てくてくミーハー道場

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2009年06月21日(日) 蒸してます

なんかいきなり夏日が訪れたようで、アタマの血管が開いて頭痛絶好調です(−−;)←正しくない日本語

ここ一週間、ちょっとした仕事のスキにてくてくしていたので、感想書くヒマが全くとれませんでした。

そんなこんなしてる間に、見落としてるかもしれないきんきっずネタ(あるかな・・・? あるよな・・・きっと/哀)

前回のエントリ以降の「てくてく」は、木挽町夜、『炎の人』、月組ムラ、『桜姫』現代版、宙組東宝、そして本日木挽町昼。

今日の「木挽町昼」、これが今月の(どころか、今年の)ぼく的マストイベントでございまして、観れて本当に良かった(>_<。)

これ以外にも、あと3本必ず観たいと思ってるものがあるにもかかわらず、正直言って6月の残り毎日木挽町に日参したくなるほど、素晴らしかったです。

素晴らしかった、というか、目に焼き付けておきたいです!

仁左サマの与兵衛を!(と言っても、もちろん既に全席完売なのですが)



スポーツ選手の引退試合で、

「まだまだやれるぞ──っ!」

と叫ぶファンの気持ちが、痛いほどよく解りました。

実は、「一世一代」というのを観るのは、今回初めてではないのです。

ですが、本心「まだやれるのに!」と思ったのは(内緒ですが)今回が、初めてです!

歌舞伎役者は基本的に一生ものの職業なので、「これが最後です」と宣言する舞台は、実際あまりない、とぼくはいつだったか書いたことがありますが、そういえば、この「一世一代」というのが、あったんだ。迂闊でした。

本人の引退、というわけではないのだけど、「この役を、この人で観る」のは、最後。

それを、後になってから「最後だったんだ」と知る方が、幸せなのか。

それとも、「最後だから」と気合い入れて観られるから、宣言してもらった方が、ありがたいのか。

今でも、よくわかりません。

でも、考えてみれば、どんな舞台でも「全く同じコンディション&シチュエーション」は二度とは出現しない。

今日の、仁左衛門の、与兵衛を観られた(一応、今までに二回観てるので、今回で都合三回目←自慢?)。それだけで大幸運だったのだ、と幸せをかみしめつつ、クソ(←お下品よ?)暑い中、就寝したいと思います(今週も仕事がみっしりあるので)



・・・これから暑くなる一方なのかしら?(ぐったり)


2009年06月07日(日) 花組ヌーベル第2回公演『盟三五大切』(下北沢駅前劇場)

結局行きました。

(日替わりゲストは原川浩明氏で、前説の時間たっぷり使って「野ざらし」を半席演ってくれた。これは相当お得)



(芝居観ての感想)・・・何だろう。

何かがもどかしい。

何も悪い部分はない劇団なのだが、花組芝居の現状を鑑みると(以下略)

いや・・・客がわんさかくるだけが「価値」か?

いやいや・・・客が観ない芝居なんて(いや、“ある程度”は入ってるのよ)、単なる創り手の自己満足じゃん、と言えないこともないし。

すごいいい芝居をやってた(ぼくも好きでした)のに、「経営困難」で解散してしまった某劇団(かつてそこにいた某俳優(決して、主演俳優ではなかった)は、いまやテレビドラマ、映画で大活躍の売れっ子俳優。今クールでは、とうとう連続ドラマの主演をやるまでに至っております)のことを思うにつけ、花組にはそうはなって欲しくないと、心から思っているのだし。



まあ、今回のは本公演ではない。

ないけど、そんなの言い訳にしかすぎない。

芝居に対しての客の評価は「面白いか」「面白くないか」しか、ない。

そして、それはちゃんと「入り」にリンクするのだ。

いや中には、宣伝が効いてるだけで中身は最悪にくだらないのに客がわんさか入ってる芝居も、ないことはない(え? 何て芝居かって? 言いませんよそんなこと←性格悪)

