てくてくミーハー道場

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2012年12月31日(月) 年越しイチゴ

今夜聴いた「停電の夜には」を、ぼくは一生忘れないでしょう。



ただ、ただそれだけを伝えたい2012年12月31日。



なんと素晴らしい歌声だったことか。



自分もジャニオタのくせにまたもや申しますが、ジャニタレ(おい!)の歌で感動して泣くなんて、〇年前なら有り得なかったですよ、ほんまに。

とにかく、これでぼくの2012年は一片の悔いもない年になりました(ちょっと嘘。「雪白の月」は、まだ期待値に届いていなかった。でも光一さんの声が上り調子の今、明日に大期待)

いやー、KinKiオタであることを誇りに思いますよ。



さて、これからカウントダウン。←すごいね、アナタ(呆)





『紅白歌合戦』ちゃんと録れてますように。←舌の根も乾かぬうちに(呆)


2012年12月30日(日) イチゴの第3夜

第2夜の後、更新するヒマもないまま後半戦に突入。





さあすが俺のKinKi(←阻止。)

中5日でカンペキに仕上げてきましたよぅ(ノ_<。)感激の涙

つよっさん、なんてツヤのある歌声でしょうか。

光一さん(音程ゆらゆら帝国は“仕様”だと諦めます←おい/怒)、なんて愛らしい邪悪王子っぷりでしょうか。



これぞ、おらが愛したきんきっず

そして今回、お席(京セラでも東京でも、ほぼ正面の天井席です)のせいか、ドームのわりに音響が良く、コンサートとしても満足感のあるものでした。

もうネタばれしますが、今回のコンサートは、巨大なイントレがグラウンドを縦断、それに二人やバックダンサー(ふぉーゆーとThey武道とやらっち、女性ダンサーの皆さん)はおろか、バンドやストリングスまで、出演者全員が乗って移動する、という「動く楽団ビル」状態の演出があります。

『J』の時には、バンドごと乗っけて移動してましたが、今回はストリングスまでも。

これで気になるのは、いわゆる「音の発生源が移動すると起きる」ドップラー効果。

『J』では一回だけぼくはアリーナに入れまして、ドラムの生音が横を通り過ぎるのを耳にして、奇妙な感動を覚えました。

でも、ドップラー効果は起きなかったな。

あの程度の距離だと起きないのかな?

さらに、今回、メインステージから一番遠い席にいて実体験できたのは、音源が200メートル移動しながら近づいてきても、例の「ステージとスタンド席の音のズレ」は解消されないという事実でした。

考えれば当たり前で、ぼくら聴衆が聴いているのは、彼らが出している生音ではなく、ステージの背後や横に聳え立つ巨大なスピーカーから出る音なのである。

ミュージシャンたちがどの位置にいようと関係ない。

音はやっぱり240メートルの彼方から発しているのである。

なので、ほとんど目の前にいるのに、やっぱり音とダンスがズレていて、寂しい気持ちを味わいました。

手拍子がズレるのが、ほんとモヤモヤするんだよね。



それにしても、この「建設途中のビル」みたいなイントレの高さたるや、真面目にすごい。

Love Fighterさんが、逃げ出さずに(当たり前!・・・と言いたいところだが、やわなやつだったら、まじ逃げてるぞ? 何だかんだ言って、ヤツは男だ。惚れる)乗ってること自体に、感動の涙を抑え切れません(←ややover)

本日、彼らが最初に天辺まで上った瞬間、何ともいえないどよめきが起こりました。

歓声じゃないんです。まじで、「うっわっ・・・お((((('-')))))」って感じだったんです。

しかも後半では、そのビルの中を、曲ごとに細かく移動しつつ、ダンスまでするという過酷さ。

さらに今日なんて、光一さんが、ダンドリを間違えたかで、上に向かって移動しているイントレの階段を降りそうになって(!!!!!!!)、フクちゃんに慌てて止められていました。



フクちゃん、ありがとう(T-T)

アンタがいなかったら、大変なことになってた(泣)

2012年一番肝を冷やしました。

お願い光ちゃん、無事に34歳になって!(祈)





そんな吊り橋効果(?)もありつつの、今回のコンサート。

何だかんだ言って、彼らを観ているときが一番うれしいたのしい大好きなんだなぁ。

と、改めて感じました。

おかげで、『金爆一家 まさかの1時間SP』の最後の15分間(ガチャピンが出たとこ)が、HDDの容量不足で録れてなかったショックが、和らぎました(めそめそ)

うう、明日(大晦日)も長時間番組がある・・・。は、早く残量空けとかないと・・・。(←)


2012年12月29日(土) 『スペーストラベラーズside;Winter』(本多劇場)

夏も行った芝居ですが、そのときはけちょんけちょんな感想を書いてすみませんでした。

ストーリーは、前回「夏」だった事件が今回は「クリスマス」に起きる、という変更点以外まったく変わっていないのですが、出演者一掃。

イケメン度数がぐっと上昇♪(←おいっ/汗)

それだけで感想がそこはかとなく変わってしまうのはあまりにもマツコ・デラックスっぽくて申し訳ないのだが(それは逆にマツコに対して失礼では?)



おもしろかったです。

へへへ(←夏キャストに失礼すぎだろ!)



いやでも、実はやっぱり倉沢さんと佐藤さんの「解決クラッシャーぶり」にはイラッとしましたよ?

ただ、その解決クラッシャーぶりは、今回全員に蔓延している印象。

全員がバカというか。

むしろ、強盗コンビの兄貴の方(西山)が、登場人物6人の中で一番まとも(時々小さくバカだけどね)



演じているのがイケメンだから大きな心で観てしまった一番の悪党のぼくが分析するに、この6人て、結局世の中に「ハブられてる」から、冷静さを失って結託してしまうのかな? と思い至った。

劇中ではギャグでやってることなんだけど、本当の意味で彼らはテロリストなのかもしれない。

命が惜しくて敵味方が混乱した芝居をしているうちに、本当に善悪の区別がつかなくなってしまう男たち。



マギーはそんな深遠な思想をこの芝居に込めた・・・わきゃないな。←

それより、「イケメンだと、犯罪者でも肩入れしてしまう」この体質、リアル生活の中では発揮しないように気をつけなきゃな。(←普通のテンションで言うな!/怖)










さて、2012年のシアターてくてくはこれで終了(『組曲虐殺』を逃したのが最大の後悔!)

明日からは、ぼくの“三が日”の幕開けだ!

さらに、テレビ番組も例年以上にどっかどっかと録画しなきゃならない。

あ、ダイコンとゴボウとニンジンとネギと里芋と鶏肉としいたけと凍み豆腐(「高野豆腐」のふぐすま弁。ちなみに「しみどうふ」と読む)を買ってこなきゃ(←かろうじて主婦の矜持)


2012年12月28日(金) 『恋と音楽』(PARCO劇場)

本日が仕事納めの会社は多いことでしょう。

ぼくの職場も本日は大掃除指令が出たのですが、ぼく自身はいつまでも仕事をのろたらのろたらやって、年明け一発目に締め切られてるゲラ(大量)を1本預かってしまい、正月休みなんてないやって状態です。

まぁ、みんなが休んでるときに働くこともあれば、みんなが働いてるときに遊んでることも多々ありますのでね。

そんな仕事を選んだ自分が大好き。←





てなわけで本日は、グループの時にはドームで豆粒状態なのに、ソロ(?)活動の時はこんなに(ってどんなに?)近くで見ることができる“国民的スター”SMAPの上からも下からも3番目の中間管理職(笑)稲垣吾郎さんの舞台です。

ゴロちゃんはSMAP内でも舞台活動が多いおかげで、ぼくもSMAPの中ではゴロちゃんを一番多くナマで見ている。

テレビまんまの、華奢なお兄さんです(笑)

しかし、意外なのかそうでないのか、今回初めてのミュージカルだそうです(伝説の(笑)『聖闘士星矢』『ドラゴンクエスト』『ANOTHER』を除く。ちなみにぼくは『ドラゴンクエスト』だけ観ています)

ただね、自分もジャニオタのくせにいきなりキツイこと言わせていただくと、どうも、今回は特に“ジャニ舞台独特の観客のノリ”がきつかったなあ。

空気がね。

内輪受け感がダウニーみたいに強烈に香ってる感じ。

正直苦手です。

もういっそ、『SHOCK』みたいに完全なるジャニ舞台ならこっちもその気で行くので許容できるんですよ。

でも、別にこれってゴロちゃんのワンマンライブってわけじゃないと思いたいし、今回はぼく、まとぶん(真飛聖)目当てでもあったので、「あれ・・・? 同志が、いないんですけど(汗)」みたいな不安に苛まれてしまった。

過去のゴロちゃんの主演舞台でも、こんな変な(おい)気分になったことはないので、不思議でしたよ。

いや多分、「ミュージカル」だからってんで、ぼくがゴロちゃん以外のキャストに肩入れしすぎてたのかもしれない。



さらにもっとキツく言うと、こういうストーリー、ぼくには全然刺さらんのですわ。

なんかねぇ、こういう、心が洗われるような、やさしいキモチになれるような、あったかい恋の話って、実に苦手で。

日本人の男の大半がどうしてもパクチーを好きになれないのと同じくらい不得手で。(←何だその例え?)

鈴木聡さんのホンの世界がぼくには合わなかったということで、そこは勘弁してほしいのですけど、返す刀で総代(河原雅彦)にまで斬りかかってしまうが(何だとこの狼藉者!)

