幕夕(まくゆう)の海外旅行日記
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1998年07月30日(木) 32歳 北京→横浜

 出国審査が遅々として進まない。その場で出国カードを書いてるやつがいるのか。
 タクシーの中で運転手と会話するのは楽しかった。



1998年07月29日(水) 32歳 北京

 パンダは見られたが、四不像・金糸猴は見られなかった。レッサー・パンダがかわいかった。中島みゆきの「雨月の使者」がかかっていた。
 世界史の時間に何度も勉強した中国の歴史が初めて身近なものに感じられた。革命博物館は中国共産党の視点から見た展示がされていた。「南京」の「300000」という数字も書かれていた。
 ショッピング・センターはかなり洗練されていて、日本とあまり変わらない。
 全聚徳で食事するときは自分の番号が呼ばれるのを待つのだが、飛ばされたようだったので係員に聞いたら、やはり忘れられていた。今日いちばん腹が立ったのはこれだった。



1998年07月28日(火) 32歳 北京

 オプショナル・ツアーの同行は中国人が2人とスペイン人が2人。あとはガイドと運転手。
 永楽帝・万暦帝・李自成など、世界史の本の中でしか知らなかった人物が急に身近に思えてきた。
 八達嶺に行くのかと思ったら、そうではなく居庸関だった。私以外の4人はほとんど登れなかったみたい。山に石段が作ってあるようなものだから。
 北京図書大厦はすごい。広々としている。
 今日の天安門は特に美しかった。



1998年07月27日(月) 32歳 列車→北京

 食中毒になってしまった。夜行列車の中だったので、ほとんど寝られなかった。まだ下痢は続いている。
 チェック・インは朝からできたようだ。
 このホテルは日本語が通じるからくつろげるかと思ったら、そうでもない。レストランの従業員は不愛想だし、売店の店員は押しつけがましい。



1998年07月26日(日) 32歳 洛陽→列車

 切符の入手を最優先にしたため、朝飯抜きだった。
 バスが汚いとはいえ、3時間の高速バス代が15元とはほんとに安い。
 鄭州は街並みも人々の身なりも洛陽より都会的だ。海天大酒店の従業員の態度は非常によかった。
 黄河遊覧区は一度はあきらめたが、行けてよかった。往復のミニバス代はほんとに安い。だが、現地では一人で見て回るのは難しく、ガイドに50元払った。
 夕食のカリフォルニア・チキンは「どこがカリフォルニアじゃ。」という感じだった。



1998年07月25日(土) 32歳 洛陽

 龍門石窟の仏像はいちばん有名なもの以外は、あまり保存状態がよくない。土産物売りがたくさんいた。
 洛陽はレストランが少ない町だ。昼食はホテルで食べるしかなかった。
 白馬寺に行って、前回の中国旅行で訪れた寒山寺や龍華寺を思い出した。中国の寺の内部は日本ではほとんど知られていない。
 レストランの人に料理の感想を書けとせがまれた。
 ちょっと風邪ぎみ。



1998年07月24日(金) 32歳 列車→洛陽

 鄭州の駅前では「少林寺!」の呼び声がすごかった。北京行きの切符は26日に受け取ることにする。
 洛陽行きのバスはずいぶん汚いバスだったが、車窓の眺めはよかった。
 初めて来た街ではバスの路線を把握するまでに時間がかかる。
 博物館の庭に岡山から寄贈された桃太郎の像と灯籠があった。
 昼食抜きだったので、疲れた。晩ごはんは注文しすぎてしまった。



1998年07月23日(木) 32歳 北京→列車

 今日は天気が悪かった。北京は広いので、地図で見ればすぐ近くにありそうな所でも、歩くとけっこう時間がかかる。そのうえ歩道が歩きにくい。
 天壇公園は見所以外の敷地がすごく広い。レストランは団体客専用だったのか。イタリアの団体客が出発前に「オー・ソレ・ミオ」を歌った。土砂降りになったので、2時間ほど土産物屋で雨宿りさせてもらった。



1998年07月22日(水) 32歳 横浜→北京

 雨の中を離陸したのは初めてだったが、大丈夫だった。
 ジオ・クラブの中国自由旅行は日本語ができるガイドが世話をしてくれて、旅行がしやすい。今後のホテルの予約もスムーズにできそうだ。
 ホテルに着くまでに時間がかかったのは、回り道をしたためだろう。
 5年前と比べると、だいぶ中国語の音声に慣れてきた。




幕の内弁当の夕食 [MAIL]

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