てくてくミーハー道場
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2011年05月09日(月) |
現在進行形のあのこと |
連休後半にはふぐすまの実家に帰ったんです。
かつて阪神・淡路大震災の時に、本震の一週間後に行った大阪市内のナニゴトもなかったかのような様子に軽く衝撃を受け、三ヶ月半後に行った宝塚市の、阪急電車の車窓から延々とブルーシートをかぶった人家(屋根瓦の修理が済んでなかった)を見て、「あぁ〜(涙)」と思った気持ちを、また味わうのかな? と思ったのだが・・・。
うちの実家の方は屋根に重しを乗せた人家がチラホラ。
あとは特に以前と変わらず。
海に近い地方の悲惨な光景は、実家からも「テレビの中の光景」でした。
だけど、燦々と明るい初夏の東北の風景は例年と変わらないのに、その、目に見える明るさの背後にある、何とも言えぬ“目に見えない”いや〜な空気感も、感じずにはいられなかった。
家族や友達と、
「なんで、こんなことになったのかねぇ・・・?」(うちの実家は、飯館村から一山越えた北西の方にあります)
とため息をついたり、逆に、ことさら陽気に振舞ってみたりと、若干いつもと違う里帰りとなったのであります。
市内を歩いたら、自衛隊らしき車輌が通ったりして、頼もしく思ったり。
地震が起きたとき、ぼくは、行方不明者がゼロになるまで娯楽をガマンしようと思ってた。
家族や知り合いが亡くなってしまったら、確かに悲しい。当然だ。
だけど、ご遺体が見つかれば、気持ちに決着が付き、お葬式も出せる。
いつまでも見つからない方が、もっともっと苦しい。
その人たちのために、へらへら笑うのをガマンしようと思ってた。
でも、甘かった。
日に日に犠牲者の数は増えていき、「行方不明者」の数も、減るどころか増えていった。
なにしろ、被災した(程度の違いはおいといて)地域は、広さにして2万平方キロメートル近くあるのだ。
東京都9個分だ。
津波に襲われた海岸線は、延々500キロ。東京から大阪までの直線距離にほぼ等しい。
救援が行き届かなくて情報が錯綜したのも無理はない。
そして、行方不明者を捜すにも、捜す作業が決定的に阻まれる事故が起きてしまった。
その事故が収束するには、例え今後“何事もなかった”としても、とてつもない時間がかかることがわかった。
でも、だからって、「あー、もう身がもたない。心配すんの、やめやめ!」とはとても言えないほど深刻な事故が現在進行中なことに変わりはない。
帰省したときにちょうど、浪江町請戸地域の被災地域のドキュメントが放送されていた。
荒涼としたかつての「街」を、防護服を着た町役場の職員さんが歩く。
「ここは○○さんの家だった。土台しか残ってないね」「こんなところに△△さんの家が流されてきてる。本当はずっとあっちの方にあった」
住民一人ひとりを把握していた職員さんが、変わり果てたご自分のふるさとを、淡々と語る。
その“淡々”さが、限りなく重い。
そして、「街」に入るときと出るときに、お線香を手向ける。
その「街」は今や、何人もの人が瓦礫や泥の下に置いてきぼりにされている、巨大な墓場になってしまっているのだ(番組が収録されたのは4月末で、ようやく警察の方たちによる遺体捜索がこの地区でも開始されたところだった)
「捜して上げられなくて、ごめんなさい」「どうか、待っていてください。必ず、お捜しして、ご家族のところにお連れしますから」
なかなか先に進めない悔しさが、その言葉の中に込められていた。
アレさえなければ。
あの建物さえ、なければ。
ここは、肉眼で福島第一原子力発電所の排気塔が見える街なのだ。
「安全なんだと、思ってたんですよねー・・・」
東京電力にだまされた! と、声高に喚き散らすのではなく、漠然と信じていた(いや、おそらく完全には信じていなかったろう。「まぁ、多分大丈夫なんだろうけど・・・」ぐらいの感覚ではなかっただろうか。ぼくもそうだったし)自分に対する少しの苦い気持ちを告白するかのような、乾いた口調だった。
これが本当の“当事者”の気持ちなんじゃないかと思った。
このドキュメンタリーは、職員さんと取材者がひたすらこの地区をつぶさに歩いて回ってるだけで、妙にドラマチックな事件も起きなきゃ扇情的な音楽も流さない。
それだけに、とても心にしみる番組だった。
この番組は福島県内でしか放送されなかったらしい。
こういうのこそ日本中の人に視てもらいたいのに。
原発事故に関連する様々な事象は、もう収拾がつかないほどいろんな方面(日本だけじゃなく外国にも)に影響を与えている。
日本の科学力はいうに及ばず、政治家の力量、役人の力量、産業界の力、医療の力、そして何より日本人の民度(成熟度)が試されている。
今分かっている(と思ってた)ことが、明日には平気で覆される勢いだ。
だからもちろんドしろうとの典型であるぼくに、ここで「答え」めいたことは書けない。
あてずっぽう書いて、それがたまたま当たったら偉そうに自慢毛振りまくなんて、卑しいことはしたくない(お、おやおや、こんなときに毒ですか? ておどるさん)
ただひたすら祈るのみだ。
それも「神頼み」ではなくて、人間が持つ本当の力が発揮されることを、祈っているのだ。
へらへら笑うことはさすがにまだできないが、早やてくてくはしています(自分に甘いな)
仕事もいよいよ繁忙期だし、たくさん稼いでたくさんモノ買って、たくさん芝居観て、たくさん寄付してたくさん食べてたくさん献血するぞ。
「ちゅうにち」じゃなくて、「なかび」ね。
大型連休もまず最初の三連休があっけなく過ぎてしまいましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
ぼくは、かかえてる仕事を毎日ちょっとずつ片付ける・・・なんてシュショーなことするわけがなく!(得意げに言うな!)
