てくてくミーハー道場

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2012年11月30日(金) 『菅原伝授手習鑑〜天神さまの来た道〜』(あうるすぽっと)

「花組芝居創立二十五周年記念公演」と銘打ってあります。

ぼくが花組芝居を初めて観たのは23年前なんですが、途中から歯抜け状態になってしまっているので、もう贔屓とは言えないかもしれません。

それでも、最初にはまった劇団なので、思い入れはあります。

いろんなところに追いかけていった思い出もあります。

招待状を頂くまでの関係になったこともあるのですが、人間万事塞翁が馬(←使い方間違ってる)





どうでもいいか、そんなこと。

芝居の感想を忌憚なく偏見なく書きましょ。

(と思ったんですが、『月刊ゴールデンボンバー』を視てたら最早こんな時刻になってしまったので、本感想はまた後日←出たよ、いつものフラグが)


2012年11月25日(日) 『里見八犬伝』(新国立劇場 中劇場)

新国立劇場、上(中劇場)でも下(小劇場)でもチャンバラやってます(笑)

ぼくも両方観たかったんだけど、うっかりしてるうちに、小劇場の方は今日で千穐楽だった(´・‐・`)ショボン





さてさて、日本最古(?)の冒険サーガと呼んでも差し支えないであろう『南総里見八犬伝』

後世の日本人が、壮大な世界観の中で主人公たちが一つの目的のために旅をしながら成長していく――みたいな冒険譚を創る際の基礎知識となっていると言っても過言ではない。

かように、鉄壁の世界観、立ちまくりのキャラ、飽きないジェットコースター・ストーリーの三拍子が揃っているので、いかようにアレンジしても面白い・・・と言いたいのだが(な、何ですって?!)

いえ、今回のこの作品はちゃんと(←もっと素直に褒めろ!)面白かったです。

今頃言うのは卑怯だと重々承知しておるのですが、今回のこの舞台を演出された深作健太氏、その父君である名匠・深作欣二監督による映画『里見八犬伝』が、ぼくは実を言うと全然好きじゃなかった。

まぁそもそも、かの映画の原作となった鎌田敏夫作の小説が、滝沢馬琴による本家本元の原作の換骨奪胎以上の“改変”っぷりであったことを、ぼくが好まなかったというのが原因ではある。

この映画は、当時の角川映画のプリンセスであった薬師丸ひろ子のためのアイドル映画だったからだ。

あそこまでのアレンジには、さすがに耐えられなかった。

ま、元々ぼくだって、江戸時代に書かれた大長編を読んだわけじゃなく、ぼくたちの世代なら120%がハマったと言っても過言ではないNHK人形劇『新八犬伝』こそが“我らにとっての八犬伝”だから、1960年代生まれにとっての『八犬伝』は、“あの”『八犬伝』以外にないのである。

そのベースの上で、歌舞伎版の八犬伝(たいてい芳流閣しか出てこないが/笑)や横内謙介氏による「スーパーカブキ」版八犬伝なんかが面白いと感じて育ってきた。

『新八犬伝』の場合、何が良かったかって、やっぱり長期間にわたって放映されていたので、このサーガのサーガたるゆえんと言うか、八犬士が一人、また一人と丁寧に描かれながら登場し、その生い立ちがじっくりと描かれていた、それがたまらず良かったのだ。

それに加えて、敵方のキャラクターの魅力的なこと!

ラスボスとも言える玉梓の怨霊は言うに及ばず(阿部寿美子さんによる、迫力ある低音の「たーまずさが〜お〜んりょ〜〜〜!」という声と、辻村寿三郎氏による、他のキャラの人形よりも二回りも大きな人形が、このキャラが他のキャラクターとは一線を画していることを示していた)

「さもしい浪人・網乾左母二郎」とか、悪女・舟虫(←女の名前ですよ!)とか・・・。





ておどるさん、本題の感想を全然書かないうちに、もう1時間経ってるんですけど・・・。





うわっ!(汗)

す、すまん。

さて、今回の舞台版は、まさに平成ニッポンの若者たちにすんなり受け入れられる要素ばっちりだった。

一人ずつ、仲間を増やしていく様は、まさに「RPG八犬伝」

八犬士の中でもやはり犬塚信乃にやや重心が来てるのはいたしかたないが、八人それぞれに見せ場があり思い入れもできるという、戦隊モノ的な要素もあり。

もちろん「戦隊モノ」と言っても、昭和のソレのような、「個性的なヒーローが8人集まって、“ヤァ!”っつって悪人を倒してめでたしめでたし」という単純な作劇ではなく、「自分探し」を髣髴とさせる今風ロマンティックなテーマもかぶせてあり、現代の青少年たちに、これはウケるぞ、役者も全員イケメンだし(笑)



そして、ぼく的に(当然これを期待して行ったのだ)最高だったのが、たぁたん(香寿たつき)

もちろん、玉梓ですよね? とワキワキしながら観ていたら(こっから先、大ネタばれ!)、なんと伏姫として登場!