でも、客が入ってない芝居で、(一部の熱狂的なオタク以外に)評価されるべき芝居は、やはり「ない」と言わざるを得ない。

いや間違ってほしくないのは、今回の芝居、不入りだったわけではないのです。

ただ、かつて花組に“演劇ブーム”の追い風が吹いていた頃の状況を思い出すにつけ、やはり「残るべきファンだけが残っちゃったんだな」と思っただけのこと。



作品自体は、確かに面白かった。

だが、それは、「鶴屋南北の原作が、面白かった」ってことだ。

話自体が面白いんだから、あとは、「よほど役者が下手か」「よほど演出がダメダメか」でもない限り、面白いに決まってるのだ。

で、この劇団は、役者は相当上手い。若い役者たちも、不思議に(なんか失礼)上手い。

実はぼくはこの劇団のファン歴21年になるのだが、その間、新人が入っては何人かは去る・・・というのを、普通に繰り返してきてる。

中には、「いまいち」な新人もおり、いつの間にか(ぼくが毎回律儀に行ってないせいで)消えてるメンバーも何人かいる。

でも、今回出た役者8人中、21年前からいた団員は座長(加納幸和)と山下禎啓だけで、あとは21世紀になってから(笑)入ってきた連中ばかりだった(北沢洋は、古参メンバーに入るが)

21世紀になってから入ったと言っても、長い人で8年ぐらい経ってるわけだけど。

その人たちを「若い」と言ってしまっている菊吉じじいなので、そのつもりで読んでほしいのだが、この「若い」連中が、加納氏が創り上げる「キッチュな傾き(かぶき)」世界をちゃんと表現できていることに、ぼくは感心しきりなのである(そりゃー、無名とはいえ(コラ)俳優のきれっぱしなんだからな←ひどい言われよう)

いやいや、今回出ていた5人は、その何代前かに入座した面々と比べると、格段に(こら)花組カラーをきちんと表現できる逸材たちのような気がする(今回の作品や『怪談牡丹燈籠』を観た限りの感想だが)

花の(笑)四獣(この期は本当は5人入団だったのに・・・あ、これは言わない方が/コラ)以来の逸材たちである・・・なんて言ったら、その間に入った人たちに申し訳ないが。



つまり、問題発言を長々としてきて何が言いたいかというと、要するに今回の作品を観て感じた「いまいち(あっ、言っちゃった!)感」は、決して役者が拙いせいではなく、加納演出に、かつての作品に溢れかえっていたゾクゾク感があまり感じられなかったからじゃないか・・・と思ったわけである。

ヌーベル第一弾を見逃しておいて何を言うか、と言われそうだが、今回、芝居の背景として、「お通夜に出席している男たち」で演るシチュエーションに、どういう必然性があったのか、これがわからない。

見た目が不気味な面白さ、だけでは、大傑作『いろは四谷怪談』や『怪誕身毒丸』をいつまでも超えることはできないのじゃないかと思う。

ヌーベルは、写実的な衣裳をつけないで演る、という約束事があるのだろうぐらいは察することができたが、それと「素ネオかぶき」とは、じゃあ、どこが違うんだ?

と、全然かわいくない(理屈ばっかりで楽しまないタイプの)観客100%で観てしまったのであります。



いま名前が出たので比べてしまうが、『いろは四谷怪談』のラストシーンの脱力感(言葉が悪い!「寂寞感」「虚無感」と言いなさい!)が、今回の作品にも出てればなーと思う。

どちらも、南北が「忠臣蔵」礼賛へのアンチテーゼとして書いた(と言われている)作品だからだ。

世間にブラボーされる快挙の影に、どうにもやりきれない犠牲者がいた、というその寒々しさ。

歌舞伎の正統な演出の舞台を現代人の観客が観た後に、

「えっ?! でも、これって・・・」

と、抗議したくなるその気持ちを、きれいに代弁してくれてるような、騒々しさの中に不気味と悲しさが同居した、何とも言えないラストシーン(『夜叉ケ池』なんかも、そういうポイントで大傑作)

それを今回もぼくは期待したのだが、何となくそこが弱かった。

せっかく、「死体が横たわる部屋」「喪服の男たち」という恰好の絵面を提示しておきながら、そこをはっきりと表現していなかった(ように思えた)のが、とにかく惜しかった。



