てくてくミーハー道場
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2014年01月26日(日) |
宝塚歌劇団雪組公演『Shall we ダンス?』『CONGRATULATIONS 宝塚!!』(東京宝塚劇場) |
(実はもう1週間経ってますが、久々の“てくてく日記”なので日時詐称で書きます)
いよいよ100周年イヤーに突入した宝塚歌劇団。
創立が4月なので、本当の100周年は次の次の公演である月組大劇場公演から始まる(100期生の初舞台)んだけど、とりあえず、「プレ100周年作品」ということで、例によって自画自賛(コラ)な歌劇団。
なにしろ自分たちで「コングラチュレイション!」ゆーてますから。
棘ですか? すみません。
いえ、そんなつもりは毛頭ございません。
この、臆面のなさこそ歌劇団の真骨頂。
清々しいじゃありませんか。(←やっぱり棘だろお前)
言えば言うほどドつぼに嵌っていきそうなので、この辺でやめます。
作品の感想。
『Shall we ダンス?』
映画はもう18年も前になるらしい。
ぼくも当時は今よりもよく映画を観ていたので、この作品もロードショーで観ています。
いい映画だった、という記憶だけはあるんだけど、実はストーリーの詳しい部分はよく覚えていない。←
おかげで、先入観(原作映画の方がいいに決まってる!という思い込み)なしに観ることができました。
その上で正直に申し上げますが、歌劇団の生徒(と演出家)って、ごくごく一部の“天然の喜劇人”以外は、ほんとにコメディが下手。
“軽演劇”ができない。
感動させたり、泣かせたりってのは、意外と力づくでできる。
でも、観客を心地よく笑わせるのって、本当に難しい。
演じてる生徒が好きだから、思い入れを込めて笑ってあげるぐらいはできるんだけど、本当に脚本や演出がツボに入ってきて笑える作品が、本当に少ない。
今回のも、結局それでした。
最後の、フェアウェルパーティでのヘイリー(映画では役所広司)とエラ(映画では草刈民代)のダンスは、さすがダンス(といっても、ボールルームダンスではないが)のプロのタカラジェンヌ、絵柄の美しさについうるっときてしまったが、芝居部分には強さが感じられず(脚本的にも、演技的にも)
だいたいがして、原作の映画では、世間的に見てもさえないおっさんおばさんたちが、ダンスと、仲間たちとのふれあいを通して、かわいらしく変化し小ぎれいになってゆく過程が芯にあったのに、ジェンヌは最初からみんなスマートだしきれいすぎるんだもんな。(映画で最初からきれいなのは、草刈民代とモックンだけである)
そんなの最初からわかってたことなんだけど。
正直に告白します。中間地点で、ほんの短時間ですが、睡眠をとってしまいました(つまりウトウト)
さて、ショー『CONGRATULATIONS 宝塚!!』
実を申しますと、こっちの方を本編の3倍ほど楽しみにしておりました(←何ですって?)
それもそのはず、事前にとてつもない情報が耳に入っていたからなのです。
それは、作・演出の“J-Pop大好きミーハー大ちゃん”(おいこら)が、今回劇中で、あの直木賞作家・桜木紫乃先生も絶賛の名曲「抱きしめてシュヴァルツ」を使用しているという噂です!
噂は本当でした。
例によってほとんど統一性のないショー(言いたい放題過ぎますよ、ておどるさん)の中で、修道院に突然降臨した“ビジュアル系教祖”(配役:早霧せいな。通称「キリセー」←嘘です)が、何の必然性もなく歌い出すのです。
しかも、フルコーラス歌うのです。
あまつさえ、この教祖様、髪がブルーと黒のツートンなのです。
歌広場淳さん、おめでとうございます。
いやあ、生きてると本当に面白いことに出会えますよね(他意はなし)
それはともかく、この曲の間中、おとなしく座って聴いているのがもー苦痛で(≧∇≦)
サビでペンライト振りたかったわよあたしは!(こ、こら)
迷惑になるからしなかったけどさ!(当たり前だ)
ギターソロはないし!(あ、当たり前だ!/焦)
それはともかく、正直、このシーン以外、あんまり覚えてないよ(←これは嘘)
今回、客席降りが3回ぐらいあって、ぼくの目の前にも、えりたん(壮一帆)やともみん(夢乃聖夏)が来てくれて、目の保養になりました。
いやー、衣裳がでかかった(そっちかよ)
そういえば、今回トップ様(えりたん)が、ある場面で“女装”なさって、おみ足出して銀橋を渡った気がするんだけど、あれは夢だったのかしら?(←そういうことにしとけ!)
まっつ(未涼亜希)より15センチ(大袈裟です)ぐらいデカい女役(鳳翔大)が存在感を放ってた気がするんだけど、幻だったのかしら?(そ、そういうことにしとけ/汗)
この他にも、大階段で「100」の人文字を作ったり、わっかりやすいところが良いわよね。(何でそうとげとげしいんだ!)