・・・っえ? なんですってぇ?!!(いや、伏姫も良い役だけどさ)

と、無念に思っていたら、早替わり(ってほどではないが)して次のシーンで玉梓として登場\(^^)/やった〜!(喜)

しかも、この二役は、単に「伏姫は出番少なくてもったいないから」みたいな理由ではなく(←そんな理由考えるのはおめーだけだ/叱)、「伏姫と玉梓は同一人物が演じるべき」というれっきとした理由があることが、話が進むにつれて判っていくのであった。

そんなこともあって、今回の脚本は、ぼくぐらいの年齢の者にとっては、若干「ゲーム脳向けだねぇ」という気持ちにさせられはしたが、かといって嫌悪感を抱くようなものでもなく、ちゃんと面白い出来ではあった。



他の役者たちについても、たぁたんや山口馬木也くんなどの“大人チーム”は良くて当たり前な感じだったが、八犬士+浜路、房八、ぬいを演じた若人チームも、はつらつとしていて、大変楽しめました。

八犬士たち(西島隆弘くん、加藤和樹くん、市瀬秀和くん、矢崎広くんは以前にも舞台を観たことがあります。あとの4人さんは初見)は、体がよく動くのはもちろん、セリフも達者。特に、先入観なしに(早乙女太一くんの弟だというのを知らずに)早乙女友貴くんを観ることができて良かったと思いました。突出して舞台度胸がハンパないのはすぐ判りました。

あと、浜路の森田彩華ちゃんは、なよなよした(コラ)浜路の時は学芸会アイドル芝居っぽかったんですが(おいおい、なぜ女の子にはキビしいの?)、浜路の“念”になった時の芝居には迫力がありました。

ちいさなところでは(脚本も含め)ツッコミどころがなくはなかったんですが、全体的には上出来。

特に、ラストシーン(ここは原作と全然違うんだけど、残念な感じはしなかった)

信乃が、八人の仲間たちが集結した玉の中に見た“文字”とは何だったのか。それを観客に考えさせる終わり方は、なるほど(良い意味で)RPG世代の作劇だと思いました。

面白かった。

清々しい作品でした。



蛇足。

東京千穐楽の26日は、たぁたんの○回目のお誕生日ではないですか!

うわぁ! やっぱり今日は『イエロー』(小劇場でやってたやつ)観て、26日にこっち観れば良かった!(とはいえチケットが・・・)


2012年11月23日(金) 『こどもの一生』(PARCO劇場)

チラシを見ると、どうも「ホラー」のようだ。

観るのやめよう。←



近づく千穐楽。

・・・や、やっぱ観よう。←

だって、G2だもの。

吉田鋼太郎だもの。





勇気を出して観て良かった。

途中、ぼくが一番苦手とするスプラッタ系に流れそうだったのでドキドキしてしまったが、全体的には“嫌いじゃない”系のコワさだった。

心理系のコワさだった。

けっこう潤色してあるのかしら? 初演はもちろん、20年前のMOTHER版も14年前の再々演版も観ていないぼく。

ふむふむ、初代・柿沼は升毅さんか。

そして、初演、再演のメインキャストに牧野エミさんがいる。

そうか、そうだよな。

しばし黙祷(あまりに突然のニュースだったので、びっくりしてしまった・・・)





さて、若干ミステリー仕立てなので、これまたストーリーの大事なところをばらさないように感想を書くのが難しいな。

「山田のおじさん」の正体が何なのか、という点は、一番肝心なようで、実はさほど重要じゃないような。いや、やっぱり重要なような(←何言ってんだおめえ)

つまり、理詰めで答えを出そうとすることはナンセンスで、かといってうやむやにすることもいけないことで。

ぼくだったら、山田のおじさんを退治する方法として、プロフィールに「山田のおじさんの最大の弱点:○○(自分たちが簡単に繰り出せる何か)」とでも書き加えそうだな。

それがちゃんとした解決法かは別として。

ぼくが「観て良かった」と思ったのは、この芝居が単純に「客を怖がらせる」B級ホラーやスプラッタ作品ではなくて、知的好奇心(?)を刺激するお話であった点だ。

特に、山田のおじさんの存在を支配する「誰かが認識するからこそ××は存在する」という思想は、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」でおなじみの有名な哲学的要素なのだが、山田のおじさんの場合は、“ぼく”が信じていなくても、一緒にいる誰かが「いる」と信じているだけで存在してしまう、始末に負えない存在だった。

デカルトはちょっと違うか。

つまり、「誰も聴いていない状態で森の木が倒れた時、音は“した”と言えるのだろうか?」みたいな話。

・・・これもちょっと違うか。う〜ん、う〜ん(←ムリするな、ておどる)

(仕方がないので話を変える)中島らもさんがこの話を書いた頃には、きっとその例としては浮かばなかったであろう、「目に見えない“危険なもの”を恐れる人と、それが見えてない人(または恐れない人)とのディスコミュニケーション」なんかが、今じゃとってもホラーだなあ、とか、単純に「ガキが軽い気持ちで始めるいじめって、本当に困りもんだね」とか、2012年版ならではの色々な感想も抱くぼくであった。

話がまとまってないね。すみません。





出演者について。(注:こっから無意識にネタばれするかもしれません)

G2作品でおなじみの方々による、安心のクオリティであった。

わたくしイチオシの吉田鋼太郎さんはもちろんのこと、そんな“大人になったジャイアン”三友社長に飼い殺されている“容姿は出木杉くん・存在はのび太”の柿沼役のタニショー(谷原章介)

偏見で申し訳ないが、この人、テレビドラマや『王様のブランチ』なんかで視ていると、1ミリもぼくの守備範囲に入ってこないタイプの俳優なのだが(ただ、映画では時々「おっ?」という役をやったりする)、舞台ではなかなかすごい存在感を示す。

ぼく、テレビドラマに偏見ありすぎるのかなあ?

