てくてくミーハー道場
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2013年03月27日(水) |
『バグズグバリュー〜even more BURSTING〜』(天王洲 銀河劇場) |
Bugs Under Grooveというユニットのことは、よく知らずに行きまして。
そういや記憶にあるのが、ガウチ君(中河内雅貴)のワンマンパフォーマンスを観に行ったとき、振付と演出を、この「Bugs」のリーダー・Tetsu君がやってたんだよなーと。
そんくらいなもんだった(後になってBugsのメンバーのバイオグラフィー見たら、今まで観たことある公演に結構出てた。記憶してなくてゴメン)
何で観に行ったのかというと、ぶっちゃけ、「おつきあ○」(←バレバレ)でした、ごめんなさい!
でも、とっても満足でしたよ。
プロローグは、メンバーのことを知ってるお客さんじゃないと分からないような、若干内輪受け気味のメンバー紹介的演出だったので、「どうしよう、困ったな(汗)」と思ってたんだけど、公演が進むにつれ、もう、みんなカッコ良くてね(*^^*)
ダンスユニットなので、ダンスダンスで場面は進んでいくんだけど、合間合間にミニ芝居のようなものが入る。この部分の脚本は、若干弱い(特にギャグが)かな? と思ったのですが、メンバーのキレッキレのダンスを見てるだけで、なにせ「運動神経のいい男子が玉嶋屋の玉羊羹(ふぐすま人にしか解らん!)並みに好物」なおいらのこと、終始とろっとろの至福な時間を過ごしてしまったのでありました。
そうそう、今回は三人のイケメン若手俳優さんがゲスト出演していて、ごめんなさいぼくは初めて拝見したと思うのだが、丘山晴己くんと、なぜか名前だけは何度も耳にしてたのに(2012年にブレイクしそうな人・グループの中に、ゴールデンボンバーやももいろクローバーZと並んでいつも名前挙げられてた)実物は初めて見る松下優也くん、そして、“殺陣”のある芝居でちょくちょく印象に残っていた市瀬秀和くんという顔ぶれ、彼らもお目当ての一つでした。
印象に残ったぼく的名場面ベスト3は、
「マイケル・メドレー」:「Michael Jackson THE IMMORTAL World Tour」への挑戦状か?(こ、こら?)いやだって、“ゼロ・グラヴィティ”やってたよヾ(@∇@)ノ特許特許(←)
もちろん、地のダンスもキレッキレ。キレッキレ×8。
とにかく全員がダンス上手い。なんだこの贅沢。
とはいえ、ぼくはやっぱし、リーダーTetsu君に最も目が釘付け。
やはり・・・アレか?(“アレ”とは?)ぼくの、「運動神経のいい背の低めな(なぜ強調する?!/汗)男子が、ハウスバーモントカレー並みに大好物」という趣味嗜好のせいなのだろうか?
と、反省(?)してはみたが、いや、そればかりではなく、Tetsu君のグラン・ジュテが、とにかくカッコいい! それにつきる! と思い至ったことであった。
「市瀬の居合」:ほ、本身!(◎_◎;)(本身=本物の刀すなわち真剣)
す、すごいのねこの人。
なにしろ本身ですから、取扱いも真剣(ダジャレではないです)そのもの。
こうでなくてはいけませんね。『Endless SHOCK』みたいなズサンな(←今関係ないでしょお!/怒)
そして再確認。ぼく、この人の声、好きだー(*^-^*)何とも言えず、セクシ可愛い
「女々しくて」:なぜか踊らせていただきました!(≧∇≦)金爆ライブまでまだ大分あるのに
ちくしょう、悔しいが、楽しかったぜ(^^ゞ
という具合でした。
このテの(?)グループとしては、ぼくら世代だとCONVOY、もっと若いところでは、今や最大人気を誇るDIAMOND☆DOGSなどがいますが、Bugsはさらに庶民的な(こら)雰囲気があって、若めの女性客の心の潤いになっている感がしました。
楽しかったです。(このブログの記事のカテゴリーに「ダンス」と「イケメン」てのを増やそうかな?)