総代、これ、“まじめに”演出してる?

・・・・・・・・・。

ぼくはハイレグ(HIGHLEG JESUS)の舞台は観たことがないんだけど、総代の演出って、確か「エロ」「バカ」「ショック」が身上なんじゃなかった?

こんな、子供じみたアチャラカ(おい;)な感じではなかった気がするんだが。

とにかくね、登場人物たちの芝居が、

「日本人がミュージカルを演るとやってしまう、セリフの異様なテンポとわざとらしいオーバーアクション」

の連続でね(ミュージカルを演りたおしてるまとぶんだけがナチュラル演技)

もしかして、総代ならではの、日本の一部のミュージカル界への風刺なのかな? と穿ってしまったり。

昨日の『祈りと怪物』の余韻なのか、これまた「悪意のあるファンタジー」みたいに思えてしまった。



つくづくぼくはひねくれ者です。

どうも、まじめにやってたみたいですプログラムを読むと。



ちなみに、ミュージカルで一番大切な音楽は、佐山雅弘氏による、スタンダード感溢れる「大変耳に心地よい」良曲ばかりでした。

楽器編成(4ピースジャズアンサンブル)も素敵で。

ただとにかく、まさに「ザ・稲垣吾郎」っぽいというか、すべてが上質すぎて、男はジャケット着用、女はワンピースじゃなきゃ入れないようなフレンチレストランで、ワインなど嗜みながらお食事してるような気分になってしまいました。

肩凝る(←おい)

いや実際には肩なんか全然凝らなかったんだけど、何となく居心地が悪かったというか。



出演者に関して言うと、ゴロちゃんは上記のとおり「ザ・稲垣吾郎」で、浅野和之さんは安定の名演(歌の下手さまでも!/笑)で、大和田美帆ちゃんは、実は出演者中最もスキルが高く(歌はもちろん、こういうおちゃらけ演出に耐えられる演技力がある。半端な若い女優がやったら、こういう役は寒々しくなるところだ)、菅原永二くんは、期待されたとおりの“残念な雰囲気イケメン”っぷり。

まとぶんは、役どころ自体がふわふわした感じなので、前半は彼女自身にもつかみどころがなかったが、後半で(ここネタばれ!)“実体のある女”として出てきたときの清楚さに品が溢れてた。





結論として、なんか、期待してたような苦味が皆無だったな。

苦味なんか入れ込むつもりは最初からないですよ? って言われそうだが。

お前が勝手に期待してただけだろ、と。

まぁ、いたしかたないですね。(←いいの? こんな〆で)


2012年12月27日(木) 『祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹〜』KERAver.(Bunkamura シアターコクーン)

本来なら12月後半から元日までは、ぼくの本命くん月間として、他の雑音(←超失礼)は耳に入れず過ごしたいところなのですが、生来の浮気性が原因で、ここ数年、年末ギリギリまで観劇を入れてしまう傾向にあります。

ふと考えれば、1年365日の中で、12月後半からの半月間しか降臨しないという年神様並みのあいつらの方に問題があるのだそう思いませんことっ?!(←)

なんとかしろよぅ・・・(←共感の嵐)



おまけに今年は、例年なら視ないような長時間バラエティ番組まで視なきゃならない(なぜ義務感?)始末。

『SASUKE』てな番組を、今回初めて視ましたよあたしゃ。←

まぁ、最初の30分間で用は済んで、あとはざっくり消去させていただきましたけどね。(←なんてやつだ・・・)

ふ〜ん、こういうのに出たかったんだ研二。

運動神経に自信のある若人って、面白いね(あれ? ておどるさん確か、「運動神経の良いオノコが、モスのてりやきチキンバーガーより好き」なんじゃありませんでしたっけ?)

あ、そうです。そうなんです。でも、ぼくの言う「運動神経が良い」は、スポーツ万能という意味じゃなく、“マンガみたいに身軽”ってのが正確なところ。

だから、プロ野球もサッカーもバスケットもゴルフもプロレスもボクシングも柔道も興味がなく、体操とフィギュアとシンクロが好きなんです。





あ、『祈りと怪物』の話し、全然してねぇ(汗)

ぼくは、ケラさんあんまり観ないんだよね。ナイロンの本公演も、一回ぐらいかな、ちゃんと観たのは。

今回観に行ったのは、例によって「蜷川さんと競作するから」という理由です。

まるで前菜扱いで申し訳ない。

ただ、実際に観てみると、ケラバージョンのキャストに、えらく秀逸な人材が揃っていることを実感。

生瀬(勝久)さん、大倉(孝二)くん、なるしー(池田成志)が、持っていきましたねえ。

女優陣では、犬山イヌ子さん、峯村リエさんがさすがに芝居世界にマッチ。

いや蜷川バージョンの方にも、カッちゃん(勝村政信)や三宅(弘城)くん、大石継太くんなどが出るので、どちらも甲乙つけがたいのだが。

まぁ楽しみです。

ただ、競作となると、先に観た方がどうしても有利になってしまう気がする(『パンドラの鐘』で、そう思った)



というわけで、演出違いの再演があるので、なにせストーリーのネタばれしたくない(別にしてもいいのかもしれないけど)

つうかぶっちゃけ、ストーリーを簡潔にまとめることはぼくの筆力ではできない。複雑怪奇な話なんである。

一言で言ってしまえば、ブラック・ファンタジー。

舞台背景は近世ヨーロッパっぽいんだけど、実際にはそんな時代もそんな国もなかったであろう、パラレル地球の設定になっている。

だがしかし、ストーリーは確かに「寓話」っぽかったんだが、雰囲気が、ファンタジーというよりも、むしろ「ヤ○ザ映画」みたいにぼくには思えた。

生瀬さん演じる“町の支配者”と、その三人の娘たちが織り成すストーリーは、確かに何となく「本当は怖いグリム童話」みたいな感じで、その辺は確かに「ファンタジー」っぽいのだが、彼らの妙に現実感ある俗っぽい佇まいは、まるで『極道の妻たち』みたいでもあるのだ。

ヤク○の親分と、その娘たち、と、彼女たちが恋する男たちは、○クザの対極にいる聖職者だったり、無辜の市民が貧しさゆえにヤ××の構成員になったパターンだったり、訳ありのヒットマンだったり。

その周囲にいる怪しげなはみだし者たちのドラマも、妙に『極妻』っぽい。

近世ヨーロッパっぽい風景の中で『極妻』っぽい話が展開するという、ホーンテッドマンションに入ったつもりが、実は浅草花やしきのお化け屋敷だった、みたいな展開が、奇妙に面白かった。

これは、ケラさんの狙いだったのか、真剣にファンタジーのつもりでやってんだけど、キャストの個性のせいでこうなっちゃったのか、実に興味深い。

なので、ますますニナガワバージョンが楽しみになってくるのであった。



ただですね、唯一心配事があります。

それは、4時間強もある上演時間。

へたすっと寝るよ、確実に。←こら



あ、最後に。

パスカルズさんによるヨーロッパの片田舎的音楽が、実に粋だった。

パーカッションの石川浩司さんは、一度その顔(というよりヘアスタイル/笑)を見たら忘れられない、「たま」の人。

「たま」・・・「有頂天」(ケラさんのバンド)・・・懐かしす! と、しばし思い出に浸ってしまうアラフィフなのであった。


2012年12月24日(月) イチゴの第2夜

邪悪王子が予想通りの邪悪発言(昨日のエントリラストを参照)をしたところで、昨日のエントリに訂正したい点、今日の公演にて昨日と違う感想を抱いた点がいくつかありました。

二日続けて逢って改めて分かる本命の良さ(←現金すぎる・・・)



なんで「Rocks」をヤメたんだ?!

歌詞が縁起悪いからか?(「このままーじゃ二人消え(以下略)」)

それはともかく、今日のつよっさんは寝不足の割には声のコンディションが良く(1日でこんなに変わるもんかねぇ?)、ぼくのモヤモヤも若干緩和。



これから帰京しますので、続きは帰ってから書きます。





メリクリ。←何このとってつけた感じ?


2012年12月23日(日) イチゴの夜

♪ぬーすんだバイクで(←それは「15の夜」)



年末(どころか12月)にブログを書くのは久々です。なんと4年ぶり。

どーすかこのやる気のなさ(←自慢するな!)