主にテレビ界で活躍してる人って、たいしたことできないよねって思ってるフシがある。

改めないとな。(かといってやっぱり、余程惹かれるものがなけりゃテレビドラマは今後も視ないと思う)



中越典子ちゃん、この人にも偏見あった。

舞台では『W〜ダブル』しか観ていないのだが、あの作品ではこれまた他のキャスト陣がすごすぎて、この人だけあっぷあっぷ気味に見えた。

今回は、かなり舞台体力がついていて、何の心配もなく観ていられた。

何より、こども返りしたときのツインテールの可愛さ!

やばいよ。(←エロオヤジかお前は)

とてもさんじゅ(中略!)・・・見えない。(こ、こら)

(笹本)玲奈ちゃんももちろん普通に可愛かったが(玲奈はキレ芸(?)も冴えてました/笑)

そして(鈴木)砂羽ねえさんのグラマラスボディと、色気満載の存在感にぐらり。

・・・すっかりエロオヤジの感想になってるんですけど、大丈夫ですかね? ぼく(全然大丈夫じゃないと思う)




そしてシゲ(戸次重幸)は、「ボロが出なきゃ完全イケメン」ぶりをいかんなく発揮(失礼発言)

メガネ+白衣=卑怯の公式100%体現(^^ゞ



玉置玲央くんはぼくはお初でした。今回の役は草食系? それとも? みたいな役だったのだが、ときどき超人的な運動神経を垣間見せたりして、ポテンシャルはんぱない感じの役者さんです。これから注目しよう。



そいで、山内圭哉。

・・・う、うっあ、ネタばれするとこだった。危ねえ。

こわかったっす。←ネタばれだよ! それ。

ひたすら、こわかったっす。

山内さんは(ぼくが観るときに特に)怖い役がけっこう多いが、最初、“気のいい人”な感じで出てきた時から、そこはかとなく怖かった(いや決して役づくりに失敗してたって意味じゃなく、効果的な意味で)

この役、初演と再々演ではふるちん(ネ、ネタばれ!!!)が演ったらしいが。

うわぁー観たかったーーなぁーーーーー!(でももう遅い)





そんな感じで。

ちなみにこのお話、元々は戯曲だが、何年か後にらもさんご本人の手でノベライズされたらしい。

らもさんの本はエッセイしか読んだことがないぼくですが、この作品は、細部まで「こうかな? こういうことかな?」と再度咀嚼しながら読んでみたいと思いました。


2012年11月22日(木) Anniversary

やっと先週の『MUSIC STATION』を視たか。

というわけではありません。

ちゃんと当日帰ってからすぐに視ました(なのに感想書かないって/怒)

あ、あとで書きます(汗)




すげぇ久しぶりにタモステ視たぜ。

実際、1年以上視てなかったもんね。




あ、また本題じゃない話を長々としてしまった。

今日は何のアニバーサリーなのかっていうと、

「ゴールデンボンバーの“誕生日”(暫定)」(注“結成日”ではない)

らしいんです(ちなみに6歳だそうです)

いろいろ注意書きが必要なので、ここにまとめますと、

「2006年11月22日に、鬼龍院、喜矢武、血祭の3人編成時代のゴールデンボンバーが、ヴィジュアル系バンドの聖地・目黒鹿鳴館で初めてライブをやり、共演者のVagu*Projectのパフォーマンスに強い衝撃を受け、『これでいいんだ! これこそがエンターテインメントなんだ!』と思いを新たにした日。この日があったからこそ現在のゴールデンボンバーがあるので、この日を『金爆が生まれた日』に認定」

という、バンドを題材にしたマンガならまさに第一部のクライマックスになるような出来事があった日だそうなんです。

(出典:『ゴールデンボンバーのボーカルだけどなんか質問ある?』)



そのVagu*Projectはもう存在しないそうですが。

(後記:よく確認せず失礼なことを書いてしまいました。11月現在の様子は判りませんが、今年上旬までの活動を確認しました。ホントすみません。Liveの様子もちょっとだけ視させてもらいました。ドラムがいない(?)3ピースバンドですね。するとドラムの音って・・・なるほど/笑)



女は記念日とかが好きなので、今日は金爆ギャがツイッターやブログなんかでかなりこのことに触れていました。ぼくはそれを見て気がつきました。(←女力(おんなりょく)低いね、今さらだが)




そんなおめでたい(?)日ですが、一方で昨日はキリショーのソロライブが本人の喉の不調により延期という寂しい発表があり、現実ってほんとにマンガより奇だな(正しくは「事実は小説よりも奇なり」だぞ、若い人たち。ことわざは正しく使ってね。アホ熟年のまねしないでね)と思う次第。

他人のリアルな人生を、マンガを読むように楽しむなんてバチあたりすぎるわけですが、ぼくにはぼくのいじましい人生もあることですし、真面目に人生を歩んでいる人たちには、どうか幸せになってほしいと心から願っている(なんか、ボキャブラリーが変ですが、どうかしましたか? ておどるさん)

まあ、かなりライトな(沖縄にまで行ったことをもう忘れたか!)ファンのぼくとしては、いよいよバンド名義のシングルが出るんで、それを楽しみにしてます。

こんな(もうCD主導じゃない)時代なんで、あまり価値がないかもしれないが、オリコンウィークリー総合チャート1位(ヴィジュアル系チャート1位なら過去にあったみたいだからね)をプレゼントしてあげたいです。

頼るはニワカと新規の皆様!(おい・・・暴言だな今日も)

だってそうっしょ? 今までのファンだけじゃ、1位にしてあげられなかったじゃない。人数的に。

今回こそ初めてのチャンス。

かも。

知れんし。(←何なの?)