2013年03月21日(木) |
『ベルサイユのばら―オスカルとアンドレ編―』(東京宝塚劇場) 〈みりオスカルver.〉 |
再確認した!
ワシはみりおびいきだ!←何を今さら
・・・いえ、一応控えめに言わせていただきました。
本心では「まさおがダ○コンであることがはっきりした!」と書きたかったです。
そんだけ二通りの“オスカル”には差がありすぎました。
ぼくは、これまで何通りだか忘れたけど、けっこう網羅してるよ?『ベルばら』。
テレビ放送で視てるのが半分以上だけど。
1974年の初演から、ノーカットではないところが悔しいけど、一応ほとんどのパターン観てるよ?
そんな中で、バスティーユでオスカルが死ぬところで今回初めて泣きました。
なんて美しく凛々しい“みりオスカル”の軍人ぶり。
その清々しいまでの覚悟と愛国心に泣いた。
オスカルは、こうでなくちゃいけなかったんだね。初めて実感したよ。
過去、凛とした、男役らしさ完璧のオスカルは何人もいた。
そうでないオスカルも、若干いた。
だが、「軍人らしい」オスカルは、みりオスカルが初めてだった。
(ここで言い訳のようなことを書きますと、わたくし、悔しくてたまらないことに、紫苑ゆうさんと安寿ミラさんのオスカルを観ておりません。この二人が平成ベルばらの中では空前絶後だったと聞いております。ちくしょおぉおおお!←)
お父ちゃんにひっぱたかれるシーンとかは、みりおもよろよろしていて、「あ、やっぱりこういう演出なんか」と諦め感があっただけに、あの絶命に至るまでの「私はフランスのために戦う!」というきりきりと張りつめた弓の弦のような緊張感あるオスカルに、あっしはもう滂沱の涙を抑えきれませんでした(;;)
その分、「今宵一夜」はあまりにも色気なく、まぁこれはアンドレの責任も大(よしなさいよ、もう/涙)
まあ、とにかく言いたいことはこれだけ。
他の人は覚えてません(←待ちなさいって!/汗)
あ、そうだ。
今宵一夜と言えば、その前のシーンで、オスカルが、
「あ、星が流れた!」
というセリフ、今までのどのオスカルよりも“ちゃんと星を見て”言ってました。
台本に書いてあったから言ってるんじゃなく。(←何その意地の悪い書き方?)
たぁたんのアンドレが、「星がきれいだ〜!」というこっぱずかしいセリフを、アンドレ史上初めて“ちゃんと星空を見て”言ってたのと同じ。
あのセリフを聴いたとき、本当に星空が見えたからね。
よくコントっぽくマネされる「タカラヅカ芝居」を、未だ本当にやってる生徒がほとんどの中で、たまに“本当の芝居”をしてると思える生徒がいます。
ぼくにとって、みりおはその一人なんです。他にも何人かいますが、それはまた別の公演の感想で書きます。
春先に病むといえば、昔から「木の芽時」とゆーて、精神のバランスを崩す病が第一義だった。
だが最近の日本人にとって、「春の病」といえば、もう既に“生物兵器”なんじゃないか? と確信したくもなるような、花粉アレルギー。
ぼくも今年は絵に描いたような重症で、もう何日前に発症したか思い出せないほど毎日つらい思いをしています┓(;_;)┏フライングゲット(←違)
頭にすっぽりとコンビニ袋をかぶって歩きたいくらいだ。