ブログは書いてないけど毎年この時期にやってることは一緒で、今年も今日は大阪におります。

しかも一人で(←お前の人生って・・・)

いやー、一人はヒマだ(当たり前)これまた今年も16時開演18時45分終演とか、お早いことであります。クリスマスで浮かれモードの大阪の夜をもてあましております(悲)

しかし最近(年寄りの言う「最近」ですよ)の世の中は便利だね。

一人でも、いくらでも時間をつぶせるアイテムが充実。

というわけで久々にKinKiコンの感想(レポじゃないので、不充実)を書きます。



中高生相手に商売して5、6年で店じまいするのが普通だったジャニーズアイドル(いつもながら刺々しいっすね・・・)も、最近では年とともに変容して10年以上保つ(←)のが通常。

そんな中、CDデビュー15周年を迎えたわれらがきんきっず兄さんも、アニバーサリーらしき活動皆無の中(と、刺々しすぎる/涙)恒例の年跨ぎ東阪ライブを決行されております。

プロモーション活動ゼロというのに、未だにドームが埋まるという点には改めて感服するしかないわけですが、心情的には正直、「では、今回のコンサート、売り物は何?」と思わずにはいられなかったのであります。

15年間でオリジナルアルバムのリリースは、えーと、えーびーしーでー(←小学生か!)・・・12枚。

初のドームコンは1998年(「B album」リリース後)末だから、今年を含めると過去4度、アルバムノーリリース(ベストアルバムのリリースは有り)でコンサートをした年があったということだ。

そのうち、2004年→2005年版は『Single Selection 供戮出た年で、全シングル曲+いくつかの人気曲という「一見さん&ド新規さんいらっしゃい」(こらっ)パターン。

別にド新規でもなかったぼくでも、さすがにあんだけヒット曲に恵まれていた(なぜ過去形なのっ?!)KinKi兄さんでしたので、3時間強に亘るライブは実に密度が高く、たいへん楽しめました。

二十代前半だったお二人の脂の乗った美貌も麗しく(もー、いちいち癇に障る書き方ねぇ・・・)、このDVDは何度観ても飽きることがありません。

そして次が2008年→2009年。

この「10th Anniversary's Next Year」は、前年の『Φコン』が名作だった(別に元日の“メディアキス”のこと言ってるわけじゃないですよ? アルバムが名盤だったこともありコンサートの構成自体もすばらしかったんですよ)余韻もありましたが、何と言っても、夏の東京ドームを皮切りに全国ツアーをしてくれたために、いつもの冬コンではめったに聴けないセットリストでもあり、お祭りムードに酔いしれたコンサートでありました(久しぶりの“VTRコント”もあったしね)

そして、その次が2010年→2011年。

ファミコンです。

シングル「Family〜ひとつになること」一枚を掲げてコンサートを構成するとか、めっぽう大物っぷりを発揮してくれました(棘が・・・/汗)

まあ、かのシングルはカップリングも含めて3曲すべてがオタ大好物の共作でしたし(いいかげんに棘ヤメて・・・/涙)、「Family」を3回歌うとかいうウルトラCじみたことをしても、共作オール披露という卑怯な(?)技によりコンサートが立派に成立していた点はすごいと思いました。

(まったく余計な話ですが、このファミコンはLEDによる演出がべらぼうに派手で、翌年キンキコンが間近になった頃にぼくが思ったのは、「今年(東日本大震災が起きたので)だったらやれてない演出だったな」というくらいすごいものでした)

と、振り返ってみれば、なんかイヤな言い方ですが、KinKiさんの“ヒット曲貯金”の残高というものが、いかに潤沢か分かろうというものです。



ただ、今年はあまりにも材料不足ではないかと。

アルバムという新鮮材料が乏しい状態でも、いくらでも料理を仕上げてしまうベテラン主婦のような(言えば言うほどドつぼだぞっ)兄さんたちではあるが、今年はいくらなんでも材料がなさすぎませんか?

何と言っても、「過去を振り返る」ことは嫌いなはずの彼らが、こんなふうに何度も「過去をなぞる」構成のコンサートを開催することが、どうにも歯がゆくて。

このままだと浮気しちゃうぞ?(←もうしてるくせに)

いや、もう浮気じゃ済まないぞOh! My Love(←一部にだけ通じてます)



感想どころか愚痴だらけになってしまったけれども、ステージの造り(カウントダウンの中継で他のジャニオタさんたちにお目見えすると思いますが、花道が「1」と「5」の形をしています(だから「イチゴ」。苺ではございません)。アシンメトリーもいいとこですな)や演出が、相変わらずジャニーズらしい(一言余計!)大掛かりさ(何十人ものバンドとオーケストラを含む出演者全員がバクステまで移動!)でビックリ+満足感のあるものだっただけに、それだからこそ、懐メロコンとなってしまったのは残念でした。

まあ、ここ数年のファンだったら、「あの曲、初めて生で聴いたよー感激!!!」ってのもあったかもしれないし(要するに、年寄りのあっしが悪いのねそうね←例によってひねくれてんなあ)、各アルバムからの代表曲を順に1曲ずつ歌いつないでいくメドレーでは、ことごとく俺ツボ(←)選曲で、さすがオタの好みを解っていらっしゃる(ただし、『J』と『K』に関しては、ちょっとぼくの好みの曲ではなかったです。まぁ、『G』『H』『I』でバラードが続いたので、バランス上もノリ曲にする必要があったのかなと。不満はありません)と思いました。



最後にこっそり(どこが)打ち明けますが、本日、二人とも歌唱コンディションはお世辞にも良いとは言えませんでした。

つよっさんは往年の声量がなぜか影を潜め(衰えたというよりも、自己流の不思議なウィスパー唱法を多用)、光一さんは、ダンス曲の後のバラードのAメロがとにかく苦しそう。その他の部分もロングトーンがほとんど出てない。のど周りの筋肉の使い方をもう一度しっかり教わるべきではないかと。

初日だからなのか、とも思いますが、今日しか行かないお客さんもいるんだしね・・・。

と言って、最終日までこのままでもイヤだしねえ・・・。

なんで今日も暗い終わり方なんだ! 希望を持て、ておどる!(必死)

明日もクリスマスイブを兄さんたちと一つ屋根の下(限りなく遠い距離だが)で過ごす幸せをかみ締めておのれを奮い立たせるのじゃ!(←むなしい・・・)

そして邪悪王子がきっと言うであろう「クリスマスイブにこんなとこ(おいっ)来て、君たち、さ〜び〜し〜い〜!」という罵詈雑言を満喫するとしよう(ドMか!)


2012年12月21日(金) 『プロミセス・プロミセス』(新国立劇場 中劇場)

アッキー(中川晃教)と藤岡正明くんのダブルキャストで、アッキー版には間に合いませんでした(別に、以前書いていたように「アッキーはチャックみたいな役はどうのこうの」という理由ではないです。・・・いや、その理由も10%ぐらいあったけど・・・)

藤岡くんは、普通に上手いしシリアスな役もできますけど、このチャックのような、さえない、目立たない役をやってもいやみにならないというか、アッキーみたいに「何言ってんの、お前超個性的じゃん」て感じではないので(おっと褒めてない!)良かった。

ただ、その地味さが(褒めてない褒めてない/汗)結局“主役らしさ”の欠如につながり(ほ、褒めて・・・/激汗)、作品全体がちょっとこじんまりしてしまった印象。



ただ、これは藤岡くん一人の責任じゃなく、ヒロインのタニ(大和悠河)やライバル(?)役の岡田浩暉くんにもブロードウェイミュージカルらしいどーんとした押し出しがなく、良心的なキャスティングなんだけど、かなり華やかさに欠けた作品になってしまった。という感想を抱きました。

岡田くん演ずるシェルドレイクは、いわゆる「主人公に対する敵キャラ」なんだけど、主人公チャックがさえない男なので、こちらは超二枚目。

その二枚目っぷりは水も滴る感じで良かったんだけど、イケメンボイスを重視しすぎたかなりの低音セリフがよく聴きとれなく(ぼ、ぼくの歳のせい?)、おまけに妙なヒーリング効果もあって、彼がしゃべってるシーンで一か所眠りに落ちてしまった!(×_×;)←何やってんだおめえは(叱)

タニ演ずるフランは、タニの不得意な(決めつけるな!)“おしとやか美人”で、だからさ、タニ本人は確かに美人には違いないんだけど、こういう役はまだ早いんだって! つうか、ぶっちゃけ似合わない。

・・・いや、映画ではこの役、シャーリー・マクレーンだよね?

フランの造形が薄っぺらかったのは、単純にタニの実力不足なのか?(おい!)

まぁ、役づくりの是非はともかく、歌は普通に下手でした、相変わらず(←もっと優しく書けよ!/涙)

だって・・・下手は下手だよ。この作品中最大のヒット曲「もう恋なんてしない」をこんなにも単調に歌われて、バート・バカラックが可哀相でした。





そんな中、一人気炎を吐いていたのがじゅりぴょん(樹里咲穂)であります。

もーこういう人、絶対必要だよね日本のミュージカル界には。

歌の実力はもちろん、コメディエンヌぶり、容姿の華やかさ、どれをとっても満足。

まぁ、じゅりぴょんの場合、こういう役(『ウェディング・シンガー』のホリー、『絹の靴下』のジャニスなど)ばっかり(・・・でもないか。シリアスな役、かわいらしい役もやってるけど)来るって点を本人はどう思ってるかはわかりませんが、日本のミュージカル界の女優陣に、こういう役をやらしくなく圧倒的華やかさでできる人が少ないから仕方ない。



他の方々については、特に不満はありませんでした(正確な意味で「役不足」な人が数人いた気がする)

実はこの話、原作の映画『アパートの鍵貸します』が名作すぎるので、わざわざ舞台化する必要ってあったのかなー? と若干思いながら観ていました。

バカラックの曲が良いから、それほど舞台化も無意味ではないんだろうけど。

お気楽なラブ・コメディのようで、上司に取り入るために自分のアパートを「○○部屋」として貸し出すなんて、ほんとなら実にエグい話なんだよね。

ニール・サイモンらしい、風刺の効いた話なんです。(後日追記:知ったかぶってミスしてしまいました。この風刺の効いた設定は、映画版の原作者であるビリー・ワイルダーのものでした)

三谷幸喜氏や清水義範氏がこの映画が(というか、清水さんはビリー・ワイルダーが、三谷氏はニール・サイモンが)大好きらしく、この二人の作風が大好きなぼくもこの映画は名作だと思ってますが、舞台版への印象は意外と「こいつら(チャックの部屋を借りたがる上司たちに限らず、チャック本人も)、ひでえ下種野郎どもだな」という感想を抱いてしまった。

時代の違いなんだろうか? それとも、演じている役者のイロの違い? それか、演出の違い?