ともあれ、この歴史ある(それはそれで素晴らしいことだ)劇団の今後が、何とぞ明るいものであるようにと(こらこらこら!)願わずにはいられない。

だってぼくが、「歌舞伎」よりも、「タカラヅカ」よりも先にハマった劇団なのだから(その割に、最近愛がめっきり薄いのだが)


2009年06月06日(土) 時代劇ダブルヘッダー

『女信長』(青山劇場)


なんかですね。

・・・・・・。

まあ、後日ちゃんと書きます(ホントだろうな?)←ホント







『江戸の青空』(世田谷パブリックシアター)


翌日も朝から用事があるのにダブルヘッダーって、無茶です(自分で決めたんだろーが!)

でも、後味のすっきりとした、味わいの深い“大人が楽しめる”芝居だったので、今日はいい気分で床に着くことができます(なんか、昼間に観た芝居に対して、ひどいいいようですな・・・)

これも詳細は、後日(まじ?)


2009年06月04日(木) 滑り込んできた

(以下、もちろんフィクションです)



緊那羅「あぁ〜あ、東京の仕事も、あと3日か。長かったな」

乾闥婆「全くやな。それにしても、ここんとこ残業残業で、めっちゃしんどいわ」

緊那羅「ホンマやな。ただでさえ土日は残業やろ。ほんでここ一週間は、もうじき終わりやからゆうて毎日8時までの残業で、ええ加減しんどいのに、今日なんか急に、お客が途切れへんゆうて、いきなり30分の延長やもんな。やってられへんわ(怒)」

乾闥婆「しゃあないがな。オレら人気あるもん(笑)」

緊那羅「ちゅうか、人気あるんは・・・」

(二人、黙って顔を見合わせる)

阿修羅「あ、兄さんがた、お疲れっした〜」

緊那羅「おぅ、アシュちゃん、お疲れ」

乾闥婆「お前も毎日大変やな、毎日前後左右から客に見られて。気疲れするやろ」

阿修羅「いや・・・、仕事やと思うてますし・・・」

緊那羅「偉いなー。仏像の鑑やで」

乾闥婆「国民的アイドル・・・いや、国宝はこうやないとアカンな」

阿修羅「けど・・・ホンマはボクも兄さんがたと一緒に、興福寺の国宝館におる時みたいに並んで展示されたかったんですけどね。一人だけ別の部屋にポツンと置かれて・・・寂しいですわ」

乾闥婆「しゃあないやろ、お前の前から客が動かへんねんもん。あんなけ人がようさんおったら、十大弟子像さんらにも迷惑かかるし」

緊那羅「オレらもけっこう人集めとるけどな、お前とはレベルが違うわ」

阿修羅「すんません・・・」

緊那羅「謝ることあらへんがな。そもそも今度の仕事のメインはお前やし。ポスターもお前一人、名前もお前一人・・・」

阿修羅「・・・すんません、(泣きそうになって)スンマセン・・・」

乾闥婆「(緊那羅に)お前、やめとけって」

緊那羅「いや、別にオレは・・・」

迦楼羅「何しとるんや」

緊那羅、乾闥婆「あ、迦楼羅兄さん、お疲れっす〜」

阿修羅「(涙をこっそり拭う)お、お疲れっす・・・」

迦楼羅「今の話、実は聞こえててんけどな。まぁしゃあないことや。確かにオレらは『八部衆』ゆうて8人のユニットやけど、普通の日本人に、『知ってるメンバーの名前ゆうてみ』ゆうたら、まず阿修羅クン以外出てこぉへんがな。NEWSでいう山ピーみたいなもんや」

緊那羅、乾闥婆、阿修羅「・・・山ピー?」

迦楼羅「あっ!(慌)エヘンゴホン・・・。このブログ書いとるアホミーハー中年の教養レベルのせいや、気にすんな。・・・要するに、知名度が違うっちゅうことや」

乾闥婆「確かにそれは言えますな」

迦楼羅「けど、わかっとる人から見たら、オレら一人ひとりに個性があって、それぞれにちゃんとファンもついとるやろ」

乾闥婆「迦楼羅兄さんなんぞは特に、その個性的なビジュアルで、かなりマニアックな・・・スンマセン」

迦楼羅「あっははは、わかっとる。マニアなファンが多いわ、オレは(笑)」(アンケートでは、マニアどころか、八部衆中第2位の人気です。ちなみにぼくも八部衆の中で2番目に好きです。“ガルーダ”ですもん:著者)