別の春の病に間違えられるからやんないけど。
まぁ仕事も忙しいし、日中はずっと建物の中に籠っているからまだいいんだが、通勤がつらい。
電車は、絶えず人が乗ったり降りたりして空気がかきまぜられるから、一駅ごとに生物兵器の攻撃を受ける。
苦難の1時間(往復2時間)であります。
そんなわけで気力もなく、前回エントリした東京宝塚劇場以来、てくてくしたのは2か所のみ。
感想を書く元気も若干なかった。
そして今、土曜日出勤をようやく終えて、明日は待望の赤坂歌舞伎。
でも感想は書けそうもない(別になかむら屋不在の愁嘆のためではなく、帰ったらたくさん家事が残っているから)
ああ、帰ったらHDDの中が満杯なんだろうな。
数日前にも、うっかりしていて残量不足で、『百識王』が途中で切れてたっけ(つうか、『百識王』まで録画しているというジャニーズ八方外交っぷりをそろそろ改めろよ)
気をつけなきゃ。
・・・やばい、今日はもしかしたら『金爆一家』が危ない!←
そういや今週は、金爆がらみの芸能ニュースがやたら飛び込んできたな。
“秋の葉っぱ”(ギャ用語で“うパーラー”)の方は、ぼくはまだ静観中なんですが(どうか、混雑が解消されてぼくが「行ってみっか」と思い立つ日まで営業していますように! 祈!not閉店!←喜矢武さんの祝花のパクリ)、毎年感激させてくれるキリショーのホワイトデー動画の方は、丸3日で10回ぐらい視てしまいました(もっと視てる人もいるだろうけど、一応あたくし、仕事が立て込んでたので(^^;))
喜矢武さんの誕生日に関しては、ブログのコメント数がどんだけ増えるのか、1日3回ぐらい確認した(でも、去年から爆発的に増えたわけでもないな・・・去年は「売れたなー!!!」と驚愕したぐらい前年比増がすごかったけど。・・・まさか、1万2千人が喜矢武豊のリミッ/略)
研二関連では、ブログ本か。
去年は(これまたぼく自身の熱意のせいで)発売後1か月ぐらいして買ったんだが、今回は事前予約するか。
本なのに「初回限定仕様」があるらしいし。
・・・まぁ、初版本には確かに価値はある。あるが・・・(いやなこと言いたくないので以下略)
いやそんなことより、早く帰って『金爆一家』を無事録画できるようにHDD内を掃除しなければ。
20日にはニコ生があるし、ここ数日は金爆に熱意を注ごう・・・って、そうだ! 研二が『新堂本兄弟』のレギュラーになるんだよな!!!
これが一番びっくりだったわ今週の金爆ニュースの中で。
嬉しくないわけではないけど、正直、ちょっと、なんか・・・表現できない気分。
「あんた、カレー好きだよね?」
「大好き!」
「納豆は?」
「毎日食卓にないと怒る!」
「よし、じゃあ、カレーに納豆かけてあげたよ。たくさん食べな」
「えっ・・・・・・・・・・・・」←今ここ
という気分です。
結局さ、ライブという本業から遠ざかってるモヤモヤなんですよね。
(とはいえ、ぼく自身、彼らをライブで観たことなんてほんのわずかしかない。99%パソコンモニターの中でお逢いしてるのだが)
きんきっず兄さんたちみたいに、年にわずか5日間しか逢えない、織姫彦星みたいな状況がデフォルトになるなんていやだぞ?