時代の違いだとしたら、シャレの通じないいやな時代にぼくは生きてるのかな? とちょっと悲しい思いに陥ってしまったのでした(く、暗いよ!/汗)


2012年12月19日(水) 開幕10周年記念『JUMP』東京公演(東京グローブ座)

.
すげぇぇぇぇぇ(≧∇≦)



韓国版マッスルミュージカルって感じ(日本版マッスルミュージカルを観たことがないが)

出演者全員の身体能力が高すぎて、体が動く人を無条件で尊敬してしまうぼくは、幕開きからおしまいまで、口開けてぽかーーーーーん状態でした。

ううう、きんにくきんにく。←

出演者は9人。

うち女性が2人。この2人も男性陣に劣らずすごい。

とにかく、徹頭徹尾、ジャンプしてキックして回転してアクション。

セリフ(というか状況説明)は必要最小限。

一家の娘の婚約者は、ひょろりとしたモヤシ男・・・に見せかけて、メガネをとると国士無双(?)

ベタだ。(こら)

ベタでわかりやすいので、余計なこと考えずに済む。

ドジなコソ泥コンビ。

ベタだ。(こらこら)

くんずほぐれつ跳んで殺陣してケガしない。←←←

足を謎の負傷中のぼくには眩しすぎる皆さんでした。

(いつにもましてまとまりのない感想ですまん)


2012年12月18日(火) 情けなさの極み!(not ハ○カーン)

今週は実にヒマなので、そろそろ大掃除に取り掛かる・・・前に、寝不足解消とばかりぐぅぐぅ寝坊してたら、いきなり職場からメールが。

「先週入稿した原稿ですが、著者の書き直しが入ったので、も一回校閲をお願いします」

・・・いやん、メンドクサイ(←こらっ)

しぶしぶ(こらこらっ!)起きて、着替えていると、ちょうどテレビ体操(NHK)のお時間。

よし、ウォーミングアップでもするか。

と、マネしてみたら、

「ぐきっ」

・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・☆\(−−*)いーかげんにしろ

右足の親指の根元がどうにかなったみたいで(ぶつけたような記憶がない)かすかに痛い。

昼前の家ん中に一人。誰も見てないのに“てへぺろ”するのもむなしいので、無表情で着替えの続きをし、へーきのへーざで出勤して仕事を終わらせました。

日中もずっと何となく足は痛かったけど、全然大したことなく、無事帰宅。

10時近くまでぐぅぐぅ寝てたのと、今日こそは休みなので、『助太刀屋助六 外伝』の感想なんか書きながら夜更かししていた。

すると・・・。

・・・・・・☆\(−−*)しつこいっ!

見る見る右足が腫れ上がってきたではありませんか!

こたつでぬくぬくとあっためてしまったせいなのか。

寝不足で血流が滞ったせいか。

おそらく両方だろう。

慌てて寝ようと立ち上がったら、もー足は生まれたての赤ちゃんの足のようにぷっくり膨れ上がって、触ったとたん激痛が!

・・・なにこれ。なにこの、「転んだだけで骨折」みたいな加齢による虚弱体質。

情けない(/_ ;)

湿布を探したが家にないし、痛くてコンビニに行くこともできない。つれあいはまじめな(?)会社員だからもう寝てる。

とりあえず、(冷やすために)右足だけ布団から出して寝ました。



本日、起きるとなんとなく腫れはひいている。

でも、昨夜みたいなことになるといやなので、夕飯の買い物に行った以外は、横になって過ごしました(椅子に座ってると足が浮腫むので)

ちくしょう、人がせっかく(大掃除)やる気になるとこれだ。

(いや決してサボる口実ができたわけでは)

でも大丈夫かな? この足、日曜日までには治るよね?(誰に訊いてんだ?)

治るよね? 日曜(日曜日になんかあるの?←愚問)

・・・ま、そのためには、今週はしっかりとまじめに働いてまじめに大掃除をしなくてはならないわけだが。

おととい、選挙番組の前にまったりと『THE MANZAI』を視ていて思ったのだが(ハマカーン、面白かったなあ。あとぼくは磁石とエルシャラカーニに大笑いしました)、世の中、がんばっている人がすべて報われるわけじゃない。だけど、少なくとも、栄光を手にすることができる人は、もれなくがんばってる。諦めずに努力している。

若いころには綺麗ごとだと思ってたことが、この歳になると真実だったことがわかる。

歳をとるということは、頭は良くなる(エッ?)が、体は衰えるということだ。

その、均衡を保つことが大事なんだが、それが一番難しい。

今回、振り子の大きな揺り戻しがあった日本という国は、今実質何歳なんだろうな。(←頭良さそうに見せようとして、失敗したか?)


2012年12月16日(日) 『助太刀屋助六 外伝』(ル テアトル銀座)

当分歌舞伎は観る気になれない心境であるが、こういうのは大丈夫。





ぼくは、岡本喜八監督の作品は『大誘拐』(北林谷栄刀自、緒方拳さん、サイコーだった!)しか観ていない、ほんとにばかな観客であります。

『助太刀屋助六』も、全然予習しないで行きました。

先入観を持たないため、といういい訳ですが、今回の『外伝』のストーリーは、G2氏のオリジナルだそうです。

設定とかは別に難しくなく、すぐ理解できました。導入部分、秀逸。

特に音楽がすばらしい。

パーカッションとピアノのコンビによるブルース演奏。

この“ブルース”がもう、えらいカッコいい。

この時代に、ブルース。

○十年も前の話になるが、ぼくが小学生か中学生だったころ、たまたま視ていたテレビで放映されていた時代劇映画(タイトルが未だにわからない)の中で、町人役の若き坂本九さんがいきなり「上を向いて歩こう」を歌い出したのを聴いて、びっくりした記憶がある。

昔の「アイドル映画」では、主役のアイドルが劇中で持ち歌を歌うなんてことが当たり前にあったが、時代劇でってのがめちゃくちゃキッチュだった。

でも、そのミスマッチが妙にオシャレで、「時代劇」=「重厚なクラシック」というありふれた概念をふっ飛ばしていて、とてもカッコよかった。

よく考えると、昭和初期の日本人の音楽のセンスって、輸入されたばっかりのジャズ中心で、後の世代のぼくたちにとっては、すごく大人っぽくて憧れの的だった気がする。

今回の舞台を観て、あの感じを思い出した。

今年のコクーン歌舞伎の『天日坊』も、そうだったなー。





加えて、出演者たちもみな秀逸。

大枠は“喜劇”なんだけど、ドタバタではなく、演じている人たちがみなまじめに役の中で生きている感じに非常に好感大。

亀ちゃん(って呼んでもいいらしい、ご本人によると。でもまぁ、来年からはちゃんとエンノスケと呼ぼう。今年いっぱいは亀ちゃんで行きます)にはもちろん文句のつけようがない。

ぼくとしては昔から亀ちゃんを大評価していたわけではなく、若いころの亀ちゃんは楷書過ぎて、上手なんだろうけどコクが全然なくて、AIBOみたいだなー(どういう意味?)と思ってた。

きれいだけどロボットみたいにつるんとしてるというか。

AIBOって、「世界のSONY」の威信をかけて、ロボットにしちゃ動きが精巧で本物の子犬に近いらしいけど、でもやっぱ機械は機械、みたいな。

だがそんな亀ちゃんも、30歳を過ぎたあたりからすっかり年齢相応の色気が出てきて、今年の新橋演舞場での襲名披露興行では本当にすばらしい演技を見せてくれた。伯父さん生き写しだったけど(←一言余計ですよ)

今回もしょっぱな第一声が猿翁そっくりで「うあ!」(←?)と思ったんだけど、観終わって感じたことは、この人の大いなるかわいらしさだった。

「カワイイ」っていうほめ言葉、見巧者は嫌いますよね。「最近のバカ女は、何見ても『カワイイ!』『カワイイ!』って。ほかに言葉知らないのか!」って。

ぼくもまぁ同感なんですけど、今回の亀ちゃんに対しては、「カワイイ」で鉄板。異論は認めない(←なぜか強気)

つぎはぎだらけの着物を着て朱鞘の一刀を帯び、なぜか女物のかんざしを頭頂にちょん、と挿している、傾奇キャラの助六。

無宿者というよりも、どっかいわくのありそうな(原作映画を観ていないので、うかつなことは書けないが)

助六は年齢的にはさほど若くなさそう。言ってみればルパン三世みたいな、“大人”なんだろうけど、“おっさん”ではないはず、という不思議な感じ。

でも、カワイイ。

カッコいい、とか、ステキ、とかじゃなく、カワイイ。

そんな感じでした。



ほかの出演者たちも、コムちゃん(朝海ひかる)や鶴見辰吾、はるパパ(治田敦さん)、そして猿三郎丈など、安心して見ていられる方々がそろっていたのだが(ただしコムちゃん、現代劇では100%美少女(実年齢はともか・・・ごっほん!ごほん!!)なお方なんだけど、島田のかつらがすがすがしいほど似合わん!・・・まいった/涙)、ぼくが亀ちゃんを差し置いて(何っ?!)「おおっ!♪」と思ったのが、新之助役の石橋直也くん。