ところで、2006年の11月22日って、ぼく、何してたんかな?

この頃のブログが消えちゃってるから(書いてなかったって可能性も)わかんないや。

多分、普通に仕事だと思うが。

ああ、変化のない人生って、つまんないわね。←


2012年11月20日(火) ゆっくりおやすみください

(都合により日付がズレていますので、本当は19日の日記です)





朝、家を出るまで・・・いや、職場に到着する寸前まで元気ハツラツだったのに、職場に着いたとたん、具合が悪くなった。



別に、イヤな仕事が待っていたとかいうわけじゃなく、本当に、普通の意味で、体調が悪くなったのだ。

まあ、地下鉄の駅から職場に向かう道すがら、週のしょっぱなから頭が痛くて(ここまでは、ぼくにとって「体調不良」に入らない)肩こり体のこわばりが強くなってきたので、歩きながらマッサージの予約を入れた。

ところが、PCが立ち上がるのを待ってるわずかな時間に、たちまち頭痛が本格的になり、ぼくの風邪の主症状である悪心ムカムカ。

今日が締切の仕事がすぐ終わるやつで良かった。

さささっと2時間で片づけ、マッサージ(とにかく肩周り首筋こめかみの痛み眼精疲労を何とかしたい!)を午後いちに変更してもらおうと電話したら、

「風邪のときは、マッサージはやらない方がいいです。ウィルスが全身に回ってしまいます」

とコワいことを言われ、そんな殺生なと思いつつ、

「栄養を摂ってゆっくりおやすみください」

という専門家のアドバイスに従って、早退しました。



帰宅してテレビ視てたら(寝ろよ!)、今日の東京の最高気温は10度だったんだってさ。

そらキャッチ・コールドするわ。

今冬(まだ秋だと思いたかった・・・/悲)初のキャッチ・コールド。

歳と共に流行りものに敏感(こんな流行りものばっかだけど)になっていくわたくし。

とりあえず部屋を暖めて、横になる。

早く帰ることばっかりに気が行ってたので、風邪薬を買ってこなかったことに気づくも、寝ころんだらなんとなく楽になったので、そのままテレビを(おい)

先週、訃報が伝えられた森光子刀自の特別番組を録画していたので、それを視る。

『放浪記』、ぼくは一回しか観てない(それでも既に刀自は80歳過ぎてた。でも、でんぐり返しはしてた)のだが、あんまり“壮絶”な感じのモリミツコを観てなくて正解だったかな、とこの番組を視て思った。

失礼な感想かもしれないが。

実はぼく、別の舞台(2007年10月新橋演舞場『寝坊な豆腐屋』)で若干ソーゼツな感じの森光子を観ているので、結局その配慮(?)もムダだったのだが。

あの頃にはもう彼女は、普通に座ってても足とか手が常時プルプルしてて、

「これって、すごい緊張してるの? それとも」

と、かなり気になった。

前から2列目で観ちゃったせいもあるが。

だけど、そこさえ見ないようにしていれば、セリフは自在だし、“元芸者”のそのヒロインが、普段着とよそ行きとで変える和服の着こなし・センスなんか、思わずうっとりしてしまう舞台だった。

この舞台の時代である昭和37年ごろには、妙齢の女性はまだ皆(水商売とかに限定せず)和服だったと思う。

祖母コン(ばあちゃんコンプレックス)のぼくにはたまらん舞台だった(そんな感想?!)

あ、いや、もちろん、話も面白かったよ(古き“ザ・人情もの”でありました。が、手練の出演者たちやダブル主人公の勘三郎と森刀自の掛け合いが絶品で、とにかく「うまい!」と声をかけたくなるような舞台だった)



そんなわずかな対森光子の記憶をたどりながらこの番組(金曜プレステージ)を視ていたが、一番胸にぐさっと来たというか、熱く冷たく沁みてしまったのが、刀自の、

「役者ってのは(略)幸せいっぱいじゃ、やってけないんです」

という言葉。

エンターテインメントの世界に生きている人たちに対して、いつの時代も大衆はドSである。

名声と収入に恵まれている「有名人」「売れっ子芸能人」に対して、大衆はいつも、理不尽な羨望と嫉妬と要求を突き付ける。

公私ともに幸せになることを許さない。

ワイドショー的な話で気が引けるのだが、彼女は2度(?)の結婚に失敗して、お子さんもいない。

世間一般でいう「女の幸せ」は彼女には与えられなかった。

それでいて、“芸能界のお母さん”として君臨しているような扱いもされ。

一体、それは幸せなのか、そうでないのか。

ジャニオタ的に見れば、ここ二十年ほどは(考えると、長いな!)大勢の美少年美青年たちから尊敬され、もてはやされ、(下品な感想で申し訳ないが)いいご身分だなぁと思われていたフシもある。

でも、そんなのは結局「オモテ向きの」幸せだったろう。

彼女を慕うあまたの美少年たちは、ぶっちゃけ本当の息子でも孫でもない。

その事実に、本当は寂しい独居老女であるモリミツコを思って、ドS感情を満足させていた、ぼくも下品な大衆の一人であったのかもしれない。

ぼくが目にした直近の森光子さんは、光一さんが『徹子の部屋』に出た時に紹介された、「今年の初頭に送られてきた、『SHOCK』のパネルを掲げた」写真。

遠く離れた孫にエールを送るため、こぎれいにオシャレしたおばあちゃんにしか見えなかったが、その笑顔は幸せそうだった。

ぼくが言うことでもないが、それはそれで良かったんじゃないかな。





ゆっくりおやすみください。

ぼくも今日は早く寝て、風邪治します(じゃあテレビ消せよ)