緊那羅「阿修羅が人気あるんは、やっぱ、そのビジュアルなんかねえ?」

乾闥婆「そらそうやろ、スレンダーやし小顔やし(3つあるけど)、何といってもそのお顔が、日本人がグッとくる典型的な中性的美形ときてるしな」


ここで、興福寺阿修羅像の「顔」についてお話しします。有名な中央の顔は、よく夏目雅子に似ている(夏目雅子“が”、阿修羅に似てると言った方が正確)と言われますが、本当にそっくりだとぼくも思います。顔の造作もですが、『西遊記』の三蔵法師の禁欲的な美しさのイメージが未だに残ってるからなんでしょうね。

あと、若い頃の、人生がゴタゴタする前の(おい!)貴乃花光司氏にも似てます。あの人もゴタゴタする前は(略)

そして今回、ぐるっと回ってしっかりと見てきた左右のお顔。向かって左側は、赤ちゃんの顔であることは周知です。「赤ちゃん」つまり、自我が生まれる以前のお顔。「誰」ってことはないのです。強いて言えば、人類皆が、生まれてから必ず一度は得ていたはずの、「全ての大人たちから『守りたい』と思ってもらえる」最強の顔、とでも申しましょうか。

そして、向かって右側。

これはもう、ミーハー中年のたわごとだから、笑って流していただきたいです。

背後45度から見たら、おーちゃん(大野智)そっくりでした!(≧∇≦)

ところが、その顔を正面(つまり、像の真右)から見ると、目鼻のパーツが顔の中心にやたら寄っているので、朝青龍に瓜二つなのです!(^^ゞ

まあ、阿修羅は基本“相撲取り顔”だったと☆\(−−;)オイッ!

実は、阿修羅像の右顔というのは、あの腕の形を見ていただけばわかるように、帝釈天に向かって弓を引いている姿なんですね。けしからんのです(←?)

だから、ちょっと闘争心のある表情なのです。

で、ぼくはこの顔が一番好きです。キュンとしちゃいます(お前にキュンとされてもなー・・・)


(閑話休題)

阿修羅「けど、沙羯羅なんかも、がんぜない幼児みたいな顔してますよね?」(沙羯羅は幼児なので(嘘)疲れてもう寝てることになっています:著者)

緊那羅「その通りや。今は胸から上しか残ってへんけど、五部浄なんかも、可愛い顔してるで」(五部浄は今回、ずっと離ればなれだった“腕の一部”と一緒に展示されていました。ちょっと泣けました:著者)

迦楼羅「オレらは天平時代に同時に作られたんやから、似てるんは当然なんや。それぞれ年齢も違うように作ってあるけど、どことなくユニット感があるんは、そのためや」

乾闥婆「まあ、あと少しで東京も終わるし、来月からは九州行かなあかんしな。長いツアーなんや。仲良うしていこうや」

緊那羅「別にケンカするつもりはないねんで。オレはそもそも奈良でも一人だけ家違うし(緊那羅像だけ奈良国立博物館にお住まいだそうです)、今回みんなと一緒でめっちゃテンション上がっとるんや。それはそうと、先に奈良に帰ってた鳩槃茶兄さんと畢婆迦羅の兄貴は元気しとるかなー?」(畢婆迦羅像も、三国志の武将みたいなルックスで、渋くてカッコいいのよねー♪:著者)

五部浄「兄さんたち、ボクは九州行かへんから、先に奈良帰ってるわ」

緊那羅「そやったな。鳩槃茶兄さん畢婆迦羅の兄貴と一緒に、ちゃんと興福寺の留守番頼んだで」

五部浄「うん。道真はんによろしゅうな」

迦楼羅「よしっ、みんな、あとひとふんばりや。気張っていこう!」

緊那羅、乾闥婆、阿修羅、五部浄「おぉーっ!」沙羯羅「(寝言で)おー」

(以上、まじで妄想です。真面目な人、怒らないでください。あと、「奈良弁が違う!」と思っても、見逃してください)