第一幕ではてんで剣術ができない情けない若者なのだが、第二幕で助六の「無手勝流」を身に着けたあとに、小気味良いチャンバラアクションを展開。

第二幕で殺陣ができてた、という点じゃなく、本当はできるのに、第一幕でまったくできない様子をバレることなく演じてた点に瞠目(←またもや着眼点が・・・)

いかにも剣術が弱そうないかり肩もいとおしい(笑)



そして、絵に描いたような「100%二枚目」を演じていた吉沢悠くんのカッコ良さ。

ぼくは、休業以前の彼を勝手に「あまたいるイケメン俳優(ここでは“イケメン”は褒め言葉ではない)」の一人としか認識していなかったんだが、最近本当に芝居巧者になったしカッコ良くなったなあと思っている。いや、休業がどうこうじゃなく、単純に年齢を重ねて成長したってことなのかもしれないけどね。

舞台だから、顔よりも立ち姿と声が重視されるわけだけど、それが実にすばらしい。うっとりとしてしまいました(*^^*)





お話自体はすべてが面白おかしいわけではなく、悲しいシーンもある。が、総じて、観終わったあとに幸せになれる芝居だった。

必要以上に深刻でもなく、かといって軽薄でもない。

「信頼のG2」でありました(⌒⌒)


2012年12月15日(土) 『ハーベスト』(世田谷パブリックシアター)

ぼくにしてはちょっと間が空きましたが、本日も楽しくお出かけしてきました。

英国現代演劇の本邦初演ということで、普段はあんまりこういうものは観ないぼくですが、出演者(誰だかもうお判りですね)目当てで行きました。

こういう話って、どういうスタンスで観たらええんやろか? と時々疑問に思う。

別にスタンスもへったくれもなく、感じたとおりに受け止めればいいのだが。

単純に言えば、一人の男の長い生涯のうちの90年間(!)を描いているのだが、本人は「立志伝中の人」というわけでもなく、ずっと自営の養豚業という、誤解を恐れずに言えば、地味な種類の人である。

そんな地味な人の人生を淡々と描いているのだが、なにせ90年間の話なので、イギリスの1914年から2005年までの時代背景を装置に反映してあって、その風俗が面白い。

日本の話でも、NHKの朝のドラマとかはよくこの辺の時代の移り変わりの中で描かれることが多く、江戸時代とかを舞台にしたら完全に「時代劇」になってしまうが、「明治」「大正」「昭和初期(戦前)」「戦中」「戦後すぐ」「高度経済成長期」「バブル期(笑)」なんかを時代背景にしたドラマは、その時代にまだ生まれていなかった世代でも、なんとなく懐かしく感じたりする。不思議なものだ。

ぼくにとっては、ぼくと同世代の“アラン”が大学生になってる1979年の風景に懐かしさいっぱい。

あのデカいコンポーネントステレオ、色電話、冷蔵庫。

ラモーンズのTシャツ(笑)

あれが最先端だったんだよなあ(^^ゞ

だがお話自体は、主人公ウィリアムの身の上にすごい大事件が降りかかるわけでもないので(いや確かに、戦争に行って両足を切断して帰ってきたり、100歳の誕生日にエリザベス女王から祝い状が届いたりと、比較的トクベツな老人であるのだが)淡々と観ていましたが、最後の場、2005年のシーンで“あの男”が登場した時には、思いっきりべっくらした(^^;)

そこでなにやらスカッとしたものを感じ、ラストはニコニコのエンディングでした。(ネタバレしないように書いてるので、何だか解りにくいね)



ところで、これだけ長期にわたるお話なので、主だった役の役者たちはたいへん幅広い年代を演じます。

主役・ウィリアムの渡辺徹が19歳(!)から100歳過ぎまで。

19歳には若干ムリがあった(汗)が、それ以外はさすがだった。

その弟・アルバート役の平岳大が18歳から48歳まで。こちらはなかなか(18歳・・・は、ちょっと・・・だったかも)

アルバートの妻・モーディー役の七瀬なつみが30代から60代まで。

地主(と、その息子と二役)役の吉見一豊が20代から40代後半まで。この人の役作りが一番面白かった。比較的ぶっとんでる役だったからかもしれないが。

そして、モーディーの姪・ローラ役の小島聖が25歳から85歳まで。

ローラは75歳と85歳を演じ分ける必要があったのだが、若い人からすれば、75歳も85歳もどっちも「おばあちゃん」なんだから、なかなか演じ分けにくかっただろう。世の中には、75歳の人よりも若々しい85歳もいるし。

85歳のときにでかい声でわめくシーンがあったのだが、あんなに力いっぱい声が出るもんかなー? とちょっと思いました。その前の60歳ぐらいのシーンでは逆に年取りすぎてた感じもあったし(相変わらず若い女優にはキビシイわねておどるさん)

でも、全体的にはなかなか良かった(←なにこのとってつけたような感想)



ではでは、わたくしのお目当て、佐藤アツヒロさんでございますが。

あつくんは、そのローラの夫・ステファンの25歳から60歳ぐらいまでを演じ、最後の場では別人(30歳ぐらいの設定)を演じました。

これは“元光GENJI”のメンバー全員に共通した悩みだとは思うんですが、この方、世間からいつまでも子供っぽく思われている。

そして、現に、見た目が(かなり近くで見ない限り←オイ)ひじょーに若い。

実はもう39歳なんですよね。

でも、どう見ても30歳ぐらいで止まっちゃってる。近くで見ない限り(←しつこい)

そして、演技力もさほ(ぐおっほん! ごほん!!)ので、60歳前後の落ち着いたお父さん役を演じるのは少々キツかった。

逆に、25歳時のステファンなんてのは、かなり軽々と演じていたんだが。



とりあえず感想をまとめると、時代の変遷の中で確固たる意思を持って生き抜いてきた人間のカッコよさや、こと「農業」について考えることは、地球に住む生物全部についてまじめに考えることだ、ということなども教えてもらった、イギリス演劇らしく地味だが(一言多いぞ)ウィットのあるお芝居でした。


2012年12月13日(木) しばらくはこのテンションで

気持ちを切り替えようとしてるんだけど、やっぱどうにも・・・。

このところ、公式モバイルサイトでの告知も間に合わないほどワイドショーにちょろちょろ出ている金爆さんを追っかけていると、タイミング的になかむらやについての話題も一緒に録れてしまう。

必死に信じないようにしているってわけでもないんだけど、その話題が出るたびに、「嘘じゃなかったんだ。誤情報じゃなかったんだ」と実感してしまって、全然悲しみに慣れない。

このところ(といっても、ここ4か月ぐらいの話だが)、ぼくのリアルの知人や親戚でも故人になった人がいて、そのたびごとに悲しい気持ちになっていたのだが、(おかるのセリフじゃなけど)皆さん“お歳の上”の方たちばっかだったので、ひと月も経てば諦めの境地というか、そんな感じになっていた。

でも、なかむらやの場合は。

昨日久しぶりに銀座に用があったので、ちょい足を伸ばして建設中の歌舞伎座を見に行った(あの界隈に行くのが、びっくりするほど久しぶりだった)

着々と出来上がっている。

今までだったら、完成後のことをあれこれ楽しく想像していたろうに、ついめそめそ。

今月の新橋演舞場のポスターを見て、

「来年の、歌舞伎座杮落とし公演のポスターに『勘三郎』と出ることはないんだ・・・」

と実感して、まためそめそ。

当分歌舞伎を観る心境になれない気分だ。

いや、逆にこれからもっと「中村屋一門」を力いっぱい応援しなくては(ぼくの力なんて微々すぎるけど)という気持ちもあるのだが。

テレビでは、ワイドショーだけでなく、「追悼」と冠した番組がいくつか放映されている。

視るのがつらい。

でも、録り逃していたドラマなんかは、つい録ってしまった。

でも、今視るのはつらいから、そのまんまディスクに移して、いつ視れるかわかんないが、しまっておく。

この“後回し”体質が一番良くないことに気づかないとな。



先週土曜日の『情報7days ニュースキャスター』という番組、普段は視ないのだが、金爆が取り上げられるのを知っていたので録っていた。

今日になって再生(遅!)してみると、なかむらやの件が当然のようにどーんと放映されていたし、その直前には森光子刀自の本葬のニュースもあった。

そういや、森さんが亡くなったというニュースが報じられたときに、いろんな有名人からの追悼のコメントがあったが、なかむらやからはなかったな(今考えれば、彼もかなり深刻な病状だったので、知らされてなかったのかもしれないし、知っていたとしても、コメント出せる状況じゃなかったのだろう)とちらっと思ったことを思い出した(ぼくは当時なかむらやの状態を知らなかった)

画面をぼんやりと視ながら、森さんが、この世とあの世の境目で、

「勘三郎さん、何してるの。あなたはまだここに来ちゃダメですよ」

と追い返してくれないもんだろうか・・・などと中二くさいことを夢想してしまった。

痛くてすみません。





お目当てのゴールデンボンバーは、予告と違って、前日に出演した「つながるプロジェクト」(正式名称めんどくさいので略←)イベントの模様をちょこっとだけだった。

主な話題は来年の「活動休止?!」報道に関して。

これに関してのぼくの見解は4日のエントリで書いたので、今日は書きません。

そんで、今日12月13日は、本来なら「ひとりよがり3」がスタートするはずだった日なので、残念がっている人たちのために18時半からYOUTUBEで「2」のダイジェスト版が配信されている。