プロローグとこのシーンでの衣裳は、黒のシャツ+パンツに白いコートというかアウターが白衣にしか見えなくて、「医者の群舞?」と思ってしまったのだけど、ひょっとして名作『ジャンクション24』へのオマージュだったのかしらん?いやわかんないけど。
・・・まあ、大ちゃん(藤井大介先生)らしいショーでした。
久しぶりにてくてく日記を書いたのですが、我ながら構成力が落ちてて息が切れました。
ふぅ。
2014年01月24日(金) |
思い出したように野島伸司ドラマへの杜撰な考察 |
もうじき1月も終わってしまいますね。
何もなしとげられないまま、2014年も過ぎてゆくのだろうか。(←なにその青臭い感想?)
そらそうと、“例のギャバン”は結局未だに見つかってない。
先が長そうなんで(8箱の段ボールの他にも別室の天袋に600本(!)しまってあったことに気付いた)捜索は一旦打ち切りました。
迷宮入り確率1000%(by カルロストシキ)←わかる人だけ笑ってください
その代わり(?)、『ハルモニア』とか『人間・失格』とか見つけてしまって、収拾のつかないことになっておりんす。
さすがに通しでは観てないけれども、『人間・失格』については、思うところあって、完結篇をちょっと観返してみた。
というのも、最近、児童養護施設からクレームがついて話題となっている『明日、ママがいない』の脚本監修を野島伸司氏がしていると知ったからだ。
ぼくはこのドラマはまだ視ていないし今後も視る予定はないのだが、このドラマもやはり、「何かしらの問題をはらんでいる、ある社会的枠組みの中でのエキセントリックなストーリーを描くことを通して、その問題は決してその枠組みの特異性にあるのではなくて、実はその枠組みの外側である我々が生きている社会全体にこそそのタネが潜んでいるのだと気付かされる」野島作品らしさの典型ではないのかなという気がしている。
『家なき子』しかり『高校教師』しかり『聖者の行進』『未成年』しかりだったので。
だから、問題提起をした慈恵病院の憤りも分からないわけではないけれど、「最後まで視てほしい」と答えている制作者側の真摯さも、ぼくは評価したい。
しらけるのは、へっぴり腰もいいところのスポンサーたちだ。
制作者を信じて最後まで「提供」するぐらいの度量を持つ企業なら、ぼくは喝采したい。
逆に、熟考あっての撤退をはっきりと表明するんだったら、その態度も立派だと思う。
なさけねえと思うのは、番組側からもクレーム側からも責められないように、こそこそとうやむやな姿勢をとっているところだ。
こいつら、今後何か問題が起こったら、きっと同じようにフェードアウトするんだろうな、という印象をばっちり視聴者に与えたと思う。
野島伸司の脚本家としての力量は衰えていないところを『49』でついこないだ再確認したばかりだったので、今回の騒ぎではつい日テレ側に肩入れしてしまうのだが、まぁ、ちゃんとドラマを視てない時点でどうこうは言えないので、ちょっと横っ腹だけを攻めてみました(それもちょっとヒキョーじゃねえか?)
つうか、第二話から「脚本監修 野島伸司」のクレジットが出なくなったとか何とか。いやこれも実際に確認したわけではないので強く言えないが、おいおいそれってスポンサーに負けずへっぴり腰なんじゃ?
前半5話ぐらいまで非難囂々で視聴率も(当時としては)低かったにもかかわらず最終回の大団円までを描き切った『人間・失格』時代の、あの情熱はどこいったんだよ? ていうか、あれは伊藤Pの度量のなせるわざだったのかな?
てなことをちょっと思いました。
いやー今でも『人間・失格』は気楽にお菓子食いながら観れるような作品ではないです。
良く言えば、クサいものに蓋をしない、悪く言えば、露悪趣味なドラマなので。
救いは、ドラマの中心にいる約二名の少年の、神秘的と表現しても過言ではない美しさかしらん。へへ、うへへ、へっへへへ(←宮崎&新見以上の異常さ)
しかもつよっさんは、演技力も空恐ろしいほどの高水準でしたし。
彼よりはちょっとレベル下がるけれども、当時天才子役扱いされていた黒田勇樹君も、その名にたがわずすばらしかった。まさか、のちにあんな風になるとは(その話は今するな!)
他にも、“悪役”だったけれども、だからこそ演技力が必要だった反田孝幸、国分博、小橋賢児などの面々も、上記二人に全く引けをとっていない。
光一さんは、演技の方は他の生徒たちとドングリだったけれども、新見が狂わされるのもむべなるかなっつうレベルの神がかった美貌。なぜ当時のぼくは彼がこれほど綺麗なことに気付かなかったのか(気付かなかったんですヨ、なぜか)不思議でしょうがない。
あ、結局熱く語ってしまう。
いやほんとはこのドラマ、いじめ問題を深く掘り下げるとかいうつもりは制作者側には全くなく、ただひたすら「異常な人たちが崩壊していく姿」を描きたかっただけらしいのよね。だから“人間失格”という太宰の小説と同じタイトルを最初につけたらしいのよね。って、上の方で書いたことを全否定しとるやないか!