2009年度の第一次修羅場が急に去り、今日から来週のアタマぐらいまで、ぽっかりとヒマになりました。

よしっ! このチャンスを逃してはならじ。

花組(タカラヅカじゃなくて、「芝居」の方)観に行こう!(当日で)

と勇んでいたら、終業時刻間際になって、「ちょっとコレ簡単なんで、やってもらっていいですか」と言われる。

・・・ホントはイヤだったけど、『矢車会』の前科があるので、イヤとは言えず、しぶしぶ引き受ける(←わがまますぎるぞ!)

超特急で(でも手抜きはしなかったよ)仕上げ、定時に職場を飛び出したが、シモキタまでの所要時間を考えると、どう考えても間に合わないので、あっさり諦め(今日のゲスト出演は桂くんだったのに・・・。他の日、観に行く気しない・・・←おいっ/怒)

なんで、急遽行き先を変更し、上野に向かった(って、いつもの帰宅ルートだが)のであります。

『興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展』(東京国立博物館・平成館)


良かった。すんごく良かった(*^^*)

なので、こんな罰当たりな妄想会話を書いてしまいました。

で、別部屋に展示されていた仏像群(四天王とか、薬王・薬上菩薩コンビとか)も、さすが鎌倉時代ってなでかさと迫力で圧倒されました。

可笑しかったのは、運慶作の釈迦如来像のアタマ部分と左右の御手が並べてあったんだけど、見てる人が百パーお釈迦様の右手と自分の右手の“手相”を見比べてたこと!(≧∇≦)すっごいキモチわかる!!!

運慶さんはお釈迦様の感情線を、くっきりまっすぐに描いて(彫って、かな)いました。

すごい正義感の持ち主だったようです(←そ、そうなんだけどさ、罰当たりだぞ!)

昼間はすんごい混雑してるようだけど、入館締め切りギリギリに入った(だから、ホント八部衆だけ見て帰ってこようと思ってた)おかげで、逆に阿修羅クンまでの待ち時間0分だったし(ただ、「阿修羅部屋」は大混雑)、上に書いたように、急遽30分閉館時刻を遅らせてくれたので、逆に良かったです。結局中を3周しちゃいました(*^^*)建物の外に出ない限り、何周もできるんです。国立博物館、太っ腹!

で、いつもは必ず図録を買うぼくですが、今回は売場の大混雑にめげたのと、我が家の本棚の現実を鑑みて(−−;)買ってきませんでした。

でも一番の理由は、「実際に、ガラス越しでなく、この目で見たありがたさこそを、胸にしまっておきたい」と思ったからで(←キザ)

写真を見返していると、その写真の印象の方が強く残ってしまう気がして。

あー、いいもの見た。

奈良に戻られてからも、いつか見に行きたいものです。


2009年06月01日(月) 帰ってきたのさ

なるほど。

“ホーム”はこういうスタンスなのか。

ひどい睡眠不足に苛まれていたぼくですが、今日は久々にオンタイムで『SMAP×SMAP』を視ました。




最初はちょっと、あれだなー(分かるよね?)と、鼻白んでしまったのだけど、考えてみりゃ、この収録が実は「本当のツヨぽんの復活の瞬間」だったのだから、お客さんたちが感極まるのも当然なのだった。