「2」のダイジェスト版配信は7月に公演があった当時にもされていたので、そのときにも視たんだけど、今回も改めて視てみた。

このころはちゃんと声が出ていたようで(ん? ちょっとは修正してたのかな? でもピッチ修正はあるにしろ、とにかく声自体がきれいに出ている)、やっぱこういう具合に歌えないのであれば、公演延期もしかたないな、と思った。

バンドのライブと違って、歌主体のシンプルな演出なのだが、それが逆にとても良い。

今年の後半になってゴールデンボンバーを知って、まだいくばくかの誤解をしている人たちがこの映像を視れば、ごちゃごちゃ説明する必要もないだろうな、と思う。

ぼくは“音楽信仰人間”じゃなく“言葉信仰人間”なのだという自覚がある(だから写真一切なしのブログなんかを書いている)のだが、こういうときには、

「音楽が(「は」ではない。ここが言葉信仰なところ)言葉よりも雄弁」

という事態があることを認めざるを得ない。

そして、だからといって、鬼龍院翔が最初からこういうソロシンガーとしてやってきてたら、売れるまでにどんだけ時間がかかったかわからない、ということも確実に言える、と思う。

彼が創る歌のチカラに人々が気づくには、日本には音楽があふれかえりすぎているし、おかしなパワーゲームもそこにはあるし。

「趣味は作曲」というくらいだから、ボカロPとして名をはせるという手もあったかもしれないけれど、もしそうだったら(「もし〜だったら」話は実がないのでヤメ)

冒頭でキリちゃんがコメントしていたように、来年の「3」のときには、これよりももっとすばらしい歌唱を聴かせてくれるようにと祈っています(「3」のチケ代、払ってんだからよこっちは(←)。キャンセルしないで待ってっからよ)





さて、明日は泉岳寺に行くので(嘘。前に行ったことあるけど、大混雑だったので正直懲りた)ふたご座流星群でも見るか(←言ってることが意味不明ですよておどるさん!)


2012年12月12日(水) 今年の感じ

変換ミスじゃないですよ。

去年は、日本列島の北半分の地面が大いに震えて、国民の心もずっと震えっぱなしだった(不安と怒りで)

今年はそれもなんとなく収まってきてる感じはあるが、それは要するに何かが解決したからってことじゃなく、ある程度の時間が経過したからって理由が大きいんじゃないだろうか。

すみません、のっけからやるせない話して。

オリンピックで活躍したりして国民感情を明るくしてくれた人たちにはありがとうを言いたいけれども、ぼくとしては今年も相変わらずスポーツ方面への興味は薄く、エンタテインメント方面でもっぱら楽しいときを過ごした一年でした。

政治方面に関しては、怒りとかよりもあきらめの方が大きく、一応選挙には行きますけど、結果は見えてるからねー今回。

若い有権者、がんばれ。

ただし、アラフィフのぼくは、近い将来の高齢者として、高齢者に媚びる立候補者を選ばせていただきますよそこはきれいごと言わないよ(←)

しかし諸君、どうなんだい?(←?)

有能だけど大金に目がくらんで汚職に手を染める政治家と、清廉潔白だけど、能力足りない政治家と。

どっちが好き?(どっちも嫌いだろうけど、一応どっちかしか選べないとしたら)





そんなニホンの皆さんが今年選んだ「今年の漢字」は、

「金」

そう、「きんば○」のきん!

と、金爆ギャ周辺では当然このこじつけ(おい)で盛り上がりました。

世間の人たちが「金」を選んだ本当の理由は、上記のごとく「金メダル」の「金」、5月にみんなが空を見上げた「金環日蝕」の「金」、山中伸弥教授がノーベル賞を獲って「金字塔」(これの方がよっぽどこじつけじゃねーかって、あわわ/汗)を打ち立て、鉄人・“金”本知憲が引退・・・などの「金」だそうです。

マイナス要因としては、消費税増税案が可決されてしまったり生活保護不正受給問題とか「カネ」が絡む不祥事が頻発したりとかが理由らしいが、こんなん別に今年に限ったことじゃないよねぇ(自慢げに言うことじゃないが)

このほかに今年の漢字としては、「輪」(「五輪」「人の輪」?)、尖閣諸島がらみの「(領土の)領」「島」、「空」(スカイツリーやLCCの開業、金環日蝕でみんな空を見上げた、国会の空転)なんかも票を集めたそうです。

ちなみに「金」は12年前にも今年の漢字に選ばれていて、その年にもオリンピック(シドニー)が開催されてたんだった。

なんなの、日本人にとって誇れるニュースって、オリンピックで金メダル獲ることだけなの?(別にそうとは限らないだろ)

いや、スポーツ選手の方たちは尊敬しますよ? だけどさ、もっと他の分野での日本人の活躍にも目を向けろよ(だから、ノーベル賞あったじゃん)

そんなわけで、ぼく自身としても今年は「金爆が一般に浸透した」の「金」で納得したいと思っております。

社会的には矮小な現象(おいっ!/怒)ですけど。

エンタテインメント界では立派に2012年最大のトピックだったと思うよ。





そんなわけで本日は2012年12月12日。この、年号と月日が並ぶ現象は、2001年1月1日から毎年あったわけだけど、来年になったら「13月」はないので、今年でこういう神々の遊び(?)は一旦終了するわけだ。

あっ、だからマヤ暦が今年で終わってるのか(←違うだろ!)

ちなみに本日の12時12分12秒には、一応ぼくはPCの時計を見てました。



あーどうでもいいエントリだったな今日は(おい)


2012年12月10日(月) いつの間にか

歳のせい・・・じゃなかった(←ガチでこう打ってもた/汗)年の瀬じゃないですか。



もう、目まぐるしくて、びっくりですな。

先週は週の半ばに精神的大打撃(勘三郎の逝去)が来て、週の終わりには血の気が引く事態(大きめの地震)があって、ドキドキ落ち着かない週末を過ごしましたが、いつまでもめそめそとかびくびくとかしてられないので、心の片隅にそれは追いやって(忘れるわけにはまいらん)今週も今年の仕上げのお仕事をがんばります。

やらなきゃなんないことも山盛りだし。

・・・しかし、しばし楽しいことをやってても、ふと、悲しみが襲ってきちゃう。

自分でも意外なほどの打撃であったようだ。

こうなったら、我慢せずに悲しいときは悲しむことだ、と悟った週末であった。






哀しいエントリがいつまでもトップにあるのがいやで更新したんだけど、結局同じようなことを書いちゃったぞ。

女々しいぞ、ておどる。

女々しくて、女々・・・・・・(不謹慎なギャグ禁止)




録りっぱなしのニャルビッシュでも視るか(←ほーらこうやって貯金(?)が増える一方)


2012年12月05日(水) 訃報

.
嘘だ!



嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だあーーーーーーーーーーーあぁ!!!


【読売新聞】
俳優の中村勘三郎(なかむら・かんざぶろう、本名・波野哲明=なみの・のりあき)さんが5日午前2時33分、東京都文京区の日本医科大学付属病院で亡くなった。57歳だった。






ちょっと・・・、ちょっとぉ!

冗談でしょ?!

う、うううううう。゚:;。+゚(T△T)゚+。::゚。

もう、これ以外のこと書けない。

ダメだ・・・今日はもう、気力ゼロだ。

うう(泣)








いや、一ファンに過ぎないぼくなんかより、とにかく奥さまを始めご家族の皆さま、関係者の皆さま、ご友人の皆さまに深くお悔やみ申し上げます。どうかお力落としのないように(;;)


2012年12月04日(火) 先週のおさらい

先週の木曜日からてくてく4連チャンしまして。

うち1本分しか感想をアップしてないんだが、月曜日から早速仕事がハード。

現在、半徹夜2晩目であります。

目が凝って、つらい(;;)新キューピーコーワi⊂(^-^)

いやそんなことより、早く仕事を終わらせたい(なら、こんなブログとか書いてる場合か)





先週は、ぼくが仕事でぐったりしてる間に、とうとう紅白歌合戦の出演者の発表があり、ぼく的には300%間違いないと思っていたとおり、ゴールデンボンバーも初出場することになったと知りました。

ほぼ間違いないだろうと思ってはいたんだけど、正式に発表された瞬間は、やっぱり「すげえな」と思いました。

こういう「今年ブレイクした人」を、ブレイクする1年以上も前から知ってたことって、ここ数年なかったんで(大抵ブレイクしてから知ることが多かった。トシなもんで)

本当にブレイクしたんだ・・・へへへ、おかしい(←深い意味はありません)

まあ逆に言えば、ぼくごときが気になるくらい、既に一昨年から、ブレイクしそうな雰囲気を醸し出してたってことなんだよね。



あとそれと、関ジャニ∞も出ることになったとか。

・・・おい、京セラドームは?!(いや、別に恒例というわけでは・・・)

超トップアイドルのくせに紅白に縁のないままここまできた人たちのオタだから言うわけじゃないけど、エイターの皆さんは、大晦日にNHKホールにいる彼らを視て、果たして嬉しいんでしょうかね?