三日とも猫カフェや近所のノラ猫たちと戯れ戯れて過ごしました(←ダメ人間)
よって、最初の出勤日となった本日は、締め切り第一弾のお仕事に都合22時間かかり、ひーひー言うとります(←ダメ人間!)
まーそれはともかくさ、いい陽気になってきたこともあり、避難生活を免れた人たちは、本震直後の危機感もうっすら忘れ始めている感のある今日この頃。
いや、ちゃんとしてる人はちゃんと忘れず、いろんなことに気を配っていると思うんだけど。
ぼくも、未だにお風呂にずっと水張ってるし(昔は、フロ入ったあとは残り湯を洗濯機に移して、そのあと湯船を洗ってカラにして乾かしておくのが通常だった。今はその後水を入れてる)、本棚にも突っ張り棒したし、枕元に防災袋置いてるし(もしもし、スニーカーは追いてないの?)
でも、なんとなく気が緩んでないか? こういうのが危ないんだよな(コラ!言霊言霊・・・)
特に思うのが、「節電」である。
暖房が不要になってきたし、冷房需要までにはまだ間があるから、首都圏の消費電力も今のところけっこう余裕がある。
いちいちコンセント(以下、不謹慎発言につき、略!)
・・・あ、いえ、ゴメン。実は我が家では、特にこれはやってないんですよ。
特に、DVDレコーダーとテレビとステレオは、申し訳ないと思いながらも、ずっと主電源切らず、スタンバイ状態です。
だって、留守録画録音しなきゃならないもん(開き直り)
毎日毎日しなきゃならないもん(お前なー・・・)
でも、まず、我が家では、ここ8ヶ月、エアコン使ってない(もちろんプラグ抜きっぱなし)
暖房は「ガスストーブ」(≠ファンヒータ。つまり、電気は使わない)+よほど寒いときだけ、コタツ。
炊飯器は、保温機能を使ってない(炊けたらすぐ食う。次の日の分は、覚まして冷蔵庫に。これを温める時だけ電子レンジを使うから、電子レンジも基本プラグ抜いてる←節電のためじゃなく、単純にコンセントが足りないからなのよね)
iMacも結局1年以上使ってないから(携帯で間に合う。・・・そうか、携帯の充電はかなりしてるかな・・・)既に「ステキな置物」状態だし。
便座温め機能やウォシュレットなんていうこじゃれたものはモトよりないし。
電気掃除機も使わない(フローリング+畳だから、全室ホウキとクイックルワイパーで済む)から、引越しの時に回収に出しちゃったし。
でまあ、こんな感じで我が家の毎月の電気使用量は(特に節電を心掛けてないので)昔からだいたい150〜190kw(去年の真夏はさすがに200kw超えた)
政府広報さんのお奨めに従って、もっときちんと節電したら、100kwぐらいになるのかもしれない。
そもそも、昼間かなりの時間帯、家に誰もいないってのが大きいんだろうな(そのかわり、震災前は深夜ずっと電気使いまくりだったが)
そんなビンボー丸出しの我が家はともかく、最近ぼくがとっても気に入ってるのは、銀座四丁目交差点の夜のムーディさだ。
日本一地代の高いあの一画は、他所の繁華街がノド元忘れて看板ギラギラを取り戻しつつあるここ数週間でも、未だ薄暗いのだ。
ここが、ぼくが東京の繁華街で最も銀座を愛するゆえんである。
かゆい言い方だが、銀座の老舗の皆さんは、やはり「格が違う」と言わざるを得ない。
つっても、他の繁華街とちゃんと比べたわけじゃないんで、これが勘違いだったらごめんなさい(でも少なくとも、渋谷は既にギラギラ状態に戻ってた気がする。こないだ行った時には)
格があるこそだろうか、暗くてもビンボったらしくない。むしろ落ち着いてて「大人の街」って感じで気に入ってる(でもまあ、以前より早く店じまいしてるってのも事実なんだが)
街中が電飾ギラギラで音楽ガンガンでうるさかったここ数年は、バチあたりにも、「原油価格が大高騰して電気恐慌が起こればいいのに」なんて心ひそかに思ってたこともある。
もっと悪い理由でいたしかたなく「電気恐慌」が起きてしまったのだが、このぐらいならむしろ精神的にプラスだろう。
同じような意見がネットでは散見されるので、だったらこんな、資源不足とか発電所の事故とかマイナス要因でしょうがなくやっちゃう前に、自主的にスマートな節電ができなかったもんかと思うんだが、ニンゲンやはりケツに火がつかなきゃやれないこともあるんだろうな。
もちろん事故は可及的速やかに収束に向かってほしい、それは当たり前だけど、街の薄暗さは、半永久的にこんなもんでいいと思うんだがな。
使える電気はもっと使い甲斐のあることに使えばいい。
24時間明るいことが発展の証だ・・・なんて、昭和40年代的価値観だ。と、高度経済成長期に生まれた「アトムの子」は思ってみたりするのである。
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