキ・ラウダ」(←なんでカタコトやねん?)までは照れ臭かったんですが、それ以降はするっと“本人”が消え、みごとに劇中の人になってました。



この部分、コンサートでも聴かせてもらった部分なので、余計にその時の印象が強かったせいかも。



ちなみに「コラ、マテ♪」(だからなんでカタコトやねんっ?!)でも「うっ(照)」となってしまいましたが、ここはしょうがないよね。



そして、ハントさんの第一声ですが、これは「わ(照)、光一さん」というよりも、想定してたよりもかなり高いキーで声をあててたので、びっくりしたという感じ。



『獣王星』のときは、逆に「低すぎねえ?」と思ってたので、その逆を突かれたというか。



そして光一さんの場合は、何気ない会話のときには全く気にならなかったんですが、何かの拍子に“説明っぽいセリフ”になると、そのつど「光一さんだなあ」と思ってしまいました。



この理由は、ぼく的に分析するに、『EndlessSHOCK』の後遺症(コラ)だろうなと。ふつうの生活の中での会話はすごく自然にしゃべってるんだけど、「ここ、ストーリー上大事なとこね」って無意識に力が入ると、舞台発声というか抑揚になってしまってる。



でもまあ、全編それってわけでもなかったし、クリヘムの地声とはかなりかけ離れていたわりには(つよっさんの声もブリュールさんの声とは全然違うけど)、いちいち「うっ、違和感」とはならなかったな。



問題の“エアーあんあん”も、なぜかぼく自身のストッパーが働いたんでしょうか? 光一さんの声も顔も浮かんできませんでした。短かったし。











そんなことより(なにいっ?!/怒)、二回観て、ますますこの映画に感動したぼくがおりました。



いやー、本当にいい映画だ。



生涯の一本を塗り替えましたか?(読者様の声)



いや・・・、そこまででは(←おいっ)



一回目に観たときには、(なにしろF1知識ミニマムだったから)富士の結末すら知らずに観てたからね。



「ええっ!そういう結果だったのーーー!」とびっくりしたりして、創り手から見るとなかなかアホおいしいお客でした。(^^ゞ



で、今回はもう結果は分かって観てたんだけど、それにもかかわらず、何と最後ぼろぼろ泣いてしまいました。



結末がわかってるのに感動してしまう。これって“名勝負”の醍醐味じゃありませんか? ねえ真央ちゃん(何の話だ?)



スポーツ観戦に夢中になる人の気持ちが、ちょっとだけわかりました(“ちょっと”?)









そして、この映画のメインテーマである、「より自分を成長させてくれるのは、“好敵手”の存在である」というすばらしいメッセージ。



本当だよねえ真央ちゃ(今日は全部そっちに話いっちゃうのね?)



いやいや、そういう例は古今東西ありますからね。



そういう相手に出会えた人たちが、本当にうらやましいなあって思います。



すごいライバルがいるってことは、自分もそれに匹敵するほどすごいってことだからね。



ラウダさんのお誕生日(明日22日らしいです!猫の日じゃん!←関係ないだろ)に、もう一回観てこようかなと思ってるくらいです。よし、猫カフェとはしごだ。←











さて、吹き替え版だけの特典で、ラストに「Glorious Days 〜ただ道を探してる」が流れたんですが、実に心から申し訳ないと思うんだけれども、これはやっぱ蛇足だった。映画は監督が「よし、ここまで!」と決めた部分までで完成してるとぼくは思っているので(そのわりには、後になって「ディレクターズ・カット」とか出してきやがることが最近は多いですけど←毒)



なんか、楽曲にしてもKinKiの歌唱カラーにしても、この映画が終盤に見せるスピード感(それはまさにフォーミュラ・カーのスピード感!)と完全に水と油な感じ。



ただ、人生の道のりを思わせるという意味では楽曲単独としては悪くないので、この部分だけを別物として観る分にはいいと思った。



・・・これ、DVDに入るのかしらん? ていうか、DVDはJEとの絡みでメンドいことになりそうだなあ。どうなるのかなあ?





ああっ、『青い棘』を早く観ないと!←あわただしいなあお前はいつも(呆)


2014年02月18日(火) 『青い棘』DVD着いた

こなくそっ←下品



この一番忙しい時(明日フィギュア女子シングルSPじゃんよ!)に着くとは・・・。



雪のせいだ(金曜日に着くはずが、着いたの火曜日)



土曜日までに返さなきゃならないだと・・・? 待てや、おいっ!(怒)



・・・でもフィギュア視てやる(意地)





感想は、何とかして観た後に書きます(当たり前)


2014年02月17日(月) 昼夜逆転

ぼくは普段からそうなんだけど、今の時期は正々堂々と(そんなこたあない!)毎日明け方まで起きていられるので楽しいです。←



といっても、ちゃんと()オリンピック中継を視ていたのは実のところ14日深夜のみ。



あまたあるスポーツの国際競技大会の種目の中で、唯一ぼくが興味を持っていると言って良い『フィギュアスケート男子シングル』だけオンタイムで視ました。



本当は13日(正確には14日明け方だよね)のショートプログラムからガッツリ視ようと思っていたんだけど、さすがに翌日の仕事に差し支えるので(こう見えてギリギリの社会性は保っております)、全部録画しておきました。



