2023年08月21日(月) |
彼女があの夜放った言葉が、まるで楔が打ち込まれたかのように刺さって抜けない。 あなたが受けたという親からの虐待っていうのは別に特別なものじゃないでしょ、あの当時よくあることだったんじゃないの。だからそれを虐待とかアダルトチルドレンとかいう言葉で特別に括る方がおかしいと思う。
彼女は酔っていた。酔っていてもたかが外れてたわけじゃない。分かっていてちゃんとわかっていて彼女はその言葉を発していた。だから、私は正直、心の中驚いた。 何を言っているのかこのひとは今分かっているんだろうか、最初にそう思った。でも分かっていて言っているんだということが伝わって来た時、一握りの激しい怒りが込み上げた。 あなたが何を知っているというんだ、私はあなたにほとんど何も喋っていない。
だから余計に怒りというか腹立ちは増幅した。同時に、どうしようもない諦念も。どっかりと私の中に腰を下ろした。
彼女は。 彼女自身恐らく、言葉の端々から伝わってくるのは、彼女の言葉を借りれば「まともじゃない家庭に育ち」、「とんでもない体験をいっぱいした」。でもそれを彼女は決して虐待とか何だとかとは表現しない。たとえそれらが存在していたとしても、彼女はそれを虐待とは決して呼ばない。「当時あって当たり前のこと」だと。
「別にあなたがそれで生き易いっていうなら止めないけど、でも、何も特別なことなんて何もなかったと私は思うわ。だからあなたが虐待とかACとかいう言葉を使う度、ふうん、で、何、って冷めて思うのよ」。
もし。 もしもあの時、彼女と私だけだったなら。その場に集うのが彼女と私だったなら、私は彼女に、打ち明けただろうか。じゃあ聞いて、こんなことがあったりあんなことがあったりもしたのよ、本当に辛かったの、と? あの場に、幸か不幸か、私たち以外のひとたちも集っていた。私はそのことをまず考えた。この場で私が彼女の言葉を否定し、これだけ酷い仕打ちがあったんだ、なんて話したところで、彼女と私以外の人間にとっては戸惑い以外浮かばないだろうし、困惑するばかりだろう。 だから私は、「そうかもしれないね。でも私はその言葉を得ることで救われたのよ」とにっこり笑って横を向いた。 それが、私にできる精一杯だった。
何だろう、時々、何の事情も知らずに、そうやって「わかった」気になって好き勝手言ってくるひとたちがいる。いやいや、私はあなたに別に、ちゃんとわかるように話していないし、打ち明けてもいないし、それなのにそうやって「わかってる」気にならないでよ、と、そのたびに言いたくなる。 もし私があと二十年年若かったら、間違いなく言い争っていたに違いない。絶対に許容なんてせず、むしろ怒り狂っていたに違いない。
でも。 私は長く生き過ぎた。そんなふうに怒り狂って自分の人生を開示するには、もうあまりにいろんなことがあり過ぎて、とてもじゃないが語り尽くすことなんてもう、できない。できないところまで、生きてきてしまった。 良くも悪くも。長く生き過ぎた。
私は彼女が嫌いじゃない。むしろ好きだ。でも。 今回のことはとても、残念に思っている。
うん、そうだ、私は彼女の言葉で、深く傷ついたのだ。 ふたりきりの時にそういう話題を出すならまだしも、赤の他人もいるような場面でそういうことを言い放った彼女に、私は酷く傷ついたのだ。
ここまで書いて、窓の外を見やれば、じっとり湿った夜気がそこに横たわっており。ぴくりともそよがない風鈴が、軒下にぶらり、ぶらさがっている。 |
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