2023年06月09日(金) |
雨がしとしと降る朝。昼には止むという予報なのだが、通院日ゆえこの雨の中を出掛けなければいけない。ちょっと憂鬱。 子供の頃、雨の中を歩くと蕁麻疹が手や足にぶわっとできてしまう性質だった。まるで酷い突き指をしたような、十本の指がすべてぶっくぶくに膨らんで真っ赤に腫れる。足は足で斑な赤い地図を描いたかのような具合になってしまう。痛痒くて痛痒くて、いつも唇を嚙みしめていた。年頃になってそれは収まったのだけれど、雨が降ると、そのことをいつも思い出す。そしてつい、自分の手足を見直してしまう。 電車に乗っていたらぼんやりしすぎて、駅をひとつ乗り越してしまった。慌てて次の駅で降り引き返す。余裕を持って家を出たのに、このおかげですっかり時間ぎりぎり。私は時間ぎりぎりに行動するのがとても苦手だ。気持ちが慌ててしまって、余裕がなくなってしまう。特にカウンセリングの前などは、頭がフリーズしてしまう。 カウンセラーが何かの拍子に「条件反射を解かないとねぇ」と。条件反射。その言葉がずしっと圧し掛かる。そうかこれは条件反射のフリーズだったのか、麻痺だったのか、と。今更だけれど、知る。 「条件反射って解けるものなんですか?」 「そうね、時間はかかるけれど」 「もう十分時間かかってる気がしますが」 「これが条件反射なんだと気づく、まずそこからね」 気づく。条件反射にどう気づけというのだろう。難しい。もうオートマティックに、ある種のひとの振る舞いに対して私は反応してしまう。しかもその時、フリーズしている。だから、自分の感情までもが麻痺していて、感情にさえ気づけない。参った。 あなたの解離は酷いから、と、昔々、主治医だったM先生が繰り返し言っていたのを思い出す。当時は、何がどう酷いのか、まったく分からないままその言葉を聞いていた。酷いって言われたってどうしようもないんだよ!くらいの勢いだった。麻痺、フリーズ。そういった言葉ももしかしたら当時聞いていたのかもしれないが、思い出せない。 そこから、加害者と主治医を重ね合わせてしまうケースがある、という話題になる。そう、私がその一例だ。私の場合、男性・権威・体格、そういったものの共通項を、加害者とK先生の様子に見出してしまった。結果、K先生が何を言ってももう麻痺してしまってフリーズしてしまって、しまいには完全に反応できなくなる、どころか、恐怖さえ覚えるようになってしまった。 当時の記憶も交錯しているのではっきりは思い出せないが、思い余って自分から主治医を交替してもらえないか、と私が希望したのだった。もう死に物狂いの勇気を振り絞って、だった。 まだM先生が主治医だった頃。通院に使っていた電車で、何度も何度も加害者と鉢合わせした。加害者の使う主要路線とかち合ってしまっていたからだ。鉢合わせするたび、私はフリーズした。幻聴幻覚、眩暈を覚え、ふらふらになりながらいつも、途中下車した。そういう経験もあって、世界はまったくもって安全ではない、いつ侵入されてもおかしくない代物、という認識ができあがってしまった。脳にそういう回路ができあがってしまった。あまりに強固な回路になってしまったおかげで、いまだその回路は健在だ。 世界は常に危険であり、いつ侵入されてもおかしくない場所であり、私はいつだってそういうものに晒されている。そういう公式が、でーんと私の中に在る。 そして、誰かがこう動いたら、条件反射で私は自分の心をフリーズさせ、まるでAIのように決まった行動を繰り返してしまう。まさに機械仕掛けの人形。
条件反射に気づくこと。カウンセラーだけでなく主治医からも言われる。まずは気づくこと、そして気づいたら条件反射してしまう場から一目散に逃げ出すこと。 帰り道、雨はいつの間にか止んだ。電車に揺られ、バスに揺られ。バスから眺める道縁には、色とりどりの紫陽花が、ここぞとばかりに咲き誇っている。紫陽花。藍染のような紫陽花、どこかにないかな。 |
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