彼らと、彼らを大好きな5万人だけで、大規模だがウチワな雰囲気のステキな年越しは、今年はできないのか。そんなんヒドい。

そんな想いはないのか? 大きなお世話かもしれないけど。(行けない人にとっては、彼らがNHKにいようが、京セラドームにいようが、その瞬間はテレビ(多分CX)で視るんだから、一緒か)

それとも、嵐と関ジャニの「元Jr.黄金時代メンバー」がわちゃわちゃと楽しそうにカメラの前ではしゃぐ姿が視られそうだから、その方が嬉しいのかな。



で、話はゴールデンボンバーに戻りますけど、初出場歌手の恒例の記者会見では、期待(?)どおり研二が小学生発言をしまして(でも、実はキリちゃんが唆したらしい)、慣れてる人は「やっぱりやったか(≧∇≦)」と笑い、慣れてない人は「バカが!」と驚愕し、ネットニュースに花が咲き、ぼくは、

「時の人って、何やっても話題になっていいなぁ」(←こっちの方が問題発言?)

と生温かく見てました。

それより、あの会見で初めてゴールデンボンバーを見る人に、あの衣裳とメイクはどう映ったんだろうかその方が心配(^^;)

実輪さ・・・いや、美輪さん(汗)、どどどどうお思いになりましたでしょうか、多分眼中になかったと思いますけど(爆)

まぁ、あの日の喜矢武さんが実輪さんになってなかっただけセーフだったと言えましょう。

大晦日・・・やってくれるかしら? いや、やるなよ!(慌)他の日ならともかく、大晦日だけは危険だ。視聴者が一年で一番特殊な日だから、やっちゃならん。喜矢武さんのご両親がふぐすまに帰れなくなる(←コラ)

(既に研二が福岡に帰れなくなってるような気もするけど/泣笑)





てな感じのお祝いムードの中、金爆ギャには気がかりなことが一つ二つ。

その中でも最大の気がかりは、やはり、ここ数か月の鬼龍院翔の声のことである。

ソロワンマン「ひとりよがり3」延期のお知らせ(21日)も、「えーっ?!」というよりも、「やっぱ・・・そうだよね。うん、それがいいよ」と思った方が大多数だったであろう。

実は夏のイベントの頃から少しずつ不調だったようで、FCツアー(金爆祭り)の時も、スルドい人には喉の不調はもうだいぶはっきりと判ってたらしい。

ぼくは、生唄聴くのが3回目ぐらいだったので、よく判んなかったというか、高音が出ないのは“仕様”かと思ってた(すいませんごめんなさい)

だましだまし数か月やってきて、ついに、紅白記者会見の翌日の学園祭(同志社大学)ライブでは、キリちゃんが開演前に直々に観客にお詫びして「口パク」で乗り切るという、ゴールデンボンバーにとっては前代未聞の事態になったそうだ。

「only エアーバンド、But not エアーボーカル」のレゾンデートルが!(←いや、ぼくはそんな深く知ってるわけではないですけどね)

なんか、おかけする言葉がないです。本当に。

こういうことだけはふざけられないってことは、解ります。



その翌日、28日は研二の誕生日で、今年は実に彼らにとって、悲しいことと嬉しいことが交互にやってくる空前絶後の年となった。

『日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト2012』の生放送があり、2009年以降ぼくの本命さまは出てないから、ここ数年視てねえよフン(でも、悲しきジャニオタのサガで、一応録画はしてる)

だけど今年は4年ぶりにオンタイムで視させてもらいました。

・・・うん、どうやら口パクだ。

出てる歌手のほとんどが(コラ)←だがそれが事実!

ネタは研二のお誕生日のお祝いで、巨大ケーキが出てきたときに、「顔面にクリームバーン!」というオチかな? と思ってたら、そうじゃなくて、研二がろうそくを吹き消すともくもく煙が充満して、その中から浦島太郎のごとく“おじいちゃんになった研二”(シルバータレントさん)が出てくるというイリュージョン(←)だった。

まぁ、実はたいしたネタではないんだが、予想してないとけっこう腹筋にくる。

どうやら、事前に日テレサイドに提出してたネタがNGをくらって(理由は分からないが)、直前にこのネタに変更になったらしい。

終了後の楽屋では無事(?)に研二の顔面クリームが執り行われたらしく、ベタだけど楽しそうでいいなぁ、と、ほっこりしました。



そんで、翌日はぼくもてくてく4連チャンの初日。うっかり「月刊ゴールデンボンバー」を見逃しそうになったが直前に回避し、哀しいネタは一切なしの番組をいつものように思いっきり楽しんで(この衣裳でいるのを見るのは3回目だが、3回とも研二と淳くんのメイクが全然違うのはなぜなんだ! キャラが定まってない!)翌日を迎えました。

お仕事に励んでてくてく2日目。

生ツヨぽんをうっとりと観賞して(まだ感想アップしてないけど、この日観に行ったのは『ぼくに炎の戦車を』でござんす)帰り道。

携帯を切っといた間に来ていたユークリさんからの謎めいたメール(題して「今後の活動に関してのお知らせ」)に「・・・」となる。



これって、来年の1月から4月まで、バンドがすべて仕事を休むってこと?(そうともとれる)

いや、キリちゃんは喉の治療に専念・・・てんだから、他の3人が、せっかく上がった知名度を下げないように(ておどるさん! 舌禍!)逆にプロモーションを頑張るってこと?(すごーく前向きに捉えればそんな感じ)

いやいや、ライブはやんないけど、キリちゃんも含めて「テレビ」「インスト」などの仕事はやるってこと?(これが一番現実的な解釈)

でも、テレビであろうとインストであろうと、歌うことは一切控えなきゃ、待ってるこっちとしては納得いかない。中途半端な治療じゃ、また同じことになるよ? いや、それもそうだし、テレビには出ても歌わないって、まるで芸人みたいじゃん、いや、今でも芸人視されてるけどさ、そこはやっぱりレゾンデー(略)

と、悶々としておったところ、早速ネットの芸能ニュースが、

「ゴールデンボンバー、来年早々活動休止!」

とぶち上げ、

「今のゴールデンボンバーのニュースバリューって、すげえんだな」

と、ちょっと取り残された(なんでお前が)気分に。

そうこうしてるうちに、当日のうちに当人たちが慌ててツイッターで「“休止”じゃないです!」と発信し、「まあ、そういうことだな」と、納得。

ネット時代って、間違った情報が広がるのも早いが、“当事者”が即座に訂正できるというメリットもあるんだな。リアルタイムで体感してしまった。



まぁ、来年のことは来年になってみなきゃわからないわけだけども、ぼくが「ガチ○ピン」に出会って彼らにDANDAN心惹かれて(笑)あっという間にもう2年経ってるんだから、来年のゴールデンウィークなんてのもあっという間にやってくるであろう。

ただ、その「あっという間に」過ぎた5か月後に彼らがどうなっているのかは、今の時点ではもちろん誰にもわからない。

キリちゃんの喉が治ってる保証もない。

テレビに出る量が今よりもちょっとでも少なくなれば、来年の今頃は一発屋扱いされてるかもしれない。

でも、道に迷った時に根拠なく方向を変えるのが一番タブーなように(天才的方向音痴のぼくが言っても信用性が薄いが)、「こっちだ」と決めたら、迷わず行けよ、行けばわかるさ(←パクるな!)

ちょっとずつ下がっていく知名度(いや、さほど下がらない可能性もあるぞ。だって紅白だもん。すごいんだぞ紅白は←)にビビッて、中途半端に歌い始めるのだけはやめてほしい。

それじゃあ、正直に待ってるお客さんにすまないからね。

まあ、ブログを読む限り、本人(鬼龍院)が一番それを解ってるようなので、ぼくも気長に待てると思います。

他にもたくさん楽しいことがあるし(←おめぇは・・・)





てな感じで、ぼくも仕事がんばるよ。

若い子たちのリアルサクセスストーリー(だと思ってます)に久々に触れてる感じがして、ここんとこ何だか楽しいんです。

女の子はももいろクローバーZ、男はゴールデンボンバー。

お先真っ暗と言われ続けてきた大不況の平成ニッポンに、がむしゃらに“明るい将来”を信じて頑張る若者世代が出てきたんだなぁって気がします。

今どきの若いもんに力づけられてる中高年なのであります。


2012年12月02日(日) 『日の浦姫物語』(Bunkamuraシアターコクーン)

(観劇日は1日)






井上ひさしで蜷川幸雄で大竹しのぶで藤原竜也。

(なぜか)語呂がいい。

失敗するわけがない。

そんな多大な期待は不吉。←

だが、不吉な予感は幸いにも大はずれ。

上々吉でした。





もう、改めて書く気にもなれないけれど、大竹しのぶ。

魔女だ。←

「ニッポンヲダイヒョウスルダイジョユウデスネ」なんて賛辞は、空しいだけだ。

もう、この人に与えられる称号は「魔女」、それだけだ。

大竹しのぶで失敗したのは、『瞼の母』ぐらいかなぁ(お、おい/汗)

おっと、余計な一言でした。



藤原竜也。

「天才美少年」として(“美”が大切)認識してはや15年。

いつの間にか三十路ですよ。

まぁそれはいいとして、昔は「この子は芝居の申し子だ」と思っていた彼独特の芝居癖に、ちょっと「?」となった作品もないではなかったここ数年。

『黙阿彌オペラ』なんかは、(井上ひさし先生が「藤原に五郎蔵をやらせたい」とおっしゃっていたそうなのだけど)ぼくにはどうも「???」て感じだった(作品が「?」だったんじゃなく、竜也くんが演じた役が、彼に本当に合っていたのか? という点が「???」だった)

だから、近年ぼくは「脱・タツヤ信者」を標榜していた。

なので、今回も正直、「あのセリフ癖が気にならなきゃいいけど・・・」と若干ドキドキして出かけたのだった。

その辺は見事にクリア。

大竹しのぶに気圧されてないか? その辺もクリア。

美貌が衰えてないか?(←失礼やぞ)