2012年11月19日(月) 猫のホテル『峠越えのチャンピオン』(ザ・スズナリ)

(18日に観劇)





何年ぶりかの猫ホテ。

あ、『わたしのアイドル』(2011年12月)があったか。でも、あれは「番外公演」ぽかったしな。



行ってみるまで知らなかったんだけど(あんまり猫ホテに忠誠を誓ってない、ゆるいファンなので)、イケテツ(池田鉄洋)退団したんだね。

そこはかとない寂しさ。

「表現・さわやか」は、観たい観たいと思ってはいるのに、いつも観逃してしまう。

さほど熱意がないのだろう(←他人事)





遠回りな話はこのへんにして、作品の感想をば。

随時“汚い札ビラ”が飛び交う、まさに猫ホテワールド(笑)

こんなにも「カネ」の重みのない世界を描かせたら、千葉雅子さんは天下一品だと思う。

表社会の、裏社会の、地位のある人、その人にぶらさがる人。

ずるい人、そしてずるい人に利用される、一途(でバカ)な人。

その周囲を、価値が暴落する一方の札ビラが舞って舞って舞い散りまくる。

実にニヒルな世界です。

もちろん今回も何の予習もせずに行ったのですが、このニヒルさは、あの上州三日月村出身の渡世人(長い楊枝くわえた人)の世界らしい。

ぼくはそこまで思い至らず(群馬県というヒントまで出てきたのに。例によって鈍い。ごめん)

「昭和任侠伝の世界かしら?」

と思いながら観ていた。



役者さんたちは、盤石のハマリ具合と(ガンツ氏、いいよー今回も(#^^#))こなれた芝居力(演技力、というのとはちょっと違うんだよな・・・)でぐいぐいとストーリーを進ませる。

最近では他のプロジェクトで観ることの方が多い(市川)しんぺーちゃんや中村まこと氏も、猫ホテで観ると、やはり格別。

だが今回は、ちょっと卑怯(?)にも、政岡泰志氏がカッコ良くてしびれた。

もう一人の客演・前田悟氏がカッコいいのは当たり前(何そのひいきっぷり?)





しかしながら、観終わってますますニヒルな気分になってしまったのは、こういう世界が、楽しいお芝居の世界だけにとどまっておらず、現実社会の方で、うんざりするような、陰惨で、あきれてものも言えないような事件が本当にあちこちで起きていること。

何か、腹が立ちます。

こういうイヤな人間関係は、芝居の世界だけにしといてほしい、ほんとに。

どぉ〜こかでー、だぁ〜れかがーー♪(←現実逃避)


2012年11月18日(日) 『招かれざる客』(ル テアトル銀座)

17日のソワレっす。



浅丘ルリ子様のクリスティー・シリーズ第三弾。だそうである。

『検察側の証人』は観た。

『蜘蛛の巣』は、たぶん(あやふや)観てない。・・・うん、観てない(今、簡単なあらすじを検索してみました)





ミステリーの感想は、ネタばれ完全禁止が礼儀(と勝手に決めてます)なので、難しいな。

うーんとね、ただ「面白かった」てわけでもないし、なんか、独特な観劇後感があったな。

それはたぶん、謎が解けて「おおお〜!」という感想というのではなくて、ルリ子様に対する「おおお〜!」なのだと思う。

ぶっちゃけ、ルリ子様が“若い美貌の人妻”で(“美貌”には異論なし)、そのお姑さんがオトミさん(安奈淳)て、どういうこっちゃ!(こ、こら/汗)という感想もなきにしもあらず。

(蛇足ですが、実年齢は“姑”の方が7歳下です)

しかし、その“美貌の若妻”が、なにやら秘密をその細い肢体に抱え込んでて、一人悩んでいるような様を見せられては、古谷一行でなくても(ご快復おめでとうございます)思わず助けてあげたくなるというものです。

いや、古谷さん・・・じゃなかった、彼=マイケルは、果たしてローラ(ルリ子様)を“助ける”つもりであったのか? それとも(おおっ、ミステリーの感想らしくなってきた←)



内容には深入りできないので、役者の皆さんを評します。

オトミさん・・・ルリ子様と並ぶと大きく見えますが、彼女も実に華奢です。長年ご病気をされてたってのもあるが、元々「男役」としても小さい方で、今のタカラヅカだったら、男役になれてなかっただろうな。

でも、あの低音はすごく魅力です。セリフに力がある。そして、やはりいくつになられてもお可愛いらしい。顔と声のギャップがおステキ(おい、ファンレターになっとるぞ)


古谷一行さん・・・二時間ドラマのイメージか(ぼく世代にとってはテレビドラマ版金田一耕助)、何かたくらんでるように見えない。舞台で拝見するのは初めてなんだけど、それが良い方に転じました。


石井一孝&川麻世(なぜかセットで)・・・役どころはコンビでもなんでもないんだけど、この二人がスーツ姿で並んでる様子が、めっちゃカッコ良かったので。あと、役をとっかえっこしても良かったかなぁ〜とも思った。まぁ、もしマヨマヨがジュリアン(今回カズが演じた役)だったら、怪しさ倍増だったかもしれないが(おい)


