てくてくミーハー道場
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前回の『COCO』以来、一週間真面目に仕事をして、
『エリザベート』(みりおルドルフ)
『桜姫』歌舞伎バージョン
『サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ』
と順調(?)に劇場通いをして、衝動的に名古屋へ行き(『ミー&マイガール』)、大阪へ行き(『ME AND MY GIRL』←この表記の違いの根拠は何なんだろう?)、帰ってきて死にものぐるいで仕事をして、
『スペリング・ビー』初日へ行き、
『ガブリエル・シャネル』『COCO』と、シャネル物をハシゴし、
また『エリザベート』(あひルドルフ)
『TEACHERS〜職員室より愛を込めて〜』
と、シアターゴアーとして幸せな日々を過ごしております。
なんか、「見比べる」状況が多いです(ルドルフ見比べ、ミーマイ見比べ、シャネル見比べ、桜姫もある意味見比べ)
それと、一作品あたり二人以上“元ジェンヌ”が出てる確率が非常に高いです(歌劇団そのものの公演は別として)
日本の商業演劇界を象徴してますな(昔も書いた気がするけど)
で、訂正でありますが、『COCO』二回目を観て、前回の感想に二か所勘違いがあったので、それを書きます。
まず、「アタシをキャサリン・ヘプバーンだとでも思った?」は、COCOのセリフではなく、セバスチャン(岡幸二郎)のセリフでした。
この部分はアドリブらしく、ぼくが二回目を観た18日のソワレでは、
「鳳蘭だとでも思った?・・・鳳蘭知らないの? そういう顔が派手なオバサンがいるのよっ!」
という怖い者知らずなアドリブを(^^ゞオカコウ勇気ある〜!
ここ以外にも、呼ばれて出てくる時に「セ・マニフィーク」を口ずさんだり、自分がデザインしたドレスに「白夜、わが愛」なぞという名前を付けたり、ツレちゃんファンに大サービスのオカコウなのでありました。
二つ目の訂正は、COCOがノエルに香水をくれるところで、No.5の香りが漂ってくる、と前回ぼくは書きましたが、それはぼくの気のせいだったのか、怪奇現象(?!)だったのか、たまたまその日隣りに座ったご婦人がそれをつけてたのか(でも、そのシーンの前は匂ってこなかったんだよ・・・? 不思議)、今回は何の香りもしなかったです。
残念であった。
とはいえ、作品のクオリティは前回観た時から全くレベルダウンしておらず、主人公とともに怒り、主人公とともに悲しみ、主人公とともに笑い、うちひしがれ、そしてまた喜び、という、お芝居を観る上での最上級の喜びをこの作品(とツレちゃんの演技力)は与えてくれました。
今んとこ、今年のておどるベスト3に入っております(1位は今んとこ『女殺油地獄』なので)
この日、ぼくの3列前の席にヒガシとあつくんが座ってまして(『COCO』はやたら有名人のご観劇が多い気がする)、始まる前は嬉しくてドキドキしてたんですが、観てる最中は、前に誰がいるかなんてすっかり全く忘れてしまうほど作品に没頭してしまいました。
本当に素晴らしい作品です。
シャーリー・マクレーン主演の映画も、是非観てみようと思います。
(『ガブリエル〜』の感想を書かないのは、別に他意ないです。忘れてなければいずれ←こういう書き方自体が棘だっつの)
2009年07月06日(月) |
『COCO』(ル テアトル銀座) |
久々のファーストナイト(初日)←偶然だが
激しく良かったです(>_<。)感動
ニッポンに、「大女優」と称される女優は複数存在するが(映画界の、いつまでも美しいアノ方とか、“2000回”の、アノ方とかetc.)