・・・あっ、まじで早く帰らなきゃ。
2013年03月08日(金) |
『ベルサイユのばら―オスカルとアンドレ編―』(東京宝塚劇場)〈まさオスカルver.〉 |
予定通り連日満員御礼でごんす。
いやー、安定のドル箱だねベルばら。
(こういう書き方するということは・・・)
はい、お察しの通り、必死になってとったチケット代が、高く感じられる出来でした。
オブラートに包めません。(←おお、かなりご不満のようだね)
まぁ今回に限らず、ベルばらを観ると毎度思うのが、
「この芝居を最後までくじけずに観れるかどうかで(オイ/汗)その人がタカラヅカの客になれるかどうかが決まってしまう」
ということ。
そんだけ特殊すぎる演目なんです。
そして、その特殊さの中に、「ザ・タカラヅカ」のエッセンスが凝縮されていると言っても過言ではない。
ベルばらに比べれば、他の演目なんて楽勝なんです。(えっ? おい)
これほど変で、これほどタカラヅカそのものな演目はないんです。(あのー・・・その辺で・・・)
というわけで、今回も安定の「お貴族様方の過剰な敬語」「上品なんだか下品なんだか不明な平民野郎言葉」「キャッチボールになってない会話」「どこかがズボっと抜けてるような展開」満載でお届けされました。
オスカルはやたら女、女と罵られ、いつのまにかアンドレはイケメンと呼ばれ(いや確かにイケメンだけど。原作でも舞台でも)、価値観が18世紀なのか70年代なのか21世紀なのかカオスでした。
でも、ま、それは一応受け流した。『ベルばら』ってそんなもんだ。そう覚悟して行ったのだ。
実は、今回とてもがっかりしたのが、まさお(龍真咲)の役づくり(本日はオスカルでした)だった。
ぼくはここ数年ちゃんとタカラヅカを観ていないので、まさおがトップになる前に出ていたバウものとか一切観ていないし、本公演でもあんまし注目してこなかった。
思ってたよりだいぶ演技力のない子だったのかもしれない。
歌はそこそこうまいので(鼻づまり声だが)、ある程度好感は持っていたのだが、こんな(←キツいですよ?)程度だったのか。
残念だ。
オスカルだからって、心もち女っぽい声でやろうとしていたところが、すでにこっちの感覚と合わない。
これまであまたのオスカルさんたちの中で、概して観客からも批評家からも評判が悪かったのが「女っぽいオスカル」だったので、これはぼく一人の感覚とは言えないと思う。
なぜオスカルは男役が演るのか、わかりきってると思うのだが。
アンドレやジェローデルと会話する時でも、オスカルは「男役の発声」でやってかまわないのだ。
いや、そうすべきなのだ。
それが「オスカル」なんだ、ってことをわかってない人には、トップだろうが(怒りにまかせて酷いこと書きそうなので、自主規制)
まぁ、オスカルがおとっつぁん(ジャルジェ将軍)にビンタされてヨロヨロ倒れるなんて芝居をつける演出家だから(えっと・・・まさかこれは長谷川演出ではあるまいな・・・おいら、大変な人を敵に回してるのかな?)、まさお一人の罪でもないのかもしれないが。
そういやこのシーンでは、たいていのオスカルは倒れてた。倒れなかったのは、ぼくが過去最高のオスカルだと思ってる稔幸オスカルと真矢みきオスカルぐらいだったかもしれない。つうか、ぼくは全部のオスカルを観てるわけではないし、このシーンがなかった人もいた。その中にも良いオスカルはいた。
閑話休題。
まさおのオスカルはとにかく女々しくて、ぼくはやんなってしまった。
倒れるといえば、バスティーユで倒れるところも変だった。
すんごくわざとらしいのだ。
これも演出なのか、単純にまさおの身体能力のせいなのか、ぼくにはわからなかったが。
いちいち「ナニコレ?」と思ってしまうオスカルだった。
そんな中、救いはみりお(明日海りお)アンドレであった。
え? 単純にひいき心理だろうって?
ええ、みりおびいきですよあたしゃ(←開き直り)
だって芝居うまいもん。(これまでのアンドレで一番てわけではないが)
歌もうまいもん。(これもこれまでのアンドレで/以下同)
ダンスは(←おい!/焦)
・・・それはともかく、何の伏線もない植田脚本(ご、ごほ)という大ハンデの中で、ひたすらオスカルを愛し、失われていく視力と戦うアンドレ。そのいじらしいまでの男の純情を、よくぞ演じていたと思う。
ぼくは、アンドレ&オスカルのシーンでは、「今宵一夜」よりも毒殺未遂のシーンの方がぐっとくるのだが、今回みりおのアンドレにきっちり泣かされた。
自分にはオスカルを愛する資格がないのかも・・・という気持ちがよぎる瞬間のアンドレの悲しみが、
「これからは・・・」(ここで「おれじゃなくジェローデルが」という続きのセリフをぐっとこらえる)
という、途中で切れてしまうセリフに込められている。
胸に迫るものがあった。
充分合格でしたよ。
みりおのオスカルがはよ観たい(あ、やっぱり両方観るのね?)←当たり前じゃあないか!