不破万作・・・ナイスコメディリリーフ!(笑)こういう役どころって、クリスティーものに欠かせないよね。意外と(こら)身が軽いのにも感心しました。


斉藤暁・・・やっぱうまいなあ。なんとも言えず、うまい(決して手抜きな感想ではないですよ・・・)


原田優一・・・ほー、こういう役ができるんだ、と感心。今回は得意の歌はまったく出番なしだったが、難役を丁寧に演じていました。


福永悠二・・・“死体”の役だけど、いわばこの物語の中心人物なので、無視するのもアレかと。お疲れ様でした(おいおい、おざなりだな)



で、最後になってこんなこと書くのはごめんなさいなんだけど、音楽が二時間ドラマみたいだったのが、なんだかぼくの感性にはフィットしなかったです。

ああいういかにもな音楽って、「このシーンではこういう気分になってください」って強要されてる感じがするじゃないですか。

そういうのって、どうもいただけなくてね。

装置や衣裳が超豪華な感じだったのだから、音楽ももう少し凝ってほしかったな・・・そんな気のする観劇後感でした。


2012年11月17日(土) 『エリザベート スペシャル ガラ・コンサート〈旧星組?版〉』(東急シアターオーブ)

本日はマチソワ。まずはこちら、マチネ公演から。


その前にまず、このエントリは、まず最初に下の一行を10回声に出して読んで、しっかりと頭に叩き込んでからお読みください。

「ておどるにとって、タカラヅカ=紫苑ゆう(シメさん)である」



わかりましたか? わかった方のみどうぞ。






今回のガラ・コンサートで、現役時代にトートを演じていないにもかかわらずキャスティングされたのは、シメさんだけである。

もちろん、星組初演のキャストが諸事情で集まれなかったということもあるのかもしれないが、もっと大きな理由は、とにかく、90年代のヅカファンにとって(そして、ご本人にとっても)、シメさんのトートほど、

「なんで演れなかったんやーーー!」

と神戸弁で喚きたいほど熱望されている“かなわなかった夢”はなかったからだ。

ただ、シメさんが退団後、大劇場でのたった一度のリサイタルでご披露なさった「最後のダンス」を聴いたときには、正直、

「やはり現役でないと・・・」

という感想を抱いたのも事実である(この前の年に宙組が『エリザベート』を上演してて、当時ぼくにとってのナンバーワントートはずんこ(姿月あさと)だったからってのもある。ずんことシメさんとでは、役のつかみ方がかけ離れすぎているのだ)

なので、「今回のこの公演にシメさん出演」を知ったときにも、嬉しさと不安のハーフ&ハーフであった。

ただし、ご自身世界一のヅカファンでもあるシメさんが、現在でも「男役・紫苑ゆう」のファンを裏切らないことを心がけて生きておられることは有名なことなので、そこは安心していた。

だから、まず、容姿に関しては何の心配もしていなかった。

問題は、歌。

ガラコンなので、ダンスはない。

ダンスは、1日サボると取り戻すのに3日かかると言われているが、歌だって、ダンスほどではなくても、舞台で客に聴かせるレベルにまでもっていくには、「昔とった杵柄」がそうそう通用するほど甘くないことは周知だ。

そして、退団後5年目に聴いたシメさんの「最後のダンス」に対する一抹の不満(not 不安)

とても心配だった。

ところが・・・。



杞 憂であった( ̄- ̄ )


出てきた瞬間、

「シ、シメさんって、今年おいくt(←断!!!!)?!」

と驚愕し、

「否。トート閣下に“年齢”などない!!!」

と思い直し、

「いやしかし、実際問題として、なんなんだこの化け物っぷり(←おめえ客席出ていけ!/怒)は」

と、ひたすら感服。

いや、本題はそんなところじゃない。

見掛けが「昔とちっとも変わらないわねぇ」レベルのスターさんなら、他にもいます!(by ゾフィー)

姿スタイルじゃない。

その声である。

退団して18年の歌声ですか? これが(呆然)

先月まで歌ってた声でしょこれ・・・。

すげーレッスンしたんだろうなぁ・・・。

なんか、感激だ。



実に圧巻のトート閣下であった。



さらに言えば、実に「ザ・タカラヅカ」なトートであった。

冷静に言い放ってしまえば、きっと、この「タカラヅカくささ」が苦手なお客さんもいらっしゃるだろう。

「ヅカ版エリザベートってさ、小娘ごのみに改悪されてて、苦手」って方もいらっしゃるだろう。

「この作品は、あんな、少女マンガみたいなご清潔な話じゃないのよ?」とおっしゃる方もいるだろう。

でも、ぼくは申し上げたい。

「これこそが、タカラヅカナイズというものなのです」と。



また、同じヅカファンの中にも、

「シメさんて、どんな役やってもアツいよね(苦笑)」(良く言えば、人物が今どういう感情でいるのか、すごーくわかりやすいお芝居をなさる。悪く言えば、“オーバー・アクション”)

という人がいる。

同意である。

同意した上で、

「だからこそ、シメさんが好きだ!」

と答えたい。

感情をどんどん出すトート。

地上の人間たちが右往左往している中に入っていき、一緒になって一喜一憂している(ようにふるまう)トート。

常に次元の違う場所にいて、超常的な存在感を放つトートもアリなのだが、まるで普通の人間のように仲間に入ってきて(エルマーたちに近づくシーンや「ミルク」の場面で、そう感じた)、あっという間に心を操って望みどおりに行動させてしまう。単に、なんか頭の良さそうな外国人にしか見えない。怪しいと感じさせない。