あー録画しといて良かったわ。



永久保存版の101点パフォーマンス(by 羽生結弦)が残せて幸せです。



まあ、ぼくはそんなに詳しいわけじゃなく、日常はすっかり忘れていてオリンピックの直前になると急いで選手の名前を勉強する程度の典型的なニワカなんですけど。



なんで、まず今回団体戦のことをすっかり忘れていて、プルシェンコが出てきてロシアが1位をかっさらったと聞いて、「プルシェンコってまだ引退してなかったの?!」と驚いたくらい、知識ありません。



で、団体戦を見てないので、個人戦での演技を楽しみにしてたんですが、直前(ほんとーに直前!)でプルちゃん()棄権。非常に残念でした。



でも羽生君とパトリック・チャンの神演技対決は実に見ごたえありましたし、それとはまた別に、壁に激突したジェレミー・アボットの根性溢れる演技続行に「アスリートって、カッコええ!(; ;)」と涙しました。







そんで、その録画を視た流れで気合も十分に徹夜。どうせ大雪だし翌日はどこへも行かねえし(これはちょっと嘘です。夕方から出かける用事がございました)と、テレビの前に体を固定してフリー観戦へ突入。



しかしそれにしても日本勢、滑走順が遅い!いやがらせだろうかと思うほど遅い!(でもまあ、早い時間に滑っちゃっても、最終的な順位が判るまでは起きてるわけだから同じか)



日本時間で午前3時過ぎというバカな時間帯なのも腹が立つが、現地でも夜の10時過ぎでしょ?! いくら国際大会に慣れている選手たちでも、こんな体内時計的にむちゃくちゃな時刻に競技をさせられるなんて、ひどすぎるぜ。陰謀説を信じそうだぜ。まあ、ぼくにとっては絶好調の時間帯なんだけど(←お前は黙れ)



ふうー、町田君の順番まで、ちょっと風呂入ってこようかな? と油断したのが運の尽き、ちと寒かったので長湯して出てきたら、大ちゃんの演技の途中で、しかも映像がもやもやしてる!



雪がアンテナ(うちはBSは未だにケーブルじゃなくてアンテナで視てる)に積もってる!!!



夜中にバタバタとアンテナの雪を慌てて払い落として(ベランダ寒かった・・・)、とりあえず羽生君の演技はきれいに録画できたけど、大ちゃんの演技は途中からもやもや映像で残ってしまいました(T△T)



こんなことなら、CMや余計な演出映像が入るのを我慢してフ○テレビを録画してたらよかった。



結局インタビューも最後まで録れてなかったし。











まあ、一視聴者の個人的な失敗はどうでもいいことです。



選手の皆さん(日本勢だけじゃなく、すべての)、美しく清々しい演技を見せてくれてありがとう。



採点の基準がいまいちわかってない素人ですが、この競技は、「相手よりも速く移動!」「遠くまで跳んだり飛ばしたり!」「強さで相手を負かす!」ことで競うことがほとんどのスポーツの中で、「きれいに!」という要素があるところに、非常に魅力を感じるのです。確かに「美」の優劣を点数で決めるってところに論議もあることとは思いますが。



まあ、こうなったら女子シングルも視るつもりだけど、ショートプログラムもフリーも平日って・・・。(←モチベーション低いな?)



しかし(話はフィギュアスケートだけじゃなく全体のことになるが)、下は15歳から上は41歳まで出場するのもたいがいすごいが、その15歳と41歳が両方ともメダル獲っちゃったのもすごいな。まあ、メダルは獲ってなくても、出ただけで皆さんすごいんだけど。



まあ、今度の日曜日(日付上は月曜日)まで寝不足は続きますが、今は仕事もヒマだし(おい)、変に雪は降るし、ぼく的には休養月間ということで、へへ(お前は常に休養してるだろ!)


2014年02月16日(日) 映画『スノーホワイト』

えと、フィギュアも気になるところですが、こっちもなかなか気になるんで。



次回は『青い棘』を観ます!と宣言したものの、近所のレンタルビデオ屋においてない悲しきドイツ・マイナー映画(こらっ)



なので、ネットでレンタル〜♪で申し込み、現在のところ到着待ち。



基本的にはブリュールさんのトリコになってるぼくですが、一方の主役クリス・ヘムズワースの出演作もちょっと観てみたい。と思ったら、現在、彼の主演作『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』が絶賛上映中なんだよね。一時期に2本主演作が封切られている大スターなのねクリヘム兄貴は。



だがしかし、非常に残念なのですが、ぼくはこの、マーベル・コミックものが実に苦手でして(好きな人、ごめんなさい)



なんつーか、「アメリカって強いだろ、正義だろ」っていうのが、とにかく苦手で(それ以上言うな!)