んで、今回儲け役つうか、当人の実力をもってすれば当然という良い役だったのが、アラン。
マギー(星条海斗)、ほんまに骨太(太いのは骨だよっ!←わざわざ断るな!)で、見事な荒くれ野郎っぷり。
ふつうアランが「女のくせに」を連発するシーンでは、「お前も女じゃ!」と心の中で突っ込みたくなるタカラヅカあるある(?)であるが、マギーが言うと、「へー、おっしゃるとおりでございます。貴方様は、いよっ、男の中の男!」(←コラ)と思ってしまうのであった。
もちろんこれは賛辞である。
あんな大男(おいおい)相手に、なぜ勝てる? なよなよオスカル(もう、やめて/涙)
でも、アランの妹ディアンヌとの悲しいエピソードは丸ごとカットであった。ディアンヌ自体出てこない。
まぁこれは仕方がない。時間がないうえに、話の軸がぶれてしまう。
だいたいディアンヌどころか、トップ娘役のちゃぴ(愛希れいか)は、とりあえずロザリーという、オスカルアンドレ編でのヒロイン格のお役を頂いておきながら、ロザリーがらみのエピソードはほとんどカットというむごい仕打ち。
フィナーレでぶいぶい踊るところしか(しかも「ボレロ」踊ったのはまさみりだし)見せ場がありませんでした。
歌劇団の男役偏重は相変わらず甚だしいですな。
とはいえ、今回のバージョンでは、ジェローデルも、ベルナールも、フェルゼンも、みぃんな役不足。かわいそうだがそういうバージョンなのだから仕方がない。
まぁそこが“タカラヅカのベルばら”なんですけどね。
オスカルとアンドレとアランの次にでかい役は、ブイエ将軍であったな(笑)
「後でオスカルを私の部屋によこしてください」
なんて、何をする気なの将軍!キャー!(←おいっ!/怒)
ふ、ふざけてすみません(心より反省)
えーと、最後に二つ満足したところを書いて締めます。
ばあや(憧花ゆりの)、良かった。
ばあやって、未熟な生徒だと、わざとらしいワンパターンな年寄り芝居をして白けてしまうんだけど、すーちゃんは上手かった。
ぼくにとっては、専科の京三紗さんのばあやの次に好きなばあやでありました。
あと、まさみりの歌声は声音が似ているせいか、「愛あればこそ」のユニゾンといい、ハモりといい、聴いていてとても心地よかった。
ここまで声が似ているデュエットは過去なかった気がする。ベルばら以外でも。
あ〜あ、せっかくのこの黄金のハモりが、次回公演から聴けぬとは(みりおが組替えになるので)
まあ、これでみりおのトップ(えーと、今も1.5番手なんじゃなかったっけ?)が近づいたわけで(あれ? そうなのかな・・・?)、喜ばねばならぬのかもしれんが。
・・・いやいや、そういうことで一喜一憂するのはやめよう。
大事なのは地位階層ではない。やりがいのある役に当たるかどうかだ。
つうか、どんな役でも「この人がやると良い役になる」ってのが理想なんだよね。
なのでこれからもぼくは、みりおはもちろん、みっちゃんも力いっぱい応援することを誓います(い、今みっちゃんは関係ないじゃないか!)
