幕夕(まくゆう)の海外旅行日記
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1997年07月13日(日) 31歳 ビリニュス→飛行機

 空港へ行くバスに乗る停留所の場所を聞き、一度下見に行った。
 ビリニュス空港は小さい空港で、とにかく人がいなくて静かな所だった。両替所がなくて、再両替ができなかった。到着ロビーにだけ両替所があると思われる。
 1週間前に来たコペンハーゲン空港で乗り継いで、帰国の途についた。



1997年07月12日(土) 31歳 ビリニュス(日帰りでトラカイへ)

 ホテルからバス・ターミナルまではけっこう遠い。
 トラカイは全然観光地という感じはなく、静かな田舎。バス・ターミナルから城までかなり歩く。カライメ人がこの辺りに住んでいるそうだが、どんな仕事をしているのだろうか。
 ビリニュスに戻ってKGB博物館を見る。ちょうどドイツ人のカップルが来ていて、ガイドがドイツ語で案内したので、よくわからなかった。
 あんな所で日本語を話す人に会うとは思わなかった。終戦からずっと本牧に住んでいたそうだ。
 リトアニア民族歴史博物館は細長い建物。順路を逆にたどってしまったようだ。15世紀のリトアニアの最盛期の展示が意外に少なかった。
 最後のレストランはいい雰囲気だった。



1997年07月11日(金) 31歳 カウナス→ビリニュス

 今朝はゆっくりできたが、早く出発したい気分だった。
 ビリニュスまではバスで行くつもりだったが、結局バス停の所にいた人の車で行くことにした。
 ビリニュスではまともなホテルに泊まるために事前に情報を集めた。受付の女性がとても陽気だ。
 ビリニュスはリラックスできる。建物がカラフル。あんな巨大な大聖堂があるとは思わなかった。観光客があまり来ないのが不思議。ゲディミナス塔からの眺めはすばらしい。
 聖ペトロ&パウロ教会ではちょうど結婚式が行われていて、写真を撮るのはためらわれた。



1997年07月10日(木) 31歳 リーガ→カウナス

 朝、雨が降っていた。朝食はパンとヨーグルトだけ。
 ラトビアとリトアニアの国境を越えた。陸路で国境を越えるのはああいうものなのか。
 リトアニアの田舎はなだらかな丘陵で美しい。コウノトリは少し見かけた程度。
 カウナスに着いたら、腹ごしらえをしてからホテル探し。だが、見つけたホテルはあまりいい所ではなかった。
 旧市街の方まで行ったが、雨が降ったりやんだり。
 夕食はボリュームの割りには安かった。



1997年07月09日(水) 31歳 リーガ(日帰りでユールマラへ)

 団体客のキャンセルがあったようで、部屋を変えなくてもよくなった。
 ユールマラのビーチはあんなに何もない所だとは思わなかった。少し寂しさを感じてしまう。
 聖ペテロ教会の展望台は風が強かった。
 絵はがき、バルザム、ラトビア語の会話の本は買えたが、ほかはだめだった。
 夕食はメイン・ディッシュがボリュームたっぷりで、あれならサラダを注文することはなかった。
 オルガン・コンサートはすばらしかったが、長時間聴いていると、眠くなった。



1997年07月08日(火) 31歳 リーガ

 お金の返却はさっさとすませて戻ってきた。
 聖ペテロ教会、リーガ大聖堂、三兄弟、リーガ城と回った。事前にガイドブックを読みすぎたせいか、こんなものかという感じもした。
 昼食のとき、ドゥアマ広場で楽隊が演奏していた。
 ホテルはツーリスト・オフィスで手配した。
 占領博物館で、スターリンによるシベリア流刑を改めて認識した。
 ユーゲント・シュティールは、よくあんな顔を彫ったものだと思った。



1997年07月07日(月) 31歳 横浜→リーガ

 成田空港には韓国人が多かった。ソウル―コペンハーゲンの直行便はないのだろうか。
 搭乗直前にユーロ・クラスに変えてもらった。エコノミー・クラスとは食事が違う。コース料理のように少しずつ出てくる。だが、それ以外はスペースが少し広いぐらい。
 隣の席の人と親しくなった。建物の写真を撮って送ることを約束した。
 コペンハーゲン空港は気楽にくつろげる感じの空港だった。夕方なので何か食べようかとも思ったが、全然食欲がわかなかった。
 リーガに着き、ビザを取得する段になって、現金でなければ受け付けてくれないことがわかり、立ち往生した。エアー・バルティックの人が現金を貸してくれた。




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