そしたら、なんとこの週末、WOWOWでこの『スノーホワイト』が放映されていたではないですか。



一体どんな役柄なのかも知らないまま、視ることにしたのでありんす。













いやあ、トンデモ映画でした(爆笑)



金出さずに観て良かった。←オイ



タイトルからして、原作は『白雪姫』のようで、この作品が封切られた2012年には、『白雪姫と鏡の女王』『アドベンチャー・オブ・スノーホワイト』などの“白雪姫モノ”が公開されています。なぜかこの年は、白雪姫のプチブームだったようです。



ちなみに『〜鏡の女王』の女王様役はジュリア・ロバーツ。このほかにも過去の映画(『グリム・ブラザーズ/スノーホワイト』/1997年)ではシガーニー・ウィーヴァーとかも女王役をやってるんだけど、どちらも“世界一美しい”よりも“魔女”に重きを置いて(略)



で、今作の女王様役はシャーリーズ・セロン。うん、鏡の精が「世界で一番美しいのは、あなたさまです」と言っても問題がない配役です良かった(←お前が問題発言するな)



なかなか本題に入らなくて申し訳ないんだけど、この、シャーリーズ・セロンの女王っぷりが良かったなあ。この女王様、動物の心臓を食ったり若い女の精気を吸い取ったりして(何かの映画を思い出すんだがなー・・・言わないでおこう)若さを保ってるんだけど、白雪姫のコンディション(?)に応じて、徐々に美貌が衰えていったりする。それが、一気にばあさんになるんじゃなく、ほんとに徐々に、5歳ぐらい老けたかなー? 10歳分ぐらい老けたかなー? みたいな感じで衰える。



この“老け方”(もちろん特殊メイクです)の絶妙さがたまんない。



おそらく、美人女優にとって、完全におばあさんに特殊メイクされるのは、たいして苦痛じゃないと思うんだよ。「こういう役ですから」って開き直れる。



でも、自分の顔のまま、微妙に老けるって、めっちゃ気分悪いと思うな。それをセロンはやってのけた。さすが『モンスター』で激太りした女優魂アッパレです。











閑話休題。ていうか、冒頭から、ちょいちょいツッコミつつ観ていきましょう。



冒頭は普通の『白雪姫』の始まり。妊娠中のお妃さまが、雪の上に落ちた血を見て、「こんな真っ白な肌に、こんな真っ赤な唇の可愛い赤ちゃんが欲しいわ」なんて言って、無事にお姫様が生まれる。



ところが、お妃さまが病気で死んでしまうと、いきなり王国が不穏な空気に包まれ、謎の軍隊が襲ってきて戦争になる。この謎の軍隊、「謎」ってだけあって、中身が普通の人間じゃないっぽい。でも、その辺は深く考えずにお話は進み、その“謎の敵”の捕虜だった絶世の美女に王様は心奪われる。



早速次の日(早っ!!!)御輿入れ。いくら童話の世界でも早すぎ。せめて「1年後」とかにできなかったの? まあ、子供相手の映画なんだろうな、観てる子供が飽きないうちにってことなんだろうな、と思っていたら、結婚式の次のシーンがベッドシーン!



えっと・・・この映画は何歳対象なの? と戸惑っているうちに、謎の美女、「男はいつだって女を道具としか扱わない」とかフェミニストみたいなこと言って王様を薬でしびれさせた後、刺し殺してしまう。



王様、エロに走った報い★\(― ―;)黙りおろう



・・・えっと、えっと、この映画は誰をターゲットにしてるの? と戸惑っているうちに王国は早くも邪悪な女王に乗っ取られて、絵に描いたようなすさんだ状態に。







えと、その前に大事なエピソードを忘れてた。白雪姫にはウィリアムっていう幼なじみがいて、どうやら国王の忠実な家来の公爵の息子らしいんだけど、王国が混乱したときに、姫とは離れ離れになってしまう。うん、やっぱこいつが成長してのち“王子”になって再登場するんだろうな、あのシーン(とは、もちろん、『白雪姫』のハッピーエンドにつながる、あのシーン)でな、とほとんどの観客は思うであろう。



するってえと、クレジットでシャーリーズ・セロンの次に出てくる(ということは、ヒロイン=白雪姫の相手役に決まってる)クリス・ヘムズワース兄貴その人が、このウィリアムの成長後を演じるのだろうか・・・? と思って視ていると、いきなし、のんだくれのごつくてもっさいひげ面クリヘム兄貴の登場!(- -;)え?これ?



“これ”がウィリアムの成れの果てなん? と思ってたら、そうじゃなくて、(略してしまったけども)この前のシーンで幽閉塔から逃げてしまった白雪姫を森から連れ戻せ、と命令される狩人エリック(でも、この「エリック」っていう名前で呼ばれてた記憶がないんだが。最後のクレジットには出てきたけど)なのだった。



そういえば、『白雪姫』には出てきたなあ、そういうキャラが。正確には、白雪姫を森へ連れて行って殺して、殺した証拠に心臓を持って来い、と言われるんだけど、姫のあまりの可愛さに殺せなくて、「まあ、ほっとけば死んじゃうだろう」と森へ置き去りにして、ごまかすためにイノシシだかの心臓を女王に差し出す。それで褒美をもらってドロンするんだったか、ニセ心臓がばれちゃって殺されるんだったか、どちらにしても、善良そうな小心者のおっさんのイメージ。



こんな武骨なおっさんではないはずなんだが・・・。







いやそうじゃなくて! クリヘム兄貴、この映画が撮られたとき、おそらく28歳ぐらいだろ? なんでこんなおっさんキャラなの?!