シシィにだけ、“あいつ”だとわかる。

そんなトートだと思った。

これが、シメさんが創り上げたトートなのか。

感服である。

一番ぞっとしたのは、「最後のダンス」のサビ前に、フッフッフッフ・・・と笑った(声は出してないですよ)ところ。

これから崩壊していくハプスブルクへの嘲笑であるとともに、“死”という人間とはレベルの違う存在であるはずの自分が、人間の女にほれてしまうなどという愚かな(?)ことをしてしまって、これからずっとその女を追っかけていくんだ・・・と、自分自身に呆れているような複雑な笑い。

またひとつ、トートへの深い解釈を見せてくれました。



これだから、『エリザベート』は何通り観ても面白いんデス。

そして、時間的経済的理由(+熱意の足りなさ)でパスしてしまったずんこトートとおさトートを、やっぱり観れば良かった・・・と、今頃後悔するぼくなのであった。


2012年11月10日(土) 『客家〜千古光芒の民〜』(天王洲 銀河劇場)

謝珠栄先生が作られる舞台を観ると、毎度必ず同じことを思ってしまう。

「なんてまじめな作品だろう」と。

歴史もの(そしてアジアもの)が多いから、そう思うのかも知れないが、オタ気質の学生に人気がある世界史の講義みたいだなと思ってしまう。

サルにもわかるほどエンターテインメントに徹しているわけではなく、若干の基礎知識と、その時代の人間たちに対するミーハー心が必要な講義なのだが、それらを併せ持った身には、実に噛み応えのある面白さにあふれている。

そして、もうひとつ大きな特徴がある。

それは、たいてい、登場人物の9割が男という点。

硬派なのだ。

最近では、「登場人物のほとんどが男」の舞台というと、硬派どころか“100パーセント○女子向け”保証だったりする舞台も多いが、謝先生の作品は、残念(?)ながら、○要素はほぼ皆無だ。

とても健康的なのだ。

とても清潔感あふれてるのだ。

そう、とてもまじめなのだ。


まるで、不満みたいですねておどるさん?

ばれたか(←おい)




あ、いや・・・そんなことありまおんせん(←一日一回ふざけないと変調をきたすのですか?)



今回のお話は、絶対に謝先生のルーツと関係があるな、と思いながら観ていたら(なんの予備知識もなく行きました)、そのとおりドンピシャでありました(自慢?)

もうちょっとこの時代の大陸について勉強したいので、いったんここで終わります(まとめてから書けよ/呆)


2012年11月08日(木) 『エリザベート スペシャル ガラ・コンサート〈旧雪組版〉』(東急シアターオーブ)

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幸せ。。゚ヽ(*゚´△`゚)ノ゚


今年一番の幸せかもしれん。

まじで。



そして、今現在、ぼくは今月一番の忙しさのド真ん中にいます(哀)

ああううう、この感動を忘れないうちに、仕事をぱっぱっぱっと片づけよう。



(感想いくつ溜まってる? い、いや、考えるのはよそう。とにかく今は仕事だ・・・)


2012年11月04日(日) 『ルーマーズ−口から耳へ、耳から口へ−』(ル テアトル銀座)

完全インドア派のぼくでも、さすがに今日みたいな日は、劇場にこもってなんかいないで成田山でも高尾山でも登りたい気分だったのですが(少し嘘)、やっぱり行きました。

だって、千穐楽だったんだもん。

この公演、「黒柳徹子主演海外コメディシリーズ第26弾」というカンムリがついています。

鉄板(ハズレなし)の公演なんです。

だがしかし、年齢不詳(いえ、年齢は別に隠してないです)、不死身の才女・黒柳徹子女史といえども、最近『徹子の部屋』でお見かけするたびに思う、

「この、口から生まれたようなお方が、なんだか最近お口が回らない感じ・・・これは、女史最大の危機なのではないか?」

という心配が頭をもたげるようになってきているのも事実。

つれあいなんかは、のんきに、

「入れ歯が合ってないんじゃない?」

などと言っている。

そうか、入れ歯のせいなのか(←オイ)

頭のほうは相変わらずしっかりしているのだな。

しかし、女史も今年79歳。

先日光一さんが出演した際に、ひっさびさに『徹子の部屋』を視たんだけど、テーブルの上に、絵巻物みたいに広々と並べられた大量のメモつーかカンニングペーパーには若干びびった。

昔(っていつ?)は、こういうものはなかった。出演者のプロフィールや取り上げるべき話題などは、以前はすべて暗記されていたと聞く。

そんな黒柳女史に、瞠目していた。

いや、今でもやっぱりすげぇな、と思うんだけど。





また前置きが長くなってしまった。

そんな、一抹の不安を抱えながら出かけたル テアトル銀座。

だいじょうぶだろうか。

セリフがとんだりとか、それから、足元が若干おぼつかないとか・・・。

勝手に心配していた。

なんてことはなかった。

そりゃ確かに、女史とて“ミュータント”ではない。

昔とまったく同じってわけには行かない。

でも実年齢を考えれば、こりゃすげえ体力と頭の回転であった。

(蛇足)女史は、ほかの役者たちと身長のバランスをとるため、花魁の高足みたいな厚底ぽっくりをはいていたのだが、よくあれで歩けるもんだと、正直ハラハ(略)