まあ、テレビドラマを視て何を感じるかは、実に視聴者それぞれ。
露悪的なドラマを視ても、そこから真摯な何かをくみ取れる社会であってほしいと思うのですぼくは。(←無理やりまとめるために、なんとなくカッコいいことを書いてみました)
え〜と、捜索再開は今のところ未定であります。以上で記者会見を終わります。←
あれ、もう軽く二週間を超えてしまったか。
皆さん、あけましておめ(←遅い!)
う、すみません。いつものことで。
えーと、何があったかね?この二週間(記憶力減退)
年末年始のKinKiコンに行き始めてから(初めて行ったのは1998年12月30日の「記録がスタートした日」なんだけど、ぼくの人生のイベント上の事情で中休みがあって2002年12月30日から再開。ただし、1月1日は家族孝行と高倍率のため毎年最初から諦めていたが、2008年に事情が変わったので挑戦してみたら見事当たってしかも伝説に残る“あの”事件が起こった「Φ」コンだったので、それから病み付きになり元日にも行くようになりました)、ぼくっていう人は、正月はKinKiのことをぼーっと考えながら廃人になって過ごすのが通年のならい。←
今年も、正月休みが終わる5日ギリギリまで、そうやってひたすらぼーーーーーーーっと過ごしました。
だってステキすぎたんだもん、二人が(T-T)
で、いつまでもぼーっとしてられないので、仕事しながらゆっくりゆっくりリハビリして、空いた時間に年末年始の特別番組の録画を編集しようと観始めると、今度はゴールデンボンバー出演の番組にやたら長時間のものが多いため、それに時間をとられる。
こんなことを一昨年からやってますね。
ダメなやつですね。(わざわざ書くまでもない)
んで、今は毎日、VHSビデオが入った段ボールが8箱置いてある六畳間で、必死に、
「光一さんが『宇宙刑事ギャバン』の主題歌を歌った『LOVE LOVEあいしてる スペシャル』」(1997年7月のFNS27時間テレビ内で生放送)
が入ってるテープを捜している(ダメなやつですね!)んですが、これが見つからない。
もしかしたら、録画失敗してたのかもしれない(1997年て、大事な年にもかかわらず、やたら失敗してたので)
なんで今頃そんなのを捜しているのかと言えば、1月6日放送の『ジェネレーション天国2時間スペシャル 憧れの変身ヒーロー』で、P(山下智久)が、「ギャバンと光一くんの思い出」(笑)を語っていたので、つい懐かしくなったからなのだ。
ぼくは年齢的に当時『ギャバン』のことを全然知らず、1998年の横浜アリーナのKinKiコンでも光一さんバージョンを聴いていたはずなのに、全然記憶にないのが長年悔しかった。
数年前にやっと、このカッコいい主題歌(串田アキラ様のオリジナルバージョン)をフルで聴いて、大好きになったどころか、自分でも歌詞を見なくても歌えるぐらい(オイ)ちゃんと覚えたので、改めて光一さんバージョンを聴いてみたい。
まあ、もし録画してたつもりが失敗してたんだったら、今かなりムダな作業をしてるわけだな。
でも、おかげで5年間「ただ場所とってるだけの段ボール箱」として邪魔者扱いされていたものが、宝の山だった(ぼくにとってだけだが)てことが少しずつ証明されているので(『金田一少年の事件簿』「蝋人形城殺人事件」を、18年ぶりにじっくり視てしまった/汗)、あながち徒労でもないかなと(^^ゞ(いや、ほとんどムダな時間の使い方だろ! by つれあい)
いや〜しかし、VHSビデオってけっこう長持ちするのね。
18年前の録画が、輪郭ボケボケはしょうがないにしても(ビンボーだったので、全部3倍速で録ってた)、未だにちゃんと再生できるんだもの(S-VHSに録画してたものは、今でもキレイだった)
DVDとか、危ないらしいからな。出始めの頃のCMでは、DVDに録画したものは百年でも残るような宣伝をしてたけど。
まあ、壁をゴリゴリ削って描いた絵は万年単位で残る(遺跡の壁画とか)んで、実はアナログ最強なんですよな。
つまり、このアホアホ日記も、デジタルの仮想空間上に存在している以上、ある日ぱっと消滅する運命(過去のぼくの日記も、2005年から2年分ほどは、ぱっと消滅しましたし/涙)なんですなあ。
というわけで、@DIARYさん、明日(18日)の昼からメンテナンスに入るそうです。
19日の夜ぐらいまでかかるらしいです。
ぼくがテープを発見したら、喜び勇んで20日ぐらいに更新すると思いますので、みなさまその間、楽しい週末をお過ごしください。( ´‐`)ノ
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