それもこのおっさんは、女王が怖くて命令に従うんじゃなくて、「死んだ女房を魔法で生き返らせてやる」という、反故にされるに決まってる()約束を取り付けて白雪姫を捜しに出るのである。



女房が死んでやさぐれてるとかいう設定、必要?(最後まで観ても、この疑問は晴れませんでした)



まあ・・・そこはいいか。



そもそも“王子キャラ”じゃない俳優だったのね、兄貴は。まあ、ガタイもガタイだし・・・(でもちょっと寂しい気分)



んで、森で姫を見つけて最初は女王の弟(この弟もまあ、いろいろ・・・でも今回は言及しません)に渡そうとするんだが、案の定約束が破られるので、兄貴もあっさり約束を反故にして、姫を助けて二人で逃げることになる。



まるで『ロー○・オブ・ザ・リング』や『ホビッ○』のようなVFX満載(黙れ)の森を縦横に逃げながら、姫となんとなく心通わせていく流れは、『スター○ォーズ/○国の逆襲』のレイア姫とハン・ソロみたいな感じ(いや決してパク○だとか言ってるわけでは)



いや待て、兄貴のあの武骨なひげ面は、ハリソン・フォードというよりもまさしく三船敏郎!(え)



そうだ、『隠し砦の三悪人』の真壁六郎太だ!(いや違います/汗)



ううーむ、それより、姫がいつの間にか動きやすいパンツルックになってるのは角川版『里見八犬伝』・・・あ、もういいですか? すみません。







とにかくね、この映画、そういう「どっかで見たことであるんですけど」っていう場面が満載なのよ。森の途中で何の脈絡もなく出てくるトロール(『エ○リアン』かと思った)が、姫の“清らかな力”かなんかでおとなしくなるところも、どっかで見たような。



そして極めつけは、(途中を省略しますが)森の奥の泉のほとりに突如出現する、白い鹿。



ま、まさしくアナタは、













シシ神様!!!











はりつめた〜ゆみのぉ〜♪(黙れ小僧!)す、すいません



もー大爆笑です。日本人のほとんど(と、世界中のジブリスト)が総ツッコミしたことでしょう当時。







んで、このシシ神様(ジブリへのオマージュって説もあるらしいねどうやら)に出会う前には、きっちり『白雪姫』らしい展開をしなければならず、てっきり姫と六郎太・・・いや狩人エリックの二人で“魔女”と戦うのかな? 単に逃げるだけなのかな? と思ってたら、陽気に陰険に“七人のあの人たち”登場。



これがもう、ディズニー好きが見たら激怒することうけあいの可愛げのなさ。



テリー・ギリアムの映画に出てきそうな、むっちゃ偏屈そうな小さいおっさんたちです。お仕事も、原作の「金鉱堀」ではなくて「元金鉱堀→今山賊」。いきなり姫と狩人を逆さづりにして「金持ってねえか」と尋問。







・・・ほんとにこの映画、誰に観てほしいの?わからないよぼく(>_<。)



しかしまあ、その中でも“長老”的なおじさんが姫の素性を保証して(姫が自分で名乗る前に言えよ! と、ここでもツッコミ)、こびとさんたちは姫を匿うことに。



なんやかやあって、幼なじみウィリアムとも再会できたのですが、このウィリアム、狩人のおっさんに比べて、いまいち頼りにならなさそうな軟弱な雰囲気。



※後日追記

ごめんなさい、どうもぼくの先入観で書いてしまっていたようで、もう一回見たら、ウィリアムは意外と精悍に成長していて、弓の名手となり(ウィリアム=弓・・・・えーと・・・←いいから!)女王の手下たちの中に紛れ込んでスノーホワイトを助けるべく捜していたのだった。

そして、そのくだりでは案外活躍していたのでした。





あれ? こいつが“王子”やないんか? と、一抹の不安を抱かせる。



そういえば、ここまで触れなかったが、この映画のタイトル、邦題は『スノーホワイト』だが、原題は『Snow White & the Huntsman』つまり、『白雪姫と狩人』なのである。ダブル主役(?)なのである。



だがここまでのところ、おっさん(コラ)と姫の間に淡い想いが芽生えてるようには見えない。だって、姫はウィリアムと再会すると、たちまち昔の感じを思い出して、二人でデートしたりするのである。



ただし、このデート、実は女王の罠なのであった。



いつまでたっても誰も殺せない白雪姫に業を煮やした女王様、自らの手で殺しに出かけるのだが、なんと、やさしそうなおばあさんではなく、ずばり、姫の想い人ウィリアム君に化けるのである。なんて卑怯なのであろうか。←



ここで、最初の方のシーンで、幼いウィリアムがリンゴを姫に意地悪してあげなかったという伏線らしきものが回収されるんだが、こんなの伏線と言えるんでしょうか? とぼくは軽くつっこみたいです。どうでもいいエピソードのように思えます。



とにかく姫は今でもウィリアム君にぞっこんであり、自ら接吻しちゃったりしてかなり積極的。彼が差し出したリンゴを躊躇なくガブリとやって、めでたく( )仮死状態に。



さあ慌てたのは本物のウィリアム君。姫を抱いておいおいと泣きながら(←)口づけするのですが、姫は目を覚ましません。



やはり“王子”は彼ではなかったようです(ニヤニヤ)



そんなこんなで姫は霊安所に安置されちゃうのですが、そこへ狩人エリックがやってきます。



そして、「守ってやれなくてごめん」とか何とか、姫に向かって、なぜか死んだ愛妻の話をしはじめます。いや今さらそんな話されても・・・と観客の9割がつっこんだことでしょう。←



そんで、おもむろにキス。



えっ?! あんたいつから姫のことを?!!! と観客の95パーセントがびっくりしていると、狩人どのが去った後、姫が蘇生!!!!!











あんたが“王子様”だったんかい!!