ツレちゃん=鳳蘭サマも、その一人であることは、言を待たない。
「大女優」という形容詞が、これほど似合う方がいるだろうか。
圧倒的な存在感。
圧倒的な、芝居ぢから。
モード界の女王にして革命児のココ・シャネル本人が、そこにはいた。
こういう肉厚(体格のことじゃないよ)な女優って、日本には少ないじゃないですか(まぁツレちゃんは、実際日本人ではないのだが)
「アタシをキャサリン・ヘプバーンだとでも思った?」
てな笑わせるセリフが出てくるんだが、これは単に、ココがヘプバーンみたいに威風堂々とした女だったっていう意味ではなさそうだ。(後日注※訂正があります。20日のエントリをお読みください)
だって、この『COCO』の初演(1969年ですって! そんな昔の作品だとは、知らなかったっす)で主役を演じたのが、キャサリン・ヘプバーンその人だったのだ!
初演でもこういうセリフがあったのか?
それとも今回、そのオマージュ的な意味で、入れたセリフなのか?
ただ、どっちの意味であっても、ツレちゃんがホント、ヘプバーン並みの大女優に見えることやぶさかでない、ということだけは事実だった。
ココと、ヘプバーンと、ツレちゃん。
迫力に満ちた、自信満々(ヘプバーンは、気が強い一方で、すんごい気が小さい人でもあったそうだが)な女傑のイメージが重なるが、その一方で、「女としての安心な生き方」を選ばなかった、という寂しさ(スミマセン)までもが共通しているように見える。
この作品のテーマもまさにそれで、「成功」「金持ち」「名声」というイケイケ状態の場面ではぐいぐいと迫力のナンバーで盛り上げるが、同時に(または即座に)「孤独」「挫折」「苦しみ」を表す寂しいナンバーが、それこそ風に翻るスカーフの表と裏のようにひらひらするすると交互に姿を現す。
テンションが上がったり下がったりに忙しい、まさにジェットコースターな作品なのであるが、決してわたわたしてない。
その辺は、さすがのベテラン出演者たちと、演出者G2の手腕なのであろう。
出演者たちに関して言えば、メインキャストたちは皆さんあつらえたように役にぴったりの方たちで、わたちゃん(湖月わたる)と大澄賢也君にちょっと歌はがんばってほしかったが(特にわたちゃんはキーが高過ぎて気の毒)、他の方達はもうパーフェクト。
アンサンブルの方たちも、歌はもうちょっと(賢也君レベルであったから、下手ではないがパーフェクトでもない)だったが、チームワークがとても良かった。
余計なこと言っちゃうと、モデル役の女の子たちは、歩き方がダンサーのそれで、モデル・ウォークではなかったのが、ちと残念(わたちゃん含む)
舞台の見た目で言うと、ぼくみたいな田舎者でもよーく知ってるシャネル独特の、あの模様、あの生地、あの袖口(笑)がカーテン(下げ幕)に使われてて、そのセンスに思わず嬉しくなった。
そして、これには心底「やられた!」と思ったのが、ココがノエルに「これあげるわ」と言ってサンプル(笑)の香水を手渡したシーン以降、どう考えても、あの番号(*^^*)の香水の香りが、客席の方に漂ってきたこと。
これはニクい!
これこそ“演出”である。
感動した。←小泉さん?
そして、当然ながら、ツレちゃんをはじめとして女優陣がとっかえひっかえ身にまとう(モデルたちは、他のデザイナーの衣裳も着るのだが)、シャネルのモード。
舞台上全員、泉○ン子☆\(−−;)コラッ
ぼくは当然(悲しいこと言うなよ)一着も持ってないのだけど(香水は、好きっす。例の番号より、14多い方が好き)、こうして見ると、あの有名なシルエットのスーツを、「金持ちのブランドマニアのおばさん」(あっ・・・コラ/汗)の象徴のようにしてしまっている今の日本は、マドモアゼル・ココに謝らなきゃならないのじゃないか、という気持ちになってくる。
活動するのに必要だから、ああいうシルエット、ああいう素材、ああいうデザインなのに。
「高い服だから、お金があることを世間に知らしめるために、着てます」じゃ、なんか、申し訳ないと思いませんか(←買えない負け惜しみ)
まあ、そういうぼくの場合、常にデニムなんですけどね。
ベスト・ジーニストもらってもいいくらい(←不遜!)
さて、一方(?)の『ガブリエル・シャネル』(新橋演舞場)は、どんな仕上がりになっとるだろうか。
こっちは再来週行きます。
楽しみなような、怖い(何故?!)ような。
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