実は、女史が演じた「クリス」って役は、思ってたほど(ぼく、『ルーマーズ』は初見です)ひとりでべらべらべらべらしゃべる役ってわけでもないのだった。

作品は、ニール・サイモンの代表的な「何かをごまかそうとすればするほどドつぼにはまっていく」というシチュエーションコメディ。

出てくる人物がほとんど早とちりやぼんやりの名手という、鉄壁のドタバタものである。

なので、登場人物全員が、ほぼ平等にしゃべりまくる。

ニール・サイモンの作品に出てくる登場人物たちって、どうしてこうも余計なことをべらべらべらべらしゃべるんだろうか? と毎回思う(こらっ)

こういう、「登場人物たちが、がんばればがんばるほど事態が悪化していくコメディ」って、ぼくも昔から大好きなんですが(三谷幸喜さんもニール・サイモンに大影響されてるのよね)、実ところ、最近物事を複雑に考える体力がなくなってきたのか、こういうの若干めんどくさくなってきている(なんですって?!)

今日も、

「なぜそんな風に嘘で嘘を塗り固めようとするだ?! 正直にすべてさらけ出してしまったほうが、結果的に傷は浅くすむのに」

と思いながら観てしまった。

まあ、それじゃ芝居にならんのだけど。

でも、彼らがその嘘をつきたがる動機が、ぼくにとっては、なんか不愉快なものだったのだ。

「誰かを傷つけないために」みたいな、思いやりのある理由じゃなくて、「立場が悪くならないために」みたいな理由だったからだ。

この芝居に出てくる人たちは、みんなアッパー階級の人たち(ニューヨーク市長代理だとか、弁護士だとか、会計士、精神科医、テレビのレギュラー番組を持っている料理研究家、上院議員候補・・・そんな感じの人たち)で、全員“立場”がある。

だからこそ、スキャンダルを異常に恐れる。隠したがる。嘘をつかざるを得ない。

ひょっとしたら、ニール・サイモンは、そういう地位の人たちの、そういう身分の危うさ、いけすかなさを、揶揄したかったのかもしれない。

そして、やはりここがニール・サイモン作品の愛すべき点なのだが、立場とお金があって、人より偉そうな身分の人たちの割には、隠し事のしかたがど下手だったり、嘘のつきかたが幼稚だったりと、てんでずるがしこくないところがイイ。

ラストも、本当かよ! あっはっはっは! みたいに笑い飛ばせるオチで、後味がすごく良かった。

さすがコメディの名手だ。





でもね、やっぱりぼくがこの芝居を見て学んだことは、「嘘って、必ずばれる」ってことでした。

ばれたときに「そんな理由でそんなこと隠してたんだ、ばかだねー」と笑って許してもらえるならいいけど、取り返しのつかないことになってしまうこともあるでしょ?

相手のためを思って嘘をつく、なんてことを人間はたまに(よく?)するけれども、果たしてそれって本当に「相手のため」?

結局自分を取り繕うためなんじゃないだろうか。

そして、そういう理由でついた嘘ほど、ばれたときの取り返しのつかなさは巨大である。

そんな暗い感想になってしまう秋晴れの一日であった。(←暗いよ、お前)


2012年11月03日(土) 宝塚歌劇団宙組公演『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』(東京宝塚劇場)

なるほど!

こいつぁ「@TAKARAZUKA」である。



『銀河英雄伝説』って、ずいぶん昔の作品ですよね。

まさに“往年”の名作。

ぼくが若かりしころから、今で言う「オタ」がぎっしりいらした。

ぼくは残念ながらその波に乗れなかったのですが、すばらしいオタの皆様がそれぞれに独自の強い思いを抱き、

「ろくでもねぇ二次使用(舞台化とか、ドラマ化とか、アニメ化とか)なんかしやがったら、しょうちしねぇぞ」

と牙を砥いでいらしたのを知っている(な、なんでそんなに脅かすの?/恐)

でもその後、(複数回)アニメ化され、舞台化され、ゲーム化され、原作ファンの手を離れたところで、また新しいオタが発生するみたいな事態になって、部外者(ぼくだ)としては、「こえええ、近寄りたくない!」(←オイ)と思っていたところへ、ついにタカラヅカ化。

こうなったらやっぱり観たい。全然内容知らないけれど(←何っ??!)





感想です。

なるほど、オタが発生するに決まってるこの「萌え要素」満載の世界観。このキャラクター。

しかし、原作めっちゃ長いよね? 一体どんな風にはしょってるのかぼくには判らなかったのですが、原作ファンはどう思ってるんでしょうか? いや、そんなことぼくが心配することではないけれど。

ただ、初めてこの作品に触れる者から言わせていただくと、初見なのに「はしょってますねえ」とあまりにも判る感じのところが多かったので(あと、終わり方)、どうなのかな? と。

小池信者にしては辛口な感想になってしまいました。

まあ、複雑な人物関係を、例によって「チャート」と、狂言回しを登場させての説明ゼリフの多用で処理したところは、まあまあ親切だったかなと。

もし作・演出が大野拓史だったら、観客置いてけぼりで突っ走った可能性もあるから(こらこらこら!)






ううう、ここまで書いて何なんですが、明日の仕事にさしつかえそうなので、残りの感想は後日にさせていただきます。ごめんなさい。


2012年11月02日(金) 葉加瀬太郎コンサートツアー2012『WITH ONE WISH』(Bunkamuraオーチャードホール)

(後日更新します)


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