と、観客全員があっけにとられていると、なぜか闘争心全開のキャラに生まれ変わった姫(いや、前から若干その萌芽はあった)が、「出入りじゃーーーーーー!戦争よーーーーー!!」と宣言。



ほ、ほんとにこの映画、どんな客層を相手にしているの? もうついていけないよおばさんは(×_×;)とうろたえる間もなく、姫はリュック・ベッソンの『○ャンヌ・ダルク』まんまの甲冑に身を固め、軍隊を指揮して魔女の城に突撃するのである。(さて問題です。ここまでいくつの映画を○クッているでしょうか)



しかしこの映画、男たちの役に立たなさっぷりはスゴい。



その中で、一番身体能力の高いと思われるエリックにしても、ちょいちょい姫を助けてはやってるが、肝心な時にはあんまり活躍してない気がする。



他の連中は言わずもがな。



まあ確かにスノーホワイト姫、10年間も塔のてっぺんに閉じ込められてたわりには、逃げ出す時の素早さ、荒海へ飛び込む勇気と、島まで泳ぎ切る身体能力、森を駆け抜ける体力、とても男の助けなど必要ないと言わざるを得ません(そ、それを言っちゃったら・・・)



なので、魔女と一騎打ちして勝っちゃうのは当然のこと、ラストシーンでは新女王として立派に君臨。めでたしめでたし。って、オイ!











ふつうおとぎ話では、お姫様は王子様と結ばれて「めでたしめでたし」なのに、このスノーホワイトは、一人で君臨しちゃうわけよ。



キスで目覚めさせた王子ならぬ狩人のおっさんは、そんな姫を優しく見届けた後、そっと立ち去るのだ(そして、“王子様フェイク”だったウィリアム君は、単なる家臣の一人として戴冠式にニコニコ参列。・・・いいのかお前それで)



こんなエンディング、ありなん?



やっぱこの映画の制作者は、武闘派フェミニストなんじゃなかろうか。そんな気にもなってしまう内容でありました。











まあ、クリヘム兄貴目当てに、記録的なトンデモ映画を観てしまったわけですが、こんだけ突っ込みどころが多い映画は、タダで観るには楽しいですね。←



で、結局クリス・ヘムズワースって人は、こういう、武骨でもっさいおっさん役を、28歳という普通ならバリバリ二枚目を演れるようなお年頃のときからやってたんやなあ・・・と、実感しました。



『RUSH』に出れて、良かったよね(コラ)


2014年02月10日(月) 『ザ・ビューティフル・ゲーム』(新国立劇場 小劇場)

この作品、ずいぶん前に櫻井翔主演で上演されてなかったか?



ぼくの記憶は正しく、2006年3月に青山劇場で上演されたのが日本初演だったようです。



自他ともに認めるジャニオタのぼくですが、嵐メンバーの舞台は、『ウエストサイド・ストーリー』以外、一つも観たことがないのはわざとではなく、激戦チケット争奪戦に参加する熱意が薄いから(それを「わざと」って言うんじゃ?)なのですが、この作品も結局観逃がしています(あっ、『理由なき反抗』は観た! ごめん忘れてて)



で、今回は、日本のミュージカル界を牽引するピチピチ20代の俳優たちがこぞって出演するというので、早速チケットをゲット。





(ご注意:以下、寂しくも景気の悪い流れになります)

コヤが「小劇場」? 何かの間違いでは?・・・と思ってたら全然間違いではなく、初演が青山劇場だったことを思うと、いささかスケールダウンの感は否めない。



あまつさえ、そのキャパが今回埋まっていな(いえ! 決して不入りなのではありません!←はっきり書くな!)



青山公演の時みたいに巨大資本が動いてないと、こんなもんなんですかね。メジャー芸能事務所の力でしょうかね。こういうパワーゲームみたいなのが大嫌いよおばさんは!(←なぜキレる?)



しかし、実際に観て思ったんですが、この作品、そんなにオンナコドモがわっさわっさ押しかけるような内容じゃないんだよ。ぼくは今回、キャストもだけど、ロイド=ウェバーの曲だってのに惹かれて観に行ったわけなんだけど、彼の他のヒット作品に比べると(今回のバンド編成のせいもあったのかしらんが)いまひとつエモーショナルさに欠けると申しますか、「これ名曲だなあ」てな曲が見当たらなかった。



そしてストーリーは、平和ボケニッポン人のスイーツ脳でははなはだ噛み砕きづらい「北アイルランド紛争」が中心に据えられているときてる。



これは手ごわかったですよ。



ぼく自身のアイルランドの歴史への造詣のなさ(中学時代にBeatleマニアになった日本の田舎もんは、Paul McCartneyが歌っていた「アイルランドに平和を」ぐらいしか知らなかった。あと、天海祐希時代に宝塚歌劇団月組がやった『エールの残照』でごくちょっと勉強)もだけど、日本の若い俳優たちが、日本の観客たちに、どこまでこの作品の作者たちが“思い入れた”ものを伝えられるのだろうか、と、自分のことを棚に上げて考えてしまいました。



で、いきなり逆のことを書いてしまいますが、現在の日本だって、このころのアイルランドほど切羽詰まった状況ではないけれども、特定の国や民族に対する特定の感情を募らせている人たち(なんだこの腰引けまくりな言葉の選び方は?)がいないわけじゃない。このことは自明ですよね。