2013年03月02日(土) |
G2produce FINAL『デキルカギリ』(本多劇場) |
ストーリーにはミステリー要素があるので、あまり詳しく語れません。
が、簡単に感想を書けば、実にG2作品らしく、退屈しない作品でした。
途中、題材的に「おおっと、あやうくないかな〜? これって(冷汗)」と思う部分もあったんだけど。
出演者たちが皆達者で、それらの点では全くハラハラしないで済んだところが嬉しい。
詳しいことは明日追記(←わあぁあ〜、またか?このフラグ)
明日もシモキタだ。
『金爆一家』を視たら即座に寝よう。
2013年03月01日(金) |
『LesMisérables〜レ・ミゼラブル〜』 |
アン・ハサウェイが、ゴールデングローブ賞に続いてアカデミー賞の助演女優賞とりました。
もちろん封切り前から楽しみにしていた映画なんですが、なんやかんやで今日やっと観に行けました。
デカいスクリーンで、良い音響で観たいので、大き目の映画館へ。
封切られて2か月以上経ってるのに、見事に混んでいた。
で、映画版の感想です。
いきなり興ざめなこと書いてしまって申し訳ないのだが、これって、映画にする必要ってあったんかな?
いや、すばらしいんですよ? 映像も、出演者(のビジュアル、演技力、そしてもちろん歌唱力)も。
でも・・・だからこそ、かな?
これって、舞台用じゃん。
脚本も、音楽も。
むしろ、舞台で観て聴くからこそ、沁み込んでくるというか。
映画って、いわゆるスケールとディテールの映像芸術じゃないですか。
一方、舞台って、リアルなのになおかつ大雑把さが許されるところが良いというか。
細かいところなんかどうでも良くて、登場人物たちのカツラのラインがばればれだろうがかまうことなくて、そのくせ、映画なら“映ってない”はずの出演者も、舞台上にいる限りは絶対に気が抜けなくて。
観客が気にするところが、全然違うんだよね。
映画では、舞台では絶対にできない「雪山の稜線を歩いてきたジャン・バルジャンが朝日を見つめる」「パリのはるか上空からジャベールを見下ろす」なんて技もできる(今回の映画、やたらこういうカメラがはるか上空にパン――てシーンが多かった。ちょっとくどかった)。ジャベールが自殺するシーンも、本当に高い高い橋から川に落っこちる。
今回の映画では、そういう「スケール感」の押し付け(こらこら/汗)が若干気になったのぼく。
特に最近では、こういうのCGじゃん・・・。ありがたみが薄いのよ、逆に。
で、「ディテール」になると、今度は当時のフランスの最下層の人間たちの汚れっぷりがすごい(アカデミーではメイクアップ賞もとったのよね)
バルジャンがマリウスを助けるシーンも、これでもかってくらい汚い下水道の中を這いずり回る。
本当にシラミがわいてるような乞食たち、土埃や泥水だらけのパリの下町。
舞台では、大金持ちと貧乏人の衣裳は、遠目でのシルエットで差をつけているにすぎないのだが、映画では、それぞれの服の質感、見た目の清潔さの差をくっきりとつけている(といっても、もちろんあの汚れは“ヨゴシ”っていう加工なんだろうけど)
ファンティーヌの落ちぶれっぷりも半端じゃない。
ファンティーヌがかもじ屋に売るために髪を切られてしまうシーンは、アン・ハサウェイのリアルロングヘアを本番一発で切ったのだそうだ。
そういう“女優魂”エピソードはみんな大好きだが、ぼくはそれより、やはり彼女の「I Dreamed a Dream」に感動いっぱいだった。
テレビCMでもこの曲のさわりが使われてるし、あそこだけ見ると、なんだかやたら過剰演技に見えて「なんだかな・・・」と思ってしまうのだが、今回映画でフルで唄ってるのを聴いたら、そらもうえらい魂のこもった唄いっぷりなのである。
聴きながら途中で「おおお〜っっ!!!」と思ったのは(注※ここネタばれですっ!)フルコーラス、ノーカットの長回しで撮っているのである!!!!!(やたら「!」が多くありません?)