『笑っていいとも!』の、素っ気なさを心地よく感じたぼくだけど、あれはそういや「お昼の番組」だったのだ。ツヨぽんが言う通り。

お昼の番組に、長々とした愁嘆場(こら)は要らない。

でも、この番組はツヨぽんの、完全なる“ホーム”なのである。

SMAPという“実家”に、ツヨぽんは戻ってきた。

お姉ちゃん(←色んな意味で)たちがめそめそするのも、確かにアリエール((−−;)そのダジャレはもういいよ)のだ。



ライブについて。

そういや「この瞬間、きっと夢じゃない」のエピソードを、ぼくもネットニュースで読んでましたけど、正直にいいます。ぼくは乗っかりませんでした( ̄^ ̄;)←意固地

でも、ずっとね、SMAPの曲は聴いてました。新旧色々と。

「負けるなBaby!〜Never give up〜」を一番パワープレイしてたかな。

この曲をずっとツヨぽんに思いをはせつつ、すぐ怠けたがる自分にも向けて、「沁みるぜ」と思いながら聴いてましたよ。

SMAPの曲に出てくる主人公って、「別に、とりたてて強くもカッコ良くもない男の子」が、自分の弱さやずるさと闘ったり、女の子に不器用に優しくしたりする曲がけっこう多いじゃないですか。

元気づけられるんだよね。何気に。

それにしても、「ありがとう」が、今のツヨぽんにこんなにもジャストフィットする歌詞だったことに、戦慄に近いものを感じた。

だって、この曲、こんな事件が起きるなんて思いもしないで作られたはずなんだからね。

しかもツヨぽん主演のドラマの主題歌だったというオマケ(?)までついてる。

戦慄せざるを得ませんな( ̄^ ̄;)←なぜカッコつける?

このように、「これでもか」っつうくらいのドラマティックさを演出してくる“臆面のなさ”は、やはり『SMAP×SMAP』だからこそか(この辺で、『同学年』の回のラストに鈴木おさむが言ってたことがぼんやりと甦ってきた)

“実家”だからこその、「他ではやらない」この臆面のなさ。

鈴木おさむの顔が思わず浮かぶ。(え)





さて、ライブの後は、ないがしろにしてもOKな(おい)ゲスト・爆笑問題を迎えて、その実「草剛“お帰り”お食事会」(←言い得て妙/自己満足)

みんなが(好奇心から)訊きたがっていることを、ここで全部話させちゃって、他の番組やマスコミへは話させないようにしてるのかっつうくらいのイキオイで(おいこら)、謹慎中のエピソードをどんどんしゃべらせる(こらこらこら)

これは上手かったな。(だから、うがちすぎだって)



それじゃそろそろタダレの本領発揮しますか(エッ?!)

「付き合い始め二週間(とんでもない、21年だよ!)」のカレシから(公開)プロポーズされちゃうしさあ〜〜(≧∇≦)何だその嬉しそうな顔はよー

「長年連れ添った老妻」はウナギを二回も持ってきてくれるしさあ〜〜〜(≧∇≦)モテモテじゃん(?)

そこで、あとの二人は、ツヨぽんにとって何か、考えてみた。

タクは、甘えさせてくれない、厳格な(だけど、本人の知らないところで外の敵と対峙してくれる)舅で、中居君は、対外的には「ウチの出来の悪い息子が、ご迷惑かけてすみません」と謝って回るけど、二人になれば「お前の気持ちは、オレが一番わかってるよ」と優しく言ってくれる実の父親かな。

・・・いや、やっぱ、タクが父親で、中居君が母親かな(妄想絶好調)

さりげなく、スルっとだけど、中居君が、

「他人(ひと)のことならまだしも、うちのメンバーのこと言ったらぼくが怒りますからね」

と言った言葉に、ぼくはすかさずじんときました(T_T)

もちろんそれは、他のメンバーも全員そう思ってるには違いないし、どこのグループのリーダーも、きっとそう思ってるんだろうけど、なんか、これほど中居君に似合う言葉はないなと。





それにしても(ここからは真面目な話です。タダレなしです)

「男らしく生きることが、ぼくにとって人生を全うすることなのかな」

とまで、考えが行きついてしまったツヨぽん。

真面目な人で良かった。(←?)

神様も、この子にロング・バケーションをあげた甲斐があったとご満足でしょう。(←ニワさん?)





番組が終わったとたん、能天気満点の昆布ポン酢のCMまで流れてきて、一つの事件が終決したことをまさしく実感。

さて、明日は『「ぷっ」すま』ですな。

お調子者の姉婿(と認定)ユースケと、従姉の旦那さん(何だその微妙な設定)・大熊さんは、どんな風にツヨぽんを迎えてくれるのだろうか。

かなり楽しみ+ちょっとドキドキ。


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