そういう人たちに、この作品のジョンの生き方、メアリーの叫び、トーマスが選んだ道を目の当たりにしてインスパイアされてほしいと願わずにはいられないんだけど、昔『レ・ミゼラブル』を観たときにも書きましたが、そういう人たちがそもそもミュージカルなんか(←コラ)観にくるわけがない。



エンターテインメント業界の最大のジレンマですよ。いつも思うことだけど。







景気の悪い話はここまでにして、単純にミューオタとしての感想を書きましょうか。



主演の馬場徹。

この人って不思議な俳優で、つか作品のときは宇宙一スーパーフレアが燃え立ってるのに、ほかの作品では「どこにいた?!」ってくらい影が薄くなったりする。これは悪口じゃなくて、ぼく思うに、彼は地色が真っ白な役者なんだろうなと。

演出家が赤く塗れば真っ赤になり、青く塗れば真っ青になる。変幻自在。そんな俳優だと感じた。

いつまでもそれを言うか。と責められるかもしれませんが、元テニミュ俳優だというのに、ぼくは馬場君の歌って今回初めてまともに聴きまして。

正直な感想を申しますと、声自体は美声なんだけど、周囲の「ザ・若手ミュージカル俳優」たちと比べると、声量の点で若干劣る。

それよりはやはり、(他の出演者陣と比べても)圧倒的な演技力と、昔取った杵柄(笑)のボールさばきに安心して浸らせていただきました。







大塚千弘。相変わらず声が美しい。表現力もある。

ただなんていうか、ぼく自身この物語の中で一番共感できるのが彼女・メアリーなので、逆にとりたてて感想がなかった。それは逆に、大塚がちゃんとメアリーを演じていたってことの証明だと思う。







ガウチ君(中河内雅貴)

キレまくりトーマス。こういうキャラって必ず出てくるよね、このテの話に(←奥歯に物が)

ほとんどの人から共感されないこういうキャラクターは、演じてて辛いだろうな、なんて余計なことを考えてしまいました。

ぼくも思うもん、トーマスって何をよりどころとして生きてるんだろう? って。

『上海バンスキング』の弘田真造・・・とはちょっと違うか。でも、なんか「こいつとは話通じんわ」みたいなところが似てる。

ぼくは彼のような人に対して話し合いをシャットアウトしてしまう性格なのだけど(たとえ無邪気な少年時代に親友だったとしても、大人になって“信条”が分かれてしまったら、そうなる)、ジョンはそうしない。

だからドラマになるんだけど。・・・って、ガウチ君に対してじゃなくトーマスに対しての感想になっちまった。







あとの方たちは皆さん過不足なく・・・って、力尽きてきましたすみません。



吉原(光夫)さんってやっぱり今井清隆さんに声似てるな。(←思考力の限界)



あっそうだ、小さめのコヤでさらに客席でステージを前後に挟むという、いかにもニナガワさんの弟子らしい藤田俊太郎氏の演出だったんだけど、その“密”な感じがこの作品の舞台であるベルファーストという町の閉塞感を的確に表してしたように思う。



空気感が、若干『レント』に似てる気がしました。



負け惜しみ(青山公演を観逃したことへのね)かもしれないが、この作品、絶対、こういう小ぢんまりした演出の方が合ってると思う。大劇場で観るような作品じゃないような気がした。



ジョーイ・マクニーリーの演出がどんなんだったかわからないから、断言はできないけど。


2014年02月09日(日) 映画『グッバイ、レーニン!』

『RUSH』で、すっかりダニエル・ブリュールのトリコとなってしまい、彼の過去作品をちょっと繙いてみました。



彼にとっては近作『コッホ先生と僕らの革命』が代表作のようなのだが、ストーリーを下調べした感じでは、なんかロビン・ウィリアムズみたいな役をやってそうで(どういう意味だ)食指が動かなかった。



なので思い切って、世界的デビュー作とも言えるこの作品を選びました。



ストーリーも、ぼくの好みっぽかったし。







で、観ての感想。





どえらい美少年やんか!(え? だめなの?)





今と全然違うぞ☆ヾ(―― )黙らぬか



予想外な展開でありました。



こ、こんな、アイドルっぽい新人時代だったとは(まあ、24歳のときだしね)



てっきり“若い時から演技派”だと思ってたのに・・・(がっかりしましたか?)



イエ、演技派は演技派なんだけどね。



それに、映画自体、いかにもアイドル俳優がやりそうなスイーツ(笑)なラブストーリーではないので、挫折せずに最後まで観ることができました。



お母ちゃん思いの青年が、お母ちゃんのためにおっきな嘘をつくことを決心して、その嘘を守ることに必死になっていくうちに、その嘘の世界自体に自分自身も「後ろ向きな」安心感を得ていくという、危ういもの悲しさ。



その悲哀の中にも、“必死な人”特有のペーソスがあって、軽くもないけど、重たくもない。



ぼくの勝手な解釈だが、あのお母ちゃんが息子のウソに気づいたのは、息子の彼女である看護学生の女の子に教えられたときではなく、巨大なレーニン像が眼前を飛び去った瞬間だったのじゃないかと思う。



そして、彼女に教えられて、それを確信した。



それでも息子に「嘘ついてたんだね」とは言わなかった。息子が傷つくからね。



息子の最後の嘘――「西が東に飲み込まれる形で東西ドイツが統一された」という作り物のニュース映像を見て、母親は「すばらしいわね」と二回言う。



これを息子は、お母さんが「社会主義が勝利したなんて、すばらしいわね」と言ってるんだと思い込んだだろう。



でも、映画の観客であるぼくたちは、「私のために作ってくれたこの嘘の映像、すばらしいわ。お前の思いやりが嬉しいわ」って意味の「すばらしいわね」だって思いながら観ている。