すなわち、このシーンには、すばらしく舞台的な高揚感があったと言える。
舞台オタク的感想でごめんなさいね。
翌日追記。
この「I dreamed a Dream」の歌唱、よく思い出してみると、舞台版と場所が違っていて、舞台版(前回演出までの)では、ファンティーヌが工場を追われてすぐに歌っていたのが、この映画版では、散々落ちぶれて娼婦になってから歌っているのだった。
これにより、ファンティーヌの心情がすっかりどん底に至ってから歌っているので、このナンバーの心情が完璧に観客に伝わるという効果があったのだと思う。
あれ? これもネタばれかしら?
今回、これに似た効果というか、むしろ逆効果になってしまっていたのは、エポニーヌが歌う大名曲「On My Own」で、そもそもエポニーヌの役の大きさが、舞台よりもかなり縮小されていて残念だった。
マリウスのために大活躍する印象のある舞台版のエポニーヌだが、映画版(というか、原作どおりなのかも)ではほとんど、運命の逆転劇に翻弄されるか弱くかわいそうな女の子である。
まぁそれでも、見る人によってはコゼットよりもエポの方がヒロインとして印象に残るケースもあるようだが。
あとそれと、『レミゼ』とゆうたら、上記のヒロインたちをさておいてでも、ジャン・バルジャンとジャベールの対立関係が鑑賞のメインだ、という観客もいるくらい人気キャラのジャベールでありますが、今回の映画ではどハンサムなバルジャン(これはヒュー・ジャックマンのお手柄だ)に対して、いかにも権力側のブルドッグのようなおっさんジャベール(これはラッセル・クロウのせきに・・・ごほごほごほ)、しかも歌唱力も少々劣るのだった。
だが、ぼくは舞台版でのバルジャン vs ジャベールの構図が、年々ミューオタ好みの“キャラ対決萌え”みたいになってることが若干気になっていて、二人ともおんなコドモ好みの美形キャラみたいになることをあまり良しとしない。
正直、「STARS」は作品中で浮いてるナンバーだと思ってるくらいだ。
あの曲は、作品中どうしても必要なものというよりも、“ジャベール役の俳優が、他の役の人たちと同等にスター役者だと客に教えるための”ビッグナンバーだって気がしてならない(←ヒネクレてますね)
クロウの歌唱力の弱さが、その考えをますます強めてくれた気がしている。
そんなわけで(どんなわけなんでしょうか例によって)、どうせこんなにお金かけて豪勢なセット、豪華なキャスト、衣裳やヘアメイクをそろえたのなら、内容もリアルに、重厚な仕立ての「本格的大河ドラマ」にした方が“映画”という芸術作品の特性を活かすことができたんじゃないかと思ってしまったのだ。
まあ、以前に何本も作られてるから、「今さら」というのもあるのかもしれないが。
ぶっちゃけぼくが今回この映画で何度も泣いて、ラストシーンは思わず立って拍手をしたいほど感動したのは、結局音楽が良かったからで。
だったら、帝国劇場で生演奏・生歌を聴くほうが、やっぱり満足度が大きいのであって。
(確かにオーケストラは、帝国劇場で上演している東宝オーケストラの皆さんよりも贅沢な編成だったかも知れない。でも言ってみればこれ、録音だもんな。当たり前だけど)
いやー『オペラ座の怪人』と全然違う感想でごめん。
映画自体の出来は、大して違いない(というか、『レ・ミゼ』の方が評価が高いみたいだ、なんとなく)のにね、なぜなんでしょうね。
舞台版へのぼくの思い入れの差かしら?
まあとにかく、帝劇版のオープニングが、待ち遠しいことでござる。
新演出だしな。
あ、ただ、これだけ一言。
ヒュー・ジャックマン、まったくええ男やったわー。
ステキ♪(←なにこの気の多さ?)
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