その辺も全然大丈夫(ラストシーンの袈裟姿は、背が高すぎて似合ってなかったが)

とにかく、稲若(藤原)と日の浦(大竹)が15歳のときからこの二人の出番がスタートするのだが、あまりにもお二人の“若作り”がすさまじすぎて(褒めてるんですよ!)、心の中で大笑い(感心・感動したときのぼくのクセです。決して可笑しいのではありません)

めっちゃ可愛かった(*^^*)



そして、ワキの方々も、井上戯曲ではおなじみのベストキャストと言っても良い方々。

今回は特に、初めて認識した役者さんだったが、金勢資永役の星智也さんがカッコ良くて(^^ゞ印象に残りました。



いやしかし、兄妹、そして母子の近親相姦がテーマになっている話というので、どんなにおどろおどろしい悲しい話(過去、ニナガワ作品でも『オイディプス王』や『エレクトラ』がありました。テーマ的には『身毒丸』なんかも入れていいはずだ)かと思ったら、なんとも井上作品らしい、「ケ・セラセラ」な話だった。

んー、それは決してこういうことを不真面目に捉えているってことじゃなく、「まじめに考えあぐねた結果、ケ・セラセラが一番」と達観した感じといいますか。

もちろん、日の浦も、魚名(稲若と日の浦との間に生まれた子)も、自分の出自や人生を深刻に嘆いているんですよ?

でも、そんな中で、説経節特有の事態というか、「普通だったら死んどる!」ってほどの苦境の中でしばらく生き続けて、改悛が認められてミホトケのお慈悲が下ると、すぱっとその罪業が濯がれて、「解決しました」みたいな展開になる。そのご都合主義が実にポップで、日本人の宗教観や道徳観が如実に表れている気がする。

逆に言えば、「そうとでも考えなきゃ、いくつ命があっても足りない」苦境が、当時の日本人には日常的だったのかもしれない。

「日の浦姫」のお話は今回初めて知ったけど、説経節と言えば有名な「小栗判官」にせよ「しんとく丸」にせよ、ほとんどパターンが一緒だもんね。



そして、これらのストーリーが、なぜか遠く離れたギリシャ神話や古代ローマの聖人の伝説に酷似しているというのも興味深い(イザナギノミコトとオルフェウスがそっくりなエピソードを持っているがごとく)

国の風土や成り立ちなんか、たいして似てない気がするのに、面白いものだ(この辺の民俗学的考証は立派に修めていらっしゃる方もたくさん存在するので、いちいちここでは考察しませんが)



てなわけで、4連チャンの3本目、無事満足。

あー、明日の作品は、予習(原作を読む)しときたかったんだがなぁ・・・。

仕方がない。「先入観あって予備知識なし」という最悪のパターンになってしまったが、それで行くことにしましょう。うう。


2012年12月01日(土) 『ぼくに炎の戦車を』(赤坂ACTシアター)

(観劇したのは11月30日)







鄭義信の芝居を観るのは初めてである。・・・多分。

1980年代後半の小劇場ブームの時でも、新宿梁山泊はアングラ色が濃すぎて、ちょっと近寄りがたかったせいもある。

その後この方は“梁山泊”をお辞めになって、映画方面でヒット作をいくつも書かれたが、ぼくはどういうわけか、1985年以降、映画をぱったり観なくなって、見事に彼の作品とはすれ違いになった。



という前提条件で、語らせていただきます。

まず、この時代(1920年代だそうです)の朝鮮半島について、なんと、ほとんど知らなかった自分に驚いた。

むしろこの時代だと、日中問題の方に目が行っちゃってた。

地理的にも近いのに、朝鮮半島のことを、よく知らなかった。

知識として知っていたのは、当時、ここは、「大日本帝国」の一部だったということだ。

日韓併合時代だったのだ。

それは知識としては知っていたのだが、当時の朝鮮半島(舞台になった場所をもっと詳しく言うと、ソウル(当時は「京城」って言ってた)の近くの農村らしい)がどんな感じのところで、そこに、どんぐらい日本人がいて、どんな風に暮らしていたのか、そして元々住んでいた朝鮮人たちの風俗や文化はどんなだったのか、を、よく知らない自分がいた。

戦後の朝鮮(てえか、日韓関係)のことは、社会人になってからちょこちょこと知識を身につけては来ていたのだが。

で、今回の舞台で見る限りは、当時のソウル近郊の雰囲気は、1930年代の満州に近いのだった(気候がかなり違うが)

“支配”する側の日本人、“原住”している朝鮮人。

原住民たちはもちろん基本的には「独立」を望むわけだが、経済的な点では“支配”されてた方が楽であり、政治的にも「帝国軍は米露への盾」という目論見も持っている。

ここに住んでいる日本人たちも、祖国では底辺の暮らししかできない負け組だったり。

それがゆえに、むやみに威張っている連中もいれば、逆にここを第二の故郷と思い定め(今作の主人公・柳原直樹のように)、朝鮮人を同胞同然に思い接する人たちもいる。

日本人の方が民族的に優れているという意識を悪びれもせず披瀝している日本人もいるし、まったくその逆の意識を持っている朝鮮人もいる。

そんな複雑な感情を互いに見せ隠ししながら付き合っている。

そんな中、さらにその底辺にいることを余儀なくされているのが、男寺党の人たちだ。

スペインで言うロマ族みたいに、日本で言う猿楽師みたいに、芸事を生業として、人々の葬祭の彩を請け負う人たち。

「葬祭」を請け負うことはすなわち「ケガレ」だ。

否応なく差別されて生きている。

「差別」とは不思議なものだ。

ある集団から「差別」されている集団自身が、また誰かを差別していることがままある。

一体その根拠たるや、何なんだろう?

人間て、そんな風にしか自尊心を守る術を知らないのだろうか。



あれ? こんなことを話すつもりではなかったんだが。

じゃあ、何について話そうと思ってたかというと、この、在日韓国人である鄭義信が描く「朝鮮半島に住む日本人」と現地民の関係を、いたずらに“現代の日韓関係”になぞらせるような観方はしたくないと思った、ということである。

もちろん、この時代のこういった両国の現実があったからこそ、現在の日韓の関係があるのは自明だ。

お互いに気持ちが寄り添えば、分り合えるはずだなどという理想論を言うつもりもない。

“感情”は“理屈”ではコントロールできないからだ。

ぼくは、ラストシーンの直樹の感動的なモノローグよりも、男寺党のスター・綱渡り名人に憧れる少年・南星が、貴族娘(本当に貴族だったのかはぼかされていたが)の狂言妊娠のせいで男寺党を追い出されるシーンが悲しくて切なくて泣けた。

ただし、南星が可哀相で泣けたのではない。

男寺党の規律(それはとりもなおさず“存在価値”だ)を守るために、コットゥセ(党首)として南星を袋叩きにして追い出さくてはならなかった淳雨の心の激痛を思って泣けたのだ。

南星を殴る蹴るさせる淳雨を泣きながら直樹が止めるのだが、ぼくがこの時思ったのは、

「理解し合うということは、相手の文化を尊重することだ」

ということだった。

淳雨がしていることは、直樹から見れば、理解できない、残酷な行為かもしれない。

だけど、直樹は淳雨に、自分の正義感を押し付けちゃいけないと思う。

自分が「当然、こっちの方が正しい」と思っていても、それを押し付けちゃいけない。

そして同時に、いかに尊敬できる、心許せる“友”であろうと、自分の領域に口出ししてくることは許しちゃいけないと思う。

それが解っていないと、人付き合い、特に、文化の違う外国との付き合いに支障が生じてくるのだと思う。

・・・って、結局「今の問題」になぞらえてしまったな。



ツヨぽん演じる柳原直樹は、「白磁」を芸術品として認め、朝鮮民族美術への造詣が深かった柳宗悦氏がモデルだそうだが、物語の終盤、教職を棄てて陶芸修行を志す直樹の直情さは、「韓国でスターになりたい!」と、突然ハングルを学び始めて韓国芸能界へ乗り込んで(?)行ったツヨぽん自身の姿にもどことなく重なる。

その無鉄砲ぶり(オイ)には、なかなかハラハラさせられると同時に、爽快さも感じる。

一方、芸事しか知らない、教育を受けずに育ってきた「無教養な自分」というコンプレックスを抱いている淳雨の方が、“教育者”である直樹よりも落ち着きがあり大人っぽいところが(それはすなわち、淳雨を演じた차숭원自身の男らしさ、大人っぽさでもあるのだが)面白かった。






だけどもやっぱり、香川照之その人の演技力・存在感は“圧巻”の一言。

正直、他の役者全員がかすんでしまった。



ミーハーなつけたし。

ジャニーズバーター(おい)ではありましたが、高田翔、なかなかちゃんとした芝居をしていました。

ジャニーズ自体、ここ十数年タレント飽和状態なので、みんながみんな第一線アイドルになろうなんて考えが甘いことはもう自分ら分かってるはず(お、おい/汗)

そりゃあ、「この業界で第一線に躍り出てやるんだ!」というファイトだけはみんな抱いていてしかるべきだけど、自分の方向性というものを冷静に判断することも当然必要。

実直路線の子が増えていくことは、歓迎するべきだとぼくは思っております。

がんばれよ(←なぜか『百識王』チームに甘いぼく)


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