この解釈が正しいかどうか、わからない。なんかわかりづらく作ってあるからね。この辺ドイツ映画っぽいというか。



でも、そういうところ、好きになった。







話は変わるけど、ぼくたち「西側」の人間は、ベルリンの壁が壊れたとき、一方的に“東側の人たちが救われた”と思い込んだけれども、当事者たちにとって、コトはそんなに単純なものじゃなかったということも、この映画では教えられた。



この映画を製作したのはそもそも「西側」のドイツ人たちなんだけれども、彼ら自身が、「そんなに単純に西>東なんて決められないんだよ」と主張していることが、心にしみた。



それにしても、どうしてぼくはこうもドイツ語の響きに弱いんだろうなあ。前世の因縁でもあるのかしら?(いやいや、思い込み思い込み)









次は『青い棘』を観てみたいと思っとります。あらすじ読んだだけで動悸が・・・でへへ(←腐か!)


2014年02月07日(金) 映画『RUSH/プライドと友情』(字幕版)

ほんとに映画を観なくなったぼくが、11か月ぶりに(!)映画館へ足を運びました。



それもこれもKinKi Kidsさん(←なぜか他人行儀。いや、他人だけど)のおかげです。



KinKiさんたちがいなかったら、たぶんこの映画、ぼくは観てなかったでしょう。どんなに話題になっていても。



そう思うと、KinKi兄さん、ジャニーズ事務所さん、東宝さん、GAGAさん、本当にありがとうございますと申し上げたい。



とてもすばらしい映画だったので。

(ただし、宣伝文句にあるみたいに、「生涯の一本を塗り替える」ってほどでは・・・ご、ごほっごほ)







というわけで、『RUSH/プライドと友情』



二人が吹き替えするって知ったのは去年の10月ぐらいだったか。“うぇぶ”で知ったんですが、当初は全然興味わきませんでした。ごめん。



そもそも、題材がF1だってことすら“うぇぶ”を見ただけじゃわかんなかったしね。



ただ、つよっさんの役名見て「ん?」と。



「ニキ・ラウダ」って・・・へ? あのニキ・ラウダ? と思いました。F1にほぼほぼ興味のない極東の国のおばはんでも知ってるくらい有名なんだよねラウダさんは。



一方、ジェームス・ハントという名前は、ぼくはそのとき初めて知りましたよ。



そ、F1映画だったんですねこれが。



絶対マニアックなんだよきっと。オタ(F1の)だけしか喜ばないような、メカがどうの、レギュレーションがどうの、みたいな映画なんだよ(誰かさんの影響が悪いほうに作用/笑)・・・と、なぜか腰がひけまくりの極東のおばさん。



で、きんきっずらばーならば皆さまご承知のように、そんなマニアックな“あるお方”がそんな映画の吹き替えを。



あらまあ、嬉しいだろうな光ちゃん。ご祝儀に(おい)観にいこうかしら、吹き替え版だけ(おい!)



なんて思ってるうちに、京セラドームで、お二人が吹き替えをした一部分を見せていただくという栄誉に預かりました。



CGの使いすぎで逆にエヅラが安っぽくなる一方の最近のハリウッド映画ですが、これはちょっと違ってて、画質の重厚さ(というか、荒さっていうか)にちょっと「おっ!」と思い、そしてお二人がさかんに「単なるカーレースの映画じゃなくて、ヒューマンドラマなんですよ」とおっしゃっていたので、すこーしだけ興味がわいてきました(でも、この時点ではやっぱり「いやいや、カーレース映画じゃん」と思ってた)



年が明けて、テレビでちょっとずつCMが流れるようになって、「ヒューマンドラマだ」って部分をずいぶん押し出してるので、やっぱF1オタしか観にいかない事態になることを恐れてるのかな・・・しかしそれにしてもジャニオタ(自分もジャニオタのくせに!)にターゲットを持ってくるとは、ずいぶん的をはずしてないか?と余計な心配をしたり。



で、うっかり(←)こないだの日曜日、字幕版を先行上映で観てきてしまったのです(いや、うっかりじゃなく、わざとです。吹き替え版を観る前にまずは字幕で観たかったので)







本当にヒューマンドラマでした。



しかも、よくテレビスポットで観客がもっともらしく「感動です!」だの「涙が止まりません!」だのコメントしてるあまたのB級映画(ま、また毒が)とは一線を画した、本物の、硬派なヒューマンドラマです。



(実は正直、ストーリーにほんのちょっとだけ「これは狙いすぎやろ」ってとこはあったんだけど、ま、そこは特に気にならなかったです)



ロン・ハワード、お見事でした。(←偉そうなこと書いたけど、この人の映画を観たのはこれが初)



『フロスト×ニクソン』とか、『アポロ13』とか、この人の映画って、「アメリカってすげえだろ!」って言ってるみたいな感じがして(偏見)あんまり観る気になれないでいたのよね。



そか、考えてみると、今回の映画は、主人公たちはオーストリア人とイギリス人、舞台もドイツ、イタリア、日本(!)と、むしろ“アメリカ無視”の内容なのだ(ハント役のクリス・ヘムズワースはオーストラリア人で、ラウダ役のダニエル・ブリュールはドイツ人)



おかげでアカデミー賞からはシカトされたみたいですが(ち、違います!そんな理由じゃ・・・←)



ヨタ話はともかく、(ネタばれしたくないので、内容にツッコめなくてつらい)この映画の時代である1976年にはすっかりものごころがついていた(高校生でした!)くせに、

「初めて日本でF1の公式戦が開催されるんだよぉ!」

と大人たちが大騒ぎしていたのにまったくその騒ぎを覚えてないこのぼくが、その、富士スピードウェイのシーンでは、胸をぎゅ〜っとわしづかみにされました。いえ、痴漢にじゃなくて(←いいかげんヨタ話はやめろ!)





なんていうかね、雑誌で光一さんが言ってたように、



「男って、バカだなあ(いい意味で)」



と、強く思いました。



羨ましい“バカさ”というか。



そんなにも、何かに命をかけるって、バカかっこ良すぎるんじゃありません? と、あきれるような、感心するような。



ぼくは、「モテる人」をすぐ敵愾視してしまうたちなので(モテないやつのひがみ)、この映画のキャラクターとしては、ハントよりラウダの方がカッコいいと思った。気が強くて、自分が正しいと思うことをズバズバ言って、「あんた、そんなんじゃもてないよ」って言われても「けっ」(現実のラウダさんは、モテたみたいだけど)みたいにしてるのが、逆にかっこいい。











ちょっとネタばれするか。



ぼくが一番好きなシーンは、「いかにも泣ける」ところじゃなくて(ヒネクレてますので)、後の奥さんであるマルレーヌさんをナンパ(違います!)して帰る途中、ド田舎の畑のど真ん中で車がエンコして、地元の兄ちゃんたちの車をヒッチハイクするんだけど、マルレーヌさんは、このとき初めて会ったラウダを有名なレーサーだって全然知らないのね。なのに、車を止めたお兄ちゃんたちは「ニキ・ラウダだあ!」「ラウダが俺の車運転してる!」とおおはしゃぎするわけ。



この“温度差”が、まずおかしい。



そんで、田舎道を安全運転してるラウダに向かって、「あなた本当にレーサーなの?」って言うわけ。



「運転がまるでおじいちゃんみたい(にノロいじゃないの)」と。



するとラウダさん、以下略(←おい)



まあ、ありきたりな展開ではあるんですが、なんか好きですなあ、こういうの。



「うわあ、この女、今絶対ラウダに惚れたわ(笑)」とニソニソしてしまいました。



このシーンはあまりにできすぎているので、映画のフィクションではないかと思うんだけど、もし本当にあったことだったら、ラウダさんに「おっさん、やるじゃん」(←無礼者)と言ってやりたいです。







あとねえ、ブリティッシュ・エアラインのCAの制服は、本当にあんなにスカートが短いんですか? 本当に皆さん、仕事中あんな風に腰をクネクネさせて歩いてるんですか? と思いました(ゲスいですよ!ておどるさん)



生き証人の皆さんによると、ジェームス・ハントさんは、大げさでなく、半端なくモテたらしい。



見た目カッコよくて(もちろんヘムズワースの方がハンサムなんです、俳優だし。でも、ハント自身、絵に描いたような「マンガに出てくるレーシングドライバー」なのよね)、金持ちで、職業柄刹那的な生き方してて、酒、ドラッグ、女、暴言etc.不謹慎のオンパレードのクセに、レースの前には必ず吐いちゃうくらい繊細で(飲み過ぎのせいではなく?)、インコを飼うのが趣味とかいう逆萌え要素もあったりして。



現実って、ある種つくりごとよりも面白かったりするんだよね。







ここまでわざと書かないできたけど、この映画の一番のクライマックスである、ラウダがドイツGPで大事故を起こして死にかけて、たった6週間で復帰するなんてエピソードは、逆に完全にフィクションな映画だったら、「その話、嘘っぽくなるからやめよう?」って言われちゃうくらいできすぎてると思う。



でも、本当にあったことだから臆面もなく描けるし、説得力もある。



なんでそこまでがんばるの? って思っちゃうよなあ。(←つまりここに件の邦題が入るわけです)



たとえ死にかけても挑み続けたいモノがある・・・全人類の憧れですよな。



そこを、「ほら、すごいでしょ? 感動しなさい! さあ!」みたいに描いてない(と、ぼくは思った)から、この映画はすばらしいんだと思った。



レースの描写自体は、オタも大満足な再現力で、スピード感も半端ないし、観ながらG(重力)を感じて思わずぐぐぐっと力が入るし、バクバクするし。



だけど、そうやって画面がスピード感を増せば増すほど、ドラマ自体はゆっくりと流れるっていうか、「一瞬」をじっくりと噛み締めながら観られる。



これを、映画の相対性理論という(←嘘です)











もっといろいろ書きたいけど、完全ネタばれになっちゃうので、このへんで。



で、いよいよ本日より全国公開されまして、吹き替え版も観られるようになったんで、もう一回観てくるわけですが、“声”に照れないかどうか自分が不安です。←



これが最大の心配事なのよね。実際。



声の人の顔が浮かんじゃうのが、プロ声優じゃない人の吹き替えではよくある短所で。



ま、とりあえず“エアーあんあん”(←)を楽しみに。



新婚ラウダの「待て、こら♪」も、吹き出さないように(こらっ)気をつけて観てきたいと思います。


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